2017年9月23日土曜日

エチオ・ジブチ鉄道(1917年全線開通)

■二つのジブチ-エチオピア間の鉄道、その1

ジブチとエチオピアのアジスアベバを結ぶ鉄道には、時代を経て20世紀初頭に完成した鉄道と、近年完成した(運営はまだ)の二つの路線が存在する。

1)エチオ・ジブチ鉄道 Ethio-Djibouti Railways
2)アジスアベバ・ジブチ鉄道 Addis Ababa-Djibouti Railway

今回は、その1として、19世紀から建設が始まり、20世紀初頭にアジスアベバまでの全線が完成したエチオ・ジブチ鉄道について説明します。

▼エチオ・ジブチ鉄道 Ethio-Djibouti Railways

1894-1917年に建設された植民地規格である狭軌(1000mm 3ft 3 3/8inch)の鉄道で全長784㎞、ジブチ国内は約100㎞でほとんどがエチオピア国内を走る鉄道である。

ジブチ港からエチオピアの首都アジスアベバまで、ジブチの標高0mからアジスアベバの2300mまでの高低差を運行した。その間、187カ所の橋梁と1カ所のトンネル(Gol du Harr)があり、鉄道の運行に伴い、Dire Dawaという都市が鉄道の建設に伴い、建設された。機関車は蒸気機関車、そして、ディーゼル機関車が使用された。

この鉄道は数年前まで運行されていたが、2008-2014年の間に徐々に運行が停止され、公式には2016年末で廃線となっている。他方、中国の支援により標準軌のアジスアベバ・ジブチ鉄道が旧線のエチオ・ジブチ鉄道の路線に概ね並行して建設された、これは後述する。

2008年以降、全線の鉄道の運行が停止されたが、ジブチ-ディレダワ間は2010年まで運行していた。2013年8月に一度再開されたが短期間で終了した。その後、機関車や車輌は放置され、現在に至っている。

DireDawaの車輌修理工場は、2010年、新たな鉄道建設のための新会社へ移行した。メタル・エンジニアリング会社(Metal and Engineering Company: METEC)は2011年から2016年に貨車500輌を製造し、旧鉄道の遺産を引き継いで新鉄道へ貢献することとなった。

▼エチオ・ジブチ鉄道の歴史

エチオ・ジブチ鉄道は、フランス・パリに本社を置くImperial Railway Company of Ethiopia(仏語:Compagnie Imperiale des Chemins de fer d'Ethiopie)、エチオピア帝国鉄道会社が、ジブチ港とアジスアベバを結ぶ鉄道を建設する目的で、1894年にAlfred Ilg/Leon Chefneuxにより設立されたことから始まる。

その構想は、Alfred Ilgが、前皇帝や政治家の関心を集めて、ジブチ港からアジスアベバまでの6週間かかるロバの行程を鉄道に置き換える企画を、彼がメネリク2世の顧問であったときに行った。

1889年、メネリク2世が皇帝になった時でも進捗していなかったが、具体的な鉄道建設の交渉が始まり、鉄道建設の法令が1893年2月11日に発布され、1894年3月に鉄道建設の調査がIlgとフランス人技術者のチームが編成され行われた。

1894年3月9日に帝国令が発布され、鉄道建設を開始することが可能となった。メネリク2世皇帝は、自らの鉄道建設ベンチャーへの出資を躊躇したが、Ilgと彼の会社に99年のコンセッショネアー(期限付き割譲)権と一定の株式保有、さらに、3百万フラン以上の全ての利益の50%を受け取る権限を付与した。さらに、鉄道会社は、鉄道路線と並行して通信網の整備を行うことを義務とした。

鉄道会社は、鉄道建設に関する許可をフランス政府から取り付けるのに、エチオピアでの鉄道建設の反対派が形成される1897年まで時間を要した。メネリク2世は、鉄道建設への融資に関してフランス政府が関係することに怒りを表し、鉄道建設に反対するデモが発生した。

さらに、アジスアベバの英国公館が、英国領ソマリアのZeila港からの輸送量が減少することに懸念した。これは後に証明されることになる。鉄道の半分が完成した段階で、鉄道輸送は、ハラルとアジスアベバ方面のどちらか一方のキャラバン輸送貿易を駆逐した。

鉄道会社の株式は、欧州市場での販売に苦戦し、会社はフランス全国の市の商工会議所で販売促進を行った。しかし、投資家の関心は自制的であり、メネリク2世はフランス政府の直接的な融資に反対し、資金調達に苦慮した。

鉄道建設は1897年10月、ジブチから始まり、マイナーな港であったジブチが鉄道建設により第一の港となった。アラブ系の乗務員やソマリアの労働者は、ヨーロピアンより多く見られ、彼らは内陸へ向かって、通信線とともに工事を進めて行った。エチオピア人の多くは、鉄道建設資材の盗難防止のために治安部隊として雇用された。この建設工事の状況は、労働者によるサボタージュや地区のチーフによる前金の要求など、フランス人による初期の運営への重要な不正のソースとなった。

