Tuesday, 31 March 2009

【世界の街角から】アシガバート(トルクメニスタン)2 第19号 2009年3月31日

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メールマガジン「世界の街角から」          第19号 2009年3月31日
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今号はアシガバート(トルクメニスタン)滞在のレポート(2)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
アシガバート(1)
■トルクメニスタンへのルート
■トルクメニスタンへの入国
■アシガバートのホテル
■アシガバートのレストラン
■アシガバートの町の様子
アシガバート(2)
■アシガバートのショッピング
■トルクメニスタンのインターネット事情
■トルクメニスタンガイドブック
■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
■アシガバート国際空港からの出国
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■アシガバートのショッピング
会議に忙殺されていたのでサンプル数が非常に少ない。普段ならブラブラと町や
ショップを回りながら感覚を掴むのだが、これは次回に。補助金が支出されてい
るので生活必需品の価格は抑えられていると聞いた。

▼Yimpas
トルコ系スーパーマーケット、概ねなんでも揃う。3階がレストランになってい
る。隣が同じYimpasというビジネスセンターなのでランチは比較的混んでいる。
1階にランドリー、両替所がある。
Turkmenbashi sayoli 54

▼Russian Bazar
少し時間が空いたので運転手にTsUMへ連れて行ってくれとリクエストしたらここ
へ連れてこられた。統計委員会の前に旧TsUMがあったのでそこを意図したがそれ
はそれでよし。

私が行ったバザールがこのRussian Bazarなのか確認できていない。大きなマッシ
ュルームのような屋根構造でその中がバザールになっていた。バザールに隣接し
てショッピングセンターもあった。ショッピングセンターはショップの集まり、
確認しなかったが3階までショップがテナントとして入居している。トルコ製と
思われる靴とワイシャツの価格を確認したがイスタンブルの1.5-2.0倍近い値段設
定に驚いた。

バザールはバザール、そしてその周辺には生鮮食料品から衣料品まで何でも売っ
ていた。ここは中国製品、トルコ製品、ロシア製品など奇麗に陳列されていたの
が印象的だ。

▼その他

http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat/shopping

■トルクメニスタンのインターネット事情
2007年2月、新大統領が就任したとき、インターネットカフェ第一号ががアシガ
バートにオープンしたという記事を読んだことがある。それから2年経過している
が、インターネットは非常に遅いプログレスのようだ。

しかし、ドナーの支援もあって最近省庁がwebを公開し始めている。

http://ca.iio.org.uk/tm/tm-link.html

Nissa Hotelのレセプションに確認したところ、ビジネスセンターで利用が可能と
のこと。1時間8ドル?とか言った記憶。

利用できるという言葉をそのまま受け取ることは出来ないのが現実、遅くて繋が
らないというのがもっぱらの噂、これも次回検証の予定。

接続はダイヤルアップであると思われる。

■トルクメニスタンのガイドブック
Lonely Planet Central Asia(2007)とBradt Guide Turkmenistan (2005)を持参し
た。Lonely Planetのサイトにホテルやレストラン、ショッピングなどの紹介があ
る。

トルクメニスタンとアシガバートの地図をホテルの売店で購入したが、アシガ
バートの地図は情報が少ない。ただし、町の構造を確認するうえでは役に立つ。

トルクメニスタン
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan

アシガバート
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat

■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
在トルクメニスタン米国大使館のリンクに掲載されている旅行会社と旅行記であ
る。
http://turkmenistan.usembassy.gov/

▼旅行会社
Siyakhat
http://siyakhat.narod.ru/

Ayan Travel
http://www.ayan-travel.com/

Stantours
http://www.stantours.com/tm_mn_vis.html

▼旅行記
http://4travel.jp/overseas/area/europe/turkmenistan/travelogue/

http://4travel.jp/traveler/sunnyy/album/10185745/

http://4travel.jp/traveler/alexander/album/10316188/


■アシガバート国際空港からの出国
出国もCIPを利用しようとゲートへ行ったら、今日は大統領が出国するので利用不
可とのこと。よって一般出国ゲートへからの手続きとなった。

チェックインはマニュアル、搭乗券、荷物タグは手書きだった。よって、スター
アライアンス(トルコ航空)のマイレージなどもっての他だ。

兎に角、並ぶことが先決、そして、前へ進む。トルコ航空のイスタンブル便がト
ルクメニスタン航空のイスタンブル便とモスクワ便と重なるのでこの時間(早朝7
-8時)は混雑する。

チェックイン前に並び、荷物チェック、チェックインは手書き、そして、税関、
出国審査と続く。最初の荷物チェックを通過してしまえば人は増えないので並べ
ば手続きは進む。

ゲートには1時間半程度前に着いたがフライトが遅れたのでそこからその倍の時間
を待ったことになる。ゲートにカフェがあるので紅茶やスナックなどは手に入る。
ほかは何もない。そういえば免税店があったかどうか記憶にない。

空港アナウンスが英語でも行なわれているが注意深く耳を傾ける必要がある。待
ち時間、喫煙者はトイレの前が喫煙所になっているのでそこでタバコを吸える。

ボーディング・ブリッジがないので、搭乗はバスで駐機場まで移動する。タラッ
プを上り、トルコ航空機737-800の中へ移動した。席は窓側、進行方向左側をだ。
このリクエストはなんら問題なく受け付けられた。

その意図は、アシガバート、カスピ海、イスタンブルを上空から眺めるためだ。
離陸直後、イラン国境の雪を頂く山脈を背景にアシガバートの町を上空から確認
した。しかし、朝、4時半起床だったのと待ち時間が長かったので、その後、直ぐ
に寝入ってしまったようだ。

◆為替レート
USD1=2.85 New Manat
http://www.tfeb.gov.tm/eng/index.html

■■編集後記
ちぐはぐ、近代的な側面と非近代的な側面が同居している。空港の手続きはまっ
たくその通りだ。

大統領の出国のため(そう言われた)、出発が2時間近く遅れた。大統領がCIPな
ど使わないで専用ゲートがあってもよさそうなものだが、不思議だ。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。

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メールマガジン「世界の街角から」第19号 2009年3月31日
発行責任者:飯尾彰敏
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公式サイト:http://www.iio.org.uk (暫定サイト、メルマガ用は準備中)
問い合わせ:iio.tokyo@gmail.com
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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【世界の街角から】アシガバート(トルクメニスタン)1 第18号 2009年3月30日

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メールマガジン「世界の街角から」          第18号 2009年3月30日
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今号はアシガバート(トルクメニスタン)滞在のレポート(1)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
アシガバート(1)
■トルクメニスタンへのルート
■トルクメニスタンへの入国
■アシガバートのホテル
■アシガバートのレストラン
■アシガバートの町の様子
アシガバート(2)
■アシガバートのショッピング
■トルクメニスタンのインターネット事情
■トルクメニスタンガイドブック
■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
■アシガバート国際空港からの出国
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■トルクメニスタンへのルート
空路の場合、国際空港はアシガバートだけだろうからここが玄関になる。私の場
合、イスタンブル経由でアシガバートへ到着した。イスタンブル-アシガバート
は毎日トルコ航空により運行されている。フランクフルト-アシガバート(ルフ
トハンザ航空)は週4便、その他、バンコク、北京、デリー、ドバイ、
Moscow-Domodedovo等(トルクメニスタン航空)、モスクワ(トルクメニスタン航
空及びS7(シベリア航空)、タシケント(ウズベキスタン航空、週1便)等が運
行されている。

http://www.turkmenistanairlines.com/

http://www.thy.com/en-INT/

http://www.s7.ru/en/index.html

■トルクメニスタンへの入国
早朝、5時50分にアシガバート空港へ到着、合流する人が事前にCIPを申し込んで
おいたのでそれに従う。CIP待合室でパスポートとLOIを係員に渡し、待つことに
なったが、待てども待てどもなかなか入国審査が進まない。1時間半近く待たされ
やっとパスポートを持った係員が現われ、VISA代の支払いだ。

CIP: Commercially Important Person
LOI: Letter of Invitation

95米ドル(VISA)+2米ドル(領収書)=97米ドルを窓口で現金で支払い、それか
ら、入国審査だ。そして、荷物の受け取り。CIPだと荷物まで持ってきてくれ、お
茶まででるがどれほどの効果があるのか(こちらのが早いのかどうか)まったく
不明だ。CIP料金30米ドル也。

アシガバート空港施設は比較的建築年が浅いが、飛行機から直接ターミナルへ接
続するボーディング・ブリッジはない。

ホテルまでの移動は事前に予約していた車が迎えに来たので料金は不明だが、タ
クシーは安いとのこと。

■アシガバートのホテル
Nissa Hotelに宿泊、一泊65米ドル朝食別(3ドル)。部屋はツインが基本で広め、
テーブルが窓側にある。小さいがベランダが付いている。比較的清潔感のある部
屋とバスルーム、バスタブあり。

セントラルヒーティングと思ったが暖房はヒーターパネルを開けないとオンにな
らない。それに気づかず二晩も寒い思いをした。廊下のほうが暖かかったのだ。

ホテルの場所は中心街の外れだろう、交差点の角に立地している。ホテルの目の
前は真新しい建物、大学だという。周囲には商業施設はない。

レセプションはソヴィエト時代を思い起こさせるサービスレベル。ほとんどがロ
シア人だ。

土産物屋にトルクメニスタンとアシガバートの地図が売っている。それぞれ8 New
Manat。内容は、特にアシガバートのは限定的だ。

宿泊料金はクレジットカードで支払いが可能であり、AMEXとVISAのみ対応してい
る。手数料5%が課せられる。

Atabayev kocesi 18, Town centre
Ashghabat, Turkmenistan
35220 48 87 00/1/2/3/4

▼その他のホテル
http://hotels.lonelyplanet.com/hotel/?RegionId=2376

■アシガバートのレストラン
3箇所のレストランで食事をした。サンプルは少ない。
1)Yinpas(トルコ系スーパーマーケット)内のレストラン
トルコ系の料理だろう、スープとサラダで11New Manatだった。両方ともトルコで
の味と変わらない。
Turkmenbashi sayoli 54

2)HotelNissa内にあるイタリアン人経営のイタリアンレストラン
こんなところでイタリアンと思ったが美味しいとの評判だった。ランチ、ディ
ナーとも当日のメニューがある。それぞれ、25及び32New Manatだった。味はしっ
かりしている。普通に食べて10-15ドルだろう。酒代は別。ビールはトルコの
Efesとロシアのバルチカ、ワインはイタリアンのみ(それなりの値段)。宿泊し
ていたホテル内だったので何度か通った。

隣にバーがある。Efes 13 New Manat。23時以降、夜の蝶が飛び始める。

Hotel Nissa, Atabayev kocesi 18,
Tel.22 11 35

3)パイタクト
日本大使館のあるビル12階にあるロシア料理レストラン。料理は美味しい。アミ
ューズメントパークのような新市街地の夜景が見られる。

▼その他のレストラン
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat/restaurants

■アシガバートの町の様子
多忙なスケジュールだったので建物内にいる時間は長かったが、町の様子を見る
時間は車で移動しているときに限られた。よって、自分の足で歩いていないので
どこを移動しているのかなかなか掴めなかった。未だに地図が頭に入っていない。
よって五月雨的に目にしたこと、以下の通りです。

1)全国で約500万人、首都人口が70万人程度なので地方都市のイメージだが、新
しい建物、建設中の建物が多い。中心部の住宅は3階建てが多く、低密度だ。1948
年の地震により、町が崩壊したので現在の町はそれ以降の建設だ。

2)独立後、多くの建物が建て替えられたり、既存市街地の周辺に新築された。
新築されたビルは装飾照明が多く、夜間はアミューズメントパークの中にいるよ
うな感じ、建設工事用のクレーンまで装飾照明が施されている。

3)新規に建設された道路は既存の放射状道路の延長にあり、幅員広く直線が多
い、したがってこの町の特徴となっている。そのところどころに広大な公園があ
り、モニュメント、公共施設が配置されている。車がないと移動は困難だ。

4)ホテルのベランダから頂に雪を冠した山が見え、その手前に高層の新市街地
が広がっている。こんなに広い土地があるのだから高層にする必要は無いと思う
が。アシガバートに近いこの山(Kopet Dag)を越えるとイランだ。

5)アシガバートの交通はバス、トロリーバスが主体だ。トラムなど軌道系はな
い。

6)町の中の看板や標識などはロシア語は少なくトルクメン語が主であった。ト
ルクメン語はトルコ語とよく似ており、アルファベットも同じ、それだけ見てい
るとトルコに居るような印象だ。

7)どこへいっても新しいビルが多い。そして、エレベータは例外なく三菱電機
製だった。その多くはトルコ系建設会社、政府系は仏系建設会社ビュイックだと
聞いた。

8)政府にはトルクメニスタン人ばかりだが、ホテルはロシア人ばかりだった。
データがやや古いが1995年の民族構成はトルクメン77%、ウズベク9.2%、ロシア
6.7%(ソヴィエト末期の1989年には9.5%)

