2010年1月31日日曜日

世界の街角からMM 第45号 モスクワ・レポート4 2010年1月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第45号 2010年1月31日
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モスクワ・レポート4です。
11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たメモです。
▼目次
■郷愁のキエフ駅
■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
■■編集後記
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二日目後半、Arbat通りのヨルキ・パルキで遅いランチをとり、通りの端にある
Smolenskayaという地下鉄駅から一駅乗り、Kievskayaまで行った。本来ならキエ
フ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが、寒さと暗さで地下鉄
の利用となった。

■郷愁のキエフ駅
ソ連時代、この駅からドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立った。当時は
インツーリストのお抱えなので自前で行動することはほとんどなく(できなかっ
たのだが)ボルガ(ソ連製の乗用車、ハイヤーの代用だろう、タクシーの場合はL
adaなので)で市内を移動した(個人旅行といえどもインツーリストは外国人に対
してこのようなもてなしだった)。宿泊していたコスモスホテルからここキエフ
駅への移動もそうだった。コスモスホテルは北部に位置し、キエフ駅は南西部、
何れも環状3号内ではあるが、どこをどのように走ってきたのかまったく記憶にな
い。広い道路に少ない交通量、渋滞など考えられる状況にはなかった。

今回は一駅都心のSmolenskaya駅から地下鉄を利用、キエフ駅はコムソモルスカヤ
駅に匹敵するほど芸術的な駅だった。地下鉄駅からロシア鉄道のキエフ駅へ向か
う。モスクワの地下鉄駅とロシア鉄道駅との連絡は一般的によくない、というの
は駅の名称が異なったり、連絡通路がなく、外へ出て少し歩くことが多い。しか
し、ここキエフ駅は地下鉄駅の上がキエフ駅だった。

キエフ駅はシティーエアーターミナルとなっているようで、この駅でフライトの
チェックインができるようになっていた。モスクワを留守している間にここまで
サービスレベルが向上しているとは予想もできなかった。我々がシェレメツェボ
空港から利用したアエロエキスプレスがキエフ駅からVnukovo空港まで35分でサー
ビスしている。恐るべしモスクワ!

キエフ駅を訪れた目的は単なる郷愁のトレースと現在の駅の状況把握であった。1
985年当時、どうやって夜行列車に乗ったのか定かではないが二等寝台車で快適な
列車の旅であり、翌朝にはドニエプル川の鉄橋をゆっくり渡るゴトゴトと言う音
で目覚めた。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
Kievsky Vakzalの目の前にある巨大なショッピングセンター、建設中にヨーロッ
パ最大の床面積のショッピングセンターと言われた近代的なショッピングセン
ターが一ブロック丸ごと占めている。

流行の複合ショッピングセンターで5階までがショップ、高級ブランドもテナント
にあるがそれ以外も多い、地下にスーパーマーケット、シネコン、7階にスケー
トリンク、5-6回は駐車場。フードコートやレストランもある。冬季はこの中で一
日過ごせてしまえそうだ。

小規模でもいいからもう少しバラけているとカスタマーにとっては便利なのだが
どうもロシアは巨大集積型がお好みらしい。それにモータリゼーションをも非常
に意識している。

ショップ、ショップ、ショップ、並ヨーロッパブランドから高級ヨーロッパブラ
ンド、ロシアブランドなど様々なテナントが入居している。はっきり言って西側
ブランドはヨーロッパの値札の1.5倍である。ぶらぶらしていたら見慣れた看板を
発見、HUBERで下着を購入したが、ウィーンの2倍近い値段だ。だれがこんな理不
尽な値段設定を受け入れているのか不思議なのだが、とにかく客の入りは非常に
よい。

4階にあったパソコンショップでD300とPCを接続するUSBケーブルを忘れてきたの
でここで調達した。その横にアップルストア(アップル製品を販売しているだけ
だろうか不明)があったのでiPhoneがあるか聞いてみたが、ここでは販売してい
ないこととガルブーシュカ(モスクワの秋葉原)で購入できるという。

ユニクロが2010年春にモスクワに進出するというニュースを聞いていたのでこの
ショッピングセンターなのではと勝手に想像していたが、地下鉄Kurskaya駅前の
Atriumということを後から知った。

Evropeisky SC.
Kievskaya pl. 2
tel.(+7) 495 921 34 44
Open 10:00 - 22:00, Sat, Sun 10:00 - 23:00
Metro station: Kievskaya

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
夕飯に何料理を食べようかと内輪で話しているときに最長老から、イタリアンに
しようとのリクエスト、これには伏線がありランチ時からイタリアンという問い
かけがあったが誰もそれには答えていなかったのだ。