鉄道がエチオピア国境の到達する前でさえ、鉄道会社は深刻な資金不足に陥っていた。そのため、New Africa Companyと呼ばれる英国系の投資グループは、鉄道会社を数年、支配下に置き新たな資金を提供した。1901年までにフランスの投資家はInternational Ethiopian Railway Trust and Construction Companyを組織し、資本参加を行った。そして、鉄道会社の経営を担い、その後の資金調達を行い、1901年7月にジブチ-ディレダワ間の鉄道が営業運転を開始した。

▼エチオ・ジブチ鉄道の全線開通

英仏の混成した関心は鉄道建設継続に不安定な状況を生み出し、それぞれのグループの投資家はそれぞれの国家と商業を重視するようになり、そして、両国の政府はエチオピアの貿易を独占することに強い関心を抱き、陰謀を他者に対して企てた。

この両国の状況を見てメネリク2世は、1902年、鉄道のハラルへの延伸を禁止した。フランスの交渉再開は、メネリク2世のフランスの増幅しつつある活動を警戒してブロックされた。その結果、全線が開通していない中でのさらなる限定的な鉄道のサービスは、融資の返済に必要な十分な収入を得られなかった。

1904年、英仏は可能な限りこの事態を解決すべくEntente Cordialeを締結し両国は解決策を提案したが、具体的な進展には至らず、1906年、鉄道会社は公式に倒産した。

ジブチからハラールの手前まで完成していた鉄道は、既存のエチオピア南部の商業の集積地となった。

メネリク2世の時代、ソマリ系Issa族とGadabursi族は、アジスアベバまでの鉄道建設期間中の労働力であり、鉄道建設を通して多くの利益を得た。また、ディレダワは、鉄道駅が設置されたことによりハラールよりも大きな都市となった。

1906年の英仏伊の三国条約、続いて、1908年の仏とエチオピアのKlobukowski条約が締結され、メネリク2世はその後の鉄道の延伸に同意し、1908年1月30日、新たな鉄道建設に関するコンセッショネア契約がメネリク2世の仏人顧問医との間で締結され、新たな鉄道会社であるFranco-Ethiopian Railway (Compagnie du Chemin de Fer Franco-Ethiopien)が設立された。この時、インドシナ銀行が融資に参加している。

旧会社の資産は新会社へ譲渡され、アジスアベバまでの鉄道建設を担った。前会社への投資家や政府との1年に亘る調整の末、鉄道建設が再開された。1915年までに鉄道はAkakiまで到達し、2年後の1917年に残りの23㎞を敷設してエチオ・ジブチ鉄道全線の鉄道が完成した。

▼第2次世界大戦後のエチオ・ジブチ鉄道

エチオ・ジブチ鉄道は、1960-63年に、Adama-Dilla間310㎞の延伸計画の調査を実施し、エチオピア政府は、Nazareth-Dilla Railway Development Corporationを設立した。1965年、フランス政府は融資をエチオピアへオファーし、ユーゴスラビアの専門家が調査した。事業は妥当性(実施する価値がある)が確認されたが実施には至らなかった。

エチオピア政府の鉄道会社のシェアは、第二次エチオピア・イタリア戦争の結果、イタリア政府に召し上げられたが、第二次世界大戦後にエチオピアに返還された。

1977年にジブチが独立し、フランスの持ち分はジブチ政府に移譲され、1982年、鉄道会社は、その後、Ethio-Djibouti Railways (Compagnie du Chemin de Fer Djibouto-Ethiopien)に再構成された。

鉄道建設に携わった労働者は、1947年、エチオピアで最初の労働組合である「ディレダワ鉄道労働者組合」を設立し、鉄道事業は、エチオピアの労働運動のパイオニアを醸成したが、1949年、労働組合が組織したストライキは、政府により強く弾圧された。この時期、政府機関労働者によるストライキは反政府運動として多く見られた。

▼エチオ・ジブチ鉄道の衰退

第二次世界大戦後、エチオ・ジブチ鉄道の長期の衰退が始まった。それは道路建設が進展し、貨物輸送が鉄道から道路輸送に転換していく過程であった。1953年から1957年には鉄道の貨物輸送量が半減した。また、オガデン戦争(1977/78)の発生により、ソマリア軍がディレダワへ侵攻し、鉄道を占領したことから、更に影響を受け、半減した。

戦争終結後、鉄道は運行が再開されたものの、維持管理の不足やOLF(Ogaden Liberation Front)による攻撃により、更に衰退していった。そのため、エチオピア政府とジブチ政府は外国援助による鉄道リハビリテーションを求めた。2003年にEUが40mil EUROの無償資金協力を実施、その後、2006年に50mil EUROへ増額している。