9)政府で働く女性は国民ドレスと言われる踝までのドレスを着ることが義務付
けられている。会議中、お茶を運んでくるの人はみな国民ドレスを着ていた。

10)市内を走っている自動車はトヨタなど日本製が多いし、中古車とて質が高
い。ドバイ経由の輸入車が多いとのこと。

11)補助金が支出されているので生活必需品の価格は安く抑えられている。

◆為替レート
USD1=2.85 New Manat
http://www.tfeb.gov.tm/eng/index.html

■■編集後記
初めてのトルクメニスタン、初めてのアシガバート、数日の滞在だったので実感
がないが、通信を除いて悪くはなさそうな印象だが、これは次回行くときに検証
されるものと思う。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第18号 2009年3月30日
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Sunday, 29 March 2009

【世界の街角から】観光ガイドブック(2) 第17号 2009年3月29日

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メールマガジン「世界の街角から」          第17号 2009年3月29日
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前号に続いて今号もいつもお世話になっている観光ガイドブックについてのレ
ポート(2)です。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼今号の目次はこちらです。
観光ガイド(1)-前号
■地球の歩き方
■Lonely Planet
■Bradt Travel Guide
観光ガイド(2)
■Let's Go Travel Guide
■Rough Guide
■Insight Guides
■Blue Guide
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■Let's Go Travel Guide
Let's Go Europeは最初に私が目にした日本語以外の個人旅行用観光ガイド(格安
旅行)だ。地球の歩き方がLonely Planetを参考にしたという記述を見かけるが私
はこのLet's Goシリーズがベースではないかと推察する。

それはそれとして、Let's Goシリーズは、ハーバード大学の学生により運営され
ている旅行ガイド会社(1960年設立、本社はマサチューセッツ州ケンブリッジ)
により出版されている。

最初のLet's Goは、1960年、ハーバード大学の学生であったOliver Koppellが
ヨーロッパへの学生チャーターフライトで配布した謄写版で印刷した20ページの
パンフレットだった。翌年の1961年には、ガイドブックの体をなしたLet's Goが
出版されている。初期のLet's Go(1960年代後期)は、例えば、バイク(自動二
輪車)による旅行や通りで歌いチップを得る等、自由な旅行を目指した傾向だっ
た。

最初のLet's Goはボスポラス海峡をフェリーで渡る事から始まりヨーロッパから
アジアへの旅行情報を含み、僅か4セントだった。

ガイドブックの編集は、旅行中の学生リサーチ・ライターが本社へ生情報や地図
を送り、これまでにない機知に富み率直な表現で作成された。

リサーチ・ライターは春に募集及び研修が行なわれ、大学が夏休みになる6月から
8月にかけて世界各地へ調査目的で派遣された。正確な旅行情報を得るためリサー
チ・ライターは最低限の費用をカバーする日当が支払われた。Let's Goに掲載さ
れている施設(カフェ、レストラン、ホステル、ナイトクラブ、史跡名勝、温泉、
国立公園等)はリサーチ・ライターが滞在し、推薦されたもののみ掲載された。
そして、Let's Goは夏季に編集、出版され、10月までには書店の棚に並んだ。

2008年現在、Let's Go Travel Guideは55シリーズ出版され、国ごとの旅行ガイド
から冒険ガイド、都市ガイド、自動車旅行ガイドまでカバーし、それらの多くは
毎年更新されている。シリーズの中でLet's Go Europeは格安旅行(Budget
Travel)ガイドとして世界的なベストセラーとなっている。私もこのガイドブック
には、もう20数年前になるがたいへんお世話になった。

1982年以降、Let's Go Travel GuideはSt. Martin's Pressから出版されるように
なり、2007年現在、St. Martin's Pressは、Let's Goとの契約更新をしない方針
で、2009年1月からはAvalon Travelが出版する。
http://www.letsgo.com/

■Rough Guides
Rough GuidesはRough Guides Ltdにより出版され、ペンギングループにより世界
中で販売されている。歴史は他のガイドブックと比べ新しく、1982年のギリシャ
が最初だ。Rough Guides Ltdは、FTやPenguin Groupを所有するPearson PLCが親
会社である。
http://www.pearson.com/

Rough GuidesはMark Ellinghamが既存の格安学生旅行ガイドブックと歴史文化に
特化したガイドブックに不満を持ち考案したとされる。初期は格安旅行ガイドを
目的にしたが、1990年代より高級志向の推薦を組み込むようになった。現在では、
全てのレンジをカバーし含、最近の版は比較的写真が多くなっている。また、オ
ンラインでも旅行情報を配信している。

Rough Guidesのモットーは"Make the Most of Your Time on Earth"とのこと。
わかるようなわからないような、日本人には難しいかもしれない。
http://www.roughguides.com/

個人的にはルーマニア版を購入したのが最初だが、私の行き先の国の版がなかっ
たりしてあまり利用していないが国や都市など詳細な記述が盛り込まれており、
ゆっくり読んでみたいガイドブックだ。

■Insight Guides
Insight Guidesはロンドンに本屋を置く旅行ガイド出版社で、1970年、
Hans Johannes Hoferにより設立された。最初のガイドブックは「Insight Guide:
Bali(1970」だった。それ以降、400種類のガイドブック、100以上の旅行先につ
いてガイドブックが出版された。1990年代後半、出版の権利がLangenscheidt KG
(ドイツ)へ売却された。
http://www.insightguides.com/

http://www.langenscheidt.de/

1991年だろう、初めてカルカッタへ出張した際、パークホテル入り口横の本屋で
Insight Guide Calcuttaというのを目にしたのがこのガイドブックとの初めての
出会いだ。表紙にロンドンの赤いダブルデッカーが傾いて、乗客がバスからはみ
出しぶら下がりながら走っている写真が掲載され、非常に印象に残っている。199
8年版も場所が違うような気がするが同様な表紙(下記web参照)だ。
http://tinyurl.com/cryzkx

その後、1992年から1994年にかけてバンコクで、また、1994年、ダマスカスのシ
ェラトンホテルでこのガイドブックを購入している。ダマスカスで購入した
Insight GuideはSyriaやDamascusではなく、お隣、トルコについてだったが、ガ
イドブックの写真や構成に惹かれたのだろう、それに、トルコにも。

このガイドブックの特徴はその国や都市を理解する上で必要な情報がまとめられ
ていること、その土地を表現するような芸術作品のような写真が掲載されている
ことに尽きる。

また、このガイドブックは紙が厚く重いため(印刷の質が高い)、携行にはやや
考えてしまうが読んでいるだけで楽しい旅行ガイドブックと言える。

■Bule Guide
最近目にするようになったが、歴史がある英国の旅行ガイドブックであるが、概
ねLonely Planetなどで事足りてしまうか、私が必要としている国のガイドが出版
されていないことによる。日本にも同じ名前のガイドブックがあるが関係がある
のだろうか。

Blue Guidesはその国や都市の歴史文化に沿った芸術や建築について特に詳細に説
明され知識レベルが高い旅行ガイドブックである。1918年、スコットランド人兄
弟JamesとFindlay Muirheadにより「London and its Environs」というタイトル
で出版されたのがBlue Guidesの初版である。

Blue Guidesの他、都市はVisible Citiesシリーズ、短期滞在・目的志向のために
はart/shop/eatが用意されている。

2004年、Somerset Booksに経営権が移った。
http://www.blueguides.com/

■■編集後記
これまで私が利用してきた、利用している観光ガイドをまとめてみました。新た
な国、新たな地域へ行くときは情報を探しまくりますがその時にはこれらのガイ
ドブックは大きな見方になってくれます。

また、再度訪れる国でも、ガイドブックの更新を確認しつつ、新たな情報を基に
して町を歩き回るのが楽しみの一つになっています。

日本語のガイドブックも検討していますが、30年を経過してもその差は埋まって
いない印象で、英語版のガイドブックに対して情報量と質の点で日本語版ガイド
が優位であるということは稀ということです。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第17号 2009年3月29日
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Monday, 23 March 2009

【世界の街角から】観光ガイドブック(1) 第16号 2009年3月22日

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メールマガジン「世界の街角から」          第16号 2009年3月22日
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今号はいつもお世話になっている観光ガイドブックについてのレポート(1)で
す。
出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
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観光ガイド(1)
■地球の歩き方
■Lonely Planet
■Bradt Travel Guide
観光ガイド(2)
■Let's Go Travel Guide
■Rough Guide
■Insight Guides
■Bule Guide
■■編集後記
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★Today's Topic-ロシア一の美女★
http://tinyurl.com/ahnehy

■地球の歩き方
あれよあれよという間に世界中の国と地域をカバーしてしまった日本語の旅行ガ
イドブック、説明は要らないほど日本人に認知されているのではないだろうか。

地球の歩き方はダイヤモンド社が1979年に北米及びヨーロッパ版を刊行したのが
始まり、ロンリープラネットを参考にしているというが趣は異なる。現在、アジ
ア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸、オセアニア各地と概ね世界中をカ
バーし地球の歩き方は100冊以上に上る。その他、ポケット、リゾート、地球の暮
らし方等のシリーズを展開し、その総数は200冊を上回る。国内の海外旅行ガイド
ブックのシェアは最大である。

当初は、個人格安旅行向けであったが、最近では、高級ホテルを多く掲載してい
る。また本書の構成が読者からの投稿を募り掲載していたことから主観的過ぎて
迷ってしまうことから「地球の迷い方」と揶揄された。これは多くの読者の意見
をそのまま反映したためであるが、最近では概ね改善しているように思われる。
更新は基本的に毎年更新版を出版しているが、その必要は全てに当てはまるもの
ではなく内容を充実させてほしいとも思う。

本書のモデルと思われるロンリープラネットに比べ、写真、地図等が多く、カ
ラー印刷が多いが、欠けている情報も多いとの指摘がある。

http://www.arukikata.co.jp/

構成は、個人旅行市場をターゲットとしたと思われ、それまでの旅行ガイドブッ
クが現地の観光情報中心のガイドであったのに対し、移動、宿泊、食事、ショッ
ピング、観光情報等の構成になっており、個人旅行者を中心に歓迎されている。

▼韓国版、中国版「地球の歩き方」
韓国には「世界を行く(Segyereul ganda)」というタイトルの「地球の歩き方」
にそっくりの旅行ガイドブックがあるが、これは地球の歩き方の版権をランダム
ハウスコリア社が購入して翻訳、出版したものである。 中国にも、「地球の歩き
方」と外見・中身が同じ物が販売されているが詳細不明。
(wiki)

▼地球の歩き方30周年
http://www.arukikata.co.jp/30th/

文句を言いながらも何かとお世話になっている地球の歩き方が発行されて30周年
とのこと、成田空港が開港した1978年の翌年の1979年、昭和54年にアメリカ編、
ヨーロッパ編が発行された。私が最初に目にしたのは1981年か1982年版だろう。

1983年、初めてヨーロッパへ旅行したときは「地球の歩き方」ではなく、翻訳本
で同じようなヨーロッパを一日4000円で旅行する云々というタイトルのガイドブ
ックがありこちらを利用した。なぜ地球の歩き方ではなかったかというと、多分、
航空券のパッケージに含まれていたのだろう。旅先では地球の歩き方を携行して
いる個人旅行者が多くお互いの情報交換をしたものだ。

当時、前述の通り、地球の歩き方は投稿者によっても支えられていた。これが良
し悪しで、主観的なことゆえ地球の迷い方と揶揄される原因ともなった。そうい
う私もブルージュで食べたバケツに入ったムール貝がとても美味しくて投稿して
みたところ、掲載されたことがある。

その後、1985年には東アフリカ編、初刊であろう、にお世話になり、ザンジバル
島からモンバサ、マリンディ、ラム島、ナイロビと旅行した。ジンバブエやザン
ビアは当時はカバーしていなかった。

日本人の海外旅行者数の伸びに伴って地球の歩き方シリーズは既に全世界をカ
バーするまでに成長したようだ。1983年当時、600万人だった海外旅行者数が現在
ではその3倍まで伸びていることから相乗効果が働いたのではなかろうか。なんと
いっても日本語のガイドブックでこれらの地域をカバーしている例が少ない。

最近でも出張に行く際は概ね地球の歩き方も購入している。日本語で書かれてい
ることや写真など判りやすい構成となっていることもある。同時にLonely Planet
やLet's Go シリーズ、Rough Guide、Bradt Travel Guideなども携行している。

地球の歩き方1980-81年版
http://blog.arukikata.co.jp/tatsujin/_15/2008/11/1980.html

■Lonely Planet
90年代はじめだろう、中米版を購入したのが初めて手にしたLonely Planetだ、そ
して今のサイズよりもう一回り小さいサイズだった記憶だ。本格的に使い始めた
のは90年代後半からではないだろうか、というのも出張先が概ね多くの旅行者の
行き先と変わらなかったからだが。

