Monday, 31 March 2014

【世界街角通信】第190号 台風ヨランダでレイテ島タクロバン-04 2014年3月31日

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メールマガジン「世界街角通信」       第190号 2014年3月31日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。今号は、フィリピンのレイテ島タクロ
バンからです。(実は帰国してから書いています。)

昨年11月、スーパー台風ヨランダ(台風30号)がフィリピンのレイテ島タクロバ
ン市付近を横断し甚大な被害をもたらした。その復旧復興支援の関係でタクロバ
ンに滞在しています。フィリピンのトピック、レイテ島タクロバンその4です。

★iPhoneで受信した場合、改行がPC用に72文字になっており、iPhoneの画面サイ
ズで自動的に改行されます。悪しからず。

▼目次
■マニラ便も-2014年3月30日より羽田国際線大増便!ANA国際線
■5年ぶりのマニラはリトルラスベガスに変身!
■台風ヨランダ復旧支援における自衛隊の活動
★フェースブック・グループのご案内

■■後記
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■マニラ便も-2014年3月30日より羽田国際線大増便!ANA国際線

羽田空港国際線拡張ターミナルの供用開始に伴い、全日空がアジア路線を大幅に
増便、マニラ便もJALの成田発便と同じ時間帯に新たに就航する。
https://www.ana.co.jp/int/promotion/haneda_international/asia/

NH869 羽田 09:55-13:30 マニラ
NH870 マニラ 14:40-19:55 羽田着

新し物好きではありませんが、成田へ行く時間節約を考えると羽田発に乗りたく
なるのは自然の成り行きですね。

今回の羽田空港国際線発着枠の配分については以下の通り。
全日空11便
日本航空5便

日本航空の増加枠数は全日空の半分以下となった。
http://www.mlit.go.jp/report/press/kouku04_hh_000084.html

その理由は、政権政党である自由民主党との関係によるようです。

自民・ANA、蜜月健在 羽田国際線枠で日航に完勝(無料記事)
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO60514350S3A001C1XX1000/

全日空の半数ながら5便をの枠を確保した日本航空は、「昼間時間帯に新たに羽
田=ロンドン線、羽田=パリ線、羽田=シンガポール線、羽田=バンコク線を運
航します。」とのこと。

昼間時間帯が増便になるのは利用しやすくなりますね。

JALグループ、2014年度 路線便数計画を決定
http://press.jal.co.jp/ja/release/201401/002781.html

■5年ぶりのマニラはリトルラスベガスに!

5年ぶりのフィリピン出張となったことは既に書いた。1月に前業務(南アジア)
が完了したが、次がフィリピンになるとは思いもよらなかったし、台風の災害復
旧復興支援ということもまったく頭の片隅にさえ存在していなかった。

しかし、他人は覚えているもので2005年初頭にスマトラ沖地震による津波災害復
旧のためにモルディブで仕事をしたのだった。同じ島国だけど、元々、フィリピ
ンに縁があるわけではないが、まったくないわけでもなかった。

5年ぶりのマニラは大きく変わっていた。ビジネスの中心地、マカティのオフィ
ス街は高層ビルの数がかなり増え、資金供給の潤沢さを表していた。

以前の生活圏だったP.Burugos通り周辺も高層ビルが増えコンドやホテルとなり、
RockWellの再開発地区は駐車場が無くなりビルになっていた。勢いがある。

今回は見ていないがフォート・ボナファチオ地区も完成に近いほどビルができた
と知り合いが説明してくれた。ここは5年前にも行ったことがある、国土地理院
が近くにあった記憶だ。

さて、到着日に知人と夕食を食べに行った。レストランは彼に任せた。マニラ湾
を埋め立てた地区に巨大なショッピングモールがあった。その先に、Solaireと
いうカジノがありそこで食事をした。

カジノの食事はかなり質が高く割安というのが常識のようだ。それでこそ客がや
ってくるのだろう。ブッフェスタイルだったので食べ過ぎの感が否めないが中東
っぽい料理(前菜)もあり、寿司、刺身もありという豊富な品揃え、蛸の刺身は
新鮮で美味しかった。

我々の目的は食事であり、カジノはしなかったが、他にショーもありエンターテ
イメントセンター的な施設だった。客のほとんどが地元の人、中間層が増えた
なーというのが印象だった。

確か、空港の前にあるレミントンホテルもカジノ併設だったようだ。そんなわけ
でマニラの戦略は、リトルラスベガスではないかと思った次第。

Solaire Resort and Casino
1 Asean Avenue
Entertainment City
Paranaque City 1701
Manila, Philippines
http://solaireresort.com/

■台風ヨランダ復旧支援における自衛隊の活動

これはニュースでも取り上げられたので記憶にある方もいると思う。

11月12日、防衛大臣から「国際緊急援助活動の実施に関する自衛隊行動命令」を
発出した。当日、2名の隊員がマニラへ移動、活動を開始した。
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2013/11/12c.html

11月13日、50名の隊員がマニラ着、

11月14日、マニラからタクロバンへ移動、

11月15日、タクロバンで医療活動開始。医療チーム20名がセブ島入り、等。

11月15日、防衛大臣から「国際緊急援助活動の実施に関する自衛隊行動命令の一
部を変更する行動命令」を発出し、フィリピンにおける国際緊急援助活動への派
遣部隊を強化。
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2013/11/15d.html

要請の流れは以下の通り:
フィリピン政府→外務省→防衛省

自衛隊とは別にJICAから「国際緊急援助隊・医療チーム」が派遣された。
http://www.jica.go.jp/information/jdrt/2013/20131111.html

11月15日付けの変更により以下体制となった。

フィリピン現地運用調整所 10名
関係機関、関係国との調整

国際緊急援助統合任務部隊 1170名
任務:医療・防疫活動、救援物資等の輸送等

構成部隊:統合任務部隊司令部、医療・航空援助隊、海上派遣部隊、空輸隊

装備:CH-47輸送ヘリコプター×3機、UH-1多用途ヘリコプター×3機、
輸送艦1隻、護衛艦1隻、補給艦1隻、KC-767空中給油・輸送機×2機、
C-130H輸送機×2機(常時)

12月20日まで活動したようだ。
http://www.mod.go.jp/gsdf/news/pko/ph/

フィリピン共和国への国際緊急援助活動ギャラリー
http://www.mod.go.jp/js/Activity/Gallery/gallery_photo.htm

概要はこんなところ、評価は自衛隊の場合するのだろうか?あったら見てみたい。

12月末に国連事務総長が来るのでそれまで活動を継続すべきとの示唆を振り切っ
て数日前に切り上げてしまったようだ。その隙間に、韓国軍が予定がなかったに
も係わらず無理して事務総長のタクロバン来訪に合わせて来たとか。

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■■後記

東京では桜が開花しました、昨日、目黒川沿いの桜を見に行ったら木によってで
すが8分咲き、春が一気にやってきました。桜の他ににも住宅街のあちこちでは
春の花が咲きつつあります。良い季節!

