2011年7月17日日曜日

「世界の街角からMM」第110号 アルメニアとトルコ 2011年7月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第110号 2011年7月16日
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日本からエレバン・レポート30です。アルメニアとその周辺国の関係についての
続きです。
▼目次
■ナゴルノ・カラバフ紛争解決の現状
■トルコ・アルメニアの国交正常化問題
■■後記
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■ナゴルノ・カラバフ紛争解決の現状
和平議定書には公表されていない14項目があると言われている(ロイター)、和
平交渉では以下6項目のガイドライン策定及びその合意を行うことが中心となっ
ている。

1)アルメニアが実効支配しているナゴルノ・カラバフのアゼルバイジャンへの
移管
2)安全保障と自治のためのナゴルノ・カラバフの中間的な位置づけ
3)ナゴルノ・カラバフ市民による最終的な位置づけの将来的な決議
4)ナゴルノ・カラバフとアルメニアの陸上接続回廊の整備
5)両国の難民及び退去した人々の帰還権利
6)平和維持管理を含む国際的な安全保障の保証

冒頭のナゴルノ・カラバフの移管は将来的には返還していくことになると思われ
るが、現時点ではアルメニアにはあり得ないことだ。

▼難しい課題
1)和平枠組みが両者に合意されても、両国のリーダーは秘密裏に行われな協議
内容を公表せざるを得なくなり、そして、合意内容についてそれぞれの国民を納
得させるのは難しいと分析されている。

2)ナゴルノ・カラバフとアゼルバイジャン前線での戦闘状態の継続はは合意事
項を危険に晒すことになる。

3)外交官や専門家は、合意が最終的な平和的解決による適切な期間に沿わない
場合、両国は、再度、離れていくと警鐘している。

4)解決の糸口は、アゼルバイジャンが主張している領地の統合、そしてアルメ
ニアの独自の決断が主要議題に載らなければならない。

5)和平への交渉は、複合的不安定な要素を加味した事実上のナゴルノ・カラバ
フによるリーダーシップの介在がなければならない。

係争中のナゴルノ・カラバフ(ロイター、6月29日)
http://tinyurl.com/3w2nmjc

▼ナゴルノ・カラバフ地図
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Location_Nagorno-Karabakh_en.png

▼ナゴルノ・カラバフ共和国(人口約13.8万人、2006年予測値)
首都、ステパナケルト(標高813m、人口5.3万人、2010年)
通貨はアルメニア・ドラム
車両登録はアルメニア・ナンバー

ナゴルノ・カラバフ共和国
http://nkr.am/en/

Government of Nagorno Karabakh Republic
http://www.karabakh.net/

NKR外務省
http://www.nkr.am/en/

NKRワシントンDC事務所
http://www.nkrusa.org/

▼査証取得
NKR領事部がエレバンにあり、ここでビザ申請ができる。

17-A Zarian Street, Yerevan, Armenia
http://www.nkrusa.org/nkr_office/visa_travel.shtml

■トルコとアルメニアの国交正常化問題
トルコとアルメニアの関係改善による地域の安定を目指した欧米諸国の後ろ盾の
下、スイスが仲介しチューリッヒにおいて2009年10月10日に両国間で国交正常化
の署名がなされたが、両国で批准されるまでには至っていない。

この国交正常化、アメリカとロシアの圧力があり、アルメニア・ナルバンンジャ
ン外務大臣は不満の表情を隠さなかったことから、トルコ・ダウトール外相は合
意文の一部を読むことを控えたとも伝えられている。

国交正常化に両国が署名したからといって、直ぐに友好関係が構築できるとは考
えにくい。オスマン・トルコ末期におけるアルメニア人虐殺問題は、長期的に燻
る火種であることは間違いない、しかし、アルメニアの内政的には最重要課題だ。

