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2013年4月2日火曜日

Paraguay-Asuncion Highlight パラグアイ点描

Andares del AguaPerosonal USB modemA Cafe, CentroANDEANDEANDE
Centro, AsuncionRecharged iPhone3GCentro, AsuncionCentro, AsuncionCentro, AsuncionVilla Morra
Aregua ChurchAregua ChurchAregua Churchhot day!Andares del AguaAndares del Agua
Paraguay RiverJakaranda TreeANDEANDEANDEMinistry of Diffence
Paraguay-Asuncion Highlight, a set on Flickr.

2011年12月14日水曜日

【世界の街角からMM】第130号 アスンシオンにて(10) 2011年12月14日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第130 20111214
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その10です。

▼目次
■アスンシオンのニューダウンタウンVilla Morra地区
■推定、パラグアイの世界トップレベル
■これが「シェラトン・アスンシオン」
■■後記
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■アスンシオンのニューダウンタウンVilla Morra地区

近年、商業業務施設の多くが集まり、ニューダウンタウンとしての機能を確保し
つつあるアスンシオンのVilla Morra地区、Mariscal Lopez通りという幹線道路
が通過し、その両側に低層の商業地が広がる。丁度、スペイン通りとの間とその
周辺にショップが集中している。

大規模なショッピングセンターであるShopping del SolEspana通りの延長であ
Aviadores del Chaco通りに位置し、Sheraaton HotelIbis hotelがその向か
い側に位置する。Rep.Argentina通りの延長であるSt.Martin通り沿いにも中規模
ショップが多い。

Mariscal Lopez通り沿いにはVilla Morra Shopping、その奥に、Shopping Marsc
al Lopezが立地する。公園を挟んでBBVAIaBD、1ブロック先にCITIBANKなどの
業務ビルだ。また。商工省やUNビルもMariscal Lopez通り沿いだ。低密度な都市
ではあるが、近年の新たな集積の多くが賑やかなさを醸し出している。

商業施設の他、業務ビルも多く立地し、アスンシオンのファイナンシャルセン
ター化も進んでいる。 Shopping del Solの前にはワールドトレードセンターが
立ちあがる予定だ。

この地区の魅力はこのような大規模なショッピングセンター等や商業業務施設の
集積だけではない、本質は小さなブティックの集合体が大通りから少し奥に立地
することだ。例えばSenador Long通りにセンスが良いブティックが集まり、
Dr.Usebio Lilio通りからEspana通りまでは特に多い。カフェ等も同様だ。表か
らは見えないが、パティオが奥に控えている、そこに静かなカフェがあったりす
る。

こういう地区は、カフェやバーなども多く、夜も魅力も溢れている。それは、後
背地がアスンシオンの上流階級の住宅地だからだろうか、普段目にしない社会階
層もここでは普段着だ。

実際、同じアスンシオンでもセントロやメルカド・クワトロ地区とは対極に位置
する街だ。このVilla Morra、名前の由来はアスンシオン・トラム会社を経営し
ていた、Mr. Franciso Morraの名字から来ている。

このVilla Morra地区、私が滞在しているホテルもその一角らしい、らしいとい
うのはかなり端だからだ。しかし、この界隈は散歩のし甲斐があり、新たな発見
と相まってここがアスンシオンだということを忘れてしまう、何か、自由が丘の
ブティック街を散策しているような気分だ。

商業施設が多く集まるのは、Espana通りとMariscal Lopez通り、St.Martin通り
を囲んだ地区、車だとあっという間だが、歩くとけっこうな散歩となる。

Villa Morra

Villa Morra Shoppingシネマ

Mariscal Lopez Shopping

Villa Morra Suites Hotel

地図

■推定、パラグアイの世界トップレベル

閑話休題的に。

1.パラグアイでは1か所世界遺産(イエズス会伝道所)が登録されているが、
アクセスが悪く、世界の世界遺産の中で最も訪問客が少ない。

2.航空便はがきが日本までUSD4相当とこれまで私の経験で最も高かった。きっ
と世界トップレベルの郵便料金だろう。

3.世界トップレベルの「illyコーヒー豆、250g缶」の値段(30米ドル相当)

ここまでは、名誉なパラグアイの世界トップレベル、以下は、

4.一人あたりの発電量、きっとトップレベルだろう

5.そしてその発電方式が水力発電なので、世界トップレベルの一人当たりの水
力発電、

6.そして、再生可能エネルギー(水力)なので、こちらも国民一人当たりにす
ると世界トップレベルとなる

7.イタイプ水力発電所(ブラジルとの共同事業)とジャスレタ水力発電所(ア
ルゼンチンとの共同事業)があり、その電力の殆んどを輸出しているしているの
で、一人当たりの電力輸出量でも世界トップレベルとなる。

7.日本人移住者が、大豆栽培とその輸出を開拓したパラグアイ。大豆輸出は世
界第4位とトップレベルの大豆輸出国。

頭の中にある情報なのでしっかりと精査するともう少し新たな発見があるかもし
れない。

■これが「シェラトン・アスンシオン」

10年前にブラジルのベレンにあるシェラトンに数泊した。その時はここが世界で
最低レベルのシェラトンホテルと紹介されたが、私的には部屋は広く、基本的な
サービス機能は充実していたので、問題なく宿泊した、他に適当なホテルがなか
ったという事かも知れない。

シェラトンに期待するもの、シェラトンは、メリディアンやウエスティン他の国
際的なホテルブランドを運営しているstarwoodにより運営されている。この会社、
巨大である、世界中に900以上のホテルを所有している。

The Westin Hotelは一時、青木建設が所有していたが、1994年に同ホテルへ売却
されている。メリディアンは2005年エールフランスから買収し、何時の間にかホ
テルブランド会社となってしまった。

宿泊する立場で考えると、こういうホテルには当然ながら快適なサービスを自然
と要求している。特にビジネスとなると質の高いサービスが必要となり、それに
応えること、その期待と現実が一致するような擦り合わせ行われる。

さて、アスンシオンにもシェラトンホテルがある。ここでは最もシェラトンらし
くないシェラトンと酷評され、五つ星を標榜しているがそうではない、とやたら
と評判が良くない。外観は新しそうなのだが。

