2020年11月5日木曜日

【世界街角通信MM】第314号 東京にて(目黒通り沿い地下鉄計画と都営6号三田線)-2020-11-05

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メールマガジン「世界街角通信MM」第314号 2020年11月5日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

コロナ感染拡大状況下、このMMを始めたころのことを振り返りつつ、東京にて気になったことを交えて当時のメルマガを再度掲載していこうと思います。

このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという主旨、その時々の情報や印
象を記録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は2月14日でした。

また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です。

▼目次
■目黒通り沿い地下鉄計画と都営6号三田線
■■編集後記

★本文★

目黒通り沿いに都営6号線(三田線)の延伸に関係して地下鉄を建設する構想が今から約40数年前の昭和43年(1968年)にありましたが、昭和60年(1980年)の答申で変更され、実現には至っていません。しかし、その経緯がどうだったのか、掘り下げてみました。

抜粋:
英語の論文だったのでしょう、タイトルが英語ですが港北ニュータウンに関する内容です。その中で「東京6号線のルートを目黒 - 都立大学 - 等々力 - 武蔵新城 -北山田 - センター北 - センター南 - 都筑ふれあいの丘 - 中山」と明記している。(財団法人日本都市計画学会「KOH NEW TOWN COMMUNICATION STUDIES 1971-1972」)

都営6号線(三田線)計画

目黒通り沿いの地下鉄計画は、都営6号線、現在の三田線の延伸ルートとして検討されました。そもそも、6号線自体の計画も直通運転を行おうとしていた東武東上線や東急線との関係で紆余曲折の経緯をたどります。

1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現在の東京地下鉄東西線)の分岐線として示された大手町-下板橋間の計画が6号線〈三田線)計画の始まりとなっている。

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において分岐線は6号線として切り離され、その後、5号線を営団が、6号線を東京都が建設することになった。本答申では、6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町・巣鴨および大和町(後の板橋本町駅となる付近)の各方面を経て上板橋および志村(現:高島平駅)の各方面へ至る路線として示された。

軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込 - 泉岳寺間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定であった。

都営6号線(三田線)の延伸として 三田-泉岳寺-桐ケ谷-大井町線案
1964年(昭和39年)の答申により、泉岳寺 - 西馬込間は1号線(浅草線)の分岐線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線の路線名)で桐ヶ谷へ延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時、現在の大井町線)と接続するように改訂された。

また、これに伴い軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後、東武から「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村駅-大和町駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に改められた。また馬込検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。

上記の経緯から、当初、路線や車両の規格を決定する際、三田線は車体寸法や保安装置などの面で東武鉄道の規格が踏襲された。

1965年(昭和40年)、東武東上線は8号有楽町線に  東急田園都市線は11号半蔵門線に両社とも距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するとの判断により、乗り入れを目指す計画に変更され(池上線の計画は実現せず)、三田線の直通計画は宙に浮いてしまった。

泉岳寺以南は五反田駅まで1号浅草線と併走し、東急側が戦時中に廃止していた桐ヶ谷駅(大崎広小路駅と戸越銀座駅の中間)を大崎広小路駅の代替として復活 し、池上線と接続し、旗の台駅で大井町線に接続、そのまま田園都市線に直通する構想であった。その場合の折り返し駅は長津田駅で計画されていた。昼間時は 長津田 - 泉岳寺 - (三田線) - 和光市 - 上福岡で直通列車を運転する予定であった。

三田線(6号線)の延伸として 三田-目黒‐都立大学‐等々力‐港北ニュータウン案

三田線の三田駅以南の計画が未定のまま、高島平-三田間の工事が進められた。

1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、6号線は、桐ヶ谷方面 - 大和町方面が、大宮市西部…浦和市西部 - 清正公前(現・白金高輪駅)…港北ニュータウン(横浜市)間に改められた。

1971年の港北ニュータウン計画当初には、計画の中に都営地下鉄6号線を西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画が盛り込まれてい た。当時の港北ニュータウン計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、かなり具体的な駅の設置場所とともに東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている。