レイテ島やタクロバンにままだまだ迫っていません、今後継続していきます。大
岡昇平の「レイテ戦記」等は必読と考えています。

また、「永遠の0」にも神風特攻隊の行でレイテ島が当然ながら登場します。ま
こちらも目を通す予定です。

出来るだけ自分の目でレイテやタクロバンを踏査したが限界、統計書を入手しな
いと正確なイメージ再現が出来ないと痛感、次回は、この点に留意しよう。

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Saturday, 29 March 2014

【世界街角通信】第189号 台風ヨランダでレイテ島タクロバン-03 2014年3月29日

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メールマガジン「世界街角通信」       第189号 2014年3月29日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。今号は、フィリピンのレイテ島タクロ
バンからです。(実は帰国してから書いています。)

昨年11月、スーパー台風ヨランダ(台風30号)がフィリピンのレイテ島タクロバ
ン市付近を横断し甚大な被害をもたらしました。その災害復旧復興支援の関係で
タクロバンに滞在しています。フィリピンのトピック、レイテ島タクロバンその3です。

▼目次
■レイテ島タクロバンと台風ヨランダの映像その2ギワン
■まにら新聞(無料記事のみ)関連記事
■タクロバン市役所敷地内の「平和記念碑」と「マドンナ・マリア観音像」
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■■後記
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■レイテ島タクロバンと台風ヨランダの映像その2ギワン

前号ではタクロバン周辺の映像をご紹介しました。今回は東サマール州、主にギ
ワンの映像です。一部、高潮の映像がある。

11.東サマール・Hrnaniの高潮
http://youtu.be/rS0gv4Xbw7w

12.Typhoon Yolanda Aftermath in Guiuan, Eastern Samar
http://youtu.be/RVBGDY33X9o

13.Guiuan Eastern Samar After Typhoon Yolanda
http://youtu.be/dy4t7_XubLs

14.Guiuan 3 weeks after typhoon Yolanda
Guiuan 3 weeks after typhoon Yolanda 1
http://youtu.be/bImOEqRyydI

Guiuan 3 weeks after typhoon Yolanda 2
http://youtu.be/D5wpBxZpYEg

Guiuan 3 weeks after typhoon Yolanda 3
http://youtu.be/O4lx2v1RzG8

台風前のギワン紹介ビデオ
Take a break in Guiuan Samar
http://youtu.be/kCrI_nUN2MY

15."GUIUAN EASTERN SAMAR humiliation"
http://youtu.be/oJpI6MyYF0g

Tacloban City after Typhoon Haiyan (December 2013)
by
Tacloban Recovery and Sustainable Development Group - TRSDG
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.662655037111272.1073741830.656
322084411234&type=1

Tacloban Recovery and Sustainable Development Group - TRSDG
https://www.facebook.com/TRSDG

■まにら新聞(無料記事のみ)関連記事

タクロバン市長、被災後48時間の人命救助で「政府の支援皆無だった」と非難
http://www.manila-shimbun.com/category/nature/news210626.html

国際協力機構、被災地の建物被害調査で比政府に「現場の設計順守が鍵」と提言
http://www.manila-shimbun.com/category/nature/news211968.html

被災地への援助総額公開サイトが海外からでも更新可能に
http://www.manila-shimbun.com/category/nature/news212038.html

■タクロバン市役所敷地内の「平和記念碑」と「マドンナ・マリア観音像」

この記念碑と観音像はタクロバン市役所の一画、入口の右側、Magsaysay Blvd.
に面した場所の丘の上に建っている。通りから碑と観音像が見えたので確認しに
行った。何れも先の太平洋戦争の犠牲者を弔う鎮魂碑であった。
http://eastriver229.blogspot.jp/2014/03/madonna-of-japan-in-tacloban.html

レイテ島は日本兵84000名が戦死・戦病死した生存率3%の激戦地中の激戦地、そ
の割にはタクロバン市内を巡ってみたがその痕跡は少ない。この「平和記念碑」
と「マドンナ・マリア観音像」は代表的であろうが、建立年が比較的新しい。

▼平和記念碑(碑文より)

由来
この平和記念碑は、第二次世界大戦で母国のために勇敢に戦って戦死した日本と
フィリピン慮国の軍人、軍属及び戦火によってこの地で尊い生命を失われた全て
の人の「御霊を鎮めるとともに永遠の平和を祈念」して建設した。

また、フィリピンと日本の平和記念公園は、平和を愛する日本とフィリピン両国
の相互理解を願い、レイテ住民のいこいの場所として造園した。

この事業は、中央政府の理解を得て、東京都遺族連合会が出資して、フィリピン
政府観光省、フィリピン観光局、タクロバン市、東京都遺族連合会のプロジェク
トによって完成した。

フィリピン共和国関係機関の支援と協力に対して深く感謝の意を表してここに明
記する。

碑文の揮毫は東京都知事鈴木俊一によるものである。

平成7年3月29日
日本国 財団法人東京都遺族連合会
フィリピン共和国 観光局

Dedication
This Peace commemoration statue and park is dedicated in prayer fro the
eternal peace of the souls of the soldiers and paramilitary personel of
Japan and the Philippines who bravely fought and died for thier countrie
s as well as all people who lost thier precious lives due to the war.

This place of peace was constructed to further mutual understanding and
peace between the peoples of Japan and the Philippines and a recreation
area for the people of Leyte.

The Tokyo Survivor Association expresses its deep appraciation for the g
enerous support cooperation of the city of Tacloban, and the Philippine
Tourism Authority for the design and realization of this project.

This inscription was written by Hon.Shunichi Suzuki, Governor of Tokyo.

29 March 1995
Tokyo Survivor Association
Japan

▼マドンナマリア観音

この像はマドンナマリア観音と称し太平洋戦争の戦場となったフィリピン全島に
於いて悲しくも戦火の犠牲となってこの世と分かれた@多くの現地住民及び祖国
のためにと参戦した散華した全ての国の軍人軍属の御霊に永遠に安らかなれと祈
念し、併せて全世界の平和を願って終戦33年を@念し日比両国の有志が協賛し鎮
魂と平和の象徴としてこの像を建立したものであります。
1977.12.7

発起人:日本国宝塚市仁川町 坂本啓子
協賛:タクロバン市民 市長 オブドゥリヤ・シンコ
日比両国@@@ 有志一同
作 坂本儀一 坂本久子

@=読み取り出来なかった文字

As a symbole of peace between the Filipinos and Japanese peolpe 33 years
after the Second World War. This monument of the Madonna Maria Kannon i
s erected in memory of the brave soldies who fought and died in this bat
tle field.
Keiko Sakamoto: Project Director
Nihonkoku Takarazukashi Nikawacho in coorporation with:

