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2020年8月31日月曜日

【世界街角通信MM】第313号 東京にて(復刻版) 2020年8月31日

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メールマガジン「世界街角通信MM」第313号 2020年8月31日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

「中近東通信」は2017年11月初旬よりNo.28までお届けし2019年11月をもって一
旦終了、積み残しは時間が取れ次第お届けいたします。

このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという主旨、その時々の情報や印
象を記録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は2月14日でした。

今回から当時をメルマガを再度掲載していこうと思います。
また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です。

しばらく当時を振り返ろうかと思います。

▼目次(2009年2月21日第2号)
■大陸の明かり-インチョン-タシケント便
■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
■タシケントのホテル-値上げ
■■編集後記

★本文★
■大陸の明かり
インチョンから飛び立ったアシアナ航空OZ573便、A330-200は北西方向へ進路を
決め、右手に大連、左手に青島を結ぶラインの中間を目指してにポジジョンをと
り黄海を横断し前方の天津を目指す。そして、北京上空を迂回し、さらに大陸を
横断するように奥地の北西方向へ飛ぶ。

フライト時間は7時間50分が予定されていた。インチョン空港が17時20分に発ち、
21時10分にタシケントへ到着する行程だ。夕方出発なので窓の外は闇の世界、特
にこの日は曇天でインチョン周辺も島が若干見えた意外は霞んで雲以外見る対象
が無かった。

予断だが、席はガラガラ、旅行代理店の話だとシートの予約がリクエストしか入
らないというので混んでいるのかと思ったが、その逆なので予約が入らないのは
まったく意味不明だった。カウンターで聞いたところ、アシアナ航空へ直接連絡
すれば予約できるとのこと。

タシケント到着、1時間半くらい前だろうか、スクリーンのフライト状況を見る
とYiningの南、タクラマカン砂漠上空であろうと思われるポジションを映し出し
ている。窓の外を見たら暗闇の中に2箇所(進行方向右側)街の明かりが見えた。

スクリーンではこれ以上詳細が表示されないので、機内誌のフライトルートマッ
プをめくるも日本航空のような比較的航路に忠実なマップではない。よってはっ
きりしないが、機体はタクラマカン砂漠上空を航行しているので新彊ウイグル地
区の都市だろうかと勝手に想像した。

大陸の街の明かりは、20数年前にアテネから南回りの日本航空で帰国するときア
ラビア半島上空で窓の外から見えた鮮明な街の明かりを思い出させた。

■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
出張準備で渋谷ビックカメラのフィルムコーナーへ立ち寄ったら生産中止された
スペクトラ用のフィルムがまだ売っていた。今はもう商品の数が少なくなったが、
それでも10パッケージ以上は陳列されていた。

これは買わないとと思い3本セットのパッケージ、5980円、を購入、一枚当たり
の単価を計算したらなんと200円ではないか、これでは、デジカメとは競えませ
んね。

家に戻って早速もう何年も使っていないポラロイド社のスペクトラを押入れの奥
から持ち出し、フィルムを充填、我が家の住人、子犬だが、をモデルに試し撮り、
なかなか静止していてくれませんが何とか撮影に成功。

ポラロイドカメラのシャッターを押すと、カシャ、キーといって本体前から写真
が出てくる。しかし、このときはまだ真っ白、しばらくすると画像が浮き出てく
る。味わいがありますね。でも世代が変わると「ポラロイドって何ですか?」と
いうことになりそうだな。

ポラロイド社スペクトラの仕様(ヤフオクより転載)
画面サイズ  72×91mm
ピント合わせ 超音波AF
撮影距離   0.6m~∞ アダプター使用時0.25~
ファインダー テレスコーピック 
シャッター   電子制御 1/245~2.8秒 
露出機構   電子制御AE 明暗調整±2/3
使用フィルム Polaroid Spectra Film ISO600
ストロボ    内蔵固定式 発光停止撮影可
使用電源   フィルム内蔵ポラパルス板電池
フィルム装填・給送 フィルム位置合わせ、自動送り出し
フィルムカウンター カウンター窓 自動復元残数表示
大きさと質量    70.6×160×142mm 807g
大きさ      90.6×160×142mm (開いた時)
その他      セルフタイマー コントロールパネル
1986年物価目安   大卒公務員初任給約¥144,500- 1ドル160.10円

■タシケントのホテル-料金値上げの不思議
2009年より大幅な値上げを実施したホテルが多いようだ。今回、泊っている
Dedemanは65から85米ドルへ、Radisson SASは70から130米ドルへ値上げした。こ
の意味がよくわからないのがこの国なのだが、外貨建てで料金を徴収している
(実際の支払いの際にSUMに換えている)のだからホテルビジネスの場合、外貨
ポーションの割合は低いはずなので世界経済危機に便乗した値上げではないだろ
うかと推測している。

インフレーションは年率xx%(公表)であるものの、ドル建てで宿泊費が支払
われているので、影響は少ないはず。まあ、素人的な判断だとこういうことにな
る。

因みに、現在の為替公定レートは1USD=1427Sum(2月14日)である。

ウズベキスタン中央銀行
http://www.cbu.uz/

Dedeman Silkroad Tashkent
http://www.dedeman.com/Tashkent.aspx

Radisson SAS tashkent
http://tinyurl.com/bbshl4

★本文ここまで★

▼前号 世界街角通信MM No.312の目次(創刊号)
■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
■予防接種
■13日の金曜日に出発
■タシケント再び
■■後記

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
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■■後記

この時、ホテル代関連して為替レートのことを書いているが、公定レートで米ド
ルを交換する人は何らかの理由がない限りしていなかった、というのが後でわか
ったことです。まだ、このMMを欠いている頃は限定的だった記憶、デデマンホテ
ル内に両替所があり、そこで両替しようとすると怪訝そうな顔を何度かされた。
ホテルだからかと思ったが、明確な理由があったわけだ。

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メールマガジン「世界街角通信MM」第313号 2020年8月31日
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2020年7月3日金曜日

【世界街角通信MM】第312号 東京にて(創刊号復刊タシケントへ)-2020-07-03

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メールマガジン「世界街角通信MM」第312号 2020年7月3日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
年初より諸般の事情と新型コロナ問題により滞っていましたが、まぐまぐから直近6カ月さぼっていたとのメールが届きましたので少しばかり更新を。さもなくば廃刊になるのでしょう。

通し番号がNo.310でしたが実際はNo.311でしたのでNo.312から継続します。

「中近東通信」は2017年11月初旬よりNo.28までお届けし2019年11月をもって一旦終了、積み残しは時間が取れ次第お届けいたします。

ビシケクに続いて、トルコのガジアンテップ、イスタンブールの予定でしたが

そもそも、このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという趣旨、その時々の情報や思考を記録しておこうと2009年2月よりウズベキスタン出張を機に始め創刊は2月14日でした。

今回から当時をメルマガを再度掲載していこうと思います。
また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です。

▼目次
創刊号の目次
■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
■予防接種
■13日の金曜日に出発
■タシケント再び
■■後記

★本文★
【世界の街角から】創刊準備号 2009年2月14日
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■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって

バレンタインデーに合せたわけでもないが金曜日に出張したので週末少し時間がとれることになり、創刊準備号を用意しました。記憶には残りやすいタイミングですね。

仕事の性格上、世界各地へ赴く機会が多い。特に日本人が行く観光地でない国が多く、それ故情報も少ない。旅行情報、現地での生活情報、社会経済情勢、国際政治など、それぞれの国や都市、人とのふれあいの中で肌で感じたこと等を書き留めておこうと思いメールマガジンを創刊することにしました。

なお、発行は随時としています。

写真を掲載している同名のサイトがあります。これはインターネットの商用化が開始された直後の1996年から運営してます。
フォトギャラリー世界の街角から http://www.iio.org.uk

■予防接種

巷では予防接種といえばインフルエンザとお決まりのようですが、私の場合やや状況が異なり予防接種はA型肝炎、B型肝炎、破傷風を接種してきました。これらの感染症に罹ることは途上国と呼ばれる国でも最近では稀でしょうが、備えあれば憂い無し、身体が資本ですのでその備えの一環です。

というのも、最近、知人の会社でアフガニスタンへ出張し、4人がA型肝炎にかかったと聞いたのです。また、ここ2年程度でマラリアに3人の知人が罹り、2人は日本で発症して倒れ救急車で病院へ運ばれました。そのうちの一人は意識不明が1日以上続いたそうです。また、もう一人の知人は緊急輸送でアフリカからパリへ運ばれたのです。

これまで罹りやすい肝炎(A及びB)の予防接種は既に3回接種しています。5-10年間程度の有効で、その後は1回で再度5-10年の効力があります。A型は既に10年経過していますが今回は追加1回(ブースターと呼んでいた)との判断でした。

A型肝炎は一度罹ると抗体ができもう罹らないと聞いているが、同じように抗体を作る予防接種に有効期限があるということは、これはどういう意味なのか確認する必要がある

破傷風は既に20年以上が経過しているので最初からやり直し、都合3回(2回目は2-8週間、3回目は1年以内)打たなくてはなりません。大地の子の中で破傷風に罹る場面がありました。今回は、似たような地域への出張ですので念のため最初からやり直しています。

20数年前にザンビアへ赴任したときは、ポリオ、狂犬病、破傷風、コレラ、黄熱病を接種、A型肝炎は当時は生ワクチン、3ヶ月か4ヶ月に1回、お尻にブスリとやられていました。マラリアはクロロキンというのを渡されましたが最初の1週間だけで止めました。これは錠剤ですがサイズが大きく非常に飲みにくかったからかもしれません。住んでいたルサカの標高は1200mだったので概ね問題ないだろうという希望的観測も飲まなかった理由でしょう。

今日も八重洲の鉄鋼ビルまで出かけてきました。右腕にB型肝炎(ブースター)、これで5年は大丈夫、左手に世間一般並みにインフルエンザの予防接種も受けてきました。打たないよりはインフルエンザに罹ったときに打っていた方が良いといわれました。予防は気休めで終わればそれで良し。何事も無く健康で仕事が続けらますように。

参考サイト:
海外渡航と予防接種う http://www.forth.go.jp/tourist/useful/02_tokou_yobou.html
財団法人 日本検疫衛生協会 http://www.kenekieisei.or.jp/index.html


■13日の金曜日に出発

「13日の金曜日」という1980年に公開されたホラー映画があったが、私の趣味ではないので観ていない。巡り合せではあるが、本日、2月13日金曜日に出かけることになったがあまり気分が良いものではない。

「13日の金曜日」は、キリスト教国、特に英語圏の多くとドイツ、フランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数の 13 と関係がある。カトリックのイタリアやスペインはというと、イタリアでは17日の金曜日、スペインでは13日の火曜日が不吉とされる。

13日の金曜日が不吉とされるのは、「イエス・キリストが磔刑(張付けの刑)につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている。」という俗説がある。しかしこれは、正しくない。

キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていないし、共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していないようだ。

最後の晩餐に13人いたということとイエス・キリストが磔刑にされたのが金曜日ということから「13日の金曜日」が不吉とされるようになったようだ。

インチョンからタシケントへのフライト、強い向かい風で予定より時間がかかったが兎に角無事に目的地に到着した。
Thanks God!