1985年(昭和60年)7月11日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は目黒止まりとなり、東急目蒲線(仮称・東急都心線、現在の目黒線)と相互乗り入れすることが確定し、三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回となった。

この結果、東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線・池上線・田園都市線から目黒線へと路線は変わったものの実現することになり、最終的に東京6号線は西高 島平駅 - 目黒駅という路線を形成することになった。港北ニュータウン地区への鉄道接続については、2008年6月22日に乗り入れ先の東急目黒線が武蔵小杉駅から 日吉駅まで延伸し、横浜市営地下鉄グリーンラインが日吉駅から港北ニュータウンを経由し横浜線中山駅までを接続する形で実現された。

東急電鉄が潰した目黒通り沿いの地下鉄計画

目黒駅から都立大学、深沢、等々力を通り、最終的に多摩川を越え大規模住宅開発が計画されていた港北ニュータウンへ接続されるのルートでしたが、1985年、昭和60年の運輸政策審議会答申第7号で都営6号線(三田線)は目黒駅止まりとし、それ以遠は目蒲線と接続し東横線日吉駅まで延伸することが決定された。

通説では、当時、地下鉄計画路線計画と競合するバスや鉄道(目蒲線)を運営していた東急電鉄 (五島慶太)の政治的な圧力により目黒駅以遠については目黒通り沿いの三田線地下鉄路線建設が目蒲線(現在の目黒線)への乗り入れ接続にすり替えられてしまい、最終的には、東急目黒線(目蒲線)を東京メトロ南北線と都営三田線に直通運転させる計画に変更させてしまう。

その背景は、地下鉄が開通した時の東急電鉄や東急バスへの負の影響と推察され、東急電鉄は公共性の高い民間交通機関ではありますが一企業の利益が優先され公共の利益が蔑ろにされたということは残念の極みですが、これが現実社会です。

このような経緯から、目黒通り沿いや深沢・等々力はバスが主体の公共交通しか整備されず、当然ならがバスの運営会社は東急バスなのです。

地下鉄建設計画は消えてしまいましたが、目黒通りの延伸は進んでいるようです。目黒通りは多摩堤通りで終わっているがその延伸として多摩川に橋を架け、目黒通りを川崎市の都市計画道路宮内新横浜線へ接続する計画がある。供用開始はは2021年3月(平成33年)を予定している。
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

白金高輪駅の駅名
平成元年(1989年)、都営6号線(三田線)の三田駅以南の事業免許の申請が行われた。その時は、三田 - 清正公前という駅名だったが、現在は白金高輪駅となっている。三田線・南北線に白金台駅があるし、浅草線に高輪台があるのだから、清正公前のままで良いのにわざわざ白金と高輪を組み合わせる必要があったのか、疑問に思う。駅の場所が丁度白金と高輪の境界上に位置することは事実であるが、ここは清正公前というバス停があるのだから素直に清正公であってほしかった。

現在の東京圏の鉄道整備計画

都市鉄道の建設は、運輸政策審議会で答申され事業が進められますが、この地区では目黒線・南北線直通運転以外は見当たりませんね、新たな地下鉄建設は現時点では無いということです。

東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(運輸政策審議会答申第18号、平成12年1月27日)
http://www.mlit.go.jp/kisha/oldmot/kisha00/koho00/tosin/kotumo/mokuji_.htm

関東1都6県の鉄道の将来-東京圏鉄道整備計画
http://pref7.so.land.to/newline2.htm

参考:
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

本稿は2012年6月にまとめたものです。
https://eastriver229.blogspot.com/2012/06/blog-post_26.html

★本文ここまで★

▼前号目次
(2009年2月21日第2号)
■大陸の明かり-インチョン-タシケント便
■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
■タシケントのホテル-値上げ
■■後記

