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メールマガジン「世界の街角からMM」 第143号 2012年7月7日
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東京のこと、住いの近所のこと等、東京にて(4)です。
▼目次
■白金高輪は清正公前でよかったのに
■ANA利用(クーポン)券の使い道
■新橋駅銀座口の記憶とスロバキア国旗
■■後記
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■白金高輪は清正公前でよかったのに
自宅近くに東京駅丸の内南口行き東98系統のバス停があり、そのバスに乗り白金
台駅を過ぎると「次はせいしょうこうまえ」という自動アナウンスがある。丁度、
ここは目黒通りと桜田通りが交わる場所、南北線・三田線の白金高輪駅の地上部
に位置する。それで「清正公前」という名を認識したが、ある時、この地下鉄の
駅名が最初は「清正公前」だったが、その後、現在の「白金高輪」に変更された
ことを耳にした。一つ手前が白金台だから、わざわざ白金高輪にしなくてもいい
んじゃないの、と思ったのだ。
1989年(平成元年)、都営6号線(三田線)の三田駅以南の事業免許の申請が行
われた時は、三田 - 清正公前という駅名だったが現在は白金高輪駅となってい
ることは前述の通り。三田線・南北線に白金台駅があるし、浅草線に高輪台があ
るのだから、清正公前のままで良いのにわざわざ白金と高輪を組み合わせる必要
があったのかと疑問に思う。
駅の場所が白金と高輪の境界上に位置することは事実であるが、交差点に面して
覚林寺(清正公)があり、清正公前というバス停が存在し、交差点名も清正公な
のだから素直に「清正公前」であってほしかったし、この寺は近隣住民からもそ
う呼ばれている。
清正公(せいしょうこう)とは、秀吉の家臣であり縁戚関係であった加藤清正の
こと、目黒通りと桜田通りの交差点近く(東京トヨペットの裏)にある最正山
覚林寺(清正公)に位牌と像が祀られていることから、「清正公様」と呼ばれて
いる。
この地はかつて熊本藩中屋敷の一部であった。覚林寺は、寛永8年(1631年)、
文禄・慶長の役の際に清正によって日本へ連れてこられた李氏朝鮮第14代国王宣
祖の長男、臨海君の子の日延の隠居寺として開山している。
余談だが、文禄・慶長の役で朝鮮からセロリを持ち帰ったのが加藤清正と言われ
ており、清正人参という異名がある。
清正は秀吉の死後、関ヶ原で家康側に付き、その後、肥後52万石の大名となる
が、清正の死後、改易となっている。肥後熊本は細川忠利が大名となるが、彼は
明智光秀の娘、玉子の三男であった。人生はわからない。
加藤清正は尾張名古屋の中村生まれで育ちが津島、筆者は津島の生まれだ。約4
00年もずれているが、筆者は加藤清正が郷土の歴史上の人物であったことを小
学校のころに学んだ記憶にあり、その清正公(せいしょうこう)と呼ばれる縁の
寺が程近いところにあり、駅名にはならなかったが一時駅名にしようとした経緯
があったということだ。
「清正公前」とならなかったのは加藤家が改易されその後を引き継いだ細川家か
らは「清正公前」と名付けることに何か問題でもあったのであろうか?想像の域
を出ないが現駅名は、「白金高輪」と地名を繋いだけのあっさりとしたものとな
っている。
■ANA利用(クーポン)券の使い道
忘れないように交換して下さいという天からのお達しがあり、有効期限最終日に
商品と交換してきた。
マイレージの有効期限が切れる案内が届きクーポン券に交換したのが1年前、今
度はそのクーポン券の有効期限が6月末日で切れることになった、ANAインターコ
ンチネンタルホテルのレストランで食事でもと思ったがタイミングが合わず、2
階にあるベーカリーのピエール・ガニェール パン・エ・ガトーでケーキ、ジャ
ム、パンの購入代金に充てた。
このパン屋、36階にある.ピエール・ガニェールという三つ星シェフとして名高
