2009年10月23日金曜日

【世界の街角からMM】 第34号 アート・ウィーク in Uzbekistan 2009年10月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第34号 2009年10月19日
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10月12日から17日まで開催されたアート・ウィーク in Uzbekistanです。
▼目次
■ウズベキスタン・アート・ウィーク
■■編集後記
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■ウズベキスタン・アート・ウィーク
ウズベキスタンの首都タシケントで、10月12日から17日まで、芸術やファッショ
ンの祭典「Style.uz Art Week」が開催された。今年で3年目、ラインアップは”
VALENTINO”、”Sonia Rykiel”、”Oscar De La Renta”らのファッションョー
や”CHOPARD”のジュエリーコレクション展示など、ちなみに、ウズベキスタンの
デザイナーによるファッションショーが16日に芸術文化センターで開催された。
http://style.uz/

http://style.uz/en/news/all-roads-lead-to-valentino/

最終日となった17日土曜日には、英国人歌手”Sting”のコンサートがナボイ劇場
(Alisher Navoi State Academic Bolshoi Theatre)で行われた。ただし、入場
料は最低200米ドルからとのこと。最高の席は2000米ドル、知人が問い合わせた時
は1000ドルからだった。チャリティーという名目だそうだが庶民には、外国人で
も、手が届かない。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2653294/4765998

このstyle.uz Art Weekは同国でファッション、ビジネス、政治など幅広く活躍す
るグルナラ・カリモワ(Gulnara Karimova)、この国で最も有名な女性だろう、
が率いるForum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundationの主催。

過去には、”Dsquared2”、”Guy Laroche”、”Kenzo Takada”らも招待され、
ファッションショーなどのイベントを開催した。今年は”Kansai Yamamoto”が招
待されたが都合がつかなかったようだ。
http://j.fj1.jp/?eid=942804

◆ウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金(ファンド・フォーラム)について
ファンド・フォーラムは国内の科学、文化、教育、スポーツを支援するために200
4年2月に設立され、若い才能と創造的な支配層を支援する著名な科学・文化の代
表者の知的リソースを統合するウズベキスタンの国民的伝統と強力な精神的可能
性の復活、さらにウズベキスタンの独自で豊かな歴史遺産と現代文化、芸術の多
様性に関する完全な情報の提供を目的に設立された。

ウズベキスタン文化芸術フォーラム(日本語サイト)
http://www.uzf.or.jp/

Forum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundation
http://fundforum.uz/

このサイトは露語、英語、日本語

■■編集後記
今回は、秋のエベント、「ウズベキスタン・アート・ウィーク」でした。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第34号 2009年10月19日
発行責任者:飯尾彰敏
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公式サイト2:http://www.iio.org.uk (photo gallery)
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
問い合わせ:iio.tokyo@gmail.com
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【世界の街角からMM】 第33号 ラトビアの首都リーガ(1) 2009年10月12日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第33号 2009年10月12日
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ラトビア・リトアニア紀行です。これまでの中央アジアから趣向を変えてちょっ
と垣間見たバルトの国々です。先ずはラトビアの首都リーガ(1)です。
▼目次
■バルト三国への思い
■リーガ(1)
■■編集後記
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■バルト三国への思い
◇背景
1985年6月、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸横断を計画していたとき、
モスクワの後、当時、ソヴィエト連邦だったラトビアのリーガへ立ち寄り、ワル
シャワへ貫けるルートを検討していたが、ホテルが取れず断念した。その後、再
挑戦を試みるべく2000年9月にバルト三国、既に独立、へウィーン経由でリーガへ
飛ぶ計画を立て、航空券を買う直前で勤務先から横槍が入り先送りになった。
(ソ連旅行 http://1985.iio.org.uk)

◇3度目の正直でラトビアとリトアニアへ
前述の通り、2度計画が流れたが、2009年に入り中央アジアのタシケントで仕事を
することになった。幸いなことにタシケント-リガ間に直行便が就航しているこ
とを知り、更に9月下旬には5連休があることがわかった(日本も5連休、19日か
ら)ことから、バルト三国行き計画が再燃した。