2006年11月29日、イタリア企業であるCONSTAコンソーシアムと契約締結、オガデン戦争でダメージを受けた箇所のリハビリが2007年から開始された。

また、運営に関して南アフリカの鉄道運営会社である、COMAZAR(仏系企業であるBolloreが出資し、Eric Peiffer and Patrick Claesが南アTransnetとベルギーの Transurb ConsultとのJVで設立、ヨハネスブルグに本社を置く)が25年の運営権を獲得したが、これは実施されなかった。

そして、2008年はじめに、クェートの企業Fouad Alghanim and Sons Groupが鉄道の経営権について交渉中とのアナウンスがあった。

EUの融資事業は、停滞し、2009年までに約5㎞がリハビリされただけであった。その後、鉄道は部分的に放置された。リハビリテーションに失敗したジブチ・エチオピア両国政府は、新たなアプローチによるジブチ・アジスアベバ間の鉄道近代化を目指して、既存鉄道の終焉から新たな標準軌による鉄道建設へと判断が移っていった。その陰には中国政府のアプローチがあったに違いない。

2017年はエチオ・ジブチ鉄道が全線開通して100周年にあたる、イベント情報は聞こえてこない。

もう一つの鉄道が標準軌のアジスアベバ・ジブチ鉄道です。これは次号以降にて説明しようと考えています。

【世界街角通信MM】第280号アフリカの角にて No.29-2017-09-23

★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信MM」第280 2017923
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

神の思し召しにより201510月中旬より「アフリカの角」地域、エチオピア高原
のアジスアベバに滞留しています。バックログながら半年ほど時間を巻き戻しつ
つ「アフリカの角にて」を備忘録的に筆者の琴線に触れたことをお届けします。

今号はアフリカの角 No.29です。

▼目次

■二つのジブチ-エチオピア間の鉄道、その1
■エチオピア読本
■オモ川流域のGIBE3ダム
■アムハラ州北部での鉄鉱石採掘
■■後記

★本文★

■二つのジブチ-エチオピア間の鉄道、その1

ジブチとエチオピアのアジスアベバを結ぶ鉄道には、時代を経て20世紀初頭に完
成した鉄道と、近年完成した(運営はまだ)の二つの路線が存在する。

1)エチオ・ジブチ鉄道 Ethio-Djibouti Railways
2)アジスアベバ・ジブチ鉄道 Addis Ababa-Djibouti Railway

今回は、その1として、19世紀から建設が始まり、20世紀初頭にアジスアベバま
での全線が完成したエチオ・ジブチ鉄道について説明します。

▼エチオ・ジブチ鉄道 Ethio-Djibouti Railways

1894-1917年に建設された植民地規格である狭軌(1000mm 3ft 3 3/8inch)の鉄
道で全長784km、ジブチ国内は約100kmでほとんどがエチオピア国内を走る鉄道で
ある。

ジブチ港からエチオピアの首都アジスアベバまで、ジブチの標高0mからアジスア
ベバの2300mまでの高低差を運行した。その間、187カ所の橋梁と1カ所のトンネ
ル(Gol du Harr)があり、鉄道の運行に伴い、Dire Dawaという都市が鉄道の建
設に伴い、建設された。機関車は蒸気機関車、そして、ディーゼル機関車が使用
された。

この鉄道は数年前まで運行されていたが、2008-2014年の間に徐々に運行が停止
され、公式には2016年末で廃線となっている。他方、中国の支援により標準軌の
アジスアベバ・ジブチ鉄道が旧線のエチオ・ジブチ鉄道の路線に概ね並行して建
設された、これは後述する。

2008年以降、全線の鉄道の運行が停止されたが、ジブチ-ディレダワ間は2010
まで運行していた。20138月に一度再開されたが短期間で終了した。その後、
機関車や車輌は放置され、現在に至っている。

DireDawaの車輌修理工場は、2010年、新たな鉄道建設のための新会社へ移行した。
メタル・エンジニアリング会社(Metal and Engineering Company: METEC)2011
年から2016年に貨車500輌を製造し、旧鉄道の遺産を引き継いで新鉄道へ貢献す
ることとなった。

▼エチオ・ジブチ鉄道の歴史

エチオ・ジブチ鉄道は、フランス・パリに本社を置くImperial Railway Company
 of Ethiopia(仏語:Compagnie Imperiale des Chemins de fer d'Ethiopie)、
エチオピア帝国鉄道会社が、ジブチ港とアジスアベバを結ぶ鉄道を建設する目的
で、1894年にAlfred Ilg/Leon Chefneuxにより設立されたことから始まる。

その構想は、Alfred Ilgが、前皇帝や政治家の関心を集めて、ジブチ港からアジ
スアベバまでの6週間かかるロバの行程を鉄道に置き換える企画を、彼がメネリ
2世の顧問であったときに行った。