署名の翌年、2010年4月、アルメニア人虐殺追悼記念日前に両国による批准の機
運が高まったものの、トルコ国会において批准に至らず、アルメニア側はトルコ
国会での結果を見て批准保留とした。

両国で批准が進展しなかったのは、トルコは批准の条件として、友好国アゼルバ
イジャン領であるナゴルノカラバフ自治州からのアルメニア軍撤退を要求したこ
とから、トルコ・アルメニア両国の議会は合意文書の批准を棚上げしていた。

トルコのエルドアン首相は、2010年4月中旬、国交正常化の批准を行うか否かは、
アルメニアがナゴルノ・カラバフ紛争でアゼルバイジャンと合意に達するかどう
かにかかっていると発言していた。

アルメニア議会は、2010年4月22日、トルコとの国交樹立に関する合意文書の批
准作業を議題から外すことを決定し、サルキシャン大統領が議会での批准作業を
中断するとの大統領令に署名した。

このように、トルコ・アルメニア国交正常化問題は、ナゴルノ・カラバフ紛争解
決と完全にリンクしたことから、進展すれば同時に、さもなくば平行線が長期間
継続することになる。

つまり、経済的にはトルコとの国交正常化によりコストの安い物品が輸入でき、
余剰電力の輸出が可能となるが、国民感情的には同じアルメニア人居住地区であ
るナゴルノ・カラバフ問題が優先される。

どちらがこの国交正常化で利益を多く得るかといえば、アルメニアに違いない。
そうい意味において、タイミングを見計らった英断が必要となる。

アルメニア和解 過去を乗り越える勇気を
http://tinyurl.com/3l45tjw

トルコ大統領、エレバンでワールドカップ予選観戦(2009年10月14日)
http://www.afpbb.com/article/politics/2653082/4762311

EUの国交正常化合意に関する声明(2010年4月6日)
http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/media/news/2010/100406c.html

国交正常化の凍結 アルメニア、トルコを非難(2010年4月23日)
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042201001226.html

■■後記
トルコ-アゼルバイジャン(友好)、アルメニア-アゼルバイジャン(断絶)、ト
ルコ‐アルメニア(経済面で友好)が現状である。これが解決されると、アルメ
ニアは犠牲も払うが長期的にそれ以上の利益を得ることであろう、しかし、この
土地の人たちは目先が最優先されるため、現状のような状況が長期化している所
以ではないだろうか。

ソ連時代に鉄道網が建設され機能していたが、この民族問題の発生により一部を
除いて現在は機能していない。

エレバンからアゼルバイジャンのバクーの路線及び支線は廃線、途中には銅やモ
リブデンなどの鉱山があるが、道路に依存している。レールは取り除かれ、腐敗
した枕木だけが残っている。

エレバンからギュムリを経由してトルコのカースへのルートはソ連時代、トルコ
を結ぶ幹線であった。それゆえ、鉄道の管区拠点が置かれていたが、国境閉鎖に
伴い、衰退してしまった。

問題の長期化は、アルメニア回避運輸ルートの策定へと繋がり、アルメニアがこ
の地域から除外されてしまうのではないだろうかと危惧する。英断が必要なタイ
ミングではと感じる。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第110号 2011年7月16日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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「世界の街角からMM」第109号 アルメニアの国際関係 2011年7月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第109号 2011年7月16日
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日本からエレバン・レポート29です。アルメニアとその周辺国との関係について
概観してみようと思う。
▼目次
■アルメニアの近隣諸国との関係
■未承認国家ナゴルノ・カラバフ
■■後記
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■アルメニアの近隣諸国との関係
アルメニアは4カ国と国境を接する内陸国である。かつては2大洋を(黒海と地
中海)を有する国家として繁栄したがそれは過去のこと。

現在、その4カ国のうち2カ国としか国交がない。国交がない隣接国は、トルコ
とアゼルバイジャン、他方、国交があるのはグルジアとイランである。内陸国で
2方向が塞がれているのは由々しき問題だが、これもまた近代の歴史が表してい
るように近年の国際関係の結果である。