ロンリープラネットは、1972年、ロンドンのRegent's Parkのベンチで創業者であ
るクライスラーのエンジニアであったTony WheelerとMaureenが出会い、旅行好き
の両者が意気投合して結婚、新婚旅行のためトルコからイラン、アフガニスタン、
パキスタン、インド、ネパールとユーラシア大陸を横断しオーストラリアまで旅
行したことに起因する。

シドニーで、Wheeler夫婦はヨーロッパからの旅についての質問攻めに会い、新婚
旅行の間に書き留めていた日記をもとに、1973年「across ASIA on the cheap」
(94ページ、簡易製本)という最初の旅行ガイドブックを自費出版した。これが
Lonely Planetの始まりである。その後、ウィーラー夫婦は18ヶ月間、東南アジア
を旅行し、1975年に第2弾となる「South-East Asia on a Shoestring」を出版し
た。1976年には、「ネパールとヒマラヤトレッキング」、1977年に「オーストラ
リア」、「アフリカ」、「ヨーロッパ」、「ニュージーランド」を出版し、以後、
順調に世界の各地域をカバーし、出版部数も伸ばした。

Lonely Planetシリーズの第一版「across ASIA on the cheap」は、当時、ほとん
どの国において格安旅行が一般的ではない状況下、東南アジア、中東、インドを
経由する英国とオーストラリア間の格安旅行が若者、、特にオーストラリア人や
ニュージーランド人、の通過儀礼的なルートを形成した。

Lonely Planetシリーズは最初インドを含むアジア地域が1981年に出版され、1990
年代に入り、ヨーロッパ、北米へ拡大した。2004年現在、118の国と650タイトル
を数え、英語による旅行ガイドブックのシェアは25%で、世界一である。また出版
言語は8カ国語、そして600万部を出版している。その規模と内容の詳細さからバ
ックパッカー(Independent traveler)のバイブルとも称される。
http://www.lonelyplanet.com/about/

ロンリープラネットは、"John Murray"を始めとするヨーロッパの伝統的なガイド
ブックと同じく、写真は数えるほどのみでガイドブックの内容のほとんどがテキ
スト情報により占められる。

記載内容はその国や地域の歴史、文化、気候、言語などの基本情報が充実してい
る。地図も簡素であるがまあ使える。これらに加えて、あらゆる移動手段、ヒッ
チハイクの状況も含み、安宿やキャンプなど個人旅行のための情報も充実してい
る点が大きな特徴となっている。

また書籍版には一切の広告やタイアップ記事は存在しない。執筆者は、現地在住
者や該当地域を旅する者が複数人で共同執筆を行う。執筆者は、ツアー会社、ホ
テル、レストランなどからリベートを受け取った場合には解雇の対象とされる。
これはユーザに正確な情報を提供するための創設以来のポリシーに基づいている。
ただし、インターネット版ロンリープラネットに関しては特定の条件の下に広告
が掲載されている
http://www.lonelyplanet.com/

日本ではメディアファクトリーから「イタリア」や「ハワイ」などの主要な旅行
先のガイドが出版されている。2007年2月にはMSNトラベルとウェブでの独占提携
を開始し、日本語に翻訳した「MSNトラベル海外都市ガイド」として提供を開始し
ている。

ロンリープラネット社(Lonely Planet Publications )はオーストラリアと英国
に事務所を置き、2007年10月1日、75%の株式がBBC Worldwideに売却され、TV
分野にも進出している。
(wikiを参考)

■Bradt Travel Guide
Bradt Travel Guideとの出会いは多分2004年9月にボスニア・ヘルツェゴビナへ主
張したときに初版(2004年7月発行)を購入したのが最初だろう、英語版でこの国
のガイドは他に見当たらなく情報が少なかったのでこのガイドブックはたいへん
役に立った。その後、2006年3月にモザンビークへ出張した時にもこのガイドブッ
クを利用した。ロンリープラネットが手薄な国をカバーしているようだ。

Bradt Travel Guideは1974年にHilary Bradtにより設立された旅行ガイド出版社
で最初のBradt Travel Guideは同じく1974年、Hilary and George Bradt夫妻によ
りアマゾン川支流の艀で執筆されたという。

出版社は英国BuckinghamshireのChalfont St. Peterをベースにし米国コネチカッ
ト州に共同出版社であるGlobe Pequo社をおいている。Bradt Travel GuidesはThe
Independentで取り上げられた以下のようにこれまで既存の観光ガイドでカバー
されていない国や地方を詳細に説明している。

"reach parts of the world other travel publisher's don't reach"

Bradt Travel Guideは基本的に格安旅行向け(low budget)に編集され、国や都
市の歴史文化、自然環境など詳細に説明されているが、ホテルやレストラン、メ
ディカルケア、旅行案内等が必ずしも同じ基準で記述されているわけではないと
の指摘がある。また著者の主観が優先されているのでガイドブックごとにばらつ
きがありそれぞれに特徴があるようだ。時として一般の観光客向きでないない慣
例的ではなく逆説的な表現もあるようだ。
http://www.bradt-travelguides.com/

■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
観光ガイド(2)では「Let's Go Travel Guide」、「Rough Guide」、「Insight
Guides」、「Bule Guide」を取り上げる予定です。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第16号 2009年3月22日
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Saturday, 14 March 2009

【世界の街角から】タシュケント国際空港とビストロ 第15号 2009年3月13日

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メールマガジン「世界の街角から」          第15号 2009年3月13日
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【補足】多分、3月7日に第9-12号+号外を入れて5通配信したのでしょう、多すぎ
ると指摘を頂きました。配信したトピックは情報が昨年、一昨年と滞在したイス
タンブルとトルコなので出来るだけ早くお伝えしたほうがよいかなと考えた次第
でした。悪しからず。、

今号は、ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港とほっとするレストラン
ビストロです。

出張先の都市より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、
ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届け
しています。

▼目次はこちらです。
■ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港
■タシュケント国際空港のデータ
■レストランBistro
■アパートからの距離
■■編集後記
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■ウズベキスタンの玄関、タシケント国際空港
1996年、最初にタシュケントに来たときは、空港はボロボロ、ベルトコンベ
ヤーがあるにはあったが稼動していなかったので荷物はベルトの上を歩いてスー
ツケース(飛行機からは運ばれていた。)を出口まで取りに行かなければならな
かった。

2007年のときはさすがに施設はリハビリされたようでスーツケースはベルト
に乗って出てきた。かといって本当にこれがリハビリなのかと思える施設の質で
はあったが。

最初からこんな印象だったので期待はしていないがもう少し対処の方法があるの
ではと考えてしまう。

これはタシュケントだけに限ったことではない。他のCIS諸国や東欧諸国でも1990
年代は同じような状況だった。

一般的に首都の空港はその国の玄関、観光立国でもあるウズベキスタンの玄関と
してはややお粗末な質である。また、この地域のハブの役割もタシュケント空港
は持ち合わせているので尚更だ。

それから税関検査がやたら厳しく閉口するということをよく聞く。これは徐々に
厳しくなっているようで、最初に来たときは印象がない。特に現金の持ち出しに
ついて厳しく、入国時に税関申告書を2枚書いて1枚戻されるが、出国時に入国時
申請した金額より多いと問題になる。多い場合銀行証明などがあれば問題ない。

最近聞いた話では、ウクライナのキエフ空港も同様な状況だという。同じものを
二つ以上持っている場合はギフトとして課税されるそうだ。そしてその対応は一
方的で聞く耳はまったく無く有無を言わせないそうだ。

日本国籍を有している人は事前にビザを取得することなく入国できるようになっ
たので、一歩前進だが、税関は変わっていないようだ。ソ連時代、モスクワのシ
ェレメツェボ空港をトランジットしたことがあるが、無機質的なところは同様だ。

ということは、ソ連が崩壊してもなんら変わらない、共産主義だからということ
ではないようだが、まだ共産主義が抜け切れていないだけなのかもしれない。思
うに共産主義時代は政治的な理由で、現在は経済的な理由なのかもしれないが、
想像の域を出ない。

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

タシュケント空港の諸元、下記の通りである。

▼諸元
標高432m
北緯41度15分28秒
東経69度16分52秒

ATA:TAS- ICAO:UTTT
空港種別 民間
航空管制 民間
標高 432m

滑走路
方向 スペック   表面
ILS m×幅
08R/26L YES 3,905×45 舗装(アスファルト)
08L/26R YES 4,000×60 舗装(コンクリート)
(wiki)

▼空港施設リハビリテーション

1996年の時とそれ以降でターミナルが変わったので調べてみたところ、欧州復興
開発銀行(EBRD)が融資してリハビリテーションが実施された。1997年12月2日と
いうDoard Dateがあるのでそれ以降に実施されたものと思われる。

ターミナル正面の写真
http://en.wikipedia.org/wiki/File:UTTT-exterior.jpg

総プロジェクトコストUSD51.3 Million, EBRD融資がUSD48Million (ECU38
Million)である。目的はICAO(International Civil Aviation Organization)
基準適合であろう。

http://www.ebrd.com/projects/psd/psd1996/1987.htm

プロジェクトの内容
1)タクシーウェイとエプロンのリハビリテーション
2)旅客ターミナルのリハビリテーション
3)プロジェクト実施促進アシスタンス

ICAO
http://www.icao.int/

時間100人、年間2000万人のキャパシティとwebには説明がある。この時間あたり
から年間に飛ぶところがウズベキスタンらしい。

一日当たりのキャパシティは?という疑問が浮かび上がる。ちゃんと計算してよ。
2000万人を365日で割ると54794人/日となる。容量だから実際はもっと少ない利
用者だろう。

http://www.uzairways.com/airports.aspx?pid=230

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

ターミナルフロアプラン
http://www.search.uz/airport_map_eng.php

▼タシュケント空港の事故歴
市内から6キロ、Yuzhniyに位置する。地図は以下のリンクの通り。
http://aviation-safety.net/database/airport/airport.php?id=tas

タシュケント空港の事故歴は2件、1974年4月24日と2004年1月13日だ。

2004年1月13日の事故は、ウズベキスタン南部、アフガニスタン国境の町Termezか
らタシュケントへ向けて夕方飛び立ったUzbekistan Airways' flight HY 1154
(Yakovlev 40)がタシュケント空港への着陸に失敗、滑走路の先にあるビルに接触、
墜落事故を起こしている。乗員乗客37名が事故死。ほとんどの乗客はアフガニス
タンに出兵していた国連軍(ドイツ)搭乗していた。
http://aviation-safety.net/database/record.php?id=20040113-0

この事故は下記の通り、YAKU40における91番目の損失とあり、YAKU40に関連する5
番目に最悪な事故で、ウズベキスタンでは3番目に最悪の事故である。多いですね。
シリアでもこの航空機は現役だったな。(2004年当時)

91st loss of a Yakovlev 40
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (at the time)
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (currently)
3rd worst accident in Uzbekistan (at the time)
3rd worst accident in Uzbekistan (currently)

■Bistro-タシケントのレストラン
Bistroだから、フレンチから思っていたらイタリアンでした。これはどうも
Bistroという言葉がロシア語だと「急ぐ」という意味だそうで、仏語のビストロ
と露語のFastをかけ合わせたのか、今度言ったときに聞いてみようと思っている。

このレストラン、2007年2月にタシュケント滞在中、LonelyPlanetに紹介されてい
たので足を運んだ。レストラン情報少なく、現地滞在の日本人からもあまり情報
を聞くチャンスがなく、ガイドブックに頼ることになったが結果はガイドブック
の説明通り、美味しいこじゃれたイタリアンである。

先週末、2年前ぶりにBistroへ行く機会があった。パスタとピザ、サラダとワイ
ンと軽いディナーだった。

ピザ、パスタとも味はタシュケント一ではないだろうか。他の料理もきっと美味
しいに違いないがフルコースなど食べられるほど大食漢でもないので前菜どまり
が多い。

ワインは、イタリアとウズベキスタンのJV製、市中では5000スムで売られている。
スホイ、SECO、辛口が普通のワインで後は甘口になる。美味しいとはいえないが
飲める。

この地域、グルジアやモルドバワインが多いが、ウズベキスタンだけは国内産業
保護のため、見かけない。

タシュケントにあってここでの食事はほっとするひと時となるが、20%のサー
ビスチャージはちょっと取り過ぎではないですか。

33 Movarounakhr Street, Tashkent
Tel.: 152-11-12

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▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
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■■編集後記
やっかいなゲートウェイというのが印象だ。観光立国としては大きなマイナス、
されど、ウズベキスタンのホスピタリティでリピーターを確保できているのだろ
うか?

