2011年10月24日月曜日

【世界の街角からMM】第120号 アスンシオンにて(1) 2011年10月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第120号 2011年10月24日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。10
月に入り夏時間となったので時差が12時間、丁度日本からだと地球の裏側になる。
この国での滞在メモ、アスンシオンにて、その1です。

▼目次
■何か違和感、アスンシオン空港到着時
■我が国の対パラグアイ援助
■パラグアイ日本人移住の略史
■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト
■■後記
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■何か違和感、アスンシオン空港到着時

サンパウロからTAMメルコスール航空PZ0713でアスンシオンに午前10時10分、定
刻通りに到着した。機内で配布されたイミグレーションカードに必要事項を記入
を済ませているし、キャリーオンはサンパウロで搭乗直前に預け入れに回されて
しまったので棚に入れたレンズを取り、先を急ぐ。ボーディングブリッジを抜け
空港ターミナルに入り、入国審査窓口の直前である文字が視野に飛び込んできた。

「ようこそ」???とイグアスの滝の写真を背景に日本語の大きくな文字だ、と
思いながらよくそのサインを見ると左上に青のJICAのロゴ、その下にパラグアイ
観光庁であろうロゴが示してある。青のJICAロゴなのでJBICとの統合前のサイン
だ。

このサイン、JICA予算が支出されたことは容易に想像がつくが、JICAに「ようこ
そ」などと言われる筋合いはない。パラグアイ観光庁が「ようこそ」と言ってい
るのかJICAが言っているのか紛らわし看板だった。

良心的に考えれば「ようこそ」の上にスペイン語で「Bienvenidos」(ようこ
そ)と明記されているのでパラグアイ観光庁が「ようこそ」と言っているのだろ
うと解釈すればよいのだろうが、「ようこそ」の文字の大きさと大きすぎるJICA
のロゴが邪魔している、パラグアイ観光庁がJICAを担いでいるのだろうか、JICA
が担がれたふりをしているのだろうか、そんなことはどうでもよい。実践的なサ
インが必要と筆者は感じただけだ。

■我が国の対パラグアイ援助

我が国のパラグアイに対するODAは、1952年に開始された研修事業から始まり、1
959年には有償資金協力、1963年に開発調査、1970年にプロジェクト方式技術協
力、1977年に無償資金協力、1978年には専門家派遣と青年海外協力隊員派遣が実
施され、現在に至っている。

1975年以降、二国間援助では我が国がトップ、日本人移住者との関係からだろう
か、不思議な国なのだ

対パラグアイ援助
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/gaiyou/odaproject/latinameric
a/paraguay/index_01.html

■パラグアイへの日本人移住略史
パラグアイへの移住は第2次世界大戦を挟んで二つに分けられ、本格的には日本
が高度経済成長へ向かう時期に並行して移住者が多い。

▼移住開始
1936年、ブラジル政府が新規移住制限(1934年)を設けたため、移住先としてパ
ラグアイが検討され、アスンシオンから南東約130km、現在のラ・コルメナ地区
の土地購入を決定、1936年にパラグアイ政府はブラジル拓殖組合に対し、日本人
移民100家族を受け入れる許可を出した。

ブラジルで入植経験がある4家族33名の日本人が、新移民を指導する目的で、
ラ・コルメナ移住地に到着、その後4家族36名が到着した。

1936年8月12日、日本から最初のパラグアイ移民として11家族81名が到着した。
第2次世界大戦により日本人移住が途絶える1941年までに123家族790人が移住し
た。

▼戦後の移住
1952年にパラグアイ政府が日本人移住受け入れ再開を決定し、戦前の移住地であ
るラ・コルメナ地区へ18名が入植した。

また、パラグアイ政府は南部開発のためイタプア県に新たにチャベス移住地を新
設し、入植を許可した。

1955年、イタプア県フラム移住地への入植を開始

1956年イタプア県フジ移住地、入植を開始

1956年、アマンバイ県CAFE(Compania Americana de Fomento Economico)農園
への契約雇用農(コーヒー栽培)として、137家族の日本人が入植、しかし、3年
後、同社は倒産したため、アマンバイ移住地の入植者は他の農作物の生産や商業
に従事することになる。

1957年、ラ・パス移住地、サンタ・ロサ移住地にまで拡大した。

1959年、日本・パラグアイ両国政府は、「日本・パラグアイ移住協定」を締結し、
以降30年間に亘って85,000名の日本人移住者の受入が決定。

1960年、現JICAは、現在のイタプア県ピラポ地区に土地を購入し、26家族が入植
した。

1961年、アルト・パラナ県イグアス地区に約87,000haの土地を購入。イグアス移
住地は、パラグアイで最大の移住地となった。

現在では、人口規模ではピラポ移住地が最大となっている。

イグアス移住地(87,700ha、182世帯、832人)
ピラポ移住地(84,000ha、235世帯、1,279人)

移住地の他、都市及び近郊にも移住者はおおく、アスンシオン市及び近郊が2,00
0名を超える。エステ市及び近郊に130人、エンカルナシオン市及び近郊に340人
の移住者が居住している。