1889年、メネリク2世が皇帝になった時でも進捗していなかったが、具体的な鉄
道建設の交渉が始まり、鉄道建設の法令が1893211日に発布され、18943
に鉄道建設の調査がIlgとフランス人技術者のチームが編成され行われた。

189439日に帝国令が発布され、鉄道建設を開始することが可能となった。メ
ネリク2世皇帝は、自らの鉄道建設ベンチャーへの出資を躊躇したが、Ilgと彼の
会社に99年のコンセッショネアー(期限付き割譲)権と一定の株式保有、さらに、
3百万フラン以上の全ての利益の50%を受け取る権限を付与した。さらに、鉄道
会社は、鉄道路線と並行して通信網の整備を行うことを義務とした。

鉄道会社は、鉄道建設に関する許可をフランス政府から取り付けるのに、エチオ
ピアでの鉄道建設の反対派が形成される1897年まで時間を要した。メネリク2
は、鉄道建設への融資に関してフランス政府が関係することに怒りを表し、鉄道
建設に反対するデモが発生した。

さらに、アジスアベバの英国公館が、英国領ソマリアのZeila港からの輸送量が
減少することに懸念した。これは後に証明されることになる。鉄道の半分が完成
した段階で、鉄道輸送は、ハラルとアジスアベバ方面のどちらか一方のキャラバ
ン輸送貿易を駆逐した。

鉄道会社の株式は、欧州市場での販売に苦戦し、会社はフランス全国の市の商工
会議所で販売促進を行った。しかし、投資家の関心は自制的であり、メネリク2
世はフランス政府の直接的な融資に反対し、資金調達に苦慮した。

鉄道建設は189710月、ジブチから始まり、マイナーな港であったジブチが鉄道
建設により第一の港となった。アラブ系の乗務員やソマリアの労働者は、ヨーロ
ピアンより多く見られ、彼らは内陸へ向かって、通信線とともに工事を進めて行
った。エチオピア人の多くは、鉄道建設資材の盗難防止のために治安部隊として
雇用された。この建設工事の状況は、労働者によるサボタージュや地区のチーフ
による前金の要求など、フランス人による初期の運営への重要な不正のソースと
なった。

鉄道がエチオピア国境の到達する前でさえ、鉄道会社は深刻な資金不足に陥って
いた。そのため、New Africa Companyと呼ばれる英国系の投資グループは、鉄道
会社を数年、支配下に置き新たな資金を提供した。1901年までにフランスの投資
家はInternational Ethiopian Railway Trust and Construction Companyを組織
し、資本参加を行った。そして、鉄道会社の経営を担い、その後の資金調達を行
い、19017月にジブチ-ディレダワ間の鉄道が営業運転を開始した。

▼エチオ・ジブチ鉄道の全線開通

英仏の混成した関心は鉄道建設継続に不安定な状況を生み出し、それぞれのグ
ループの投資家はそれぞれの国家と商業を重視するようになり、そして、両国の
政府はエチオピアの貿易を独占することに強い関心を抱き、陰謀を他者に対して
企てた。

この両国の状況を見てメネリク2世は、1902年、鉄道のハラルへの延伸を禁止し
た。フランスの交渉再開は、メネリク2世のフランスの増幅しつつある活動を警
戒してブロックされた。その結果、全線が開通していない中でのさらなる限定的
な鉄道のサービスは、融資の返済に必要な十分な収入を得られなかった。

1904年、英仏は可能な限りこの事態を解決すべくEntente Cordialeを締結し両国
は解決策を提案したが、具体的な進展には至らず、1906年、鉄道会社は公式に倒
産した。

ジブチからハラールの手前まで完成していた鉄道は、既存のエチオピア南部の商
業の集積地となった。

メネリク2世の時代、ソマリ系Issa族とGadabursi族は、アジスアベバまでの鉄道
建設期間中の労働力であり、鉄道建設を通して多くの利益を得た。また、ディレ
ダワは、鉄道駅が設置されたことによりハラールよりも大きな都市となった。

1906年の英仏伊の三国条約、続いて、1908年の仏とエチオピアのKlobukowski
約が締結され、メネリク2世はその後の鉄道の延伸に同意し、1908130日、新
たな鉄道建設に関するコンセッショネア契約がメネリク2世の仏人顧問医との間
で締結され、新たな鉄道会社であるFranco-Ethiopian Railway (Compagnie du C
hemin de Fer Franco-Ethiopien)が設立された。この時、インドシナ銀行が融
資に参加している。

旧会社の資産は新会社へ譲渡され、アジスアベバまでの鉄道建設を担った。前会
社への投資家や政府との1年に亘る調整の末、鉄道建設が再開された。1915年ま
でに鉄道はAkakiまで到達し、2年後の1917年に残りの23kmを敷設してエチオ・ジ
ブチ鉄道全線の鉄道が完成した。