こういうホテル、ロビー横に気の効いたカフェが通常ある。そういう想定で打合
せをシェラトン・アスンシオンに設定した。先ず玄関を入ると、真新しい建物で
吹き抜けのアトリウム的な空間はかなりのボリューム、入って右側にレセプショ
ン、左側はカフェとなっている、その奥が繋がっているが、テーブルクロスが掛
けてあるテーブルなのでレストランの意味だろう。

セントロにあるクラウンプラザ、これも五つ星らしいがサービスの質はかなり低
いというかのんびりしていた。レセプションには常時人が配置されていないし、
カフェのウエイターもノンビリ調子、箱はまあまあなのだろう。

その印象を引きずったかのようなウエイターの対応、テーブルの上には既に客が
いないのに片づけがされていないコーヒーカップ、案内は当然いない、テーブル
に付いてからもしばらくは、応対なし。こんな調子なのだ。

エスプレッソを注文したが、確かにエスプレッソかもしれないが、薄いシャビー
なエスプレッソには驚いた。クラウンプラザは少なくとも「illy」のコーヒー豆
だったがここはあまり気にしていない。しかし、値段はクラウンプラザを上回る
19,000PYGであった。他のメニューはどうかわからないが、最初に躓くと先へ進
みにくくなる。

バンコクのシェラトン・グランデは私のお気に入りホテルの一つだが、これらと
は全く別のホテルと考えた方がよさそうだ。

■■後記
今日は熱風だった。南回帰線直下、夏本場か。
暑さにはめっきり弱くなったし、太陽の眩しさもかなり強く感じる。
お天道様と向き合えなくなってしまった。

対ユーロで円高が進んだ。対ドルでも70円台後半で推移し続ける円、
今後、どういう展開となるのか、激しいな。
欧米は日本の産業を破滅させる気だろうか。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第130 20111214
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2011年12月11日日曜日

【世界の街角からMM】第128号 アスンシオンにて(9) 2011年12月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第128号 2011年12月11日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その9です。

前号に「パラグアイの米軍基地」を目次に入れておりましたが、本文は今号とな
りますことご了承願います。

▼目次
■パラグアイの米軍基地
■アスンシオンで販売されているMATSUIブランド電化製品
■「ロシア・CIS・東欧研究会」と「中東欧地域研究会」

■■後記
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■パラグアイの米軍基地

パラグアイのチャコ地方、Mariscal Estigarribiaに2005年5月から、米国空軍が
駐留している。これはボリビア・サンタクルス県の自治運動に米国が介入するた
めだとみなされているが、意図なく駐留はしていない。

私の泊っているホテルに軍服を着た米国人の家族が泊っていた。その軍服が空軍
のような色合いだったと思う(詳細不明)。最初は大使館にいる海兵隊かと思っ
たがやや青っぽい色だったので違うのではと考えた。話す機会なく、チェックア
ウトした、アパートが見つかったのかもしれない、ホンダの車を持っていたので。
このトピックを耳にしたのでそうなのかと思った次第。

米軍が駐留していることで近隣諸国との間での外交問題の種となっているかどう
かは、情報がない。
http://www.cipamericas.org/archives/1368

■アスンシオンで販売されているMATSUIブランド電化製品

当地の電化製品メーカーにMATSUIブランドがあります。これはパラグアイ製では
なく、ブラジル製とこのこと。日系企業なのか不明ですが、MATSUIは日本名です
ね。会社のロゴは、鳥居とMATSUIの「M」を融合させたデザインと想像されます。

ちょっと調べてみたところ、英国及び北欧諸国で販売されている電化製品のブラ
ンドにMatsuiがあり、1980年代に導入されています。Dixons Retails Plsの独自
ブランドで中国で製造しています。この会社のMatsuiなのか、関係は不明です。

http://www.dixonsretail.com/dixons/en/home

会社は英国企業ですが、ブランドネームは日本の名字である松井と同じ、1980年
代、MatsuiブランドのテレビがFergasonブランドで英国のThorn-EMIが販売し、
その後、Thomson Electoronicsが販売した。

Dixons Retails GroupによりDixonsとCurrysを所有するようになってからMatsui
はSaishoとLogik名で再ブランドされ販売され、その他、Currys Essentialsブラ
ンドでも販売された。

このメーカーの他に電化製品では「TOKYO」とメーカーがあります。これもブラ
ジルの会社とのこと、詳細がわかりません。

■「ロシア・CIS・東欧研究会」と「中東欧地域研究会」

▼メーリングリスト「ロシア・CIS・東欧研究会」
freemlを利用してロシア・CIS・東欧研究会というメーリングリストを作ったの
が2000年、開店休業状態が続いたので、それほど会員数が伸びていないが、未だ
に健在だ。これはIT業界では稀ですね。その間、機能が拡張したようだが基本機
能は変わらない。このメーリングリスト、けっこう使える。

http://www.freeml.com/rucee/

▼ヤフーグループ「中東欧地域研究会」
基本的に名称が異なるもののメーリングリストですね。試験的に2004年9月に作
成したまま開店休業状態が続いていますが、こちらも健在です。

タイトル等を変更しようと思いましたが、どうも出来ないようですのでそのまま
です。タイトルに拘らず、ということで継続しています。

中東欧地域研究会
2004/9/19
http://groups.yahoo.co.jp/group/ceec/

■■後記
アスンシオンのことを知るにはスペイン語で検索するとよい。そのためにはgoog
le翻訳が役に立つ。便利になったものだ。

イベント
http://www.asuncioncity.com.py/

Cafe' Bohemia
http://wikimapia.org/2626598/Cafe-Bohemia

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2011年12月9日金曜日

【世界の街角からMM】第127号 アスンシオンにて(8) 2011年12月8日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第127 2011128
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その8です。

▼目次
■カアクペの聖母の日 Dia de la Virgen de Caacupe
■パラグアイから日本のアマゾンに本を注文できるか?
■パラグアイにはないルフトハンザ航空事務所、本当か?
■パラグアイの米軍基地Mariscal Estigarribia

