Friday, 24 June 2011

「世界の街角からMM」第108号 日本で知られているアルメニア人 2011年6月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第108号 2011年6月24日
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日本からエレバン・レポート28です。今回は日本で知られているアルメニア人他
です。
▼目次
◆ベルリンの補足:森鴎外記念館(ベルリン)
■米国生まれの小説家-ウイリアム・サローヤン
■剣の舞-アラム・ハチャトリアン
■ラッフルズホテル創立者、サーキース兄弟
■■後記
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◆ベルリンの補足:森鴎外記念館(ベルリン)
鴎外が1884年から4年間、ドイツで医学の勉強をしていた時に約2カ月滞在
した建物で、フンボルト大日本語学科の付属施設になっている。日本には東京と
生まれ故郷の下記2箇所に記念館がある。東京の記念館は生誕150周年に因んで
改装中で現在閉館している。

森鴎外記念館(フンボルト大日本語学科付属)
http://www2.hu-berlin.de/japanologie/?jp=Mori-Ogai-Gedenkstaette

森鴎外記念会
http://www.ougai.com/

島根県津和野町 森鴎外記念館
http://www.town.tsuwano.lg.jp/shisetsu/ougai.html

■ウイリアム・サローヤン
彼の名を知ったのは初めてアルメニアを訪れた国際機関の日本人とエレバンで食
事をしながら話をしているときだ。彼が唯一知っているアルメニア人は彼が中学
時代の教科書で知ったウイリアム・サローヤンだと語ったからだ。

アルメニアで仕事を始めてから著名なアルメニア人を検索しているとき彼を知っ
た程度だった。

日本の英語の教科書で使われたのは、「ラッフィングサム」という話ではないだ
ろうか、その他、「ママ・アイ・ラブ・ユー」と「パパ・ユーア・クレイジー」
が英語の副読本として採用されていたようだ。

想像するに、庶民を描いたウイリアム・サローヤンの作品は米国文学の一つとし
て紹介されたのだろう。

◆ウイリアム・サローヤン(William Saroyan、1908年8月31日 - 1981年5月18
日)はアメリカの小説家・劇作家でアメリカの庶民を明るく書いた作品が多い。

トルコ東部から1905年にアメリカへ移住したアルメニア人の末子として、カリフ
ォルニア州のフレズノに生まれた。一歳半のとき父を喪い、4人の兄姉とオーク
ランドの孤児院に入り、5年後、女工の母に引き取られた。12歳のときから電報
配達や新聞売り子などで働きながら作家を志し、1930年ころから雑誌や新聞に書
くようになった。

1938年、30歳のときの作品「わが心高原に」と、翌年の「君が人生の時」がブ
ロードウェイでヒットし、1940年、後者に演劇部門のピューリッツァー賞が与え
られた、が彼は辞退した。同年出版の「我が名はアラム」は各国語に翻訳され、
日本でも真珠湾攻撃直前の1941年11月に清水俊二の訳書が六興出版から刊行され
た。

1943年、35歳のとき、シナリオを小説にした「ヒューマン・コメディ」を2月に
出版し、翌月映画が公開され、1944年、それによりアカデミー最優秀脚本賞を受
けた。これは「町の人気者」の題名で1947年に日本で公開された。

小説
* 1 斉藤数衛訳、『七万人のアッシリア人』(「斉藤数衛編「現代アメリカ作家
12人集」、荒地出版社(1968)」中の一篇)
* 2 関汀子訳:『ディア・ベイビー』、ちくま文庫(1991)
* 3 吉田ルイ子訳:『リトル・チルドレン』、ちくま文庫(1990)
* 4 清水俊二訳:わが名はアラム、晶文社 文学のおくりもの28(1980)
* 5 三浦朱門訳:『我が名はアラム』、福武文庫 海外文学シリーズ(1987)
* 6 関汀子訳:『ヒューマン・コメディ』、ちくま文庫(1993)
* 7 小島信夫訳:『人間喜劇』、晶文社 文学のおくりもの16(1997)
* 8 内藤誠訳:『ロック・ワグラム』、新潮文庫(1990)
* 9 清野暢一郎訳:『どこかで笑つてる』、ダヴィッド社(1954)
* 10 岸田今日子・内藤誠訳:『ママ・アイラブユー』、新潮文庫(1987)
* 11 古沢安二郎訳:『サローヤン短編集』、新潮文庫(1982)
* 12 伊丹十三訳:『パパ・ユーアクレイジー』、新潮文庫(1988)
* 13 大橋吉之輔訳:『人生の午後のある日』、荒地出版社(1966)
* 14 今江祥智訳:『ワンデイインニューヨーク』ちくま文庫(1999)
* 15 井上一夫訳:『高地魂をもった男』(井上一夫訳、「アメリカほら話」、
ちくま文庫(1968)中の一篇)
* 16 加藤道夫・倉橋健訳:『ウィリアム・サローヤン戯曲集』、早川書房(198
6)
* 17 千葉茂樹訳:『心は高原に』小峰書店(1996)
* 18 倉橋健訳訳:『わが心高原に おーい、救けてくれ!』、ハヤカワ演劇文庫1
3(2008)
(wikiを参考にした)