Hon.Obdvlia R. Cinco
Tacloban City Mayor
Famility of suviving members
Inscriber: Yoshikazu Sakamoto
Hisako Sakamoto

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■■後記

スーパー台風ヨランダの災害復旧復興支援のためにレイテ島タクロバンへ行った
が、それよりもこれまでの日本との関係が気になってしょうがない。

ぼんやりとだが、レイテ島=太平洋戦争の激戦地というイメージがある、これは
事実なわけだがそれを理解した上で仕事を進めたくなる。

日本人としては大岡昇平の「レイテ戦記」、「俘虜」、「野火」など読んでおく
必要があろう。

レイテ島では84000人の日本兵が戦死・戦病死、他方、米軍を含む連合軍は4000
名程度だったという。

今回の台風による犠牲者の10倍以上だ。

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【世界街角通信】第188号 台風ヨランダでレイテ島タクロバン-02 2014年3月28日



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メールマガジン「世界街角通信」       第188 2014328
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。今号は、フィリピンのタクロバンから
です。(実は東京からです。)

昨年11月、フィリピンでスーパー台風ヨランダがレイテ島タクロバン付近を通過
し甚大な被害をもたらした。その復旧復興支援の関係でフィリピンのトピック、
タクロバンその2です。

▼目次
■レイテ島のタクロバンと台風ヨランダ
■レイテ島所縁の人々‐イメルダ・マルコス夫人
■レイテの政治地図-マルコス家とアキノ家

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■■後記
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■レイテ島タクロバンと台風ヨランダの映像

台風ヨランダは、中心気圧が895ヘクトパスカル、中心付近の風速65メートル、
最大瞬間風速90メートルと観測史上例をみない勢力であった。筆者には全く想像
ができないが映像を見ると尋常ではないことが理解できる。

台風ヨランダの軌跡をみると丁度タクロバン市の南に上陸、東から西へ横断して
いる。レイテ湾に面する東側が高潮により最も被害が大きい。
loop_of_Typhoon_Haiyan_%28Yolanda%29_making_landfall_on_Leyte_Island.gif

その特徴として強風と高潮(Storm Surge)が挙げられる。

この「Storm Surge」という言葉、馴染みがなく、ほとんど認識されていなかっ
たというのが現実のようです。津波と言った方が住民は理解したのかもしれませ
ん、結果論ですが。その高さが1519フィート(4.5-5.8m)だったので海岸沿い
の住民は、特に、タクロバン、パロ、タナワンでは多くの犠牲者が出た。

以下、映像のピックアップです。

1.Documenting Super Typhoon Yolanda / Haiyan - The Backstory (30:42)
Hotel Alejandroで台風ヨランダが通過中に撮影された映像、強風の強さが良く
わかる。

2.philippines typhoon 2013 (5:26)
ニュース映像、台風通過中から災害緊急支援の状況まで(英語)

3.Drone flight at Tacloban Leyte Philippines 4 days after Typhoon Haiyan
 (4:30)

4.SUPER TYPHOON HAIYAN "YOLANDA" - TACLOBAN AFTERMATH (5:00)
静止画像を使った台風ヨランダの説明と被害状況

6.Super Typhoon Yolanda / Haiyan Hits Tacloban Philippines (1:51)
Hotel Alehandroでの映像(ニュース用)

7.PHILIPPINES: THOUSANDS FEARED DEAD AS TYPHOON HAIYAN CAUSES "MASSIVE D
EVASTATION" (NOV 11, 2013)

8.タクロバン空港付近の台風通過前後の状況
ESRI提供
-yolanda-swipe-map

9.TACLOBAN CITY AERIAL ViEw as of 16 january 2014 (10:31)
2014116日、タクロバン上空よりヘリコプターからの映像

10.WATCH: New video shows Yolanda's destruction in Tacloban
フィリピンのTV局レポート

11.東サマールの高潮

■レイテ島所縁の人々‐イメルダ・マルコス夫人

マルコス元大統領夫人であったイメルダ夫人の父方の祖先がスペイン・グラナダ
出身でレイテ州トロサの土地所有者であったことや、彼女自身、十代をタクロバ
ンで過ごしたことからレイテと所縁がある。

彼女の本名は、Imelda Remedios Visitacion Trinidad Romualdez192972
日マニラで生まれ、母の死後、タクロバンへ引っ越し21歳まで過ごし"Rose of T
acloban"と呼ばれた。(wiki)

そして、伯父であるDaniel Z. Romualdez下院議員の要請に応えて1950年にマニ
ラへ引っ越し、音楽ショップで働いた。その時に、Miss Manilaに応募、結果は
2位となり、Muse of Manila(マニラの物思い)と表現された。

その伯父、Daniel Z. Romualdez(下院議員、後に下院議長)の紹介でマルコス
下院議員と出会い、後に結婚することになるが、これまた後のマルコスの政敵と
なるBenigno Aquino, Jr.とマルコスに紹介される前にデートを重ねていたとい
う。

フェルディナンド・マルコス下院議員と結婚し、その後、マルコスが大統領に就
任したことからファーストレディとなり、特命大使Ambassador Plenipotentiary
 and Extraordinary、居住環境大臣、メトロマニラ知事を歴任した。

1986年の「人民革命」でマラカニアン宮殿を追われたフェルディナンド・マルコ
スとともにハワイに亡命した。

1989年にマルコスがハワイで客死、イメルダ夫人はフィリピンへ帰国し1992年大
統領選に出馬するも落選。

1995年にはレイテ島で下院議員に立候補して当選、

20105月、北イロコス州で下院議員に立候補し当選。

下院議員であった娘のアイミー・マルコスが北イロコス州知事選挙で当選、

息子のフェルディナンド・マルコス・ジュニアは元北イロコス州知事で上院議員
に立候補し同じく当選。

イメルダ夫人は、20135月、北イロコス州下院議員に再選、現在84歳。

■レイテの政治地図-マルコス家とアキノ家

前項の経緯と現政権との関係がに現れている。

タクロバン市長であるALFRED S. ROMUALDEZとイメルダ・マルコス(Imelda Romu
aldez Marcos)下院議員の旧姓は同じで従姉弟とのこと、タクロバン空港の名は
元下院議長から取っており、イメルダ・マルコスの伯父であるDaniel Z. Romual
dezの名が冠せられDaniel Z. Romualdez Airportという。

つまり、レイテ州はアキノ派、タクロバン市はマルコス派となり、現政権がアキ
ノであることから災害復旧の対応の仕方にも違いがあったようなことが実しやか
に伝えられている。真偽のほどは不明である。

被災直後の現政権との対応状況について「まにら新聞」に掲載されていた記事が
ありますの、参考まで。

タクロバン市長、被災後48時間の人命救助で「政府の支援皆無だった」と非難

Tacloban mayor in power tussle with president following Haiyan disaster
phoon-haiyan