■■後記
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■カアクペの聖母の日 Dia de la Virgen de Caacupe

当地128日は、「 カアクペの聖母の日 Dia de la Virgen de Caacupe 」で祝
日です。明日ですが実は前日は半休、公務員だけだそうですが、その大統領令が
発布されたようです。民間は通常どおりのようです。事務所は既に10時ごろから
人がいなくなり、私が事務所を出たころには全て消灯され、駐車場には事務所の
車数台が駐車しているのみ。素早い。

さて、カアクペの聖母を祭っている大聖堂バシリカ(教会)が、アスンシオンか
54kmの距離にあるカアクペ市(Municipalidad de Caacupe')にあります。そ
れほど遠くはないが、訪れる機会を逸したまま「カアクペの聖母の日」になろう
としている。この前後は巡礼者が多くなり行く難くなるというので、「カアクペ
の聖母の日」についての覚書だけでもしておこう。

カアクベは、簡単に言うと昔々聖母マリアがこの地に降臨して奇跡を起こしたと
言われ、その「奇跡の聖母」がパラグアイの人々の信仰のよりどころとなってい
ます。

願いを叶える、奇跡を起こすという聖母に会うために128日は毎年パラグアイ
中から数十万人の老若男女が巡礼にやってきます。カトリック信者が大半のパラ
グアイですから、この聖堂は多くの巡礼者が訪れるところでもあります。

ホテルのレセプショニストに「明日はカアクペへ行きますか?」と投げかけたら、
「明日は雨なので」という返答でした。

巡礼の様子

Virgen de Caacupe 奇跡の聖母伝説

その昔、新大陸発見後、キリスト教の布教活動により先住民グアラニー族は改宗
しキリスト教徒となりキリスト教を信仰しますが、他の部族はキリスト教を否定
しました。

ある時、先住民インディオの間で部族争いが起り、グアラニー族のインディオが
敵に追われ逃げ惑っていた時、女神が現れ、"Caaguy Cupe-pe"とグアラニー語で
"イエルバ(マテ茶)の後ろ")と囁いたそうです。

指差す方向へ急いで行くと大木の幹の間が空いており、そこに身を隠して敵が過
ぎ去るのを祈りながら待ちました。そして、命からがら逃げ切ることが出来たそ
うです。

女神が現れた場所は、綺麗な湧き水があり、グアラニー族は12月の旱魃期を生き
伸びることが出来たそうです。インディオは助けてもらったお礼にその大木で女
神の像を彫りました。女神が言った"Caaguy Cupe-pe"が 後にCaacupe(カアク
ペ)になり、大木から彫あげた女神像が聖母カアクペになりました。

奇跡の聖母に願いを込めてカアクペ大聖堂まで巡礼することがパラグアイのキリ
スト教徒の間で行われるようになり、毎年大勢の人が徒歩でカアクペを目指しま
す。

■パラグアイから日本のアマゾンに本を注文できるか?

アスンシオンから日本の書籍を注文できるだろうと、こちらの日系人に聞くとOC
Sがそのサービスを受け付けているという。クーリエ=高い、と直ぐに私は連想
してしまう。

では日本のアマゾンは海外発送に対応しているのでは?

そしたら、対応していないとの返答、そんなはずはない。

日本からパラグアイ向け郵便は、2kgまでなら対応していると日本郵便が説明し
ているのでアマゾンでも対応していることだろう。実際に日本からSmall Packet
郵便が届くのだから。

アマゾンの海外発送 国名・地域対応表
e=UTF8&nodeId=642984

しかし、配送料金は南米の場合、かなりお高い。国際エクスプレス便を使うよう
だ。

配送料4400円+1冊あたり300円が加算される。
es?ie=UTF8&nodeId=642982#international

お高いが、それでも読みたい本が手に入るのだから、これを高いと思うか安いと
思うのかの価値感の持ち方となる。

ブラジルとアルゼンチンのルフトハンザ航空事務所
アスンシオンには見当たらない。ドイツ系移民がいるから旅行会社が代理店をし
ているはずだ。

まあ飛んでいないので仕方がないが、サンパウロ経由なのでブラジルを押さえて
おかなければならない。今回、あまり気にしないで来てしまった。

■パラグアイにはないルフトハンザ航空事務所、本当か?
アスンシオンに直行便が飛んでいなくても、販売代理店くらいあるだろう、とい
う前提で探したらやはりありました。

ないないという情報にはまったく耳を傾けず、ひたすらあるはずだ、と進めた結
果だ。ドイツ系移民もいるパラグアイでないわけがなと考えるのが普通だ。一昔
前までは、JALの販売代理店があったのだから。

通常は、直行便が飛んでいると支店が置かれるが、ここアスンシオンにはメジ
ャー航空会社の直行便は飛んでいない。ルフトハンザ航空の場合、スターアライ
アンスなので、TAMが代理をしているという前提で置いていないと説明されるか
もしれないが、そんなことは全く根拠がなく、想像の域を出ないコメントなので、
こういうのにも耳を傾けない。

このアスンシオンの人とのやり取りから、真実を導き出すのは別のトピックしよ
う。

アスンシオンにおけるルフトハンザ航空の代理店は、viajesdelsolという会社が
Lufthansa City Center」という看板を出している。これはエレバンにもあっ
た。

探した目的なフライトスケジュールの変更、アスンシオンからオンラインではな
い。ブエノスアイレスの支店へメールで連絡して回答を待つという原始的なシス
テムだが、予約情報は見ることができるのでそれを見ながら、リクエストするこ
とが可能となる。

日本の旅行代理店はメールを打てはそれで済むのだ、なぜか取れないときが多い。

Lufthansa City Center (viajesdelsol)
Ave. Gral. Santos y Concordia Complejo Santos
Tel. 021-205 009

このルフトハンザ航空代理店、アスンシオンでは珍しく英語がすんなりと通じた。
当然と言えば当然ではあるが、なぜか私は驚いた、それだけ他では英語が通じな
いということだ。