■タシケント再び
13日の金曜日、昼過ぎに成田を出発して、ウズベキスタンの首都であるタシケントに同日の21時半に着いた。タシケントはこれで3回目になる。近隣の国への往復を入れるともう少し多くなる。

中央アジアではタシケントは交通の便がよく日本からもアクセスしやすい。今回は、成田-インチョン-タシケントのルート、前回の2007年1月も同じだ。最初(1996年)は、まだ、韓国系航空会社も運行しておらず、成田-バンコク-タシケントのルートでバンコクからタシケントへはウズベキスタン航空を利用した。早朝の出発だったので窓から景色が良く眺められた。しかもヒマラヤに沿って飛んでいくので窓の外がいつに無く迫力があった。http://uz.iio.org.uk/uzbekistan.htm

今回と前回はアシアナ航空を利用した。昨年の8月から大韓航空がタシケント線を運行している。両社ともタシケントのほか、カザフスタンのアルマトゥ(旧首都)へも運行している。

成田-インチョンが2時間40分、インチョン-タシケント間が7時間50分、インチョンを定刻に出発したが向かい風が強く30分ほど延着となった。日本でも春一番が吹いていた日だ。家を出てからの時間を振り返ってみると16時間40分後にホテルにチェックインしたことになる。

タシケント空港は1996年に最初に来たときよりはかなり良くなっているが、アルマトゥやビシケク(マナス空港)と比較すると今後大掛かりな整備が必要な印象だ、特に観光立国でもあるウズベキスタンの玄関としては尚更だ。

今回、ビザは日本で1年間有効のマルチプルビザを取得してきた。なかなか取れないようだがクライアントからレターを発行してもらい、旅行会社にどうしても必要なので領事部にその旨説明するようお願いした。自分で申請すればよいのだが、仕事などの出発前は出来るだけ手を開けておきたい、その分、必要な手続きを万全にするようにした。

タシケント空港の入国審査は時間のかかるほうだろう、丁寧に確認しながら手続きを行なっている。そのため、5ブース(計7ブース(数はあやしい))が出入国管理官で埋まってはいるものの時間がかかる。それゆえ、他の乗客はバスから降りたら一目散で走っていたのだろう、私はのんびりと普段どおりに歩いていったので最後尾となってしまった。

その後、税関審査が待っている。ウズベキスタンは税関申告書2通を作成し提出、押印後、1枚戻ってくる。これを次の出国するときに提出する。現金5000ドルを超えると審査がややこしくなるというので少なめに持ってきた。この国ではないが、申告しなければならない金額以上だと、全て見せる必要があり、何に使うのかと何かと時間を取られた記憶がある。

税関審査は全ての荷物をX線に通すので、これもX線検査機が4機か5機あるが時間がかかる。キャリーオンの中にカメラやレンズを入れているので大概開けろと言われるが開ければそれまでだ。今回も開けろといわれたが誰も開けようとしないのでそのまま出てきた。
今回のフライトの乗客数はそれほど多くない印象だが、着陸してから1時間以上は入国審査と税関審査に掛かったことになる。元々乗客数の多い路線ではないので少しばかり遅れても安心感はある。ビジネスクラスは30席あるが埋まっていたのは8席のみだった。成田-インチョンもかなり少なかった印象だ。大韓航空が参入した影響だろうか。

タシケントの気候は2年前の同じ季節とは異なり、かなり暖かい印象です。東京と差ほど変わらないのでは。冬物のセーターを持ってきたが着る機会が無いかもしれない。

タシケント国際空港 http://www.uzairways.com/airports.aspx
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【世界の街角から】創刊準備号 2009年2月14日

★本文ここまで★

前号 世界街角通信MM No.310の目次
■アウンサンスーチーの苦悩
■ウクライナ東部戦線の停戦へ向けて独仏が仲介
■緒方貞子哲学
■南アのリスクが高まっている
■ソ連時代の高級ホテル、ウクライナホテル他
■■後記

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■■後記

冒頭の通りしばらくぶりです。
その時々のことをまとめておくことを念頭に置いていましたが関連ニュースの再配信的な内容も少なくなく、どうしたものかと。

今般、新型コロナで考える時間が多くなったのですが物事はなかなか具体的には進まず、それで、2009年から始めていますので10年経過していることから、当時何を書いていたのか、再配信してみようと思います。

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2010年3月7日日曜日

【世界の街角からMM】第48号 大家の言い訳 2010年3月6日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第48号 2010年3月6日
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タシケントでの大家の言い訳は国民性を表しているのか不思議なことが多かった。
ちょっとメモってみた。
▼目次
■大家の言い訳
■中央銀行のサイトから・・・
■■編集後記
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■大家の言い訳
ちょっと面白かったのでメモってみた。
1)キッチンの床が傾斜している
水はけがいいように斜めにしてある、でも床はフローリング。

(元々、ベランダを部屋に取り込む改造をしているアパートが多いがその時に排
水勾配でも取ったのか、元々ある排水勾配だからなのか、まったく不明)

2)ガスコンロの上の換気扇から外にダクトが出ていない。(つまり外へは換気
されない構造。)

特別フィルターが取り付けられているので問題ない。ウズベキスタンではこのよ
うな特別フィルターが設置してある場合が多い。
(素晴らしい返答だが、メカニズム的に換気されないことは考えていないよう
だ。それと他のCIS諸国ではどうか、検証の余地あり)

3)ドライヤーをハイにすると1分程度で切れる。
電話越しに事務所のスタッフと問題ないことを確認したと、スタッフもグルかと
思われるような素晴らしい返答でまったく問題ないとのこと。

後日、大家が来たときに目の前で実演してみたたら、当然、ハイにすると直ぐ切
れる、慌てて修理すると持ち帰った。しかしだ、新しいのに買い換えることはま
ったく視野になかった。

この頃、髪を洗った後、自然に乾かすには寒すぎるので何時修理から帰ってくる
かと思っていたら、3日経っても修理できていない、しかも連絡なし。結局、直ぐ
に返却せよと伝えた。

4)電子レンジの異音
これは面白くないのだが、ただただ強情なだけ。

電子レンジをオンにすると「バン」という音がするのでどこかに不備があるので
はとクレームしたら、持ち帰って修理するという。数日後、戻ってきたら、何と
「バン」といってからしばらくしてもう一度「バン」という音が出るようになっ
た。

もう一度、修理するか新しいのに交換が必要ではといいうと、プロフェッショナ
ルが修理したので問題ないとこれ以上対応しないという。現状で契約したので

これは契約時にクレームしてまだ解決していない問題点、ゆえに再三にわたって
説明しているのだどうも埒明かないようだ。

これがタシケントのアパートの現実。
当たり外れがあるようだが、これは相当な外れだろうと思っている。賃貸料はそ
れなりに高いので。

■中央銀行のサイトから・・・
ウズベキスタンの中央銀行のwebサイト(下記の為替レートのサイト)の何れかを
クリックするととんでもないサイトへ飛ばされる。

昨年、為替レートを確認していて、あれって思ったのだけど現在も変わっていな
い。もう既に修正パッチがあたっていることだろうが。

▼為替レート
1USD=1556 Sum (中央銀行商業売りレート)2010年3月5日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
こういうのを楽しんでいるわけではないが理不尽な強情さには参ります。
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2009年11月25日水曜日

【世界の街角からMM】 第40号 タシケントの日本人抑留者 2009年11月14日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第40号 2009年11月14日
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日本との関係でウズベキスタンを考えだ場合先ず日本人抑留者が頭に浮かぶ。タ
シケントにはその日本人墓地がある。
▼目次
■日本人抑留者の墓地を知ったきっかけ
■ウズベキスタンの日本人抑留者と墓地
■シベリア抑留中死亡者名簿
■なぜ抑留か?
■国際法上の取り扱い
■■編集後記
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■日本人抑留者の墓地を知ったきっかけ
タシケントに日本人抑留者墓地があるのを知ったのは、1996年2月、初めてウズベ
キスタンへ出張した時になる。調査団長が満州からの引揚者で、是非、墓参りを
したいという希望があり、その時の出張をアレンジしたUzbektourismの案内でヤ
ッカサライ市民墓地の一角にある日本人墓地へ調査団一同で墓参りをした。

■ウズベキスタンの日本人抑留者と墓地
タシケント市内南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人
墓地として整備されている。

第二大戦直後、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵約65万人(定説)が
スターリンの指示により強制的にシベリアに抑留され長年労働を強いられ、厳し
い環境の下、約6万人の命が失われた。山崎豊子の不毛地帯を読むとその過酷さが
よくわかる。ウズベキスタンでは、そのうち2万3千人の抑留者が強制労働に従事
し、817名がウズベキスタンで帰らぬ人となっている。

ヤッカサライ墓地には、タシケントより79名、タシケント地区墓地より8名、計87
名の日本人が眠る。隣接してドイツ人墓地がある。碑には1990年5月23日、もうひ
とつに碑には1995年10月1日の日付が刻まれている。両方とも福島県という文字が
読める。この意味はまだ理解していない。

