Saturday, 26 December 2009

世界の街角からMM 第43号モスクワ・レポート2 2009年12月13日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第43号 2009年12月13日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート2です。
▼目次
■モスクワのホテル
■赤の広場とGUM
■Ul.Tverskaya ツベルスカヤ通り
■モスクワのマクドナルド
■日本食レストランの現実その1
■■編集後記
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■モスクワのホテル
シェレメツェボ空港からベラルーシ駅までAeroexpressで、そこから地下鉄で移動
した。土曜日早朝にもかかわらず、かなりの乗客だ。ベラルーシ地下鉄駅から一
度乗り換え、Vladkinoへ、駅は住宅街の中、鉄道の環状線に隣接している。丸い
駅舎が特徴的、こういうデザインはソヴィエト的だな。直ぐ隣が植物園なのだが
どこが入り口かよくわからないほど広大そうだ。
(地下鉄:Belorruskaya-Novoslobodskaya/Mendeleyevskaya-Vladkino)

地図を見ながら住宅街を抜け、放射大通り(Altufyevskoye Shosse)を渡り、Riga
シネマ(ソヴィエト建築)を左にそして右に回ると1ブロック先にあるZaryaとい
うサインが見えた、そこがホテルだ。ホテルの前は並木道で夏だったらどんなに
すばらしいだろう。この地区、大通り沿いにAltai Hotelのサインが見えたが他に
もホテルがいくつか立地している。

モスクワでのホテルは、タシケントの旅行会社へ問い合わせたところ、かなり高
い料金が提示され、そんなに高いわけがないだろうとwebで宿泊料金を確認したと
ころ、旅行予定の日付だと51Euroというかなりリーズナブルなオファーが表示さ
れ、旅行会社は切り捨てて(約2倍の提示だった。)、メールを送り予約状況を
確認し、併せて査証取得サービス(R750)を確認した。11月下旬はオフなので最安
値圏、エキジビション等があると安い部屋から埋まっていくため予約が取りにく
くなるがそれでもオフシーズンだ。200室程度あるホテルなので楽観的ではあった。

ホテルは、下記のホテルでモスクワ市内に4ホテルある。地下鉄、Vladkino駅から
500m、モスクワの北部、直線距離ではシェレメツェボ空港にも比較的近い。

Maxima Hotel Zarya
http://www.maximahotels.com/zarya.htm

■赤の広場(個人的に感動)
ホテルにチェックイン後、朝食を軽く取りながら散策会議をロビーのカフェで行
い、先ずは、赤の広場へ行こうと事前打合せのとおり移動を開始する。
(地下鉄:Vladkino-Chekhovskaya/Tverskaya-Teatralnaya)

Chekhovskaya/Tverskayaで乗り換え、一つ目の駅Teatralnayaで降りる、この駅は
ボリショイ劇場の前に位置する。小雨が降る気温2-3度のお天気ながら、そこ
から人の流れが自然と赤の広場へ向かっていたので特に迷うことなく流れに乗っ
て辿り着いた。1985年のときもそうだろうな、ホテルで行き方を聞いて地下鉄に
乗った。

◆赤の広場回想
赤の広場、個人的には感慨深い。20数年前、この広場を訪れたからだ。季節が違
えどその時間経過の中での変化を思うとただただ佇んでいたいと思ったが、現実
は寒い。

「1985年7月9日、爽やかな夏の日、モスクワの赤の広場に立った。今も記憶は鮮
明だ。前日の夕方、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、モス
クワに到着したばかりで勇んで宿泊していたBDNKhのコスモスホテルから地下鉄で
赤の広場まで行った。」

赤の広場は長方形で7.3haある。短辺のツベルスカヤ通り側に歴史博物館、その対
面、モスクワ川側に聖ワシリー寺院、長辺はクレムリンとGUMである。そしてクレ
ムリン側中央にレーニン廟がある。広場は石畳で緩やかにモスクワ側に向かって
傾斜している。子供のころブレジネフ書記長が中央に立ち軍事パレード(5月1日の
メーデーと11月7日の革命記念日)が行われている様子はTVで見た記憶があるが今
は昔だ。

結婚式を挙げたカップルが結婚登録(挙式)後に記念撮影のため訪れる定番地で
あり、小雨の降るお天気ながら数組のカップを見かけたことはソヴィエト時代と
変わっていない行事のようだ。

*事件簿****************************************************************
1987年5月28日に西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ
機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。ルストは
自由剥奪4年の実刑判決を受けるが翌年国外退去処分となる。小型機の侵入を防げ
なかったことでソ連軍は防空体制の甘さを糾弾され、セルゲイ・ソコロフ国防相
はじめ防空軍総司令官らが更迭された。この事件は、当時のゴルバチョフ政権に
とっては改革に反対する軍部の保守強硬派幹部を更迭する理由として、むしろプ
ラスに働いた。(wiki)
******************************************************************

ちなみにクレムリンと赤の広場は世界遺産に登録されている(1991年)。

山本寛齋(1993年)やポール・マッカートニー(2003年)がここでイベントを開
催、旭硝子のCMにも赤の広場が使われている。AGC、AGCと連呼するマトリョーシ
カは印象に残っている。

◆レーニン廟
今回も時間なくパス。設計者であるAlexey Shchusevはウズベキスタンの首都タシ
ケントにあるナボイ劇場の設計者でもある。ナボイ劇場は第二次世界大戦後、日
本人抑留者が建設に従事した代表的な建築である。

◆クレムリン
クレムリンというのは城塞を意味するロシア語であり、帝政ロシア時代、ソヴィ
エト時代を通して政府中枢がこの城塞内にあった。現在はロシア連邦の大統領官
邸と大統領府が置かれている。

クレムリン宮殿内に武器庫があり兵器の展示と合わせて美術工芸品や貴金属類が
展示されている。明治天皇がニコライII世の戴冠式に贈った象牙の鷲と刺繍入り
の屏風も所蔵されている。

クレムリンの尖塔にはロシア国旗が掲揚されていたことが前回と大きく異なる点
だった。今回も中には入らず仕舞い。

■GUM
GUMは、ロシア語のState Department Storeの略である。赤の広場の長辺に沿って
クレムリンと対峙する位置に19世紀末に建設された細長い建物巨大な建物だ。3階
建て、3列のアーケードから構成されている。天窓があり照明を取り込む構造とな
っている。ヨーロッパでもこのような規模の歴史的な商業施設は記憶にない。

1985年にモスクワに来た時はこの建物が何なのかわからなかったが、堂々と赤の
広場に面しているので不思議に思っていた。それで人の流れを良く見ていたらか
なりの人がこの建物に吸い込まれていくのでその流れに乗ってみたらアーケード
だった経緯がある。建物は同じだがテナントは当時の面影はない。当然のことだ
が。

現在のテナントは高級ブティックやインターナショナルブランドのショップが多
く、ショーウインドウの性格が強いのでは。

Red Square tel. (+7) 495 788 43 43 Open 10:00 - 22:00.
Metro station: Pl. Revolutsy

http://www.gum.ru/en/

■Ul.Tverskaya ツヴェルスカヤ通り
東京で言えば銀座だろうと聞いたツベルスカヤ通りだが、青山辺りを一緒にした
ような印象だった。

道路復員が広く反対側とのリンクはあまり感じられず、片側ごとに完結している
ような印象だった。あまり時間なく本屋とレストランに立ち寄った程度、時間も
遅く直ぐに暗くなってしまった。

オポトニリャト駅からプーシキンスカヤ駅までも歩いていないので出直し対象だ
な。

■モスクワのマクドナルド
ツヴェルスカヤ通りでPCショップを探しているときに「M」のサインが視野に入っ
たので入ってみた。盛況、盛況、席がない。暫く待ったら4人席が空いた。ほっと
一息、ビックマックバリューセットを注文、R.137だったか、日本より若干安めだ
ろう、ボリュームはドリンクとフレンチフライの量が多いのでこちらのがある。

場所:
http://maps.google.co.jp/maps?q=moscow+mcdonalds&gl=jp&hl=ja&cd=1&ei=6OEk
S9XPMOG8jAfSo9n7DQ&sig2=Lh3yhcyEf7dgQssNPQW3VA&sll=55.758946,37.610543&ss
pn=0.006295,0.006295&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&view=map&cid=378506336
1235450874&ved=0CBAQpQY&hq=moscow+mcdonalds&hnear=&ll=55.75965,37.610536&
spn=0.008222,0.016029&z=16&iwloc=A

ツヴェルスカヤ通りをもう少し北へ行ったプーシキンスカヤにあるマクドナルド
は一日3万人が利用する世界でも最大の売り上げを誇るようである。
http://www.mcdonalds.ru/

■日本食レストランの現実その1
夕飯はこの辺りで食べようということになり、さて、どこへ行くべきか、安易に
地球の歩き方に掲載されているツベルスカヤ通りの和食レストラン「銀の瀧」に
行くことにした。

ちょっと油断をするとこういうことになるという例がこの選択だ。新しい都市で
はその土地に暮らしている人の意見や英語のガイドブックを調べるのだが、今回
は安易に決めてしまった。

ロシア人の目線だとこの店の出す食事が日本食なのだろうが日本人の目からする
と完全に擬似日本食、しかも料理が冷めていた。かなり遠い遠い日本食なので期
待しなければ、若しくは、巻物程度ならば、クリエイティブなメニューが多い、
納得ができるかもしれない。

しかし、この内容でかなり客が入っていることから、これが日本食と受け取られ
ているのだろう。ウエイトレスの数が少なくサービスレベルは非常に低い。クレ
ジットカードの支払いができるとの説明だったが結果できなかった。私からはお
薦めできない店だ。

web情報(2002年)からこの店は「養老乃瀧」が経営指導したとのことだが既に指
導は終了したのだろう、この質からはそう感じた。
http://www.gin-notaki.ru/
http://www.dostavkasushi.ru/

■■編集後記
ツヴェルスカヤ通りはもっと時間を取って散策すべきでしたね。それから、日本
食の普及度には驚いたが質の維持が課題だろう。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第43号 2009年12月13日
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世界の街角からMM 第42号モスクワ・レポート1 2009年12月9日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第42号 2009年12月9日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート1です。
▼目次
■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着
■新生ロシアの首都モスクワ
■シェレメツェボ空港
■モスクワの地下鉄
■■編集後記
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■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着

1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出
てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。
モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ
各都市への始発駅でもあった。

2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がし
っかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の
駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。

この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったイン
ツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。

バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したイ
ンツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本
文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。

ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座に
も出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。

しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにも
いかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席
に押し込められてしまった。

ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモス
ホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非
常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、
が窓から過ぎ去っていった。

続きはこちらのサイトにあります。
http://1985.iio.org.uk

■新生ロシアの首都モスクワ
実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連
邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスク
ワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。

体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィ
ン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営
の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨー
ロッパを代表する大都市のような印象だった。

20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブ
ランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄
や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェ
ボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近
だという。

今回のプチ・モスクワ旅行はこちらに詳細を説明しています。(多々、準備中も
ありますこと、ご了承のほどを。)

http://moscow.iio.org.uk/index.html

■シェレメツェボ空港
悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが
今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり
時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。

今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手
続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそ
う感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。

既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオー
プンする予定である。

我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがま
だ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ
入国した。

そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関
の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。

そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミ
ナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、
まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた
空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。

シェレメツェボ空港
http://www.svo.aero/en/

■Aeroexpress(空港から市内への移動)
2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅
まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港か
らBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。

今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行
頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外に
あり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、

その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエ
フ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。

http://www.aeroexpress.ru/en/

Domodedovo空港
http://www.domodedovo.ru/en/

Vnukovo空港
http://www.vnukovo.ru/eng/index.wbp


■モスクワの地下鉄
Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて
少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中
し人通りが多い。

モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の
列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒
と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関におけ
る乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られて
いる。

1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券)
だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10
回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必
須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。

今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報
が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)に
カードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが
降り通過できない。

Moscow Metro
http://engl.mosmetro.ru/

■■編集後記
1985年以来のモスクワ、どうしても比較してしまうが、現在のモスクワを探索し
ようと心がけたプチ・モスクワ旅行、引き続き、モスクワでの印象、レポートす
る予定です。
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Wednesday, 25 November 2009

世界の街角からMM 第41号 いざモスクワへ! 2009年11月15日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第41号 2009年11月15日
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モスクワに行くことにしたのでウズベキスタンでロシアのビザを取得した、その
ときのメモです。
▼目次
■いざモスクワへ!
◆VISAが取れるかな?
◆ソヴィエト時代のインツーリスト
◆VISA申請
◆VISA発給
■■編集後記
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■いざモスクワへ!
11月後半の三連休を利用して勉強会の有志とモスクワに行くことにした。実に赤
の広場に立った1985年7月以来となる。当時はソヴィエト社会主義共和国連邦、現
在はロシア連邦、首都は変わらずモスクワだ。タシケントでの仕事を始めたとき
には考えても不可能だろうから考えていなかったが、意外と連休がタイミングよ
くあり、しかも、行こうという有志もいた。されどVISAの問題があり、航空券だ
け買えばそのまま行ける国ではないことはソヴィエト時代と変わっていない。

この問題を解決せずしてリアリティが沸いてこないのは当時も現在も同じだ。当
時は、インツーリストとという国営旅行社があり、日本の代理店からインツーリ
ストへ予約を入れてもらい、バウチャー(予約証明と招聘状が一緒になった確認
証)を取得して狸穴のソ連大使館領事部へビザ申請した。当時、ソヴィエト国
内はどこでもこの一社でよかったのだが、今回はそのバウチャーをどのようにし
て取得するかという点に焦点を当てwebで検索するも法外なビザ手数料の旅行社ば
かりでなかなか具体的な情報が得られなく勝手が違った。

◆VISAが取れるかな?
ソヴィエトの構成国家であったウズベキスタンに滞在しているので、ここの旅行
社ならと問い合わせるが、webと同様な料金だし、ホテルも法外に高いオファーだ
った。ウズベキスタン国民は短期間の場合ロシアへはビザなしで行けるので需要
もないのだろうか、と考え、更に関連情報をレビューした。

ロシア政府に承認された旅行社や機関がバウチャーを発行できるという説明がweb
にあり、この情報から類推し、ホテルは旅行会社とも密接なはず、若しくは、旅
行会社がホテルを経営している可能性もあることからバウチャーの発行が可能で
はないかと仮定、この線でホテルへのビザサポートを確認し、ホテルが発行する
バウチャーでビザ申請が可能か否かをウズベキスタンのロシア大使館へ確認して、
ビザ申請へ漕ぎ着けた。この手続きで同時にホテルの予約を済ませ、平行してア
エロフロートのフライト、タシケント-モスクワ往復を予約した。

◆ソヴィエト時代のインツーリスト
ソヴィエト時代は、フライトスケジュールもバウチャーに含まれていたがロシア
連邦になってからは宿泊予約確認だけで観光ビザが申請できるようだ。しかもバ
ウチャーはホテルの予約担当が頑張ってくれ、予約確認とビザサポートを申し込
んだ翌々日にメールでバウチャーを送ってきた。金曜日に必要書類をメールで送
り、日曜日に届いたのでかなり早かった、ソヴィエト時代とは大違いだし、ウズ
ベキスタンはまだこのペースが抜け切れていないが、このサービスレベルに感心
し、モスクワはどんなに変わったのだろうかと数週間後に体験するモスクワを想
像した。

◆VISA申請
書類がそろったので、これで目出度くタシケントのロシア大使館領事部へビザ申
請を行った。領事部の入り口はウズベキスタン人が並んでいたが、窓口にビザ申
請だと告げるとセキュリティチェックをして領事部へ通れた。窓口の女性はテキ
パキと書類を処理、英語が通じたのも幸いした。ちょっとした躓きもこのときあ
った。事前の説明ではパスポート原本はビザ受領時と言われていたが申請時に預
けなければならず、同日に取りに帰り提出し、観光ビザ代(50米ドル)を窓口で
払い受取証を受け取った。

在京ロシア大使館のページをよく読んだら、2週間後の受け取りは全てのビザが無
料とある。これは日本国籍のみだが、在京だからだろうか、確認してみる価値は
ある。
http://www.rusconsul.jp/hp/jp/visa/visa.html

◆VISA発給
ビザは当日、翌日発給のエクスプレスサービスもあるが、通常の5日で申請、11月
10日、16時にパスポートに張られたビザとともにパスポートを受け取った。これ
で出発前準備が完了、ビザ手続きだけでかなりのエネルギーを使い果たしてしま
って、モスクワのことはまだまだ情報不足、これから、いざモスクワへ!は本格
的にこれからです。

■■編集後記
手続きだけでもう既にモスクワへ行ったようなエネルギーを使った。20数年ぶり
のモスクワ、楽しみだ、ただ寒そう!
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【世界の街角からMM】 第40号 タシケントの日本人抑留者 2009年11月14日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第40号 2009年11月14日
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日本との関係でウズベキスタンを考えだ場合先ず日本人抑留者が頭に浮かぶ。タ
シケントにはその日本人墓地がある。
▼目次
■日本人抑留者の墓地を知ったきっかけ
■ウズベキスタンの日本人抑留者と墓地
■シベリア抑留中死亡者名簿
■なぜ抑留か?
■国際法上の取り扱い
■■編集後記
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■日本人抑留者の墓地を知ったきっかけ
タシケントに日本人抑留者墓地があるのを知ったのは、1996年2月、初めてウズベ
キスタンへ出張した時になる。調査団長が満州からの引揚者で、是非、墓参りを
したいという希望があり、その時の出張をアレンジしたUzbektourismの案内でヤ
ッカサライ市民墓地の一角にある日本人墓地へ調査団一同で墓参りをした。

■ウズベキスタンの日本人抑留者と墓地
タシケント市内南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人
墓地として整備されている。

第二大戦直後、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵約65万人(定説)が
スターリンの指示により強制的にシベリアに抑留され長年労働を強いられ、厳し
い環境の下、約6万人の命が失われた。山崎豊子の不毛地帯を読むとその過酷さが
よくわかる。ウズベキスタンでは、そのうち2万3千人の抑留者が強制労働に従事
し、817名がウズベキスタンで帰らぬ人となっている。