参考までに、 ブエノスアイレスのルフトハンザ航空事務所です。

▼ルフトハンザ航空アルゼンチン
Lufthansa Reservierungsbu"ros:  Argentinien
Name    Lufthansa Reservierung
Stadt    Buenos Aires
Telefon    (+54) 11 5354 2333
Telefax    (+54) 11 4313 1092
O"ffnungszeiten   
O"ffnungszeiten: Montag - Freitag 9:00 Uhr - 18:00 Uhr

▼ルフトハンザ航空ブラジル
Lufthansa Reservierungsbu"ros:  Brasilien
Name    Atendimento Telefo^nico para o Brasil
Stra?e, Hausnummer    Sa~o Paulo
Telefon    +55 21 4700 1672 (Rio de Janeiro)
     +55 11 4700 1700 (Sa~o Paulo)
O"ffnungszeiten
Montag    09:00 - 18:00
Dienstag    09:00 - 18:00
Mittwoch    09:00 - 18:00
Donnerstag    09:00 - 18:00
Freitag    09:00 - 18:00

▼ルフトハンザ航空24時間デスク
Lufthansa reservation:  Germany
Name    Lufthansa German Airlines
     Information and Reservation
Phone    +49 (0) 1805 - 805 - 805
Opening hours   
Open 24h daily.

■■後記
明日は128日、既に日本時間では8日ですね、当地では「カアクペの聖母の日」
となり祝日です。

筆者にとっては好都合な祝日、これは仕事をするという意味でですが、今日明日
集中してで何とかまとめ上げればスケジュール通りとなる。

ふー、祝日は祝日であってほしいのですが、致し方ない、因果な商売だ。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第127 2011128
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2011年12月6日火曜日

【世界の街角からMM】第126号 アスンシオンにて(7) 2011年12月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第126 2011125
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その7です。

▼目次
■ロシア下院選挙に見る日本での新聞報道
■世界の最先端に位置するパラグアイの郵便料金
■アスンシオンでプロポリスを購入

■■後記
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■ロシア下院選挙に見る日本での新聞報道

揺らぎ始めた「プーチン独裁」、下院選挙で与党失速

日本のマスコミはどうも表面的な数字に捉われた報道をするようだ。日本のメジ
ャーな新聞にこんなタイトルでロシア下院議員選挙結果を報じていた。

前回の選挙よりも与党は得票率を15ポイント近く落とし、KPRF他が躍進した。だ
からといって揺らぎ始めたと言えるのか、絶対に、そんなことはない。

与党統一ロシアは、KPRF(共産党)を除いた他の野党(LDPRA Just Russia
と連立を組める体制にある。A Just Russiaはクレムリン製のようだし、ジリノ
フスキー党首のLDPRだってプーチン体制に沿った政党だ。それに野党にはプーチ
ンクラスの対抗馬がいないではないか。だから独裁は揺らがない。

速報値(NOVOSTI)
United Russia 50.5
KPRF 19.13
LDPR 11.67
A Just Russia 13.03
Yabloko 3.06
Patriots of Russa 0.96
Right Cause 0.58

今回の選挙結果は、経済状況を反映したのであろう、前回の選挙は、リーマンシ
ョック前になる。

■世界の最先端に位置するパラグアイの郵便料金

日本から雑誌類をスモールパケット(2kg内)で送ってもらっている、料金は300
0円以内が通常だ。受取がセントロにある中央郵便局となる。現在、改修中で、
窓口は裏の道路沿いにある。

以前から出張中に絵葉書を出してとリクエストされていて、数年経ってしまった。
先日、本屋で絵葉書を売っていたので数枚購入した。一枚3,500PYG(70円相当)、
印刷の質から考えたら高いなと思いながら他に選択肢があるわけではない。

先週末、こもっていたので気分転換に何年かぶりに絵葉書を書くことにした。そ
して、それを郵便局へ出しに行くのだが、その辺にあるわけではない。確認にし
たら、近くの.Villamorra shopping2階に郵便局があるというので仕事の帰り
によって絵葉書を出してきた。ここは、921時、月-日(休みなし)で営業し
ている。

航空便で葉書は日本までいくらかと聞いたら「16,000PYG」という返事、えー、4
米国ドル相当(320円相当)じゃないの?

もう一度確認しても安くはならなかった、郵便料金は「16,000PYG」だそうだ。
そして私も高いと思うと職員が漏らすほどだ。7枚出すので合計112,000PYGを支
払い、職員は2人しかいない。物珍しそうにもう一人の職員の我々の会話に参加
する。

郵便料金表があったので確認した。10月に値上げしたばかりであった。郵便料金
は日本までが高いというわけではなく全地域高い。日本はグループ10(アジ
ア)、絵葉書航空便(封書20gまで)が16,000PYG4米国ドル相当となる、地球
の裏側だから高いのかと言うとそうではなく近隣諸国のブラジルやアルゼンチン
向けは同じ封書20g13,000PYGとなる。

2kg(印刷物)だと311,000PYG(6,000円相当)となり日本からパラグアイへス
モールパケット扱いで送る料金の約2倍に相当する。

この料金設定、近隣諸国も同じなのか、南米諸国は概ね同じなのか、パラグアイ
郵便特有なのか調べてみたくなる。アフリカでもこれほど高くはないはずだ。

パラグアイの郵便料金は、先進国途上国を問わず、世界の最先端に位置している
という印象を持った絵葉書投函でした。

なお、国内向けは民間業者が参入し、例えばクーリエサービス会社のフェデック
スの子会社がサービスを提供している。

世界最先端の郵便料金を課しているパラグアイ郵便

■アスンシオンでプロポリスを購入

帰国が近づいてきたので何か日本へ持ち帰るパラグアイ産品はないものかと物色
しているのですが、これはというものが見つかっていない。

先日、何かのきっかけで「プロポリス」という言葉が目に入った。そういえば、
蜂蜜を売っていたのであるかもしれないし、ブラジル産が有名だということを思
い出したのです。

それで、アシスタントに聞いてみたところ、Mariscal Lopez Shoppingの1階にL
a Casa de la Mielという栄養剤を扱っているショップにプロポリスが売ってい
るというので行って来ました。