■アラム・ハチャトリアン
第74号 2010年10月3日でも紹介したアラム・ハチャトリアン、「剣の舞」は中学
の音楽の時間に紹介された曲なので知っている方も多いと思う。

最近ではフィギュアスケートの浅田真央がバンクーバー五輪フィギュアスケート
女子フリーでハチャトリアン「 仮面舞踏会 」を使っている。

その作曲者がアラム・ハチャトリアンだ。彼はアルメニア人ではあるが現在のア
ルメニア出身ではなく、グルジアのトビリシ出身でその後モスクワで活躍した。

「剣の舞」はバレエ音楽「ガヤネー」から抜粋した演奏会用組曲であり、アン
コールピース、オーケストラ入門曲、映像BGMなどとして知られる。

第74号 2010年10月3日
http://worldcity-mm.blogspot.com/2010/10/mm74-2010103.html

作風は国民楽派とされ、グルジア出身のハチャトゥリアンは、アルメニア・アゼ
ルバイジャン・グルジアなどカフカス地方の民族音楽の影響がうかがわれる、オ
リジナリティ溢れる印象的な曲の数々を作曲した。国民楽派の延長として民族的
要素を取り入れた社会主義リアリズムの代表的作曲家と見なされている。

1963年に来日、京都市交響楽団、結成直後の読売日本交響楽団と共演している。

ハチャトリアンにはモスクワ音楽院で学んでいた寺原信夫(作曲家、1998年没)
という日本人弟子がいた。現役の頃だから60-70年代だろうか、数少ない日ア関
係の一つであろう。

ハチャトリアンは、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソヴィエト3巨
匠の一人と称され、ソ連人民芸術家の称号を授与されている。
(1903生まれ、1978年没)

◆ソ連人民芸術家(People's Artist of the USSR)
ロシア語(男性)だとНародный артист СССРとなる。ソ連に
おける名誉称号のひとつであり、1936年から1991年の間に1007名へ授与されてい
る。

■ラッフルズホテル創立者、サーキース兄弟
日本では良く知られているシンガポールの老舗ホテル、ラッフルズホテルの創業
者はアルメニア系ペルシャ(イラン)人のサーキース兄弟であったことはあまり
知られていないのではないだろうか。

現在のペルシャ(イラン)出身のアルメニア人、サーキース兄弟が東南アジアで
ホテル業をはじめたのは19世紀後半、大英帝国の進出とともに東南アジアへ進出
しホテル事業へ投資した。ラングーン、ペナンでもホテルを経営した。

◆サーキース兄弟は4人
Martin Sarkies (1852-1912)
Tigran Sarkies (1861-1912)
Aviet Sarkies (1862-1923)
Arshak Sarkies (1868-1931)

◆ラッフルズホテル設立とサーキース兄弟の経営
1887年12月1日、10室のRaffles HotelがEastern & Oriental社(Penagベース)
により創業された。

ホテルの名はシンガポールの創立者Sir Standord Rafflesの名にちなんでいるが、
ホテルのオーナーはイラン系アルメニア人のサーキース兄弟が経営するEastern
& Oriental社であった。

1892年、長男Martinが退職、TigranがシンガポールでRaffles Hotelの経営にあ
たり、AvietはラングーンでStrand Hotelの経営した。ArshakはペナンでEastern
& Oriental社を経営した。

1931年、世界恐慌とマラヤのゴム貿易の低迷の影響で植民地経済は疲弊、Raffle
s Hotelも例外ではなく、Sarkies4兄弟の末っ子、Archak Sarkiesの死後、Raffl
es Hotelを含むE&O社のビジネスは、経営破綻に追い込まれた。

1933年Raffles Hotel Ltd.が設立され、スイス人GMが就任。

Raffles Singapore
http://www.raffles.com/

◆Sarkies兄弟が設立したホテル
1884: Eastern Hotel, George Town, Penang, Malaysia
1885: Oriental Hotel, George Town, Penang, Malaysia
1889: Eastern and Oriental merged into Eastern & Oriental Hotel
1887: Raffles Hotel, Singapore
1891: Kartika Wijaya, Batu, Java, Indonesia[1]
1901: Strand Hotel, Rangoon (Yangon), Burma (Myanmar)
1910: Hotel Majapahit (as Hotel Oranje), Surabaya, Indonesia

■■後記
アルメニアと日本の関係は非常にが付くほど希薄なのが現実だが、アルメニア人
ということになると、少しは関係が見えてくる。

ロッキード事件当時の副社長はコーチャンというアルメニア系であったし、ソ連
時代のミコヤン国防大臣、その兄弟で戦闘機ミグを開発したミコヤンもアルメニ
ア系だ。ミグの「ミ」はミコヤンの「ミ」らしい。