▼第2次世界大戦後のエチオ・ジブチ鉄道

エチオ・ジブチ鉄道は、1960-63年に、Adama-Dilla310kmの延伸計画の調査を
実施し、エチオピア政府は、Nazareth-Dilla Railway Development Corporation
を設立した。1965年、フランス政府は融資をエチオピアへオファーし、ユーゴス
ラビアの専門家が調査した。事業は妥当性(実施する価値がある)が確認された
が実施には至らなかった。

エチオピア政府の鉄道会社のシェアは、第二次エチオピア・イタリア戦争の結果、
イタリア政府に召し上げられたが、第二次世界大戦後にエチオピアに返還された。

1977年にジブチが独立し、フランスの持ち分はジブチ政府に移譲され、1982年、
鉄道会社は、その後、Ethio-Djibouti Railways (Compagnie du Chemin de Fer
Djibouto-Ethiopien)に再構成された。

鉄道建設に携わった労働者は、1947年、エチオピアで最初の労働組合である「デ
ィレダワ鉄道労働者組合」を設立し、鉄道事業は、エチオピアの労働運動のパイ
オニアを醸成したが、1949年、労働組合が組織したストライキは、政府により強
く弾圧された。この時期、政府機関労働者によるストライキは反政府運動として
多く見られた。

▼エチオ・ジブチ鉄道の衰退

第二次世界大戦後、エチオ・ジブチ鉄道の長期の衰退が始まった。それは道路建
設が進展し、貨物輸送が鉄道から道路輸送に転換していく過程であった。1953
から1957年には鉄道の貨物輸送量が半減した。また、オガデン戦争(1977/78
の発生により、ソマリア軍がディレダワへ侵攻し、鉄道を占領したことから、更
に影響を受け、半減した。

戦争終結後、鉄道は運行が再開されたものの、維持管理の不足やOLF(Ogaden Lib
eration Front)による攻撃により、更に衰退していった。そのため、エチオピア
政府とジブチ政府は外国援助による鉄道リハビリテーションを求めた。2003年に
EU40mil EUROの無償資金協力を実施、その後、2006年に50mil EUROへ増額して
いる。

20061129日、イタリア企業であるCONSTAコンソーシアムと契約締結、オガデ
ン戦争でダメージを受けた箇所のリハビリが2007年から開始された。

また、運営に関して南アフリカの鉄道運営会社である、COMAZAR(仏系企業である
Bolloreが出資し、Eric Peiffer and Patrick Claesが南アTransnetとベルギー
Transurb ConsultとのJVで設立、ヨハネスブルグに本社を置く)が25年の運
営権を獲得したが、これは実施されなかった。

そして、2008年はじめに、クェートの企業Fouad Alghanim and Sons Groupが鉄
道の経営権について交渉中とのアナウンスがあった。

EUの融資事業は、停滞し、2009年までに約5kmがリハビリされただけであった。
その後、鉄道は部分的に放置された。リハビリテーションに失敗したジブチ・エ
チオピア両国政府は、新たなアプローチによるジブチ・アジスアベバ間の鉄道近
代化を目指して、既存鉄道の終焉から新たな標準軌による鉄道建設へと判断が移
っていった。その陰には中国政府のアプローチがあったに違いない。

2017年はエチオ・ジブチ鉄道が全線開通して100周年にあたる、イベント情報は
聞こえてこない。

もう一つの鉄道が標準軌のアジスアベバ・ジブチ鉄道です。これは次号以降にて
説明しようと考えています。

■エチオピア読本

これは、見逃していた本、同僚から教えられアマゾンで検索したらありました。
なぜ漏れたのかわかりませんが、1976年の発行です。

エチオピア絵日記 (1976) (岩波新書)
松枝 張
固定リンク: http://amzn.asia/2arUShZ

■オモ川流域のGIBE3ダム

エチオピア高原は、ナイル川の70%、トゥルカナ湖の14%の水源を供給し、再生可
能エネルギーである水力発電のポテンシャルが45,000MWと非常に高い国である。

201612月に公式に運開したオモ・ギベ川流域のGIBE31870MW、は、総事業費U
SD1.75 bil. エチオピア政府と中国輸銀が融資、堤高が243mとアフリカで最も高
いダムであり、ケニアの発電設備容量2295MW(2015)に迫る規模である。

発電した電力は、GIBE3からナショナルグリッドに接続され、国際連携送電線を
経てケニアへ400kV(建設中)、スーダンへ230/220kV、ジブチへ230/220kVで送電
している。環境への影響で指摘されているのは、

1)GIBE3により、トゥルカナ湖の生態系が、今後、永続的に変化し、漁業に影響
を与える。

2)GIBE345haの灌漑地を提供し、サトウキビとコットンのプランテーション
を外国投資を導入して実施している。この上流域におけるプランテーションによ
る化学肥料を含んだ水の流入と、既に塩性化が見られる湖水の更なる塩性化が懸
念されている。