◇初秋のラトビアとリトアニア
休日の日数とフライトスケジュールの関係(9月18日02:35発、22日01:35着)で、
ラトビアとリトアニアの2カ国に絞りプランを練り、ラトビアの首都リーガ、そし
て、リトアニアの首都ヴィリニュスと旧首都のカウナスへというスケジュールを
組んだ。タシケントからAirBalticでリーガへ、そして、ヴィリニュスとカウナス
への移動はバスを利用することにした。 

◇旅程
9月18日(金)Tashknt-Riga BT473 Dep.02:35 Arr.05:55, Riga stay

9月19日(土) Riga-Vilnius by Bus (Eurolins) Dep.09:45 Arr.14:00, Vilnius
Stay

9月20日(日) Vilnius-Kaunas-Vilnius-RIga by Bus, Riga Stay

9月21日(月) Riga-Tashkent BT742 Dep.18:35, On board

9月22日(火)+1 Arr. 01:30

■リーガ
◆リーガ国際空港、バスで市内へ
西側の空港と変わりない通常の空港だが、なぜかホッとした。いつもはかなり気
を張っているからだろう、何ゆえにそんなことまでしているのか不思議だし、一
体我々はどこからやってきたのかと考えてしまう。荷物も直ぐに出てきたし入国
審査も税関もスムーズ、ただし税関の女性係官のスカートの丈がミニスカートに
近いのはなぜ?単に非常に背が高かったので短く見えただけなのだろうか、そん
なことを考える余裕があるということは違う世界に辿り着いたという証だろうか。

空港からリーガ市街へのアクセスは、タクシーかバスになる。早朝着いたがとり
あえずLonely Planetの案内にしたがってバス乗り場へ行く。その前に、バス代が
ないので両替所へいく。100ドル交換したが、思いっきりレートが悪く、43LVし
かない。町中だと47は最低ラインだが。

出発ロビーに観光案内所があることを後から知ったがこれはうっかり忘れていた。
でも早朝から開いていたのか疑問だ。

空港前の駐車場を横切り、その先に見えたバス停までスーツケースを引っ張りな
がらガラガラと歩く、思わす途中で空港の写真を撮った。こんなこと、タシケン
トでは出来ないからな。

空港はリガの旧市街からは8.5km程度、22番線か22A番線に乗るとリガ駅前に着く。
バスチケットは運転手からでも購入可能だが、事前に売店で購入したほうが安い。
(運転手からだと0.2LV高い、その分、手間が増えるので仕方がない。0.4/0.6
LV.)こういう点は非常に合理的に且つ徹底しているのに驚いた、当然といえば当
然なのだが。

早朝の車窓からは、所々共産主義の風景が見えたがそれでも東のほうの国とは大
違い、やはり、ここはヨーロッパだと感じた。バスはダウガワ川左岸から橋を渡
って右岸へ、そして右折し川沿いの走り、その先に鉄道橋が見えた、どうやらこ
の辺りが旧市街のようだ、ということはもう直ぐ降りなくてはと思い、乗客に聞
く次だという。

実際、ホテルに近いバス停から一つ前だったのだろうか、Stockmannの前で降り、
歩道をガラガラとスーツケースを引っ張り予約しておいた駅前のHotel Irinaを地
図を見ながら探す。本当に駅前のホテルだと感心し、地下道をくぐり反対側へ出
て早朝の歩道を歩きながらホテルへ辿り着いた。

早朝チェックインを予約しておいたはずだが、これは10Euroチャージされる、
にもかかわらず部屋が開いていないと眠い顔をしたレセプションが言うので荷物
だけ預け、昼過ぎに戻ると託してホテルを後にし旧市街へ向かった。