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第15号 2009年3月13日
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Monday, 9 March 2009

【世界の街角から】イスタンブルとトルコ写真集 第14号 2009年3月8日

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メールマガジン「世界の街角から」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━第14号 2009年3月8日
今号は、昨年、一昨年に出張したイスタンブルとトルコの写真集(自前)リンク
です。積極的に本文にリンクを入れなかったのでリンク集としてお知らせします。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、気に
なったこと等、硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、気ままなレポート等をお届
けしています。
▼目次はこちらです。
■フォトジェニックなイスタンブル
■フォトジェニックなトルコ
■トルコ
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■フォトジェニックなイスタンブル
▼フォトギャラリー

イスタンブールの青い空
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10192241/

View from top of Beyogul, Istanbul
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157606644124082/

Eminonu and Galata, Istanbul
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157606638237143/

Restaurant District Pera, Istanbul
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157606516942387/

Night View of Istiklal Caddesi, July 2008
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157606516823901/

Flickr (all)
http://www.flickr.com/photos/yha229/collections/72157607215358290/


スタンブール-ボスポラス大橋とアジア側(1)
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198043/

イスタンブール-ボスポラス大橋とアジア側(2)
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198062/

イスタンブール-ボスポラス大橋とアジア側(3)
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198063/

イスタンブール-ボスポラス大橋とアジア側(4)
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198054/

スタンブールの日常(1)-イスティクラル通り
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10193627/

イスタンブールの日常(2)-Nisantasi地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10194327/

イスタンブール日常(3)-住まい
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10195685/

イスタンブールの日常(4)-ベイオール地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10195686/

イスタンブールの日常(5)-ベイオール地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10195688/

イスタンブールの日常(6)-住まい2
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198028/

スタンブールの日常(7)-イスティクラル通り点描
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10198038/

イスタンブールの日常(8)ガラタ塔地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10201435/

イスタンブールの日常(9)カラキョイ地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10201437/

イスタンブールの日常(10)チュネルTunel地区
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10201440/

プリンスズ・アイランド-イスタンブール
http://4travel.jp/traveler/lejardin2006/album/10209098/

▼イスタンブル情報
Istanbul City Guide
http://english.istanbul.com/

イスタンブルノート
http://istanbul.iio.org.uk/index.html

■フォトジェニックなトルコ(FocaとSirince)
第12-13号でお届けしたエーゲ海の漁村リゾート"Foca"とイズミールの山村リゾート"Sirince"です。

▼エーゲ海の漁村リゾート"Foca"
Mediterranean Monk Seal
http://www.animalinfo.org/species/carnivor/monamona.htm

Eski Foca
http://www.eskifoca.com/english/index.html

Focantique Boutique Hotel
http://www.focantiquehotel.com/english/index.html

Hotel Grand Amphora
http://www.hotelgrandamphora.com/index_eng.htm

Villa Dedem Hotel
http://www.villadedemhotel.com/

Photo Gallery
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Foca

http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Foca2

▼イズミールの山村リゾート"Sirince"
Hotel Sirince Evleri(宿泊したホテル(民宿))
http://www.sirince-evleri.com/default.asp?L=EN

Nisanyan Hotel
http://www.nisanyan.com/

Artemis Restaurant
http://www.artemisrestaurant.com/En/

Photo Gallery
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/SirinceTurkey

http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Sirince2

■トルコ
Turkish Tourism
http://www.tourismturkey.org/

Turkish Airlines
http://www.thy.com/ja-JP/

為替レート
http://www.bloomberg.co.jp/markets/currencies/eurafr_currencies.html

■■編集後記
一部ですがイスタンブル、フォチャ、シレンジェの写真です。

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【世界の街角から】山村リゾート、Sirince 第13号2009年3月8日

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メールマガジン「世界の街角から」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━第13号2009年3月8日
第13号は2007年、2008年に滞在したトルコ・イスタンブルのトピック、今回は
エーゲ海沿岸の山村リゾート"Sirince"のレポートをお送りします。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼第14号の目次はこちらです。
■山村リゾート"Sirince"(トルコ)
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■山村リゾート"Sirince"、イズミール
"Sirince"は「シリンジェ」と読む。Focaよりずっと名が知れているオスマン・ト
ルコ時代にギリシャ系住民が住んだ山村リゾート地、Sirince、エーゲ海クルーズ
船が立ち寄るKusadasiから近いこともあり、そこをベースにEphesusやSelcuk、そ
してSirinceまでが観光ルートになっている。村には大型バスの駐車場があった。

SirinceはSelcukから東部へ9kmの丘の上に位置する、果樹園に囲まれた山村であ
る。

▼略史
Sirinceの歴史は15世紀まで遡り、開放されたギリシャ系奴隷がこの地に住み着い
たことに始まり、7つの僧院が位置するこの周辺でオスマン・トルコ時代ギリシャ
系が経済的に活躍した。19世紀以降多くの赤瓦屋根と石造スタッコ仕上げ民家が
建設され現在も使われている。

しかし、当時と現在では住民が異なる。これは、1923年のトルコ独立後の1924年
にギリシャ系住民は現在のギリシャのSalonica(テッサロニキ)に住むトルコ系
住民と交換が行われたからだ。彼らは果樹を栽培することに長け、さらに各種フ
ルーツワインも醸造した。

▼フルーツワイン
これら自家製ワインは冷やしてアペリティフ(食前酒)として飲むと美味しい。こ
れがこの村の名産ともなっている。石造りの民家はそのまま使用され現在に至っ
ている。1926年、イズミール県知事は、それまでのCirklince(ugliness)から現
在の名であるSirince(pleasantness)へ変更した。

村へ足を踏み入れるとワインやオリーブオイル、手工芸品を並べている店が連な
っている。如何にも観光地へ来たという印象だった。バスから降りてくる多くの
観光客で通りは混雑していた。Sirinceの本来の姿は、これらのバスが去った後だ
ろう。やはりここでは民家を改造したペンションで一夜を過ごすべきであろう。

▼村の散策
ペンションに荷物を置いてから村の散策に出かけることにした。石畳の細い道は
車では走れないほど狭く急峻だ。自動二輪車がせいぜいで、薪を積んだカートを
引いていた。直ぐ傍に村の生活がある。途中から犬が案内役を買って出てくれた。

さらに丘の上を目指して石畳の道を歩く。頂上付近からの眺めは斜面に張り付く
石造スタッコ仕上げの民家が一望できる。一休みして村の中心まで下り、今度は
向かい側の尾根を目指して歩いてみる。案内してくれた犬は土産物屋の犬でそこ
で別れた。

▼僧院
僧院への矢印があり行ってみる。住民が移転しているのでギリシャ正教徒はいな
いだろうが、僧院は残り、朽ちていたのを修復したようだ。僧院自体はもうその
機能を終えているが中庭は絶好の眺望ポイント、そして、テーブルがありカフェ
になっていた。観光客が訪れ思い思いのポーズを取って写真を写していた。僧院
の周りには参道ならぬ地元産品の露天が出ていた。

▼観光地としてのシリンジェ
マス・ツーリズムに慣れた山村観光地なのか、物価は決して安くなく、ドライ・
イチジクを買ったが、イズミールのスーパーと値段は変わらなかった。安いとい
う期待値が高すぎたのだろう。ペンションのオーナーに話を聞いたが、トルコは
物価の安い観光地としてヨーロッパや北米からツーリストが訪れていたが、近年
のトルコリラ高で外国人観光客が激減しているとこぼしていた。

確かにここは、既にマス・ツーリズムの洗礼を受けてしまい、物価は安くはない
ようだった。ペンションにしてもFocaと比較して高止まりしているようだ。私は
外国人なのでUSドルで支払ったが、トルコリラ建てだと現行の為替レートではUSD
支払いのが2割ほどお得感があった。

Sirinceはある程度地域振興的に作られた観光地の印象だ。石造りの民家が多く残
っておりそれらをペンションなどの宿泊施設にして民泊させるというヨーロッパ
の農村ツーリズムに似ている。そして、EphesusやSelcuk、Ksadasiなど質の高い
観光資源との連携で成長してきたのだろうが、ここに来て正念場を迎えている。
村自体は非常に素朴でフォトジェニックなのだが。

▼所感
Foca、Sirinceとも日本ではほとんど知られていない。地球の歩き方にSirinceに
ついて数行の説明がある程度だ。今回、現地情報に耳を傾けそれに乗ってみた、
百聞は一見にしかず、普段着的な週末旅行をエーゲ海沿岸で過ごすことができた
し、20数年前の薦めも確認できた。このようなプチ週末旅行ができたのは国内交
通機関が発達し時間が読めたことが可能にした要因だろう。

訪れるものの常としてFocaはこれ以上変わってほしくないとか、Sirinceはマス
ツーリズムから距離を置くべきだとか、いささか意見はあるが、トルコの魅力に
少しでも触れられたことはまことに光栄だ。スチールカメラを担いでその瞬間を
切り取っておきたい衝動に駆られる。その他の写真は下記サイトに保存してある。
(2007年11月現在)

FocaとSirince ギャラリー:
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Foca
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Foca2
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/SirinceTurkey
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Sirince2

■■編集後記
FocaとSirince、私の数少ないトルコでのサンプルですがとても気に入っている。
これらの他、ダーダネルス海峡沖合いのエーゲ海浮かぶ小島、これはトルコ領で
だ。トルコ人の友人が新婚旅行で出かけた島、情報は仕入れたところだ。

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Sunday, 8 March 2009

【世界の街角から】エーゲ海の漁村リゾートFoca 第12号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」 第12号 2009年3月7日
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2007年、2008年に滞在したトルコ・イスタンブルのトピック、今回はエーゲ海沿
岸のプチ漁村リゾート「フォチャ」のレポートをお送りします。
▼第12号の目次はこちらです。
■晩秋のプチ漁村リゾート-Foca, Izmir
■■編集後記
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■晩秋のプチ漁村リゾート-Foca, Izmir
▼かつての思い-トルコ行き
1985年、ヨーロッパを一人旅しているときに南ヨーロッパで度々トルコへ行くこ
とを薦められたがその時は叶わなかった。YHか安宿で旅行者が教えてくれたのだ
ろう、当時のメモには「ロードス島>クシャダス>セルチュク>エフェソス」と
ある。

Kusadasi、Selcuk、Ephsusはトルコのエーゲ海沿岸の観光地であり、Kusadasiに
はクルーズ船が停泊する。当時のロードス島からトルコへ入るルートは、
Kusadasiではなく、Bodrum経由の意味だったのだろう。Kusadasiからはギリシャ
でもSamos島だ。

それから20数年、忘れていたわけではないが、トルコのエーゲ海という言葉が頭
の片隅にあった。2007年11月、イスタンブルに出張中、休暇を利用してイズミー
ル近郊にあるエーゲ海地方の漁村(Foca)と山村(Sirince)を訪ねたので紹介し
てみたい。"Foca"は"フォチャ"、"Sirince"は"シレンジェ"と読む。

晩秋という季節柄、両村とも静寂がとても似合う村だった。本来ならばバスか鉄
道でイズミールまで行ってみたかったが時間が許さないので往復ともトルコ航空
の国内線を利用した。

▼オンラインチェックイン-トルコ航空国内線
航空券の購入は旅行代理店へ行くものと思っていたが、webを見たらオンラインで
購入ができるので試してみた。イスタンブル-イズミール間はトルコ航空が一日
10数便を運航している。余談だが、その他、オヌル航空、アトラスジェット、
フライエアー、ペガサス航空が運航し、これに加えてSun Expressという国際線を
運行する会社が国内線に、さらに、イズミール航空が参入予定と航空業界が過当
競争の時代に入っている。(既に運行しているようだ。)

さて、トルコ航空のウェブから希望のフライトを選択して画面の説明に沿って進
めていくと予約購入ができ、さらにチェックインまでオンラインで可能との説明
がある。早く予約すれば廉価なシートが手に入るようだ。

実際、預け入れ荷物がなければオンラインチェックインをしておいてそれから空
港へ向かっても遅くはない。もしくは、空港のオンラインチェックイン機で購入
したクレジットカードを使って容易にチェックインができる。このサービスには
感動した。多分、日本の国内線もきっとそうなのだろう。

▼普段着の漁村リゾート"Foca"
トルコに来るまでFocaを知っていたわけではないが、エーゲ海を見たいとイズ
ミール出身の知人にリクエストしたらCesmeより静かなここを推薦された。実際こ
こは人口3.6万人の小さな漁村、イズミール市民が週末に出かけてくるような距離
(70km)にある普段着かつ静寂さが似合う漁村リゾートだ。時に外国人観光客も訪
れるようだが少ない。到着した夜は天候が大荒れで一時は止めようかと思ったが
強行、翌日は台風一過のような青空が広がった。

▼Eski Foca
Focaとは、アザラシ(Seal)という意味、この周辺に生息するMediterranean
Monk Sealに由来する。Focaは、Yeni Foca(New Foca、20km北)と区別してEski
Foca (Old Foca)と呼ばれる。Eski Focaは二つの湾から成り、大きな湾
Buyukdeniz (the greater sea)と小さな湾Kucukdeniz (the smaller sea)があり、
その中間に中世の城砦が残っている。