ヤッカサライ墓地には、タシケントより79名、タシケント地区墓地より8名、計87
名の日本人が眠る。隣接してドイツ人墓地がある。碑には1990年5月23日、もうひ
とつに碑には1995年10月1日の日付が刻まれている。両方とも福島県という文字が
読める。この意味はまだ理解していない。

抑留者の墓地は、ヤッカサライの他、タシケント市内のヤンギュリとハムジェン
スキイに墓地がある。ウズベキスタン国内ではタシケント州アングレン市、チル
チツク市、ボスタンデクス市、フェルガナ州コーカンド市、フェルガナ州フェル
ガナ市、アンディジャン州アンディジャン市、ブハラ州カガンなど13ヶ所に日
本人墓地がある。タシケント第四ラーゲリーの約500人の抑留者がウズベク人やロ
シア人とともに建設に従事し工事が中断していたナボイバレエ・オペラ劇場(タシ
ケント)が1947年に竣工したことはよく知られている。

ナボイ劇場は延べ床面積 15,000 平方メートル,観客席 1,400 で煉瓦(れんが)
造りのビザンチン建築である.日本人抑留者は,土木,煉瓦積み,彫刻,鉄工,
配線,大工,左官,電気溶接,測量など多岐にわたっていた。

◆墓碑に刻印された文字
◇永遠の平和と友好
不戦の誓いの碑
1990年5月23日
日ソ親善協会福島県支部

◇永遠の平和と友好の誓いの碑
1995年10月1日
日本ウズベキスタン友好議員連盟
福島県ウズベキスタン文化経済友好協会
ウズベキスタン国際文化教育交流国民協会

■シベリア抑留中死亡者名簿
元抑留者の村山常雄さんが平成19年(2007年)7月に「シベリアに逝きし人々を刻
す」題するソ連抑留者死亡名簿を刊行されました。その名簿によれば45815名が亡
くなり、ウズベキスタンでは2456名が収容され、うち、876名が亡くなっている。
なお、ソ連における日本人収容所はシベリアから西はウクライナまで広範囲にわ
たる。

第26収容所 〔アンヂジャン地区〕 33名
第288収容所 〔ベカバード地区〕 147名
第360収容所 〔ボスタンデグスキー地区〕 13名
第367収容所 〔コーカンド地区〕 241名
第372収容所 〔アングレン地区〕 134名
第386収容所 〔タシケント地区〕 261名
所属不明 47名

村山常雄さのサイト
http://yokuryu.huu.cc/

◆関連情報リンク
共同発表:日本国政府とウズベキスタン政府との間の抑留中死亡者をめぐる人道
分野における協力(仮訳)(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_02/uz_jan_ej.html

タシケント、古里を遠くはなれ生きた年月は
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/olient/olient27.html

夕鶴が舞ったナボイの夏(日本ウズベキスタン協会)
http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/06_yuuzuru_
shima.html

捕虜の汗「夕鶴」に実結ぶ、ウズベク「ナボイ劇場」のオペラ公演に感激(日本
ウズベキスタン協会)
http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/04_yuuzuru_
nagata.html

シベリア抑留日記(サウンドボリュームが大きいのでMuteにしたほうが良い。)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sho_un/sub1.htm

中央アジア地区の日本人捕虜収容所
http://www.page.sannet.ne.jp/mhvmhv/chuouasia.html

ウクライナ人捕虜からみた日本人捕虜
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html

■なぜ抑留か?
旧ソ連地域での日本人戦争捕虜の抑留は、スターリンがヤルタ会談で約束
された千島列島・南樺太の占領のみならず、トルーマンに北海道の分割占
領(留萌町から釧路市を結ぶ線の北東側と両市町を占領)を申し入れたが、
一蹴されたためその代償として捕虜をシベリアへ送ったという説がある。

この背景は、日本のシベリア出兵によってソ連は占領されたため、ソ連も日本
の領土を占領しなければ、国民の怒りが収まらない、という理由であったが、
日本の占領政策に影響を強めようとしていたと考えられいる。

■国際法上の取り扱い
国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金は、帰国時に証明書を持ち
帰ればその捕虜の所属国が支払うことになっている。日本政府は、南方地域
で米英の捕虜になった日本兵に対しては、個人計算カード(労働証明書)に
基き賃金を支払った。しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、日本
政府はそれを理由に賃金を支払わなかった。1992年以後、ロシア政府は労働
証明書を発行するようになったが、日本政府は未だに賃金支払を行っていな
い。(wiki)

以上のような説明がwikiにあったが、ソ連の継承国家であるロシアが労働証
明書を発行し、日本政府が賃金を支払えばこの問題がすっきりするのかとい
う疑問も残る。当時のソ連政府の行動はどのように考えたらよいのだろうか。

■■編集後記
近代日本の歴史は紐解く異議があり、義務教育で詳細に教義すべき内容だ
が私自身あまり記憶にないのは文部省がさほど重視していなかったからなの
か、単に私がサボっていたからなのかはっきり憶えていない。ただ、これらの
事実は大学に入ってから書物により徐々に事業がわかってきた。

ヤッカサライの日本人墓地以外、まだ訪ねたことがない。ブハラのカガンや
タシケント近郊のチュルチュクにもあり、今後は足を伸ばしてみたいと思って
いる。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第40号 2009年11月14日
発行責任者:飯尾彰敏
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世界の街角からMM 第39号 11月・・・暖房、新米、ハルビン 2009年11月2日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第39号 2009年11月2日
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エッセイ的に、今回はタシケント日常です。
▼目次
■11月・・・暖房、新米、ハルビン
■■編集後記
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■11月・・・暖房、新米、ハルビン
今週末はもう11月だ。時が過ぎ去るのはいつも早いが成果はいつも遅い。神に導
かれて・・・というコメントを以前いただいたがこう考えれば気が楽になるなあ。

今週は3つ肯定的なことがあった。ひとつは、ヒーター(地域暖房)が入ったこ
と、二つ目は、新米だ、そして三つ目はタシケントで新たな旨い中華料理屋に出
会ったこと。生活が滲み出ている内容だな・・・。

◆ヒーター(地域暖房)
ソ連の置き土産に地域暖房システムというインフラがあり、温水が各戸に供給さ
れパネルを通して輻射熱で暖房するメカニズムになっている。欧州では一般だ。
この暖房があれば冬でも部屋の中はTシャツ一枚で居られるほど快適なのだ。しか
し、この暖房がないと寒い。10月に入ってから気温が下がり始め、最低気温が一
桁前半になることがあったが寒くて夜は靴下を履いて寝た。が、もうしなくてい
よい。

冬場はこの暖房が効きすぎることがあり、調節栓はなく、窓を開けて調節すると
いう非常に非効率的な方法しかないのが非常に残念だ。

◆韓国新米
Mirabadの朝鮮系食材店で久しぶりにお米を調達した。久しぶりだったのは7月に
日本から持ってきた日本米があり、それを消費した後、以前買ったホレズム米
(ウズベキスタンのプロフに使用するお米)がさらに残っており、先週末までに
使い切った。

韓国米だというので中粒種か短粒種だろう、時期的に新米だ。これは旨く、1キロ
3000Soumなので非常にリーズナブル、水加減がやや難しく、今日はやや柔らか目
に炊き上がってしまった。

このお米、品種は韓国米のようだがウズベキスタンで収穫されたもの、朝鮮系が
作っているのだろう、ソ連時代のコルホーズは朝鮮系の成績が抜群によかったと
ある本に書いてあった。

ウズベキスタンに住んでいる朝鮮系は、元々は第二次大戦前に朝鮮半島からソ連
沿海州へ移民した人たちなので、ルーツは現在の北朝鮮になる。そういう視点か
ら米の品種は朝鮮系だろうか、韓国系だろうかとという疑問がわくがとりあえず
美味しいことが第一だ。

◆ハルビン中華料理
その名は哈爾濱中餐館という。最初のころにかなりチャレンジし新たなレストラ
ンへ足を運んだが、数ヶ月もすると飽和してしまい、リピートになってしまう。
しかし、今回は情報の質が異なる。中華料理の本家である某国大使館に打ち合わ
せに行ったときに聞いた情報なのだ。

「店はあまりきれいではないが味はよい」とのこと、それを頼りに行ってみた。
Minor地下鉄駅の近くを住宅街へ少し入ったところにハルビンはあった。看板が泣
ければ中華料理屋とは思えない。夜行ったのでよくわからないが、紅葉した蔦が
建物に絡まっていた。

メニューはロシア語と中国語のみ、周囲の客は中国人が多い。韓国人もいるなあ、
でも日本人は居ない。どちらのメニューが想像しやすいかといえば、そりゃ、日
本は漢字文化だから中国語メニューだよね。汁入り餃子(ペルミニ)、古老肉、
家常豆腐、等など。中華料理は大勢で行くに限る。

ロシア人の若い娘、アルバイトなのだろう、忙しく走り回っていた。英語がほと
んど通じないが情報どおりのこのハルビン、ここの味はファンになるだろうな。

■■編集後記
お天気はお天気、ここのところ暖かいが大陸性気候なので急激に寒くなるのだろ
うか、こちらの人が言っていたカラスが市内で見られるときは寒くなる、これは
あたりました、翌日の最低気温は3度でした。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第39号 2009年11月2日
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世界の街角からMM 第38号 ウズベキスタン概況レビュー(5) 2009年10月28日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第38号 2009年10月28日
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ウズベキスタン概況レビュー5(民族、自然環境、地方行政)です。
▼目次
ウズベキスタン・レビュー5
■民族
■自然環境
■地方行政
■■編集後記
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■民族
ウズベキスタンの人口別民族構成(前回紹介したのと構成が異なるような気がす
る、朝鮮系が計上されていないので。)は以下の通り。独立後、この構成はロシ
ア人をはじめとする少数民族の出国と旧ソヴィエト連邦地域からのウズベク人の
帰国でウズベク人比率が徐々に高くなっている。

タジク人が5%と非常に少ないが、多くはウズベクとカウントしていると思われる。
その他の中に、朝鮮系、ユダヤ人、ギリシャ人、アルメニア人、ウクライナ人等
が含まれる。なぜ、ギリシャ人がこの地に居るのか、独立前までは35000人程度住
んでいたが現在は5000人程度である。

ウズベク71%
ロシア8%
タジク5%
カザフ4%
タタール2.5%
カラカルパク2%
その他7.5%

ウズベキスタンが独立した時、中央アジアに広がるイスラム原理主義者の台頭が
懸念され、ウズベキスタンは宗教に対して長年規制してきたことから急速に普及
していくだろうと予測された。

1994年当時、50%のウズベキスタン人がイスラム教徒といわれたが、少数がイスラ
ム教に関する実践的な知識を持っていたに過ぎないか、知識を得たばかりであっ
た。しかし、イスラム教の順守はこの地域で増加している。

◆教育
ウズベキスタンの15歳以上の識字率は99.3%と非常に高いが、15歳以下の就学年齢
の88%だけが就学している。これは、教育基本法が1992年に制定され教育改革がは
じめられたが教育予算の割り当てが不足しその進展は非常に遅く、教育施設は老
朽化し、カリキュラムの更新は遅れている。そのような状況下、年間60万人の大
学卒業者が輩出されている。しかし受け皿がないのが課題だ、ゆえに外国で就労
の機会を見つけるか、国内にフリーターで留まるかになる。労働人口の10%が外国
で就労している。

現行の教育システムは、1-5年が初等教育、6-11年が中等教育、それ以上が高等
教育となる。日本や米国と異なり、大学入学年令が1年早い。それから、飛び級も
あり、私の知人は20歳で大学を卒業してしまった。

■自然環境
ウズベキスタンの環境状況は国際環境団体の間では主要なトピックとなっている。
これは、数十年に及ぶソヴィエト連邦による綿花栽培の拡大が、大災害シナリオ
という結果を生み出している。農業は主要な汚染源となり、大気と水質の悪化を
招いている。

その中でも代表的なアラル海災害は、一つの事例である。アラル海は、空気中の
湿度を維持する機能を持ち、以前は世界第4位の面積を有する内水面であった。

1960年以降、流域の不適当な水利用から、カラコムダム建設や上流域での貯水池
建設等、アラル海は以前の水面の50%以下に縮小し、水量は3分の1以下になった。
信頼できる調査は行われておらず、データは公的機関からの情報に過ぎない。

多くの動物の死とアラル海地域からの難民だけが災害を推測させることが出来る。
誰にこの災害の責任があるのか、1960年代にアムダリア川からの取水を支持した
科学者と政治家、独立後に適切な灌漑施設やダム建設への予算措置をしなかった
政治家なのか、という疑問が残る。

実質的に解決が不可能なアラル海問題のため、高度な塩類濃度と重金属による土
壌汚染はカラカルパキスタン共和国内に広まっている。約94%の水資源が農業に利
用され、土壌の高い塩性化に影響している。農薬の多用と綿花栽培促進のための
化学肥料の使用が土壌汚染を引き起こしている。

独立後、数々の研究機関が調査を行ったが抜本的な対策の実施には至っていない、
現在、ムイナック(アラル海沿岸の元猟師町)は見捨てられたような感がある。

アラル海問題リンク集
http://uz.iio.org.uk/aralsea.htm

History of the Aral Sea: from Antiquity to Present
http://www.cawater-info.net/aral/aral0_e.htm

■地方行政
ウズベキスタンの地方行政は、12の県(viloyati)と1自治共和国、1独立都市
からから構成されている。県知事は大統領の任命で決められている。
以下に各県別の人口を示す。都市名はウズベク語、県はviloyati、市は市shahri
である。

Division Capital City Pop (2008)
Buxoro Viloyati Buxoro(Bukhara) 1,576,800
Jizzax Viloyati Jizzax 1,090,900
Navoiy Viloyati Navoiy 834,100
Qashqadaryo Viloyati Qarshi 2,537,600
Samarqand Viloyati Samarqand 3,032,000
Sirdaryo Viloyati Guliston 698,100
Surxondaryo Viloyati Termez 2,012,600
Toshkent Viloyati Toshkent 2,537,500
Toshkent Shahri Toshkent 2,192,700
Fergana Valley Region
Farg'ona Viloyati Fergana  2,997,400
Andijon Viloyati Andijon 2,477,900
Namangan Viloyati Namangan 2,196,200
Karakalpakstan Region
Xorazm Viloyati Urganch 1,517,600
Qaraqalpaqstan Respublikasi Nukus 1,612,300
(wiki)
Toshkent Viloyati(タシケント県)のデータはToshkent Shahri(タシケント
市)を含む統計である。県の下位にはディストリクトがある。

▼為替レート
1USD=1514 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年10月16日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
数字が並んでいると精緻に見えるがその根拠の信頼性を検証しないと数値は使え
ない。いつも悩むところだ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第38号 2009年10月28日
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世界の街角からMM 第37号 ラトビア・リトアニア紀行 (4) 2009年10月25日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第37号 2009年10月25日
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今回はリトアニアの旧首都カウナスです。これまでの中央アジアから趣向を変え
てちょっと垣間見たバルトの国々、ラトビア・リトアニア紀行です。
▼目次
■カウナス
◆ヴィリニュスからカウナスへ
◆スギハラ・ハウス
◆カウナス新市街と旧市街
■第二次大戦前夜及び戦中のカウナス(参考)
■■編集後記
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■カウナス
カウナスを訪れた目的は杉原千畝記念館を訪れることが第一義だった。その名を
知ったのは、1990年代初頭だろう、杉原千畝の記事が新聞で掲載されてからだし、
命のビザという夫人が著した本を読んでからだ。

今回、20数年ぶりのバルト諸国への旅行が可能になったことから、是非ともリト
アニアのカウナスをと考えていた。かなりタイトなスケジュールであったが、ヴ
ィリニュスからカウナスへ日帰りで足を伸ばすことにした。

カウナスは、リトアニアの旧首都だがこれはソヴィエトによるリトアニア占領が
影響し、首都が暫定的にヴィリニュスからカウナスへ移転したことによる。

現在のカウナスは杉原が副領事として赴任していた当時とは大きく異なる、リト
アニアもそうだが。現在の人口は訳38万人、市民の93%がリトアニア人だが当時は
約25%のユダヤ人が暮らしていた。

カウナスは、戦後、工業都市として発展し、リトアニア全体の約4分の一の工業生
産高を担っている。フリーゾーンもある。

カウナス市役所
http://www.kaunas.lt/go.php/lit/English

Invest in Kaunas
http://www.invest-in-kaunas.lt/

◆ヴィリニュスからカウナスへ
ヴィリニュス駅前のバスターミナルからカウナスへ向かう。前日までは、鉄道で
カウナスへ行くことを考えていたが、複数のホテル従業員からの聞き取りで、バ
スのが便利なことと認識し、変更した。鉄道はカウナス駅が工事中で、カウナスI
までしか行かないことがわかっていたこともある。ただ、電化された鉄道での旅
も、所要1時間、最後まで諦め切れなかったが時間が限られているので頻度の高い
バスとした。運賃は片道20Listas、800円相当だった。

バスの乗客は少なく、一番前に陣取り、リーガからヴィリニュスと同じように晴
れた初秋の農村風景を車窓から眺めた。このルート、E85だったか、リーガ-ヴィ
リニュスの道路より整備が行き届いていた。

1時間15分なのであっという間にカウナスに着いた。幹線道路からランプを降りて
市内へ向かう。ランプ周辺はやはり車のディーラーが多い、レクサスもあった。

バスターミナルは、カウナス駅に近い場所にあり、日曜日だからか非常に静かな
印象だった。帰りのスケジュールを確認して、ターミナル内にあるカフェでコー
ヒーを飲みながら、スギハラ・ハウスへの行き方を確認する。思ったより近く、
徒歩でいける距離だった。

