2009年7月31日金曜日

「世界の街角からMM」第27号 ウズベキスタン概況1 2009年7月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第27号 2009年7月31日
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第27号はこれまでウズベキスタン概況を若干レポートしましたが仕切りなおし、
ウズベキスタン概況(1)です。
▼目次
ウズベキスタン・概況1
■地理
■政治
■経済
■■編集後記
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■地理
ウズベキスタンの面積は447,400km2でモロッコの面積と概ね等しい。これは世界5
6番目の面積であり、人口規模では42番目である。CISでは5番目に広く、3番目に
人口が多い。ちなみに日本は37万km2。

ウズベキスタンは、東西1425km、南北930km、北及び北東は、カザフスタンとアラ
ル海に、南側はトルクメニスタン、南東はタジキスタン、北東はキルギスと国境
を接し、中央アジア諸国全てに国境を接している。また、ウズベキスタンは南部
でアフガニスタンと約150km国境を接している。

首都タシケントは人口は270万人(登録上は210万人、2008年)
タシケントは北緯41度16分、東経69度13分

直線距離でタシケントは主要都市から以下の距離にある。

東京から6,008km、  モスクワから2,790km、ウィーンから4,167km、
バンコクから4,305km、カラチから1,803km、 キエフから3,128km
ロンドンから5,241km、パリから5,154km
デリーから1,579km、 テヘラン1,666km
http://gakusyu.ne.jp/linksyu/earth.htm

ウズベキスタンは乾燥した内陸国で、隣接する国が全て内陸国である二重内陸国
である。その他の例ではリヒテンシュタインが二重内陸国である。国土の約10%が
河川やオアシスを水源とする灌漑農業地でその他は砂漠(Kyzyl Kum)と山岳地帯
である。

ウズベキスタンの最高峰は南部Surkhandarya Province、Gissar Rangeの4,643mで
あり、ドゥシャンベの北西となるタジキスタンの国境になる。以前は第22回共産
党大会(the 22nd Congress of the Communist Party)と呼ばれていたが、現在、
名称はない。首都タシケントの標高は455mである。

気候は大陸性気候で降雨量は少なく年間100-200mm程度で、夏季の平均気温は摂氏
40度になり、冬季の平均気温は摂氏0度である。

主要な都市は首都であるタシケントをはじめ、ブハラ、サマルカンド、ナマンガ
ンである。

ウズベキスタンの時差は、UTC/GMT +5 時間、夏時間無しである。

■政治
国家元首である大統領は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国大統領であったイ
スラム・カリモフが独立以来その職にある。2002年1月に行われた国民投票の結果、
大統領の任期は5年から7年に延長された。首相と副首相は、大統領が任命する。

議会は、アリー・マジュリス(Oliy Majlis)と呼ばれ、一院制で任期5年、250議
席。2002年の国民投票の結果、次期選挙から二院制に移行することとなった。 現
在、旧ウズベキスタン共産党から改組されたウズベキスタン人民民主党を中心と
する諸政党がイスラム・カリモフ大統領の支持勢力として議会を支配している。

カリモフ大統領はウズベキスタンの独立後、自己献身・国民民主党に所属してい
たが、2007年にウズベキスタン自由民主党に党籍を移した。いずれの政党も、カ
リモフ政権の支持政党である。

憲法では民主主義が謳われ、行政が甚大な権力を持ち、法の力は微小である。199
5年12月27日に行なわれた国民投票により、カリモフ大統領の第一任期が終了し、
2002年1月27日の国民投票では、憲法上の大統領任期が5年から7年へ延長された。

さらに、2007年12月、国会においてカリモフ大統領の任期延長が可決されたが、
多くの国際オブザーバーはその手続きに参加することを拒否され、結果は認識す
るに至らなく、手続きに関して国際基準に満たないとしている。

2002年の国民投票で、2院政が含まれ下院(the Oliy Majlis)と上院(Senate)が設
立され、2002年12月26日に2院政の新国会議員選挙が実施されたが真の独立系及び
野党は参加できなかった。

OSCE(The Organization for Security and Co-operation in Europe、欧州安全保
障協力機構)が派遣したミッションは選挙は国際的な民主的選挙基準に不適合とし
た。複数の政党は政府承認を得て設立されたが、ラジオや新聞などのマルチメデ
ィアと同様、両方とも政府の監視下にあるか稀に政治的なトピックを出す政党に
留まった。独立系政党は組織の設立や党員の募集、政治的な会議や記者会見が
可能となったが、それらの政党は、制限的な登録手続きの下、登録拒否されている。

■経済
他のCIS諸国同様、独立直後のウズベキスタン経済は後退し、1995年以降、市場経
済改革の結果回復していった。1998年から2003年までは年率4%の成長を示し、そ
の後は年率7-8%と強健な経済成長となった。