確かにプロポリスが売っていました。錠剤、スプレー、液体、混合品と種類がた
くさんあって選択に迷いましたが、一番オーソドックスな30mg(51,000PYG、10
00円相当)のプロポリスとプロポリス入り蜂蜜150g15,000PYG、300円相
)を買いました。プロポリスは、パラグアイ産ではなくブラジル産でパラグア
イでは製造していないとのこと。プロポリス入り蜂蜜は、ショップのブランドだ
ったでパラグアイ産とのこと、でもプロポリスはブラジル産でしょうね。

余談ですが、お値段が気になったのでウエブを検索したところ、日本では4-
倍の値段でした。1990年代後半にルーマニアで買ったのは2-300円だっ
た記憶です。 薬局で普通に売っていました。

プロポリス(propolis)は、植物が分泌した様々な物質をミツバチが採集した粘
着性の物質で、営巣などに用いられ、蜂ヤニともいうようだ。語源はラテン語の
pro(=前、防御)とギリシャ語のpolis(=都市)である。

「防衛都市」という直訳になる、その名に相応しい効能があるそうだ。当地では、
火傷にはよく効くと聞いた。アロエでは治りそうにない火傷にプロポリスを直接
塗ったら、綺麗に治ったという。

化粧品、日焼け止め、消毒抗炎剤、点眼剤、鎮静剤、ヘアスプレーの材料、バイ
オリンのつや出しなど、基本的に抗菌採用が挙げられる。

プロポリスと人間との付き合いは長く、古代エジプトのミイラを作る際の防腐剤
として利用されていたし、古代ローマでは「天然の抗生物質」として用いられ、
東ヨーロッパでは伝統的に薬用に用いられてきた。

先日、ルーマニアで10年前に買ったプロポリス、10瓶ほど冷蔵庫に保管してあ
ったのですが、命令が下り、整理をさせられたのです。 プロポリスの効能はせ
いぜい3年なので、まあ、整理すべき時期を大幅に超えていたのですね。

その他、健康食品や抗癌作用として一時注目を集めていました。ミツバチは、プ
ロポリスがもつ殺菌力によって細菌やウイルスから身を守っているといわれてお
り、一定の殺菌性、抗酸化性、抗炎症性、抗腫瘍作用が報告されているのでそれ
にあやかりたかったのかもしれませんが、科学的には、その効果は言われている
ほどではないようです。しかし、火傷に効くということは事実のようです。

■■後記
ロシア下院選挙結果の報道内容が気になったが、見るべき人が見ていれば大衆向
けは何でもよい、日本で何か合意形成をするわけではないので。これはロシアの
報道に限ったことではない、日本のメディアは海外のことがだいたいこんなとこ
ろだ。

質の高い報道をされると外交を司る外務省も困ってしまうのかもしれない。
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2011年11月29日火曜日

【世界の街角からMM】第125号 アスンシオンにて(6) 2011年11月27日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第125 20111127
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その6です。

▼目次

■隣国の資源国ボリビアと非資源国パラグアイ
Enpedradoとアスンシオンの道路ネットワーク

■■後記
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■隣国の資源国ボリビアと非資源国パラグアイ

南米の資源国にすり寄る日本、飴は経済協力という名の円借款供与。それがタイ
ドならね、そろそろタイドに戻した方がいいんじゃないかな。

資源外交(2) 途上国に経済協力を活用

これはボリビアの話、ウユニ塩湖にリチウムが山ほどあるそうな。中国がレア
アースをストップした時に注目された。資源はあるが、ボリビアではそのリチウ
ムを取りだせないので採掘権を外国の会社へうろう、それが基本的なアイディア。

ではどこへ売ろうか?

経済協力をしてくれるの、そう、それじゃあなたに、いや、こちらこんなアイデ
ィアもあるよ・・・
どっちにしようかと天秤にかける。

そんな天秤に乗せられる外交なぞしてはいけない、絶対に。

面白いと思ったのが日本・ボリビア共同声明、こんな外交も絶対にすべきではな
い。何やら地熱発電所に円借款供与、総額約100億円、当時の首相が最初は50億、
そして話が進んだら残りの50億円と言っている。そんな話に誰が乗るかって!
日本・ボリビア共同声明

この国と隣国パラグアイが1932-38年に戦争した。事の発端は、1928年、スタン
ダード石油がチャコ地方のアンデスの麓(ボリビアとパラグアイの国境付近で当
時はその国境線が不明確だった)に石油が出ると情報を流し投資資金がボリビア
に流れ込んできた。

もちろん米国代表のスタンダード石油=ロックフェラーはボリビア側につき、英
国代表のロイヤル・ダッチ・シェルはパラグアイ側についた。

そしてどちらに石油があるのか、そこはボリビアなの、それともパラグアイ?よ
って国境線の問題が急浮上、ボリビアは、石油を産出してそれを輸送する港を持
たなければならない。それにはラプラタ川の流域にあるパラグアイを攻めるしか
ない、と考えたのだろうか。

1928年末、ボリビアはパラグァイ川に石油積み出しのための港湾施設をグラ
ンチャコに建設、パラグァイ軍は周囲に監視哨を設けた。散発的な銃撃戦が開始
されボリビアはパラグァイ軍の攻撃だとして国際連盟に提訴するが、時間稼ぎで
あったのだろう、小競り合いが続いた。そしてトリガーを引かれ戦争状態となっ
た。これが「チャコ戦争」という。

丁度、この時期にパラグアイはメノナイト派のキリスト教徒を誘い、チャコ地方
に入植させ、屯田兵的に位置付けているのは興味深い。

ボリビアは第1次大戦の東部戦線で戦ったドイツの退役将軍クンツを雇い入れ、
軍備拡張に走った、他方、パラグアイは予算不足で帝政ロシアの将軍を呼ぶこと
にした。

1936年、中立6ヶ国委員会(アルゼンチン・ブラジル・チリ・コロンビア・
ペルー・米国)は両国の休戦を宣言し、平和条約は1938年ブエノスアイレス
条約として発効した。