料理が先かレストランが先か、ほとんど地の利がないモスクワ、料理よりも適当
なレストランを探すことが先決なのだ。ショッピングセンターだからあるだろう
と、大船に乗ったつもりで探す。外から見るとなにやらイタリアンとかいうサイ
ンが見える。じゃそこにしようと即決。

2階にあるAcademiaというイタリアンレストランで夕飯を食べることにした。この
ショッピングセンターを出てどこへ行くのか、あてもなく時間だけが過ぎていく
ような気がしたので適切な選択だったと思う。

日本人がイタリアンというと=パスタとなってしまうが、メインはメインで美味
しい料理もあるのだが、ご他聞に洩れず、パスタを注文することになった。ピザ
とスパゲッティ。もっとも簡単な前菜だがイタリアンファーストフードともいえ
るだろうか、麺文化の我々にはメインにもなる便利な料理だ。

普通のピザとパスタであったが、これらもまともに出すレストランの少ない国の
首都から来た我々は何度も何度も感動したものである。値段は東京並み、東京よ
りコストパフォーマンスは低いが、まあ昨晩と比べれば格段の満足度であったこ
とは言うまでもない。私はビールの味がわからないしあまり好んで飲まないが、
旨いビールだったようだ。ロシアビールといえばバルチカしか知らないが。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
この周辺は危険地帯なので夜遅くなってからは行かないほうがよいとモスクワに
住んでいた商社マンに忠告された地区であるが、ここを訪れずモスクワを離れる
ことは己が許さないであろう、夕飯の後、ベラルーシ駅での荷物預かりを確認し
てからヤロスラブリ駅へ地下鉄で向かった。

ソ連時代からこの付近(ヤロスラブリ駅とレニングラード駅が隣接している)、
レニングラード駅の横は娼婦街といわれていた。人通りがあるし、こんな大きな
駅の構内が危険というのが解せない。まあ、その横の路地裏ならヨーロッパの大
都市の駅とて非常に危険だ、ベルリンやフランクフルトは私の経験では非常に顕
著だった。当時は麻薬中毒と売春婦はワンセットだったと思うがこれは今も同じ
ことなのだろう、それに加えてロシアではネオナチという民族主義の若者が我が
物顔でアジア系を狙うという実しやかな情報が流れている。実際、日本人も被害
にあっている。中央アジア系に間違われたのだろう、ロシアでは日本人と承知で
襲うことは考えにくい、強盗は別だが。ただ、驕ってはいけない。

前置きが長くなったが、このヤロスラブリ駅、シベリア鉄道の起終点だ。ヨーロ
ッパと同じ、行き先が駅名になっている。ヤロスラブリはシベリアではない、モ
スクワから東には行くがウラル山脈よりずーと手前の都市だ。

シベリア鉄道はこのモスクワのヤロスラブリ駅とウラジオストク駅を結んでいる
全長9297km、ロシア号はモスクワ-ウラジオストク間を7日で走破する。1
985年当時のソ連邦時代はウラジオストクが軍港のため外国人の立ち入りが禁
止され、ナホトカがシベリア鉄道の起終点になっていた。

日本からは、横浜港大桟橋からナホトカ港へ、そして、ナホトカから極東鉄道を
経由してシベリア鉄道へ合流し、ハバロフスクでロシア号に乗り換えた。実際、
ナホトカを出てしばらくするとシベリア鉄道に合流する。

1985年7月8日16時40分、ロシア号でヤロスラブリ駅、確か、2番線に到着したのだ。
そのときの記憶を頼りに行ってみた。既に21時を回っていたが人通りは多く、こ
れから列車が出発するのだろう、小雨が降る中、プラットフォームへの人の流れ
が絶えなかった。駅全体が私の記憶と異なるのはキオスクが多くなったことと、
改札らしき施設ができていたことだろうか。でも、2番線へは改札はなかったな。

駅舎の前に到着と出発の時刻表が掲示されていた、2番線ウラジオストク行き21:2
5というスケジュールが見える。
http://www.flickr.com/photos/yha229/4218297364/in/set-72157623077690342/

1985年のヤロスラブリ駅
http://1985.iio.org.uk/ussr/siberia_moscow.htm

□芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
ヤロスラブリ駅とレニングラード駅の地下鉄駅がKomsomolskaya駅である。マリア
テレジアンイエローとモザイクがまるで宮殿の中にいるような地下鉄駅、これは
絶品である!
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077690342/show/

■■編集後記
レポート5はモスクワ三日目、Novodevichy Convent、モスクワ国立大学、雀が丘、
ランチに日本料理、モスクワ秋葉原等です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第45号 2010年1月31日
発行責任者:飯尾彰敏
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2010年1月17日日曜日