IMFの予測によれば、2008年のGDP成長は1995年の概ね2倍の金額(コンスタントプ
ライス)となり、2003年以降のインフレは年率10%以内で推移している。ウズベキ
スタンの一人当たりのGNIは低いレベルで推移し、2006年値でUS$610、PPPでUS$2,
600である。ウズベキスタンの一人当たりのGNI(PPP)は全世界209カ国中、169位
に位置し、CIS12か国中、10位、その下位にはキルギス共和国とタジキスタンだけ
である。

産業は一般消費材に集中し、ウズベキスタンは第6位の綿製品の生産国且つ世界第
2位の綿花輸出国である。また、金は、世界第7位の生産国であり、天然ガス、石
炭、銅、石油、銀、ウランを産出する。労働人口の28%は第一次産業に従事し、GD
Pの24%に寄与している(2006年)。

他方、公式失業率は非常に低く、特に地方の就業率は最低でも20%と予測されてい
る。綿花の収穫時期には全ての学生や教師が無給で借り出される。また、子供が
労働力として使われているため、Tesco、 C&A、Marks & Spencer、Gap、H&Mの企
業によるウズベキスタン綿花のボイコットをもたらした。

ウズベキスタンの首都であるタシケントは、独立を勝ち得たことにより、山積す
る経済的なチャレンジに直面している。政府は、特に輸入削減とエネルギーの自
給体制のため政府管理を強化した改革方針を採用した。

1994年以降、政府管理化のメディアは政府の代弁者としてウズベキスタン経済モ
デルの成功を重ね重ね伝え、唯一の漸進的な市場経済性への円滑な移行であり、
ショック、貧困、不景気を回避したと示唆した。

漸進改革主義は重大なマクロ経済と構造改革を先送りにし、官僚主義の手中にあ
る国家は経済の中に支配的な影響として残留した。不正は社会に浸透し、時の経
過とともにより蔓延っている。2005年のウズベキスタンにおける不正インデック
ス(Corruption Perception Index)は159か国中137位であったが、2007年には17
9か国中175位と最低レベルにランクされた。

2006年2月、International Crisis Groupによるレポートは、主要な外貨獲得産品、
特に綿花、金、トウモロコシ、天然ガスは、非常に限定された少数のエリート集
団により供給されていると報告している。

Economist Intelligence Unitによると、政府は独立した民間部門の開発を許可す
ることには冷淡であり、管理推進することはしないだろうとしている。そして、
国家的な中産階級と一般的な中所得者クラスは経済的には、結果として政治的に
も相容れない。

経済政策は外国投資を寄せ付けず、CIS諸国の中では最低の一人当たりの外国投資
額である。長年、外国企業によるウズベキスタン市場への投資に対する巨大な阻
害要因は、通貨の交換の困難さである。2003年、政府は全ての兌換性の条件であ
るIMF8条の責務を受け入れたが、厳しい通貨管理と隙間のない国境管理が若干減
少しただけである。

ウズベキスタンは年率約1,000%のインフレを独立直後の1992-1994年に経験し、安
定策として実施されたIMFのガイダンスを直ぐに破棄し、その後1997年のインフレ
は50%まで下がり、2002年には22%まで下がった。2003年以降の年率インフレは10%
以下で推移し、2004年には3.8%まで急速に下がった。他方、市場価格ベースの他
の予測では15%のインフレ率だった。2006年にはインフレは6.9%、2007年には7.6
%となり一ケタ台で推移している。

ウズベキスタン政府は多くの輸入規制を実施し、高い関税率を課している。物品
税は国内産品の保護のため差別的に採用し、関税率は非公式な税と合算となり、
税率は実際の価格の100-150%と同様な額になる。つまり2倍以上ということであ
る。輸入代替品は公式に政策で謳われており、政府は得意げに輸入された日用品
の量が半減したと報告している。多くのCIS諸国はウズベキスタンからの輸入関税
を免除している。

1994年、共和国証券取引所タシケント(The Republican Stock Exchange (RSE)
Tashkent)が開設され、株式の売買、不動産取引、国家投資基金、国家証券保
管所を含んでいる。JSCの株式は毎月売買されず、資本市場は広範囲に多様である。

主要輸出品目である金及び綿花の国際市場価格の上昇や天然ガスの生産増、輸出
産品の増産、労働移民の増加(GDPの9-11%(2003-2005年)に相当する外国からの
送金)、外貨準備高の増加、2倍以上に高騰した金価格(US$3Billion)により、20
03年以降、ウズベキスタンの対外的な位置付けは強固である。

▼為替レート
USD1=1503Sum (中央銀行商業売りレート)2009年7月24日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
2ヶ月近く空いてしまった。その間、ウランバートル出張、日本出張等なにかとタ
イトな期間だったが、ここで仕切りなおし、再度、ウズベキスタンについてのレ
ビューです。なかなか実態が見えてこないですね。これはドラフト概要版の位置
づけです。

ウズベキスタン・概況2(予定)
■人口
■言語
■通信
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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発行責任者:飯尾彰敏
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