Eski FocaとYeni Focaの間は風光明媚な海岸や洞窟が多く、また、豊かな動植物
相から自然保護地区に指定されている。季節によるが島々を巡るボートツアーが
ある。

また、Foca(以下Eski FocaをFocaとする。)は歴史的な石造住宅を主とした特徴か
ら町並み保全地区に指定され、広範囲にわたり新たな建築規制の網がかけられて
いる。よってFocaは自然の豊かさと歴史的な町並みが融合するプチ観光漁村なの
である。

Focaは半日もあれば徒歩で一周できてしまうサイズだが人々の生活を見ていると
飽きない。小さな湾の奥にはカフェが立ち並び、ここで朝食を取りながら漁師や
人々の様子を眺めていると絵になるなーとスチールカメラを持ち込まなかったこ
とが悔やまれた。観光地的なお店も少なくはないがそれよりもFocaの生活感のが
強いのかカフェなどの数を除いてさほど観光地の印象はなかった。シーズンにも
よるのだろう、晩秋から冬にかけての今がもっとも静寂なFocaを楽しめるのでは
ないだろうか。

▼シーフード
ここへ来たらシーフードを食べない手はない。ペンションで聞いた市場の横にあ
るSahil Restaurantでディナーを取った。本日の魚を見せてもらったが、
Sea Bream、Sole、 Sea Bass、 Barbunya 、Shrimpとイスタンブルと概ね同じ種
類だった。その中で、Barbunya(和名ヒライトヨリ、Threadfin)を選んだ。

これは私の好きな魚でアラビア語では"スルタン・イブラヒム"という。初めて食
べたのはトルコ国境に近いシリアのラタキアという町の郊外にある地中海に面し
たレストラン"Abou Sahid"だった。当日嵐だったのでこの日に獲れたかどうか疑
問だったが他に目に付くものもなくBarbunya全て、といっても700gだったが、を
注文した。

料理方法はから揚げだ。これにレモンを絞って食べる。身が小さいがなかなかの
美味である。

▼時化の翌日
先のとおり、翌日は台風一過のような澄み切った青空が広がっていた。しかし、
住民たちの顔は重い、どうしてかと尋ねたところ昨晩の嵐でかなりの船舶が沈み、
魚網にも影響が出、桟橋が一部崩壊したとのことだ。実際にはプレジャーボート
が多く、所々で沈んでいるボートを見かけ、ウッドデッキ(桟橋)は波を打って
おり、一部完全に崩壊していた。その時は、町長陣頭指揮の元、ブルドーザーで
撤去作業が行われていた。
(http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/Foca2)

■Foca Datasheet
Location:
フォチャ(Foca)はイズミール市の北約70kmのエーゲ海沿岸に位置する人口3.6万
人の漁業と観光を中心としたタウン。

How to get there:
イズミール市の中心から車で約1時間、バスで約1時間半の距離です。バスは頻繁
に運行されている。

About Foca:
Focaの意味はアザラシ(Seal)、この周辺に生息するMediterranean Monk Sealに
由来する。

Focaは、Yeni Foca(New Foca、20km北)と区別してEski Foca(Old Foca)と呼ば
れ、オールド・フォチャは二つの湾から成り、大きな湾Buyukdeniz (the greater
sea)と小さな湾Kucukdeniz (the smaller sea)があり、その中間に中世の城砦が
残っている。

フォチャとニュー・フォチャの間は風光明媚な海岸や洞窟が多く、また、豊かな
動植物相から自然保護の観点から法規制がかけられ、広範囲にわたりこの地区で
は新たな建物の建設が制限されています。そして、フォチャは歴史的な石造住宅
を主とする特徴から町並み保全地区に指定されています。
(Lonely Planet Turkey 2007参照)

Where to stay:
プチホテルやペンションが港の前やその周辺に多くあります。1室40-50YTL
程度、ホテルは以下の通りです。
Hotel Villa Dedem 0232-812-2838
Hotel Grand Amphora 0232-812-3930
Iyon Pension 0232-812-1415、等。
FocaFoca(Bookmark参照)にも情報あり。

Where to eat:
漁港の周辺にレストランやカフェが並んでいる。

Where to visit:
Focaは大きな湾から砦を経由して小さな湾を一巡りし、町を隅々まで見ても一日
あれば足りるが、漁港周辺のカフェで港を眺めながらのんびり過ごすのも休日に
は向いている。その他、夏季は周辺の島々を巡るボートクルーズが運行されてい
る。乗り場は漁港の並び、看板が出ています。

Bookmark:
Foca wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/Fo%C3%A7a
Foca Municipality
Foca Foca
http://www.focafoca.com/
Foca Guide with Photos
http://e-turkey.net/v/izmir_foca_phocaea/
Mediterranean Monk Seal
http://www.monachus-guardian.org/factfiles/medit1803.htm

My Impression:
ローカルツーリスト中心のリゾート地、イズミール市からの週末客が多かった。
イズミール県南部のEphesus, Sirince, Selcek, Dilekn等の観光地と比べてリー
ズナブル価格と静かな環境という印象だった。

レストランは宿泊先で聞いた魚市場横にあるシーフードレストラン
(Sahil Restaurant)へ行った。その日の水揚げによって魚の内容が異なるが
Sea Bream、Sole、 Sea Bass、 Barbunya、 Shrimpなどイスタンブールと差ほど
変わらない種類でしたが新鮮且つ料理の仕方が良かったのでしょう、トルコへ来
て最も美味な魚料理でした。Red Snapperも時々あるとのこと。

水面が歩行者レベルに近く(干満の差が少ないのだろうか?)海岸沿いはとても
心地よい空間を形成している。また、漁師町の生活が目の前にあり普段着のリ
ゾートといった印象、それから、Focaの色彩がとてもフォトジェニックでした。
(2007年11月)

■■編集後記
日本にもきっとこんな漁村があってほしい、次回は山村リゾート「Sirince」を
お届けします。

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【世界の街角から】北朝鮮、韓国民間機の安全を保障できない 号外 2009年3月8日

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【号外】米韓軍事演習中、韓国民間機の安全を保障できない=北朝鮮
北朝鮮が3月9-20日の間実施が予定されている米韓合同演習を受けて、民間
航空機の安全は保障できないとの声明を発表した。

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-36842220090306

上記記事から、北朝鮮国営の朝鮮中央通信社(KCNA)によると「特に東海
(日本海)の上空周辺を通過する韓国の民間機の安全を保証することはできな
い」としている。

という。

これまでも米韓合同演習は実施されてきているのに、なぜ今回なの?

何かのメッセージ?

タシケントに滞在しているのでこの話が出たのだが、日本から中央アジア(タシ
ケント及びアルマトゥ)へは、アシアナ航空と大韓航空が運航しており、タシケ
ントへはどちらか利用している。

日本からだと、成田-インチョン-タシュケントととなる。インチョン-タシュ
ケントは黄海から北西方向へ飛ぶが、成田-インチョンは日本海上空を飛ぶ。フ
ライトルートが変更されるのだろう。

その他多くの航空機が日本海上空を飛んでいる。こんな国家の脅しに一々耳を傾
けなければならないのか、あーあ。

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■■編集後記
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
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【世界の街角から】 続イスタンブルとトルコ  第11号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」           
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━第11号 2009年3月7日
第11号は昨年、一昨年に出張したイスタンブル関連トピックについてお送りしま
す。
出張先の町より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、
ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届け
しています。
▼第11号の目次はこちらです。
■文学でのイスタンブール
■映画に登場したイスタンブール
■本家トルコ料理の味
■ウィンナーコーヒーとオスマン・トルコ
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■文学でのイスタンブール
「憂愁」に満ちたこの街-イスタンブルと表現したのは2006年にノーベル文学賞を
受賞したトルコ人作家オルハン・パムクだ。これは、オスマン・トルコの首都で
あったイスタンブルの栄華とその後の没落を表しているのではと想像している。

「イスタンブル-思い出とこの町」は自伝的な内容でイスタンブルが記されている。
代表作には「私の名は紅」、「雪」、「白い城」等があり邦訳も出ている。

歴史小説といえば塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」はイスタンブー
ルを訪れる人は概ね読んでいることだろう、アガサ・クリスティーの「オリエン
ト急行殺人事件」などイスタンブールは歴史的な題材や小説のモチーフを数々提
供している。

近年の作品では、16世紀に消えた赤いイズニック・タイルと津和野を結びつけた
恋愛小説「イスタンブールの闇」や古代遺跡エフェソスを舞台にした運命的な人
生を描いた「エフェソスの白恋」(両方とも高樹のぶ子著)がある。「イスタン
ブールの闇」ではスルタナメット地区やプリンスズ・アイランドが、「エフェソ
スの白恋」では題名になっている古代エフェソス遺跡が描かれており、トルコを
知る上でも興味深い。

■映画に登場したイスタンブール
映画についても然り、フォトジェニックな都市は映画にも当然似合う。例がやや
古いがショーン・コネリー演じるジェームス・ボンドが活躍する007シリーズ、
「ロシアより愛をこめて」(1964年4月公開)ではイスタンブールの映像が前半を占
める。

英国海外情報局のトルコ支局長・ケリム(ペドロ・アルメンダリス)から
暗号解読器(レクター)を手土産にしたソ連情報員タチアナ(ダニエラ・ビアン
キ)の亡命要請を受けたボンドはパンアメリカン航空でYesilkoy空港(イスタン
ブール空港)に到着する。

ケリムに案内されイスタンブール地下貯水池(地下宮
殿)に潜望鏡のような仕掛けがあり、どういうわけかソ連領事館の中が覗け、罠
である美貌のタチアナが見える。ソ連領事館(現ロシア領事館)は、ペラ地区イ
スティクラル通りにあるのでどうもおかしいがそれは映画の世界だ。

ボンドは、ボスポラス海峡クルーズ船の上でタチアナからレクターの情報を聞き
出し、アヤ・ソフィアでタチアナが持ち出したソ連領事館の平面図を入手する。
ケリムがボンドを連れて行った村のシーンは、イスタンブールのアジア側郊外に
あるペンディク(Pendik)だ。

そして、ボンドは、シルケジ駅からタチアナとオリエント急行に乗り、ベオグ
ラード、ザグレブへ向かう。

ここまでがイスタンブールを舞台にしているが、映画に登場したイスタンブール
は現在もそのままタチアナの美貌同様辿ることができるであろう。

■本家トルコ料理の味
分家トルコ料理はブルガリアやシリアで何度か食べたことがあり、本家の料理は
どんなものなのかと興味を持っていた。周辺諸国であるレバノン・シリアやブル
ガリアでは美味しい料理はトルコ料理のメニューかその影響を強く受けた料理だ
った。

一説にはレバノン、シリア料理は宗主国がフランスだったので美味しいという説
があるが、フランスの影響は否定しないが私はトルコの影響の表れではないだろ
うかと思う。エジプトを例に取ると、英国が宗主国だったので不味いとか、なん
となく納得してしまいそうだが、エジプトの不味さはトルコからの距離がレバノ
ン、シリアより遠いのでオスマントルコの支配下にあったものの食文化は差ほど
浸透しなかったのではとも考える。逆にコーヒーはエジプトからオスマントルコ
へ伝わった経緯がある。

ブルガリア料理はケバブツェ(ひき肉料理)とヨーグルトを多く使うのが特徴だ。
これはバルカン半島全域で共通のようだ。カヴァルマ(陶器のポットで肉と野菜
を煮込んだ料理)はブルガリアの代表的な料理だが本家にもあるし、シリアにも
あった。ということはトルコの影響なのだろうかと推測している。

さて、本家の味はサンプルがロカンタばかりでは批評できるレベルにないが本人
的には非常に満足している。

■ウィンナーコーヒーとオスマン・トルコ
日本でウィンナーコーヒーというと、生クリームかホイップクリームがやや濃い
コーヒーの上に浮かび、シナモンパウダーがトッピングしてある、若しくはシナ
モンスティックが付いているものを指す。

実はウィンナーコーヒーというコーヒーはウィーンにはないが、ミルクの泡をの
せたコーヒーをメランジェ(Melange)やホイップクリームをのせたフランツィス
カーナー(Franziskaner)がある。これらがウィナーコーヒーに近い。

さて、ウィンナーコーヒーの起源はというと1683年、オスマン・トルコ軍がウ
ィーンを包囲した(第2次)時に起因する。ウィーン市民は城砦内に立て篭もり、
包囲は結果失敗しオスマン軍は退却した。

ウィーンの街を危機から救ったフランツ・コルシツキーがオスマン・トルコ軍の
遺留品である"kahve"(緑のコーヒー豆を挽いたもの)を基にカフェを開店し好評
を博した。これがウィンナーコーヒーの元祖であり、オスマン・トルコなくして
ウィナーコーヒーなしというわけである。