パラグァイは係争地グランチャコの大部分を確保し、ボリビアはパラグァイ川の
自由航行権と港湾利用権およびパラグァイ川へアクセスする狭い回廊を得た。

両国が疲弊した戦争は終わった、油田のあるアンデスの麓はボリビア側に属する
ことになったが石油はそれほどでないようだ。現在、天然ガス田が発見されたと
聞く。しかし、ボリビアは内陸国、海へ出る道がほしい。それが、パラグアイ川
と言う内航水運だ。自由航行権があるものの、その航路はパラグアイ側に依存し
ている。世の中バランスしているのだろうか、良くできている。

昔も今も、利権が重要なのです。生半可な外交では今後の日本が心配です。

Enpedradoとアスンシオンの道路ネットワーク

アスンシオンの街路に多い石畳の舗装を「Enpedrado」という。

デコボコなので走り難い、よって自動車がそういう舗装路は避けるから良いのだ
という。

このEnpederado、厚さ150-200mmの石を敷き砂(150-200mm)の上に人力で敷いて
いく。

私は好きではない、風情はあるが。

アスンシオンの道路ネットワークの階級が良くわからない。幹線道路だけでは容
量がオーバーしているようだ。住宅街の街路が走り易いアスファルト舗装だと需
要を喚起して交通量が増加する。

もともとアスンシオンの都市構造の特徴から交通問題が発生しているように感じ
る。道路容量を一時的にオーバーするためではあるが。

アスンシオンはパラグアイ川のほとりに位置し、その先は川、川の先は大平原。

市街地は片岸に発達したので、どん詰まりとなっている。中心であるセントロは
その一番奥のパラグアイ川に近い場所に立地している。商業の中心地であり、住
宅はその東側に広がっている。

最近では、商業業務地区がMariscal Lopez ShoppingShopping del Solとの間
に多く集中し、ジワリジワリと郊外へ拡大している。

del Solの前あたりにWTC、20Fが4棟建つようだ。
n-del-world-trade-center/

そうすると、移動のパターンが単純になる。

通勤するときは、周辺からセントロに人が移動し、仕事が終わるとセントロから
北東、東、南東へ人が移動する。

工場が南東に位置しているのでその移動もある。

要するにドン詰まりなので拡散しない、よって、一定の時間帯に詰まってしまう。
低密度な街なのに、道路が有効に使えていない。

どうにかならないのか。

公共交通機関の導入だろうか?この街もトラムが以前運営されていたが、自動車
交通に圧されて廃止された。線路だけは埋め殺しになっているので時々みかける。

誰でも考えられるが、トラムの代わりに「MetroBus」という機関バスを導入する。
IDBOPECが融資するとニュースに出ていた。軌道系のトラムより建設費が安い
し工期が短い。
do-y-san-lorenzo/

国全体から見てもアスンシオンはドン詰まりだ。西の端に位置し、パラグアイ川
の向こうはアルゼンチンだ。しかし、橋はなく、その向こうに都市もない。

Enpedradoの話だったがややそれた。序でにもう一つ舗装の話を。土の舗装を「E
nripiado」という。天然玉石を土に混ぜローラーで転圧した仕上げだ。これだと
雨が降るとドロドロになると聞いた。

■■後記
平たい国パラグアイ、資源は山の中に必ずしもあるわけではないが、パラグアイ
平原にはなさそうだ。いや語弊がある、シェールガスの埋蔵量がかなりあるとの
レポートが出ている、しかし、商業的に採掘可能かどうかは別問題のようだ。

そんな資源よりパラグアイには川がある、パラナ川だ。この水を使えばよい、今
もイタイプとジャスレタの2水力発電所の発電の殆んどを輸出しているのだから。

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【世界の街角からMM】第124号 アスンシオンにて(5) 2011年11月27日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第124 20111127
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その5です。

▼目次
■高いと思ったがやっぱり高かった「illy」のコーヒー豆‐アスンシオン
■片言の日本語を話すおじさんの韓国料理屋-アスンシオン
Crown Plaza Asuncion のカフェ

■■後記
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■高いと思ったがやっぱり高かったillyのコーヒー豆‐アスンシオン

illyのコーヒーは個人的に気に入っている。日本から持参した1kg500g x 2)
城石井のコーヒー豆が無くなったので豆をスーパーマーケットで探したがまとも
そうなパッケージにお目にかかれなかった。それで、ネット検索したらアスンシ
オンに販売店らしきリストが出てきた。
rld/americas/

事務所帰りに販売店に立ち寄ったら、隣がショールームになっていて試飲ができ
た。このコーヒー、旨いのですね。エスプレッソマシンがないとこの旨いコー
ヒーにありつけないのだが、何とかフィルターで、若しくはトルココーヒー風に
入れて飲もうと豆だけ購入することにした。

値段を聞いた時に高いと思ったがやっぱり高かったillyのコーヒー豆250g、アス
ンシオンの販売店でのお値段は、250g入りの缶が、

122,588PYG/4050=USD30.27x79=2,391円相当となる。クレジットカード払いで手
数料なしでの支払いが可能だったので相当高い値段設定との印象を受けたものの、
購入した。

ホテルに戻って日本のウェブで確認したら同じのが1,365円だったので1,000円も
高い、途上国の典型か、暴利をむさぼり過ぎだな?その前に事前に値段を確認し
ておくべきだった。

値段より、どこでillyのコーヒーを飲めるのか聞いた方が良かったかもな。

米国のillyのサイトだとUSD29のようだ。そう考えるとアスンシオンの価格設定
はそれほど外れていない、南米の内陸国なのだから。いやいや、これは2缶の値
段だ。つまり一缶USD14.5ということになる。やっぱり高い。2缶の値段で1缶
を販売してしまったのかも知れない。これは確認してみる価値がありそうだ。
ound-espresso-coffee


■片言の日本語を話すおじさんの韓国料理屋-アスンシオン
「国民学校」、「昭和17年」、「日本語、しばらく使っていない」などの片言の
日本語を話す韓国人の経営する韓国料理を発見した。