参考:在パラグアイ日本国大使館
http://www.py.emb-japan.go.jp/ijuushi.htm

■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト

日系移民がいるので和食に事欠かないという情報と先入観で日本から食材を携行
せずアスンシオンにやってきた。しかし、現実は現実、ないわけではないのだが
思い通りの内容ではない。したがって、現状を踏まえた上で持参すると食生活が
豊かになる日本食品リストを作成してみた。これはパラグアイに限らず他の国へ
での短期滞在でも基本的に同様である。

アスンシオンの場合、アパートホテルという簡易キッチンの付いた長期滞在ホテ
ルがあるのでここでの滞在を前提とする。IHクッカー、電子レンジが用意されて
いる場合が多いので、これらを使って調理できる範囲です。

食器類は全て用意されているが、どんぶりのような器は現地調達する必要がある。
筆者はシリアルボウルでよく代用した。それから、食材ではないが備え付け包丁
はほとんど切れないと思った方が良い。

アスンシオンでは東アジア系食材が入手可能ですが詳細は別の章でレポートする
予定です。

▼お薦め携行日本食材リスト
1.インスタントみそ汁; 味噌は売っているが調理しなければならない。イン
スタントみそ汁があれば食事が豊かになるのは間違いない。

2.焼のり; 軽いし嵩張らないので持参しやすいことに加え、ご飯との相性が
よい。

3.インスタントスパゲティソース; パスタは茹でられるので、それに塗すだ
けで並みのスパゲティが出来上がる。

4.インスタントラーメン; アスンシオンで販売されているインスタントラー
メンは、ブラジル製ニッシン、日本のそれとは大きく内容が異なります。棒ラー
メンは比較的嵩張らず旨いですね。

5.ふりかけ類;軽し嵩張らない、これでご飯が美味しく食べられる。

6.醤油類; パラグアイ産、ブラジル産醤油は売っているが、減塩とか特殊な
醤油は売っていないので、必要とする方は持参をお薦めする。

7.鰹節; 小さなパック入り、何かと料理に使える。冷奴にも。

8.チューブ入りワサビ・ショウガ; 生ショウガが売っているが下し板がない、
一本づつあれば何かと便利だ。

9.お茶の葉または粉末茶;美味しいお茶が飲める。アスンシオンには日本料理
店があるが、まともなお茶は出さない。

10.コーヒーセット(コーヒー豆、紙フィルター、ドリップ容器);お湯を沸
かせばコーヒーが飲める。

その他、箸、小型包丁があったほうがよい。

■■後記
日本人の移住とパラグアイ経済への貢献等については次号以降にレポートする予
定です。大豆の品種改良や主要輸出産品の地位を確立したことなど農業分野で多
大な貢献をしています。
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2011年10月16日日曜日

【世界の街角からMM】第119号 ヘルシンキ・タリン紀行(3) 2011年10月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第119号 2011年10月16日
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2010年7月下旬から数日間、ヘルシンキとタリンへ足を伸ばした。タリンの後は
ヘルシンキを満喫、備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行3です。
▼目次
■ヘルシンキへ戻る
■ヘルシンキ駅前のSOKOS Hotel
■ヘルシンキ散策
■ヘルシンキの旨いもの
■日本食材の東京館
■市内から空港へ
■■後記
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■ヘルシンキへ戻る
タリンから往路と同じリンダラインでヘルシンキへ戻る。タリンの港はソ連時代
の建設なのでかなり歪だ。船上から見ると余計にそう思う巨大な構造物のようだ
った。

天気がよく甲板でしばらく過ごす、今日はやや白羽が立っているが、双胴船は高
速のままヘルシンキを目指す。1時間半はあっというまだ。

フェリー埠頭からトラムでヘルシンキ駅前のホテルへ向かう。クレジットカード
で容易に一日券が購入できた。ドイツよりも便利だ。

このホテルもまた、地図では記憶しているがどこだろうととヘルシンキ駅駅前で
下車し辺りを見渡すと、目の前にあった。

■ヘルシンキ駅前のSOKOS Hotel
ヘルシンキオリンピックに合わせて建設されたホテル、ヘルシンキ駅前に立地し
空港行きバス乗り場も目の前、利便性の高い立地ということが宿泊して再確認で
きた。

家具調度類の質が高く、洗練されたデザインは年月を感じさせないし、オリジナ
ルデザインを今なお維持しているところが気に入った。

フィンランド資本のホテル、ヘルシンキ市内にも他に数件のSokosホテルが営業
している。ヘルシンキではこのホテルは外せない。

Sokos Hotel
http://www.sokoshotels.fi/en/

■ヘルシンキ散策
▼Tempelaukio
岩を積み上げたような斬新なデザインの教会、1983年2月、この教会を訪れた。
ストックホルムからの夜行フェリー、シルヤラインで一緒だったクリスチーナた
ちの誰かがこの教会を教えてくれたのかもしれない、記憶がはっきりしないがこ
の教会へ来てその大胆なデザインに感動した。

当時からは想像もつかないが、現在は、中国人観光客のバスが教会の目の前に横
付けするようになっていた。ここまでとは。

Lutherinkatu 3
00100 Helsinki
http://www.helsinginseurakunnat.fi/?deptid=3986

Temppeliaukio Kirkko
http://www.sacred-destinations.com/finland/helsinki-rock-church-temppeli
aukio