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■■後記

以前から気になっていた目黒通り、なぜ、地下鉄がないのか?なぜ地下鉄が延伸されなかったのか、2012年にまとめたものですが、再度ここで公開します。

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2020年8月31日月曜日

【世界街角通信MM】第313号 東京にて(復刻版) 2020年8月31日

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メールマガジン「世界街角通信MM」第313号 2020年8月31日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

「中近東通信」は2017年11月初旬よりNo.28までお届けし2019年11月をもって一
旦終了、積み残しは時間が取れ次第お届けいたします。

このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという主旨、その時々の情報や印
象を記録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は2月14日でした。

今回から当時をメルマガを再度掲載していこうと思います。
また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です。

しばらく当時を振り返ろうかと思います。

▼目次(2009年2月21日第2号)
■大陸の明かり-インチョン-タシケント便
■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
■タシケントのホテル-値上げ
■■編集後記

★本文★
■大陸の明かり
インチョンから飛び立ったアシアナ航空OZ573便、A330-200は北西方向へ進路を
決め、右手に大連、左手に青島を結ぶラインの中間を目指してにポジジョンをと
り黄海を横断し前方の天津を目指す。そして、北京上空を迂回し、さらに大陸を
横断するように奥地の北西方向へ飛ぶ。

フライト時間は7時間50分が予定されていた。インチョン空港が17時20分に発ち、
21時10分にタシケントへ到着する行程だ。夕方出発なので窓の外は闇の世界、特
にこの日は曇天でインチョン周辺も島が若干見えた意外は霞んで雲以外見る対象
が無かった。

予断だが、席はガラガラ、旅行代理店の話だとシートの予約がリクエストしか入
らないというので混んでいるのかと思ったが、その逆なので予約が入らないのは
まったく意味不明だった。カウンターで聞いたところ、アシアナ航空へ直接連絡
すれば予約できるとのこと。

タシケント到着、1時間半くらい前だろうか、スクリーンのフライト状況を見る
とYiningの南、タクラマカン砂漠上空であろうと思われるポジションを映し出し
ている。窓の外を見たら暗闇の中に2箇所(進行方向右側)街の明かりが見えた。

スクリーンではこれ以上詳細が表示されないので、機内誌のフライトルートマッ
プをめくるも日本航空のような比較的航路に忠実なマップではない。よってはっ
きりしないが、機体はタクラマカン砂漠上空を航行しているので新彊ウイグル地
区の都市だろうかと勝手に想像した。

大陸の街の明かりは、20数年前にアテネから南回りの日本航空で帰国するときア
ラビア半島上空で窓の外から見えた鮮明な街の明かりを思い出させた。

■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
出張準備で渋谷ビックカメラのフィルムコーナーへ立ち寄ったら生産中止された
スペクトラ用のフィルムがまだ売っていた。今はもう商品の数が少なくなったが、
それでも10パッケージ以上は陳列されていた。

これは買わないとと思い3本セットのパッケージ、5980円、を購入、一枚当たり
の単価を計算したらなんと200円ではないか、これでは、デジカメとは競えませ
んね。

家に戻って早速もう何年も使っていないポラロイド社のスペクトラを押入れの奥
から持ち出し、フィルムを充填、我が家の住人、子犬だが、をモデルに試し撮り、
なかなか静止していてくれませんが何とか撮影に成功。

ポラロイドカメラのシャッターを押すと、カシャ、キーといって本体前から写真
が出てくる。しかし、このときはまだ真っ白、しばらくすると画像が浮き出てく
る。味わいがありますね。でも世代が変わると「ポラロイドって何ですか?」と
いうことになりそうだな。

