2015年12月14日月曜日

【世界街角通信MM】第244号 ニューヨーク紀行その8 2015年12月14日

★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第244号 2015年12月14日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の視点
で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第8号です。

▼目次
■NYCのロシア正教会St.Nicolas Cathedralへ
■アッパーイーストのMadison Ave.は高級ブティック通り
■アールデコのカーライル・ローズウッドホテルとJFK
■■後記

【ご案内】
「日本による中央アジア地域支援の展望-安倍首相中央アジア訪問に寄せて」

共同執筆でThe Povertistというサイトに投稿しましたのでご案内いたします。
テーマは、10月下旬に安倍首相が訪問した中央アジア地域の展望です。この訪問
が我が国の対中央アジア地域支援の第4フェーズ展開の契機となるのか、という
視点です。
http://www.povertist.com/ja/japan-assistance-central-asia/

★本文★

■NYCのロシア正教会St.Nicolas Cathedralへ

ブライトンビーチでリトルロシアを堪能したので、週末でもありそのロシア正教
の米国での本拠地であるイーストサイドにある聖ニコライ教会を訪れることにし
た。

地下鉄6番線で23丁目駅から96丁目駅まで行き、目指すは97丁目、5番街とマジソ
ン・アベニューの間だ。地下鉄はレキシントン・アベニューの地下を走っている
ので地図上ではレキシントン・アベニュー96丁目から97丁目へ1ブロック北上し、
そこからパーク・アベニューとマジソン・アベニューを横断し西へ行けばよいこ
とになる。しかし、既に建物が周囲に建てられているので間近まで行かないと全
景が望めないのが現実だ。この辺りの五番街はセントラルパーク沿いなのでグ
リーンが見えるはず、この辺りであろうと歩いていくとビルとビルの間にロシア
正教会特有の屋根が見えた、正面にはSt.Nicolas Cathedralのプレートを確認し
た。

ドアを開けて中に入ると数人の信者がいた。照明が付いているのでミサが終わっ
たばかりの様子、司祭もまだ居た。蝋燭を買い、燭台に立てて教会内を見て回っ
ていると、蝋燭を順番に消している人がいた。どうやらお開きらしい。我々とし
てはぎりぎり滑り込んだ状況のようだ。しばしこの聖なる空間での時間を満喫し
た後、外へ出ようとしたら既に玄関が閉まっていた。それで裏口から97丁目通り
へでた。

Russian Orthodox Cathedral of St. Nicholas
15 E 97th St, New York, NY 10029
http://mospatusa.com/

ロシア正教徒のコミュニティは1890年代初期にローワーマンハッタンの一室で発
足した。1899年には300人を超えたことから新たな教会建設が必要となり、地価
の安い現在の地である15 E 97th St.の土地をニコライ2世皇帝の7,500ルーブル
をはじめとする寄付により用地が取得され、教会が建設された。

1901年5月21日に大主教Tikhonにより教会の隅石が敷設され建設が開始された。
設計は、ロシア正教会の典型的なデザインを踏襲しJohn Bergesenが担当した。

構造は石造、ファサードはダークレッド色ブロックと石灰岩、そして、緑、青、
黄色のタイルをトリムとして、7つのドーム屋根を設けたデザインとなっている。
内装ではドームでは、緑色に塗装された亜鉛メッキ仕上げされた鉄製の表面とブ
ロンズに金箔仕上げされたリブの彫刻がが照的なデザインとなっている。

正教会は1904年に竣工し、翌年の1905年、サンフランシスコにあった北米及びア
リューシャン列島のロシア正教区の司教座をニューヨークへ移転し、聖ニコライ
教会を本拠地とした。

写真
http://mospatusa.com/parishdirectory.html?type=details&id=4

http://www.stnicholasberks.org/hierarchy.html

ロシアでボルシェヴィキ(ソ連共産党の前身。 十月革命を指導。 ロシア語で
「多数派」の意味。)が政権を取った頃、ソヴィエトは、1920年代初期に一時的
にロシア正教会教区が独立宣言をした聖ニコライ教会の聖体の所有を支配した。

聖ニコライ教会の所有権はNY州控訴裁判所により、ボルシェヴィキ傘下の教会
(リビングチャーチ)に移管され、その後の数十年は正教会として機能すること
は容易ではなくなった。

ソヴィエト連邦崩壊後、聖ニコライ教会はロシア正教会の総主教Alexei IIの下
へ移され、米国におけるロシア正教会の主教座となっている。

■アッパーイーストのMadison Ave.は高級ブティック通り

聖ニコライ教会を出て、セントラルパークを右手に五番街をローワー(南)へ歩
き始めたが、「アッパーイーストのマジソン・アベニュー」と称してよく雑誌の
記事になっていた記憶だったので、96丁目か95丁目を右折しマジソン・アベニ
ューへ戻り、次の目的地であるロックフェラー大学のある67丁目まで歩くことに
した。