◆スギハラ・ハウス
リトアニアの旧首都であるカウナスへ行った目的は杉原千畝記念館を訪れること
だった。

当初の旅程では時間的に難しいとの意見もあったがヴィリニュスまで行くのだか
らとその先100kmの距離は何としてでも行くべきとして実現した。バスでヴィリニ
ュスから1時間15分、スケジュールはややタイトになったが快晴の初秋、週末のカ
ウナスの街は新市街から旧市街まで歩きがいがあった。

スギハラ・ハウス(元在リトアニア日本領事館)はバスターミナルから10分程度の
小高い丘の上にあった(バイズガント通り30番地)。旧領事館はカウナスが一望
できる丘の中腹に市街地に向かって建てられた建物は通りからは平屋建てのよう
に見えるが傾斜しているので表から見ると2階建てだ。庭にはりんごが実ってい
た。90年代読んだ「命のビザ」に掲載されていた写真と同じ建物だが通り沿いの
鉄柵は現在はない。

杉原千畝は今では広く知られているが私が耳にした90年代初め(だと思うが)、
最初は新聞記事で読んだのだろう、骨太の外交官がいたのだと感心し、感動した
ものだ。しかし、帰国後外務省を退官せざるを得なかったことや名誉回復云々と
いう記事からは全貌が掴めないでいた。その後、前述の「命のビザ」が出版され
これを読んで彼の行動を理解した。

今では説明の必要もないだろう、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがポーラン
ドに侵攻し、ポーランドに住むユダヤ人がシベリア鉄道経由で亡命するために必
要な日本通過ビザをオランダ領事ヤン・ツバルテンディックと連携し杉原は本省
の意に反して発給した。

このような経緯から、その舞台となったカウナスと旧リトアニア日本国領事館に
興味を抱き機会があれば実際にの訪問してみたいと考えていた。バルト三国につ
いてはそれ以前から興味を持っていた。一度ソヴィエト時代に予約を入れてもら
ったが、ホテルが満室で取れず断念したことがある。このとき、杉原千畝のこと
は知らなかったのでそれはそれでよかったのだろう。

90年代の記事だったか本の中ではこの建物は賃貸住宅として利用され市民が住ん
でいるとあったが、1999年に財団が設立され、スギハラ・ハウスとして整備され
た。90年代といえば既にリトアニアはソ連から独立していたのでスギハラハウス
はバルト三国行き再燃の糧になっていた。それゆえ、今回このタイミングで行け
たことはこの上ない光栄の極みであり素晴らしいプチ旅行となった。

以下関連サイトです。

Sugihara House
http://www.sugiharahouse.lt/

カウナス市役所
http://www.kaunas.lt/go.php/lit/English

リトアニア杉原記念館
http://www.geocities.jp/lithuaniasugiharahouse/indexj.htm

杉原記念館
杉原千畝の出身地である岐阜県八百津町には人道の丘公園(1992年開園)が建設され、その中に杉原千畝記念館がある。
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/sugiharatiune/index.html

◆カウナス新市街から旧市街へ
杉原・ハウスの後、St.Micael the Archangel's Church、ビザンチンスタイルの教
会を目指した。ここからLaisves alejaが旧市街までほぼ直線で伸びる。ヨーロッ
パで最長のショッピングストリートの一つ、真ん中には刈り込まれた並木が並び、
両側はショップが並ぶ、兎に角長い。

日曜日だったのでショップの多くは閉まっていたが、出店が出ており、市民が多
い、何かイベント日なのだろう。City Gardenまで来たところでステージがあり、
民族衣装を着た少年少女が踊っている。横の出店ではソーセージとポテトを焼い
ているが、まだ、腰を下ろすには先が長いと思いながら、旧市街を目指す。しか
し、長い、通りだし、店の数も半端ではない。

ステージの先に道路と接する箇所があり、更に先へ足を進めると、アンダーパス
があった。ここからが目指す旧市街だろうか、建物の雰囲気が異なる。アンダー
パスを超えた左側に、Lonely PlanetのLithuaniaの表紙に使われた広告があった。
ここだったのかと納得。

St.Peter and St. Paul Cathederalまでまで辿り着くと概ね旧市街の中心だ。そ
の先の広場に面した建物にツーリスト・インフォメーションがあり、入ってみる。
そして、レストランとバスターミナルまでの行き方を聞く。

紹介された直ぐ近くのレストラン、この辺り少ない、で遅いランチを取る。結構
な賑わいだが、ほとんど観光客のようだ。メニューは英語も併記されていたが何
が出てくるかわからないが、ローカルフードであることを確認し、その中にあっ
たロールキャベツとポテトのセットを注文した。

食事の後、近くのバス停まで歩き、トロリーバスでバス・ターミナルへ戻る。降
りる場所が良くわからなかったが、車中の人に聞いたら降りる場所を教えてくれ
た。車中からみたカウナスの街、まだまだ散策したいが時間が許さない。4時過
ぎのバスでヴィリニュスへ戻る。

■第二次大戦前夜及び戦中のカウナス(参考)
1919年、首都であったヴィリニュスがボリシェビキに占領されるとリトアニア政
府はカウナスに暫定的に首都を移転、翌1920年、ヴィリニュスがポーランドに併
合されカウナスは正式に首都となった。カウナスはソヴィエトがヴィリニュスを
リトアニアへ返還する1939年10月28日まで首都として存続した。

第二次世界大戦前のカウナスの人口は、70,900、他のヨーロッパの都市と同様に,
ユダヤ人25,500人、約36%を占める、が住んでいた。(1897年ロシア統計)

1940年、カウナスはソヴィエトに占領され、リトアニア社会主義共和国へ併合さ
れる。

それから第二次世界大戦までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として、工
業的にも発展した。大戦が始るとリトアニアを含むバルト三国はポーランド東部
と共にソ連に占領されたが、間もなくドイツ軍が侵攻し街は破壊された。戦後は
ソ連の一部となり、再び工業が盛んになった。リトアニアの工業生産の四分の一
を担うまでになり、1966年にはトロリーバスが開通した。

2001年(wiki):
1. リトアニア人 352,051 92.9%
2. ロシア人    16,622 4.4%
3. ウクライナ人  1,906 0.5%
4. ポーランド人  1,600 0.4%
5. その他     6,764 1.8%

1897年(ロシア国勢調査)
1. Jews   25,052 35%
2. Russians   18,308 26%
3. Poles   16,112 23%
4. Lithuanians  4,092 6%
5. Germans    3,340 4.5%
6. Tatar 1,084 1.5%
7. Other 2,932 4%

◆両大戦の合間のカウナス
二回の大戦の合間、カウナスはの工業は繁栄しリトアニア最大の都市となった。
特に1921-31年の間、カウナスは急成長し、2500以上の近代的なビル、ネリス川
とネムナス川の架橋建設、街路の舗装、馬車からバスへの更新、上下水道整備、
郊外住宅地の建設、公園や広場の都市施設やVincas Kudirka libraryを含む図書
館の建設の建設、教育施設の新設など広範囲に近代化が行われた。また、社会保
障基金が創設された。

両大戦の合間、カウナスはユダヤ人の人口が3.5-4.0万人に上り約25%を占め、商
業、芸術、プロフェッショナル分野で活躍した。カウナスはユダヤ人の教育の中
心でもありThe yeshiva in Slobodka (Vilijampole.)はヨーロッパでも伝統ある
ユダヤ高等教育機関のひとつであった。カウナスには100のユダヤ機関があり、4
0のシナゴーグ、ユダヤ人病院、多数のユダヤ人が所有するビジネスが存在し、
シオニストの中心でもあった。

◆カウナス・ユダヤ人の悲劇
1940年、ソヴィエト連邦がリトアニアを占領した時に先ず混乱した。占領は逮捕、
資産没収、全てのユダヤ機関の閉鎖をもたらし、ユダヤコミュニティ機関は一夜
のうちに消滅した。ソヴィエト連邦はユダヤ人の資産を没収すると共にユダヤ人
をシベリア送りにした。

Lithuanian Activist Frontがリトアニア人emigresによりベルリンで設立され、
リトアニアにおける反ユダヤ文学の普及をおこない、その中でユダヤ人のための
ソヴィエト占領を非難した。

1941年6月22日、ドイツ軍のソヴィエト連邦占領に続いて、ソヴィエトはカウナス
を解放した。ドイツ軍占領の直後の6月25日、反共産主義ドイツの組織的な反乱軍
は、特にJurbarkoとKrisciukaicio通りソヴィエトの抑圧を非難したユダヤ人を攻
撃した。3800人以上のユダヤ人が虐殺され、数百人がLietu-kis garageに連行さ
れ殺された。最終的に、ドイツ軍はカウナス・ゲットーを建設したが、戦争末期
までにほとんどのユダヤ人が一掃された。

◆戦後
第二次大戦後、カウナスはリトアニアの工業都市として工業生産の4分の一を担う
ようになった。
(wiki英語版を基にしている)

◇フォトギャラリー
Kaunas
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438351256/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
無理した甲斐があったカウナス行き、駆け足だったが大満足!
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メールマガジン「世界の街角からMM」第37号 2009年10月25日
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世界の街角からMM第36号 ラトビア・リトアニア紀行(3) 2009年10月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第36号 2009年10月24日
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今回はリトアニアの首都ヴィリニュスです。ラトビア・リトアニア紀行、これま
での中央アジアから趣向を変えてちょっと垣間見たバルトの国々。
▼目次
■ヴィリニュス
◆リーガからヴィリニュスへ
◆ヴィリニュス・バスターミナルと鉄道駅
◆旧市街散策
◆ゲディミナスの丘
◆Europe Business Centre
◆両替
■■編集後記
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■ヴィリニュス
ネリス川とヴィルナ川の合流地点にあるヴィリニュスはバルト海まで312kmと内陸
に位置する人口やク54万人のリトアニアの首都だ。第二次大戦前はカウナスが首
都だったが、これはどうも暫定的な措置で、歴史的にはヴィリニュスがリトアニ
アの都だったようだ。

独立後は、エストニアやラトビアとは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で
国籍をあたえている。その後、西欧諸国との結びつきを強めており、2004年3月29
日にはNATOに加盟し、さらに5月1日には欧州連合(EU)へ加盟した。EU並びにNAT
Oへの加盟は他のバルト諸国と同日だ。

旧市街は、ヴィリニュス歴史地区(文化遺産、1994年、(i)(ii))として世界遺産
に登録され、観光客も多い。東欧最大といわれる旧市街、かなり見所が多かった。

2009年はオーストリアのリンツと共に欧州文化首都にも選ばれている。
http://www.culturelive.lt/en/main/

ヴィリニュス市役所
http://www.vilnius.lt/newvilniusweb/index.php/110/?

◆リーガからヴィリニュスへ
EuroLineのバスでリーガからヴィリニュスへ移動した。料金は片道15Euro、バ
スの車輌により若干料金が異なる。予約は窓口でも出来るが今回は事前にオンラ
インで予約した。以前にも説明したが、キャンセルは窓口しか出来ないので、は
っきりしない場合は数日前に窓口で購入するのがよい。

バスは快適な旅、リーガ-ヴィリニュス間は現在道路の拡幅とリハビリテーショ
ン中でそれほどコンディションは良くないが、スムースな流れと車窓からの農村
風景は、収穫が終わった時期なのだろう、快晴のお天気の下のんびりとした印象
だった。

所要約4時間、ヴィリニュス近郊から道路が6車線の高規格になり、さながら西
ヨーロッパの都市のようだ、実際、ヨーロッパの都市なのだが。この国がソヴィ
エト連邦構成国家であったとは沿線のヨーロッパや日本の自動車ディーラーや商
業施設を見ていると想像ができないほどだ。

ヴィリニュスの都心の手前、近代的な真新しいカーテンウォールの高層ビジネス
センターが所々に見られ、緑濃い谷に位置するこの町の表情にアクセントを与え
ているかのようだった。

バスセンターへは、旧市街の鉄道を挟んで反対側からアクセスしたので、実際、
都心なのかどうかわからなかったが、バスを降り、ターミナルを出ると、そこは
ヴィリニュス駅前だった。午後2時に到着、丁度4時間かかった。

Eurolines
http://www.eurolines.ee/en

◆ヴィリニュス・バスターミナルと鉄道駅
旅行をしていると必ずバスターミナルや鉄道駅を経由する。それゆえ、その状況
を把握しておくことは次の旅程を考える上でも必要不可欠だ。

初めての都市ゆえ、実際、ヴィリニュスのどこに付いたのか地図とにらめっこし
ながらロケーションの確認をし、それが終わると周辺の状況を確認した。

バスターミナルは、鉄道駅の前に位置し、市内の公共交通機関であるバスやトロ
リーバスとも接続良く、更に、ホテルも想定どおり歩ける距離だった。

長距離バスネットワークが非常に発達しており、サービスレベルも高い。この
ターミナルからも西ヨーロッパやキエフ、ミンスク、サンクトペテルブルクなど
の都市をはじめ、国内の地方都市へも連絡されている。

その後、駅を散策、こじんまりとしているが機能的、駅の中にはツーリスト・イ
ンフォメーションがあり、市内の地図や案内を収集、2万分の1の地図は販売(12
Litas、480円相当)されている。両替をするつもりだったが構内にはなく、駅の
隣の銀行を紹介された。

銀行へいくもかなり混んでいたので、ではと、先を急いでホテルへ向かった。荷
物はほとんどリーガのホテルに預けてきたのでディパックだけ、地図で場所を再
確認し、午後のヴィリニュスを歩き始めた。

◆Hotel Rinno
Hotel Rinnoには徒歩10分程度で着いたと思う。非常にアットホームなレセプショ
ンの対応とインテリア、部屋はかなり広く、ダブルベッド、ワードローブ、デス
クがあり、南向きなのだろう午後の日差しが部屋に差し込んでいた。昨晩よりか
なり快適な印象、バスルームもシャワーだけだがかなり広い、朝食は中庭に面し
たレストランでとる。

webで探したホテルであるが、かなり当たりだ。場所は旧市街の中心よりやや外れ
ているが徒歩圏、宿泊料金は1泊朝食付きで49Euro。

http://www.rinno.lt

http://baltic.iio.org.uk/balt_hotel.html

◆ヴィリニュス旧市街散策
ホテルに荷物を置いて早速旧市街へ出かけることにした。午後2時に着いたので散
策に出かける時には3時ごろになっていたのだろうか、それでも日が高く、十分に
歩き回ることが出来た。まだ夏時間だったのだろうか。

レセプションでウォーキングルートを聞き、先ず、ホテルから旧市庁舎前広場を
目指して歩き始め、Radisson SAS Astorijaの横の通りでた。目の前のピンクの教
会、St.Casimir Churchと背景の青空に目を奪われつつ仰ぎ見た。

旧市庁舎前広場には、小さなピラミッドが設けられ子供たちが描いたであろう絵
がはめ込まれていた。

ここから、Vokieciu Gatve、中央が並木道になっているショッピング通りを経由
してDominikonu gatve、そして、Stikliu gatveを遠回りし、旧市街を貫くDidzio
ji gatveに戻った。

ランチはバスの中で持参したパンを少し食べたがさすがにお腹もすいてきたので
この広場に面したカフェで休憩をかねて軽食を取る。屋外に出されたテーブルの
一番前に陣取り、路行く人をウオッチする。土曜日なんでのんびりとした雰囲気、
非常に心地よかった。この店、客層も高いようでシャンパンを開けているグルー
プもあった。その時、目の前に真っ赤なスポーツカー、何だろうか、見かけたこ
とがない車だ、が止り、中からゴージャスなマダムが降りてきて、そのシャンパ
ンを開けている客のテーブルへ吸い込まれていった。

その後、カフェから旧市街を貫くネリス川へ向かって下っているDidzioji gatve
をGediminas Hillの麓にあるVilnius Cathedoralへ向かって歩き出した。途中、
ヴィリニュス大学があったがここはあまり見なかった。Vilnius Cathedoral、こ
の横には大きな広場があり多くに市民が集まっていた。

そろそろ本格的に両替をしなくてはと思い、Cathederalから続くショッピングス
トリート、Prospektas通り、ホテルのレセプションから聞いたルート、で両替所
を探すが見つからず、Novotelがあったので両替可能かどうか問い合わせたところ、
ホテルでは受け付けていないが、ホテルの反対側にあるGediminas9というショッ
ピングセンターの1階に銀行があることを教えてもらう。

そこで無事両替をし、ついでにショッピングセンター内を冷やかしてから、小銭
が必要だったGediminas Hillへ行く。ネリス川沿いの博物館側にフニキュラ
(ケーブルカー)があるのでそれで丘の上へ登った。

http://baltic.iio.org.uk/vilnius.html


◆ヴィリニュス旧市街(補足)
翌日、カウナスへ行きバスを10時過ぎへ変更したので少し時間が出来た、それで、
まだ見ていない旧市街を散策した。中央市場があったがここは今回はパスして、
旧市街の入り口、Gates of Dwonを見学する。この辺り、城壁が若干残っている。
そして、城壁門の内側が教会になっている。振り向くと十字架に見下ろされてい
る。

参考までにwikiにあった第二次大戦前のヴィリニュス民族構成を掲載しておく。

1931年の民族構成
* ポーランド人 -- 65.9%
* ユダヤ人(ポーランド語とイディッシュ語の両方を話す) -- 28.0%
* ロシア人 -- 3.8%
* ベラルーシ人 -- 0.9%
* リトアニア人 -- 0.8%
* ウクライナ人 -- 0.1%
* その他 -- 0.2%
(wiki)

現在世界遺産となっているヴィリニュス歴史地区(旧市街)の住民のほぼ 100 %
はポーランド人であったが、第二次世界大戦でヴィリニュスがソヴィエト連邦領
となり、リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国に併合されるとこの街のポーラ
ンド人の多くがポーランドへと追放され、住民はリトアニア人とロシア人になっ
た。

◆ゲディミナスの丘Gediminas Hill
ネリス川沿いの博物館側にフニキュラ(ケーブルカー)があり、これで丘の上へ
登った。どうやら観光地でもあるがデートスポットでもなるようだ。

丘の上に城砦があり、入場料が必要、さらに上に登る。ここからはヴィリニュス
の街が一望できる。ネリス川側は新市街、反対側は旧市街、日の光から、新市街
は東側、旧市街は西側になるのだろう。