ポラロイド社スペクトラの仕様(ヤフオクより転載)
画面サイズ  72×91mm
ピント合わせ 超音波AF
撮影距離   0.6m~∞ アダプター使用時0.25~
ファインダー テレスコーピック 
シャッター   電子制御 1/245~2.8秒 
露出機構   電子制御AE 明暗調整±2/3
使用フィルム Polaroid Spectra Film ISO600
ストロボ    内蔵固定式 発光停止撮影可
使用電源   フィルム内蔵ポラパルス板電池
フィルム装填・給送 フィルム位置合わせ、自動送り出し
フィルムカウンター カウンター窓 自動復元残数表示
大きさと質量    70.6×160×142mm 807g
大きさ      90.6×160×142mm (開いた時)
その他      セルフタイマー コントロールパネル
1986年物価目安   大卒公務員初任給約¥144,500- 1ドル160.10円

■タシケントのホテル-料金値上げの不思議
2009年より大幅な値上げを実施したホテルが多いようだ。今回、泊っている
Dedemanは65から85米ドルへ、Radisson SASは70から130米ドルへ値上げした。こ
の意味がよくわからないのがこの国なのだが、外貨建てで料金を徴収している
(実際の支払いの際にSUMに換えている)のだからホテルビジネスの場合、外貨
ポーションの割合は低いはずなので世界経済危機に便乗した値上げではないだろ
うかと推測している。

インフレーションは年率xx%(公表)であるものの、ドル建てで宿泊費が支払
われているので、影響は少ないはず。まあ、素人的な判断だとこういうことにな
る。

因みに、現在の為替公定レートは1USD=1427Sum(2月14日)である。

ウズベキスタン中央銀行
http://www.cbu.uz/

Dedeman Silkroad Tashkent
http://www.dedeman.com/Tashkent.aspx

Radisson SAS tashkent
http://tinyurl.com/bbshl4

★本文ここまで★

▼前号 世界街角通信MM No.312の目次(創刊号)
■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
■予防接種
■13日の金曜日に出発
■タシケント再び
■■後記

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■■後記

この時、ホテル代関連して為替レートのことを書いているが、公定レートで米ド
ルを交換する人は何らかの理由がない限りしていなかった、というのが後でわか
ったことです。まだ、このMMを欠いている頃は限定的だった記憶、デデマンホテ
ル内に両替所があり、そこで両替しようとすると怪訝そうな顔を何度かされた。
ホテルだからかと思ったが、明確な理由があったわけだ。

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2020年7月3日金曜日

【世界街角通信MM】第312号 東京にて(創刊号復刊タシケントへ)-2020-07-03

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メールマガジン「世界街角通信MM」第312号 2020年7月3日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
年初より諸般の事情と新型コロナ問題により滞っていましたが、まぐまぐから直近6カ月さぼっていたとのメールが届きましたので少しばかり更新を。さもなくば廃刊になるのでしょう。

通し番号がNo.310でしたが実際はNo.311でしたのでNo.312から継続します。

「中近東通信」は2017年11月初旬よりNo.28までお届けし2019年11月をもって一旦終了、積み残しは時間が取れ次第お届けいたします。

ビシケクに続いて、トルコのガジアンテップ、イスタンブールの予定でしたが

そもそも、このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという趣旨、その時々の情報や思考を記録しておこうと2009年2月よりウズベキスタン出張を機に始め創刊は2月14日でした。

今回から当時をメルマガを再度掲載していこうと思います。
また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です。

▼目次
創刊号の目次
■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
■予防接種
■13日の金曜日に出発
■タシケント再び
■■後記

★本文★
【世界の街角から】創刊準備号 2009年2月14日
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■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって

バレンタインデーに合せたわけでもないが金曜日に出張したので週末少し時間がとれることになり、創刊準備号を用意しました。記憶には残りやすいタイミングですね。

仕事の性格上、世界各地へ赴く機会が多い。特に日本人が行く観光地でない国が多く、それ故情報も少ない。旅行情報、現地での生活情報、社会経済情勢、国際政治など、それぞれの国や都市、人とのふれあいの中で肌で感じたこと等を書き留めておこうと思いメールマガジンを創刊することにしました。

なお、発行は随時としています。

写真を掲載している同名のサイトがあります。これはインターネットの商用化が開始された直後の1996年から運営してます。
フォトギャラリー世界の街角から http://www.iio.org.uk