マジソン・アベニューのブティック街(地図)
http://newyork.navi.com/miru/116/map/

90数丁目から80台丁目へと南下するにしたがってブティックやギャラリー、宝石
店、カフェなど商業施設が多くなり徐々に雰囲気が変わっていく。95丁目と94丁
目の東側にインドで観たような赤砂岩(?)の建築が目に付いた、ハンターカレッ
ジのハイスクールのようだ。

有名ブランドショップは上記の地図に紹介されているように72丁目付近からだろ
うか、80台丁目でも実際多かった、下記タイトルは大袈裟だが外れてもいない。

マジソン・アベニュー「世界の一流ブランドが集まるニューヨークを代表する高
級ショッピング街。静かで優雅な街並みをブラブラ歩きで気分はセレブ。」
http://newyork.navi.com/miru/116/

途中から、トップが金色に輝く一際目立つビルが視野に入ってきた、これは
「カーライル・ローズウッドホテル」、ローズウッドは数年前に追加されたよう
だ、カーライルホテルのが通りがよい。このホテル、ジョン・F・ケネディとも
所縁がある。

縁が見つけられないので「カーライル・ローズウッドホテル」は素通り、先を急
いだ。74丁目とのコーナーにはにアップルストアがある。

Apple Store
940 Madison Ave, New York,

67丁目から左折し、ロックフェラー大学のあるイーストリバー沿いのYork Ave,
を目指した。

■アールデコのカーライル・ローズウッドホテルとJFK

マジソン・アベニューで一際目立っていたのが、ビルのトップが金色に輝き遠く
からもよく見えたアールデコ様式の「カーライル・ローズウッドホテル」、2001
年にローズウッドが所有し、それまでは「カーライルホテル」、コーポラティブ
方式で運営されている、部屋数は191室、レジデンス用に60戸の分譲住戸がある。

「カーライルホテル」の名は、スコットランド人のエッセイストThomas Carlyle
にちなんでいる。

マンハッタンで高層ビルが建ち始めた第一次世界大戦後に35階建てのレジデンス
ホテル=アパートメントホテルとしてMoses Ginsbergにより建てられた。

アパートメントホテルの初期の代表格かもしれない「カーライルホテル」が開業
間近の1929年、世界大恐慌の影響を受け、1932年にLyleson Corporationへ売却
された。

第二次世界大戦後、「カーライルホテル」は新たな卓越した社会階層を向かえた。
1948年、NYのビジネスマン Robert Whittle Downingがホテルを買収し、これま
での社会的地位のある住まいから流行のスポットライトが当たるような優雅な
ヨーロピアンが親しめるホテルへの転換を始めた。その年、米国大統領として初
めての滞在となるトルーマン大統領を迎えている。その後の大統領もこのホテル
を利用している。

The Carlyle, A Rosewood Hotel
35 E 76th St
New York, NY 10021
http://www.rosewoodhotels.com/en/the-carlyle-new-york

部屋はこちら
http://tinyurl.com/hycobu6

レジデンス
http://tinyurl.com/gv5kwbz

「カーライルホテル」がNYCのホワイトハウスと呼ばれるようになったのは、ジ
ョン・F・ケネディの頃だろう、JFKは34階のアパートを所有し暗殺されるまでの
10年間をここで過ごしている。1961年1月、JFKが大統領就任式の数日前にこの
「カーライルホテル」に滞在していることが広く公表された。

1962年5月19日、マリリン・モンローがマジソンスクエアガーデンでケネディ大
統領誕生祝賀会で "Happy Birthday, Mr. President" を歌った後、モンローは
ケネディ大統領とその友人達とともに東77丁目から秘密のトンネルを通ってカー
ライルホテルのケネディの部屋へ入っている。

Kennedy orgies in romper room
http://nypost.com/2010/06/15/kennedy-orgies-in-romper-room/

JFKの息子のJr.はこのホテル取った朝食が彼の人生最後の朝食となった。

Palace of Secrets Receives Suitors, Quite Discreetly; Carlyle Hotel Regu
lars Hope Sale Will Not Bring Changes
http://tinyurl.com/jfj3kst

Cafe Carlyleは、著名なジャズミュージシャン出演している、筆者はこの分野疎
いの下記の記事をご覧いただきたい。

George Feyer 1955-1968
Bobby Short 1968-2004
Woody Allen 1996-

Wiping the Stains Off a Bit of Old New York Glamour
http://www.nytimes.com/2007/09/18/arts/music/18carl.html