ラッフルズホテルの創立者がアルメニア系だということは知る日本人は多くはな
いだろう。

アルメニアは古代に栄えた国家、その後、ペルシャ、モンゴル、オスマンに支配
され、その間にペルシャや他のコーカサス地域、ロシア、トルコ、ヨーロッパ地
域へ移民している。ディアスポラ(離散)といい、在外アルメニア人が800万人、
国内が300万人が現在のアルメニアの人口とされている。

一度かかわった国なので今後もウオッチしていく予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第108号 2011年6月24日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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Wednesday, 22 June 2011

「世界の街角からMM」第107号 ベルリン・レポート07(最終回)2011年6月22日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第107号 2011年6月22日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年が過去ったが、2010年初秋にベル
リンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート07(最終回)です。
▼目次
■新旧ベルリン
■ベルリンのベトナム人
■Twitterのご紹介その2
■■後記
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■新旧ベルリン
ベルリン・ティーゲル空港は、2012年10月に開港予定のベルリン・ブランデンブ
ルク国際空港の開港(東ベルリンに位置したシェーネフェルト国際空港を大幅に
拡張)後に閉鎖される予定なので、1年少々時間があるがこれが見納めかもしれ
ない。

西側の人にとってのベルリン(西ベルリン)の空港は、ティーゲル空港であり、
東側ではシェーネフェルト空港であった。その東西ベルリンを代表した空港も統
一20数年を経て新旧ベルリンが融合し、ひとつになろうとしている。

統一後、ドイツの首都がベルリンに復活し、旧国会議事堂が改装され新たに政府
庁舎が斬新なデザインで設計された。ここにも新旧ベルリンがみられる。

鉄道駅もベルリン中央駅が完成して、東西ベルリンにあったそれぞれのターミナ
ル駅が統合した。新たにベルリンを訪れる人は動物園駅や東駅を知らないまま中
央駅を利用することだろう。

住宅もそうだ、あのごつごつした無機質のアパート群は今も名残があるが多くは
ファサードサードまで改装している。歩いても気がつかないほどだ。

ベルリンはそういった近代の歴史において分断され統合した特異な歴史があり、
その新旧は今も変わらずベルリンに存在している。それがベルリンの魅力だ。

■ベルリンのベトナム人
共産主義時代、ベトナムの輸出産業として多くのベトナム人が共産主義国へ出稼
ぎに出ていたが、冷戦後、一挙に帰国したため本国で雇用問題が発生した。90年
代にベトナムで仕事をしたときに、東ドイツやソ連等に出稼ぎしていたベトナム
人ドライバーが多く、彼らは外国語としてドイツ語やロシア語を話した。

私の記憶の中では、90年代にワルシャワ駅前の食堂、ブルガス(ブルガリア)の
建設業者等でベトナム人を見かけた。帰国せずその国に留まったベトナム人だろ
う、東ドイツとて例外ではなく現在のベルリンにはベトナム系レストランを多く
見かけた。

スーパーマーケットの食品コーナーにある日本料理は概ねベトナム人が働いてい
た。彼らは新たに職を求めて現在のベトナムから出稼ぎに来ていると話していた。

出稼ぎは増えているようで、ヨーロッパへ不法就労を試みるベトナム人は後を絶
たない。数ヶ月前にユーロポールがモスクワとドイツを経由して英国へ行く予定
だったベトナム人を摘発したニュースが記憶に新しい。
http://www.viet-jo.com/news/social/110210100433.html

ベルリン在住の日本人フリーターが美味しい中華があるというので旧東ベルリン
地区の前回紹介した「スマートデリ」の近く、環状線の地図で言うところの3時
付近、で食事をすることにした。

駅から数分、近隣商業地区といった雰囲気でカフェやレストラン、そして若者が
多い。

彼が中華と称したレストランは、メニューを確認したらベトナム料理だった。こ
れ幸いとばかりに思いつくベトナム料理を注文してみた。フォーやブンチャーな
ど庶民的なメニューもあった。

ウエイトレスがベトナム人のようだったので質問してみたところ、本人はベルリ
ン生まれ育ちだが父親がハノイ近郊出身という。北ベトナム時代なのか、その後
なのか不明だが、東ドイツ時代の移民のようだ。以前、ヒューストンで会った南
ベトナムからの移民とは趣が異なる。

まあ、ベルリンで本格的なベトナム料理が食べられるとは、コスモポリタンなら
ではであろう。

■Twitterのご紹介その2
番外ですが、私のTwitterをご紹介します、確か一昨年末か昨年初めに登録して

のままだったのですが、最近、使うようになりました。スマホでは軽いのでメー
ルより使いやすい。アドレス、下記のとおりです。気になったこと、呟いていま
す。
Twitter: http://twitter.com/moskvichka55