Captain without a ship - Marcos clan mayor at eye of Philippine storm
dUSBRE9AF04720131116

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■■後記

タクロバンからレポートしようと考えていたが、部屋へ戻るとどういうわけか物
凄い眠気に襲われ寝入ってしまう毎日が続き、今となった。

下記、FBのアルバムに現地の写真をアップしてあります。
1073741842.1001931471&type=3

ネットもホテルのWiFiは部屋では繋がらず、携帯電話ネットワークを利用した接
続が滞在期間後半になんとか繋がるようになった程度。

タクロバンに関しては暫く続ける予定です。

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Wednesday, 26 March 2014

ロシア議会上下院、地方首長、市民団体の代表に向けたV.V.プーチン大統領の演説 (クリミアの復帰に関して、全文日本語訳)

ロシア議会上下院、地方首長、市民団体の代表に向けたV.V.プーチン大統領の演説 (クリミアの復帰に関して、全文)
2014年3月18日、クレムリン
https://plus.google.com/104375904212803704163/posts

こんにちは、尊敬する上院議員、尊敬する下院議員!尊敬するクリミア共和国とセバストポリ市の代表者たち!ロシア国民!彼らは、クリミアとセバストポリ市の住民は、ここに、私たちの間にいます!

尊敬する友人たち、今日私たちは、私たち全員にとって極めて重要な意味を持ち、歴史的意味を持つ問題でここに集まりました。3月16日、クリミアで住民投票が行われました。住民投票は民主的手続きと国際法の規定に完全に合致したものでした。

有権者の82%以上が投票に行きました。96%以上がロシアへの復帰に賛成票を投じました。この数字は極めて説得力のあるものです。

どうしてこのような選択がなされたのかは、クリミアの歴史を知れば、またクリミアにとってロシアがどのような意味を持ち、ロシアにとってクリミアがどのような意味を持つのか知れば理解できます。
ク リミアでは文字通りすべてに私たちの共通の歴史、共通の誇りが息づいています。ここには聖ウラジーミル公が洗礼を受けた古代のケルソネス市があります。

彼 の宗教的偉業―正教の受け入れ―はロシア、ウクライナ、ベラルーシをひとつに結びつける共通の文化、価値観、文明の基盤となりました。クリミアにはロシア 兵士の墓地があります。1783年、その兵士の勇敢な戦いにより、クリミアはロシア帝国の傘下に入りました。クリミアといえばセバストポリ市です。伝説の 都市、偉大なる運命の都市、要塞都市であり、ロシア黒海艦隊の故郷です。クリミアといえばバラクラヴァ市とケルチ市であり、マラコフ・クルガンの高地とサ プン・ゴラの高地です。このひとつひとつの場所が私たちにとっては神聖であり、ロシアの軍事的栄誉の象徴であり、大いなる武勲の象徴です。

クリミ アは様々な民族の文化と伝統のユニークなるつぼでもあります。その意味でクリミアはロシア本土とよく似ています。ロシア本土もまた、数世紀の間、ひとつと して民族が消失したり溶解したりしたことはありません。ロシア人もウクライナ人も、クリミア・タタール人もその他の民族も、皆が自分たちの慣習や伝統、言 語や宗教を守りながらクリミアの地で仲良く暮らし、働いてきました。
ちなみに、現在220万人いるクリミアの人口のうち、ほぼ150万人がロシア人であり、35万人が主にロシア語を母語だと考えるウクライナ人です。29万から30万人がクリミア・タタール人であり、その大部分が、住民投票から分かる通り、ロシアを志向しています。

確 かに、クリミア・タタール人が、ソビエト連邦のある他の民族と同様に、残酷な不平にさらされた時期もありました。ひとつ言っておきます。当時、様々な民族 の数百万人が弾圧を受けましたが、その筆頭は当然ロシア人でした。クリミア・タタール人は故郷の地に戻ったのです。クリミア・タタール民族の更生プロセス を完遂させるのに必要なすべての政治的・法的決定がなされるべきであり、彼らの権利と名誉を完全に回復させる決定がなされるべきだと思います。

私たちはクリミアに住むすべての民族に敬意を抱いています。クリミアは彼らの共通の家であり、故郷です。ですから、これはクリミアの住民も支持していますが、クリミアにロシア語、ウクライナ語、クリミア・タタール語の3言語が国語として同等に存在することが正しいのです。

尊 敬する同僚たち!人々の心の中、意識の中では、クリミアは常にロシアの不可分の一部でした。真実と正義に基づいたこの確信はゆるぎないものであり、世代か ら世代へと受け継がれてきたものです。この確信の前には時間も情勢も無力であり、私たちが体験してきた、20世紀を通して私たちの国が体験してきた劇的な 変革でさえもすべてが無力です。

革命後、ボリシェビキはさまざまな理由から、歴史的にロシア南部であった領土の大部分をソビエト連邦ウクライナ共 和国に編入しました。ボリシェビキは神の裁きを受けることでしょう。この決定は住民の民族構成を考慮せずになされたものであり、それが現在のウクライナ南 東部です。そして1954年、さらにクリミア州もウクライナ共和国に引き渡すという決定がなされました。同時に、当時は連邦直轄都市だったはずのセバスト ポリ市も引き渡されました。これを発意したのはソビエト連邦共産党のトップであったフルシチョフ本人です。何が彼を突き動かしたのか―ウクライナ特権階級 の支持を得たかったのか、はたまた30年代のウクライナでの大弾圧の罪を償いたかったのか―それは歴史学者が調べることでしょう。

私たちにとって 重要なのは別の視点です。この決定は当時の憲法の規定にさえ明らかに違反していました。非公式に内輪で勝手に決めたことなのです。全体主義国家では、クリ ミアやセバストポリ市の住民が意見を尋ねられることは当然ありませんでした。ただ事実を突き付けられたのです。当時でも、人々は当然ながら、どうして突然 クリミアがウクライナに編入されたのかと疑問を持ちました。しかし正直なところ、―皆知っていることですから、率直に言いましょう―、正直なところ、この 決定は単なる形式的なものだと捉えられていました。なにしろ、領土はひとつの大きな国の枠内で引き渡されたのです。当時は、ウクライナとロシアが一緒でな くなり、別々の国家になることなど想像することもできませんでした。しかし、そうなったのです。

信じられないと思われたことが、残念ながら現実の ものとなりました。ソビエト連邦は崩壊したのです。事態の進展はあまりにも急激で、当時起こっていた出来事やそれがもたらす結果の重大性を完全に把握して いる国民はほとんどいませんでした。ロシアでもウクライナでも、さらに他の共和国でも、人々の多くはそのときにできあがった独立国家共同体(CIS)が新 たな国家の枠組みになるものと期待していました。何しろ共通の通貨を持ち、ひとつの経済圏を形作り、共通の軍隊を持つと約束されていたのです。しかし、そ れは単なる約束に終わり、大国は消失しました。そして、クリミアが突然として外国のものになってしまったとき、その時になってロシアはただ盗みにあったの ではなく、強奪されたのだと実感したのです。