抑留者の墓地は、ヤッカサライの他、タシケント市内のヤンギュリとハムジェン
スキイに墓地がある。ウズベキスタン国内ではタシケント州アングレン市、チル
チツク市、ボスタンデクス市、フェルガナ州コーカンド市、フェルガナ州フェル
ガナ市、アンディジャン州アンディジャン市、ブハラ州カガンなど13ヶ所に日
本人墓地がある。タシケント第四ラーゲリーの約500人の抑留者がウズベク人やロ
シア人とともに建設に従事し工事が中断していたナボイバレエ・オペラ劇場(タシ
ケント)が1947年に竣工したことはよく知られている。

ナボイ劇場は延べ床面積 15,000 平方メートル,観客席 1,400 で煉瓦(れんが)
造りのビザンチン建築である.日本人抑留者は,土木,煉瓦積み,彫刻,鉄工,
配線,大工,左官,電気溶接,測量など多岐にわたっていた。

◆墓碑に刻印された文字
◇永遠の平和と友好
不戦の誓いの碑
1990年5月23日
日ソ親善協会福島県支部

◇永遠の平和と友好の誓いの碑
1995年10月1日
日本ウズベキスタン友好議員連盟
福島県ウズベキスタン文化経済友好協会
ウズベキスタン国際文化教育交流国民協会

■シベリア抑留中死亡者名簿
元抑留者の村山常雄さんが平成19年(2007年)7月に「シベリアに逝きし人々を刻
す」題するソ連抑留者死亡名簿を刊行されました。その名簿によれば45815名が亡
くなり、ウズベキスタンでは2456名が収容され、うち、876名が亡くなっている。
なお、ソ連における日本人収容所はシベリアから西はウクライナまで広範囲にわ
たる。

第26収容所 〔アンヂジャン地区〕 33名
第288収容所 〔ベカバード地区〕 147名
第360収容所 〔ボスタンデグスキー地区〕 13名
第367収容所 〔コーカンド地区〕 241名
第372収容所 〔アングレン地区〕 134名
第386収容所 〔タシケント地区〕 261名
所属不明 47名

村山常雄さのサイト
http://yokuryu.huu.cc/

◆関連情報リンク
共同発表:日本国政府とウズベキスタン政府との間の抑留中死亡者をめぐる人道
分野における協力(仮訳)(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_02/uz_jan_ej.html

タシケント、古里を遠くはなれ生きた年月は
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/olient/olient27.html

夕鶴が舞ったナボイの夏(日本ウズベキスタン協会)
http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/06_yuuzuru_
shima.html

捕虜の汗「夕鶴」に実結ぶ、ウズベク「ナボイ劇場」のオペラ公演に感激(日本
ウズベキスタン協会)
http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/04_yuuzuru_
nagata.html

シベリア抑留日記(サウンドボリュームが大きいのでMuteにしたほうが良い。)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sho_un/sub1.htm

中央アジア地区の日本人捕虜収容所
http://www.page.sannet.ne.jp/mhvmhv/chuouasia.html

ウクライナ人捕虜からみた日本人捕虜
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html

■なぜ抑留か?
旧ソ連地域での日本人戦争捕虜の抑留は、スターリンがヤルタ会談で約束
された千島列島・南樺太の占領のみならず、トルーマンに北海道の分割占
領(留萌町から釧路市を結ぶ線の北東側と両市町を占領)を申し入れたが、
一蹴されたためその代償として捕虜をシベリアへ送ったという説がある。

この背景は、日本のシベリア出兵によってソ連は占領されたため、ソ連も日本
の領土を占領しなければ、国民の怒りが収まらない、という理由であったが、
日本の占領政策に影響を強めようとしていたと考えられいる。

■国際法上の取り扱い
国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金は、帰国時に証明書を持ち
帰ればその捕虜の所属国が支払うことになっている。日本政府は、南方地域
で米英の捕虜になった日本兵に対しては、個人計算カード(労働証明書)に
基き賃金を支払った。しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、日本
政府はそれを理由に賃金を支払わなかった。1992年以後、ロシア政府は労働
証明書を発行するようになったが、日本政府は未だに賃金支払を行っていな
い。(wiki)

以上のような説明がwikiにあったが、ソ連の継承国家であるロシアが労働証
明書を発行し、日本政府が賃金を支払えばこの問題がすっきりするのかとい
う疑問も残る。当時のソ連政府の行動はどのように考えたらよいのだろうか。

■■編集後記
近代日本の歴史は紐解く異議があり、義務教育で詳細に教義すべき内容だ
が私自身あまり記憶にないのは文部省がさほど重視していなかったからなの
か、単に私がサボっていたからなのかはっきり憶えていない。ただ、これらの
事実は大学に入ってから書物により徐々に事業がわかってきた。

ヤッカサライの日本人墓地以外、まだ訪ねたことがない。ブハラのカガンや
タシケント近郊のチュルチュクにもあり、今後は足を伸ばしてみたいと思って
いる。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第40号 2009年11月14日
発行責任者:飯尾彰敏
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世界の街角からMM 第39号 11月・・・暖房、新米、ハルビン 2009年11月2日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第39号 2009年11月2日
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エッセイ的に、今回はタシケント日常です。
▼目次
■11月・・・暖房、新米、ハルビン
■■編集後記
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■11月・・・暖房、新米、ハルビン
今週末はもう11月だ。時が過ぎ去るのはいつも早いが成果はいつも遅い。神に導
かれて・・・というコメントを以前いただいたがこう考えれば気が楽になるなあ。

今週は3つ肯定的なことがあった。ひとつは、ヒーター(地域暖房)が入ったこ
と、二つ目は、新米だ、そして三つ目はタシケントで新たな旨い中華料理屋に出
会ったこと。生活が滲み出ている内容だな・・・。

◆ヒーター(地域暖房)
ソ連の置き土産に地域暖房システムというインフラがあり、温水が各戸に供給さ
れパネルを通して輻射熱で暖房するメカニズムになっている。欧州では一般だ。
この暖房があれば冬でも部屋の中はTシャツ一枚で居られるほど快適なのだ。しか
し、この暖房がないと寒い。10月に入ってから気温が下がり始め、最低気温が一
桁前半になることがあったが寒くて夜は靴下を履いて寝た。が、もうしなくてい
よい。

冬場はこの暖房が効きすぎることがあり、調節栓はなく、窓を開けて調節すると
いう非常に非効率的な方法しかないのが非常に残念だ。

◆韓国新米
Mirabadの朝鮮系食材店で久しぶりにお米を調達した。久しぶりだったのは7月に
日本から持ってきた日本米があり、それを消費した後、以前買ったホレズム米
(ウズベキスタンのプロフに使用するお米)がさらに残っており、先週末までに
使い切った。

韓国米だというので中粒種か短粒種だろう、時期的に新米だ。これは旨く、1キロ
3000Soumなので非常にリーズナブル、水加減がやや難しく、今日はやや柔らか目
に炊き上がってしまった。

このお米、品種は韓国米のようだがウズベキスタンで収穫されたもの、朝鮮系が
作っているのだろう、ソ連時代のコルホーズは朝鮮系の成績が抜群によかったと
ある本に書いてあった。

ウズベキスタンに住んでいる朝鮮系は、元々は第二次大戦前に朝鮮半島からソ連
沿海州へ移民した人たちなので、ルーツは現在の北朝鮮になる。そういう視点か
ら米の品種は朝鮮系だろうか、韓国系だろうかとという疑問がわくがとりあえず
美味しいことが第一だ。

◆ハルビン中華料理
その名は哈爾濱中餐館という。最初のころにかなりチャレンジし新たなレストラ
ンへ足を運んだが、数ヶ月もすると飽和してしまい、リピートになってしまう。
しかし、今回は情報の質が異なる。中華料理の本家である某国大使館に打ち合わ
せに行ったときに聞いた情報なのだ。

「店はあまりきれいではないが味はよい」とのこと、それを頼りに行ってみた。
Minor地下鉄駅の近くを住宅街へ少し入ったところにハルビンはあった。看板が泣
ければ中華料理屋とは思えない。夜行ったのでよくわからないが、紅葉した蔦が
建物に絡まっていた。

メニューはロシア語と中国語のみ、周囲の客は中国人が多い。韓国人もいるなあ、
でも日本人は居ない。どちらのメニューが想像しやすいかといえば、そりゃ、日
本は漢字文化だから中国語メニューだよね。汁入り餃子(ペルミニ)、古老肉、
家常豆腐、等など。中華料理は大勢で行くに限る。

ロシア人の若い娘、アルバイトなのだろう、忙しく走り回っていた。英語がほと
んど通じないが情報どおりのこのハルビン、ここの味はファンになるだろうな。

■■編集後記
お天気はお天気、ここのところ暖かいが大陸性気候なので急激に寒くなるのだろ
うか、こちらの人が言っていたカラスが市内で見られるときは寒くなる、これは
あたりました、翌日の最低気温は3度でした。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第39号 2009年11月2日
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2009年10月23日金曜日

【世界の街角からMM】 第34号 アート・ウィーク in Uzbekistan 2009年10月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第34号 2009年10月19日
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10月12日から17日まで開催されたアート・ウィーク in Uzbekistanです。
▼目次
■ウズベキスタン・アート・ウィーク
■■編集後記
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■ウズベキスタン・アート・ウィーク
ウズベキスタンの首都タシケントで、10月12日から17日まで、芸術やファッショ
ンの祭典「Style.uz Art Week」が開催された。今年で3年目、ラインアップは”
VALENTINO”、”Sonia Rykiel”、”Oscar De La Renta”らのファッションョー
や”CHOPARD”のジュエリーコレクション展示など、ちなみに、ウズベキスタンの
デザイナーによるファッションショーが16日に芸術文化センターで開催された。
http://style.uz/

http://style.uz/en/news/all-roads-lead-to-valentino/

最終日となった17日土曜日には、英国人歌手”Sting”のコンサートがナボイ劇場
(Alisher Navoi State Academic Bolshoi Theatre)で行われた。ただし、入場
料は最低200米ドルからとのこと。最高の席は2000米ドル、知人が問い合わせた時
は1000ドルからだった。チャリティーという名目だそうだが庶民には、外国人で
も、手が届かない。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2653294/4765998

このstyle.uz Art Weekは同国でファッション、ビジネス、政治など幅広く活躍す
るグルナラ・カリモワ(Gulnara Karimova)、この国で最も有名な女性だろう、
が率いるForum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundationの主催。