さて、現在の経営はどうなっているのかというと香港資本の傘下にある。簡単に
示すと下記の通り、2011年に新世界へ売却されている。

2001年、Rosewood Hotels & Resortsが所有
2011年7月、新世界發展有限公司傘下のNew World Hospitalityが買収

New World Development Company Limited
新世界發展有限公司

New World China Land Limited
新世界中國地?有限公司

New World Hospitality (renamed to Rosewood Group)

Rosewood Hotels & Resorts

The Carlyle, A Rosewood Hotel

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産圏を含むユーラシア地域、「中央アジア・コーカサス開発研究会」と「R+EE
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ズで自動的に改行されています。悪しからず。

■■後記

同じ1930年頃に建てられたアッパーイーストのホテルにThe Pierreがある。2005
年にTaj hotelとなっている。その他、The Surrey、The Mark等も気になる。

The Pierre, A Taj Hotel, New York
2 E 61st St, New York,
http://tinyurl.com/lxltzgt

The Surrey
20 E 76th Street,, New York
http://www.denihan.com/

The Mark
25 E 77th St, New York,
http://www.themarkhotel.com/

★☆☆★☆☆★☆☆
メールマガジン「世界街角通信MM」第244号 2015年12月14日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
★☆☆★☆☆★☆☆以上です。

2015年12月10日木曜日

【世界街角通信MM】第243号 ニューヨーク紀行その7 2015年12月10日

★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第243号 2015年12月10日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

訂正:前号、「その5」として発信しましたが「その6」でした。

9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在する機会がありましたので筆者の視点
で綴った「ニューヨーク紀行」をお届けしています。今回はその第7号です。

▼目次
■ボルジョミのミネラルウォーターとグルジアワイン


■■後記

【ご案内】
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共同執筆でThe Povertistというサイトに投稿しましたのでご案内いたします。
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★本文★

■ボルジョミとグルジアワイン

前号で触れたブライトンビーチの酒屋で販売していたボルジョミとグルジアワイ
ン、両方ともグルジア(ジョージア)産、知っている方は知っているのですが一
般に聞きなれない言葉かと思いますので以下に簡単にご説明します。

▼ボルジョミのミネラルウォーター

ボルジョミと言えばミネラルウォーターを差す。昨年からか、国名を英語読みに
変えた南コーカサスの国グルジア、現在はジョージア、の南部、サムツヘ=ジャ
ヴァヘティ州北西部のボルジョミ渓谷に位置する町ボルジョミ(Borjomi)、こ
この鉱泉で取れるミネラルウォーターが特産です。

ボルジョミは、帝政ロシアのロマノフ王朝時代に開発が進み別荘が多く建てられ、
ソ連時代になりサナトリウムとなり、現在は観光資源として活用されている。

帝政ロシア軍がこの地に赴いた際、この地で温泉を発見し胃の病に苦しんていた
軍人がボルジョミの水を飲んだところ治癒した、そしてその泉を保護したことや、
その噂が広がり治療のためにこの地を訪れる帝国内のロシア人が増加した。

ミネラルウォーターとしては、ロマノフ王朝の監理の下、1890年代からボトル詰
にされロシア各地に移送された。ソ連時代のミネラルウォーターといえばボルジ
ョミでした。
http://borjomi.jp/about_borjomi4.htm

Googlemap
41.847750、43.404965

なお、ボルジョミは日本でも販売されている、ちょっと高いが。
http://borjomi.jp/

▼グルジアワイン
その名の通り、グルジア(ジョージア)産のワイン、ワイン発祥の地ともいわれ
る、東部のカヘチ地方が産地。グルジアとしたのは「ジョージア」だとどうもイ
メージが変わってしまう故。

グルジアワインは、セミスイートの赤ワイン、フヴァンチカラ (Khvanchkara)
が「甘口ワインの真珠」として著名ですが、キンズマラウリも同様に甘口です。
http://www.georgia-wine.com/khvanchkara.htm

ツクリアラ (Cqriala) と呼ばれるスパークリングワインは、フヴァンチカラ
(セミスイート赤ワイン)のツクリアラ(スパークリングワイン)もあり希少だ
が、それ以外にもスパークリングワインはあります。

グルジア産のワインは歴代のロシア皇帝やソ連邦共産党幹部御用達であった。ヤ
ルタ会談の際に出されたスターリンの故郷でもあるグルジア産のワインは、チ
ャーチルにはたいへん好評でアルメニア産ブランデーのAraratとともにグルジア
産ワインをロンドンへ送るようスターリンへ所望している。

日本で買えるグルジアワイン
http://www.georgia-wine.com/georgian.fascination.htm

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■■後記

前号で触れた「リトルロシア」であるブライトンビーチの歴史は後ほどレポート
することにします。

所要によりやや間が空きましたが、紐育紀行、更につづきます。

★---------------------------------------------☆☆
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発行責任者:飯尾彰敏
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