記憶の範囲で綴ったイスタンブール、サンプル数は多くはないが、外からでも美
味、内からはさらに美味というのが私のトルコ滞在の印象である。今年も出張す
るので新たなトルコの発見を楽しみにしている。魅力満載のイスタンブール、い
やイスタンブルだろう、更に掘り下げてみたい衝動に駆られるフォトジェニック
な美貌都市だ。

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
歴史があり、海があり、アンジュレーションのあるイスタンブル、脳のひだに
隅々まで記憶させて起きたい衝動に駆られる町だ。そしてフォトジェニックとき
ている。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
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【世界の街角から】昨年のイスタンブルとトルコ 第10号 2009年3月8日

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メールマガジン「世界の街角から」 第10号 2009年3月7日
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第10-13号は、昨年、一昨年に出張したイスタンブルとトルコについてです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、気に
なったこと等、硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、気ままなレポート等をお届
けしています。
▼第10号の目次はこちらです。
■イスタンブールの名の由来
■ボスポラス海峡の名の由来
■イスタンブールの発音
■"Bosporus"か、それとも"Bosphorus"なのか?
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イスタンブルの名の由来
イスタンブルは、その昔、ビュザンティオンBizantion、次いでコンスタンティノ
ポリスConstantinopolisと呼ばれていた。紀元前658年、古代ギリシアのビザス
Byzasという人がこの地に入植し、Byzasにちなんでビザンティオンと命名したと
言われている。「ビザンティウム」はそのラテン語読みである。

その後、2世紀末、ローマ帝国の支配がこの地にも及び、西暦330年にはローマ皇
帝コンスタンティヌス帝がビザンティウムを新都と定めた。そして、遷都以来、
この町はコンスタンティノポリス、つまり「コンスタンティヌス帝の都市」と呼
ばれるようになる。1453年、メフメット2世率いるオスマントルコ軍がコンスタ
ンティノープルを陥落させ、その影響下に入ってからイスタンブールと変わった
ようだ。

しかし、イスタンブールの名が正式に用いられるようになったのはオスマントル
コ帝国滅亡後の1930年(独立は1923年)からである。

ではその間はどうどうだったのだろうか。日本での歴史的記述では、コンスタン
ティノープルが陥落してからイスタンブールになったというのが通例であるが、
トルコ語ではイスラムが広がったという意味のIslambolで表現されたり、アラビ
ア語やペルシャ語では、Asitane-i Saadet(幸福の宮居)、Umm-i Dunya(世界の
母)、Daru's-Saltanat (王権の館)等と様々な呼ばれかたをしていた。信頼で
きそうなのが貨幣などの刻印に使われたコンスタンティニーイェ(オスマン語)
が正式ではないだろうか。

イスタンブールの語源は諸説あるが、東ローマ帝国時代からスラブ人らが旧市街
を指して呼んでいたスタンブルという地名がトルコ人にも取り入れられたものと
もされている。この名前は、一説にはギリシャ語の"eis stin poli"(都市に)か
ら取られ、ギリシャ人がコンスタンティノポリスを「都市の中の都市」と呼んだ
ことに由来するという。あるいは、Constantinopolisが詰まったstanpolを語源と
する説がある。また、トルコ語の「Islamイスラム」と「bul都市」が合成されて
「イスタンブール=イスラム教徒の町」となったという説も聞く。

■ボスポラス海峡の名の由来
こちらも諸説ある。Byzas以来約850年ギリシア植民市として栄えたことから、
「ボスポラス海峡」はギリシア風の地名という説だ。ボスポラス海峡は、「雌牛
の渡し場」という意味で、これは、ゼウスが妻ヘラの嫉妬から逃がすために恋人
のイオを雌牛に変身させてこの海峡を渡らせた、というギリシア神話に基づいて
いる。

もう一つの説は、紀元前3世紀まで反映した現在のウクライナ、黒海沿岸南部にあ
った古代ギリシャの植民地「ボスポラス王国(Cimmerian Bosporus)」に由来す
る説で、この海峡を通過してボスポラス王国へ繋がることからその名が付いたと
も言われている。

■イスタンブールの発音
イスタンブル、日本語では「イスタンブール」と表記されるが、標準トルコ語の
発音では最後の音節は長母音化されないので、発音により忠実に「イスタンブ
ル」と表記されることが多い。

もっとも、トルコ語の口語では母音調和化して、日本語ネイティブには「ウスタ
ンブル」と聞き取れるような発音になることも多いようだ。

■"Bosporus"か、それとも"Bosphorus"なのか?
ボスポラス海峡の英文表記にはThe Bosporus StraitとThe Bosphorus Straitの二
通りがあるが、どちらが正式なのかというとどうやら前者の"Bosporus"に軍配が
あるようだ。

ちなみにボスポラス海峡大橋は"The Bosphorus Bridge"(1973年に竣工)と表記
されている。この関係ははっきりしないが著名な英国人技師(Sir Gilbert
Roberts)が設計を担当している。ボスポラス第2橋はFatih Sultan Bridgeという。

□資料
1. MS-Word辞書
米国・英国英語とも"Bosporus"です。

2. Britannica

Istanbul Bogazi, Karadeniz Bogazi, or Bogazi?i, strait (bogaz, "throat")
uniting the Black Sea and the Sea of Marmara and separating parts of
Asian Turkey (Anatolia) from European Turkey.

The Bosporus is 19 miles (30 km) long, with a maximum width of 2.3 miles
(3.7 km) at the northern entrance and a minimum width of 2,450 feet (750
m) between the Ottoman fortifications of Rumelihisari and Anadoluhisari.
Its depth varies from 120 to 408 feet (36.5 to 124 m) in midstream.

Kingdom of the Bosporus

called Cimmerian Bosporus, ancient Greek state situated on Kerch Strait
in present-day southern Ukraine. It reached its peak of power in the 4th
century BC.

The kingdom's major city, Panticapaeum (modern Kerch), was ruled by the
Archaeanactid dynasty (480-438 BC), then by the Spartocid dynasty
(438-110 BC), which annexed to Panticapaeum other Greek colonies-e.g.,
Nymphaeum, which had been founded in the region in the 7th and 6th…

Bosporus, Kingdom of the...
(ブリタニカは有料のためここまでした。)

3. Merriam-Webster
こちらも"Bosporus"が正式で、他の使い方として"Bosphorus"が挙げられています。

Main Entry: Bos?po?rus
Pronunciation: ?b?s-p(?-)r?s
Variant(s): or Bos?pho?rus -f(?-)r?s
Function:
geographical name
strait about 18 miles (29 kilometers) long between Turkey in Europe &
Turkey in Asia connecting Sea of Marmara & Black Sea

4. Encarta
Bosporus or Bosphorus strait linking the Black Sea and the Sea of Marmara.
It separates European and Asian Turkey. Length: 31 km (19 mi)

5.ボスポラス橋の英文表記
The Bosphorus Bridgeと表記されている。


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■■編集後記
イスタンブルなのかイスタンブールなのか日本語は難しいが現地の発音は「イス
タンブル」のようだ。庄野真代は「飛んでイスタンブール」だったけが。

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Saturday, 7 March 2009

【世界の街角から】タシュケントの住まい 第9号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」 第9号 2009年3月7日
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第9号はタシュケントでの住まい探しです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼第7号の目次はこちらです。
■タシュケントの賃貸住宅事情
■タシュケントの賃貸物件
■タシュケントのどこに住むか?
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■タシュケントの賃貸住宅事情
今回はタシュケントをベースにするので家を借りることにした。
どのように探すか?

不動産仲介業者がいるのでそこに物件の斡旋をお願いして物件の下見を行い、決
めることとなる。これは、どこの国でも変わらない。

手数料は大家が支払うことになっているので、借りる側は家賃だけとなる。賃貸
料金に含まれているのは、ヒーター代、ガス代、水道代で、電気代と通信費(市
内を除く)は賃貸人の負担となる。

ただし、ハウスキーピングとして週1回掃除に来てもらうため1階10ドル相当が必
要となる。

家賃は前金で3か月分要求される場合が多い、大家によっては6ヶ月前払いを要求
するが昨今の事情では3ヶ月が多い。

そのまま住める物件は少なく、前金で家具を入れるとかクーラーを入れるとか曖
昧な内容が多い。その後、あれこれフォローが必要となるので、現物が揃ってい
る物件が面倒がない。

借りた後、所轄の警察へ外国人は登録をする必要があり、住む場所が決まったら
警察へ届け出る。手数料20ドル相当。

旧共産主義圏は似たようなものである。シリアでもそうだったな。でも住民登録
のため警察署へ出向いたけど手数料はなかった。

ホテルに宿泊しても登録証は渡されるので基本的には同じことになる。

賃貸市場はそれほど物件数があるわけではないようなので質はでこぼこだ、足を
運ばないと適当な物件に辿り着かない。

予算にもよるが、安ホテルと同じか安いくらいを目安にした。その場合1200ドル
以下となる。実際、800ドル程度でも適当な物件がある。この金額帯はあまり賃貸
料には関係がなさそうだ。

■タシュケントの賃貸物件
今回、結果として14物件、家賃月650ドルから1900ドル、を下見した。

物件の条件は、都心の集合住宅、地下鉄駅に近く(通勤のため)、買い物が便利
で、ADSLインターネット接続が可能で直ぐに入居できることを条件とした。

賃貸物件は集合住宅と戸建てがあるが、集合住宅のが面倒がないし、物件数も多
く都心に位置する場合が多い。

集合住宅は、4階建て以上が多く、5階建てになるとエレベータが設置されている。
新しいのは少なく、ほとんどが1966年の大地震以降に建設された物件だ。

都心でも4階建てが多いのは共産主義時代の影響だろうか。

新しい物件は賃貸用に建設されたものが多く賃貸料が高い。1800ドルの物件は直
ぐに入居できる状態だったが3LDKと広く、また、家具も質が高かったが、家族同
伴ではないのでこれは見送った。

賃貸物件の多くが内装をリノベーションしている場合が多い、しかし、オリジナ
ルの間取りをそのままではなく、壁を取り除き、居間を広めにとっている物件が
多かった。

そうなると使い勝手が当初の設計から変わるので好ましくないが多くがこのよう
な状態である。

オリジナルのフロアプランのままの場合、元々の設計が充実している物件を探す
ことになる。元政府高官用アパートは入り口の空間からやや異なり、2LDKでも天
井が高く床面積も120m2とゆとりのある間取りだった。

物件の床面積は日本の住宅と比較してかなり広い。2LDKで80m2以上からあり120m2
程度まで。1LDKになると150m2程度になる。

内装をリノベーションしたばかりの物件は、一見、よく見えるが、内装に使われ
たボンドや内装材の材質など、質はよくないと考えたほうが懸命だ。

また、以前人が住んでいないと何かと問題が起こる可能性がある。

外国人用の賃貸物件は基本的に家具付だが、物件によってその質は様々。電化製
品はあまり差は感じなかったが質の高い食器類が備え付けてある物件は非常に少
ない。

これは大家の考え方によるのだろう。

単身なので1LDKでも十分だが、直ぐに住めるこれはという物件にはめぐり合わな
かった。きっと物件数が少ないのだろう。

■タシュケントのどこに住むか?
ベースとなる事務所がInternational Business Centreにあるので、そこまでのア
クセスと生活環境を考えて新市街の中心地の物件を依頼した。

希望通りあるわけではないので斡旋された物件を見ていく必要があった。特にリ
ストになっているわけでもなく、口コミ的な情報がベースだ。

タシュケントはベターと広いので実際に見てみないと何ともいえない。スーパー
マーケットが近くにあるとはいいつつも、買える物があるのかどうかまで考える
必要がある。

新市街ではMir Shopの近くが比較的便利だろう、ここはクレジットカードでも支
払いが可能なのだから。

車があればあまり駅からの場所や買い物の場所を考える必要はないが、今回は仕
事以外(通勤を含まず)は使えないので移動は自前となる。

また、食事をする場所も考えておかねばならない。

果たしてそんな場所があり、適当な物件があるのだろうか。

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■■編集後記
地図がある程度頭の中に入っていないと住まいを探すといっても容易ではないし、
これから用意しますというのも保証なし、やはり、キャッシュと同じ、現物のみ
が信用できるのだろうか、何れにしろ入居してからも何かと問題があるというこ
とは覚悟しておかねばならないが、それが最低限に抑えられるかどうかは最初の
判断にかかっている。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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【世界の街角から】国際婦人デー 第8号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」 第8号 2009年3月7日
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【注】ヤフーメール(従来版)の場合、どうやら73文字で改行されているような
ので1文字分が自動的に改行されてしまいます。ヤフーメール(ベータ版)の場合
は問題がありません。今号以降、75文字から73文字改行へ修正します。

第8号は3月8日、国際婦人の日vs赤軍の日についてです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼第8号の目次はこちらです。
■国際女性の日
■赤軍の日
■■編集後記
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■国際女性の日(International Working Woman's Day)
毎年、3月8日は国際女性の日(直訳すれば国際働く女性の日)、日本ではなじみ
が薄いかもしれないが旧ソ連邦構成国や社会主義国国では馴染みがある祝日だ。