ここからの眺めはきっとヴィリニュス一の眺めだと思う。蛇行するネリス川の流
れと新市街地のビジネスセンター、他方、バロック建築を主体とするヴィリニュ
ス旧市街、教会の数々、直ぐ足元に巨大なVilnius Cathedoralとその鐘楼がみえ、
Cathederalから続くショッピングストリート、Prospektas通りの賑わいも若干だ
が覗いていた。

城砦の屋上の真ん中にはリトアニア国旗がはためき、存在感を示している。新市
街側にも丘があり、白い十字架が見え、観光客も見える。今回は時間なくこちら
へは足を伸ばしていない。

◆Europe Business Centre
ゲディミナスの丘の麓にある博物館を出て、ネリス側沿いに橋を二つほど先まで
歩く。Neris川に架かるGreen Bridge (Zaliasisi)と呼ばれる橋を渡り、次の交
差点(右角ホリデーインホテル)を右へ行くとEuropa Business Centre、近代的
な高層ビル群。中にショッピングモール、Europe Shopping Centreがある。

この前に建っているヨーロッパタワー、円柱の建物、この建物がバルト三国で最
も高い高層ビルとのこと。
http://www.europa.lt/en/

途中、ボートハウスのような建築物がネリス側に浮かんでいたり、パイプが堤防
から川の中へ出ていたり、どうもこれはアートらしい、目に留まるものが多い。
そして、川沿いの歩道は良く整備されていて快適この上ない。

Europe Shopping Centreは3or4層のアトリウムになっており内廊下に面してテ
ナントが入居している。4階に日本料理屋MIYAKOがあるということをwebで知って
いたので覗いてみたが、モスクワスタイルの和食だったので敬遠した。

テナントはリトアニアのも多いのだろうが、ヨーロピアンブランドも多くあり、
衣類を調達した。一回にはスーパーマーケットがある。

ここからホテルまでかなりあり、最初はバスで帰る予定だったが、ホテルの前を
通るバス停が良くわからず、結局、違うルートで旧市街を歩いてホテルまで帰っ
た。Novotelの近くにあった、ショッピングストリートであるVilniaus Gatveは、
もう既に時間が遅くほとんどのショップが閉まっていた。

◆両替
駅前での両替を逸したので、ちょっと苦労した。旧市街にも見当たらず、銀行は
既に閉まっており、ランチはクレジットカードで支払ったがペティキャッシュは
必要なので、本格的に両替所を探した。

この日は土曜日ということもあり、しかもヴィリニュスの両替所は銀行が主、よ
って3時か4時には閉まってしまい、両替に苦労したが、Prospektas通り、Novotel
の前にあるGediminas9というショッピングセンターの1階に銀行がある。

◆フォトギャラリー
Vilnius Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
ヴィリニュス最高!
お天気最高!

昨年の世界経済危機でリトアニアもかなり影響を受けたと聞いていたが、旅行者
の目からはうかがい知れなかったが、ホテルのレセプション情報では、レイオフ
がかなり目立ったといっていた。また、低賃金にも関わらずとも漏らしていた。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第36号 2009年10月24日
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【世界の街角からMM】第35号 ラトビア・リトアニア紀行(2)2009年10月21日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第35号 2009年10月21日
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ラトビア・リトアニア紀行です。これまでの中央アジアから趣向を変えてちょっ
と垣間見たバルトの国々、今回はラトビアの首都リーガ(2)です。
▼目次
■リーガ(2)
◆Stockmann市場調査
◆中央市場とバスターミナル
◆ホテルにチェックイン
◆アールヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)通り
◆リーガの日本料理
◆リーガの公共交通機関
■■編集後記
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■リーガ(2)
旧市街は、南縁にリーガ駅と中央市場、西縁がダウガヴァ川と河港、そして東側
が新市街である。

「ドイツよりもドイツらしい」と言われるような中世ドイツらしさが残るのは、
ドイツ人によって都市の基礎が形作られたという歴史ゆえであろう。旧市街は中
世ドイツの商業都市の特徴が多く見られ、とりわけハンザ同盟時代の街並みがよ
く残されている。ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が混在する、
歴史的学術的価値の高さから世界遺産に登録(文化遺産、1997年、(i)(ii))されて
いる。ソ連時代においても、戦災で被害を受けた建造物が修復されているので歴
史的価値は認識されていたと考えられる。

それからリーガ歴史地区にはアールヌーボー建築も含まれる。

Riga Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438045594/

◆Stockmann市場調査
ちょっと大げさだが、ホテルにチェックインできるまで時間つぶしもかねて駅前
の商業施設を視察、Stockmannはスウェーデン系のデパート、隣にスーパーマーケ
ットもある、そして、駅構内のショップなどなど。

商品を見る限りヨーロッパと変わらない、EU加盟国だからこれまた当然のことな
のだが。バルト三国は3カ国とも2004年5月1日に加盟、ちなみにNATOにも三カ国揃
って2004年3月29日に加盟している。

販売されている商品は、現地製品も多いがフランス製とか北欧製とかも目立つ。
さすがはEUと田舎から出てきた旅行者は感じた。

◆中央市場とバスターミナル
Stockmannの裏側、鉄道と運河を越えた旧市街とは反対側に中央市場がある。建物
が駅舎のようなデザインだし多くの人が出入りしているので最初はそう思ってい
たが巨大な市場だった。またその周辺にも市場が広がっている。この季節は快適
なのだが冬季はどうだろうか、寒そうだ。

所狭しと並べられた野菜や果物、そして、お買い物客の賑わいは活気があって心
地よい。スイカとメロンはウズベキスタン産だという、日持ちもするし鉄道で運
べば十分バルト市場でも競争力がある農産物のようだ。建物の中は肉類や保存食
料が多かった。

翌日、このバスターミナルからEuroLineのヴィリニュス行きバスに乗るので乗り
場を確認することと、今回、一緒に行かれなかった仲間のバスチケットのキャン
セル可能性の確認をした。結果、Euro Lineはオンラインで予約できるものの、キ
ャンセルは1週間前までにタリン、リーガ、ヴィリニュスのEuroLine窓口まで来な
いとキャンセルできないのだ。これは理不尽だと思いながらもしょうがないな。

◆ホテルにチェックイン
Hotel Irina、シングル一泊41EUR、朝食付き、本当に駅前に位置する。窓から
駅舎とORIGOという駅の敷地内に建てられたショッピングセンター、そして、時計
台が見えた。直ぐしたの通りの向こうはマクドナルドだ。

このホテル、WEBを検索していて見つけたのかな、Lonely Planetに掲載されてい
るMid Rangeは全てチェックしたが安くてロケーションが良いホテルはなく、我々
はヴィリニュスへ移動するためのバスターミナルへ行く必要があることやもちろ
ん空港からのアクセス、そして、見所へのアクセスも当然考えてこのホテルに落
ち着いた。

丁度、旧市街と新市街との境目に位置し駅前だし便利だった。朝食も期待値を上
回り、これがヨーロッパの中級ホテルなのだろうと考えながら、注文して調理す
るオムレツはなかったがその他は大満足、よって、朝食はかなり食べた。その分
良く歩くことが出来たのかもしれない。

シングルの部屋は至って機能的に出来ている、シングルベッド、これはドイツと
かオーストリア、東ヨーロッパに多いスタンダードなもの、とデスク、バスルー
ムはシャワーのみ。お湯は暑いのがしっかりと出た。

インターネット接続はWi-Fiが可能であるが、無料と思っていたところ有料だった。
これが無料になればなおよしといった印象だな。しかし、ホテルの案内をめくっ
ている時にログイン名とパスワードが記されたカードが出来てたので繋いでみた
ら、ラッキーなことにログインできたのでその日は無料で利用した。

◆アールヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)通り
アールヌーヴォー建築は、旧市街の運河を渡った地区のアルベルタ通り、エリザ
ベテス通り、ストレールニエク通りに多く現存する。概ね19世紀末から20世紀初
頭の建築だろう、通りの両側に平面的かつ装飾的な空間構成のアールヌーヴォー
様式ファサードが並ぶ。かなり修復が進んでいるようだ。

アールヌーボー
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313647277/

補足:アールヌーヴォー(Art Nouveau)は、19世紀末にヨーロッパで花開いた新
しい装飾美術の傾向のこと。有機的な自由曲線の組み合わせ、鉄やガラスといっ
た素材が特徴。アール・ヌーヴォーはフランス語で「新しい芸術」を意味し、パ
リの美術商、サミュエル・ビングの店の名前メゾン・ドゥ・ラール・ヌーヴォー
(Maison de l'Art Nouveau)に由来し、当時流行していたジャポニズムの影響を
強く受け、特に浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成を取り入れ
ている。

◆リーガの日本料理
この街にも日本料理があった。店の名前を失念してしまったが、旧市街の中に数
店舗あるようだ。相撲という看板を見た記憶、でも、ここではない。ウェブサイ
トにNOBUという日本料理屋があり、ここは日本人が料理しているというので
探してみたが、結果、情報不足で辿り着かず仕舞い。

Garelijaの4階にある本屋でラトビア人女学生と話す機会があり、彼女を誘って
試しに日本料理を食べてみることにした。

この地域の日本料理は基本的にモスクワ仕込み、資本もロシア資本が多いと聞い
た。モスクワ仕込みの日本料理は、巻き物系の寿司で誰にでも比較的作りやすい
ことと、その味がそこそこだということだ。刺身の鮮度は日本とは比較にならな
いが外国では、東南アジアではもっとレベルが高いが、この程度だろうと納得。
値段もリーズナブルだ。昼間は弁当セットがあり、こちらはかなりお得感があっ
たが、夜だったので適応外。

味噌汁はかなりまとも、でも「あさげ」かな、最近のは美味しいので。

◆リーガの公共交通機関
トラム、トロリーバス、バスと地下鉄がないだけで旧共産圏仕様の都市交通体系
だ。しかも、バスとトロリーバスの車輌は更新されており、ポーランド製だった
な、運行頻度も非常に高く効率に運行されている印象を先ず持った。トラムの車
輌は古いものの、なんとか維持し管理しながら運行している様子が伺えた。

料金は、0.4LV、これは事前にチケット購入した場合で乗車時は0.6LVとなる。一
日乗車券もあり、こちらは1.6LVとお得だ。キオスクに容易に購入できる。

リーガの公共交通
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438760342/

■ラトビア人について
インドヨーロッパ語族バルト語派に属するバルト系民族で言語は同じバルト語の
リトアニア語に近い。

映画「戦艦ポチョムキン」「イワン雷帝」で知られるセルゲイエイゼンシュタイ
ン監督はラトビアリガ生まれで父親はリガの有名な建築家ミハイル・エイゼンシ
ュタインである。

元ドイツサッカー代表のオリバー・カーン選手は祖父がラトビア人だ。

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
まだまだ表面的なリーガだが、また、訪れたいと思わせる魅力がある都市だ。ナ
イトライフは今回はパスしたので次回はこちらも覗こう!

息抜きのラトビア・リトアニア紀行、お天気良く、最高の週末プラス旅行でした。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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Friday, 23 October 2009

【世界の街角からMM】 第34号 アート・ウィーク in Uzbekistan 2009年10月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第34号 2009年10月19日
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10月12日から17日まで開催されたアート・ウィーク in Uzbekistanです。
▼目次
■ウズベキスタン・アート・ウィーク
■■編集後記
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■ウズベキスタン・アート・ウィーク
ウズベキスタンの首都タシケントで、10月12日から17日まで、芸術やファッショ
ンの祭典「Style.uz Art Week」が開催された。今年で3年目、ラインアップは”
VALENTINO”、”Sonia Rykiel”、”Oscar De La Renta”らのファッションョー
や”CHOPARD”のジュエリーコレクション展示など、ちなみに、ウズベキスタンの
デザイナーによるファッションショーが16日に芸術文化センターで開催された。
http://style.uz/

http://style.uz/en/news/all-roads-lead-to-valentino/

最終日となった17日土曜日には、英国人歌手”Sting”のコンサートがナボイ劇場
(Alisher Navoi State Academic Bolshoi Theatre)で行われた。ただし、入場
料は最低200米ドルからとのこと。最高の席は2000米ドル、知人が問い合わせた時
は1000ドルからだった。チャリティーという名目だそうだが庶民には、外国人で
も、手が届かない。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2653294/4765998

このstyle.uz Art Weekは同国でファッション、ビジネス、政治など幅広く活躍す
るグルナラ・カリモワ(Gulnara Karimova)、この国で最も有名な女性だろう、
が率いるForum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundationの主催。

過去には、”Dsquared2”、”Guy Laroche”、”Kenzo Takada”らも招待され、
ファッションショーなどのイベントを開催した。今年は”Kansai Yamamoto”が招
待されたが都合がつかなかったようだ。
http://j.fj1.jp/?eid=942804

◆ウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金(ファンド・フォーラム)について
ファンド・フォーラムは国内の科学、文化、教育、スポーツを支援するために200
4年2月に設立され、若い才能と創造的な支配層を支援する著名な科学・文化の代
表者の知的リソースを統合するウズベキスタンの国民的伝統と強力な精神的可能
性の復活、さらにウズベキスタンの独自で豊かな歴史遺産と現代文化、芸術の多
様性に関する完全な情報の提供を目的に設立された。

ウズベキスタン文化芸術フォーラム(日本語サイト)
http://www.uzf.or.jp/

Forum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundation
http://fundforum.uz/

このサイトは露語、英語、日本語

■■編集後記
今回は、秋のエベント、「ウズベキスタン・アート・ウィーク」でした。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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【世界の街角からMM】 第33号 ラトビアの首都リーガ(1) 2009年10月12日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第33号 2009年10月12日
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ラトビア・リトアニア紀行です。これまでの中央アジアから趣向を変えてちょっ
と垣間見たバルトの国々です。先ずはラトビアの首都リーガ(1)です。
▼目次
■バルト三国への思い
■リーガ(1)
■■編集後記
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■バルト三国への思い
◇背景
1985年6月、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸横断を計画していたとき、
モスクワの後、当時、ソヴィエト連邦だったラトビアのリーガへ立ち寄り、ワル
シャワへ貫けるルートを検討していたが、ホテルが取れず断念した。その後、再
挑戦を試みるべく2000年9月にバルト三国、既に独立、へウィーン経由でリーガへ
飛ぶ計画を立て、航空券を買う直前で勤務先から横槍が入り先送りになった。
(ソ連旅行 http://1985.iio.org.uk)

◇3度目の正直でラトビアとリトアニアへ
前述の通り、2度計画が流れたが、2009年に入り中央アジアのタシケントで仕事を
することになった。幸いなことにタシケント-リガ間に直行便が就航しているこ
とを知り、更に9月下旬には5連休があることがわかった(日本も5連休、19日か
ら)ことから、バルト三国行き計画が再燃した。

◇初秋のラトビアとリトアニア
休日の日数とフライトスケジュールの関係(9月18日02:35発、22日01:35着)で、
ラトビアとリトアニアの2カ国に絞りプランを練り、ラトビアの首都リーガ、そし
て、リトアニアの首都ヴィリニュスと旧首都のカウナスへというスケジュールを
組んだ。タシケントからAirBalticでリーガへ、そして、ヴィリニュスとカウナス
への移動はバスを利用することにした。 

◇旅程
9月18日(金)Tashknt-Riga BT473 Dep.02:35 Arr.05:55, Riga stay

9月19日(土) Riga-Vilnius by Bus (Eurolins) Dep.09:45 Arr.14:00, Vilnius
Stay

9月20日(日) Vilnius-Kaunas-Vilnius-RIga by Bus, Riga Stay

9月21日(月) Riga-Tashkent BT742 Dep.18:35, On board

9月22日(火)+1 Arr. 01:30

■リーガ
◆リーガ国際空港、バスで市内へ
西側の空港と変わりない通常の空港だが、なぜかホッとした。いつもはかなり気
を張っているからだろう、何ゆえにそんなことまでしているのか不思議だし、一
体我々はどこからやってきたのかと考えてしまう。荷物も直ぐに出てきたし入国
審査も税関もスムーズ、ただし税関の女性係官のスカートの丈がミニスカートに
近いのはなぜ?単に非常に背が高かったので短く見えただけなのだろうか、そん
なことを考える余裕があるということは違う世界に辿り着いたという証だろうか。

空港からリーガ市街へのアクセスは、タクシーかバスになる。早朝着いたがとり
あえずLonely Planetの案内にしたがってバス乗り場へ行く。その前に、バス代が
ないので両替所へいく。100ドル交換したが、思いっきりレートが悪く、43LVし
かない。町中だと47は最低ラインだが。

出発ロビーに観光案内所があることを後から知ったがこれはうっかり忘れていた。
でも早朝から開いていたのか疑問だ。

空港前の駐車場を横切り、その先に見えたバス停までスーツケースを引っ張りな
がらガラガラと歩く、思わす途中で空港の写真を撮った。こんなこと、タシケン
トでは出来ないからな。

空港はリガの旧市街からは8.5km程度、22番線か22A番線に乗るとリガ駅前に着く。
バスチケットは運転手からでも購入可能だが、事前に売店で購入したほうが安い。
(運転手からだと0.2LV高い、その分、手間が増えるので仕方がない。0.4/0.6
LV.)こういう点は非常に合理的に且つ徹底しているのに驚いた、当然といえば当
然なのだが。

早朝の車窓からは、所々共産主義の風景が見えたがそれでも東のほうの国とは大
違い、やはり、ここはヨーロッパだと感じた。バスはダウガワ川左岸から橋を渡
って右岸へ、そして右折し川沿いの走り、その先に鉄道橋が見えた、どうやらこ
の辺りが旧市街のようだ、ということはもう直ぐ降りなくてはと思い、乗客に聞
く次だという。

実際、ホテルに近いバス停から一つ前だったのだろうか、Stockmannの前で降り、
歩道をガラガラとスーツケースを引っ張り予約しておいた駅前のHotel Irinaを地
図を見ながら探す。本当に駅前のホテルだと感心し、地下道をくぐり反対側へ出
て早朝の歩道を歩きながらホテルへ辿り着いた。