▼Stockmannの本屋、Akateeminen
ストックマンデパートの隣に位置するアルバー・アールト設計の本屋。これ以上
説明はしたくない程のデザインだ。

https://www.akateeminenkirjakauppa.fi/

http://www.stockmanngroup.fi/group/fi/media/akateeminen/

Cafe Aalto
http://cafeaalto.fi/ja

▼Stockmann百貨店
タリン、リガにも進出しているフィンランド資本のデパート、リガでは台所用品
を調達した。
https://stockmann.com/

▼ヘルシンキ中央郵便局から郵送
ホテルの目の前、ヘルシンキ駅の横のバスターミナル前が中央郵便局だった。こ
こから日本へMarimekkoのバック等を送った。

ヨーロッパの郵便局は私が初めてヨーロッパを訪れた80年代から既に送る荷物さ
へ持ち込めば遅れたサービスレベルであった、それは今も変わらない。、

フィンランド郵便
http://www.posti.fi/

▼Kamp Galleria
よく知られているというか知らされているフィンランドデザインのMarimekko、
ここで小さな赤い布地のバックを買った。もちろん最愛の人へのプレゼントなの
だ。それにしてもこんなバックがなぜ50EURもするのかと思うが、客を見ると日
本人の客が多い。私も日本人から聞いた情報なので日本の雑誌で散々紹介されて
いるのだろう。
http://www.kampgalleria.fi/en/home.html

Marimekko
http://www.kampgalleria.fi/en/shops/fashion/marimekko

■ヘルシンキの旨いもの
▼Sea Hose
タツノオトシゴという名のレストラン。観光案内所で入手したレストランガイド
に掲載されていたレストラン。センターからトラムで行けた。

ニシンのフライが名物料理なのでそれを食べに行ったが生憎売り切れ、代わりに
出してくれた小魚のフライ、名を失念、も美味しかった。

Kapteeninkatu 11
00140 Helsinki, フィンランド
09 628169
http://www.seahorse.fi/

▼Zen Sushi
ショッピングモールのガレリアの中に日本料理屋があった。早速ランチに入って
みた。寿司ランチを注文、ネタはサーモン中心だったが脂が乗っていて美味だっ
た。それとみそ汁が印象に残るほどの味だった。リピートしなくなる味だ。

応対に出てくれたの女性は、父が沖縄出身で母がフィンランド人、相模原生まれ
でヘルシンキ育ちだという、宮城さんというっただろうか、経営者の娘だった。

店は夕方(19時)まで、ガレリアの開店時間と同じようだ。

ZEN SUSHI
Kamp Galleria II krs.
Kluuvikatu 4
00100 Helsinki
Puh. 09 671367

他の店、こちらが本店か?
ZEN SUSHI
Sushibaari
Snellmaninkatu 16
00170 Helsinki
Puh. 09 671336
http://www.zensushi.fi/lounas/

その他
http://eat.fi/en/

■日本食材の東京館
1987年からヘルシンキで営業している日本食材店「東京館」、ここまでくれば日
本食が手に入るであろうと、これが目的ではないが、立ち寄った。ここでイタリ
ア産のあきたこまちを調達、エレバンで美味しい日本米を食べた。タシケントの
韓国米とはあまり変わらないように思ったが、たとえイタリア産とは言え日本米
の味は確かであった。フィンランド人は、日本好きが多いのか地元の客が多い。

東京館
営業時間:月-金 10-18、土 10-15
Annankatu 24
FI-00100 Helsinki, Finland
電 話 : (09) 622 5553
http://www.tokyokan.fi/tokyokanjp.html

■ヘルシンキ市内から空港へ

To/Form City Centre:
From Helsinki City by bus 615 takes appr. 35 minutes.

Helsinki International Airport
http://www.helsinki-vantaa.fi/home?

Finnair City Bus from downtown Helsinki
http://www.finnair.com/finnaircom/wps/portal/Transportation/en_INT

Helsinki Regional Transport
http://www.hsl.fi/EN/Pages/default.aspx

■■後記
ヘルシンキ・タリン紀行完です。
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2011年10月15日土曜日

【世界の街角からMM】第118号 ヘルシンキ・タリン紀行(2) 2011年10月15日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第118号 2011年10月15日
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2010年7月下旬から数日間、ヘルシンキとタリンを訪れる機会を得た。目的地に
辿り着くまでに何かとあったが、備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行2です。
▼目次
■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
■Linda Lineでタリンへ
■タリン旧市街散策
■夜のタリン
■早朝のタリンと琥珀
■タリン情報
■■後記
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■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
モスクワ一泊招待となった翌日の便でヘルシンキへ移動した。アエロフロートと
との共同運航便で機体はフィンランド航空、よく考えたらフィンランド航空は初
搭乗だった。食事が外れ、手を付けなかった。

ヘルシンキ空港に着陸する間近に森林と住宅地、そして道路ネットワークが窓か
ら見えてきた。25年前はレニングラードから列車だったので、ラハチ駅でクリス
チーナと待ち合わせした。