発見したと書いたのは、アスンシオン在住の日本人、日系人に聞いても情報を得
られなかったからだ。 それでメルカド・クワトロ周辺に韓国料理屋が集中して
いることから、ハングルの看板が韓国料理屋だろうとの前提で現地調査を実施し
た。

趣旨は韓国の家庭料理(焼肉だけでなく通常の韓国料理を出すレストラン)を出
すレストランを探すこと。これでアスンシオンの食生活が豊かになる。 これま
での情報でペルー通りにあるY-Hack(Ave. Peru 1091, Tel.021-208 578)1軒の
みが家庭料理(スンドゥブやユッケジャン、オジンポックン等)を出すことはわ
かっていたが、必ず他にもあるはずだとの信念の下、聞き取りを続けた。参考ま
でにこのY-Huckは15年営業していると(女将さん)。

日本語を話すおじさんの韓国料理屋の名前は「アブエロ?」、その前は「マン
ナ」だった。Abueloアブエロってスペイン語で「おじいちゃん」という意味か
な?

場所はDr.Jose Gaspar Rodriguez de Francia通りからPal Perez通りを右折、Si
lvio Pettirossi通りの手前左側にある。徒歩ならSilvio Pettirossi通りからPa
l Perez通りへ曲がり(下り坂)右側にある。
Google map
-25.295176,-57.625276

この店の反対側にももう一軒韓国料理屋があるが、聞き取りにいったが私のスペ
イン語(ほんの少し)と韓国語能力(なし)では家庭料理を出すのか否かは判断
が付かなかった。 そのとき、このおじさんの店が閉まっており韓国料理屋があ
るとはわからなかった。ドアの内側にハングルが書いてあり、ドアを閉めると見
えないようになっている。2階がカラオケのようだ。

この店は2週間ほど前に発見していたが、昨晩、やっとその店に知人と行って来
た。20年以上にわたりパラグアイとお付き合いがある人だが、初めてというこ
とだった。その昔は、ペルー通りにあった店かも知れないという。

日本語のメニューあり。オジンポックン、ブルコギ、スンドゥブなど10種類程
度はあった。次回は写真をとってこよう。

二人で2品( オジンポックン、ブルコギ)注文しただけで十分だった。写真の周
囲は韓国料理に付いてくる小皿類。オジンポックン、ブルコギ共期待を外さない
味付けだった。特に白米の炊き方が良かったのかいい味を出していた。

25年営業しているとおじさんが言っていた。「昭和8年」、「国民学校5年」
とも言っていたが、「昭和8年生まれ」なのかもしれないが、想像の域を出ない。

とても愛想の良い韓国料理屋だし、味もよい。ペルー通りの店より好きになりそ
うだ。

写真

Crown Plaza Asuncion のカフェ
セントロにあるクラウンプラザ、インターコンチネンタル系列の五つ星ホテルだ。
Cerro Cora 939にある。

用を足せず歩いていたら、カフェが視野に入りちょっと覗いてみることにした。
そしたらカウンターの中に赤色のillyのトレードを発見、飲まずには帰れないだ
ろうとちょっとブレイク。

客は宿泊客しかいないのだろう、閑散としている。ダブル・エスプレッソを注文。

ウエイターが年寄りばかり、衣装はしっかりしているがあまり礼儀正しくない。
カウンターの中から包丁を振り回しながらス少し待てという。

五つ星には目をつぶらないといけないのかもしれない。

サーブされたダブル・エスプレッソ、味はillyなのでまあまあだが、温い。私は
温いエスプレッソはエスプレッソとは認めない。 がっかりだ。16,500PYG也。

箱はしっかりしていそうだなのだが。 ホテルに入ったときもそうだった。レセ
プションには誰もいなかったのだ。
Cerro Cora 939 Asuncio'n, Paraguay
(0)21 452 682
crowneasuncion.com.py?

google map; -25.295176,-57.625276

写真

■■後記
味にはこだわる。

それはどこにいても同じだ。

コーヒーは特にだ。普通に入れれば美味しいコーヒー豆なのだよ「illy」は。

「アブエロ(お爺ちゃん)」、足を使った甲斐があった。またいこう。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第124 20111127
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2011年11月27日日曜日

【世界の街角からMM】第123号 アスンシオンにて(4) 2011年11月27日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第123 20111127
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。日
本からだと丁度地球の裏側になる。この国での滞在メモ、アスンシオンにて、そ
4です。今回は日本との関係で重要な日本人移住のことです。

▼目次
■パラグアイへの日本人移住略史
■日本政府の支援
■日本人移住者とパラグアイ経済
■■後記
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前号でも触れたパラグアイにおける日本人移住の歴史、もう少しパラグアイとの
関係を含めて現状をレポートしておこうと思う。

パラグアイへの移住は第2次世界大戦を挟んで二つに分けられ、戦後は1952年に
移住が再開され、南部のイタプア県に入植が始まった。

一時、コーヒー農園の農業労働者としての移住を行ったが数年後に農園が倒産し
た失敗から、土地を所有する農業経営者としての移住が行われた。

時は、日本が高度経済成長へ向かう時期だった。

移住政策は雇用対策の一環として行われたことから、国内経済が回復し成長して
いくことで激減しているが、パラグアイの場合1991年まで継続している。

現在にいたっては、日本人移住者は数百ヘクタールの農地を所有し、大型農業機
械を導入、農業法人的な規模での農業がおこなわれ、移住者はその経営に注視す
ることとなり自らの農地に赴く人は少ないと聞く。

現状が把握できればと思い机上での資料を読み概略をまとめることとした。参考
資料が、移住者側からのものが多く、客観的な視点では次回以降となる。

■パラグアイへの日本人移住略史

▼移住開始
1936年、ブラジル政府が新規移住制限(1934年)を設けたため、移住先としてパ
ラグアイが検討され、アスンシオンから南東約130km、現在のラ・コルメナ地区
の土地購入を決定、1936年にパラグアイ政府はブラジル拓殖組合に対し、日本人
移民100家族を受け入れる許可を出した。