早朝チェックインを予約しておいたはずだが、これは10Euroチャージされる、
にもかかわらず部屋が開いていないと眠い顔をしたレセプションが言うので荷物
だけ預け、昼過ぎに戻ると託してホテルを後にし旧市街へ向かった。

リーガの公共交通は、トラム、バス、トロリーバスが運行されており、概ねこれ
でことが足りる。一日(24時間)乗車券、1.5Ls。
http://www.rigassatiksme.lv/

◆早朝の旧市街を散策
天気予報は曇りだったし実際ホテルに辿り着くまでも曇りだったがやや天気の良
くなるような雲行き、そんなこととは別にリーガまでやってきたことに我々は興
奮、少しでもたくさん見ようと空港のバス停で合流した元気なパリの日本人留学
生と地図を見ながら勇んで出かけた。彼女はトランジットなので11時には空港に
戻らなければならないことを前提に進めた。何しろ皆始めてなので見るもの皆珍
しいし、チョコレートショップなどもパリの街角にいくらでもありそうだが東の
国からやってきた物見遊山なこのグループは、感嘆詞ばかり吐きながら街を歩い
た。

ホテルを出たのが8時近い時間だった記憶、何をどうみたのかあまり記憶に残って
いないが、先ずはコーヒーを飲みながら落ち着いてどのように観光するのか話そ
うとカフェを探すもなかなかない、Garelija Centrsにあるというが、9時になら
ないと開かない。すれ違う人がコーヒーを持っていたのでどこで買ったのか聞い
たりしたが、これはコンビニでコーヒーが売っていたがテーブルがないので諦め
先を急ぐ、歩きながらこの建物がどうのこうの、この先の道があの建物に繋がる
とか結局歩きながら話をして観光ガイドに掲載されている名所(下記)は概ね制
覇してしまった。そのようなスケール感なのだろうか、兎に角リーガ旧市街を概
観するには丁度良かった。

St.Peter's Lutheran Charch
Blackhead's house
Museum of Occupation
Dome Cathederal
St.Jacob's Cathederal
Parliament
Three Brothers
Riga Castle
Jacob's Barracks

早朝から歩きまわったのでそろそろ休息タイム、それにトランジットの留学生は
時間が限られている、やはりどこかで腹を満たそうとバス停に戻る途中のValnu
ielaのカフェに飛び込んだ。表のメニューにあったコーヒーの値段が並だろうと
の判断からなのだが地の利がないので見つけたところで入らないと時間だけが過
ぎていく。

暖かいカフェの中で一息、少しお腹も満たそうとメニューを目を凝らして見たが
良くわからないのでウエイトレスに聞いてみると直ぐに食べられそうなのはケー
キ類とピザだけ、よってピザとコーヒーを注文した。

この街はロシア人の比率が45%近いのでロシア語かと思いきや英語で問題なくコミ
ュニケーションができたので我々にとってはこの上なく楽だ。もちろんロシア語
も通じるのだろうが。所々でロシア語は聞こえていた。

旧市街は世界遺産に登録されている、それなりの歴史的な遺産だと思うがいかん
せん予習をしていないので何がなんだか良くわからないが、第二次世界大戦で戦
災に遭っているので相当な建物が復元されていると思われる。尖塔を持つ
St.Peter's Lutheran Charchや広場に面したBlackhead's houseもそのようだ。

◆フォトギャラリー
Riga Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438045594/

アールヌーボー
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313647277/

リーガの公共交通
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438760342/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
息抜きのラトビア・リトアニア紀行、お天気良く、最高の週末プラス旅行でした。
次回はリーガ(2)です。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第33号 2009年10月12日
発行責任者:飯尾彰敏
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Sunday, 11 October 2009

【世界の街角からMM】第32号 アスタナ、アルマトイ出張での不運 2009年10月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第32号 2009年10月5日
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アスタナ、アルマトイ出張での不運編です。
▼目次
■アスタナの運
■アルマトイの運
■■編集後記
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■アスタナの運
8月31日から9月4日まで3ヶ月ぶりにアスタナとアルマトイへ出張した。まだ夏の
終わりだと思っていたらいきなり気温7度、凍えそうになってしまった。

今回の出張は、何かと問題が多い。前回もアルマトイで問題(スーパーマーケッ
トに預けたLonely Planetが置き引きにあった)があったが。カザフスタンとは相
性が悪いのか、今回は、車の問題、インターネットの問題、寒さ、そして、究極
はアルマトイ行きフライトのキャンセルだ。Air Astana、この地域では最も信頼
している航空会社なのだけどね。

これで重要な会議に出られなくなってしまった。今回の出張、この会議が主目的
のようなもの、されてと慌てても仕方がないので次のフライトまで空港でコー
ヒーを飲みながら、これを書いている。(当時のまま)

気分的には先ほどアナウンスのあったフランクフルト便にこのまま乗ってヨーロ
ッパへ行ってしまいたい。

”神に見放されたら自分の手で運を掴むしかない。”これは落書きだが。

インターネットに接続できる環境が整っているということはさすがはカザフスタ
ンというべきだろう。ポジティブに考えれば、これだけ不運が続いたのだから、
これからは運が向いてくるだろう。

■アルマトイの運
アスタナに引き続き、これぞと言わんばかりに不運が続いた。アルマトイへ移動
したら運の向きが変わるかと思いきや、そのまま継続し、タシケントまで引きづ
ったのです。

9月1日、アルマトイに到着した時には既に会議が終了していた。必要なことはタ
シケントから直行した人が伝えたので問題なし、翌日、会議メンバーと別の会議
で顔を合わせ、内容確認。これは、アスタナでフライトがキャンセルになったの
で仕方がないのだが、アルマトイ空港でのピックアップを再確認したのにまた車
がいない。

アスタナから便名と時間まで伝えたのに、とほほ。ホテルに確認したら、聞いて
いないだってさ、レセプションは責任回避するばかり。安ホテルだから期待する
のは無理があるのだろうか、アスタナのホテルは忘れていましたと認め、ワイン
の小瓶が部屋に置いてあったので救われた気分になった。

それで、アルマトイのホテルでレセプションの人に何時からこのホテルで働いて
いるか聞いたところ2ヶ月と言う答えが多かった。道理で新顔のはずだ、3ヶ月前
にこのテルに泊った時にいなかったのだ。それにしても、受けたことには責任を
持ってほしいものだ。

HyattとかInterContiとか300ドル相当を出して泊ればこういう煩わしいことはな
いのだろうが懐が許さないので悩みどころだ。カザフスタンのホテルは今年2月に
25%の通貨切り下げを行ったのそれ相応にお安くなっているのだが、それでもコス
トパフォーマンスはまだまだ低いのが現実だ。

空港ピックアップは、支払の煩わしさ(ホテルで依頼する料金と概ね同じである
こととホテルでクレジットカード決済が出来る)からホテルへ依頼するようにし
ている。前回はまったく問題がなかったが、今回はこんな調子。バラつきが多い。

アルマトイに到着した夜、究極の一発がやってきた。眼鏡が洗面台から落ちてレ
ンズが割れてしまった。古いのでガラス製、床はタイル張り、洗面台の高さから
落ちたら割れますね。そして、追い討ちをかけるように最終日の夜半、寝ようと
思ったら悪寒が来て発熱、これはタシケントまで引きづることになる、翌日は通
常通りこなさなければならず、早めに切り上げたかったが要人に会ってほしいと
いうので旧閣僚会議ビルに入居しているお役所へ出向いた。これは仕事面ではか
なりプラスになるだろう。

まとめる必要はないけどリストにしてみると以下の通り。
8月31日、タシケントからアスタナへ移動、RJ85のはずがIL144で3時間を要した。
8月31日、アスタナ空港に迎え来ず(ホテルが忘れていた、電話して車を待つ)
8月31日、アスタナのホテル、インターネット不通(いつもは快適)
9月1日、気温7度、コートが無いと寒くて外を歩けない、もちろんスーツは夏用だ。
9月1日、KC854 15:40発アルマトイ行き、キャンセル、理由を尋ねるも不明。これ
で今回の最重要会議へ出席が出来なかった。
9月1日、次のKC680 17:20発でアルマトイへ移動、アルマトイ空港へ迎え来ず、ま
たか!
9月1日、洗面所で眼鏡が床に落ち、割れた。(予備を持ってきていたので問題な
し。)
9月1日、アルマトイのホテルもインターネット不通(1日以上かかって復旧)
9月3日、夜半に発熱、原因不明。(9月4日は仕事をこなし、20:15の便でタシケン
トへ戻る、そのまま、ベッドで横になり、5日もそのまま、薬を飲んで9月6日現在、
概ね快復)

これだけまとまって不運がやってきたのは珍しい、仕事の面では概ね予定を満た
せたと思うので結果良しとしたい。

アルマトイは何時来ても気持ちが良い、前回(5月中旬)は公園や街路樹に多く植
えられているマロニエの花があちこちに咲き、ロシア時代の歴史的な建物が背景
になり、お洒落な女性が闊歩し、そこはパリかと思わせつつももソ連時代のごつ
いデザインの建物や派手目な屋外広告等が視野に入ると現実に引き戻される、そ
んな味わいがある街だ。

5月に来た時にスーパーマーケットに預けたLonely Planet Cntral Asiaが置き引
きにあったが、それが弁済され、同じのが手元に届いた。これはアルマトイの友
人に感謝。

ナイトライフもなかなか面白い、ラマダン期間中でやや控えめだというが、ウズ
ベキスタンにはない華やかさと文化がここにはある。2011年には第7回アジア冬季
競技大会がこの地で開催(アルマトイ・アスタナ)される。

まだ、全快ではないが不運メモを公開することにする。
(当時)

■■編集後記
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
今回は不運編でした。

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Monday, 5 October 2009

【世界の街角からMM】第31号 ウズベキスタン概況4 国際関係 2009年8月23日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第31号 2009年8月23日
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ウズベキスタン概況4(国際関係)です。
▼目次
■国際関係
■■編集後記
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■国際関係
1991年、ウズベキスタンはCISに加盟、しかし、再統合に反対し、1999年、CIS集
団安全保障機構から脱退した。それ以後、ウズベキスタンは内政安定化への脅威
を緩和する姿勢からCISタジキスタン平和維持軍と国連が組織したタジキスタンと
アフガニスタンの紛争解決協力のため参加した。

ウズベキスタンは軍事予算の約25%相当にあたる500万米ドルに及ぶ援助を2004年
に米国から支援されワシントンに待遇されていたが、2005年のアンデジャン事件
以降、政府は米軍がアフガニスタンで行なっていた軍事活動のため借用していた
Karshi-Khanabad空軍基地の使用許可を取り下げた。ウズベキスタンは米国が世界
的に展開している対テロリズム活動への積極的な支持者であり、アフガニスタン
及びイラン両国との取引の連携に参加していた。

米国とウズベキスタンの国際関係は、グルジアやウクライナ、そして小規模では
あるがキルギス共和国で起こった一般的に呼ばれているカラー革命以降、悪化し
た。アンディジャン事件における独立した国際的な機関による調査に米国が参加
したとき、更に関係が急速に悪化し、カリモフ大統領は、ウズベキスタンのリー
ダーとして断定された人権侵害を批判しない中国とロシア寄りの政治的同盟へと
方針を変更した。

これを受け、2005年7月下旬、ウズベキスタン政府は米軍が使用しているアフガニ
スタン国境に近いKarshi-Kanabad空軍基地に対して180日以内に撤退するよう命じ
た。カリモフ大統領は米国での911直後、米国へ空軍基地の使用を申し出ていた。
また、ウズベキスタンではアンディジャンでの暴動は米国及び英国の影響を受け
た地区から波及したとも信じられている。これには他の理由があり、ウズベキス
タンと西側諸国の間に強い敵意がある。

ウズベキスタンは1992年3月2日以降国連、EAPC(Euro-Atlantic Partnership
Council)、PfP(Partnership for Peace)、OSCE(Organization for Security
and Cooperation in Europe)の加盟国である。また、OIC(Organization of
Islamic Conference)、ECO(Economic Cooperation Organization)に所属して
いる。

EAPC:
http://www.nato.int/issues/eapc/index.html

PfP
http://www.nato.int/cps/en/natolive/topics_50349.htm

OSCE
http://www.osce.org/

OIC
http://www.oic-oci.org/

ECO:アゼルバイジャン、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、キルギ
ス共和国、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンの1
0ヶ国。
http://www.ecosecretariat.org/

1999年、ウズベキスタンはGUAM(Georgia, Ukraine, Azerbaijan and Moldova)同
盟に加盟し、GUUAMとなったが2005年脱退した。

GUAM
http://guam-organization.org/

ウズベキスタンはSCO(Shanghai Cooperation Organization)にも加盟しタシケ
ントでRegional Anti-Terrorist Structure (RATS)をホストしている。また、200
2年、CACO(Central Asian Cooperation Organization)に加盟したが、2006年1
月25日にウズベキスタンがユーラシア経済共同体(EAEC or EurAsEC)に加盟が実
現したことにより、事実上、OCAC(CACO)はEAEC(EurAsEC)と統合され解体した。

この地域的な枠組みの全容を掴むのは未だ苦戦しているのでまたの機会にレビ
ューしたいと思う。

SCO
http://www.sectsco.org/EN/

SCO RATS
http://www.ecrats.com/en/

CACO
http://www.photius.com/eaec/

EurAsEC
http://www.evrazes.com/

2006年9月、人権問題の批判にもかかわらずUNESCOはカリモフ大統領へウズベキス
タンの文化遺産保護に関する貢献に対して賞を授与したことは、ウズベキスタン
と西側の関係へのサインと見られている。

http://unescoeducation.blogspot.com/2006/09/uzbekistan-protest-over-award-for.html

http://www.openpr.com/news/11133/UNESCO-s-Borobudur-Gold-Medal-awarded-to-President-Islam-Karimov.html

2006年10月、ウズベキスタンの西側からの孤立改善が見られた。EUはウズベキス
タンと協議を行なうため人権と自由化に関する代表団を派遣することを表明した。

公式若しくは非公式とみらるアンディジャン事件(市民虐殺)の真偽性について
は曖昧にも関わらず、EUはに対ウズベキスタン経済制裁を解除することを明らか
に望んでいた。それにも関わらず、ウズベキスタン国民の間では、ウズベキスタ
ンにおける2004-05年の反政府活動が米英により推進されたという論拠から政府は
強固にロシアとの関係強化を維持すると見なされていた。

◆現在の国際関係
2005年のアンディジャン事件が岐路になり、ウズベキスタンは米国寄りからロシ
ア寄りへ傾いたまま、LukOilやGazpromが積極的に活動している。

2009年初頭にキルギス共和国政府からマナス空軍基地の撤退を要請された米国は、
再度、ウズベキスタンに近づきアフガニスタン国境に近いKarshi-Kanabad空軍基
地の再利用を模索していたようだが、6月下旬、オバマ大統領からの書簡によりマ
ナス空港の再利用が米国とキルギス共和国の間で再合意された。空港使用料はこ
れまでのUSD17millionからUSD60millionへ値上げされ、ロシアからはUSD150
millionの援助と2billionのローン供与をBakiyevは取り付けた。

ロシアは、ウズベキスタンと国境を接するフェルガナ盆地に位置するソヴィエト
時代に空軍基地だったOshにロシア軍が駐留することになった。これで、米露でこ
の地域の安全保障のバランスをとるということなのだろうか。

▼為替レート
1USD=1509 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年8月20日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
中央アジアの地域枠組み、高い壁ですね。それでその壁を越えたからといえ、ど
うなるわけでもなさそうです。これは歴史が証明してしているとおりです。

ウズベキスタン概況5(予定)
■文化
■自然環境
■地方行政
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。

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Saturday, 22 August 2009

「世界の街角からMM」ウズベキスタン概況3(運輸交通、軍事)第30号 2009年8月21日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第30号 2009年8月21日
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第30号はウズベキスタン概況3(運輸交通、軍事)です。
▼目次
ウズベキスタン・レビュー3
■運輸交通
■軍事
■■編集後記
◆ギャラリー「ウズベキスタンの夏」
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157621931653410/
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■運輸交通
運輸交通インフラ中心です。

◆エアポート
ウズベキスタンには58空港があり、内、33空港が舗装されている。ほんとにこん
なにあるのかな?やや疑問。
滑走路3,047m: 6
2,438 - 3,047 m: 13
1,524 - 2,437 m: 6
914 - 1,523 m: 4
914m以下: 4 (2008)

◆パイプライン
ガス9,706 km
オイル868 km (2008)

◆鉄道
鉄道総延長は、3,950 kmであり、軌道はソヴィエト連邦時代に採用された広軌(1,
520m)である。うち、620kmが電化されている(2006)。

◆道路
total: 86,496 km
paved: 75,511 km
unpaved: 10,985 km (2000)

◆内陸水運
1,100 km (2008)
Termiz (Amu Darya)に港湾施設がある。

◆都市交通
タシケントの都市交通は、地下鉄、トラム、バス、トロリーバスに代表され、地
下鉄は1977年にライン1が開通し、その後、Line2、Line3(延伸計画中)が建設
された3路線運行している。総延長、39km、29駅、日乗降客数183000(2006年)で
あり、ソヴィエト連邦時代末期の1980年代の60万人/日から3分の1以下に利用者が
減少している。

タシケントは現在地下鉄が運行している中央アジアでは唯一の国(カザフスタン
のアルマトイで建設中)であり、ソヴィエト連邦で地下鉄が運営されていた7都市
の一つである。

地下鉄駅の特徴はモスクワと同様それぞれの駅がデザインされている。例えば、
Kosmonavtar駅(1984年築)は人工衛星による宇宙探査とウズベク人のソヴィエト
宇宙飛行士Vladimir Dzhanibekovを記念したをイメージしたデザインになってい
る。入り口にはVladimir Dzhanibekovの銅像が建てられている。その他、ウズベ
キスタンの産業をイメージした、綿花等、それぞれが特徴のあるデザインとなっ
ている。