世界の街角からMM 第44号モスクワレポート3  2010年1月17日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第44号 2010年1月17日
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明けましておめでとうございます。多忙を極めているうちに年が明けてしまい、1
月も中旬を過ぎてしまいました。さて、モスクワの続きです。
11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート3です。ギャラリーリンクを追加しました。
▼目次
■トレチャコフ・ギャラリーとプーシキン美術館
■聖救世主教会とモスクワ都市計画
■Gogotevsky大通りからArbat通りへ
■Arbat通りとヨルキ・パルキ(ロシアン・ファミレス)
■■編集後記
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この日の予定は、トレチャコフ、プーシキン美術館、Arbat通り、キエフ駅とその
隣のショッピングセンター、ヤロスラブリ駅でしたが、プーシキン美術館の前に
ある救世主ハリストス大聖堂に立ち寄った。小雨が降る肌寒いお天気ながら、ク
ロポトキンスカヤ駅からArbat通りを歩いた。

■トレチャコフ・ギャラリーとプーシキン美術館
最寄の地下鉄駅で下車、地図を見ながらトレチャコフギャラリーを探して辿り着
いたのだが静か過ぎる。門の前に休刊の説明、なんとトレチャコフは休館だった。
そこからまた地図を見てプーシキン美術館までモスクワ川を渡り歩くことにした。
風が強く寒かったな。でも、モスクワ川とクレムリンを背景に記念写真を取るこ
とができた。やっぱり旅は歩かないとね、でも寒かった。

Tretyakov Gallery
http://www.tretyakovgallery.ru/en/

トレチャコフ・ギャラリーからぷらぷらと歩き、プーシキン美術館にはやっとの
ことで辿り着いたが入り口がわからない。道行く人に聞いたら建物の横だという。
目的は本館ではなくEuropean Collectionセクションだ。本館へ入って入場料を払
う窓口でここではく隣だと告げられた。それでやっと暖かい場所に落ち着けてほ
っと一息したが直ぐにコートを着て隣のEuropean Collectionへ向かった。隣とい
っても敷地が大きいので数分はかかった。隣のブロックに細長い建物がありそこ
がEuropean Collection、これまた建物正面でなく横が入り口だった。観光バスが
横付けされていたのでどんなに多くに人が入場しているかと思ったら、かなり空
いていた。

このEuropean Collection、ガイドブックにあるように印象派コレクションが豊富
だった。目の前でルノワールをじっくり鑑賞した。高校生だろうか、先生が絵の
前に立ち、かなり長い時間説明していた。ここはまた一人でじっくり訪れてみた
い美術館だ。
Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection)
http://www.museum.ru/gmii/defengl.htm

■救世主ハリストス大聖堂とモスクワ都市計画
(Cathderal of Christ th Caviour)
プーシキン美術館の目の前にモスクワ川沿いに建っている教会が救世主ハリスト
ス大聖堂という、ソ連時代に共産主義都市計画が優先され破壊された教会で、連
邦崩壊後、モスクワ市長のイニシアティブにより再建された。政治的な理由によ
り数奇な運命を辿っている。

1931年、ソ連共産党の党大会議場となる「ソビエト宮殿」の国際建築設計コンペ
が公示された。コルビジュエもこのコンペに参加しているが、ソ連の建築家が一
等になるのは予測済みだったことだろう。この宮殿の建設予定地が救世主ハリス
トス大聖堂なのだ。

1934年に公開された最終的な案では、頂上部には高さ80mの巨大なウラジーミル・
レーニン像が立つ姿、土台部分はまた円形へデザイン変更され、そして第二次大
戦後の1947年、モスクワ建都800年に合わせてスターリンは世界の模範的首都とし
ソビエト宮殿を含むモスクワ復興と共産主義国家の首都モスクワの建設を指示し
た。そしてモスクワの7つの丘を象徴する7つの高層ビル建設を進めたのです。

その核となるソヴィエト広場はスターリンの死とともに計画だけで終わったがそ
の敷地であった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月5日に爆破された。

救世主ハリストス大聖堂の跡地では基礎工事が始まっていたものの戦争の影響で
資材を流用、戦後、本格的に建設工事が始まったが、1953年のヨシフ・スターリ
ン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに「ソビエト
宮殿計画」を白紙に戻してしまった。

宙に浮いたソビエト宮殿建設用地は、基礎工事が中断したまま放置されていたが、
1958年から直径129.5mもある世界最大級の野外温水プール「モスクワ」が建設さ
れた。

ソ連崩壊後、大聖堂の再建機運が高まり、温水プールは閉鎖され、1995年1月7日
に再度モスクワ市がイニシアチブを取り、巨費を投じて宮殿基礎やプール施設を
撤去し、大聖堂再建がスタートし2000年8月19日に「救世主ハリストス大聖堂」が
竣工した。