3)GIBE3によりトゥルカナ湖の水位が急激に低下し、水深約30mのトゥルカナ湖の
水位が10-20m下がると予測されている。

dams-costly-impact-on-environment-people/

■アムハラ州北部での鉄鉱石採掘

イタリア資本と中国金属企業CBRF Technology GroupとのJVであるSekota Mining
 PLC20年間のコンセッショネア契約を鉱物石油資源省と締結した。

鉄鋼製品は非鉄金属と同様、輸入代替産業となり得るが、高炉が必要である。

ra-zone/amp/

★本文ここまで★
前号 世界街角通信MM No.279の目次
▼目次
■エチオピア東部のオロミア州とソマリ州で民族間対立激化
BBC、エチオピアの3言語のウェブを開設
■エチオピア虎
■エチオピア、顕著な外貨不足
■財務経済協力省の副大臣と道路公社総裁が不正で逮捕
■■後記

Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。

CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)

R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)

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★クルブニーカの住まい・都市ウォッチング

■■後記

今号で29号なのでかなりスローペースということがおわかりになると思います。
2年前に始めたので、155週、2年で110週、110/29=3.8週に1号の発行となる。

書き掛けの原稿を一度上書きしてしまったこともスローダウンした要因でもある。
基本的なエチオピアの社会経済情勢に関してメモしていたからだ。

★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信MM」第280 2017923
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★★★

2017年9月20日水曜日

【世界街角通信MM】第279号アフリカの角にて No.28-2017-09-20

★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信MM」第279 2017920
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

神の思し召しにより201510月中旬より「アフリカの角」地域、エチオピア高原
のアジスアベバに滞留しています。バックログながら半年ほど時間を巻き戻しつ
つ「アフリカの角にて」を備忘録的に筆者の琴線に触れたことをお届けします。

5月以来多忙につき、サボっていましたが、復活しています。今号はアフリカの
No.28です。

ここで気が付いたのですが、No271が欠番です、飛ばしてしまったようです。


▼目次
■エチオピア東部のオロミア州とソマリ州で民族間対立激化
BBC、エチオピアの3言語のウェブを開設
■エチオピア虎
■エチオピア、顕著な外貨不足
■財務経済協力省の副大臣と道路公社総裁が不正で逮捕
■■後記

★本文★

■エチオピア東部のオロミア州とソマリ州で民族間対立激化

エチオピア東部、オロミア州とソマリ州の紛争で約5万人がソマリ州などに住む
オロミア族がオロミア州内へ強制退去。約2.5万人がソマリ州のJigjiga, Togo W
uchale, Kebri Beyah、ソマリランドから退去しオロミア州Chinaksenに。約2.2
万人がソマリ州からBabileを経由してハラール市へ、約1200人がAfdem, Siti (S
hinele), Aysha and Hurso地区からDire Dawa cityに退去しキャンプしている模
様。

Fifty thousand displaced, evicted in Oromia-Somali crisis
-somali-crisis/

Analysis: Rising Death Toll, Displacement and Protests in Eastern Ethiop
ia
rder-regional-state/

こちらの記事のが読みやすい、昨年の記事だが。今月、エスカレートしているエ
チオピアのオロミア州とソマリ州の州堺付近での衝突に関わるLiyu Police200
7年のONLAによる油田アタックを受けてソマリ州での活動を目的に2008年に設立
された、が住民を恐怖に陥れている模様。

-is-time-to-stop-the-reign-of-terror-of-the

BBC、エチオピアの3言語のウェブを開設

BBCは、エチオピアの主要言語であるアムハラ語、オロミア語、ティグライ語の
サイトをオープン

-afaan-oromo-and-tigrinya/

VOAはアムハラ語のサイトがある。

■エチオピア虎

エチオピアはアフリカのタイガーになり得るのか?

これは、1970年代、4アジアのタイガーと呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガ
ポールが1960年代の途上国から21世紀へ向けて中進国、先進国へと移行したこと
になぞらえている。

記事では、4タイガーの持続した経済成長率や就業人口率の増加などとエチオピ
アを比較し、エチオピアも今後継続的な経済成長が公平に見込めるでろうことか
ら、エチオピアをアフリカの虎と称している。

■エチオピア、顕著な外貨不足

エチオピア中央銀行(National Bank of Ethiopia (NBE))は、民間銀行に対して
運輸物流国営企業であるEthiopian Shipping Logistics Services Enterprise
(ESLSE)のジブチ企業への負債を支払うように指示、国営銀行であるエチオピア
商業銀行の外貨不足による。

ippings-bill/

■財務経済協力省の副大臣と道路公社総裁が不正で逮捕

Alemayehu Gujo財務経済協力副大臣及びZayed Woldegabriel前道路公社総裁が中
国企業関連の一連の道路と砂糖事業の不正に関連して逮捕されていた。