過去には、”Dsquared2”、”Guy Laroche”、”Kenzo Takada”らも招待され、
ファッションショーなどのイベントを開催した。今年は”Kansai Yamamoto”が招
待されたが都合がつかなかったようだ。
http://j.fj1.jp/?eid=942804

◆ウズベキスタン文化・芸術フォーラム基金(ファンド・フォーラム)について
ファンド・フォーラムは国内の科学、文化、教育、スポーツを支援するために200
4年2月に設立され、若い才能と創造的な支配層を支援する著名な科学・文化の代
表者の知的リソースを統合するウズベキスタンの国民的伝統と強力な精神的可能
性の復活、さらにウズベキスタンの独自で豊かな歴史遺産と現代文化、芸術の多
様性に関する完全な情報の提供を目的に設立された。

ウズベキスタン文化芸術フォーラム(日本語サイト)
http://www.uzf.or.jp/

Forum of Culture and Arts of Uzbekistan Foundation
http://fundforum.uz/

このサイトは露語、英語、日本語

■■編集後記
今回は、秋のエベント、「ウズベキスタン・アート・ウィーク」でした。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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2009年8月22日土曜日

【世界の街角からMM】第29号 タシケントの夏 2009年8月20日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第29号 2009年8月20日
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第29号は「タシケントの夏」です。
▼目次
■タシケントの夏
■■編集後記
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■タシケントの夏
今年はこれでもまだ暑くないほうだというが、夏は夏、暑い。

経験的に今年のピークは7月第2週から8月第1週までであったが、ウズベキスタン
の人に聞いても概ね例年もこの期間がピークのようだ。寝る時、エアコンは使わ
ないので何度か寝汗で起きたが内陸で乾燥しているせいか、朝方にはかなり涼し
くなる。

夜中に起きた理由は暑かったこともあるが、寝る前にメロンをたくさん食べたの
でトイレに起きたことでもある。当地のメロン、とても甘くて美味しい。暑い時
は余計に食べてしまう。丸いメロン、細長いメロン、日本で売っているマスクメ
ロンのようなメロン、こぶが付いている黄色いメロンなど種類も豊富で水代わり
にその味を楽しんだ。そして、一つ1-2ドルとかなり安い。しかし重いので小ぶ
りなメロンを選ぶことになる。

8月15日、日本人会による日本人抑留者の墓参があったので出席した。タシケント
市南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人抑留者墓地と
して整備されている。ソヴィエト時代は土を盛っただけだったが、独立後、現在
のような墓地に整備された。

タシケントで亡くなった87名については出身地と名前が刻印された墓石が敷設さ
れている。ウズベキスタン国内ではタシケントの他にタシケント州アングレン市、
フェルガナ州コーカンド市、フェルガナ州フェルガナ市、アンディジャン州アン
ディジャン市など13ヶ所に日本人墓地があり、それらの共同慰霊碑がこのヤッ
カサライ墓地に併設されている。

ウズベキスタンでは、2万3千人の抑留者が強制労働に従事し、817名がウズベキス
タンで帰らぬ人となっている。抑留者が強制労働で建設した建築は現在もタシケ
ント市内にいくつが現存する。その代表的な建築がナボイ劇場であり、現ウエス
トミンスター大学校舎(元空軍士官学校)である。

抑留者によって建設された建物は現在でも使用され、ウズベキスタンでは評価が
高い。こういう日本の技術に対する信頼を継続するさせることも開発援助の中で
考えていかなければと最近思う。

▼為替レート
1USD=1509 Sum (中央銀行商業売りレート)2009年8月20日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
朝は非常に爽やかになりました。信じられないほどです。
これから一気に秋へ、そして冬になるのでしょうか。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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2009年6月9日火曜日

【世界の街角からMM】 第26号 2009年6月8日 WC予選通過一番乗り

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第26号 2009年6月8日
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滞在先のタシケントでワールドカップアジア予選「日本対ウズベキスタン」の試
合があった。結果、1:0で勝利し、予選通過一番乗り。

■■編集後記
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▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■日本、対ウズベキスタンに勝利しワールドカップ予選通過一番乗り
6月6日(土)、ワールドカップアジア予選「日本対ウズベキスタン」の試合がウズ
ベキスタンのタシケント、Pakhtakor Stadiumで開催された。当地に滞在している
関係で当然のことながら応援観戦に出かけてきた。試合は1:0で日本が勝利し
た。

ウズベキスタンでのサッカー観戦は初めてであり、こう機会でもないと観戦のチ
ャンスはなかったのかもしれない。日本からは弾丸ツアーを含めて観戦ツアーが
組まれたようで数百人のファンが駆けつけた。弾丸ツアーはJALのチャーター機で
タシケント国際空港まで飛んできた。当日の午前4時着、デイユースのホテルで休
み、夕方から観戦し、その足で午前1時には帰国の途へ着く強行スケジュールだが
金曜日の夜に出発して日曜日の午後には帰国できるようだ。

試合内容は幸運にも前半戦に点が取れたことが勝利に繋がったが全体的な内容は
反省を残す形となった。今日のウズベキスタンに引き分ければ予選通過というこ
とはサッカーファンの知人に聞いていたのでなんとなく理解していたが、もう一
つ重要なことがあったということは後から知った。

それはいつも観ているeuronewsで今日の試合を放映しないかとスポーツに注目し
ていたとき、ヨーロッパ予選結果の後、日本対ウズベキスタン戦のニュースが流
れた。このときやっと今日の勝利の意味がわかったのだ。それはこの勝利が各グ
ループの予選の中で予選通過一番乗りということだ。アウェイのせいか、インタ
ビューもあったようななかったようなはっきりわからない状態で解散になってし
まったのでTVを観るまではよく理解でなかった。

もう一つ、日本がゴールしたときはアウェイ席なので一番遠くよく見えなかった
が、ゴールの瞬間が映し出されていた。シュートしたボールをキーパーがはじき、
そのボールをそのままヘディングシュートでゴールした。こぼれた場所が良かっ
たに違いない。その次のシュートのが気持ちが良かったがこれはオフサイドを取
られたようだ。兎に角、日本が勝利し、予選通過初名乗りということはうれしい
限りだ。

パフタコール・サポーター席より
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157619391755822/

FIFAワールドカップアジア最終予選(スポーツナビ)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/data/wc08_q_final.html

FIFA
http://www.fifa.com/

▼為替レート
USD1=1466Sum (中央銀行商業売りレート)2009年5月8日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
試合内容は別として生のスポーツ観戦は周辺環境や観客のリアクションなど臨場
感があり楽しいものだ。そして応援するチームが勝てば尚更だ。サッカー素人の
私とて楽しめたのだから。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第26号 2009年6月8日
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2009年5月14日木曜日

【世界の街角からMM】第25号 2009年5月13日タシケントの交通機関2

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第25号 2009年5月13日
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今号はタシュケント市民の足、都市の公共交通(2)です。
第21号で説明したタシュケント公共交通(1)の続きで、トラム、バス、トロ
リーバスについてです。
▼目次
タシュケントの交通機関(1)
■タシュケントの交通機関
■タシュケントの地下鉄と地下鉄駅
タシュケントの交通機関(2)
■タシュケントのトラム
■タシュケントのバスとトロリーバス
■タシュケント公共交通概観
■■編集後記
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■タシュケントのトラム
現在、運行している路線はNo.3, 6, 8, 9, 12, 13, 17, 18の8トラム路線、総延
長122.4kmが運営され、No.6、No.3、No.17が乗降客数が多い。料金は一律400Sum。

メトロとトラムネットワーク
http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent-transport.html

運営組織は、Tashshahartranshizmat(Association of Tashkent City Transport
Service)で、タシュケント市内の公共交通を提供する官民が出資する組織である。
この傘下に38事業会社があり公共交通を運営している。トラムは、
Tashelektrotrans Electric Transport Companyが担当している。

2009年3月現在、タシケントには2種類(車体カラーのみ分類、形式調査中)のト
ラムが運行している。一つは白地に黄緑色のライン(国旗の一番下のカラー)
(Type KTM8及びTatra-Jug (T3M/T6)、もう一つは、ベージュ(Uraltransmach
(Russia),Spektr 71-402)だ。1996年にタシュケントへ来たときは白地に赤のライ
ンだった。
http://uz.iio.org.uk/tashkent_trspt.htm

最近、ロシア製トラム(Spektr 71-402)30輌が導入され、No.25及びNo.27の2路
線が再開されるとの噂もある。現在、軌道のリハビリテーションを実施されてい
るが、軌道はバラスからアスファルトに更新されている。果たしてこれが適当な
のだろうか。

Light Rail in the former SU
http://www.xs4all.nl/~rajvdb/lra/index.html

■タシュケントのバスとトロリーバス
▼バス
日本のバスより洗練されMercedez Benz製のたバスがタシュケント市内を走ってい
る。これは、イスタンブルのMercedez Benz工場で製造されたバスだ。見たところ、
結構な乗客数だ。

2006年7月3日、タシュケント・バス交通の民営化に関する大統領令(Realization
of state shares of Toshavtobustrans (Tashkent Bus Transport) to private
property)が出され、国営企業であるToshavtobustransが民営化され、新たにタ
シュケントの旅客輸送を担うTashshahartranshizmatが設立され、2010年までに民
営化される予定である。同時に外国銀行のクレジットラインにより2006-2007年に
159台の新たなMercedes Benz製バス車輌を調達され、第二段階として362台のバス
車輌の調達が予定されてる。料金は一律400Sum。

▼トロリーバス
10トロリーバス路線が運行され総延長は141km、122トロリーバスのうち朝の
ピーク時には98車輌が運行している。2002年時点で車輌数は213に増加していると
の報告があるが未確認である。

我が家の前にもトロリーバス(シュコダ)が走っている。ブレイクダウンしてい
るトロリーバスをよく見かけるので老朽化が激しく、緊急に更新が必要と思われ
る。見たところ20年選手だろうな。先日、ヒヴァへ行ったが、ウルゲンチ-ヒヴ
ァ間にトロリーバスが運行し、ここでは車輌の更新がされていた。

料金は一律400Sum。

■タシュケントのタクシー
ライセンスされているタクシー(タクシーと表示されている)と非ライセンスタ
クシーが混在しているが後者のが数が多そうな印象だ。どちらでも交渉なので大
勢に影響はない。