トルコとアゼルバイジャンとの国交を断絶した(された)のは、1992年のナ
ゴルノ・カラバフ紛争に関連して経済封鎖が両国により行われたからだ。一見、
ナゴルノ・カラバフ自治州はアゼルバイジャン領内なので、トルコとの国交が断
絶したことに関係がなさそうだが、アゼルバイジャンはトルコ系民族であり、国
会内にシンパが多く経済的にも関係が深いからだ。

他方、黒海に港湾を有するグルジアとの関係は歴史的にもアルメニア人が多く居
住していたことから関係は現在も良好である。南に隣接するイランとも関係は問
題ない。歴史的にはペルシャに支配されたことがあり、その時に多くのアルメニ
ア人がペルシャへ移民(強制移住)している。

アルメニアの置かれている状況は綱渡り的ではあるがバランス良く外交関係を構
築し、ソ連崩壊後のナゴルノ・カラバフ紛争により疲弊したものの、ロシアの軍
事的経済的なバックアップにより90年代末からリーマンショック前まではコー
カサス・タイガーと呼ばれるほど高い経済成長を持続した。

アルメニアはアゼルバイジャンとの間でナゴルノ・カラバフ紛争で停戦中であり、
停戦後15年を経過するが未だに和平協定は締結されていない。経常的にフロント
ラインでは小競り合いが続いている。トルコとは2009年10月に国交正常化の署名
がなされたが、批准には至っていない。その障害としてナゴルノ・カラバフの取
り扱いがあり、これもナゴルノ・カラバフ紛争問題同様、両国内で合意されてい
ない。

グルジアとは歴史的に関係が深く、トビリシや西部にはアルメニア人コミュニテ
ィが存在し、グルジア人口の5.7%(2009年)、約25万人が居住している。経済的
には、輸入の約80%がグルジア経由であり、港湾であるポチ港やバツミ港を経由
して、また、陸路ではトルコから貨物トラックが往来している。ガスパイプライ
ンはロシアからグルジアを経由して輸送されている。

イランとも良好な経済的関係を維持している。近年、電力分野で共同プロジェク
トが開始されたところ、鉄道新線のプロジェクト案もある。アルメニアから港湾
施設へのルートとして、南方ルートはイランのペルシャ湾に位置するバンダルア
ッバス港へ接続される重要な輸送ルートである。また、石油製品の輸入も近年増
加傾向にある。

その他隣接はしていないが、ロシアとの関係が政治的経済的には密接であり、ア
ルメニアにとっては重要なパートナーである。

■未承認国家ナゴルノ・カラバフNagorno-Karabakh
前述のとおり、紛争種となったナゴルノ・カラバフについてです。

コーカサス地域の国境線は非常に複雑であり、また、未承認国家がいくつか存在
する。その中でもアルメニア人が元々多く住んでいた表向きはアゼルバイジャン
領であるナゴルノ・カラバフ自治州は、現在、アルメニアの実効支配下にあるナ
ゴルノ・カラバフ共和国という未承認国家となっている。

オスマントルコの崩壊とロシア革命により1917年に南コーカサス地域は独立し、
アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアとなり、ナゴルノ・カラバフの帰属を
巡り紛争が起こったが英国の介入により、パリ講和条約へ領土問題が持ち越しさ
れた。しかし、ソヴィエト軍に制圧され、ソ連邦構成国家であるザカフカス・ソ
ヴィエトに併合された。

その後、3カ国はそれぞれ社会主義共和国としてソ連邦構成国家として独立し、1
923年、ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン・ソヴィエトの自治州となった。

その経緯を簡単にいうとスターリン政権は民族間のバランスを保つために単一民
族によるナショナリズム高揚を避けた国境線を引いたことに根本的な紛争の根が
あり、それが現在においても燻り続けている。