リーガの公共交通は、トラム、バス、トロリーバスが運行されており、概ねこれ
でことが足りる。一日(24時間)乗車券、1.5Ls。
http://www.rigassatiksme.lv/

◆早朝の旧市街を散策
天気予報は曇りだったし実際ホテルに辿り着くまでも曇りだったがやや天気の良
くなるような雲行き、そんなこととは別にリーガまでやってきたことに我々は興
奮、少しでもたくさん見ようと空港のバス停で合流した元気なパリの日本人留学
生と地図を見ながら勇んで出かけた。彼女はトランジットなので11時には空港に
戻らなければならないことを前提に進めた。何しろ皆始めてなので見るもの皆珍
しいし、チョコレートショップなどもパリの街角にいくらでもありそうだが東の
国からやってきた物見遊山なこのグループは、感嘆詞ばかり吐きながら街を歩い
た。

ホテルを出たのが8時近い時間だった記憶、何をどうみたのかあまり記憶に残って
いないが、先ずはコーヒーを飲みながら落ち着いてどのように観光するのか話そ
うとカフェを探すもなかなかない、Garelija Centrsにあるというが、9時になら
ないと開かない。すれ違う人がコーヒーを持っていたのでどこで買ったのか聞い
たりしたが、これはコンビニでコーヒーが売っていたがテーブルがないので諦め
先を急ぐ、歩きながらこの建物がどうのこうの、この先の道があの建物に繋がる
とか結局歩きながら話をして観光ガイドに掲載されている名所(下記)は概ね制
覇してしまった。そのようなスケール感なのだろうか、兎に角リーガ旧市街を概
観するには丁度良かった。

St.Peter's Lutheran Charch
Blackhead's house
Museum of Occupation
Dome Cathederal
St.Jacob's Cathederal
Parliament
Three Brothers
Riga Castle
Jacob's Barracks

早朝から歩きまわったのでそろそろ休息タイム、それにトランジットの留学生は
時間が限られている、やはりどこかで腹を満たそうとバス停に戻る途中のValnu
ielaのカフェに飛び込んだ。表のメニューにあったコーヒーの値段が並だろうと
の判断からなのだが地の利がないので見つけたところで入らないと時間だけが過
ぎていく。

暖かいカフェの中で一息、少しお腹も満たそうとメニューを目を凝らして見たが
良くわからないのでウエイトレスに聞いてみると直ぐに食べられそうなのはケー
キ類とピザだけ、よってピザとコーヒーを注文した。

この街はロシア人の比率が45%近いのでロシア語かと思いきや英語で問題なくコミ
ュニケーションができたので我々にとってはこの上なく楽だ。もちろんロシア語
も通じるのだろうが。所々でロシア語は聞こえていた。

旧市街は世界遺産に登録されている、それなりの歴史的な遺産だと思うがいかん
せん予習をしていないので何がなんだか良くわからないが、第二次世界大戦で戦
災に遭っているので相当な建物が復元されていると思われる。尖塔を持つ
St.Peter's Lutheran Charchや広場に面したBlackhead's houseもそのようだ。

◆フォトギャラリー
Riga Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438045594/

アールヌーボー
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313647277/

リーガの公共交通
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438760342/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
息抜きのラトビア・リトアニア紀行、お天気良く、最高の週末プラス旅行でした。
次回はリーガ(2)です。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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2009年10月11日日曜日

【世界の街角からMM】第32号 アスタナ、アルマトイ出張での不運 2009年10月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第32号 2009年10月5日
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アスタナ、アルマトイ出張での不運編です。
▼目次
■アスタナの運
■アルマトイの運
■■編集後記
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■アスタナの運
8月31日から9月4日まで3ヶ月ぶりにアスタナとアルマトイへ出張した。まだ夏の
終わりだと思っていたらいきなり気温7度、凍えそうになってしまった。