その他、都市交通機関ではトラム(8 lines, 124km)、バス、トロリーバス(10
lines, 141km)、また、登録及び非登録タクシーがが運行している。トロリーバス
は年々減少の傾向にある。地方都市では、地下鉄及びトラムを除いて概ね同様な
交通機関が整備されている。

◆輸送機械産業
ウズベキスタンには自動車製造工場があり、韓国のDaewooの支援で製造をアンデ
ィジャンで開始した。

2005年、ウズベキスタン政府はDaewooの50%の株式を非公開価格で購入、2007年、
Daewooへの出資会社であるGM(General Motors-Daewoo Auto and Technology (GM
DAT))と提携した。現在、Daewooブランドとシボレーブランドの車輌が製造され
ている。さらに、政府は、小型バス、トラック製造を行なっていたトルコ資本の
SamKocAuto(サマルカンド)の株式を購入、その後、いすゞとの提携に合意した。
いすゞは、エンジンとシャーシを供給し小型バスを製造し、タシケントをはじめ
ウズベキスタンの多くの都市で公共交通機関として利用されている。トラックは
見かけたことがないのでこれからなのだろう。

タシケントにはソヴィエト時代にタシケントに疎開した航空機製造工場Tashkent
Chkalov Aviation Manufacturing Plant(ТАПОиЧ)が立地している。この
工場は第2次世界大戦時、ナチスドイツの侵攻を恐れて南部及び東部に疎開した工
場の一つである。製造機種はイリューシン(IL)、現行機種でも使われている。

1980代後半まで、この工場はソヴィエト連邦の中では最先端の航空機製造セン
ターであったが、ソヴィエト連邦崩壊後は製造する航空機は時代遅れのモデルと
なっており、多くの労働者が解雇された。現在、年間数機を製造する工場に留ま
っているが、最近、ロシアから熱い視線が注がれているとの噂がある。

■軍事
ウズベキスタンは、ソヴィエト連邦時代の軍の組織を継承し、陸軍、空軍、航空
防衛軍、ナショナルガードから構成され中央アジア諸国最大である約65000人の軍
を保有している。(警察の数はもしかしたら軍を上回るかもしれない。)

徴兵制度があり、男性のみ18歳になると1年間の徴兵が義務付けられている。しか
し職業軍人を志す場合、大学入学試験と同様な競争率となる。現在、徴兵軽減費
用を支払うと、大学卒の場合、1ヶ月に軽減されるが、その費用が年々上昇してい
る。

政府はソヴィエト時代の武器管理義務を受け入れ、Nuclear Non-Proliferation
Treaty(NNPT、核拡散防止条約)に合意し、ウズベキスタン西部のNukus及び
Vozrozhdeniye Islandにおいて米国国防省(U.S. Defense Threat Reduction
Agency (DTRA))を支持した。

軍事費はGDPの3.7%を支出しているが、1998年以降、諸外国からの軍事援助を受け
ている。2001年9月11日、米国でのテロリストアタック後、政府は米国中央司令部
のリクエストによるウズベキスタン南部のKarshi-Khanabad空軍基地使用を認めた。
しかし、2005年のアンディジャン事件による欧米の非難を受けて、政府は米国の
空軍基地利用を一方的にキャンセルし、米軍は2005年11月のフライトを最後に撤
退した。(キルギス、マナス空軍基地へ移転)

▼為替レート
1USD=1509 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年8月20日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
ウズベキスタン・概況4(予定)
■国際関係

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【世界の街角からMM】第29号 タシケントの夏 2009年8月20日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第29号 2009年8月20日
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第29号は「タシケントの夏」です。
▼目次
■タシケントの夏
■■編集後記
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■タシケントの夏
今年はこれでもまだ暑くないほうだというが、夏は夏、暑い。

経験的に今年のピークは7月第2週から8月第1週までであったが、ウズベキスタン
の人に聞いても概ね例年もこの期間がピークのようだ。寝る時、エアコンは使わ
ないので何度か寝汗で起きたが内陸で乾燥しているせいか、朝方にはかなり涼し
くなる。

夜中に起きた理由は暑かったこともあるが、寝る前にメロンをたくさん食べたの
でトイレに起きたことでもある。当地のメロン、とても甘くて美味しい。暑い時
は余計に食べてしまう。丸いメロン、細長いメロン、日本で売っているマスクメ
ロンのようなメロン、こぶが付いている黄色いメロンなど種類も豊富で水代わり
にその味を楽しんだ。そして、一つ1-2ドルとかなり安い。しかし重いので小ぶ
りなメロンを選ぶことになる。

8月15日、日本人会による日本人抑留者の墓参があったので出席した。タシケント
市南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人抑留者墓地と
して整備されている。ソヴィエト時代は土を盛っただけだったが、独立後、現在
のような墓地に整備された。

タシケントで亡くなった87名については出身地と名前が刻印された墓石が敷設さ
れている。ウズベキスタン国内ではタシケントの他にタシケント州アングレン市、
フェルガナ州コーカンド市、フェルガナ州フェルガナ市、アンディジャン州アン
ディジャン市など13ヶ所に日本人墓地があり、それらの共同慰霊碑がこのヤッ
カサライ墓地に併設されている。

ウズベキスタンでは、2万3千人の抑留者が強制労働に従事し、817名がウズベキス
タンで帰らぬ人となっている。抑留者が強制労働で建設した建築は現在もタシケ
ント市内にいくつが現存する。その代表的な建築がナボイ劇場であり、現ウエス
トミンスター大学校舎(元空軍士官学校)である。

抑留者によって建設された建物は現在でも使用され、ウズベキスタンでは評価が
高い。こういう日本の技術に対する信頼を継続するさせることも開発援助の中で
考えていかなければと最近思う。

▼為替レート
1USD=1509 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年8月20日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
朝は非常に爽やかになりました。信じられないほどです。
これから一気に秋へ、そして冬になるのでしょうか。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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発行責任者:飯尾彰敏
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Friday, 31 July 2009

【世界の街角からMM】第28号ウズベキスタン概況2 2009年7月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第28号 2009年7月31日
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第28号はウズベキスタン概況2(人口、言語、通信)です。
▼目次
ウズベキスタン・レビュー2
■人口
■言語
■通信
■■編集後記
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■人口
ウズベキスタンは中央アジアで最も人口が多い国で、2770万人(2007年7月予測)
の人口を有し、中央アジアの人口の約半分にあたる。

年齢別人口では、14歳以下(2008年予測)が全人口の34.1%を占め、公式統計によ
ればウズベク人が80%、ロシア人5.5%、タジク人が5%、カザフ人が3%、カラカルパ
ク人2.5%、タタール人1.5%、ウイグル人2.5%(1996年推計)の人種割合となって
いる。

この中でタジク人の割合が5%と公表されているが、研究者によれば20-30%がタジ
ク人といいわれている。サマルカンドやブハラはタジク系だということを考えれ
ばそうなのだろう。

その他、少数民族では、1937-38年にスターリンにより強制移住させられたソ連沿
海州に住んでいた朝鮮人(朝鮮半島から飢饉のため食を求めて沿海州へ移住した
朝鮮族)及びアルメニア人(その多くはタシケント及びサマルカンドに居住して
いる。)が居住している。

宗教は88%がイスラム教徒であり、そのほとんどがスンニ派でシーア派は5%程度で
ある。9%が東方正教会、3%がその他である。

The U.S. State Department's International Religious Freedom Report 2004で
は0.2%が仏教徒(朝鮮人)である。

ブハラのユダヤ人は中央アジアに数千年の間生活し、全人口の0.5%(94,000人、1
989年センサス)を占めるが、ソヴィエト連邦崩壊に伴ってほとんどのユダヤ人が
中央アジアから米国及びイスラエルへ移民した。5,000人程度(2007年)のユダヤ
人はまだウズベキスタンに住んでいる。

出稼ぎ人口は、最低でも労働可能人口の10%に相当し、ロシア及びカザフスタンで
労働している。

識字率(15歳以上、2003年)は99.3%と高く、これは社会主義体制であったソヴィ
エト連邦の教育システムによる。

■言語
ウズベキスタンの公用語はウズベク語であるが、サマルカンドやブハラではタジ
ク語が広範囲にわたって話されている。また、ロシア語は民族間の共通語として、
技術的、科学的、ビジネス言語として都市部で話され、ロシア語人口は全体の14%
といわれている。地方部ではロシア語は限定的である。

独立後、教育機関で教育言語がロシア語からウズベク語へ変更されたため、若年
層は都市部でもロシア語の熟達度は低い。

1992年、ウズベキスタンは公式に標記をトルコ語に倣ってラテン文字へ変更した
が多く公式文書は1940年以来、キリル文字表記が使用されている。

■通信
世界的な動向と同様、ウズベキスタンでも携帯電話普及率は高い。2008年3月10日
現在、携帯電話加入者数は700万に達し、2007年7月1日の370万から急速に増加し
ている。最大の携帯電話会社はMTS(Russian Mobile TeleSystemsとのJV)、次に
Beeline(露Beeline)、そして、Coscom (元は米国MCT、現在はNordic/Baltic
telecommunication company TeliaSonera AB)である。

2007年7月1日現在、インターネット加入者数は180万人である。(UZCIA)2008年
以降、WiMax技術が導入され、広域無線LAN(EVO)がタシケントで実現している。

▼為替レート
USD1=1503Sum (中央銀行商業売りレート)2009年7月24日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
文字にしてみると自分の理解度がよくわかる。
これからですね。

ウズベキスタン・概況3(予定)
■運輸交通
■軍事
■国際関係
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
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「世界の街角からMM」第27号 ウズベキスタン概況1 2009年7月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第27号 2009年7月31日
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第27号はこれまでウズベキスタン概況を若干レポートしましたが仕切りなおし、
ウズベキスタン概況(1)です。
▼目次
ウズベキスタン・概況1
■地理
■政治
■経済
■■編集後記
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■地理
ウズベキスタンの面積は447,400km2でモロッコの面積と概ね等しい。これは世界5
6番目の面積であり、人口規模では42番目である。CISでは5番目に広く、3番目に
人口が多い。ちなみに日本は37万km2。

ウズベキスタンは、東西1425km、南北930km、北及び北東は、カザフスタンとアラ
ル海に、南側はトルクメニスタン、南東はタジキスタン、北東はキルギスと国境
を接し、中央アジア諸国全てに国境を接している。また、ウズベキスタンは南部
でアフガニスタンと約150km国境を接している。

首都タシケントは人口は270万人(登録上は210万人、2008年)
タシケントは北緯41度16分、東経69度13分

直線距離でタシケントは主要都市から以下の距離にある。

東京から6,008km、  モスクワから2,790km、ウィーンから4,167km、
バンコクから4,305km、カラチから1,803km、 キエフから3,128km
ロンドンから5,241km、パリから5,154km
デリーから1,579km、 テヘラン1,666km
http://gakusyu.ne.jp/linksyu/earth.htm

ウズベキスタンは乾燥した内陸国で、隣接する国が全て内陸国である二重内陸国
である。その他の例ではリヒテンシュタインが二重内陸国である。国土の約10%が
河川やオアシスを水源とする灌漑農業地でその他は砂漠(Kyzyl Kum)と山岳地帯
である。

ウズベキスタンの最高峰は南部Surkhandarya Province、Gissar Rangeの4,643mで
あり、ドゥシャンベの北西となるタジキスタンの国境になる。以前は第22回共産
党大会(the 22nd Congress of the Communist Party)と呼ばれていたが、現在、
名称はない。首都タシケントの標高は455mである。

気候は大陸性気候で降雨量は少なく年間100-200mm程度で、夏季の平均気温は摂氏
40度になり、冬季の平均気温は摂氏0度である。

主要な都市は首都であるタシケントをはじめ、ブハラ、サマルカンド、ナマンガ
ンである。

ウズベキスタンの時差は、UTC/GMT +5 時間、夏時間無しである。

■政治
国家元首である大統領は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国大統領であったイ
スラム・カリモフが独立以来その職にある。2002年1月に行われた国民投票の結果、
大統領の任期は5年から7年に延長された。首相と副首相は、大統領が任命する。

議会は、アリー・マジュリス(Oliy Majlis)と呼ばれ、一院制で任期5年、250議
席。2002年の国民投票の結果、次期選挙から二院制に移行することとなった。 現
在、旧ウズベキスタン共産党から改組されたウズベキスタン人民民主党を中心と
する諸政党がイスラム・カリモフ大統領の支持勢力として議会を支配している。

カリモフ大統領はウズベキスタンの独立後、自己献身・国民民主党に所属してい
たが、2007年にウズベキスタン自由民主党に党籍を移した。いずれの政党も、カ
リモフ政権の支持政党である。

憲法では民主主義が謳われ、行政が甚大な権力を持ち、法の力は微小である。199
5年12月27日に行なわれた国民投票により、カリモフ大統領の第一任期が終了し、
2002年1月27日の国民投票では、憲法上の大統領任期が5年から7年へ延長された。

さらに、2007年12月、国会においてカリモフ大統領の任期延長が可決されたが、
多くの国際オブザーバーはその手続きに参加することを拒否され、結果は認識す
るに至らなく、手続きに関して国際基準に満たないとしている。

2002年の国民投票で、2院政が含まれ下院(the Oliy Majlis)と上院(Senate)が設
立され、2002年12月26日に2院政の新国会議員選挙が実施されたが真の独立系及び
野党は参加できなかった。

OSCE(The Organization for Security and Co-operation in Europe、欧州安全保
障協力機構)が派遣したミッションは選挙は国際的な民主的選挙基準に不適合とし
た。複数の政党は政府承認を得て設立されたが、ラジオや新聞などのマルチメデ
ィアと同様、両方とも政府の監視下にあるか稀に政治的なトピックを出す政党に
留まった。独立系政党は組織の設立や党員の募集、政治的な会議や記者会見が
可能となったが、それらの政党は、制限的な登録手続きの下、登録拒否されている。

■経済
他のCIS諸国同様、独立直後のウズベキスタン経済は後退し、1995年以降、市場経
済改革の結果回復していった。1998年から2003年までは年率4%の成長を示し、そ
の後は年率7-8%と強健な経済成長となった。

IMFの予測によれば、2008年のGDP成長は1995年の概ね2倍の金額(コンスタントプ
ライス)となり、2003年以降のインフレは年率10%以内で推移している。ウズベキ
スタンの一人当たりのGNIは低いレベルで推移し、2006年値でUS$610、PPPでUS$2,
600である。ウズベキスタンの一人当たりのGNI(PPP)は全世界209カ国中、169位
に位置し、CIS12か国中、10位、その下位にはキルギス共和国とタジキスタンだけ
である。

産業は一般消費材に集中し、ウズベキスタンは第6位の綿製品の生産国且つ世界第
2位の綿花輸出国である。また、金は、世界第7位の生産国であり、天然ガス、石
炭、銅、石油、銀、ウランを産出する。労働人口の28%は第一次産業に従事し、GD
Pの24%に寄与している(2006年)。

他方、公式失業率は非常に低く、特に地方の就業率は最低でも20%と予測されてい
る。綿花の収穫時期には全ての学生や教師が無給で借り出される。また、子供が
労働力として使われているため、Tesco、 C&A、Marks & Spencer、Gap、H&Mの企
業によるウズベキスタン綿花のボイコットをもたらした。

ウズベキスタンの首都であるタシケントは、独立を勝ち得たことにより、山積す
る経済的なチャレンジに直面している。政府は、特に輸入削減とエネルギーの自
給体制のため政府管理を強化した改革方針を採用した。

1994年以降、政府管理化のメディアは政府の代弁者としてウズベキスタン経済モ
デルの成功を重ね重ね伝え、唯一の漸進的な市場経済性への円滑な移行であり、
ショック、貧困、不景気を回避したと示唆した。

漸進改革主義は重大なマクロ経済と構造改革を先送りにし、官僚主義の手中にあ
る国家は経済の中に支配的な影響として残留した。不正は社会に浸透し、時の経
過とともにより蔓延っている。2005年のウズベキスタンにおける不正インデック
ス(Corruption Perception Index)は159か国中137位であったが、2007年には17
9か国中175位と最低レベルにランクされた。

2006年2月、International Crisis Groupによるレポートは、主要な外貨獲得産品、
特に綿花、金、トウモロコシ、天然ガスは、非常に限定された少数のエリート集
団により供給されていると報告している。

Economist Intelligence Unitによると、政府は独立した民間部門の開発を許可す
ることには冷淡であり、管理推進することはしないだろうとしている。そして、
国家的な中産階級と一般的な中所得者クラスは経済的には、結果として政治的に
も相容れない。

経済政策は外国投資を寄せ付けず、CIS諸国の中では最低の一人当たりの外国投資
額である。長年、外国企業によるウズベキスタン市場への投資に対する巨大な阻
害要因は、通貨の交換の困難さである。2003年、政府は全ての兌換性の条件であ
るIMF8条の責務を受け入れたが、厳しい通貨管理と隙間のない国境管理が若干減
少しただけである。

ウズベキスタンは年率約1,000%のインフレを独立直後の1992-1994年に経験し、安
定策として実施されたIMFのガイダンスを直ぐに破棄し、その後1997年のインフレ
は50%まで下がり、2002年には22%まで下がった。2003年以降の年率インフレは10%
以下で推移し、2004年には3.8%まで急速に下がった。他方、市場価格ベースの他
の予測では15%のインフレ率だった。2006年にはインフレは6.9%、2007年には7.6
%となり一ケタ台で推移している。

ウズベキスタン政府は多くの輸入規制を実施し、高い関税率を課している。物品
税は国内産品の保護のため差別的に採用し、関税率は非公式な税と合算となり、
税率は実際の価格の100-150%と同様な額になる。つまり2倍以上ということであ
る。輸入代替品は公式に政策で謳われており、政府は得意げに輸入された日用品
の量が半減したと報告している。多くのCIS諸国はウズベキスタンからの輸入関税
を免除している。

1994年、共和国証券取引所タシケント(The Republican Stock Exchange (RSE)
Tashkent)が開設され、株式の売買、不動産取引、国家投資基金、国家証券保
管所を含んでいる。JSCの株式は毎月売買されず、資本市場は広範囲に多様である。