ソ連時代末期の1988年2月29日、アゼルバイジャン共和国内のナゴルノ・カラバ
フ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚し、
バクーの北の都市、スムガイトでアルメニア人居住者とアゼルバイジャン人が互
いに襲撃する事件が発生し、死者32人(アルメニア人26人、アゼリー人6人)を数
えた。俗に言う「スムガイト事件」だ。

この事件以降、同年中にアゼルバイジャンから35万人のアルメニア人が、アルメ
ニアから17万人のアゼルバイジャン人が各々追放されれ、ここで民族紛争に火が
付いた。

1991年9月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州が、独立宣言を行うと11月4日、アゼル
バイジャンがナゴルノ・カラバフを経済封鎖した。アルメニアは全面的にナゴル
ノ・カラバフを支援し、翌1992年に両国間で本格的な戦闘状態となった。同年2
月25日から26日にかけて、同自治州ホジャリ市(Khojaly)のアルメニア人過激派がアゼルバイジャン系住民161人以上(アゼルバイジャン政府は613人)を殺害したとされるホジャリ大虐殺が発生した。

1994年にロシアとフランスが仲介し、停戦が成立した。この紛争により、2万人
が犠牲者になり、100万人以上の難民が発生したと言われている。

この停戦の調停案には「アルメニアが占領したアゼルバイジャンの領土の返還」、
「ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに帰属後は自治共和国に昇格」という
一節があり、アルメニア側からすれば納得できるようなものではなかったため、
アルメニアがナゴルノ・カラバフを実行占拠したままになっており、ナゴルノ・
カラバフの帰属問題は未だに解決の目処は立っていない。

さらに、トルコとアルメニアの関係改善による地域の安定を目指した欧米諸国の
支援もあり、2009年10月10日に両国間で国交正常化の署名がなされたが、アゼル
バイジャンにシンパシーを持っているトルコ議員の反対で合意文書の議会承認が
得られず、両国内の承認手続きが保留状態となっている。

▼略史
1923年、ナゴルノ・カラバフ、アゼルバイジャン共和国に編入。

1988年2月20日、ナゴルノ・カラバフ自治州人民代議員会議において、アゼルバ
イジャンからの離脱とアルメニアへの帰属に関する決議採択。

アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ自治州を廃止、共和国の直轄統治となる。

スムガイトで、アゼルバイジャン人によるアルメニア人の虐殺事件が発生。

1989年12月1日、アルメニア最高会議において、ナゴルノ・カラバフ自治州のア
ルメニア併合に関する決議採択。

同年中、アルメニアから17万人のアゼルバイジャン人が、アゼルバイジャンから
35万人のアルメニア人が各々追放。

1991年9月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州が、独立宣言。

11月4日、アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフを経済封鎖。

1992年、紛争開始。

1992年2月25日、ホジャリ大虐殺が発生。

1994年、ロシア・フランスの仲介。

ロベルト・コチャリャンがナゴルノ・カラバフ大統領になる(後アルメニア首
相)。

1994年5月5日、停戦合意。

1998年4月、アゼルバイジャン・アルメニア首脳会談でナゴルノ・カラバフの平
和的解決で両国が合意。

1999年10月、武装グループがアルメニア議会を襲撃。

2002年、アメリカとフランスの仲介したものの、交渉に進展なし。

2009年10月10日、トルコとアルメニアとの間で国交正常化文書に調印。合意文書
への紛争に関する記述をめぐり紛糾したため、調印後の声明発表を見送る。

現在、OSCEミンスクグループ(共同議長:米国、ロシア、フランス)の和平調停
が継続中。

■■後記
概観することに努めたが表に出ていない要素がまだまだある、日本から心理的に
も地理的にも疎遠である地域ということも影響しているが、紐解くにはそれなり
の時間を要する。

次号でナゴルノ・カラバフ紛争の現状、そして、トルコ-アルメニア国交正常化
について概観する予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第109号 2011年7月16日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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