■予防接種

巷では予防接種といえばインフルエンザとお決まりのようですが、私の場合やや状況が異なり予防接種はA型肝炎、B型肝炎、破傷風を接種してきました。これらの感染症に罹ることは途上国と呼ばれる国でも最近では稀でしょうが、備えあれば憂い無し、身体が資本ですのでその備えの一環です。

というのも、最近、知人の会社でアフガニスタンへ出張し、4人がA型肝炎にかかったと聞いたのです。また、ここ2年程度でマラリアに3人の知人が罹り、2人は日本で発症して倒れ救急車で病院へ運ばれました。そのうちの一人は意識不明が1日以上続いたそうです。また、もう一人の知人は緊急輸送でアフリカからパリへ運ばれたのです。

これまで罹りやすい肝炎(A及びB)の予防接種は既に3回接種しています。5-10年間程度の有効で、その後は1回で再度5-10年の効力があります。A型は既に10年経過していますが今回は追加1回(ブースターと呼んでいた)との判断でした。

A型肝炎は一度罹ると抗体ができもう罹らないと聞いているが、同じように抗体を作る予防接種に有効期限があるということは、これはどういう意味なのか確認する必要がある

破傷風は既に20年以上が経過しているので最初からやり直し、都合3回(2回目は2-8週間、3回目は1年以内)打たなくてはなりません。大地の子の中で破傷風に罹る場面がありました。今回は、似たような地域への出張ですので念のため最初からやり直しています。

20数年前にザンビアへ赴任したときは、ポリオ、狂犬病、破傷風、コレラ、黄熱病を接種、A型肝炎は当時は生ワクチン、3ヶ月か4ヶ月に1回、お尻にブスリとやられていました。マラリアはクロロキンというのを渡されましたが最初の1週間だけで止めました。これは錠剤ですがサイズが大きく非常に飲みにくかったからかもしれません。住んでいたルサカの標高は1200mだったので概ね問題ないだろうという希望的観測も飲まなかった理由でしょう。

今日も八重洲の鉄鋼ビルまで出かけてきました。右腕にB型肝炎(ブースター)、これで5年は大丈夫、左手に世間一般並みにインフルエンザの予防接種も受けてきました。打たないよりはインフルエンザに罹ったときに打っていた方が良いといわれました。予防は気休めで終わればそれで良し。何事も無く健康で仕事が続けらますように。

参考サイト:
海外渡航と予防接種う http://www.forth.go.jp/tourist/useful/02_tokou_yobou.html
財団法人 日本検疫衛生協会 http://www.kenekieisei.or.jp/index.html


■13日の金曜日に出発

「13日の金曜日」という1980年に公開されたホラー映画があったが、私の趣味ではないので観ていない。巡り合せではあるが、本日、2月13日金曜日に出かけることになったがあまり気分が良いものではない。

「13日の金曜日」は、キリスト教国、特に英語圏の多くとドイツ、フランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数の 13 と関係がある。カトリックのイタリアやスペインはというと、イタリアでは17日の金曜日、スペインでは13日の火曜日が不吉とされる。

13日の金曜日が不吉とされるのは、「イエス・キリストが磔刑(張付けの刑)につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている。」という俗説がある。しかしこれは、正しくない。

キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていないし、共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していないようだ。

最後の晩餐に13人いたということとイエス・キリストが磔刑にされたのが金曜日ということから「13日の金曜日」が不吉とされるようになったようだ。

インチョンからタシケントへのフライト、強い向かい風で予定より時間がかかったが兎に角無事に目的地に到着した。
Thanks God!