▼Twitterとの連携
「世界の街角からMM」のウェブとTwitterを連携させた試行サイトです。内容は
これまでのメールマガジンとTwitter(moskvichka55)のツィート(日毎のまと
め)を収めたサイトです。

http://grechka.blog67.fc2.com/

■■後記
ベルリン・レポートは第7号でお仕舞いです。行ってからまとめるのにちょっと
時間がかかりました。

ベルリンの最大の収穫は、日本大使館です。朽ち果てた在ドイツ帝国大日本帝国
大使館が見事に復活していたことです。

しかし、在外公館建築はお役所仕事なので、新たに増築された領事部などはどこ
の在外公館でも大差ない味気ない印象でしたが、当時の古典様式の列柱を持つ正
面は見事ですね、中に入れないのが残念でしたが。

この大使館、日本の在外公館の中でも相当な規模ですよ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第107号 2011年6月20日
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Saturday, 11 June 2011

【世界の街角からMM】第106号 ベルリン・レポート(6) 2011年6月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第106号 2010年6月11日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが昨年秋に
ベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート06です。
▼目次
■今も変わらぬ動物園駅
■ブランデンブルグ門の今昔
■ベルリンから荷物を郵送する
■■後記
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■今も変わらぬ動物園駅
ベルリン動物園駅=Bahnhof Berlin Zoologischer Garten

西ベルリン時代を含めて2006年にベルリン中央駅が開業するまでベルリン西部の
ターミナル駅として機能していた鉄道駅である。動物園駅はベルリンSバーンの駅
として1882年2月に開業している、Uバーンが地下に走っている。

Zoo Station
http://berlin.barwick.de/travel-transport/stations/zoo-station.html

駅の名のとおり、駅前にベルリン動物園が位置する。でも駅前に立っても動物園
は見えないが、メルセデス・ベンツのトレードマークである「スリー・ポインテ
ッド・スター」を屋上に掲げた近代的なヨーロッパセンターと尖塔が爆撃された
ままのカイザーヴィルヘルム記念教会が見える。

冷戦時代、この駅の周辺は麻薬常習者のたまり場だった。1981年に公開された
「クリスチーネ・F」という映画、原作は「かなしみのクリスチアーネ われらツ
ォー駅の子供達」は、荒廃したベルリンの少年少女の生態を描いており、その手
記はヨーロッパを震撼させた。

主人公は、クリスチーネ、13才にして麻薬中毒であり娼婦だった。動物園駅に
たむろし、13歳から麻薬中毒で14歳でヘロインにハマり、売春しながら薬を調達
する日々を過ごし、恋人のデトレーフもホモに身体を売りながらハマっていく。

クリスチーネ・F
http://youtu.be/mG6sXLQwlJU

こんなことを思い出しながら動物園駅の周囲を歩いてみた。通りを挟んだ先には
セックスショップが店を開けている。その先にはKarstadtスポーツショップがあ
る。その間の数十メートルの道のりは以前の動物園駅の香りがした。

Karstadtスポーツショップ
http://www.qype.co.uk/place/45847-KARSTADT-sport-Berlin

http://www.karstadt.de/

■ブランデンブルグ門と今昔
東西に分割されていたベルリンの国境はこのブランデンブルグ門であった。門は
東ベルリン側に属し門の外側にベルリンの壁が立っていた。東ベルリン側からは
下の写真までが限界だった。

1985年8月のブランデンブルグ門
http://1985.iio.org.uk/east_germany/west-berlin04m.jpg

だから、ぎりぎりまで寄ってもかなり遠く感じた。他方、西ベルリン側からは門
の直ぐ前に建つ壁まではあっさりと行けた。門の前にはソ連軍の戦車がありその
前にソ連兵が立っていた記憶がある。

ここまでが東西ベルリン時代の、現在は統一され壁もなくブランデンブルグ門は
自転車でも徒歩でもスイスイ行き来できる。当たりまえだが。当時がこれがあた
りまではなかったのだ。ライトアップされ夜も観光名所となり、人の行き来が絶
えない。

変わったことといえば、西側支配国である米英仏の大使館がブランデンブルグ門
前に集中している。当然、米国大使館は門に向かって左側の広大な敷地を使って
いる。フランスは門の右側、英国は米国大使館のやや手前、こちらも非常に大き
な建物だ。それぞれ連合国の威信をかけて場所を確保し、建物を建てたようだ。

ソ連大使館は元々ウンターデンリンデン沿いに位置していたのでそれが現在はロ
シア大使館となっている。いうまでもなく広大な敷地に巨大な建物だ。更に、そ
の手前にアエロフロート航空のオフィスがある。

ブランデンブルグ門パノラマ
http://www.panorama-cities.net/berlin/brandenburg_gate.html

■ベルリンから荷物を郵送する
懐かしくなり本や地図をかなり購入したので日本へ送ることにした。以前から西
ヨーロッパの郵便はサービスレベルが高く、箱など必要なものは郵便局へ行けば
調達が出来、荷物だけ持っていけばよかった。ドイツも同じだ。

ドイツの郵便局はドイツ・ポストという。現在は、郵便事業とロジスティクス事
業を担い、正式な会社名はドイツ・ポストDHL(Deutsche Post DHL, DPDHL)であ
る。1995年、ドイツ連邦郵便がドイツテレコム、ドイツ・ポストバンク、そして
ドイツ・ポストに分割、株式会社として民営化された。
http://www.deutschepost.de/