彼女は空港近くのVantaaに住んでいた。子供たちと一緒にシトロエンのハッチバ
ックで迎えに来てくれた。息子と娘が一人づつ、二人とも小学生なので元気いっ
ぱいだった。クリスティーナは20数年の時間の経過は確かだったが、話してみる
と当時と変わらなかった。

車で自宅まで行き、旦那を含む家族と一緒にランチをご馳走になり、暫く世間話
をしてスケジュールを説明すると、時間がないと言いだし、あわただしく、クリ
スチーナの家を後にした。新興住宅街で低層のタウンハウススタイルだ、家の中
を案内するのは客に対する礼儀なのか、家族4人で4部屋あったので標準的な広さ
なのだろう、車がないと不便かと思ったが、バスが頻繁に運行されているのでの
最寄りの商業施設までは容易に行けるとのことだった。

空港からクリスチーナの家までのルートや住宅地の整然さは、25年前の印象と変
わらなかった。母親が近くで健在とのこと、一目挨拶をと思ったが敵わず、残念
だった。

こんなに手のかかる子供がいるが、これまで共働きというのがフィンランドの素
晴らしいところだ。日本はいったいどうなってしまったのだろうか。

土曜日なのにクリスティーナの旦那はダウンタウンの会社へ行くという。ITエン
ジニアなので週末でもよく出社するようだった。その旦那の車に便乗させてもら
い、リンダラインの埠頭でドロップしてもらった。

Helsinki International Airport
http://www.helsinki-vantaa.fi/home?

■Linda Lineでタリンへ
土曜日ということもあり、車は空いていた。人口がそれほど多くないフィンラン
ドなので平日でも混雑と言うことはありえないのだろう、このゆったり感が何と
も快適だった。

港近くになり、これが大統領官邸、そして、その前にある建物がデザイン上好ま
しくないと議論になっている建物など、旦那が説明してくれた。後で調べたら好
ましくないデザインの事務所ビルは著名なフィンランド人建築家アルバー・アー
ルトの設計だった。

リンダラインの埠頭は、市の中心に最も近い場所だった。目の前がトラム乗り場
出し、歩いてもよい。反対側にVaiking Lineの大型の船が停泊していた。

リンダラインはジェットフォイル双胴船を運行しており、フィンランド湾を挟ん
だ対岸に位置するエストニアの首都タリンまで1時間半の距離だった。料金は、2
6-26EUR、時間帯によって異なる。事前予約をしたが、当日でも乗れないことは
ない。

船会社により埠頭が異なるので事前によく確認にしておく必要があるが、1983年
と1985年にストックホルムを往復したSilja Lineが直ぐ隣であった。その船が停
泊していたがその大きさにあらためて驚いた。

席は特に決まっておらず空いている席に座った。夏なので混んでいる方なのだろ
う、ほとんどの客がフィンランド人とエストニア人だ、その中に時々、旅行者が
いた。

出港後、船は島の間を縫ってゆっくり進み、外洋へ出ると速度を上げた。お天気
は快晴、気持ちのよい夏の午後だった。

Linda Line
http://www.lindaline.fi/

■タリン旧市街散策
ジェットフォイルの船は1時間半後にタリンの港に着岸した。パスポートコント
ロールはなく、そのまま、埠頭の目の前に停まってい白地にイエローの帯のある
連結バスに乗り行き先を聞いた。英語が通じるわけではなったが地図を示したら
OKだという。料金は現地通貨でもEURでも受け付けてくれた。ここはEU加盟国な
のだ。

料金1EURを支払い、バスの席にボロボロのキャリーオンとともに腰を落ち着け
た。客はほとんど乗っていない。記憶したタリンの地図から港から旧市街の入り
口はそれほど遠くはない。記憶通りにバスが旧市街の外側の通りをしばらく走っ
たら運転手がここで降りろと教えてくれた。

礼を言ってから車窓から見えた旧市街への入口へ少し戻り、石畳を歩きはじめた。
両側に並ぶショップを眺めながら先へ進む。城壁をくぐると旧市街だ。ホテルは
その先の左のはず、だが、住所はあるものの入口がない。よく見ると張り紙がし
てあり、城壁に沿って左へ行き、更に左へ行ったところにホテルの入り口がある
との説明だ。少し戻るとホテルのサインが見えた。そこへ丁度、旅友が迎えに出
ていてくれた。

このホテル、ネットで探したので難しい。リガやヴィリニュスと比べたらやや高
めの印象だったが他に情報がなく、そのままとした。部屋は狭いが他はスタン
ダードなホテルだった。

Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)

■夜のタリンとクラブ
旧市街を歩いていたらセクシーな看板があったので近づいてみた。地下がストリ
ップバーのようだったがまだ時間が早そうで誰もいなかったので退散することに
した。入口にテナントの説明があり、よく見ると日本大使館が入居しているビル
だった。翌日、城からの帰りに桜が植えられている場所があり、それは日本大使
館の前だった。昨晩の反対側のようだ。

クラブをいくつかチェックし、Vabankだったか、そんなクラブへ行ってみた。こ
ういう場所は若者文化を体験できいつも楽しみにしている。

http://www.vabank.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/237-Vabank_Club