タクシーがいたるところで容易に乗車できるのは非常に便利だし、タクシー代金
は交渉ながら安い。交渉しなくてもあまり違わない。4キロ程度(地下鉄駅3駅分)
で2000-3000Sだ。ちょっとなら1000Sだ。車輌はウズベキスタン製のNexia、Matis
が多い。Matisはスズキのマルチに似た小型車だ。もちろんLadaも現役である。

一般的にホテルにたむろしているタクシーは倍以上の料金となる。Dedemanから
International Business Centreまで5000S、通常は2000程度だろうな。

無線タクシーがあり、電話すると来てくれる。料金は到着してから無線で走行距
離を連絡して決めているが普通のタクシーより高目の設定だ。

■タシュケント公共交通概観
タシュケントの公共交通機関は地下鉄、バス、ミニバス、トロリーバス、トラム
から構成され、ミニバスが2002年頃から新たに参入した。

交通需要は独立以降、大きく変化したが系統的な分析はこれまで行なわれず、そ
の対応は場当たり的な対応に限定され、投資計画(2006-2010)が策定されている
もものの、予算措置は未だにとられておらず、その結果、地下鉄3号線の延伸が滞
っている。

タシュケントの公共交通需要(2005年)は1.9百万人/日であり、2005年の対2001
年では90%へ減少し、機関分担はバス利用が増加し、地下鉄、トラム、トロリーバ
ス利用者が減少している。道路交通が増加し、軌道系(電気式公共交通)が2001
年比で36.6%から20.2%へ減少している。内訳では地下鉄が37%減、トラムが57%減、
トロリーバスが77%減である。

2005年の機関分担率は、地下鉄12.5%、バス54.1%、トラム6%、トロリーバス1.7%、
ミニバス23%である。

ミニバスは路線を民間企業へフランチャイズする方式で運営されており、運行
ルートの拡大と運行頻度の増加により利用者が増加した。一方、ミニバスへ利用
者がシフトしたことから、バス、トロリーバスの利用者数が減少した。

地下鉄はタシュケント公共交通の基幹交通機関であり、サービスレベルの向上に
よる利用者の増加が期待されている。

その課題として料金システムがあり、地下鉄は地下鉄だけに有効なトークンを利
用しているため、他の公共交通機関との共通性がないため、利便性が低い。その
ため全ての公共交通機関で利用できるチケッティングシステムの導入が必要であ
る。

トラムの近代化、軌道リハビリと車輌の更新、も公共交通機関としての大きな課
題である。現在、新たな車輌が導入され、軌道も順次、リハビリテーションが進
んでいるが道路建設と同様、その質が懸念される。

トロリーバスは電力を動力源とする交通機関であり、昨今の環境問題からは受容
され、且つ、静かである。ソ連時代に整備された広範なネットワークがあるもの
の、車輌の老朽化によるサービスレベルの低下による他の公共交通機関との競争
力が低いことが課題である。

▼為替レート
USD1=1466Sum (中央銀行商業売りレート)2009年5月8日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
日常使っている都市の交通機関、一体全体どうなっているのだろうかと思い調べ
てみたがほとんど参考になる文献がない分野だ。まあ、この国でという補足が付
くが。

日本でもその昔トロリーバスが運行されていたし、トラムもあったがモータリ
ゼーションの名の下、米国流ということだが、大都市では道路交通の邪魔者扱い
され消えてしまったが、旧ソ連では現役だ。

今日ではトラムもトロリーバスも電力を動力源としているのでクリーンエネル
ギーと見直されている。このまま主要先進国と同じ経緯を辿り消えてしまうのは
考え物、電力の優位性を生かして復活を期待したい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第25号 2009年5月13日
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2009年4月12日日曜日

【世界の街角からMM】イスタンブル・トランジット(1) 第22号 2009年4月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第22号 2009年4月11日
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今号は3月中旬、アシガバート(トルクメニスタン)出張のため、トランジット
で滞在したイスタンブルのレポート(1)です。

タシケントの交通(2)はもう少し後でレポートします。
出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
イスタンブル・トランジット(1)
■イスタンブル国際空港(アタチュルク)
■イスタンブル国際空港内での時間のつぶし方
■イスタンブルの交通機関とアクビル
■イスティクラル通り再び
イスタンブル・トランジット(2)
http://worldcity-mm.blogspot.com/2009/04/mm2-23-2009412.html
■イスタンブル上空-アシガバートからのフライトより
■イスタンブルでのショッピング
■日本料理「五味」
■MetroBus-イスタンブルの新バス交通システム
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イスタンブル国際空港(アタチュルク)
タシュケント4時20分発のトルコ航空便TK1371は予定通りまだ暗い早朝5時5
0分にイスタンブル・アタチュルク空港へ到着した。3時間の時差があるので4時
間30分のフライトだ。しかし、家を午前2時過ぎ出たのでほとんど寝ていない。イ
スタンブルは、昨年、一昨年と滞在したのである程度親近感がある。

▼入国審査
4ヶ月ぶりのアタチュルク空港だ。なんとなく気分よかった。しかし、入国審査
には時間がかかった。まあ、トランジットが長いので問題ないが。早朝到着する
フライトが多いのだろうたいへん混雑していた。荷物を取りに行ったらもうほと
んど人がいなかった。

▼Left Baggage (荷物預かり)
今回は16時間トランジットなので荷物を一旦出すことにした。

荷物預かり所は到着ロビー、トルコ航空ホテル窓口の隣、スタバの手前にある。
このサービスはヨーロッパと同じでたいへん助かる。

料金は以下の通り、引き取り時に支払う。現金のみ。私の場合スーツケース、キ
ャリーオン、パソコンバックを預けたので42YTLとなった。
大 15YTL/day
中 12YTL/day
ハンドバック 10YTL/day
小(プラスチックバック等) 8YTL/day
http://www.ataturkairport.com/eng/1.php

■イスタンブル国際空港内での時間のつぶし方
早朝だったのでとりあえず、荷物預け場所の確認をしたら、その先に、スタバが
あったのでここでコーヒーを飲みながらしばらく過ごすことにした。Wi-Fiを確認
したらサービスありとのこと、これは都合が良いと思い、メールのチェック返信
をした。スタバはタシケントにはもちろんないので久しぶりの味だ。

スタバは、到着ロビー、出口を出て右方向奥、荷物預かり所の先にある。比較的
空いていること、無線LANが使えること、壁側にやや広めのテーブルがあり、その
横に電源用コンセンが用意されている。ここで仕事が出来てしまう。

スタバはクレジットカードでの支払いも可能、トルコリラを持っていないときで
も問題ない。今回はここでたいへんお世話になった。

■イスタンブルの交通機関とアクビル
昨年使っていたアクビル(プリペイドチケット)の、東京で言うパスモやスイカ、
を運よく持ってきていた。残高が10YTLは残っているし、現金だって100YTL
は持っている。対円で価値が6割をきったけど物価は変わっていないだろう、昨
年のまま使える。

イスタンブルの交通はバスが多いが近年、地下鉄やLRTも整備されつつある。まだ
ネットワークとしては発展途上だが乗り継いで使える。空港からはAksalayまでLR
Tが運行され、そこからトラムでベイオールへ行ける。

スタバの環境が良かったので約束していたランチに遅れそうになったので、Aksal
ayまでLRT、そこからタクシーでペラまで行った。タクシーを使わない方法では、
ドルムシュ(乗り合いタクシー)かトラムでKarakoy下車、ケーブルカーでTunel
まで行けばよい。

http://urbanrail.net/eu/ist/istanbul.htm

その他、Metro(地下鉄)はタクシム広場から4.Leventまで開通している。現在、
タクシム広場からアクサライ間は工事中だ。

その他、E5を運行している機関バスであるMetroBusがある。これらがそれぞれ繋
がりつつある状況だ。Marmaray(ボスポラス海峡海底トンネル)も工事中だ。

http://istanbul.iio.org.uk/istanbul-transport.html

pohoto gallery:
http://picasaweb.google.com/iio.tokyo/IstiklalCaddesi

■イスティクラル通り再び
タクシーをPera Palas(現在改装中、アガサ・クリスティーの常宿だった)の下
で下り、隣のIMPのビルまで歩く。見慣れた建物、路、人々だ。そして、昨年働
いていた職場に友人を訪ねた。

何度も通ったイスティクラル通りのレストランへ皆でランチを食べにいく。変わ
らぬ賑わいのイスティクラル通り、なぜか端から端まで歩きたくなる。昨年滞在
したときから5ヶ月ほどしか経っていないので特に大きな変化はない。ショップが
少し入れ替わった程度だろう。

職場は変わらず、ただ、一緒に働いていた人の一人が黒海沿岸の都市にある大学
へ異動になったようだ。地方選挙が近く、イスティクラル通りでは選挙運動が盛
んだった。イスタンブル市長は現職が立候補するそうだ。

食事の後、映画のチケットを買いに行くという。これは同僚の旦那が兵役のため
留守にするので、その間、友人達が何かと世話するという。

丁度冬物のバーゲンの時期、ショップのあちこちにはxx% OFFの文字が目だった。
帰りにはいろいろと調達しなければならないなと思いながらウィンドウを眺めた。

まだまだ、昨年歩いた場所を確認したかったが時間が許さない。帰国時の買出し
下調べでAkmerkezへ足を向けた。タクシム広場から559番バスで行ける。結局、バ
スで往復した。そして、Tunelまでイスティクラル通りを歩き、ケーブルカーでKa
rakoyまで行き、そこからトラムでAksaray、そして、LRTで空港まで戻った。あっ
という間に出発2時間前になっていた。

イスタンブル・ノート
http://istanbul.iio.org.uk/index.html

◆為替レート
1YTL=58.66円(2009年3月27日)
http://www.bloomberg.co.jp/markets/currencies/eurafr_currencies.html

■■編集後記
トランジットだったのであっという間に時間が過ぎた。何度来てもイスタンブル
は心地よい町だ。交通機関がどんどん整備されている。次回はもっと便利に移動
が出来るようになっているに違いない。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第22号 2009年4月11日
発行責任者:飯尾彰敏
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2009年4月6日月曜日