しかし、ロシア自身も「主権のオンパレード」を始動させたことでソ連崩壊を促進しましたし、ソ連崩壊 の手続きではクリミアのこと、黒海艦隊の主要基地であるセバストポリ市のことを忘れてしまっていた事実は率直に認めなくてはなりません。何百万人ものロシ ア人がひとつの国で眠りにつき、目を覚ますと外国にいたのです。彼らは一瞬にして旧ソ連共和国で民族的少数派になってしまったのです。ロシア人は世界最大 のひとつ、世界最大と言ってもいいくらいの分断された民族となったのです。

現在、それから長い年月が過ぎ、つい最近になってクリミアの人々が、 1991年のあのとき、自分たちは袋に入ったジャガイモのようにあちらからこちらへと引き渡されたのだと話しているのを聞きました。これには同意せざるを 得ません。あのとき、ロシアはいったいどうしたのでしょう?ロシアは?うなだれて、受け入れ、この屈辱をぐっと堪えたのです。私たちの国はひどい苦境にあ り、自国の利益を守ることさえできない状態でした。しかし、人々はこのひどい歴史的不正を受け入れることはできませんでした。この間、国民も多くの社会活 動家も何度となくこの問題を提起し、クリミアはロシア固有の土地であり、セバストポリ市はロシアの都市だと言ってきました。それはよく分かっていました し、心で感じていることでした。しかし現実に立脚して、新たな基盤のもとに独立ウクライナとの善隣関係を築かなければなりませんでした。ウクライナとの関 係、兄弟であるウクライナ国民との関係は、一切の誇張を抜きにして、これまでも、そしてこれからも私たちにとって最も大切で重要なものです。

今日 となっては率直に話すことができます。皆さんと2000年代初頭に行われた交渉の詳細を共有したいと思います。当時、ウクライナのクチマ大統領からロシ ア・ウクライナ国境画定のプロセスを加速させるよう私に要請がありました。当時までこのプロセスはほとんど進んでいませんでした。ロシアはクリミアをウク ライナの一部と認めたようであり、それでいて国境画定交渉は行われていませんでした。このプロセスが困難であることは分かっていましたが、私はすぐにロシ ア側の省庁に作業を活発化するよう指示しました。国境画定に合意することで、私たちが実質的にも法的にもクリミアをウクライナ領として認めようとし、それ によりこの問題に終止符を打とうとしていることが誰にでも分かるようにするための国境画定作業です。

私たちはクリミアの問題だけではなく、アゾフ 海海域とケルチ海峡の国境線画定といった極めて難しい問題でもウクライナに譲歩しました。どうしてでしょうか?ウクライナとの良好な関係が私たちにとって は最も重要なものであり、それが行き詰った領土問題の人質になっていてはいけないという思いからです。しかしこのとき、ウクライナが今後も当然私たちのよ き友人であり続けると考えていましたし、特にウクライナ南東部とクリミアに住むロシア人やロシア語を話すウクライナ国民が友好的で民主的な文明国家に暮ら し、彼らの法的利益が国際法の規定に従って保障されるものと考えていました。

しかし、状況は別の方向に進み始めました。ロシア人から歴史的記憶を 奪おうとする試みが次々と行われ、時には母語を奪おうとすることも試みもありました。ロシア人に同化を強制しようとしたこともありました。また当然のこと ながら、ロシア人は、ほかのウクライナ国民と同様に、20年以上にわたってウクライナを揺るがし続けている恒常的な政治的・国家的危機に苦しめられてきま した。
どうしてウクライナの人々が変革を望んだのか、よく理解できます。「独立」し、自立してからのこの年月、いわば人々は政権に「うんざり」し たのであり、あきあきしたのです。大統領、首相、議会の議員は変わっても、彼らの自国と自国民に対する考え方は変わりませんでした。彼らは権限や資産、資 金の流れを巡ってお互いに争いながら、ウクライナを「搾り取って」いったのです。政権等は一般市民が何をもってどんな暮らしをしているのか、どうして数百 万人のウクライナ国民が自国では自分の将来に展望を見いだせず、日雇い労働のために外国へ出て行かなくてはならないのかにはほとんど興味がありませんでし た。指摘しておきますが、シリコンバレーへの就職ではなく、日雇いの出稼ぎです。昨年のロシアだけでも、そういった人々が300万人も働いていました。 2013年に彼らがロシアで稼いだ金額は200億ドル以上であるという試算もあり、これはウクライナのGDPの12%にあたります。

繰り返します が、汚職や非効率な国家運営や貧困に反対し、平和的なスローガンを掲げてマイダン広場に集まった人たちのことは良く理解できます。平和的なデモ活動の権 利、民主的手続き、選挙は人々が納得いかない政権を変えるためにこそ存在しています。しかし、ウクライナでの最近の出来事を裏で操っていた人々は別の目的 を追求していました。彼らは何に対しても決してひるむことなく、また新たなクーデターを準備し、政権奪取を企てていました。テロも殺人も略奪も活用されま した。クーデターの主要な実行者となったのはナショナリスト、ネオナチ、ロシア恐怖症の人々と反ユダヤ主義者たちです。まさにその彼らが今日に至るもま だ、様々な意味でウクライナでの生活を決定づけているのです。

いわゆる新「政権」が最初に行ったことは、言語政策の見直しに関する恥ずべき法案の 提出であり、この法案は民族的少数派の権利を真っ向から侵害するものでした。ただし、今日「政治家」となった人々の海外スポンサーであり、「政権」の後見 人である人々はすぐにこの企ての発案者をたしなめました。彼らは賢い人間であり、そこは評価しなくてはなりません。民族的に純粋なウクライナ国家を建設し ようとする試みが何をもたらすのかを彼らはよく理解しています。法案は延期され、脇へ退かされましたが、明らかに万一の時に備えて残してあるのです。法案 が存在する事実を今は押し黙っていますが、おそらく人間の記憶が短いことをあてにしているのでしょう。しかし、第二次世界大戦時のヒトラーの協力者である バンデーラの思想継承者たちがウクライナで今後いったい何をしようとしているのかは、今や誰が見ても明白です。

また、ウクライナには正統な政権が いまだになく、話をする相手がいないこともまた明白です。国家機関の多くは身元詐称者が占拠しており、彼らは国を全くコントロールしておらず、むしろ彼ら 自身が、―これは強調しておきたいのですが―、彼ら自身が往々にして過激派の支配下に置かれているのです。現政権の大臣の中には、マイダン広場の武装勢力 の許可を得なければ面会さえできない大臣もいるのです。冗談ではなく、これが今日の現実なのです。