この由来は、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲ
ンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにた闘
う」を記念する日として提唱したことから始る。

広く認知されるようになったのは、国際婦人の日である3月8日が1917年のロシア
2月革命の日にあたり、この日(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23
日)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモが、男性労働
者や兵士を巻き込んで大規模な蜂起となり、終には帝政ロシアを崩壊に追い込ん
だ。

よってソ連では国際女性の日は2月革命記念日でもあり、政治的な日にあたり、
ポスターには女性の(主に家事労働からの)解放を訴えるスローガンが書かれて
いた。

1966年、国際女性の日はソ連で祝日(休暇日)となったが、政治性は失われ、女
性を讃える日になっていった。国際女性の日のポスターからもスローガンは消え、
女性の美しさを抽象的に表すものになった。

日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体である赤瀾会が初の集会を開
催した。1975年、国連はこの年の3月8日以降この日を「国際婦人の日」と定め、
国連事務総長が女性の平等な社会参加の環境整備をするよう加盟国に呼びかける
日となっている。

▼イタリアでは?
この季節、街中にミモザの花がみられる。というのはイタリアでは女性が互いに
ミモザの花を贈るからだ。

▼ロシアでは?
ソ連邦の存続国であるロシアでは、国際女性の日は政治色のない女性を讃える祭
日となっている。男性は女性に春の花束やプレゼントを贈る習慣があるが、女性
がお互いにプレゼントを贈ることも多い。通常、国際女性の日の前日、職場や大
学で国際女性の日を祝う。

■赤軍の日(The Red Army Day)(Soviet Army Day)(祖国の日)
国際婦人の日に対して毎年2月23日が「赤軍の日(ソヴィエト軍の日、現在は祖国
の日)」として祝日(ロシア)になっている。

名称は第2次大戦終了までは「赤軍の日」と呼ばれ、1945年以降は「ソビエト軍の
日(Soviet Army Day)」、ソ連崩壊後は、「祖国の日」へと名を変え、ロシア連
邦では現在も祝日であるが、その他の旧ソ連邦構成国では祝日でない。この日は
第2次世界大戦のソヴィエト軍(赤軍)を追悼する意味があった。

ソビエト陸軍の日(Soviet Army Day)と対にあたるのが、前述の女性を讃える
「国際女性の日(International Women's Day)、が3月8日」だ。

日本流に言い換えればひな祭りと端午の節句のような関係だ。また、昨今の商業
主義的には2月14日の日本流バレンタインデーと3月14日のホワイトデーかもしれ
ない。

■■編集後記
日本の祝日は多過ぎて祝日の意義が希薄しすぎているのではないと昨今感じる。
しかし、日本のカレンダーと縁のない仕事をしているので働きすぎではある。で
は、ローカルのカレンダーに沿っているかというとそうでもない。仕事があると
きは仕事をする。少しはカレンダー従順になってみたい。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
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Friday, 6 March 2009

【世界の街角から】無効にした特典航空券 第7号 2009年3月6日

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メールマガジン「世界の街角から」            第7号 2009年3月6日
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第7号は無効にしてしまった特典航空券についてのレポートです。
出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
と硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けしていま
す。
▼第7号の目次はこちらです。
■ポンド高のリベンジ
■無念、マイレージ特典航空券ロンドン往復を無効にする・・・
■■編集後記
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■ポンド高のリベンジか?
決してポンド高リベンジのためにマイレージをロンドン往復に交換したわけではな
いが、昨年の第4四半期からその傾向が出てきた。

英国ポンドは1年前と比較して円に対して概ね約55%に下がり、現在1GBPは140円(3
月4日)、苦しかったロンドン生活のリベンジはいつかは叶えられるだろうか。

一昨年末、マイレージ有効期限ギリギリにロンドン往復ビジネスクラスの特典航空
券を日本航空よりゲットした。その時はこのような世界経済危機が来るとは、そし
て、英国の金融機関が・・・、誰かが予想していたが誰もが実際にこのような状況
になるなどとは考えられただろうか。

しかし、ゲットした航空券はスケジュールが合わなく、無効にしてしまったが必ず
やリベンジはしよう、急いてはことを仕損じる、もう少しチャンスを待つこととす
る。

■無念、マイレージ特典航空券ロンドン往復を無効にする・・・
マイレージで交換してあったロンドン往復航空券、昨年末まで有効だったのだが無
効にしてしまった。よって円高体験ツアーは検討しなおしだ。

一昨年末、これまでの出張で搭乗したJALのマイレージが数万マイル無効になるとい
うのでロンドン往復航空券に交換しておいた。そのとき、燃料サーチャージを支払
った記憶だが、いくらか忘れてしまった。

最初は予定が見えなかったので4月にしておいたが結局いけそうもないことが判明、
6月に変更したら、その時点で更に数万円をサーチャージ値上がり分として徴収され
た。多分ここまでで54,210円だろうと思う。

この6月も結局仕事の都合で行けなくなり11月へ予約を変更した。このタイミングも
結局次の仕事の関係で空けられなく、12月へ変更したら、10月改訂分と称して再
度燃料サーチャージ、もうはっきり憶えていないがこれも2万円程度だったようだ、
を徴収された。

なんだかわからないが特典航空券のはずが燃料サーチャージでディスカウント航空
券並になってしまった。原油が40ドル前後になったのでサーチャージは近々になく
なると思うが先物を購入しているようなので変更は3ヶ月くらい先になるのだろうか。

結局12月に変更したフライトスケジュールも行けそうになく、オープンにしていた。
これは行けそうにないのならオープンになさったらというJAL特典航空券デスクから
のお勧めなのだ。乗らないのなら無闇に予約を入れないほうがよいに決まっている。

サーチャージと書いているが最初の金額には英国の旅客税だったか新しい税金が数
年前から導入されているがその分も含まれている。これは2007年2月1日に値上げし
ている。

【航空旅客税(Air Passenger Duty)】
2007年2月1日以降、イギリス・ヒースロー空港より帰国する場合、英国航空旅客税
( Air passenger duty)が以下の通り、変更となっている。

アッパークラス/プレミアム エコノミー £40 → £80
エコノミークラス £20 → £40

※航空券購入時に、変更後の料金を支払っていない場合は、空港にて差額を徴収さ
れます。

また、2007年4月1日以降は、英国旅客サービス料も£13→£14.10に変更と
なっている。
http://tinyurl.com/b62n4e
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6258327.stm

しかし、無料というのは凄くありがたいが得てして流動性の高いものだという証で
はと認識した。

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
ということで、結局、行かれなかったが、英ポンドよ、なぜゆえにそんなに高いの
か!へのリベンジツアーは今年は仕事で埋まっているので来年以降となる。本当に
行けるのだろうか?

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Thursday, 5 March 2009

【世界の街角から】コダクローム 第6号 2009年3月5日

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メールマガジン「世界の街角から」            第6号 2009年3月5日
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第6号は写真を撮影するフィルムのレポートです。第2号でポラロイド社スペクトラ
フィルムを取り上げましたが、同様にコダック社の写真用フィルムが一昨年、昨年
と相次いで生産中止になりました。特にコダクローム(ポジティブ)は何とも遺憾
と言わざるを得ません。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
と硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けしていま
す。
▼第6号の目次はこちらです。
■本当に最後の現像、コダクローム64
■エクタクローム、お前もか?
■■編集後記
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■本当に最後の現像、コダクローム64
コダクローム(Kodachrome 64 36exp.)は私が写真を撮り始めたころ、先輩諸兄か
ら発色と保存の良さで薦められたリバーサルフィルムだ。確かに非常に鮮やかな色
合いだし、20年を経ても当時の色あいを保っている。

このコダクローム64がデジカメの普及により2007年3月ごろに販売中止になり、日
本国内の現像が2007年12月20日まで、そして、米国現像所への取次ぎが2008年9月末
までだった。コダクロームが製造中止になるということは私の予定になく、残念こ
の上ないがこれが時代の趨勢というものなのだろうか。50年以上にわたってカメラ
マンに愛されたコダクロームの歴史に幕が下ろされた。
http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/info061213.shtml

世界で最後の現像サービス、米国現像所への取次ぎが9月30日の受付で終了し、たま
たま、9月30日にイーストウエストへ持ち込んだコダクロームの現像が仕上がり、米
国から送られてきたいた。滑り込みセーフで手持ちのコダクロームを全て現像する
ことが出来た。10月の下旬に現像完了の連絡をいただいたが丁度出張に出だ後だっ
たので、受け取りが先週になった。

米国仕上げの場合、日本でのマウントがプラスチックになって久しいが、今は懐か
しい紙のマウントだ。「OCT 08」と刻印がある。1本あたり3340円の現像マウント料
也。復刻コダクロームを期待して止まない。

■エクタクローム、お前もか?
知人にコダクロームの製造中止の話をしたら、エクタクロームも2008年12月末で販
売中止になると情報を頂いた。コダクロームについては前述のとおり、既に販売が2
007年3月に終了し、国内現像が2007年12月、米国現像取次ぎが2008年9月末で終了し
ている。

エクタクロームの販売終了についてはwebを見てみると9月24日付けでコダックから
案内があった。販売終了品の内容は、以下の2種類のエクタクロームで2008年12月末
で販売が終了するとある。

コダック プロフェッショナル エクタクロームフィルム E100GP
KODAK Professional EKTACHROME Film E100GP

コダック エクタクローム 64 プロフェッショナル フィルム
KODAK EKTACHROME 64 Professional Film 

ということは、他のエクタクロームE100G/GX、E100VSは販売継続ということになる
が、どうだろう。

それから、その知人が愛用しているカメラとフィルムにアグファというドイツの会
社があるが、既にフィルムの製造は中止されている。この会社、カメラも製造して
いた。このアグファのネガフィルムを数回使用したことがあるが、リバーサルは試
し撮りするチャンスを逸してしまった。

リバーサルフィルムが販売中止になるこの世の中、ライカがデジタルカメラを製造
するようになったのだから時代の趨勢というべきだろうか。

エクタクロームの販売終了の案内
http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/info080924.shtml

エクタクロームの案内
http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/professional/products/colorReversalIndex.shtml

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。

デジタル化はアナログの製品をこんなにもじわりじわりと追い込んでいたとは思い
もよりませでした。特にリバーサルのコダクロームはそれなりの質の高さを誇って
いたことと限られたユーザだけが使っていた製品でデジカメの影響は受けないだろ
うと勝手に考えていたがやはり技術革新には勝てなかったということだろうか。次
は何が消えていくのだろうか。

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【世界の街角から】amazon円高の恩恵 第5号 2009年3月4日

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メールマガジン「世界の街角から」            第5号 2009年3月4日
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第5号は昨今の円高(やや円安傾向ですが)の恩恵についてのレポートです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
と硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けしていま
す。

▼第5号の目次はこちらです。

■ドル安or円高?の恩恵-米国アマゾンか日本アマゾンか?
■日本製品の海外での価格比較と円高

■■編集後記

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■ドル安or円高?の恩恵-米国アマゾンか日本アマゾンか?

円高だという人もいれば、いやいやドルが安いだけなのだという人もいる。為替の
議論はさておいて円で生活しているので円換算して物事を判断することになるが、
ドル建ての商品を購入する場合、対ドルで円の価値が上がればドルで決済するので
お得感がでてくる。

今回仕事の関係で洋書を買おうと日本のアマゾンを検索、必要な本を探して一旦は
購入したが、あれ、待てよと、昨今の円高ならばもしかして米国アマゾンから購入
したほうがハンドリングチャージを支払っても安いのではないかと調べてみた。そ
したら、予想通り5冊購入して2200円ほど安くなることがわかった。

そこで、日本アマゾンの注文をキャンセルして米国アマゾンで購入することにした。
これまでの為替レートだと同じ洋書の場合、円換算すると米国アマゾンのがやや安
い程度だったが、リーマンショック以降の為替で円換算するとかなり安くなってい
る。米国から日本に取り寄せる場合、一回あたり4.99ドル、一冊ごとに3.99ドルチ
ャージされるがそれでも計算すると2200円程度安くなる。

納期についても米国アマゾンでは全てストックありだった。日本アマゾンだと注文
したうちの1冊が1-2週間と表示されていたので米国から取り寄せるのがあったので
あろう。米国アマゾンでストックありの場合10-14日間でこれまで届いていたので正
月明けには届くことを期待している。

5冊程度纏め買いすれば現在の為替レートでは安くなるということがわかった。しか
し、安いと思って2冊買い増したので支払い金額は当初の日本アマゾンでの購入価格
より、2200円ほどあがってしまった。まあ、情報は金なり、と思いたい。さらにこ
の変更に掛かった人件費は考慮していないので実際はもっと高価になっていること
だろうが、凡人ゆえ安く買えれば単純に喜んでしまう。

UKも基本的に書籍は高かったが現在の為替レートは1ポンド135円、なんとこんなに
安いのか、これはチャンスかもしれないぞ・・・、フムフム、書籍だけではないぞ、
1-2年前の為替レートと比較して45-50%だから不動産等は値下がりを含めたら50%以
下ということになる。サウスケンジントン辺りどうだろうか?