主要輸出品目である金及び綿花の国際市場価格の上昇や天然ガスの生産増、輸出
産品の増産、労働移民の増加(GDPの9-11%(2003-2005年)に相当する外国からの
送金)、外貨準備高の増加、2倍以上に高騰した金価格(US$3Billion)により、20
03年以降、ウズベキスタンの対外的な位置付けは強固である。

▼為替レート
USD1=1503Sum (中央銀行商業売りレート)2009年7月24日
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■■編集後記
2ヶ月近く空いてしまった。その間、ウランバートル出張、日本出張等なにかとタ
イトな期間だったが、ここで仕切りなおし、再度、ウズベキスタンについてのレ
ビューです。なかなか実態が見えてこないですね。これはドラフト概要版の位置
づけです。

ウズベキスタン・概況2(予定)
■人口
■言語
■通信
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Tuesday, 9 June 2009

【世界の街角からMM】 第26号 2009年6月8日 WC予選通過一番乗り

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第26号 2009年6月8日
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滞在先のタシケントでワールドカップアジア予選「日本対ウズベキスタン」の試
合があった。結果、1:0で勝利し、予選通過一番乗り。

■■編集後記
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■日本、対ウズベキスタンに勝利しワールドカップ予選通過一番乗り
6月6日(土)、ワールドカップアジア予選「日本対ウズベキスタン」の試合がウズ
ベキスタンのタシケント、Pakhtakor Stadiumで開催された。当地に滞在している
関係で当然のことながら応援観戦に出かけてきた。試合は1:0で日本が勝利し
た。

ウズベキスタンでのサッカー観戦は初めてであり、こう機会でもないと観戦のチ
ャンスはなかったのかもしれない。日本からは弾丸ツアーを含めて観戦ツアーが
組まれたようで数百人のファンが駆けつけた。弾丸ツアーはJALのチャーター機で
タシケント国際空港まで飛んできた。当日の午前4時着、デイユースのホテルで休
み、夕方から観戦し、その足で午前1時には帰国の途へ着く強行スケジュールだが
金曜日の夜に出発して日曜日の午後には帰国できるようだ。

試合内容は幸運にも前半戦に点が取れたことが勝利に繋がったが全体的な内容は
反省を残す形となった。今日のウズベキスタンに引き分ければ予選通過というこ
とはサッカーファンの知人に聞いていたのでなんとなく理解していたが、もう一
つ重要なことがあったということは後から知った。

それはいつも観ているeuronewsで今日の試合を放映しないかとスポーツに注目し
ていたとき、ヨーロッパ予選結果の後、日本対ウズベキスタン戦のニュースが流
れた。このときやっと今日の勝利の意味がわかったのだ。それはこの勝利が各グ
ループの予選の中で予選通過一番乗りということだ。アウェイのせいか、インタ
ビューもあったようななかったようなはっきりわからない状態で解散になってし
まったのでTVを観るまではよく理解でなかった。

もう一つ、日本がゴールしたときはアウェイ席なので一番遠くよく見えなかった
が、ゴールの瞬間が映し出されていた。シュートしたボールをキーパーがはじき、
そのボールをそのままヘディングシュートでゴールした。こぼれた場所が良かっ
たに違いない。その次のシュートのが気持ちが良かったがこれはオフサイドを取
られたようだ。兎に角、日本が勝利し、予選通過初名乗りということはうれしい
限りだ。

パフタコール・サポーター席より
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157619391755822/

FIFAワールドカップアジア最終予選(スポーツナビ)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/data/wc08_q_final.html

FIFA
http://www.fifa.com/

▼為替レート
USD1=1466Sum (中央銀行商業売りレート)2009年5月8日
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■■編集後記
試合内容は別として生のスポーツ観戦は周辺環境や観客のリアクションなど臨場
感があり楽しいものだ。そして応援するチームが勝てば尚更だ。サッカー素人の
私とて楽しめたのだから。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第26号 2009年6月8日
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Thursday, 14 May 2009

【世界の街角からMM】第25号 2009年5月13日タシケントの交通機関2

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第25号 2009年5月13日
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今号はタシュケント市民の足、都市の公共交通(2)です。
第21号で説明したタシュケント公共交通(1)の続きで、トラム、バス、トロ
リーバスについてです。
▼目次
タシュケントの交通機関(1)
■タシュケントの交通機関
■タシュケントの地下鉄と地下鉄駅
タシュケントの交通機関(2)
■タシュケントのトラム
■タシュケントのバスとトロリーバス
■タシュケント公共交通概観
■■編集後記
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■タシュケントのトラム
現在、運行している路線はNo.3, 6, 8, 9, 12, 13, 17, 18の8トラム路線、総延
長122.4kmが運営され、No.6、No.3、No.17が乗降客数が多い。料金は一律400Sum。

メトロとトラムネットワーク
http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent-transport.html

運営組織は、Tashshahartranshizmat(Association of Tashkent City Transport
Service)で、タシュケント市内の公共交通を提供する官民が出資する組織である。
この傘下に38事業会社があり公共交通を運営している。トラムは、
Tashelektrotrans Electric Transport Companyが担当している。

2009年3月現在、タシケントには2種類(車体カラーのみ分類、形式調査中)のト
ラムが運行している。一つは白地に黄緑色のライン(国旗の一番下のカラー)
(Type KTM8及びTatra-Jug (T3M/T6)、もう一つは、ベージュ(Uraltransmach
(Russia),Spektr 71-402)だ。1996年にタシュケントへ来たときは白地に赤のライ
ンだった。
http://uz.iio.org.uk/tashkent_trspt.htm

最近、ロシア製トラム(Spektr 71-402)30輌が導入され、No.25及びNo.27の2路
線が再開されるとの噂もある。現在、軌道のリハビリテーションを実施されてい
るが、軌道はバラスからアスファルトに更新されている。果たしてこれが適当な
のだろうか。

Light Rail in the former SU
http://www.xs4all.nl/~rajvdb/lra/index.html

■タシュケントのバスとトロリーバス
▼バス
日本のバスより洗練されMercedez Benz製のたバスがタシュケント市内を走ってい
る。これは、イスタンブルのMercedez Benz工場で製造されたバスだ。見たところ、
結構な乗客数だ。

2006年7月3日、タシュケント・バス交通の民営化に関する大統領令(Realization
of state shares of Toshavtobustrans (Tashkent Bus Transport) to private
property)が出され、国営企業であるToshavtobustransが民営化され、新たにタ
シュケントの旅客輸送を担うTashshahartranshizmatが設立され、2010年までに民
営化される予定である。同時に外国銀行のクレジットラインにより2006-2007年に
159台の新たなMercedes Benz製バス車輌を調達され、第二段階として362台のバス
車輌の調達が予定されてる。料金は一律400Sum。

▼トロリーバス
10トロリーバス路線が運行され総延長は141km、122トロリーバスのうち朝の
ピーク時には98車輌が運行している。2002年時点で車輌数は213に増加していると
の報告があるが未確認である。

我が家の前にもトロリーバス(シュコダ)が走っている。ブレイクダウンしてい
るトロリーバスをよく見かけるので老朽化が激しく、緊急に更新が必要と思われ
る。見たところ20年選手だろうな。先日、ヒヴァへ行ったが、ウルゲンチ-ヒヴ
ァ間にトロリーバスが運行し、ここでは車輌の更新がされていた。

料金は一律400Sum。

■タシュケントのタクシー
ライセンスされているタクシー(タクシーと表示されている)と非ライセンスタ
クシーが混在しているが後者のが数が多そうな印象だ。どちらでも交渉なので大
勢に影響はない。

タクシーがいたるところで容易に乗車できるのは非常に便利だし、タクシー代金
は交渉ながら安い。交渉しなくてもあまり違わない。4キロ程度(地下鉄駅3駅分)
で2000-3000Sだ。ちょっとなら1000Sだ。車輌はウズベキスタン製のNexia、Matis
が多い。Matisはスズキのマルチに似た小型車だ。もちろんLadaも現役である。

一般的にホテルにたむろしているタクシーは倍以上の料金となる。Dedemanから
International Business Centreまで5000S、通常は2000程度だろうな。

無線タクシーがあり、電話すると来てくれる。料金は到着してから無線で走行距
離を連絡して決めているが普通のタクシーより高目の設定だ。

■タシュケント公共交通概観
タシュケントの公共交通機関は地下鉄、バス、ミニバス、トロリーバス、トラム
から構成され、ミニバスが2002年頃から新たに参入した。

交通需要は独立以降、大きく変化したが系統的な分析はこれまで行なわれず、そ
の対応は場当たり的な対応に限定され、投資計画(2006-2010)が策定されている
もものの、予算措置は未だにとられておらず、その結果、地下鉄3号線の延伸が滞
っている。

タシュケントの公共交通需要(2005年)は1.9百万人/日であり、2005年の対2001
年では90%へ減少し、機関分担はバス利用が増加し、地下鉄、トラム、トロリーバ
ス利用者が減少している。道路交通が増加し、軌道系(電気式公共交通)が2001
年比で36.6%から20.2%へ減少している。内訳では地下鉄が37%減、トラムが57%減、
トロリーバスが77%減である。

2005年の機関分担率は、地下鉄12.5%、バス54.1%、トラム6%、トロリーバス1.7%、
ミニバス23%である。

ミニバスは路線を民間企業へフランチャイズする方式で運営されており、運行
ルートの拡大と運行頻度の増加により利用者が増加した。一方、ミニバスへ利用
者がシフトしたことから、バス、トロリーバスの利用者数が減少した。

地下鉄はタシュケント公共交通の基幹交通機関であり、サービスレベルの向上に
よる利用者の増加が期待されている。

その課題として料金システムがあり、地下鉄は地下鉄だけに有効なトークンを利
用しているため、他の公共交通機関との共通性がないため、利便性が低い。その
ため全ての公共交通機関で利用できるチケッティングシステムの導入が必要であ
る。

トラムの近代化、軌道リハビリと車輌の更新、も公共交通機関としての大きな課
題である。現在、新たな車輌が導入され、軌道も順次、リハビリテーションが進
んでいるが道路建設と同様、その質が懸念される。

トロリーバスは電力を動力源とする交通機関であり、昨今の環境問題からは受容
され、且つ、静かである。ソ連時代に整備された広範なネットワークがあるもの
の、車輌の老朽化によるサービスレベルの低下による他の公共交通機関との競争
力が低いことが課題である。

▼為替レート
USD1=1466Sum (中央銀行商業売りレート)2009年5月8日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
日常使っている都市の交通機関、一体全体どうなっているのだろうかと思い調べ
てみたがほとんど参考になる文献がない分野だ。まあ、この国でという補足が付
くが。

日本でもその昔トロリーバスが運行されていたし、トラムもあったがモータリ
ゼーションの名の下、米国流ということだが、大都市では道路交通の邪魔者扱い
され消えてしまったが、旧ソ連では現役だ。

今日ではトラムもトロリーバスも電力を動力源としているのでクリーンエネル
ギーと見直されている。このまま主要先進国と同じ経緯を辿り消えてしまうのは
考え物、電力の優位性を生かして復活を期待したい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第25号 2009年5月13日
発行責任者:飯尾彰敏
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Saturday, 9 May 2009

【世界の街角からMM】外国人登録と対独戦勝記念日 第24号2009年5月9日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第24号 2009年5月9日
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今号は第9号で触れた外国人登録の補足と対独戦勝記念日(5月9日)です。
▼目次
■対独戦勝記念日(5月9日)
■ウズベキスタンでの外国人登録
■日本大使館への在留届
■■編集後記
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■補足・訂正■
第9号 2009年3月7日、タシュケントの賃貸住宅事情の中で説明した外国人登録に
関して「借りた後、所轄の警察へ外国人は登録をする必要があり、住む場所が決
まったら警察へ届け出る。手数料20ドル相当。」云々について不正確な記述があ
ったので新たに外国人登録の項目を設け訂正、補足します。

■対独戦勝記念日(5月9日)
ヨーロッパでは、連合国が第二次世界大戦でナチス・ドイツを公式に降伏させ、
ヨーロッパにおける勝利を収めたことを記念する日であり、1945年5月8日、ある
いは5月7日をヨーロッパ戦勝記念日(Victory in Europe Day、V-E Day or VE
Day)としているが、ソ連では時差の関係で5月9日を対独戦勝記念日としている。

1945年5月8日、ベルリン市内の赤軍司令部(カルルスホルスト (Karlshorst))で、
ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ将軍とドイツ国防軍のヴィルヘルム・カイテル
元帥が降伏文書に調印した。これはモスクワ夏時間では5月9日未明のことであっ
たため、この5月9日がロシアをはじめウクライナ、ベラルーシなど旧ソ連諸国で
の対独戦勝記念日となっている。ウズベキスタンは祝日ではないが、カザフスタ
ンは祝日、今年は土曜日に当たり11日の月曜日が振り替え祝日となっている。

Russia Todayで赤の広場で開催していた対独戦勝記念式典を生で放映していた。
メドベージェフ大統領、その左にプーチン首相が並び、子供の頃観たソ連のイ
メージを髣髴とさせた。

■外国人登録
ウズベキスタンの出入国管理法によりウズベキスタン国内に滞在する全ての外国
人は入国後直ちにOffice of Visas and Registration (OVIR)にて登録をしなけれ
ばならない。

ホテル(宿泊施設)に滞在する場合はホテル側が登録手続きを行なうので滞在者
は登録手続きが免除されている。学生の場合はアパートに住むことは認められて
いないので教育機関の宿泊施設に滞在する必要がある。

3日以内のウズベキスタン国内の滞在は、登録が免除される。4日以上ウズベキス
タン国内に滞在し、出国する際登録手続きがなされていない場合、法的には罰金
を課せられる。

◆登録料及び延長料は以下の通り。
Fees for Registration and Extension
Registration Extension
up to one month - - - - - - -$20 up to 5 days - - - - - - $5
up to 2 months - - - - - - - $40 up to 10 days - - - - - $10
up to 3 months - - - - - - - $60 up to 15 days - - - - - $20
up to 6 months - - - - - - - $100 up to 20 days - - - - - $30
one year and more - - - - - $200 up to 30 days - - - - - $40
for the next fixed period - $50

私の場合、登録は直接行なわなかった。登録料は20ドル相当のSumを支払ったがこ
れは領収書なしなのでどのように支払ったのか不明。

◆登録していない場合の罰則:
ウズベキスタンの法令(Administrative Responsibilities and the Criminal
Code)により出入国管理法に沿わない場合下記の罰則が課せられる。

◇第一回目
ウズベキスタンの最低賃金の50-100倍(詳細不明)、若しくは国外退去。

◇第二回目以降
ウズベキスタンの最低賃金の200-600倍(詳細不明)、若しくは禁固1-3年。

2008年9月現在のウズベキスタンの最低賃金は、25,040 soum (about $18)。100倍
として$1800となり、600倍だと$10,800となる。

もし、罰金を支払う場合、その領収書と罰金を課すレポートのコピーを入手して
おく。

◆登録手順
タシケントの場合、Office of Visas and Registration (OVIR)で登録手続きを行
ない、その他の都市では、Local Office of Visas and Registration (OVIR)で行
なう。

登録手続きには下記の書類を用意する。
1)パスポートとVISA
2)住宅賃貸契約書(写)
3)既往登録証(ホテルの場合、ホテルでの登録証)
4)滞在予定、目的を説明した文書

私の場合、ホテルの領収書原本も提出した。

以上の情報は下記在ウズベキスタン米国大使館のwebからです。

http://uzbekistan.usembassy.gov/registration3.html


■日本大使館での在留届の提出
旅券法第16条により、外国に住所または居住を定めて3ヶ月以上滞在する日本人は、
住所又は居住を管轄する日本大使館・総領事館に「在留届」を提出するよう義務
づけられています。

在留届を出してe-mailアドレスを登録すると大使館から安全情報等の連絡を受け
ることが出来ます。

▼為替レート
1USD=1466Sum (中央銀行商業売りレート)2009年5月8日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
旧ソ連圏ではまだまだソ連時代の制度が根強く残っている。特に外国人に対する
管理は国に寄るがほとんど変わっていない印象だ。日本人にビザが免除されてい
るグルジア、キルギス、ウクライナは例外だが、その他の国ではビザを取り、登
録をしなければならずソ連時代と変わらない。

ビザの取り方もまだロシアでは事前に旅程を予約し、支払いを済ませてその証と
してバウチャーを発行してもらう。このバウチャーがないとビザが下りないシス
テムになっているのでソ連邦が崩壊して18年が経過するが旅行や出張など悩まし
いことが先ず待っている。蛇の路は蛇ということもあるのだろうが。

ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第24号 2009年5月9日
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Sunday, 12 April 2009

【世界の街角からMM】イスタンブル・トランジット(2) 第23号 2009年4月12日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第23号 2009年4月12日
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今号は3月中旬、アシガバート(トルクメニスタン)出張のため、トランジット
で滞在したイスタンブルのレポート(2)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
イスタンブル・トランジット(1)
http://worldcity-mm.blogspot.com/2009/04/mm1-22-2009411.html
■イスタンブル国際空港(アタチュルク)
■イスタンブル国際空港内での時間のつぶし方
■イスティクラル通り再び
■イスタンブルの交通機関とアクビル
イスタンブル・トランジット(2)
■イスタンブル上空-アシガバートからのフライト
■イスタンブルでのショッピング
■日本料理「五味」
■MetroBus-イスタンブルの新バス交通システム
■■編集後記
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■イスタンブル上空-アシガバートからのフライト
ボスポラス海峡上空からから旧市街の北側をかすめてアタチュルク空港へアプ
ローチするルートは数多くの都市で離発着しているがOne of Bestではないだろうか。

散々待たされた後アシガバートを飛び立ったトルコ航空TK1365便は10時過ぎ雲の
多いイスタンブル上空へ差し掛かった。航空ルートは黒海側からアクセスするで
あろうことから席は窓側をリクエストした。