ドイツ・ポストは、2002年にクーリエサービス企業であるDHLを買収し、グローバ
ルロジスティックス企業に成長し、郵政民営化の例でよく取り上げられている。
フランクフルト証券取引所、ロンドン証券取引所に上場し、ドイツ株価指数
(DAX)の採用銘柄でもある。

ホテルで郵便局の場所を聞き、フリードリッヒ・シュトラッセのショッピングセ
ンター内にある郵便局へ足を運んだ。例によってエコノミークラスで2箱を送付し
た。箱は黄色、そして赤いDHLのロゴマークが印刷してあった。

これがどういうわけか、7-10日で日本まで届くと思っていたが、予想以上の所要
日数となり、1ヶ月以上経過してから届いた。特に急ぐわけでもなく、日本にいる
わけでもないので特に問題はなかったのだが。エコノミーっていうのはもしかし
たら、船便だったのではと送り方を間違えたのかとも思った。

■■後記
当時の西ベルリンの雰囲気をよく表していたのは動物園駅付近だ、かなり小奇麗
になっていたが、時間によって、地区や通りによってその表情が変わっていくの
だろうと感じた。

ハノーファーから東ドイツを横断し西ベルリンに着いたが街の表情が西ドイツ本
土と比較してかなり荒んだ印象だった記憶だ。でもそれがベルリンだった。
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Friday, 10 June 2011

【世界の街角からMM】第104号 ベルリン・レポート(5) 2011年6月9日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第105号 2011年6月9日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが2010年初秋
にベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート05です。
▼目次
■Twitterのご紹介
■ベルリンのクラブ
■ドイツでは売春は合法
■東ドイツ製小型乗用車-トラバント
■■後記
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■Twitterのご紹介
番外ですが、私のTwitterをご紹介します、確か一昨年末か昨年初めに登録してそ
のままだったのですが、最近、使うようになりました。スマホでは軽いのでメー
ルより使いやすい。アドレス、下記のとおりです。気になったこと、呟いていま
す。
Twitter: http://twitter.com/moskvichka55

■ベルリンのクラブ
ベルリンはクラブのメッカらしい。「スマートデリ」で話をした日本人、仮にM君
としておこう、とドイツ人がクラブへ行く予定だというので便乗することにした。
クラブはまだ決まっておらず、時間は、11時から午前零時ごろだという。ホテル
に一旦戻って連絡を待つことにした。

ベルリン到着したその日の夜だったので寝不足だった。エレバンからウィーンの
フライトは5時20分なので朝3時過ぎに空港へ向かったのだ。満腹感も手伝い眠い
はずだ。

ホテルに戻ってベッドでうとうとしてしまいM君からの電話に気づかず、午前1時
ごろに電話をかけなおしたら、あるクラブにいるという。住所を聞いてホテルか
らクラブへタクシーで駆けつけた。

ベルリンのクラブは、旧東ベルリン側の未利用建物を利用して運営されているこ
とが多いとのこと。まったく情報がなかったので彼には感謝、場所はフリードリ
ッヒ・シュトラッセのホテルからタクシーで15分くらい走った静かな住宅街にあ
った。

タクシーは教えられた通り名と番地を告げたらクラブの目の前で下ろしてくれた。
当たり前だがストレスがなくてよい。人が溢れていたので直ぐに気がついて電話
をするとM君が迎えに出てくれた。アドミッションをいくら払ったか記憶にないが
高くない印象が残っている。クラブの名前はDamen-club、テクノミュージック主
体だった。

バーでドリンクを買って適当に飲みながら過ごす、ほとんどが10-20代だろう、か
なり賑わっていた。地下のフロアで生バンドが演奏され、上の階に音楽が漏れて
きていた。

地下のフロアは盛り上がっていた。DJとバンドの目の前まで通り抜けることさえ
困難なほどだった。M君によると大当たりだという。年も考えず若者と一緒に盛り
上がった。

その後、ビールを飲みながらM君と話をする。彼はいわゆる自由人のような、しか
し、財政的バックアップは親から期限限定であるという羨ましい境遇でベルリン
に滞在していた。クラブ音楽やDJに興味があるようなのでそんな環境でないと前
に進められないのだろうか。

午前4時過ぎに退散することにしたが、クラブは夜が明けるまで続きそうだった。
M君どうもありがとう。

ベルリンのクラブシーン
http://public-image.org/column/2011/01/19/wcr11.html

■ドイツでは売春は合法
ホテルでフリードリッヒ・シュトラッセ側に席を取り、窓の外を眺めながら朝食
を食べていたときにArtemisというアドを全面に塗装したバスが通りを走っていた。

Artemisはギリシア神話に登場する狩猟・純潔の女神であり、トルコのエフェソス
遺跡で発掘された女神像の名でもある。

エフェソスは。現在のトルコ・イズミール近郊にある古代ギリシャの都市遺跡、
アルテミス女神崇拝の一大中心地であった。この地にあったアルテミス神殿はそ
の壮麗さで古代においては著名であったという。