今回の出張は、何かと問題が多い。前回もアルマトイで問題(スーパーマーケッ
トに預けたLonely Planetが置き引きにあった)があったが。カザフスタンとは相
性が悪いのか、今回は、車の問題、インターネットの問題、寒さ、そして、究極
はアルマトイ行きフライトのキャンセルだ。Air Astana、この地域では最も信頼
している航空会社なのだけどね。

これで重要な会議に出られなくなってしまった。今回の出張、この会議が主目的
のようなもの、されてと慌てても仕方がないので次のフライトまで空港でコー
ヒーを飲みながら、これを書いている。(当時のまま)

気分的には先ほどアナウンスのあったフランクフルト便にこのまま乗ってヨーロ
ッパへ行ってしまいたい。

”神に見放されたら自分の手で運を掴むしかない。”これは落書きだが。

インターネットに接続できる環境が整っているということはさすがはカザフスタ
ンというべきだろう。ポジティブに考えれば、これだけ不運が続いたのだから、
これからは運が向いてくるだろう。

■アルマトイの運
アスタナに引き続き、これぞと言わんばかりに不運が続いた。アルマトイへ移動
したら運の向きが変わるかと思いきや、そのまま継続し、タシケントまで引きづ
ったのです。

9月1日、アルマトイに到着した時には既に会議が終了していた。必要なことはタ
シケントから直行した人が伝えたので問題なし、翌日、会議メンバーと別の会議
で顔を合わせ、内容確認。これは、アスタナでフライトがキャンセルになったの
で仕方がないのだが、アルマトイ空港でのピックアップを再確認したのにまた車
がいない。

アスタナから便名と時間まで伝えたのに、とほほ。ホテルに確認したら、聞いて
いないだってさ、レセプションは責任回避するばかり。安ホテルだから期待する
のは無理があるのだろうか、アスタナのホテルは忘れていましたと認め、ワイン
の小瓶が部屋に置いてあったので救われた気分になった。

それで、アルマトイのホテルでレセプションの人に何時からこのホテルで働いて
いるか聞いたところ2ヶ月と言う答えが多かった。道理で新顔のはずだ、3ヶ月前
にこのテルに泊った時にいなかったのだ。それにしても、受けたことには責任を
持ってほしいものだ。

HyattとかInterContiとか300ドル相当を出して泊ればこういう煩わしいことはな
いのだろうが懐が許さないので悩みどころだ。カザフスタンのホテルは今年2月に
25%の通貨切り下げを行ったのそれ相応にお安くなっているのだが、それでもコス
トパフォーマンスはまだまだ低いのが現実だ。

空港ピックアップは、支払の煩わしさ(ホテルで依頼する料金と概ね同じである
こととホテルでクレジットカード決済が出来る)からホテルへ依頼するようにし
ている。前回はまったく問題がなかったが、今回はこんな調子。バラつきが多い。

アルマトイに到着した夜、究極の一発がやってきた。眼鏡が洗面台から落ちてレ
ンズが割れてしまった。古いのでガラス製、床はタイル張り、洗面台の高さから
落ちたら割れますね。そして、追い討ちをかけるように最終日の夜半、寝ようと
思ったら悪寒が来て発熱、これはタシケントまで引きづることになる、翌日は通
常通りこなさなければならず、早めに切り上げたかったが要人に会ってほしいと
いうので旧閣僚会議ビルに入居しているお役所へ出向いた。これは仕事面ではか
なりプラスになるだろう。

まとめる必要はないけどリストにしてみると以下の通り。
8月31日、タシケントからアスタナへ移動、RJ85のはずがIL144で3時間を要した。
8月31日、アスタナ空港に迎え来ず(ホテルが忘れていた、電話して車を待つ)
8月31日、アスタナのホテル、インターネット不通(いつもは快適)
9月1日、気温7度、コートが無いと寒くて外を歩けない、もちろんスーツは夏用だ。
9月1日、KC854 15:40発アルマトイ行き、キャンセル、理由を尋ねるも不明。これ
で今回の最重要会議へ出席が出来なかった。
9月1日、次のKC680 17:20発でアルマトイへ移動、アルマトイ空港へ迎え来ず、ま
たか!
9月1日、洗面所で眼鏡が床に落ち、割れた。(予備を持ってきていたので問題な
し。)
9月1日、アルマトイのホテルもインターネット不通(1日以上かかって復旧)
9月3日、夜半に発熱、原因不明。(9月4日は仕事をこなし、20:15の便でタシケン
トへ戻る、そのまま、ベッドで横になり、5日もそのまま、薬を飲んで9月6日現在、
概ね快復)