Club Hollywood
http://www.club-hollywood.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/9-Hollywood

ビールを飲みながらほろ酔い気分で万国共通の音楽と空間を楽しんだ。午前2時
過ぎ、旅友は女の子と上手くやっていそうだったので一人でホテルへ戻ったが、
まだまだ街は活気が冷めやらぬほどだった。

■早朝のタリンと琥珀
タリン旧市街は小高い丘の上に城があり、その周囲に街が形成されている。ここ
は世界文化遺産に登録されている。朝食の後、見晴らし台がある場所まで散策し
た。旧市街は想像するにかなりよく維持管理されている印象を受けた。ソ連時代
はどうだったのだろうか、崩壊直後はと思いを巡らしても仕方がない。

観光コースの見晴らし台を巡った。眼下には鉄道駅が見えた。リガやサンクトペ
テルブルクへ通じるのだろうが、現在はバスのが便利だ。地形的には丘の上、城
があるあたりが最も高くなっており、バルト海を見渡せた。しばらくここで佇ん
だ。

その横に琥珀のショップがあった。木の樹脂が化石化したもので黄色い飴色をし、
ヨーロッパでは宝飾品として扱われている。バルト海沿岸で多く産出するため当
地特産品となっている。

■タリンの旨いもの

▼ペガサス
旅友が一版前のロンプラからこのレストランをピックアップした。最新版には確
か掲載されていなかった。これは正解で通ってしまったレストランだ。注文した
料理はすべて美味しかった。特に魚料理が絶品。

Harju 1
tel: +372 6314040
http://www.restoranpegasus.ee/

http://www.tallinn-life.com/eat/restaurants_details/7-Pegasus

http://www.hg2.com/cities/estonia/tallinn/restaurants/international/---p
egasus---tallinn-estonia

■タリン情報
ネット検索とLonely Planet Baltic States版を基本とした。

Tallinn-life
http://www.tallinn-life.com/

Tallinn Info
http://www.lindaline.fi/en/in_tallinn/

▼ホテル
今回宿泊したホテルは、旧市街の入口に立地する「Baltic Hotel Vana Wiru」、
ネットで検索した結果、2泊で143EUR(キャンセル不可の条件だと一泊65EUR)で
あった。

Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)

▼その他のホテル
Sokos Hotel Viru
Viru va"ljak 4, 10111 Tallinn, Estonia
Puh. +372 6 809 300
http://www.sokoshotels.fi/en/hotels/tallinn/

Radisson Blu Hotel Olumpia, Tallinn
Standard Room EUR64
Liivalaia 33, - 10118 Tallinn
+372-631-5333
http://www.radissonblu.com/olumpiahotel-tallinn

Park Inn Central Tallinn
Strandard EUR48.75/55.0
Narva Mnt 7c, Tallinn, 10117
+372 633-98
http://www.tallinn.rezidorparkinn.com/

Radisson Blu Hotel, Tallinn
Standard EUR74
http://www.radissonblu.com/hotel-tallinn

Reval Hotelsというバルト三国に展開していたホテルがあったが、現在はRadiss
on SASの傘下となっている。
http://www.revalhotels.com

▼Helsinki-Tallinn Ferry
Nordic Jet Line
No Operation in 2010

Tallink
http://www.tallinksilja.com/en/

■■後記
思いを寄せて26年目、バルト三国で残っていたエストニアを訪問することができ、
一昨年のラトビア、リトアニア訪問で全てのバルト諸国を訪問した。
他のバルト三国ともソ連時代に訪問したかったのが本音、そこまでしつこくなか
ったのがこんなに時間がかかったのだろう。
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2011年10月12日水曜日

【世界の街角からMM】第117号 ヘルシンキ・タリン紀行(1) 2011年10月12日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第117号 2011年10月12日
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もう一年以上前になりますが、2010年7月下旬の週末、長年の思いが実りヘルシ
ンキとタリンを訪れることができた。備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行01です。
▼目次
■ヘルシンキ+タリン紀行
■モスクワ経由ヘルシンキ行き
■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
■モスクワ一泊ご招待
■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
■■後記
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■ヘルシンキ+タリン紀行
タリンはエストニアの首都、エストニアはバルト三国の一つ、フィンランドの首
都ヘルシンキの対岸に位置する。2009年の秋口にラトビアとリトアニアを訪れた
が、エストニアまでは足を伸ばせず持ち越しとしていた。

その翌年、週末を利用してヘルシンキとタリンへ行くことにした。実はかつて2
回ほどバルト三国旅行を計画したことがあった。最初は、1985年のソ連時代、ホ
テルが取れなく敢え無く旅程変更、2回目は、2000年9月、仕事が一段落したので
準備を進めつつ休暇申請する直前に研修へ参加せよとの指示があり、旅行自体を
中止せざるを得なかった。このときは会社の研修を見捨てるべきだったと後から
切実に感じたが後の祭りだった。

今回は、モスクワ経由のルートを取ったが早々に躓き、エレバンでアエロフロー
トのフライトが1時間半以上遅れ、ヘルシンキ行きフライトに乗れず、シェレメ
ツェボ空港一泊ご招待となった。