クーデターに抵抗した者にはすぐに弾圧と懲罰を ちらつかせた脅しが始まりました。その先頭にいたのは当然クリミアです。ロシア語圏のクリミアです。そのため、クリミアとセバストポリ市の住民はロシアに 対し権利と生命の保護を求めました。またキエフで、そしてドネツク市やハリコフ市やその他のウクライナの町で起こっていることを波及させないよう求めたの です。

当然、私たちはこの要請を拒否することはできませんでした。クリミアとその住民を見捨てることはできませんでした。そんなことをすれば、ただの裏切りです。

ま ず最初に、平和で自由な意思表示ができる環境を整備し、クリミアの住民が史上初めて自らの運命を自分で決定できるよう支援する必要がありました。しかし、 今日、私たちは西欧や北米の同僚からいったい何と言われているでしょう?私たちは国際法の規定に違反していると言われているのです。第一に、彼らが国際法 の存在を思い出しただけまだましです。思い出さないよりは遅くなってしまってもいいのですから、それだけでも御の字です。

第二に、これが最も重要 ですが、私たちがいったい何に違反しているというのでしょうか?確かに、ロシア連邦大統領は軍をウクライナで使用する権利を議会上院から取り付けました。 しかし、厳正に言えば、その権利はまだ行使されてもいないのです。ロシア軍はクリミアに進軍してはいません。彼らは国際条約に基づき、元々そこにいたので す。確かに、私たちは兵力を強化しました。しかし、―ここは強調したいところで、皆さんに良く聞いてもらいたいのですが―、私たちはクリミア駐留軍の兵力 定数を超えて増強したりはしていません。定数は2万5000人ですが、今までそこまでの必要がなかっただけのことです。

さらに言いましょう。クリ ミア最高議会は独立を宣言し住民投票を発表するにあたり、民族自決権を謳った国連憲章を根拠としました。思い出していただきたいのですが、当のウクライナ もソビエト連邦脱退を宣言するにあたり、同じこと、ほぼ文字通りに同じことをしたのです。ウクライナではこの権利を行使したのに、クリミアには拒否してい ます。なぜでしょうか?

また、クリミア政府は有名なコソボの先例にも立脚しました。その先例は西側のパートナーたちが自ら、いわば自らの手で作り 出したものであり、クリミアと全く同じ状況で、セルビアからのコソボ分離を合法と認め、一方的な独立宣言には中央政府の許可は一切必要ないことを皆に知ら しめたのです。国際司法裁判所は国連憲章第1条第2項に基づきこれに同意し、2010年7月22日付の決定に次のように記しました。「安全保障理事会の慣 例からは一方的独立宣言に対するいかなる一般的禁止も推論されない。」そして、さらに「一般国際法は独立宣言について適用可能な禁止事項を含まない。」す べてきわめて明瞭です。

私は引用が好きではありませんが、しかし仕方ありません。もう一つ公式文書の抜粋を挙げましょう。今度は、2009年4月 17日付のアメリカ合衆国の覚書で、コソボ審理に関連して当の国際司法裁判所に提出されたものです。再び引用します。「独立宣言は、往々にしてそうである ように、国内法に違反することがある。しかし、それは国際法違反が起こっていることを意味するものではない。」引用おわり。自らこのように書き、世界中に 吹聴し、皆に「同意させて」おきながら、今度は憤慨しています。何に腹を立てているのでしょう。クリミア住民の行動はこの「マニュアル」とでも言うべきも のにぴったり一致しています。なぜコソボのアルバニア人に許されたことが(私たちはアルバニア人には敬意を抱いています)、クリミアのロシア人やウクライ ナ人やクリミア・タタール人には禁止されるのでしょうか?再び同じ疑問です。なぜでしょうか?

当のアメリカやヨーロッパはまたしてもコソボは特殊 なケースなのだというようなことを言っています。私たちの同僚はいったい何が特殊だと考えているのでしょうか?それが、コソボ紛争で多くの人的被害が出た ことが特殊だというのです。これが法的な論拠だとでもいうのでしょうか?国際司法裁判所の決定にはそんなことは何も書かれていません。これはもうダブルス タンダードでさえありません。驚くほどに稚拙で無遠慮な皮肉か何かです。このように乱暴に何もかもを自分の利益に合うように整え、同じひとつのものを今日 は白と呼び、明日は黒と呼ぶようなことはあってなりません。つまるところ、すべての紛争は人的被害が出るところまで持って行かなくてはならないということ でしょうか?

率直に言いましょう。もしもクリミア自衛軍が時宜を得て状況をコントロールしていなければ、犠牲者が出てもおかしくはありませんでし た。幸いなことに、そうはなりませんでした!クリミアでは武力衝突は一度も起こらず、人的被害もありませんでした。なぜだと思いますか?答えは簡単です。 なぜなら、国民とその意思に反して戦うことは難しく、むしろ事実上不可能だからです。これについては、私はウクライナ兵に感謝したいと思っています。兵員 数はかなりの数で、完全武装兵が2万2000人です。流血の惨事を避け、自らを血で汚さなかったウクライナ兵に感謝したいと思います。
これについては、当然、別の考えも浮かびます。ロシアのクリミア介入だとか、侵略だとか言われていますが、これを聞くと奇妙な感じがします。歴史を見ても、ただの一発も発砲せず、一人の犠牲者も出さずに行われた軍事介入など、私は思い出すことができません。

尊 敬する同僚たち!ウクライナを巡る情勢には、現在世界で起こっていること、さらにはこの数十年にわたって世界で起こってきたことが鏡のように映し出されて います。二極体制の消失後、世界から安定が消えました。主要な国際機関は強化されるどころか、残念ながら往々にして退化しています。アメリカ合衆国を筆頭 とする西側のパートナーたちは政治の実践において国際法ではなく、力による支配に従うことを好んでいます。彼らは自分が選ばれし特別な存在であると信じ 切っており、世界の運命を決めるのは自分であり、常に自分だけが正しいのだと信じ切っています。彼らは思いつくままに行動しています。あちこちで主権国家 に対して武力を行使し、「ついてこない者は敵である」の原則に従って同盟を築いているのです。侵略を合法的に見せるため、国際機関から必要な決議を「引き 出し」、何らかの理由でそれがうまくいかない場合は、国連安全保障理事会も国連そのものをも全く無視するのです。

ユーゴスラビアの時がそうでし た。私たちは1999年のそのときのことをよく覚えています。信じがたいことでした。自分の目が信じられませんでした。20世紀末、ヨーロッパの首都のひ とつ、ベオグラードの町が数週間にわたってミサイル攻撃にさらされ、その後、本格的な軍事介入が行われたのです。はたしてそのような行動を許可する国連安 保理決議があったでしょうか?そんなものはありませんでした。その後、アフガニスタンがあり、イラクがあり、リビアに関する国連安保理決議のあからさまな 違反がありました。飛行禁止区域を守るのではなく、またしても空爆が始まったのです。