記憶に残っているのはエフェソスの女神像だ。この像は胸部に多数の乳房に見え
る卵形の装飾を付けた外衣をまとっており、あたかも「多数の乳房を持つ」よう
に見え、「多数の乳房を持つ豊穣の女神」として紹介されている。
http://www.ephesus.us/

さて、気になったのでベルリンのArtemisネットで調べたところ、いわゆるサウナ
サロンであった。この施設はドイツ全国にも存在する。

ドイツでは2002年に売春が合法化された。売春合意年齢は21歳、現在、ベルリン
だけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人といわれる(wi
ki)。ちょっと過大な数値ではと思う。合法化したことにより、アングラマネー
を正規に税として徴収することが出来るようになり税収増加が見込まれた。

同じドイツ語圏であるオーストリアではどうか?

売春は合法である。路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要であり、海
外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。売春ビザで働
いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも裁判で認
められている。(wiki)

しかしそんなビザを取得するかね?やっぱりアングラだろうね。ドイツやオース
トリアではどの程度売春管理しているか、もう少し知りたいところだ。

■東ドイツ製小型乗用車-トラバント
ダンボールのボディと揶揄された東ドイツ製の小型乗用車トラバント(Trabant)、
愛称トラビ(Trabi)は、全長3.5 m, 車幅1.5 m、定員は4名、エンジンは直列2気
筒2ストロークの空冷エンジン横置き配置で、前輪駆動方式のコンパクトな自動車
である。
http://1985.iio.org.uk/east_germany/trabant601.jpg

走り方がプン、プン、プーンとツーサイクルエンジン音を発し、青い煙を吐きな
がらながら小さな車体が不具合な広い通りを走っていた。現在はベルリン観光ツ
アーに利用されているので今もよく見かける。

ウンター・デン・リンデンを走るトラビ(1985年8月)
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin05m.jpg

http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin02m.jpg

トラバントは第二次世界大戦前に自動車メーカーであったアウトウニオンの旧工
場のうち、高級車ホルヒの生産拠点であり、戦後、東ドイツ地域に含まれたツヴ
ィッカウ工場がその前身となったVEBザクセンリンク社(国営企業)が生産してい
た小型乗用車である。

旧東ドイツは、ドイツ帝国を分割したため、東ドイツ側に位置していた産業を前
身とする産業がそのまま継続したケースが多い。カール・ツァイス・イエナは世
界市場でも競争力のあるその代表的な例だ。

トラバントは旧ソ連圏にも輸出され、90年代にソフィアに滞在していたときのあ
る雪の日、雪の積もったトラビを見かけた。
http://bg.iio.org.uk/sofia51m.jpg

今だから言える、なんとも愛嬌のある車なのだろう、東ベルリンのマスコットの
ような存在だ。

トラバント博物館
http://www.trabant-museum.eu/

■■後記
沖縄が梅雨明けとのニュースを聞いたがかなり早いですね、今夏はどうなるのか
気になるところです。

ベルリンはまだまだ挿入部なので、深部まで見てみたくなる魅力を持っている都
市であることは経験上間違いないと思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第105号 2011年6月9日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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Wednesday, 8 June 2011

【世界の街角からMM】第104号 ベルリン・レポート(4) 2011年6月7日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第104号 2011年6月7日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが2010年初秋
にベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート04です。
▼目次
■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
■かつて泊まったBerlin International YH
■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
■■後記
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■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
1985年8月9日、金曜日の早朝、後述する宿泊していたYHから徒歩でティアガルテ
ンへ向かって歩き始めた直後、日の丸を掲げ朽ちかけた古典様式の大きな建物が
夏草に覆われた荒地の中に忽然と聳え立っているのに遭遇した。この建物が旧在
ドイツ帝国大日本帝国大使館であり、戦後、廃墟のまま放置されていた。

ベルリンを訪れた目的はパスポートを増補することであった。ベルリンでなくと
もウィーンでもモスクワでも良かったのだが、どこでも出来ることなのでこの機
会に20数年ぶりのベルリン散策も兼ねようと考えたのだ。

ベルリンにしたもう一つの理由は、前述の旧在ドイツ帝国大日本帝国大使館の建
物が現在の在ドイツ日本国大使館であることがベルリン日独センター等の記事や
ウェブの写真からわかっており、その後を見届けたいという気持ちがあったから
だ。

ベルリン日独センターは1985年に設立され、その際、戦後廃墟のまま残っていた
旧大日本帝国大使館建物を修復再利用して活動の拠点としたので、その直前に遭
遇したことになる。

在ドイツ日本国大使館
http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/

http://wikimapia.org/1240460/ja/在ドイツ日本国大使館

ベルリン日独センター
http://www.jdzb.de/

ホテルでバスのルート図を見ていたら宿泊していたグランドホテル近く(ウン
ター・デン・リンデン)のバス停から乗り換えなしで行くことがわかったので早
速試しにそのバスに乗った。ベルリン市外ツアーの気分で2階建ての2階に席を取
り市内のクルージングを楽しんだ。ポツダム広場を過ぎてからバス停に注意を払
った。ベルリンフィルを通過ししばらくティアガルテン沿いを走り、日本大使館
に近いバス停で降ろしてもらった。