ということで信じられないことがソヴィエト時代には行われていたのだ。共産主
義という専制政治とは何だったのか、考えさせられる一面に触れたのでした。

◆スターリン様式の建築(セブンシスターズ)
前述の通り、モスクワ宮殿建設と同時にニューヨークの摩天楼と競おうと思った
のかモスクワのランドマークとなるスターリン様式の以下の高層ビルが1930年代
にモスクワの都市計画の一環として計画され、7棟建設された。これらのデザイ
ンは旧共産主義圏において、ソ連からのプレゼントと称してコピーが存在する。
文化科学宮殿、どこでも同じ名称なのか、ワルシャワとリーガは記憶にある。

1.モスクワ大学本館
2.ロシア連邦外務省
3.ロシア連邦運輸機関建設省
4.文化人アパート
5.芸術家アパート
6.ウクライナ・ホテル
7.レニングラード・ホテル

■Gogotevsky bul.からul. Arbatへ
地図を見たところ、救世主ハリストス大聖堂からArbat通りまでは徒歩圏であり並
木道が続いている(冬なので寒々としていたが)ので歩くことにした。クロパトキ
ンスカヤ(Kropotkinskaya)駅を抜けGogotevsky bul.の終わりがArbat通りの始
点である。

クロパトキンスカヤ駅はその上が小規模なショッピングストリートになっていて
小さな店が並んでいた。その外れにビアード・パパというシュークリーム屋があ
った。どこかで聞いたような、そうだ、マニラのグリーンヒルズだ。実はこのシ
ュークリーム屋、日本では全国展開しているようだが私は日本では食べたことが
なかった。

同行者の一人がタシケントからリクエストされていたシュークリームだというこ
とになりここで買い求めることになった。救世主ハリストス大聖堂で戻ってこな
い仲間がいたのでかなり時間を費やしてしまい先を急いでいたが、ここで更に時
間を費やすことになった。旅は道連れ世は情けだ。

この店、モスクワでは2009年2月4日にオープンしたばかり、株式会社麦の穂とい
う会社が経営しているとは初耳であった。都内だと東急東横店に店があるようだ
が記憶にない。
http://www.muginoho.com/company/globalInfo.html

Arbat通りの手前のコスメチックショップでリップクリームを買った。唇がカサカ
サで割れてしまうのではと心配していたのだ。ニベアのリップクリームだった、
それから、ハンドクリームもここで調達、値段はヨーロッパと同程度だった。タ
シケントに戻ってからスーパーマーケットで同じものが販売されていたので値段
をチェックしたらこちらのが高かった。

この通り、夏季は清々しいだろうと思う。

■Arbat通りとヨルキ・パルキ(ロシアン・ファミレス)
モスクワの代表的な観光地としてどのガイドブックにも紹介されているアルバー
ト通り、ニューアルバート通りもあるが今回は道草が多かったので割愛となった、
誰かがモスクワの原宿だとか言っていたな、歩行者天国なので歩くには非常に快
適だ、以前は露天商が多かったようだが最近規制され、その姿はほんの僅かにな
ってしまった。ソヴィエト時代のプロパガンダポスターを売っていたので買いた
かったがパス。

ヨルキ・パルキで遅いランチを食べた。タシケントにもある通称ロシアンファミ
レス、ここで、本場?のボルシチとサーモングリルを食べた。値段も味もリーズ
ナブル。ウドンヤサンという和食レストランもあったが、もう一つ胃があってほ
しかったな。こちらも事前情報でリーズナブルだと聞いていたモスクワの和食だ。

アルバート通りはショッピングストリート、両側にショップがずらりと並んでい
る。低層なので圧迫感がない。お天気も悪いし、日没も早いので4時ごろには暗
くなっていて写真も撮りにくかった。わがD300をISO3200に設定してもブレてしま
うだろう。

土産物屋も多く、その中の一軒で知人に頼まれていたスタンダードなマトリョー
シカを購入した。450ルーブルだっただろか。モスクワにはマトリョーシカ市場な
るものがあり、本来は出向いていきたいところだが時間が限られているので仕方
がない。この通りの端にスターリン様式の外務省がある。少し見えたかな。

今時のモスクワはスタバ、マクドナルド等米国文化も当然存在し、このような場
所では格好の立地となっている。マクドナルドは一度試したがスタバは入らなか
った。タシケントには絶対にありえないファーストフードだ。

アルバート通りの端にSmolenskayaという地下鉄駅がある。キエフ駅までモスクワ
川を渡って歩いてきたいところだったが寒さと暗さで地下鉄を利用、Kievskayaま
で行った。

■■編集後記
一気に書こうと思いながら他の事で忙しく年明けになってしまいました。二日目
の後半は、キエフ駅、20数年前にドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立っ
た駅、それと、キエフ駅前に最近オープンしたショッピングセンター、シベリア
鉄道の終着駅ヤロスブラリ駅です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第44号 2010年1月17日
発行責任者:飯尾彰敏
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