また、操作された一連の「カラー」革命もありました。この出 来事が発生した国々では、人々が圧政や貧困、展望の見えない状態に疲れ切っていたことはよく分かります。しかし、その感情は皮肉にも利用されたのです。こ れら国々は民族の生活様式にも伝統にも文化にも全く合わない基準を押しつけられました。その結果、民主主義と自由のかわりに生まれたのは混沌、暴力の爆 発、度重なるクーデターです。「アラブの春」は「アラブの冬」に取って代わられたのです。

同じようなシナリオがウクライナでも展開されました。 2004年、大統領選挙で自分たちに必要な候補者を通すために、法律に規定されていない第3回決選投票なるものが行われました。これは全くばかげたことで あり、憲法を愚弄したものです。そして今回は、事前に訓練され、周到に装備した武装勢力の軍隊を投入してきたのです。

私たちは何が起こっているの か、よく分かっています。この行動がウクライナに矛先を向け、ロシアにも向けていること、ユーラシア圏の統合に向けているものであることは分かっていま す。そして、これはロシアが誠実に西側の同僚たちとの対話を目指していたのに起こったのです。主要な問題において、私たちは常に協力を提案しています。信 頼関係のレベルを向上させたいのです。私たちの関係が対等で、オープンで、誠実なものであってほしいのです。しかし、相手側からの歩み寄りはありませんで した。

それどころか、私たちを次々と騙し、私たちのいないところで決定を下し、私たちには既成事実を突きつけたのです。NATOの東方拡大のと き、ロシアの国境付近に軍事インフラを配備したときもそうでした。私たちに対してはいつも同じことを繰り返していました。「あなた方には関係しませんよ」 と。関係しないなんて、簡単に言ってくれたものです!

ミサイル防衛システム展開の時もそうでした。私たちの懸念を無視して、機械は進み、動いています。査証交渉の終わりの見えない長期化もそうですし、公平な競争とグローバル市場への自由なアクセスについての約束もそうです。

今、 私たちは制裁に脅かされていますが、そうでなくとも私たちは多くの制約の下に暮らしています。私たちにとって、ロシア経済にとって、私たちの国にとっては きわめて重大な制約です。たとえば、「冷戦」期にアメリカが、それに続いて他の国々も、いわゆるココムリストを作成し、多くの技術や設備について、ソ連へ の販売を禁止しました。現在、このリストは形式的には廃止されていますが、それはあくまで形式的なものであり、実際には多くの禁止事項がいまだに機能し続 けています。

一言で言えば、18世紀、19世紀、20世紀を通してロシアに対して実施された悪名高き抑止政策は今日もまだ続いていると考えるのが 妥当です。私たちが独立した立場をとり、その立場を守ろうとし、偽善者ぶらずに物事を言うので、私たちを常にどこかの片隅に追いやろうとしているのです。 しかし何事にも限度があります。ウクライナの場合、西側のパートナーたちは一線を越え、乱暴で、無責任で、そしてプロ意識にかける振る舞いをしました。

ウ クライナにもクリミアにも数百万人のロシア人が住んでいることを彼らはよく知っていました。いったいどれほどの政治的感覚と節度を失えば、自分の行動の結 果が見えなくなるのでしょう!ロシアはもう後に引くことのできない限界に立たされたのです。バネを限界まで押さえつければ、いずれは跳ね返ります。それを 肝に銘じておく必要があります。

今日必要なことは、ヒステリーを止め、「冷戦」期の修辞から離れ、明白な事実を認めることです。ロシアは国際社会における独立した積極的な参加者なのであり、ロシアにも他の国と同様に国益があり、それは考慮され、尊重されなければなりません。

私たちはクリミアでの私たちの行動に理解を示してくれたすべての人に感謝しています。中国の国民に感謝しています。中国指導部はウクライナとクリミアの情勢をその歴史的、政治的全体像を考慮しています。インドの自制した、客観的態度を高く評価しています。

今日、私はアメリカ合衆国の国民に言いたいと思います。彼らは建国以来、独立宣言を採択して以来、自由至上主義を誇りとしてきました。自分の運命を自由に選択したいというクリミア住民の欲求は同様な価値のあるものではないのですか?私たちを理解してください。

ヨー ロッパ人、とりわけドイツ人も私を理解してくれると信じています。東西ドイツ統一に関する政治協議が、控えめに言って専門家レベルで、しかし極めて高いレ ベルで行われていた時、ドイツの同盟国である国、そして当時同盟国であった国のうち、統一という考えそのものを支持した国は多くはありませんでした。しか し私たちの国はそれとは逆に、ドイツ人の誠実で押さえることのできない民族統一の欲求をはっきりと支持したのです。そのことをあなたたちは忘れていないと 確信しています。そしてドイツ国民もまた、ロシア世界の、歴史的ロシアの統一を復活させたいという欲求を支持してくれると期待しています。

ウクラ イナ国民に言います。あなたたちが私たちを理解してくれることを心から望んでいます。私たちはあなたたちに害を及ぼそうとか、国民感情を侮辱しようなどと は決して思っていません。私たちは常に大国ウクライナの領土の一体性を尊重してきました。自分たちの政治的野心のためにウクライナの一体性を犠牲にした 人々とは違います。彼らは偉大なるウクライナを謳ったスローガンを掲げて着飾っていますが、国を分断するためにすべてを行ったのは彼らなのです。今日の内 紛はすべて彼らの責任です。親愛なる友人たち、あなたたちに私の話を聞いてほしいのです。ロシアを使ってあなたたちを脅し、クリミアの次はほかの地域だと 叫ぶ人々を信じないでください。私たちはウクライナの分裂を望んではいません。そんなものは私たちには必要ないのです。クリミアについては、これまでもそ してこれからもロシアのものであり、ウクライナのものであり、クリミア・タタールのものです。

繰り返しますが、これまで何世紀にもわたってそうであったように、クリミアはこれからもそこに暮らすすべての民族にとっての故郷です。決してバンデーラ主義者のものにはなりません!