バス停の直ぐ横がイタリア大使館、こちらもかなり大きい。その先に日本大使館
が見えてきた。当時、ここは一等地だったようでベルリン都市開発計画に沿って
枢軸国にその敷地が割り当てられた。各国の日本大使館を訪れる機会は多いがこ
れほど広大な敷地と建物を持つ在外公館は例を見ない。

先ずは領事業務用の出入り口から入管、かなり厳しいチェック、カメラは預けら
れた。増補申請書類に記入して窓口に提出し、2時間後に受け取りとなった。私
の他に一人だけだったので非常にスムーズな手続きであった。増補の手続きにつ
いては以下の通り、増補すること、それを在外公館ですることは先ずないであろ
うと思う。

その後、一通り当時の記憶を頼りに周囲を散策、塀が出来て近くまでは寄れない
のが残念だ、夏草が風に靡いていたあの夏を思い出さずにはいられない。

▼増補について(大使館ホームページより)
査証欄の増補をする場合

査証欄の余白がなくなった場合には、査証欄増補申請により、査証欄を増補しま
す。
*必要な書類
現在お持ちの有効なパスポート
一般旅券査証欄増補申請書 1通(大使館に用意してあります。)
*手数料
19ユーロ(平成23年4月1日より21ユーロ)

■かつて泊まったBerlin International YH
前述の在ドイツ帝国大日本帝国大使館を偶然見つけたのはこのYHからティアガル
テン方面へ歩いていたときのことだ。今回は、逆に大使館に増補申請をした後、
待ち時間を利用してこのYHがどんな状況になっているのか見に行った。

地図を見ながら川沿いに歩いた、当時は空き地が多く、ややすさんだ印象だった
が今は概ね住宅地として埋まっている。

Kluckstrasseの橋を右に曲がった正面に見覚えのある4階建て一部5階建ての建
物が視野に入ってきた。当時は塀があった記憶だが今はなく、道路から敷地まで
開放感がある。当時のままだったことはちょっとした嬉しさだった。正面は空き
地だったが今はこちらも住宅となっていた。

当時、動物園駅からバスで近くまできたことを記憶している。そして、塀の立ち
並ぶ道路を歩きながらこのYHにたどり着き、宿を確保できたことでほっとしてい
た夕刻が懐かしい。

Berlin International YH
http://www.hostelbookers.com/hostels/germany/berlin/4340/

■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
ベルリンの日本料理はどんなものかとネット検索したらこの店がヒットした。便
利になったものだ、ネット社会は。

他にもいわゆる日本料理屋はあったがカジュアルな雰囲気がサイトから漂ってき
たので地図を見ながらこの店に行ってみる事にした。駅からやや遠いので地図を
見ながら歩いたつもりだが、ロット番号を見誤り反対方向へ歩いていることに途
中で気がつき、修正したのでたどり着くまでかなり時間を要してしまった。

店はこじんまりとした日本食と日本食料品の店だった。テーブル数も少なく、さ
れど、レストランというよりは食堂といった感じでメニューもそんな内容だった。
焼き魚(シャケ)、味噌汁、緑茶をもらう。やや足りなく、稲荷を少し追加した。

店は日本人の若者が数人働いていた、既に10年選手だという。敷居が高くない
ので近所に住んでいる人が客のようだ。私が入ったときには日本人はいなかった
が後から日本人とドイツ人の二人組みが入ってきた。

この日は土曜日だったので週末セール、15ユーロ寿司食べ放題というメニュー
があった。寿司といっても巻物が多いのでそれほど食べられないが、若者には人
気があるようだ。

食料品が豊富だったので、あれこれ買って帰ろうとベルリン滞在中に再訪する予
定でいたが、結果として時間がなくなってしまった。このとき買った熊本云々と
いう棒ラーメン3個のみがここの収穫となってしまった。このラーメン、エレバ
ンで食べたがかなりイケテイル、旨かったね。

smartdeli
gru"nberger str. 90
berlin friedrichshain
電話 030 2068 7037 月-土 12時から20時
http://www.smartdeli.org/jp

■■後記
スマートデリで会った日本人と少し話したらこれからクラブへ行くという、では
連れて行ってくれとお願いし、後から合流することにした。次回、ベルリンのク
ラブについてもレポートします。
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Monday, 6 June 2011

【世界の街角からMM】第103号 ベルリン・レポート(3) 2011年6月6日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第103号 2011年6月6日
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新政ドイのツ首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったがやっとその
ベルリンを訪れる機会に恵まれた。ベルリン・レポート03です。
▼目次
■ベルリンの壁の記憶
■ベルリンの公共交通
■ベルリンの歴史遺産と博物館
■ベルリンの日本食料品
■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
■■後記
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■ベルリンの壁の記憶
説明は要らないと思うが、1961年8月13日に東西ベルリンの国境が閉鎖され、その
直後から東ドイツにより東ベルリン境界線上に壁が建設された、そして、1989年
11月10日に壁が破壊された。1990年10月3日、東西ドイツが統一された。その間こ
の壁が東西ドイツ分断の象徴であった。