State Ministerとは、エチオピアでは副大臣の意味で、各省に数人、配置されて
いる。逮捕された副大臣は、あまり表に出ない副大臣とは知人の弁。

不正の罪状は立場を利用した横領と贈収賄、財務経済協力省、エチオピア道路公
社、アジスアベバ市道路公社の前総裁も逮捕されている。その他、アジスアベバ
市住宅開発公社、国営砂糖会社職員の約40人が逮捕された。

state-minister-for-finance-on-suspicion-of-corruption-idUSKBN1AK1CN

★本文ここまで★
前号 世界街角通信MM No.278の目次
▼目次
■ウズベキスタンとキルギスタン、新たな関係構築へ
■アルメニア、日本国国籍へビザ免除
■パスポート用写真審査の厳格化と写真館
■谷深い黒部渓谷と黒部ダム
■新東名高速道のPAE1
■エチオピアの郵便事情
■■後記

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■■後記

関連記事のリンクを記載しているが、一行より長いリンクは、リンクが切れてし
まう、それで、長いリンクを短く出来るツールを使っているが、元のリンクが見
えないきらいがある。それで、今回は、クリックしてもリンクしないが、生リン
クだけにした。

リンクへアクセスする場合、全てのリンクをコピーしhてHTTPに貼りつければリ
ンクは開くことが可能です。

★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信MM」第279 2017920
発行責任者:飯尾彰敏
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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2017年9月11日月曜日

【世界街角通信MM】第278号アフリカの角にて No.27-2017-09-10

★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信MM」第278 2017910
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

神の思し召しにより201510月中旬より「アフリカの角」地域、エチオピア高原
のアジスアベバに滞留しています。バックログながら半年ほど時間を巻き戻しつ
つ「アフリカの角にて」を備忘録的に筆者の琴線に触れたことをお届けします。

5月以来多忙につき、サボっていましたが、復活しています。今号はアフリカの
No.28です。

▼目次
■ウズベキスタンとキルギスタン、新たな関係構築へ
■アルメニア、日本国国籍へビザ免除
■パスポート用写真審査の厳格化と写真館
■谷深い黒部渓谷と黒部ダム
■新東名高速道のPAE1
■エチオピアの郵便事情
■■後記

★本文★

■ウズベキスタンとキルギスタン、新たな関係構築へ

ミルジヨエフ・ウズベキスタン大統領、アタムバエフ・キルギス大統領を訪問、
長年の懸案だった両国間の国境問題解決を含めて新たな二国間関係構築へ進展し
つつある。

国境問題では、両国が接する1170kmのうち85%が合意され、フェルガナ盆地のオ
シュとアンデジャン間のDostuk国境が2010年以来閉鎖されていたが、96日、再
開し、24時間通過が可能な状態となった。そもそもこの国境線は、スターリン時
代に引かれたもので、そこに住む民族を考慮して引かれたものではなく、両国に
ウズベク人が分断して住んでいる。当然ながら家族もそうなる。

両国はソ連崩壊後に独立し、これまでの名目上の国境であったのが実際の国境と
なり、両国間の地理的な位置づけから河川の上流と下流という関係とエネルギー
供給の関係で独立以降、対立が続いてた。

昨年の前カリモフ・ウズベキスタン大統領の死去により、新たな政権へ移行後、
雪解けムードで両国間関係が進展して、今回の関係改善に漕ぎ着けた。ウズベキ
スタンは経済関係の強化にも関心が高く、ミルジヨエフ大統領から自動車の組立
工場若しくはテキスタイル工場の合弁についてオファーした様だが、自動車は既
にカザフスタン企業がGMモデルを組み立てる同様な提案をしている。

今回の二国間関係改善におけるミルジヨエフ大統領の最大の狙いは、水問題で前
カリモフ大統領が綿花栽培への影響を強く懸念していたKambarata1水力発電所建
設へのウズベキスタン側の協力である。発電所建設は、ロシア企業RAO UESが既
1860MWの発電機を設置しているものの、完成までには更にUSD2.0 bil.の費用
が必要と見積もられている。

この発電所の完成により$0.02/kWhという安価な電力をウズベキスタンに供給し、
一方でウズベキスタン・ブハラ州のガス田からガスをカザフスタンへのガスパイ
プラインのキルギス区間を倍に拡張してキルギスへも供給することで両国の利害
が一致する。

■アルメニア、日本国国籍へビザ免除

これは有り難い措置(96日に実施)である、また、小国にとっては経済的に効果
的な判断、隣国ジョージアも日本国籍は無し(オンアライバル)。ただ、旅券の種
類の説明がないので要確認。