待たされたのと、4時半起きだったので途中は寝入ってしまいよく憶えていないが、
アタチュルク空港へのアプローチのため下降し始めたときから窓の外を気にして
いた。

TK1365便は黒海沿岸上空から徐々に高度を下げ、アナトリア上空から更に高度を
下げボスポラス海峡をアジア側からヨーロッパ側へ斜めに横切り、第一ボスポラ
ス海峡を眼下に見下ろせる位置からやや左に旋回し、Levent上空から着陸態勢に
入った。窓からはベイオール地区、金角湾、ガラタ橋、トプカプ宮殿、ブルーモ
スクなど歴史地区が視界に入った。運よく席が左側だったこと、しかも最後尾の
席であり主翼が視界を邪魔しなかった。

ただ天候が悪く雲が多かったのだけは残念だった。自分の足で歩き回った町なの
で非常に感慨深い。写真を撮ったが雲が多く、ガラタ橋やファーティはほとんど
雲で見えなかったが、近々、公開しよう。

■イスタンブルでのショッピング(買出し)
世界経済危機以降、トルコリラが円に対して40%程度下がった(1YTL=60円弱)の
でショッピングには最適なタイミングだった。

タシュケントでは品数が少なく品質も悪いのでイスタンブルは別世界のようだっ
た。しかも価格もお手ごろになっていた。

このトランジットを利用してタオル、ワイシャツ、靴、オリーブオイル、ポロシ
ャツ、Tシャツ、下着、等、夏物スーツはデザインがあわず見送った。もっと買え
れば買っていただろうな。買い物はショッピングモールが発達しているので1-2箇
所でほとんどの用事が間に合ってしまう。

イスタンブルでのショッピングは昨年イスタンブルに滞在しているときに以下の
サイトにまとめた。

イスタンブル・ショッピング
http://istanbul.iio.org.uk/istanbul-shopping.html

▼Cevahir Mall
地下鉄Sisli駅直結、MetroBusにも近いので空港からは便利。
http://www.istanbulcevahir.com/

▼Migros
スーパーマーケット、今回はCevahir MallのMigrosを利用した。市内に多く支店
がある。
http://www.migros.com.tr/

▼MetroCity
地下鉄Levent駅直結、BenetonでTシャツ、ポロシャツ、INCIで靴を、M&Sで下着を
調達。
http://www.metrocity.com.tr/

▼Akmerkez
Levent駅徒歩15分だが、タクシム広場からAkmerkezの前に止まるバス(No.559)
があるのでタクシム広場界隈に居るときはこのバスを利用する。いつも客が少な
くショッピングがしやすい。ワイシャツ、靴を調達。
http://www.akmerkez.com.tr/

▼空港地下のスーパーマーケット
時間がないトランジットの場合、国際線到着ロビーの下にスーパーマーケットが
ある、確か24時間営業と聞いた記憶だ。

■日本料理「五味」(イツミ)
昨年の味を思い出して、空港からLRT、MetroBus、Metroを乗り継いで直行しラン
チにぎりぎり間に合った。だが昨年行ったのは一回のみ、高くて手が出せなかっ
たのが正直なところ、畜養マグロの鮨は美味しかった。

地下鉄Levent駅から4.Levent方面右側の$Bankというサインがある高層ツインビル
の1階にある。高級日本料理のカテゴリーだろう、日本人料理人がいる。

ランチメニューはかなり種類が多い。よくわからないので五味定食(36YTL)を注
文、サバの塩焼きとマグロ納豆だった。その時のマグロ納豆とご飯は外れ、他は
並的に美味しかった。日本でと考えると決してリーズナブルな価格とはいえない。
ランチは14時まで。もう一つのオプションはトンカツ定食(26YTL)だった。

日本語を良くしゃべる女性のマネージャー、Pinarさんがいる。昨年のことを憶え
ていたようで驚いた。一緒に行った人がかなり酔っ払ったのでその影響かもしれ
ない。

五味
Iskuleleri Kule 2 Giris Kati No:43, 4.Levent, Istanbul
Tel.(0212) 264-6448 Fax.(0212) 264-6498
Lunch: 12:00 - 14: 00 Dinner: 19:00 - 22: 30 Off: Sunday
http://www.itsmejp.com/

▼昨年の覚書
http://istanbul.iio.org.uk/istanbul-restaurant.html

■MetroBus-イスタンブルの新交通システム
もう一つの目的は、トルカプからSisliまで延伸したMetroBusに乗車することだっ
た。これで地下鉄への接続が可能になり更に利便性が増した。このバス、道路の
中央をバス専用路線とし、2連結(Mercedez)及び3連結(Phileas)バスをかな
り高い頻度で運行している(下記サイト参照)。3連結(Phileas)バスは高価な
ことから2台のみと聞いている。実際に運行しているPhileasはほんの一瞬見かけ
ただけだった。

昨年9月に開通予定だった路線
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157607903105713/

MetroBus Line
http://www.iett.gov.tr/en/section.php?sid=63

Metro Bus写真集
http://www.iett.gov.tr/en/section.php?sid=60

Mercedez-Benz製2連結バス
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157607903105713/

Phileas製3連結バス
http://www.iett.gov.tr/en/section.php?sid=61

IEET Metro Bus
http://www.iett.gov.tr/en/section.php?sid=58

◆為替レート
1YTL=58.66円(2009年3月27日)
http://www.bloomberg.co.jp/markets/currencies/eurafr_currencies.html

■■編集後記
トランジットで立ち寄ったイスタンブル、昨年、一昨年と滞在したので買出しは
非常に効率的にできた。こんな目的ではたとえトランジットといえども滞在した
くはない都市だ。

フォトジェニックなイスタンブル、また、ゆっくり街を歩いてみたい。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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【世界の街角からMM】イスタンブル・トランジット(1) 第22号 2009年4月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第22号 2009年4月11日
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今号は3月中旬、アシガバート(トルクメニスタン)出張のため、トランジット
で滞在したイスタンブルのレポート(1)です。

タシケントの交通(2)はもう少し後でレポートします。
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
イスタンブル・トランジット(1)
■イスタンブル国際空港(アタチュルク)
■イスタンブル国際空港内での時間のつぶし方
■イスタンブルの交通機関とアクビル
■イスティクラル通り再び
イスタンブル・トランジット(2)
http://worldcity-mm.blogspot.com/2009/04/mm2-23-2009412.html
■イスタンブル上空-アシガバートからのフライトより
■イスタンブルでのショッピング
■日本料理「五味」
■MetroBus-イスタンブルの新バス交通システム
■■編集後記
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■イスタンブル国際空港(アタチュルク)
タシュケント4時20分発のトルコ航空便TK1371は予定通りまだ暗い早朝5時5
0分にイスタンブル・アタチュルク空港へ到着した。3時間の時差があるので4時
間30分のフライトだ。しかし、家を午前2時過ぎ出たのでほとんど寝ていない。イ
スタンブルは、昨年、一昨年と滞在したのである程度親近感がある。

▼入国審査
4ヶ月ぶりのアタチュルク空港だ。なんとなく気分よかった。しかし、入国審査
には時間がかかった。まあ、トランジットが長いので問題ないが。早朝到着する
フライトが多いのだろうたいへん混雑していた。荷物を取りに行ったらもうほと
んど人がいなかった。

▼Left Baggage (荷物預かり)
今回は16時間トランジットなので荷物を一旦出すことにした。

荷物預かり所は到着ロビー、トルコ航空ホテル窓口の隣、スタバの手前にある。
このサービスはヨーロッパと同じでたいへん助かる。

料金は以下の通り、引き取り時に支払う。現金のみ。私の場合スーツケース、キ
ャリーオン、パソコンバックを預けたので42YTLとなった。
大 15YTL/day
中 12YTL/day
ハンドバック 10YTL/day
小(プラスチックバック等) 8YTL/day
http://www.ataturkairport.com/eng/1.php

■イスタンブル国際空港内での時間のつぶし方
早朝だったのでとりあえず、荷物預け場所の確認をしたら、その先に、スタバが
あったのでここでコーヒーを飲みながらしばらく過ごすことにした。Wi-Fiを確認
したらサービスありとのこと、これは都合が良いと思い、メールのチェック返信
をした。スタバはタシケントにはもちろんないので久しぶりの味だ。

スタバは、到着ロビー、出口を出て右方向奥、荷物預かり所の先にある。比較的
空いていること、無線LANが使えること、壁側にやや広めのテーブルがあり、その
横に電源用コンセンが用意されている。ここで仕事が出来てしまう。

スタバはクレジットカードでの支払いも可能、トルコリラを持っていないときで
も問題ない。今回はここでたいへんお世話になった。

■イスタンブルの交通機関とアクビル
昨年使っていたアクビル(プリペイドチケット)の、東京で言うパスモやスイカ、
を運よく持ってきていた。残高が10YTLは残っているし、現金だって100YTL
は持っている。対円で価値が6割をきったけど物価は変わっていないだろう、昨
年のまま使える。

イスタンブルの交通はバスが多いが近年、地下鉄やLRTも整備されつつある。まだ
ネットワークとしては発展途上だが乗り継いで使える。空港からはAksalayまでLR
Tが運行され、そこからトラムでベイオールへ行ける。

スタバの環境が良かったので約束していたランチに遅れそうになったので、Aksal
ayまでLRT、そこからタクシーでペラまで行った。タクシーを使わない方法では、
ドルムシュ(乗り合いタクシー)かトラムでKarakoy下車、ケーブルカーでTunel
まで行けばよい。

http://urbanrail.net/eu/ist/istanbul.htm

その他、Metro(地下鉄)はタクシム広場から4.Leventまで開通している。現在、
タクシム広場からアクサライ間は工事中だ。

その他、E5を運行している機関バスであるMetroBusがある。これらがそれぞれ繋
がりつつある状況だ。Marmaray(ボスポラス海峡海底トンネル)も工事中だ。

http://istanbul.iio.org.uk/istanbul-transport.html

pohoto gallery:
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/IstiklalCaddesi

■イスティクラル通り再び
タクシーをPera Palas(現在改装中、アガサ・クリスティーの常宿だった)の下
で下り、隣のIMPのビルまで歩く。見慣れた建物、路、人々だ。そして、昨年働
いていた職場に友人を訪ねた。

何度も通ったイスティクラル通りのレストランへ皆でランチを食べにいく。変わ
らぬ賑わいのイスティクラル通り、なぜか端から端まで歩きたくなる。昨年滞在
したときから5ヶ月ほどしか経っていないので特に大きな変化はない。ショップが
少し入れ替わった程度だろう。

職場は変わらず、ただ、一緒に働いていた人の一人が黒海沿岸の都市にある大学
へ異動になったようだ。地方選挙が近く、イスティクラル通りでは選挙運動が盛
んだった。イスタンブル市長は現職が立候補するそうだ。

食事の後、映画のチケットを買いに行くという。これは同僚の旦那が兵役のため
留守にするので、その間、友人達が何かと世話するという。

丁度冬物のバーゲンの時期、ショップのあちこちにはxx% OFFの文字が目だった。
帰りにはいろいろと調達しなければならないなと思いながらウィンドウを眺めた。

まだまだ、昨年歩いた場所を確認したかったが時間が許さない。帰国時の買出し
下調べでAkmerkezへ足を向けた。タクシム広場から559番バスで行ける。結局、バ
スで往復した。そして、Tunelまでイスティクラル通りを歩き、ケーブルカーでKa
rakoyまで行き、そこからトラムでAksaray、そして、LRTで空港まで戻った。あっ
という間に出発2時間前になっていた。

イスタンブル・ノート
http://istanbul.iio.org.uk/index.html

◆為替レート
1YTL=58.66円(2009年3月27日)
http://www.bloomberg.co.jp/markets/currencies/eurafr_currencies.html

■■編集後記
トランジットだったのであっという間に時間が過ぎた。何度来てもイスタンブル
は心地よい町だ。交通機関がどんどん整備されている。次回はもっと便利に移動
が出来るようになっているに違いない。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第22号 2009年4月11日
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Monday, 6 April 2009

【世界の街角からMM】タシュケントの地下鉄 第21号 2009年4月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」          第21号 2009年4月5日
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第21号はタシュケント市民の足、タシケントの交通機関レポート(1)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼目次はこちらです。
タシュケントの交通機関(1)
■タシュケントの交通機関
■タシュケントの地下鉄と地下鉄駅
タシュケントの交通機関(2)
■タシュケントのトラム
■タシュケントのバスとトロリーバス
■タシュケントのタクシー
■■編集後記
▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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【Kim's House 一時閉店】
2009年3月31日をもって一時閉店となりました。契約更新の関係でしょうか、非常
に残念です。再度、オープンするとのことですが何時になるかまだわかりません。

■タシュケントの交通機関
中央アジアの代表的な都市タシュケントは、人口210万人を有し、ソ連邦時代から
他の都市同様、地下鉄、バス、トロリーバス、トラムなど共産主義諸国ではスタ
ンダードな公共交通機関がここでも整備されてきた。

基本的にこの構成は現在も変わらず運営され、バスはイカルス(ハンガリー製)
からDaewooを経て現在はMercedez Benz(トルコ製)へ更新され運行している。ト
ラムも新型車両(ベージュのカラーリング)が導入さている。トロリーバスと地
下鉄はソ連時代のままなのだろうか、情報が少ない。

タシュケント公共交通の特徴は、中央アジア唯一の地下鉄が運行されているが、
シェアはこれまた情報がないが観察からバス、そしてトラムがかなり分担してい
るように感じる。

■タシケントの地下鉄と地下鉄駅
ウズベキスタンの首都、タシケントには中央アジアで唯一の地下鉄が運行してい
る。現在、カザフスタンのアルマトゥで地下鉄が建設中(2010年末開業予定、総
延長45km)なのでその座も限定的になっている。

旧ソ連では7番目に地下鉄が建設された都市であり、地下鉄駅はそれぞれ固有の装
飾が施され、モスクワの地下鉄同様に世界でも有数の装飾された地下鉄駅として
知られている。

Tashkent Metro
http://urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

Almaty Metro
http://urbanrail.net/as/alma/almaty.htm

▼タシュケントの地下鉄
タシュケント地下鉄の歴史は、1966年の大地震の後、1968年に計画が始まり、197
2年に最初の路線であるChilonzor Lineの建設が始まった。1977年11月6日に9駅が
開通し、1980年に全線(15.4km、12駅)が完成した。1984年、2番目の路線である
Ozbekiston Line(14.8km、11駅)が開通した。

最近ではYunusobod Line(6.4km、6駅)が2001年に開通し、北部への延伸は現在
建設中、2010年に開通予定である。4番目の路線、Sirghali Lineは計画中(8km)
である。現在はこれらの3路線、総路線長36.2km、29駅で運営されている。

現在(2009年2月)の運賃は一律400Sum、昨年までは300Sumであった。乗車すると
きはトークン(珍しいプラスチック製、ブルー)を窓口で購入し、改札のポスト
に入れる。降車時の改札はない。入り口と出口があり、ウズベク語で書かれてい
るようだが理解できないので人の流れを読んで行動した。以下、路線の要約。

1. Chilonzor Line(15.4km、12駅)、1977年開業
2. Ozbekiston Line(14.8km、11駅)、1984年開業
3. Yunusobod Line(6.4km、6駅)2001年開業、現在延伸中
4. Sirghali Line(8km)、計画中
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

鉄道システムは、モスクワタイプの4両編成で100mのプラットホームを使用してい
る。軌道は1524mmゲージで第三軌道から電力(825V DC)を供給している。平均駅間
は1400m、営業速度は 46 km/hである。ホームから第三軌道を確認しようとしたが
よくわからなかった。

運営は国営企業であるToshkent Metropoliteni、一日当たりの乗客数は45万人と
のこと。営業時間は06:00 - 1:00、ピークアワーの運行頻度は2分間隔である。
(本当かな?)

▼タシュケント地下鉄駅の装飾
地下鉄駅が29駅あるが、同じデザインはない。それぞれ各駅にテーマがあり構内
のデザインは建築家とウズベキスタンの芸術家によりデザインが決められ、内装
はメタルの彫刻、ガラス、プラスチック、花崗岩、マーブル、陶磁器、石膏など
が使用され、一駅一駅特徴のあるデザインが施されている。

それらを説明する資料があるのだろうけど簡単には辿り着けそうにないのが残念
だ。

いくつかの駅の観察から、地下鉄駅の装飾はウズベキスタンの産業や文化を反映
して綿花をモチーフにした照明の駅(Ozbekistan LineのUzbekiston駅)、モスク
内部のようなデザインの駅(Alisher Navoiy)等、見受けられた。同じくOzbekis
ton LineのOybek駅からYunusobod LineのMing Oriq駅への連絡通路は松明の明か
りで照らされた洞窟を歩いているような装飾と照明だ。

Yunusobod LineのBodomzor駅(Internatinal Business Center、インターコンチ
ネンタルホテル)はアールヌーボーのようだ。その他、宮殿のようなPakhtakor駅、
Pushkin駅、Chilanzar駅、Druzhby Narodov駅がある。

写真が撮れないので何らかの離れ業で撮影した写真を掲載しているサイトを紹介
する。撮影禁止になったのは1999年のテロ以降なのでそれ以前に撮られたものな
のかもしれない。

都市鉄道のサイト、こちらに若干駅構内の写真が掲載されている。
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

駅をクリックすると画像へリンクしている。
http://www.metrosoyuza.net/

▼撮影禁止
各地下鉄駅にはセキュリティガードが常にパトロールしている。ホーム構内、地
上といたるところで見かける。地下鉄構内は軍事施設として位置づけられ、もち
ろん撮影禁止になっている。

参考サイト
http://www.tashkent.org/uzland/subway.html
http://meta.metro.ru/tashkent/tashkent-e.html
http://metroworld.ruz.net/others/tash_index.htm (ロシア語)

▼為替レート
1USD=1439Sum (中央銀行商業売りレート)2009年3月27日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
身近な交通機関で毎日のように乗車する地下鉄ながらその情報へのアクセスは非
常に遠い、ウズベキスタンの現在の国情を反映しているのだろう。

地下鉄観光ガイドブックでも出版できるほどなのだから残念だ。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第21号 2009年4月5日
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