2012年12月19日水曜日

【世界街角通信】第152号 インドとパキスタン(1) 2012年12月19日



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メールマガジン「世界街角通信」       第152 20121219
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南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(1)についてです。

▼目次
■羽田空港(東京国際空港)から国際線で出張
■初めての羽田空港国際線新ターミナル、初めてのスワンナプーム国際空港
15年ぶりのインド、20年ぶりのデリー

■■後記
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■羽田空港(東京国際空港)から国際線で出張

20101021日に4本目となるD滑走路の供用が開始され発着枠が増加しすること
により、国際線定期便の就航が可能になった。

このニュースは把握していたものの、羽田発で出かけられる出張先がこれまでな
かったが、今年に入ってから南アジアへバンコク経由で出張することになり、タ
イ航空他が就航していることから羽田発で出かけみようと考えていた。

しかし、悩ましいことに早朝か深夜の便ばかり、なかなか踏ん切りがつかなかっ
たが、デリーで当日打合せしたいとクライアントから要請があり背中を押された
ような感じ羽田発に搭乗することになった。午前020分発のTG661便でバンコク
520分に到着し、午前735分発TG323便でデリーに午前1030分、午後4時に
打合せとなったのでした。

ホテルにチェックインして少し寝るかと考えたが、なかなかそうはいかず、結果
として深夜に移動するのでフルに1日を使えるがかなり疲れる。理想は夕方着、
翌日から稼働が身体は楽だ。

通称、羽田空港、正式には「東京国際空港」ということは成田空港が開港しから
は記憶の彼方に追いやられていた。国際線が成田へ移転してからの羽田は台湾線
に中華航空などが就航して国際空港のメンツはとりあえず保っていた。90年代初
めにバンコク-シンガポール-マニア-台北と移動し、羽田へ中華航空で帰国した
ことがあるが、このルートは意図的に台北に立ち寄ったからで、通常は台湾は私
の仕事先とはならない。

国際線が成田へ移転してから、お隣、韓国は日本航空事情を良く研究しインチョ
ンにハブ空港を建設し東アジアのハブ空港の座を獲得した。羽田空港は国際旅客
数は725万人(2011年度)と拡張する前との比較で2.6倍、成田空港と合算すると
年間3300万人の利用客数となるがインチョン+キンポー空港より1割程度少ない。

早朝深夜の公共交通が限られている面もあるのだろう、更にフライトが遅延する
と羽田に到着する時間が23時から午前0時過ぎになると終電・バスがなく、タク
シーのみということになる。早朝発便も空港までのアクセスが気になる。

乗り継ぎの関係でトランジットとなるバンコクで6-7時間過ごすか、成田便で2
間弱のトランジットするかは悩ましい。羽田空港着だとタクシーに乗ってしまえ
30分程度で家に着くので非常に楽ではある。

旅客数の伸びに伴い、国際線ターミナルの拡張が20143月を目途に進められて
いる。

国際線ターミナル 羽田空港が拡張へ 来月にも着工

羽田空港国際線旅客ターミナル

■初めての羽田空港国際線新ターミナル、初めてのスワンナプーム国際空港

インド出張は1997年が最後なので15年ぶり、デリーは多分20年ぶりだろう。バン
コクの空港もドンムアンからスワンナプーム国際空港に替わっている、20069
月に開港しているので今回が初めての利用となる。

羽田空港国際線新ターミナルでの出国が初めて、バンコクのスワンナプーム国際
空港も初めて、到着するデリーのインディラ・ガンジー国際空港ターミナル3が
2010714日開業なのでこちらも初めて、全て初めての空港ばかり往路となっ
た。

ここ数年、旧ソ連圏での仕事が多かったのでバンコク経由での出張は2005年のモ
ルディブ以来となる、そのときはドンムアン空港でのトランジットだった。それ
以前、1996年にはバンコクからウズベキスタン航空でタシケントへ赴いたことが
あるがかなり昔のことだ。

Suvarnabhumi International Airport

インディラ・ガンジー国際空港

15年ぶりのインド、20年ぶりのデリー

この季節のデリー、清々しい、上着が一枚必要な気温でした。

羽田空港、午前020分発のTG661便でバンコクに520分に到着し、午前735
TG323便でデリーに午前1030分到着、デリー空港のターミナル3は真新しく
巨大でした。床が日本の空港と同じカーペットなのでキャリーオンが重いと引っ
張り難い。

昼間に着いたのでホテルまでの道中、車窓の風景とその昔の記憶のすり合わせを
したが、大使館街や官庁街以外は記憶から消えていた。その後出かけた時のコン
ノートプレイス付近、記憶になったがこんなに混雑していたのかな?

デリーは実に20年ぶりだろう、1992年にコンノートプレイスにあったOECF事務所
まで来たし、日本大使館へも立ち寄った。その時は、当然ながら道路を走ってい
る車はアンバサダー一色だったが、今はアンバサダーがほとんど消え、スズキ、
トヨタ、TATA、それに韓国車に取って代わっていた、これだけで風景が異なる。

空港からホテルまで40-50分の距離だった。宿泊したホテルは、The Metoropolit
an Hotel、何年か前まではホテルの名に日航が付いていた日本航空系のホテルだ
ったが、会社更生法適用後であろう、シェアか契約が解除されているのだろう。

20年前のデリーではオベロイに泊った、今も昔も最高級ホテルの位置づけは変わ
らない、同時の素晴らしいサービスレベルに感嘆したものだ。きっと今も同じな
のだろう、こういうホテルには宿泊する価値があるというものだ、しかし、現実
を考えると小生ではやや難しい、せいぜい数泊ならば考えるが。

インド滞在は1997年末のカルカッタが最後なので15年ぶり、デリーは前述の通り
1992年が最後の滞在なので20年ぶりとなった。

The Metropolitan Hotel

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■■後記
総選挙は自民党圧勝でした。言われているように民主党が自らが瓦解し、自民党
に小選挙区で票が流れた結果であろう、新党の乱立したことも自民党には効果的
であった。しかし、維新の会は54議席と非常に健闘した。

自民+公明で325議席確保、定数の3分の2、これは安定政権の礎となろう、この
シェアを利用して強い日本へ前進してほしい。

2009年に民主党政権になってから、女性議員らが仕分けと称して外交関連等予算
を切り詰める政治パフォーマンスを演じたのは記憶に新しいが、それ以外にどの
ような効果があったのか大きな疑問であった。

自民党が返り咲いたからと言ってこの予算の流れは変わるものではないであろう
が、国際社会と内政を見極めながら責任のある、意味のある政治へと変化するこ
とは望ましく、自民党安部総裁とその執行部に期待したい。

今回の選挙、投票率が59.32%と小選挙区制になって最低とのこと、世代別の投票
率がわかれば更に興味深い結果が見えてくるのだろうが、次世代を担う若者世代
こそ選挙に参加しなくてはならないと思う。

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