■モスクワ経由ヘルシンキ行き
実に25年ぶりのヘルシンキとなった、最近そんなことが多い、その間なぜゆえに
こんなに長く縁がなかったのだろうかと考えるのだが、仕事柄、他の国へ出張し
ていたからに違いない、まあ仕事を理由にしておくほうが説明が楽だ。

それはさておきチャンスはチャンス、ヘルシンキを再度しっかりとこの目で見極
めておきたかった。これまでヘルシンキには2度滞在している。1983年2月と1985
年7月だ。

既に25年が経過していようとは・・・、1985年に滞在したときはレニングラード
から鉄道でヘルシンキへと移動したが今回はモスクワ経由のアエロフロートだ。

■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
モスクワ一泊ご招待となった理由は、エレバンからのアエロフロートが1時間以
上も遅れたからだ。乗り継ぎ時間が2時間程度、手荷物だけだったのでぎりぎり
間に合うかにみえたが、シェレメツェボ2空港のトランスファーデスクに職員が
一人、乗り継ぎ便のヘルシンキ行きフライトの搭乗券がの発券が間に合わなかっ
た。

しかも、着陸後はボーディングブリッジによるターミナル直結ではなくタラップ、
そして、バスだ。このときはまだ少し望みを持っていたのでターミナルに着いて
からトランスファーデスクへ急いだ。

デスクを見てがっかりした。職員が一人しかいないのだ。確か、最大でも3人、
いつもはガラガラなので問題がないが、この時はキエフからの乗り継ぎ客である
韓国人のトランジット客が押し寄せてきて担当の女性はパニック状態となってし
まった。

キエフからのフライトも遅れていたようで乗り継ぎ便である大韓航空への搭乗券
発券や確認で韓国人の容赦のない要求に担当の女性はイライラ度が急上昇してい
た。

私が先に乗り継ぎ手続きをしているのだが、E-チケットを横に置いたまま手続き
が進まない。これで確実に乗れない時間となってしまった。乗れないならば、次
のフライトを予約しなくてなならないので、粘り強くカウンターに陣取る、韓国
人のトランジット客が過去るのを待って翌日のフライトの予約をしてもらった。

ビザの有無を聞かれ、もちろんYES、空港内のアエロフロート航空カウンターの
場所を説明された。ここでロシア査証が役に立った。入国審査窓口に並びあっと
いう間に手続き終了、アエロフロートのカウンターもテキパキと手続きが終わっ
た。

■モスクワ一泊ご招待
乗り継ぎカウンターで手続きをしていると私の他に日本人が一人いた。エレバン
から同じフライトだったらしい。彼は、ソウル行きの大韓航空に乗れなかったと
いう。

話を聞くと、韓国人の女性と結婚しソウル在住、石材会社に勤めており、アルメ
ニアまで買い付けした石材の検査のため出張してきたとのこと。ただ、ロシアビ
ザは持っていないのでどうなるのかと心配そうだった、それで、アエロフロート
が面倒をみてくれるので心配ない旨説明して、私は先に進んだ。

入国審査を済ませて、ロシア連邦に入国、アエロフロート航空の窓口まで行く。
うろうろしているとタクシーの勧誘が多い。窓口で、ホテルのバウチャーを受取
り、行き方を聞く。ホテルはNOVOTEL、ホテルバスで行くようだ。

バス乗り場でかなり待った。その間にまたタクシー運転手が誘いに来る、「300
ルーブルでどうだ」と。10ドル相当だがバスがあるのにその必要はなしと追い返
す。

このノヴォテル、AeroExpress駅の前にあったので、歩いても5分程度の距離だ。
荷物はキャリーオンだけなので待ち時間の間に着いていたかもしれない。

蒸し暑い夏の夜、シェレメツェボ空港脇にあるNOVOTEL一泊ご招待となった。

■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
チェックインの時に夕食と朝食のバウチャーを受け取った。フライトの遅延なの
で当然の配慮なのだろう、ヘルシンキの友人に予定通りのフライトに搭乗できな
かったことを電話で伝え、アトリウムの奥にあるレストランで夕飯を食べること
にした。

メニューが決まっているのだろう、バウチャーを出すと何も言わないでも食事が
運ばれてきた。空港隣接ホテルは概ねこんなサービスだとテーブルで待っていた。
しばらくしたら、先ほどのソウル便に乗り遅れた日本人を含む一行がレストラン
に入ってきた。

じゃあ一緒に食事をしようと私のテーブルへ誘うと無線機を持った人が現れて駄
目だという。どうも入国管理官かセキュリティのようだ。ビザなしの一行とは壁
こそないがテーブルが分けられ監視されていた。

以前聞いたことがある「乗り遅れた場合のホテルでの滞在」について若干の時間
を利用して質問してみた。

「ドアの鍵はどちらからかけられているのか?」

彼曰く、「外から」だという。

つまり、外へ出られない監禁状態ということだ、しかも、ある階がビザなし乗り
遅れトランジット客用に確保されているとのこと。

食事の場合は案内があり、同じような乗り遅れ客がまとまって移動するようだ。

ビザのあるなしでは大きな違い、リスクヘッジは重要だと認識した場面だった。

■■後記
モスクワ経由でタリンへ行ってから約一年以上が経過してしまった。いつもなが
ら時間の経過が早すぎる。まだ賞味期限内であることを確信してご紹介すること
にした。