これまでアルメニア外務省は、ビザ免除は相互が原則と主張していたがやっと現
実を認識したのだろう。

■パスポート用写真審査の厳格化と町の写真館

最近のパスポート申請用の写真が、以前のは登録されているのか、画像の審査が
かなり厳格に行われ、6か月以内ので修正が施されていないのでないと受け付け
ない。

2015年に申請した時にスリランカのコロンボで撮影したパスポート用写真を提出
したら却下された。理由は画像が修正されているとの言う理由、それでオリジナ
ルを確認したら、フォトショップで切り取って作成しているのが判明したので近
所の写真屋で取り直した。

その近所の写真屋(祐天寺駅前)、画像データをちょうだいと要請したら、別途
3千円近く要求された記憶がある、撮影料と同じ程度の金額だったと思う。仕方
がないので支払ったが、我々は同じ写真やで焼き増しを容易にできないのでデー
タファイルを携行しているそのパターンに合わない。

その時に既にこのスタジオと料金を認識していたのですが、上着を持ち込む都合
から近い方になびいてしまった。今回は、しっかりとこちらのスタジオで撮影し
ていただいた、質的には同じ、無料でCDにデータ焼いてもらった、空いていたの
で直ぐに撮影できた。

■谷深い黒部渓谷と黒部ダム

実家に帰省している時にTVを付けていたらNHK BS1だったか、黒部渓谷の映像が
現れた。素晴らしい映像だったので見入ってしまった。

黒部ダム、335MW、日本第4位の水力発電所、そう簡単には見られないディープな
世界、谷の深さに感嘆。

名古屋圏のプログラムが東京とは異なるのが幸いした。

■新東名高速道のPAE1

新東名高速道のPAに「E1」と工事の案内が書いてあった。これは、多分、高速道
路という意味であろうが、ヨーロッパの幹線道路ネットワーク(TEN-T)と同じロ
ゴのデザイン、サインの色も同じ。

正確には、若干は異なるのとは思うが、日本に居るのでヨーロッパでは無いこと
は明白なのですが、私的にはやや違和感を感じる。EExpresswayと推察、Highw
ayでは無くて。

■ムンバイメトロ4号線、AIIBが融資

ムンバイメトロ4号線総事業費USD2.22bilのうちAIIBUSD500milを融資。2021
の完成予定。4号線総延長は32km32駅、うち4駅が他の路線と乗り換え駅、高架
部が多い。

US Openでの大阪なおみ、

日米二重国籍だが日本を代表しているとのこと、セレナを彷彿とさせる、身長は
セレナより高く180cm

■マダニが媒介する致死率の高い感染症

ドキッとしたニュース、そして、また驚いた(後半)。
ダニが媒介する「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」、ネコ科動物からペット
に、そして人間に感染し死亡した例が2013年にあった。

失態、会見中の致死率の高い感染症を媒介するマダニ、逃走。DWの記事、それが
ニュースになっていた、ワールドワイドで。

■検閲制度時代のウズベキスタンの写真

ウズベキスタン、検閲制度が変更になり前政権時代には公開出来なかった、村の
生活におけるソビエト時代のシンボル的な要素を含んだ写真が公開出来るように
なった。

ウズベキスタンの村、どこかは明記されていないが、村の住宅やその暖房用の熱
が供給されている事がパイプの配管から読み取れる。他方、水汲みに人々が集ま
って来ていることから水道は各住戸に配管されていないということだろう。

■エチオピアの郵便事情

日本からアジスアベバには郵便小包が届いているので機能しているであろうとの
前提で、アジスアベバから郵便物を送る場合の料金を調べようとネットで検索す
るがヒットしない。

よって中央郵便局まで足を運んで料金を確認した。郵便小包とEMSがあり、郵便
小包は料金表があったが、EMSは特になく、持ち込んだときに重量からパソコン
上で料金を確認しているシステムだった。

郵便小包Small Packetの場合は、ゾーン1-3があり、日本はゾーン3が適用さ
れる。1kgまでが373.2ETB2kgまでが732.90ETB

EMSは料金表がないので窓口で聞いてみたところ、日本まで1kgまでが416ETB2
kgまでが673ETBとこちらのがお得なようでした。

因みに封書は日本まで20g9.7ETB

時間がかかるが届かないということは無いようです。それは日本からでもエチオ
ピアからでも。

具体的な情報がないが、下記がエチオピア郵便です。

★本文ここまで★
前号 世界街角通信MM No.277の目次
▼目次
■エチオピア、政府高官39人不正で逮捕
■ティグライ州でNewmontによる金鉱山開発
■エチオピアン・グランド・ルネサンス・ダム
■エチオピア航空、サンパウロ便直行に
■エチオピア東部で部族間衝突
■スイス、エリトリア難民却下
■■後記

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★クルブニーカの住まい・都市ウォッチング

■■後記

アフリカの角関連はエチオピア郵便事業のみです。

麻布十番 納涼まつり2017 8/26(土)27(日)PM3-9

来年は行けるように調整しよう。目黒のサンマより行きやすい。

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