これだけまとまって不運がやってきたのは珍しい、仕事の面では概ね予定を満た
せたと思うので結果良しとしたい。

アルマトイは何時来ても気持ちが良い、前回(5月中旬)は公園や街路樹に多く植
えられているマロニエの花があちこちに咲き、ロシア時代の歴史的な建物が背景
になり、お洒落な女性が闊歩し、そこはパリかと思わせつつももソ連時代のごつ
いデザインの建物や派手目な屋外広告等が視野に入ると現実に引き戻される、そ
んな味わいがある街だ。

5月に来た時にスーパーマーケットに預けたLonely Planet Cntral Asiaが置き引
きにあったが、それが弁済され、同じのが手元に届いた。これはアルマトイの友
人に感謝。

ナイトライフもなかなか面白い、ラマダン期間中でやや控えめだというが、ウズ
ベキスタンにはない華やかさと文化がここにはある。2011年には第7回アジア冬季
競技大会がこの地で開催(アルマトイ・アスタナ)される。

まだ、全快ではないが不運メモを公開することにする。
(当時)

■■編集後記
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
今回は不運編でした。

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2009年10月5日月曜日

【世界の街角からMM】第31号 ウズベキスタン概況4 国際関係 2009年8月23日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第31号 2009年8月23日
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ウズベキスタン概況4(国際関係)です。
▼目次
■国際関係
■■編集後記
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■国際関係
1991年、ウズベキスタンはCISに加盟、しかし、再統合に反対し、1999年、CIS集
団安全保障機構から脱退した。それ以後、ウズベキスタンは内政安定化への脅威
を緩和する姿勢からCISタジキスタン平和維持軍と国連が組織したタジキスタンと
アフガニスタンの紛争解決協力のため参加した。

ウズベキスタンは軍事予算の約25%相当にあたる500万米ドルに及ぶ援助を2004年
に米国から支援されワシントンに待遇されていたが、2005年のアンデジャン事件
以降、政府は米軍がアフガニスタンで行なっていた軍事活動のため借用していた
Karshi-Khanabad空軍基地の使用許可を取り下げた。ウズベキスタンは米国が世界
的に展開している対テロリズム活動への積極的な支持者であり、アフガニスタン
及びイラン両国との取引の連携に参加していた。

米国とウズベキスタンの国際関係は、グルジアやウクライナ、そして小規模では
あるがキルギス共和国で起こった一般的に呼ばれているカラー革命以降、悪化し
た。アンディジャン事件における独立した国際的な機関による調査に米国が参加
したとき、更に関係が急速に悪化し、カリモフ大統領は、ウズベキスタンのリー
ダーとして断定された人権侵害を批判しない中国とロシア寄りの政治的同盟へと
方針を変更した。

これを受け、2005年7月下旬、ウズベキスタン政府は米軍が使用しているアフガニ
スタン国境に近いKarshi-Kanabad空軍基地に対して180日以内に撤退するよう命じ
た。カリモフ大統領は米国での911直後、米国へ空軍基地の使用を申し出ていた。
また、ウズベキスタンではアンディジャンでの暴動は米国及び英国の影響を受け
た地区から波及したとも信じられている。これには他の理由があり、ウズベキス
タンと西側諸国の間に強い敵意がある。

ウズベキスタンは1992年3月2日以降国連、EAPC(Euro-Atlantic Partnership
Council)、PfP(Partnership for Peace)、OSCE(Organization for Security
and Cooperation in Europe)の加盟国である。また、OIC(Organization of
Islamic Conference)、ECO(Economic Cooperation Organization)に所属して
いる。