あの時のモスクワは本当に暑かった、夕方でも30度近くあり蒸していた。この年、
ロシアは猛暑、各地で泥炭が燃え森林火災が広がり、穀物の収穫にかなりの影響
が出そうだったことから、ロシア連邦は、穀物禁輸措置を取った。ロシアの小麦
を期待していたCIS諸国は、代替輸入先を探さねばならなかった。

そして、今後、このような状況に陥らないようにと、収穫量が増加する小麦品種
の種子を盛んに導入することを発表していた。この種子もロシアからの輸入なの
だ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第117号 2011年10月12日
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2011年10月11日火曜日

【世界の街角からMM】第116号 禁煙治療のその後 2011年10月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第116号 2011年10月11日
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皆さま、こんにちは。
南米パラグアイのアスンシオンより、ご当地情報をレポートしています。
が、今回は、こちらに来る前に終了したことになる「禁煙治療」についてです。

▼目次
■禁煙治療の結果
■■後記
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■禁煙治療の結果
2011年6月末に禁煙治療のため、禁煙外来で診察を受けた。12週間のプログラム
でファイザーのチャンピックスという喫煙したときと同じ作用を脳に作用する薬
を飲むことで禁煙の補助となる内容であった。

診察を受けたのは近所のXXXX内科クリニック、当初から恩着せがましい印象を受
けたが最後までその印象は変わらなかった。喫煙本数や期間から保険適用ぎりぎ
りですねー、ともったいぶった言い方、適用の可否だけで十分なのに。

疑問に思ったのが、このチャンピックスを飲むことによって喫煙しなくてもよく
なるが、ではその薬を飲まなくなったときはどうなるのか?ということ、この質
問には最後まで明確な回答が無かった。

治療を始めた直後にその内容から、通常に禁煙したときと同じ症状になるであろ
う、ということは想像できたので治療期間中、医師の指示どおりの薬は飲まず、
飲み続けたとき、飲まなかったときと、の影響を経過観察した。飲み続けると何
の変化もなし、飲まないとタバコを吸いたくなるときと同じような感じになり、
薬を飲むと治まる。

期間中、3回ほど通院するのですが、毎回同じアンケート調査票を渡され回答せ
よ、というのがある。タバコを吸いたいと思ったときにどのように対処したか?
タバコを吸わなくてよいメリットは何か?など。毎回同じ内容、経過観察の視点
が欠落した質問票にお付き合いしないと診断とならないシステムにも閉口した。

最後の通院が丁度12週間を1日過ぎていた。出張することもあり、念のために薬
をもらっておこうと申し出たところ、既に治療期間が過ぎているので保険適用外
となる可能性がありますと強気な回答。これまでセーブしていた薬の分をもらう
だけだと説明するも、医療費の請求書には10割負担の処方箋費用と保険適用分の
診察料の2種類の請求をもらうことになった。

調剤薬局でその処方箋を出し、内訳を見るとこれまた驚いた。薬代は10割負担の
覚悟でしたが、なにやら調剤管理料とかよくわからない費目があり、実際の薬代
の2倍になっている。薬屋ってこれでも儲けているのか。

治療を受けた時点で禁煙数日目、それが紆余曲折はあったが未だにタバコは吸っ
ていないことは治療の成果であろう。

薬を飲むことを止めるとタバコが吸いたくなるような感覚を覚え、薬を飲むと治
まることは前述の通り。薬を飲まないでそのままにするとどうなるのか、完全な
禁煙状態ということになるのですが、やはり口さびしく食べてしまう。これは通
常の禁煙と同じ。この口寂しさを感じないようになれば完全禁煙となる。結果と
して食べてしまい少し太った。特にこの地で食べ過ぎは健康を害する危険性があ
り、調整に苦心している。

禁煙した時に知人が、脳が覚えているから禁煙はやめたほうがいいよ、とのアド
バイスがあったが一理ある。

【チャンピックス(ファイザー)】
脳内のα4β2ニコチン受容体にニコチンの代わりに結合して部分作動薬作用(刺
激作用と拮抗作用)を示します。刺激作用により少量のドパミン遊離を促進して
禁煙に伴う離脱症状やタバコへの切望感を軽減します。また、拮抗作用により服
用中に喫煙するとα4β2ニコチン受容体にニコチンが結合するのを阻害して喫煙
から得られる満足感を抑制します。通常、ニコチン依存症の喫煙者に対する禁煙
の補助として用いられます。
http://www.qlife.jp/meds/rx13203.html
http://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/press/2008/2008_01_29.html

■■後記
禁煙を続けているが、チャンピックスの禁断症状と戦っているようなもの。なに
か満足感が無いのですね。煙草を一服した時のような感覚はやはり脳に記憶され
ているのだろうか。
タイミング悪く、口寂しい時にパラグアイにいる。食べるものはたくさんあるが、
食べすぎは禁物の食べ物ばかり。帰国後の検査を見据えて調整しなくてはと頭の
中では考えている。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第116号 2011年10月11日
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2011年10月10日月曜日