ブラジルで入植経験がある4家族33名の日本人が、新移民を指導する目的で、
ラ・コルメナ移住地に到着、その後4家族36名が到着した。

1936812日、日本から最初のパラグアイ移民として11家族81名が到着した。
第2次世界大戦により日本人移住が途絶える1941年までに123家族790人が移住し
た。

▼戦後の移住
1952年にパラグアイ政府が日本人移住受け入れ再開を決定し、戦前の移住地であ
るラ・コルメナ地区へ18名が入植した。

また、パラグアイ政府は南部開発のためイタプア県に新たにチャベス移住地を新
設し、入植を許可した。

1955年、イタプア県フラム移住地への入植を開始

1956年、フジ移住地、

1956年、アマンバイ県CAFECompania Americana de Fomento Economico)農園
への契約雇用農民(コーヒー栽培)として、137家族の日本人が入植、しかし、3
年後に同社は倒産したため、アマンバイ移住地の入植者は他の農作物の生産や商
業に従事することになる。

1957年、ラ・パス移住地、サンタ・ロサ移住地にまで拡大した。

1959年、日本・パラグアイ両国政府は、「日本・パラグアイ移住協定」を締結し、
以降30年間に亘って85,000名の日本人移住者の受入が決定される。

1960年、現JICAは、現在のイタプア県ピラポ地区に土地を購入し、26家族が入植
した。

1961年、アルト・パラナ県イグアス地区に約87,000haの土地を購入。イグアス移
住地は、パラグアイで最大の移住地となった。

現在、人口規模ではピラポ移住地が最大となっている。

イグアス移住地(87,700ha182世帯、832人)
ピラポ移住地(84,000ha235世帯、1,279)

地方の移住地の他、アスンシオン市及び近郊には2,000名を超える日系人が居住
し、エステ市及び近郊に130人、エンカルナシオン市及び近郊に340人の移住者が
居住している。

都市と地方(居住地)との比率は。都市に約2500人(38%)、移住地に約4000
62%)となっている。都市近郊では農業従事者が多く、純粋に都市住民として
はそれよりかなり下回るのと推測される。

パラグアイの日系人の合計は、1,506世帯、6,479人(JICA)となっている。パラ
グアイ全人口に占める日系人は、約0.1%ととなる。

■日本政府の支援

パラグアイの大豆生産増加に向けてパラグアイの土地に適合した新種の大豆開発
を行うために技術協力として以下の事業をイタプア県で実施した。その他、不耕
起栽培技術の導入により、土地浸食の防止、コストの最小化、生産量増加を達成
でき、農業技術に革命的な変化がもたらされた。その結果、大豆は、パラグアイ
の主要輸出作物の一つとなった。

1) CRIACentro Regional de Investigacion Agricola、地域農業研究セン
ター)
2) CEMACentro de Mecanizacion Agricola、農業機械化センター)
3) CEDEFOCentro de Desarrollo Forestal、林業開発訓練センター)

この他、日本政府は、農産品の輸送や生産・商業化促進をはじめ、農業基盤など
のプロジェクトを支援してきた。

参考:在パラグアイ日本国大使館

日本人移住を支援していた移住事業団は、国際協力事業団に統合され、現在は、
日本のODA実施機関として国際協力機構(JICA)という名称になっている。

JICAパラグアイ事務所によれば、重点地域と言うのがあり東部4県を指定してい
る。この4県には、日本人移住地がほとんど含まれている。

JICAパラグアイ事務所

これまでの対パラグアイ国への支援累計

■日本人移住者とパラグアイ経済

日経移住者が大豆栽培を導入したことにより、最大輸出産品となりパラグアイ経
済への貢献が盤石なものとなった。

農業に従事している日本人移住者は、パラグアイの農業従事者の約1%に相当し、
大豆栽培でいえば全国生産量の2.3%2006年)、小麦に至っては7%2007年)を
日系人が生産している。

移住者によるトマト、大豆、小麦及び卵の生産は、パラグアイの農業に多大な貢
献をしている。特に大豆輸出に関しては、日系人が果たした役割は非常に大きい。

チャベス移住地、フラム移住地に入植した移住者は、当初、近隣のドイツ人移住
者の農業を模範とし、短期作物であるトウモロコシ、長期作物である油桐やマテ
(茶葉)を栽培していましたが、当時の農産物価格は非常に安く商業化は上手く
いかなかった。

その状況下、移住者は模索し、日本から持ってきた大豆の種子で自給自足用に大
豆の栽培を始めた移住者がいた。この大豆が豊作となったことに農協が注目し、
大豆を移住者の主要農作物として輸出する方法を検討し始めたのです。

1959年年2月、イタプア県農協会を構成するチャベス、フジ、ラパス、サンタロ
サの4移住地の農協が協議を行い、大豆輸出を開始したことでパラグアイ産大豆
が注目を浴びるようになった。

現在では、最大輸出品目となり、大豆関連産品で輸出の約80%を占めるほどに成
長し、パラグアイ経済の大黒柱に成長している。

その他、日系人移住者は、蔬菜類、穀物、柑橘類などの短期作物・長期作物の生
産や養鶏など、様々な農業分野で活躍している。

野菜や果物類がパラグアイ社会に浸透したのは、ラ・コルメナ移住地の日本人が
導入したと一般のパラグアイ人は感謝の気持ちをよく表現するし、スーパーで見
かける鶏卵は、Maeharaと刻印が押してあるのがほとんどだ、これは日系人の鶏
卵業者である前原農場の生産である。

■■後記
移住の歴史は、日本がまだ途上国であった時期に雇用対策として始まったと聞い
ている。それは太平洋戦争前のことであり、戦後は高度経済成長となる1960年代
初頭までではないかと思う。パラグアイの場合、この移住事業が90年代初頭まで
細々と続いていたのは、お役所仕事だったからだろうかと思う。

なぜ止めてしまうのか、日本で補助金農業をやっているくらいならばもっと農業
移住を推進させることにより、日本の農業を活性化できるのではないだろうか。

それから多くの国立大学に農学部があるが、農業以外の業種に進むのならば農学
部の意味がない、卒業生をもっと海外へ送る支援をすれば、これまた日本の農業
に刺激を与えられるし、大学ももっと国際化するんだろう。

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