EAPC:
http://www.nato.int/issues/eapc/index.html

PfP
http://www.nato.int/cps/en/natolive/topics_50349.htm

OSCE
http://www.osce.org/

OIC
http://www.oic-oci.org/

ECO:アゼルバイジャン、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、キルギ
ス共和国、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンの1
0ヶ国。
http://www.ecosecretariat.org/

1999年、ウズベキスタンはGUAM(Georgia, Ukraine, Azerbaijan and Moldova)同
盟に加盟し、GUUAMとなったが2005年脱退した。

GUAM
http://guam-organization.org/

ウズベキスタンはSCO(Shanghai Cooperation Organization)にも加盟しタシケ
ントでRegional Anti-Terrorist Structure (RATS)をホストしている。また、200
2年、CACO(Central Asian Cooperation Organization)に加盟したが、2006年1
月25日にウズベキスタンがユーラシア経済共同体(EAEC or EurAsEC)に加盟が実
現したことにより、事実上、OCAC(CACO)はEAEC(EurAsEC)と統合され解体した。

この地域的な枠組みの全容を掴むのは未だ苦戦しているのでまたの機会にレビ
ューしたいと思う。

SCO
http://www.sectsco.org/EN/

SCO RATS
http://www.ecrats.com/en/

CACO
http://www.photius.com/eaec/

EurAsEC
http://www.evrazes.com/

2006年9月、人権問題の批判にもかかわらずUNESCOはカリモフ大統領へウズベキス
タンの文化遺産保護に関する貢献に対して賞を授与したことは、ウズベキスタン
と西側の関係へのサインと見られている。

http://unescoeducation.blogspot.com/2006/09/uzbekistan-protest-over-award-for.html

http://www.openpr.com/news/11133/UNESCO-s-Borobudur-Gold-Medal-awarded-to-President-Islam-Karimov.html

2006年10月、ウズベキスタンの西側からの孤立改善が見られた。EUはウズベキス
タンと協議を行なうため人権と自由化に関する代表団を派遣することを表明した。

公式若しくは非公式とみらるアンディジャン事件(市民虐殺)の真偽性について
は曖昧にも関わらず、EUはに対ウズベキスタン経済制裁を解除することを明らか
に望んでいた。それにも関わらず、ウズベキスタン国民の間では、ウズベキスタ
ンにおける2004-05年の反政府活動が米英により推進されたという論拠から政府は
強固にロシアとの関係強化を維持すると見なされていた。

◆現在の国際関係
2005年のアンディジャン事件が岐路になり、ウズベキスタンは米国寄りからロシ
ア寄りへ傾いたまま、LukOilやGazpromが積極的に活動している。

2009年初頭にキルギス共和国政府からマナス空軍基地の撤退を要請された米国は、
再度、ウズベキスタンに近づきアフガニスタン国境に近いKarshi-Kanabad空軍基
地の再利用を模索していたようだが、6月下旬、オバマ大統領からの書簡によりマ
ナス空港の再利用が米国とキルギス共和国の間で再合意された。空港使用料はこ
れまでのUSD17millionからUSD60millionへ値上げされ、ロシアからはUSD150
millionの援助と2billionのローン供与をBakiyevは取り付けた。

ロシアは、ウズベキスタンと国境を接するフェルガナ盆地に位置するソヴィエト
時代に空軍基地だったOshにロシア軍が駐留することになった。これで、米露でこ
の地域の安全保障のバランスをとるということなのだろうか。

▼為替レート
1USD=1509 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年8月20日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
中央アジアの地域枠組み、高い壁ですね。それでその壁を越えたからといえ、ど
うなるわけでもなさそうです。これは歴史が証明してしているとおりです。

ウズベキスタン概況5(予定)
■文化
■自然環境
■地方行政
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。

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