【世界の街角からMM】タシュケントの地下鉄 第21号 2009年4月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」          第21号 2009年4月5日
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第21号はタシュケント市民の足、タシケントの交通機関レポート(1)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼目次はこちらです。
タシュケントの交通機関(1)
■タシュケントの交通機関
■タシュケントの地下鉄と地下鉄駅
タシュケントの交通機関(2)
■タシュケントのトラム
■タシュケントのバスとトロリーバス
■タシュケントのタクシー
■■編集後記
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http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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【Kim's House 一時閉店】
2009年3月31日をもって一時閉店となりました。契約更新の関係でしょうか、非常
に残念です。再度、オープンするとのことですが何時になるかまだわかりません。

■タシュケントの交通機関
中央アジアの代表的な都市タシュケントは、人口210万人を有し、ソ連邦時代から
他の都市同様、地下鉄、バス、トロリーバス、トラムなど共産主義諸国ではスタ
ンダードな公共交通機関がここでも整備されてきた。

基本的にこの構成は現在も変わらず運営され、バスはイカルス(ハンガリー製)
からDaewooを経て現在はMercedez Benz(トルコ製)へ更新され運行している。ト
ラムも新型車両(ベージュのカラーリング)が導入さている。トロリーバスと地
下鉄はソ連時代のままなのだろうか、情報が少ない。

タシュケント公共交通の特徴は、中央アジア唯一の地下鉄が運行されているが、
シェアはこれまた情報がないが観察からバス、そしてトラムがかなり分担してい
るように感じる。

■タシケントの地下鉄と地下鉄駅
ウズベキスタンの首都、タシケントには中央アジアで唯一の地下鉄が運行してい
る。現在、カザフスタンのアルマトゥで地下鉄が建設中(2010年末開業予定、総
延長45km)なのでその座も限定的になっている。

旧ソ連では7番目に地下鉄が建設された都市であり、地下鉄駅はそれぞれ固有の装
飾が施され、モスクワの地下鉄同様に世界でも有数の装飾された地下鉄駅として
知られている。

Tashkent Metro
http://urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

Almaty Metro
http://urbanrail.net/as/alma/almaty.htm

▼タシュケントの地下鉄
タシュケント地下鉄の歴史は、1966年の大地震の後、1968年に計画が始まり、197
2年に最初の路線であるChilonzor Lineの建設が始まった。1977年11月6日に9駅が
開通し、1980年に全線(15.4km、12駅)が完成した。1984年、2番目の路線である
Ozbekiston Line(14.8km、11駅)が開通した。

最近ではYunusobod Line(6.4km、6駅)が2001年に開通し、北部への延伸は現在
建設中、2010年に開通予定である。4番目の路線、Sirghali Lineは計画中(8km)
である。現在はこれらの3路線、総路線長36.2km、29駅で運営されている。

現在(2009年2月)の運賃は一律400Sum、昨年までは300Sumであった。乗車すると
きはトークン(珍しいプラスチック製、ブルー)を窓口で購入し、改札のポスト
に入れる。降車時の改札はない。入り口と出口があり、ウズベク語で書かれてい
るようだが理解できないので人の流れを読んで行動した。以下、路線の要約。

1. Chilonzor Line(15.4km、12駅)、1977年開業
2. Ozbekiston Line(14.8km、11駅)、1984年開業
3. Yunusobod Line(6.4km、6駅)2001年開業、現在延伸中
4. Sirghali Line(8km)、計画中
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

鉄道システムは、モスクワタイプの4両編成で100mのプラットホームを使用してい
る。軌道は1524mmゲージで第三軌道から電力(825V DC)を供給している。平均駅間
は1400m、営業速度は 46 km/hである。ホームから第三軌道を確認しようとしたが
よくわからなかった。

運営は国営企業であるToshkent Metropoliteni、一日当たりの乗客数は45万人と
のこと。営業時間は06:00 - 1:00、ピークアワーの運行頻度は2分間隔である。
(本当かな?)

▼タシュケント地下鉄駅の装飾
地下鉄駅が29駅あるが、同じデザインはない。それぞれ各駅にテーマがあり構内
のデザインは建築家とウズベキスタンの芸術家によりデザインが決められ、内装
はメタルの彫刻、ガラス、プラスチック、花崗岩、マーブル、陶磁器、石膏など
が使用され、一駅一駅特徴のあるデザインが施されている。

それらを説明する資料があるのだろうけど簡単には辿り着けそうにないのが残念
だ。

いくつかの駅の観察から、地下鉄駅の装飾はウズベキスタンの産業や文化を反映
して綿花をモチーフにした照明の駅(Ozbekistan LineのUzbekiston駅)、モスク
内部のようなデザインの駅(Alisher Navoiy)等、見受けられた。同じくOzbekis
ton LineのOybek駅からYunusobod LineのMing Oriq駅への連絡通路は松明の明か
りで照らされた洞窟を歩いているような装飾と照明だ。

Yunusobod LineのBodomzor駅(Internatinal Business Center、インターコンチ
ネンタルホテル)はアールヌーボーのようだ。その他、宮殿のようなPakhtakor駅、
Pushkin駅、Chilanzar駅、Druzhby Narodov駅がある。

写真が撮れないので何らかの離れ業で撮影した写真を掲載しているサイトを紹介
する。撮影禁止になったのは1999年のテロ以降なのでそれ以前に撮られたものな
のかもしれない。

都市鉄道のサイト、こちらに若干駅構内の写真が掲載されている。
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

駅をクリックすると画像へリンクしている。
http://www.metrosoyuza.net/

▼撮影禁止
各地下鉄駅にはセキュリティガードが常にパトロールしている。ホーム構内、地
上といたるところで見かける。地下鉄構内は軍事施設として位置づけられ、もち
ろん撮影禁止になっている。

参考サイト
http://www.tashkent.org/uzland/subway.html
http://meta.metro.ru/tashkent/tashkent-e.html
http://metroworld.ruz.net/others/tash_index.htm (ロシア語)

▼為替レート
1USD=1439Sum (中央銀行商業売りレート)2009年3月27日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
身近な交通機関で毎日のように乗車する地下鉄ながらその情報へのアクセスは非
常に遠い、ウズベキスタンの現在の国情を反映しているのだろう。

地下鉄観光ガイドブックでも出版できるほどなのだから残念だ。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第21号 2009年4月5日
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2009年4月2日木曜日

【世界の街角からMM】ウズベキスタンと首都タシュケント 第20号 2009年4月1日

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メールマガジン「世界の街角からMM」          第20号 2009年4月1日
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今号は、現在滞在しているウズベキスタンと首都タシケントの地理的なことにつ
いてのレポートです。

【世界の街角からMM公式サイトを開設】
まだ準備中ですがサイトを開設しました。
http://worldcity-mm.blogspot.com/

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。

▼目次はこちらです。

■中央アジアとは?
■首都タシケント
■二重内陸国ウズベキスタン
■ウズベキスタンの地方行政区分
■渡航情報:注意喚起情報
■訂正

■■編集後記

▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■中央アジアとは?

中央アジア地域の定義は狭義と広義で異なるが一般的には狭義の旧ソ連であった
中央アジア5カ国をさす場合が多い。

▼狭義
狭義の場合1991年8月から12月に相次いで独立国となった旧ソ連邦を構成していた
ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5
カ国である。

▼広義
広義の場合、地理的な意味で捉えると、東と南は天山山脈、パミール高原、アル
ボルズ山脈、西はカスピ海、北側はロシアの平原地帯に続くが境界はない。

人口移動と文明の観点から、草原のトルコ系世界がペルシャ、イスラム文明と交
わった空間を中央アジアと総称する。

この意味では中央アジアはアナトリアからアフガニスタン北部を経て中国の新彊
にまでわたる。

参考:オリヴィエ・ロワ著、斉藤かぐみ訳(2007)、現代中央アジア-イスラム、
ナショナリズム、石油資源、文庫クセジェ白水社(原著は2001年出版)

■首都タシケントToshkent Ташкент (Tashkent)

日本語表記は「タシケント」が多かったが最近が「タシュケント」が多いように
感じる。

ウズベキスタンの首都はタシュケント、ウズベキスタン北東部、シルダリア川の
支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市。人口はおよそ200
万人(はっきりしないが250万人とも言われている)で、中央アジア最大の都市で
ある。

気候は大陸性気候で夏は乾燥し暑さは厳しいが、冬は雨が多く寒さはそれほど厳
しくない。
http://www.arukikata.co.jp/country/asia/UZ_general_3.html

▼都市名はトルコ語で「石の町」

タシュケントはトルコ語で「石の町」の意味、ソグド語での古名をチャーチュ、
またはチャーチュカンドともいい、ペルシア語でもチャーチュと称し、アラビア
語ではシャーシュと呼ばれた。こんなに並べても良くわからないが意味は同じよ
うだ。なぜ石なのかは不明。

タシュケントはチルチク川が形成するタシュケント・オアシスとして、またカザ
フ草原・天山山脈北麓の遊牧地帯とトランスオクシアナのオアシス定住農耕地帯
を中継する商業都市として古代から繁栄した。

16世紀には18世紀にはコーカンド・ハン国の支配下に入り、19世紀の半ばにはロ
シア帝国がコーカンド・ハン国を征服し、ロシアの直轄領に組み入れられた。タ
シュケントには1867年にトルキスタン総督府が設置されてロシアの中央アジア支配の拠点となる。

帝政ロシアは旧市街の外側にロシア人の住むヨーロッパ的な町並みである新市街
を建設し、中央アジア経済の中心都市としても発展した。

ロシア革命を経て1924年にウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、その
首都となった。

面積 334.8 km2
人口 1,967,879人(2006年)

http://www.tashkent.uz/

■二重内陸国ウズベキスタン

国境を接する全ての国が内陸国である内陸国のことを二重内陸国(doubly
landlocked country)という。二重内陸国では、海に出るために少なくとも2つの
国境を越えなければならない。

現在、世界にある二重内陸国は、リヒテンシュタインとウズベキスタンの2カ国だ
け、無理して言えば、リヒテンシュタインは国際河川のドナウ川を通して海に連
絡し、ウズベキスタンもカスピ海からの運河により、ボルガ川から黒海へつなが
っている。

■ウズベキスタンの地方行政区分

12の州 (viloyat , ウィラヤト)、1つの自治共和国 (respublika , レスプブリ
カ)、1つの市(shahar, シャハル)、1つの特別市に分かれている。地方行政制度は
またの機会に。