い美食の巨匠、 ピエール・ガニェール(PIERRE GAGNAIRE)氏と提携するレスト
ラン「ピエール・ガニェール」の出店しているケーキ屋とパン屋なのだ。だから
美味しいだろうという先入観ありあり。実際に何度か試しているが外れない。こ
のお値段で外れたら犯罪ものだろう。
仙台へ行ったときに宿泊したホテルがANAホリディインだったので宿泊代の足し
にし、残りは5000円券一枚、それを使ってケーキとパン代にした、5000円相当な
のでかなり使い出があるのかと思いきや、お値段が高いので直ぐに5千円は超え
てしまう。チョコレートケーキ(四角の棒)、ラズベリージャム、バゲット、カ
ンパーニュSとカンパーニュ1/2で5千円を超えた。こんな買物をするのはこの
クーポン券を利用するときくらいだ。
その日は自転車での移動、この立派なホテルへ自転車で乗り付け、駐車場スペー
ス横に駐輪しておいたのだが戻ったら自転車がない、よく見たらその先の歩道に
追いやられていた。ベルボーイが見当たらなかったから、何も告げずに止めたか
らだろう。だいたい、このホテルに自転車で乗り付ける輩はいないのだろうな。
■新橋駅銀座口の記憶とスロバキア国旗
築地からぷらぷらと汐留を経て新橋駅銀座口まで歩いた。その銀座口前の昭和通
り沿いに、キムラヤ(ディスカウントストア、神保町にもある)があったが、現
在はコナカになっていた。こんなことをなぜ記憶しているかと言うと、ここで19
88年9月にサムソナイトのスーツケースを購入したからだ。そのスーツケースは
既に十分役目を果たし最近まで保管していたが4月の引っ越しに伴い処分した。
もうひとつ記憶がある。キムラヤの並びだったと思う、今日、確認したら空き地
になり、ビルの立て替え準備中だった。ここには中古カメラ屋、新橋カメラとい
う店の名前だった、があり、1985年5月か6月に私にとって初めての一眼レフカメ
ラであるCanon AE-1Pを35-70のズームレンズ付きで購入した。このカメラを購入
したのは、その年の6月末からナホトカ航路シベリア鉄道でソ連・東欧・西ヨー
ロッパ旅行を計画していたので、その旅行へ携行するために奮発したのだ。当時
の価格で4万円程度、このカメラはまだ手元にある。
他愛のない内容だが、ゆりかもめの通路から新橋駅銀座口に出て周りを眺めた時
にふと思い出した。
新橋まで歩いたのは、ここから山手線で帰ろうかと思ったのだが、新橋駅まで来
てみると違うことが頭に浮かんだ、それは、内幸町から東98系統のバスで我が
家の最寄りのバス停まで一本で行けることだった。
それで、ガードをくぐって内幸町へ向かうことにした。途中、外堀通りへ目を向
けると銀座8丁目に建つ、一時、一世を風靡したカーテンウォールのリクルート
本社が見え、さらに、角にメタボリズム建築の代表である静岡新聞・静岡放送東
京支社(丹下健三設計、1967年)が視野に入った。
内幸町の交差点に出ると、日章旗とスラブ系の国の国旗(上から赤、青、白帯)
が道路沿い掲げられていた、えーと紋章を取ればロシアと同じだけどと思いなが
らどこの国かはっきりしないのでスマホで確認、スロバキアと判明、丁度、大統
領が来日中で首脳会談も開催された。日比谷シティ手前にある内幸町のバス停か
ら都バスに乗り家路に付いた。
日・スロバキア首脳会談
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■■後記
今日は七夕、でも東京地方は雨です。
街を歩いていると断片的に記憶がよみがえってくる。そうするとそれを確認した
くなる。あの辺に確かその昔はあんな店があったけどどうなってしまったのだろ
うかと、それで歩いてしまう。
クーポン券は悩ましい、無ければそれで済むのに、あるから使わないといけない
ような気になってかなりの時間を知らず知らずのうちに費やしている。それこそ、
クーポン券を使わないより費やす時間のがもったいない。
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