■タシケント再び
13日の金曜日、昼過ぎに成田を出発して、ウズベキスタンの首都であるタシケントに同日の21時半に着いた。タシケントはこれで3回目になる。近隣の国への往復を入れるともう少し多くなる。

中央アジアではタシケントは交通の便がよく日本からもアクセスしやすい。今回は、成田-インチョン-タシケントのルート、前回の2007年1月も同じだ。最初(1996年)は、まだ、韓国系航空会社も運行しておらず、成田-バンコク-タシケントのルートでバンコクからタシケントへはウズベキスタン航空を利用した。早朝の出発だったので窓から景色が良く眺められた。しかもヒマラヤに沿って飛んでいくので窓の外がいつに無く迫力があった。http://uz.iio.org.uk/uzbekistan.htm

今回と前回はアシアナ航空を利用した。昨年の8月から大韓航空がタシケント線を運行している。両社ともタシケントのほか、カザフスタンのアルマトゥ(旧首都)へも運行している。

成田-インチョンが2時間40分、インチョン-タシケント間が7時間50分、インチョンを定刻に出発したが向かい風が強く30分ほど延着となった。日本でも春一番が吹いていた日だ。家を出てからの時間を振り返ってみると16時間40分後にホテルにチェックインしたことになる。

タシケント空港は1996年に最初に来たときよりはかなり良くなっているが、アルマトゥやビシケク(マナス空港)と比較すると今後大掛かりな整備が必要な印象だ、特に観光立国でもあるウズベキスタンの玄関としては尚更だ。

今回、ビザは日本で1年間有効のマルチプルビザを取得してきた。なかなか取れないようだがクライアントからレターを発行してもらい、旅行会社にどうしても必要なので領事部にその旨説明するようお願いした。自分で申請すればよいのだが、仕事などの出発前は出来るだけ手を開けておきたい、その分、必要な手続きを万全にするようにした。

タシケント空港の入国審査は時間のかかるほうだろう、丁寧に確認しながら手続きを行なっている。そのため、5ブース(計7ブース(数はあやしい))が出入国管理官で埋まってはいるものの時間がかかる。それゆえ、他の乗客はバスから降りたら一目散で走っていたのだろう、私はのんびりと普段どおりに歩いていったので最後尾となってしまった。

その後、税関審査が待っている。ウズベキスタンは税関申告書2通を作成し提出、押印後、1枚戻ってくる。これを次の出国するときに提出する。現金5000ドルを超えると審査がややこしくなるというので少なめに持ってきた。この国ではないが、申告しなければならない金額以上だと、全て見せる必要があり、何に使うのかと何かと時間を取られた記憶がある。

税関審査は全ての荷物をX線に通すので、これもX線検査機が4機か5機あるが時間がかかる。キャリーオンの中にカメラやレンズを入れているので大概開けろと言われるが開ければそれまでだ。今回も開けろといわれたが誰も開けようとしないのでそのまま出てきた。
今回のフライトの乗客数はそれほど多くない印象だが、着陸してから1時間以上は入国審査と税関審査に掛かったことになる。元々乗客数の多い路線ではないので少しばかり遅れても安心感はある。ビジネスクラスは30席あるが埋まっていたのは8席のみだった。成田-インチョンもかなり少なかった印象だ。大韓航空が参入した影響だろうか。

タシケントの気候は2年前の同じ季節とは異なり、かなり暖かい印象です。東京と差ほど変わらないのでは。冬物のセーターを持ってきたが着る機会が無いかもしれない。

タシケント国際空港 http://www.uzairways.com/airports.aspx
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【世界の街角から】創刊準備号 2009年2月14日

★本文ここまで★

前号 世界街角通信MM No.310の目次
■アウンサンスーチーの苦悩
■ウクライナ東部戦線の停戦へ向けて独仏が仲介
■緒方貞子哲学
■南アのリスクが高まっている
■ソ連時代の高級ホテル、ウクライナホテル他
■■後記

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■■後記

冒頭の通りしばらくぶりです。
その時々のことをまとめておくことを念頭に置いていましたが関連ニュースの再配信的な内容も少なくなく、どうしたものかと。

今般、新型コロナで考える時間が多くなったのですが物事はなかなか具体的には進まず、それで、2009年から始めていますので10年経過していることから、当時何を書いていたのか、再配信してみようと思います。

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