州(viloyat) - 州都
1. ホラズム州 Xorazm - ウルゲンチ Urgench
2. ナヴァーイー州 Navoiy - ナヴァーイー Navoiy
3. ブハラ州 Buxoro - ブハラ Buxoro
4. サマルカンド州 Samarqand - サマルカンド Samarqand
5. カシュカダリヤ州 Qashqadaryo - カルシ Qarshi
6. ジザフ州 Jizzax - ジザフ Jizzax
7. スルハンダリヤ州 Surkhondaryo - テルメズ Termiz
8. シルダリヤ州 Sirdaryo - グリスタン Guliston
9. タシュケント州 Toshkent - タシケント Toshkent
10. ナマンガン州 Namangan - ナマンガン Namangan
11. アンディジャン州 Andijon - アンディジャン Andijon
12. フェルガナ州 Farg'ona - フェルガナ Farg'ona

自治共和国(respublika) - 首都
1. カラカルパクスタン自治共和国 Qoraqalpog'iston Respublikasi - ヌクス
Nukus

特別市(shahar)
1. タシケント市 Toshkent

■海外安全情報
ウズベキスタンに関して下記の注意喚起情報が出ている。

渡航情報
ウズベキスタン:詐欺(札束拾い)に対する注意喚起
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info.asp?num=2009C060

▼その他、渡航情報(英国外務省及び米国国務省)
米国
http://uzbekistan.usembassy.gov/warden_messages.html

英国
http://tinyurl.com/d6egaj

■第4号訂正
▼「Palace Plaza」ではなく「Pride Plaza」でした。
International Business Centerの1階右奥にあるローカルフードレストラン、比
較的リーズナブルなのでビジネスセンターで働く人で賑わっている。メニューが
あるがまだよくイメージできない。私の知っている範囲は、ラグマン、炒めラグ
マン、ピラウ、ボルシチ、リピョーシカなど。サラダは種類が多い。ランチは、3
000-5000Sumで食べられる。

◆為替レート
1USD=1439Sum (中央銀行商業売りレート)2009年3月27日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記

日本では「中央アジア」や「ウズベキスタン」といっても直ぐに旧ソ連だと答え
る人は少ないのではないだろうか、シルクロードやサマルカンドと言ったほうが
知られているのではと思う。

昨今、ロシア帝国の南下政策と英領インドから北進しようとしていた大英帝国の
間で繰り広げられた政争、グレートゲーム、からこの地域での政治的経済的な活
動を新グレートゲームと呼んでいる。

現実的にはそれほど日本との関係が濃いわけではないが、安全保障上は重要な地
域に違いなく、この地域の安定が将来に亘って日本経済にも影響する地域ではな
いだろうか。

まだまだ、これらの認識と情報が不足しているので引き続きこの視点を忘れない
ようにしようと思う。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第20号 2009年4月1日

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2009年3月14日土曜日

【世界の街角から】タシュケント国際空港とビストロ 第15号 2009年3月13日

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メールマガジン「世界の街角から」          第15号 2009年3月13日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【補足】多分、3月7日に第9-12号+号外を入れて5通配信したのでしょう、多すぎ
ると指摘を頂きました。配信したトピックは情報が昨年、一昨年と滞在したイス
タンブルとトルコなので出来るだけ早くお伝えしたほうがよいかなと考えた次第
でした。悪しからず。、

今号は、ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港とほっとするレストラン
ビストロです。

出張先の都市より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、
ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届け
しています。

▼目次はこちらです。
■ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港
■タシュケント国際空港のデータ
■レストランBistro
■アパートからの距離
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ウズベキスタンの玄関、タシケント国際空港
1996年、最初にタシュケントに来たときは、空港はボロボロ、ベルトコンベ
ヤーがあるにはあったが稼動していなかったので荷物はベルトの上を歩いてスー
ツケース(飛行機からは運ばれていた。)を出口まで取りに行かなければならな
かった。

2007年のときはさすがに施設はリハビリされたようでスーツケースはベルト
に乗って出てきた。かといって本当にこれがリハビリなのかと思える施設の質で
はあったが。

最初からこんな印象だったので期待はしていないがもう少し対処の方法があるの
ではと考えてしまう。

これはタシュケントだけに限ったことではない。他のCIS諸国や東欧諸国でも1990
年代は同じような状況だった。

一般的に首都の空港はその国の玄関、観光立国でもあるウズベキスタンの玄関と
してはややお粗末な質である。また、この地域のハブの役割もタシュケント空港
は持ち合わせているので尚更だ。

それから税関検査がやたら厳しく閉口するということをよく聞く。これは徐々に
厳しくなっているようで、最初に来たときは印象がない。特に現金の持ち出しに
ついて厳しく、入国時に税関申告書を2枚書いて1枚戻されるが、出国時に入国時
申請した金額より多いと問題になる。多い場合銀行証明などがあれば問題ない。

最近聞いた話では、ウクライナのキエフ空港も同様な状況だという。同じものを
二つ以上持っている場合はギフトとして課税されるそうだ。そしてその対応は一
方的で聞く耳はまったく無く有無を言わせないそうだ。

日本国籍を有している人は事前にビザを取得することなく入国できるようになっ
たので、一歩前進だが、税関は変わっていないようだ。ソ連時代、モスクワのシ
ェレメツェボ空港をトランジットしたことがあるが、無機質的なところは同様だ。

ということは、ソ連が崩壊してもなんら変わらない、共産主義だからということ
ではないようだが、まだ共産主義が抜け切れていないだけなのかもしれない。思
うに共産主義時代は政治的な理由で、現在は経済的な理由なのかもしれないが、
想像の域を出ない。

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

タシュケント空港の諸元、下記の通りである。

▼諸元
標高432m
北緯41度15分28秒
東経69度16分52秒

ATA:TAS- ICAO:UTTT
空港種別 民間
航空管制 民間
標高 432m

滑走路
方向 スペック   表面
ILS m×幅
08R/26L YES 3,905×45 舗装(アスファルト)
08L/26R YES 4,000×60 舗装(コンクリート)
(wiki)

▼空港施設リハビリテーション

1996年の時とそれ以降でターミナルが変わったので調べてみたところ、欧州復興
開発銀行(EBRD)が融資してリハビリテーションが実施された。1997年12月2日と
いうDoard Dateがあるのでそれ以降に実施されたものと思われる。

ターミナル正面の写真
http://en.wikipedia.org/wiki/File:UTTT-exterior.jpg

総プロジェクトコストUSD51.3 Million, EBRD融資がUSD48Million (ECU38
Million)である。目的はICAO(International Civil Aviation Organization)
基準適合であろう。

http://www.ebrd.com/projects/psd/psd1996/1987.htm

プロジェクトの内容
1)タクシーウェイとエプロンのリハビリテーション
2)旅客ターミナルのリハビリテーション
3)プロジェクト実施促進アシスタンス

ICAO
http://www.icao.int/

時間100人、年間2000万人のキャパシティとwebには説明がある。この時間あたり
から年間に飛ぶところがウズベキスタンらしい。

一日当たりのキャパシティは?という疑問が浮かび上がる。ちゃんと計算してよ。
2000万人を365日で割ると54794人/日となる。容量だから実際はもっと少ない利
用者だろう。

http://www.uzairways.com/airports.aspx?pid=230

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

ターミナルフロアプラン
http://www.search.uz/airport_map_eng.php

▼タシュケント空港の事故歴
市内から6キロ、Yuzhniyに位置する。地図は以下のリンクの通り。
http://aviation-safety.net/database/airport/airport.php?id=tas

タシュケント空港の事故歴は2件、1974年4月24日と2004年1月13日だ。

2004年1月13日の事故は、ウズベキスタン南部、アフガニスタン国境の町Termezか
らタシュケントへ向けて夕方飛び立ったUzbekistan Airways' flight HY 1154
(Yakovlev 40)がタシュケント空港への着陸に失敗、滑走路の先にあるビルに接触、
墜落事故を起こしている。乗員乗客37名が事故死。ほとんどの乗客はアフガニス
タンに出兵していた国連軍(ドイツ)搭乗していた。
http://aviation-safety.net/database/record.php?id=20040113-0

この事故は下記の通り、YAKU40における91番目の損失とあり、YAKU40に関連する5
番目に最悪な事故で、ウズベキスタンでは3番目に最悪の事故である。多いですね。
シリアでもこの航空機は現役だったな。(2004年当時)

91st loss of a Yakovlev 40
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (at the time)
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (currently)
3rd worst accident in Uzbekistan (at the time)
3rd worst accident in Uzbekistan (currently)

■Bistro-タシケントのレストラン
Bistroだから、フレンチから思っていたらイタリアンでした。これはどうも
Bistroという言葉がロシア語だと「急ぐ」という意味だそうで、仏語のビストロ
と露語のFastをかけ合わせたのか、今度言ったときに聞いてみようと思っている。

このレストラン、2007年2月にタシュケント滞在中、LonelyPlanetに紹介されてい
たので足を運んだ。レストラン情報少なく、現地滞在の日本人からもあまり情報
を聞くチャンスがなく、ガイドブックに頼ることになったが結果はガイドブック
の説明通り、美味しいこじゃれたイタリアンである。

先週末、2年前ぶりにBistroへ行く機会があった。パスタとピザ、サラダとワイ
ンと軽いディナーだった。

ピザ、パスタとも味はタシュケント一ではないだろうか。他の料理もきっと美味
しいに違いないがフルコースなど食べられるほど大食漢でもないので前菜どまり
が多い。

ワインは、イタリアとウズベキスタンのJV製、市中では5000スムで売られている。
スホイ、SECO、辛口が普通のワインで後は甘口になる。美味しいとはいえないが
飲める。

この地域、グルジアやモルドバワインが多いが、ウズベキスタンだけは国内産業
保護のため、見かけない。

タシュケントにあってここでの食事はほっとするひと時となるが、20%のサー
ビスチャージはちょっと取り過ぎではないですか。

33 Movarounakhr Street, Tashkent
Tel.: 152-11-12

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■■編集後記
やっかいなゲートウェイというのが印象だ。観光立国としては大きなマイナス、
されど、ウズベキスタンのホスピタリティでリピーターを確保できているのだろ
うか?