■日本製品の海外での価格比較と円高

海外で日本製品を購入する場合の最近は為替の関係で日本で買うより円換算すると
高かったが昨今の円高(ドル安)で海外での価格を円換算すると海外で購入するほ
うが安くなってきた。

例えば米国amazonでNikon D300 bodyはUSD1,299.99、1ドル90円で換算すると
116,999円となり、日本での最安値は131,297円より、14,298円安いことになる。米
国から輸入すると送料及び関税が掛かるが、デジタルカメラの関税はゼロと、あと
は送料を負担するのみ。これはあくまでもシュミレーション、定かではないのがカ
メラ等を海外発送するか否かだ。米国amazonははっきりとは書いていないが書籍の
ようにはいかないだろう、アパレルは日本向けは購入できない。

英国amazonでは同じケースでGBP999.99、1ポンド136円で計算すると136,000円とな
り、価格だけでは日本での最安値よりやや高いが、日本amazonよりは安いということになる。

あくまでもNikon D300を例にした参考価格だが、購入するという点では今がチャン
スだろう。覇権国家米国は今後基軸通貨としての米ドルをどのように防衛していく
のだろうか、ヒラリーはTBのトップセールスウーマンかもしれない。

Nikon D300本体の価格
米国amazon 116,999円(1ドル90円)
英国amazon 136,000円(1ポンド136円)
日本amazon 152,730円

米国amazonでのD300
http://www.amazon.com/s?ie=UTF8&keywords=D300&index=photo
英国amazonでのD300
http://tinyurl.com/c5j5k5
価格コムでのD300
http://kakaku.com/item/00490711094/


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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。

現在、滞在しているウズベキスタンのタシュケント、先週まで宿泊してたトルコ系
ホテルは今年より大幅にホテル料金が値上がりした。昨年まで65米ドルだったのが
今年から85ドル、全ての物品をトルコから輸入しているから値上がりしたのだとい
うが、外貨で支払っているわけだしトルコリラは米ドルに対して35%ほど値下がりし
た。なぜ値上げなの?

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Tuesday, 3 March 2009

【世界の街角から】タシュケントの表情と生活 第4号 2009年3月2日

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メールマガジン「世界の街角から」            第4号 2009年3月2日
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発行人の飯尾彰敏です。
第4号はタシケントの表情と生活についてについてのレポートです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
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■タシュケントの発音と表記
■タシュケントの町の表情(1)
■タシュケントでの食生活(1)
■タシュケントショッピング事情(1)
■■編集後記
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■タシュケントの発音と表記
Ташкент (Tashkent)はロシア語表記、ウズベク語表記はToshkent、日本語で
は「タシュケント」と「タシケント」の2種類が表記に使用されている。以前は「タ
シケント」が多かったが最近は「タシュケント」のが多いようだ。よってここでは
タシュケントを用いることとする。

■タシュケントの表情(1)
町の表情を語る前に歴史を簡単にレビューしておく必要がある。

タシュケントはシルダリア川の支流であるチルチク川の流域に位置する。歴史的に
はシルクロードのオアシス都市として繁栄した。このオアシス都市は2000年前には
「チャーチュ」(ソグド語、ペルシャ語)として記録されている。タシュケントの
歴史は後述に譲るが、モンゴルにより町が崩壊し、その後、ティムール帝国の勃興
により復興を果たしている。

1809年、コーカンド・ハーン国の支配下になったころのタシュケントは25キロの城
壁に囲まれた人口10万人の都市だったという。その後、帝政ロシアがコーカンド・
ハーン国を征服、帝政ロシアの直轄領となり、1967年、タシュケントにトルキスタ
ン総督府が設置されてロシア人の入植が積極的に行なわれ、旧市街の外側にロシア
様式の新市街が形成され、その後、中央アジア経済の中心都市として発展、現在、
人口200万人を超え、中央アジア最大の都市である。

このように帝政ロシア以降の歴史的な背景から、タシュケントはAnchor Canalを境
にして西側を旧タシュケント(旧市街)、東側を新タシュケント(新市街)と呼ば
れている。

本来なら旧市街にはイスラム様式の町並みが残っているはずだが、1966年4月26日、
タシュケントを震源とする直下型大地震により、脆弱な構造の家屋や建築物の多く
が崩壊したため町の様相が一変した。

それでも旧市街には地震に耐えたイスラム寺院や土塀作りの迷路のような町並みが
残っているという。これはまだ未確認なので次回以降に説明する。

復興には、ソ連各地から3万人の「革命的労働者」が集められ復興支援が行なわれ、
僅か数年でタシュケントは近代都市に生まれ変わったという。

この復興計画では、定かではないが、道路幅員や1ブロックのサイズなど我々から見
ると非常にゆとりのあるモジュールが適用されたようでヨーロッパやアジアの都市
とは趣を異にする。若しくはソ連邦のモジュールなのかもしれない。

それで、町の表情はどうかというと、特に新タシュケント側は一言で言えば広々と
ベターッとしている。

どこが町の臍かと考えても明確な答えがないが商業的な集積は、短い滞在の中で感
じたのはナボイ劇場周辺とchorsoだろうか。チムール広場がタシュケントの中心だ
というが定義が不明確であるし、広々とし過ぎていることや空地も多いことから、
これが中心地なのだろうかと考えてしまう。確かに、ホテルや行政機関はいくつか
はあるが。

ナボイ劇場の周辺にはTsUMやMir Shopなど商業施設や文化施設が多い。行政機関も
同様にこの地区に多い。

歩こうと思うと広々とし過ぎていて、ややヒューマンスケールを超えるので散歩
コースを考えるのに苦労する。

■タシュケントの食生活
Sushi Barの宣伝を見たような記憶だがあまり話題に上らないところを見るとそれほ
どでもないのだろう。それよりもこの地域で和食を期待してはいけないと思ってい
る。もし期待した場合の失望感が大きいだろうから。

それよりも日本人にとっては朝鮮料理(下記参照、韓国料理のこと)のほうが何か
と口に合う。ウズベキスタン料理はプロフ、ラグマン、シャシリックなど美味しい
のだが脂っこいので敬遠しがちだ。

その他、トルコ料理、これはややトルコに滞在した経験を持つ筆者にっとてはやや
物足りない。中華もあるが、今回はこれからだ。ただ一人では行けないだろうな。

もちろんロシア料理も一般的に口にすることが出来る。ロシアのファミレスがある
そうなのでこのレポートはまたの機会にする。ロシア料理というとボルシチ、ポー
クカツレツ、ビーフストロガノフ等を思い出すがボルシチはウズベク料理屋でも用
意している。ボルシチ、サラダ、リピョーシカで軽くランチを食べることも少なく
ない。以下、個々の店の味と印象です。

□1937年以降、ソ連国家に反感を持ちそうな民族を丸ごと中央アジアのカザフスタ
ンや極東シベリアの遠隔地に強制移住させる政策がスターリンによって行われた。
極東沿海州の朝鮮人やカスピ海北部のドイツ人などの移民がカザフスタンへ強制的
に送られた。

▼Mir Burgar(Mir Shopの中)
元はDeMirといったそうだがそのフードコートにトルコ料理、ピザ、スイーツなどの
セルフレストランがある。地階にトルコ料理レストランがある。

選択肢があるが主にここではトルコ料理ファーストフードをよく食べる。トルコ料
理といえばドネルケバブ、ビーフとチキンの組み合わせになる。遅い時間になると
ドネルケバブが売り切れている場合が多い。それから、アイラン(ヨーグルトドリ
ンク)も毎回注文する。

Et Doner 6300Sum+Ayran700s=7,000Sum(5ドル相当)
ビーフのドネルケバブとヨーグルトドリンク

バナナジュース(1700s)があったので注文したが、甘くて飲めなかった。

ロカンタのような食堂があるとありがたいのだが。

▼韓国館(Han Kuk Kwan)
MBD(内務省)の前、Mirabad StreetとSharaf Rashidov Ave.が交差する島(駐車場
になっている)、ラウンドアバウトともいえない、の中に位置する。
Kosmonavtlar駅から徒歩3分
Tel.071-252-3322

何度か行ったがスンドゥブがいつもないので最近足を向けていないが、普通に美味
しい韓国料理屋である。

▼Kim's House
1996年1月にタシケントに滞在したときにタシケントに赴任している人に連れて来ら
れた韓国料理屋ではないかと思った。それは、入り口までのアプローチが非常によ
く似ていたからだが、内部はやや異なる気がする。それで、主人に確認したら2005
年5月からの営業とこのと、違う店だった。あの店はどこだったのだろうか。

Ming Orik/Oybek駅から徒歩3分
Afrosiab 35/1, Tashkent
Tel.071-252-2927

私的には気に入っている韓国料理屋なので何度も足を向けている。徒歩だと25分か
かるが丁度よい散歩だ。

▼MIDORI
Poytaxt Hotelの中(1階、ホテルの一角)にある。Korean and Japaneseと看板に
書いてあるので両方出すのだろうが、韓国料理しか食べたことがない。そういえば
寿司の写真がありました。

やや前述より値段設定が高めだろうか、メニューの違いはあまりわからなかった。
4, Movaraunnahr, Tashkent
Tel.071-120-6974

▼Opera Cafe
Dedeman Hotelのカフェ、ホテルの中なので値段はそれなり。
Wi-Fiが使えるのでその目的なら高くはないだろう。
夜は12時まで、食事は11時まで。
Dedeman Hotel 1F

▼Palace Plaza
International Business Centerの1階右奥にあるローカルフードレストラン、比較
的リーズナブルなのでビジネスセンターで働く人で賑わっている。メニューがある
がまだよくイメージできない。私の知っている範囲は、ラグマン、炒めラグマン、
ピラウ、ボルシチ、リピョーシカなど。サラダは種類が多い。ランチは、3000-5000
Sumで食べられる。

■タシュケントのショッピング事情(1)
前述のように町がベターと広がっているので商業的な集積は非常に限られるが、中
心地(新市街)の道路沿いの一階はショップになっている場合が多い。しかし、線
的な配置なので集積とはいいがたい。集積といえるのはMir Shopとバザール周辺だ
ろうか。Mir Shopとアライ・バザールは何度か足を向けたので概要を説明する。

基本的に販売している製品は輸入品であり、並の製品でも割高感が否めない。これ
はウズベキスタン製品の競争力がない証であることは言うまでもない。冬季は農産
物までトルコや中国から輸入されている。

▼Oloy Bazar (Alaysky)
新市街中心部にあるバザール、1996年に来たときには衣類のバザールは無かったが、
2007年には正面建物の右側に衣類のバザールが出来ていた。レザー、スーツ、カジ
ュアル等ほとんどの衣類が揃っているが、デザインがやや野暮ったいので買えそう
なものは少ない。トルコ製、中国製がほとんど。

正面の建物内は、宝石屋が多い。その奥に、野菜、果物、肉類など生鮮食料品バ
ザールがある。

ロンリープラネットによると警官が特に多いと説明がある。

▼Mir Shop (Super Market)
トルコ資本のスーパーマーケット、2007年のときはDemirといったのではないだろう
か。ここはトルコと概ね同じ内容と値段だ、食料品ならば概ね何でも揃っている。
キッコーマンの醤油も売っていたが7ドル相当と高価だった。他方、中国製の醤油は
2ドル相当だった。酒類は販売していない。ここがタシュケントでは一番品揃えがい
のではないだろうか。もう一箇所、旧Gumにトルコ系のスーパーマーケットが進出し
ているが今回はまだ足を向けていない。

また、3番のキャッシャーはクレジットカード(VISAは使えた)が使える。これは助
かる。

2階にブティックがある。トルコのSARAR(私が信頼しているトルコの紳士服屋)が
あったので、50%offのスーツを調達した。すそ直しはアライバザールへ行けという
のが納得行かないがしょうがない。次は靴を調達予定だ。

その他、ZARA、キッチン用品屋(ベルギー製がほとんど)、化粧品、家電製品、文
房具屋、時計屋、女性・子供服屋、下着屋、靴屋等のショップがある。

近くに劇場あったり、横にフードコートがあるなど他の施設との連携が取れている
せいか、いつも賑わっている。

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
言葉のバリアは大きい、ロシア語が出来たら情報量が倍増するのだろうな。この地
域なのでロシア語は必須なのだが。やはり語学学校へ行くべきだろうな、時間をつ
くってでも。

No.3にレポートしたトルクメニスタン大統領一行様、トルクメニスタン物産展も開
催されており案内があったので最終日に足を運んだ。しかし、ファッションショー
は最終プログラムが終了した後で観ず仕舞い。デデマンで見かけたモデルらしき均
整の取れた人たちがいました。

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