東西ベルリン時代の1985年8月、ブランデンブルグ門に近い西ベルリン側を壁に沿
って歩いたことがある。所々に白い十字架が建てられおり、東ベルリンから西へ
亡命しようとして国境警備隊に射殺されたとの説明があった。そんな時代は最早
過去のことだが、20年前まではそういう時代だったのだ。

Berlin Wall Online
http://www.dailysoft.com/berlinwall/

■ベルリンの公共交通
東京の山手線のような環状線がある。東西ベルリンが統合してから環状線として
機能したのだろうと推測する。鉄道とバスのネットワークが充実しているので移
動はとても便利だという印象を受けた。ただ、ベルリンの自動販売機は精度が良
くないので窓口で購入したほうがストレスがない。

また、一日や複数日数の乗車券が用意されているので、これを購入しておけば面
倒がない。東京はいつになったら一枚の切符で全公共交通が乗車できるサービス
が提供されるのだろうか、東京地下鉄と都営だけでも早く統合すべきだね。

ベルリンカードという博物館などの入場料割引を含んだツーリストカードが用意
されている。観光する人はお得かもしれないが私のように街を歩くことを主目的
としている人には余分だ。

ベルリンの交通機関:
S-Bhan都市近郊鉄道
U-Bhan都市内鉄道
M 地下鉄
TRAM 路面電車
BUS バス

ベルリン交通局
http://www.bvg.de/index.php/en/index.html

■ベルリンの歴史遺産と博物館
この滞在では博物館には足を向けなかったが、ベルリンにはギリシャ・ローマを
テーマにした博物館や東西ベルリンをテーマにした博物館等があり、参考程度に
紹介しておく。

ベルリンの中心部、シュプレー川の中洲に博物館島(フリードリッヒ・シュトラ
ッセ駅から一つ目)があり、中洲の北半分にペルガモン博物館、ボーデ博物館
(Bodemuseum)、旧国立美術館 (Alte Nationalgalerie)、旧博物館 (Alte Museum)、
新博物館 (Neue Museum) の計5館の国立博物館が集中して位置する。

ペルガモン博物館はギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美
術品などを展示している。博物館の名前も展示されているペルガモンの大祭壇に
由来する。

Pergamonmuseum
http://www.smb.museum/smb/home/index.php

東西ベルリン時代をテーマとした博物館としては以下の二つが見逃せないと思う。

East Side Gallery
http://www.eastsidegallery-berlin.de/

DDR Museum
http://www.ddr-museum.de/

ベルリン公式観光ページ Museum+Art
http://www.visitberlin.de/en/see/museums-art

■ベルリンの日本食料品
アレクサンダー広場駅の隣に巨大なガレリアカウフホフというデパートがあった。
この一階奥が食料品売り場となっていたので覗いてみた。「コトブキ」とだった
か暖簾が掛かっていて日本食コーナーがあったので驚いた。よく見るとカウン
ター内ではアジア人が働いていたが、並べられている日本食と称する食品は揚げ
物、つまりベトナムの揚げ春巻き等が多かった。中にいるアジア人にどこから来
たのかと聞いてみたら「ベトナム」との返答、東ドイツ時代から交流があったの
であろう。

このコトブキのカウンターにカリフォルニア米1kgパックを発見した。他の棚には、
少量ではあるが醤油や海苔、味醂、ウドン、チューブ入りわさび等の日本食品も
売られていた。いったい誰が買うのだろうかと思いながら、カリフォルニア米の
「錦」を二袋調達したのであった。

ガレリア・カウフホフ
http://www.galeria-kaufhof.de/

アレクサンダー広場
http://www.stadtentwicklung.berlin.de/planen/staedtebau-projekte/alexanderplatz/index_en.shtml

■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
前号で紹介したショッピング関連リンクです。

西ベルリン側、クーダム
Kurfurstendamm
http://www.visitberlin.de/en/spot/kurfuerstendamm

フリードリッヒ・シュトラッセFriedrichstrasse (東ベルリン側)
http://www.visitberlin.de/en/category/1714?tid=1714&parent=1694

アレグザンダー・プラッツ(東ベルリン側)
Alexanderplatz
http://www.visitberlin.de/en/category/1716?tid=1716&parent=1694

フリードリッヒ・シュトラッセのギャラリ・ラファイエット(東ベルリン側)
Galeries Lafayette
http://www.visitberlin.de/en/spot/galeries-lafayette

■■後記
ベルリンでは日本食を調達しようとはあまり考えていなかったが、日本料理屋へ
行ったところ食材もかなり売っていた。味醂も日本のだったので後から来ようと
考えていたが、東ベルリン側でかなり迷いながら辿り着いたこともあり、再訪す
るタイミングを逸してしまった。次回にその店を紹介しようと思う。
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