【世界の街角からMM】第115号 パラグアイ夏時間へ他 2011年10月10日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第115号 2011年10月10日
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皆さま、こんにちは。
南米パラグアイのアスンシオンより、ご当地情報をレポートしています。
日本からは地球の裏側、夏時間になり時差が12時間となったところです。

▼目次
■ボケロン戦勝記念日
■夏時間に変更
■日本・パラグアイ関連のリンク集
■■後記
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■ボケロン戦勝記念日
9月29日はボケロン戦勝記念日でパラグアイでは祝日です。

仕事はある公社の事務所内で進めている。私用に小さなスペースが用意されてい
たが、窓なし、電話なし、インターネット接続なしなので、順次使えるように整
備している。電話、インターネットは手続きを踏むと担当がやってきて開通させ
てくれたが、部屋の窓なしはどうにもならならない。

今回は、車なし、アシスタントなし、それでいてスペイン語という非効率極まり
ない体制で業務を進めるという環境である。車なしなのでカウンターパート機関
へホテル往復を依頼している。通訳兼用のアシスタントを自前雇用しているので
二人入るとぎりぎりの部屋、エアコンが効くだけましだ。いや効き過ぎで寒い。

9月29日は、ボケロン戦勝記念日(Di'a de la batalla de Boquero'n)で数少な
い祝日の一つだ。その内容は、グラン・チャコ地方(北西部の国境隣接地区)を
巡るボリビアとの戦争(1932-38年)でパラグアイが辛勝したことによる。パラグ
アイに来なければ気にしない史実だ。

■ここ数日・・・、夏時間に変更
金曜日(9月30日)のアスンシオンは街中の気温計が42度を示す猛暑、風が熱く
日差しが肌に突き刺さるような暑さだった。天気予報では土曜日が雨マーク、当
たればこれで少しは涼しくなるだろう。

土曜日(10月1日)の朝から雷雨、土砂降りだ、その雨がなかなか止まず外へ出
られない。昨日、洗濯屋に出したのだが土曜日は12時までなので取りに行けない、
月曜日だな。ホテルでこもりだ。でもよく降ったな、午後2時くらいまでは殆ん
ど降りっぱなし、雨足もそのれほど衰えなかった。どこかで冠水かも。

土曜日から日曜日へ日付が変わったパラグアイでは、冬時間から夏時間となり1
時間進んだ。午前0時が午前1時となった。パソコンとiPhone4は自動的に夏時間
へ切り替わったが、現地のSIMを入れているiPhone3Gが夏時間になっていない、
手動なのかね?いやOSの不具合だろう、脱獄iPhoneなのでむやみにOSをバージョ
ンアップできないのだ。

今日は日曜日(10月3日)、夏時間の初日、教会の鐘の音が聞こえる、パラグア
イはカトリックの国だ。アザーンで早朝起こされるのには慣れているが、寺の鐘
もそうだが鐘の音は心に響く、ちょっと違う気分。今日から夏時間、今朝も6時
前に目が覚めてしまった、時差がなかなか解消されない・・・。

雨上がりの翌日、爽やかな風が吹いている。日の光が部屋まで差し込んできてい
る。これから夏なので東側の部屋にした、まだエアコンなしでしのげる。

■日本・パラグアイ関連のリンク集
自分用に整理したリンク集です。無料ウエブサイトを利用したサイトが多くリン
ク切れが目立ちましたが、こちらは確認済みです。

▼政府関係
在パラグアイ日本国大使館
http://www.py.emb-japan.go.jp/index-jp.htm

在日パラグアイ共和国大使館
http://www.embapar.jp/subsitio2/

移住資料館(国際協力機構)
http://www.jomm.jp/index.html

パラグアイ農業に日系人の姿あり
http://www.jomm.jp/newsletter/tayori05_02.html

Discover Nikkei
http://www.discovernikkei.org/

日系パラグアイ移民略史
http://www.discovernikkei.org/wiki/Migration_Historical_Overview_Paragua
y_JA

▼パラグアイ訪問者のHP

パラグアイ(1999-2001) 写真集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/4701/para.html

赤土の大地と生きる─パラグアイ日系人(訪問記)
http://www48.tok2.com/home/sawakon/1-12America2/para.htm

南米には南米の風が吹く-パラグアイで日本語教師
http://e2ko2ko2ko.blog83.fc2.com/

▼パラグアイ在住日系人のHP

パラグアイ日本人連合会
http://rengoukai.org.py/ja

在パラグアイ日本商工会議所
http://www.shoukoukaipy.com/

パラグアイ・日系のニュース
http://www.geocities.jp/paraguaymiya/news-001.html

パラグアイ日系社会福祉センター
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Momiji/1294/

http://www.nikkeijournal.com/
(ハックされている)

イグアス農業協同組合
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/4700/

イボラの会(エステ市在住)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/4417/index.html

イグアス移住地に住む関 節郎さんのHP
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/7267/index.html

パラグアイに行こう、イグアスに行こう
http://www.mars.dti.ne.jp/~mitsui99/kanko/mokuji.html

■■後記
日本は体育の日で三連休でしょうか、これから秋ですね。
こちらはこれから夏、暑くなります、とほほ。
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