ク リミアは私たちの共通の財産であり、地域安定の重要なファクターです。このような戦略的領土は強く安定した主権の下にあるべきで、それは実際、今日におい てはロシアの主権下でしかあり得ません。親愛なる友人たち(ウクライナとロシアに言っているのです)、そうでなければ、私たち―ロシア人とウクライナ人― は、歴史的に見て近い将来、クリミアを完全に失うことになるかもしれません。この言葉をどうかよく考えてみてください。

キエフではすでにウクライ ナが近くNATOに加盟するという声明が出ています。この展望がクリミアとセバストポリ市にとって何を意味するでしょうか?ロシア軍の栄光の町にNATO の艦隊が現れるようなことになれば、ロシア南部全域にとっての脅威となるでしょう。この脅威は幻でも何でもなく、きわめて身に迫る脅威です。実際に起こっ たかもしれないことはすべて、クリミア住民の選択がなければ本当にすべて実際に起こったかもしれません。クリミア住民に感謝しています。

ちなみに 言えば、私たちはNATOとの協力に反対しているわけではありません。全く反対ではありません。私たちが反対しているのは、軍事同盟が、様々な内部プロセ スはあってもNATOは軍事組織ですから、その軍事組織がうちの柵の近くで、我が家の近所で、私たちの歴史的領土の中で我がもの顔をしていることに反対し ているのです。たとえば、私たちがセバストポリに行ってNATOの海軍兵士に客人として迎えられるなど、私には想像もできません。彼らの多くはすばらしい 青年たちです。しかし、セバストポリでは私たちが彼らを客人として迎える方がよいのです。

率直に言いましょう。私たちは今ウクライナで起こってい るすべてのことに、人々が苦しんでいることに、彼らが今日をどのように生き、明日はどうなるのか分からないでいることに心を痛めています。私たちが心配す るのもよく分かります。何しろ私たちは単なる隣人ではなく、私が何度も言っているとおり、事実上、ひとつの民族なのです。キエフはロシアの町にとっては母 なる都市です。古代ルーシは私たちの共通の起源であり、私たちはいずれにせよお互いがいなければやっていけないのです。

もうひとつ言いましょう。 ウクライナには今も、そしてこれからも数百万人のロシア人、ロシア語話者である国民が暮らしていきます。そして、ロシアは常に政治的、外交的、法的手段を 使って彼らの利益を保護していきます。しかし、まずは当のウクライナがこういった人々の権利と利益が保証されるよう関心を払わなければなりません。それが ウクライナの国家としての安定と領土の一体性の基礎となるのです。

私たちはウクライナとの友好を望んでいます。ウクライナが強く、主権を持った、 自立した国家になることを願っています。私たちにとってウクライナは主要なパートナーのひとつなのです。私たちには多くの共同プロジェクトがあり、何が あったとしても、これらのプロジェクトの成功を私は信じています。そして何よりも、私たちはウクライナの地に平和と融和が訪れることを願っています。その ためには他国とともに最大限の協力と支援をする用意があります。しかしもう一度繰り返します。自分の家に秩序をもたらすことができるのは他でもないウクラ イナ国民だけなのです。

尊敬するクリミアとセバストポリ市の住民の皆さん!ロシア全土があなたたちの大胆さと威厳と勇気に感動しました。あなたた ちがクリミアの運命を決めたのです。この数日間、私たちはこれまでにないほど身近になり、お互いを支え合いました。あれは真の連帯の気持ちでした。あのよ うな決定的な歴史的瞬間にこそ、民族の成熟度と精神力が試されるのです。ロシア国民はすばらしい成熟度とすばらしい力を発揮し、団結して同胞を支えまし た。

ロシアの外交における強気は数百万人の人々の意思、民族全体の団結、主要な政治・社会勢力からの支持に立脚していました。皆さんのその愛国心 に感謝します。例外なくすべての人に感謝します。しかし、ロシアの前に立ちはだかる課題を解決するため、今後もこの団結力を維持することが私たちには重要 です。

私たちは明らかに外国の反発に遭遇することになります。しかし、私たちは自分のために決めなくてはなりません。首尾一貫して国益を守り続け る用意があるのか、それとも、永遠に国益を諦め続け、どこまでも後ろに下がり続けるのか。西側の政治家の中には、制裁だけではなく、国内問題の先鋭化の可 能性を語って私たちを怖がらせている人もいます。彼らが何のことを言っているのか知りたいものです。第5列員なるもの―様々な国家反逆者―の活動のことで しょうか、あるいはロシアの社会経済情勢を悪化させることで人々の不満を誘発することができると考えているのでしょうか。このような発言は無責任で明らか に攻撃的なものであると見なし、しかるべき方法で対処していきます。しかし、私たち自身は東側でも西側でも、決してパートナーとの対立を目指すことはせ ず、現代世界の決まり通り、先進的な善隣関係を築くために全力を尽くしていきます。

尊敬する同僚たち!
住民投票で、クリミアはウクライナ に残るのか、ロシアに入るのかという、きわめて率直ではっきりした質問を設定したクリミア住民の気持ちがよく分かります。そして、確信を持って言うことが できます。クリミアとセバストポリの指導部や立法機関の議員は住民投票の質問を作るにあたって、派閥や政治的利益を超越し、人々の根源的利益だけを指針と して、それだけを最重要視したのです。これ以外の住民投票であったなら、それが一見したところいかに魅力的に映ったとしても、この領土の歴史的、人口構成 的、政治的、経済的特性のために中庸で一時的で揺らぎやすいものになっていたでしょうし、間違いなくクリミア情勢のさらなる悪化へつながったでしょうし、 最悪の形で人々の生活に反映していたことでしょう。クリミア住民は厳しく、妥協のない、一切の中途半端さのない質問を設定しました。住民投票はオープンに 誠実に行われ、クリミアの人々ははっきりと説得力を持って自分の意思を表明しました。彼らはロシアに入ることを望んでいるのです。

ロシアもまた、 国内外のファクター全体を考慮して、困難な決定をしなければなりません。今のロシアの人々の意見はどうなのでしょう。ここでは、他のあらゆる民主主義社会 と同じように、様々な視点があるでしょう。しかし、絶対的な、―強調しておきますが―、絶対的多数の国民の考え方は、こちらも一目瞭然です。

つい 先日ロシアで実施された最新の世論調査をご存じでしょう。95%もの国民が、ロシアはクリミアに住むロシア人とその他の民族の利益を保護すべきであると考 えています。95%です!83%以上が、たとえそのような態度が他国との関係を複雑化させるとしても、ロシアはこれを実施すべきだと考えています。国民の 86%がクリミアは今に至るまでもロシアの領土であり、ロシアの土地であると確信しています。そして、とても重要な数字で、クリミアの住民投票のものと完 全に相関しているのですが、ほぼ92%がクリミアのロシア編入に賛成しています。

このように、クリミア住民の大多数も、ロシア国民の絶対的多数も、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への復帰を支持しています。

残すはロシアの政治的決定です。これは国民の意思に基づくことしかできません。なぜなら、いかなる政権であってもその源となるのは国民だけだからです。

尊 敬する上院議員!尊敬する下院議員!ロシア国民とクリミアとセバストポリ市の住民たち!クリミアで行われた住民投票の結果に基づき、国民の意思に立脚し て、本日、ロシア連邦議会に、ロシアに2つの新たな連邦構成主体、クリミア共和国とセバストポリ市を受け入れる合憲的な法案を提出し、審議を要請すると共 に、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への編入に関する署名の準備が整えた条約の批准を要請します。皆さんの支持を迷わず確信しています!

http://www.kremlin.ru/news/20603