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第15号 2009年3月13日
発行責任者:飯尾彰敏
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2009年3月7日土曜日

【世界の街角から】タシュケントの住まい 第9号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」 第9号 2009年3月7日
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第9号はタシュケントでの住まい探しです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼第7号の目次はこちらです。
■タシュケントの賃貸住宅事情
■タシュケントの賃貸物件
■タシュケントのどこに住むか?
■■編集後記
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■タシュケントの賃貸住宅事情
今回はタシュケントをベースにするので家を借りることにした。
どのように探すか?

不動産仲介業者がいるのでそこに物件の斡旋をお願いして物件の下見を行い、決
めることとなる。これは、どこの国でも変わらない。

手数料は大家が支払うことになっているので、借りる側は家賃だけとなる。賃貸
料金に含まれているのは、ヒーター代、ガス代、水道代で、電気代と通信費(市
内を除く)は賃貸人の負担となる。

ただし、ハウスキーピングとして週1回掃除に来てもらうため1階10ドル相当が必
要となる。

家賃は前金で3か月分要求される場合が多い、大家によっては6ヶ月前払いを要求
するが昨今の事情では3ヶ月が多い。

そのまま住める物件は少なく、前金で家具を入れるとかクーラーを入れるとか曖
昧な内容が多い。その後、あれこれフォローが必要となるので、現物が揃ってい
る物件が面倒がない。

借りた後、所轄の警察へ外国人は登録をする必要があり、住む場所が決まったら
警察へ届け出る。手数料20ドル相当。

旧共産主義圏は似たようなものである。シリアでもそうだったな。でも住民登録
のため警察署へ出向いたけど手数料はなかった。

ホテルに宿泊しても登録証は渡されるので基本的には同じことになる。

賃貸市場はそれほど物件数があるわけではないようなので質はでこぼこだ、足を
運ばないと適当な物件に辿り着かない。

予算にもよるが、安ホテルと同じか安いくらいを目安にした。その場合1200ドル
以下となる。実際、800ドル程度でも適当な物件がある。この金額帯はあまり賃貸
料には関係がなさそうだ。

■タシュケントの賃貸物件
今回、結果として14物件、家賃月650ドルから1900ドル、を下見した。

物件の条件は、都心の集合住宅、地下鉄駅に近く(通勤のため)、買い物が便利
で、ADSLインターネット接続が可能で直ぐに入居できることを条件とした。

賃貸物件は集合住宅と戸建てがあるが、集合住宅のが面倒がないし、物件数も多
く都心に位置する場合が多い。

集合住宅は、4階建て以上が多く、5階建てになるとエレベータが設置されている。
新しいのは少なく、ほとんどが1966年の大地震以降に建設された物件だ。

都心でも4階建てが多いのは共産主義時代の影響だろうか。

新しい物件は賃貸用に建設されたものが多く賃貸料が高い。1800ドルの物件は直
ぐに入居できる状態だったが3LDKと広く、また、家具も質が高かったが、家族同
伴ではないのでこれは見送った。

賃貸物件の多くが内装をリノベーションしている場合が多い、しかし、オリジナ
ルの間取りをそのままではなく、壁を取り除き、居間を広めにとっている物件が
多かった。

そうなると使い勝手が当初の設計から変わるので好ましくないが多くがこのよう
な状態である。

オリジナルのフロアプランのままの場合、元々の設計が充実している物件を探す
ことになる。元政府高官用アパートは入り口の空間からやや異なり、2LDKでも天
井が高く床面積も120m2とゆとりのある間取りだった。

物件の床面積は日本の住宅と比較してかなり広い。2LDKで80m2以上からあり120m2
程度まで。1LDKになると150m2程度になる。

内装をリノベーションしたばかりの物件は、一見、よく見えるが、内装に使われ
たボンドや内装材の材質など、質はよくないと考えたほうが懸命だ。

また、以前人が住んでいないと何かと問題が起こる可能性がある。

外国人用の賃貸物件は基本的に家具付だが、物件によってその質は様々。電化製
品はあまり差は感じなかったが質の高い食器類が備え付けてある物件は非常に少
ない。

これは大家の考え方によるのだろう。

単身なので1LDKでも十分だが、直ぐに住めるこれはという物件にはめぐり合わな
かった。きっと物件数が少ないのだろう。

■タシュケントのどこに住むか?
ベースとなる事務所がInternational Business Centreにあるので、そこまでのア
クセスと生活環境を考えて新市街の中心地の物件を依頼した。

希望通りあるわけではないので斡旋された物件を見ていく必要があった。特にリ
ストになっているわけでもなく、口コミ的な情報がベースだ。

タシュケントはベターと広いので実際に見てみないと何ともいえない。スーパー
マーケットが近くにあるとはいいつつも、買える物があるのかどうかまで考える
必要がある。

新市街ではMir Shopの近くが比較的便利だろう、ここはクレジットカードでも支
払いが可能なのだから。

車があればあまり駅からの場所や買い物の場所を考える必要はないが、今回は仕
事以外(通勤を含まず)は使えないので移動は自前となる。

また、食事をする場所も考えておかねばならない。

果たしてそんな場所があり、適当な物件があるのだろうか。

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■■編集後記
地図がある程度頭の中に入っていないと住まいを探すといっても容易ではないし、
これから用意しますというのも保証なし、やはり、キャッシュと同じ、現物のみ
が信用できるのだろうか、何れにしろ入居してからも何かと問題があるというこ
とは覚悟しておかねばならないが、それが最低限に抑えられるかどうかは最初の
判断にかかっている。

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【世界の街角から】国際婦人デー 第8号 2009年3月7日

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メールマガジン「世界の街角から」 第8号 2009年3月7日
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【注】ヤフーメール(従来版)の場合、どうやら73文字で改行されているような
ので1文字分が自動的に改行されてしまいます。ヤフーメール(ベータ版)の場合
は問題がありません。今号以降、75文字から73文字改行へ修正します。

第8号は3月8日、国際婦人の日vs赤軍の日についてです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼第8号の目次はこちらです。
■国際女性の日
■赤軍の日
■■編集後記
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■国際女性の日(International Working Woman's Day)
毎年、3月8日は国際女性の日(直訳すれば国際働く女性の日)、日本ではなじみ
が薄いかもしれないが旧ソ連邦構成国や社会主義国国では馴染みがある祝日だ。

この由来は、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲ
ンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにた闘
う」を記念する日として提唱したことから始る。

広く認知されるようになったのは、国際婦人の日である3月8日が1917年のロシア
2月革命の日にあたり、この日(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23
日)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモが、男性労働
者や兵士を巻き込んで大規模な蜂起となり、終には帝政ロシアを崩壊に追い込ん
だ。

よってソ連では国際女性の日は2月革命記念日でもあり、政治的な日にあたり、
ポスターには女性の(主に家事労働からの)解放を訴えるスローガンが書かれて
いた。

1966年、国際女性の日はソ連で祝日(休暇日)となったが、政治性は失われ、女
性を讃える日になっていった。国際女性の日のポスターからもスローガンは消え、
女性の美しさを抽象的に表すものになった。

日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体である赤瀾会が初の集会を開
催した。1975年、国連はこの年の3月8日以降この日を「国際婦人の日」と定め、
国連事務総長が女性の平等な社会参加の環境整備をするよう加盟国に呼びかける
日となっている。

▼イタリアでは?
この季節、街中にミモザの花がみられる。というのはイタリアでは女性が互いに
ミモザの花を贈るからだ。

▼ロシアでは?
ソ連邦の存続国であるロシアでは、国際女性の日は政治色のない女性を讃える祭
日となっている。男性は女性に春の花束やプレゼントを贈る習慣があるが、女性
がお互いにプレゼントを贈ることも多い。通常、国際女性の日の前日、職場や大
学で国際女性の日を祝う。

■赤軍の日(The Red Army Day)(Soviet Army Day)(祖国の日)
国際婦人の日に対して毎年2月23日が「赤軍の日(ソヴィエト軍の日、現在は祖国
の日)」として祝日(ロシア)になっている。

名称は第2次大戦終了までは「赤軍の日」と呼ばれ、1945年以降は「ソビエト軍の
日(Soviet Army Day)」、ソ連崩壊後は、「祖国の日」へと名を変え、ロシア連
邦では現在も祝日であるが、その他の旧ソ連邦構成国では祝日でない。この日は
第2次世界大戦のソヴィエト軍(赤軍)を追悼する意味があった。

ソビエト陸軍の日(Soviet Army Day)と対にあたるのが、前述の女性を讃える
「国際女性の日(International Women's Day)、が3月8日」だ。

日本流に言い換えればひな祭りと端午の節句のような関係だ。また、昨今の商業
主義的には2月14日の日本流バレンタインデーと3月14日のホワイトデーかもしれ
ない。

■■編集後記
日本の祝日は多過ぎて祝日の意義が希薄しすぎているのではないと昨今感じる。
しかし、日本のカレンダーと縁のない仕事をしているので働きすぎではある。で
は、ローカルのカレンダーに沿っているかというとそうでもない。仕事があると
きは仕事をする。少しはカレンダー従順になってみたい。

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2009年3月3日火曜日

【世界の街角から】タシュケントの表情と生活 第4号 2009年3月2日

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メールマガジン「世界の街角から」            第4号 2009年3月2日
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発行人の飯尾彰敏です。
第4号はタシケントの表情と生活についてについてのレポートです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
と硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けしていま
す。
▼第4号の目次はこちらです。
■タシュケントの発音と表記
■タシュケントの町の表情(1)
■タシュケントでの食生活(1)
■タシュケントショッピング事情(1)
■■編集後記
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■タシュケントの発音と表記
Ташкент (Tashkent)はロシア語表記、ウズベク語表記はToshkent、日本語で
は「タシュケント」と「タシケント」の2種類が表記に使用されている。以前は「タ
シケント」が多かったが最近は「タシュケント」のが多いようだ。よってここでは
タシュケントを用いることとする。

■タシュケントの表情(1)
町の表情を語る前に歴史を簡単にレビューしておく必要がある。

タシュケントはシルダリア川の支流であるチルチク川の流域に位置する。歴史的に
はシルクロードのオアシス都市として繁栄した。このオアシス都市は2000年前には
「チャーチュ」(ソグド語、ペルシャ語)として記録されている。タシュケントの
歴史は後述に譲るが、モンゴルにより町が崩壊し、その後、ティムール帝国の勃興
により復興を果たしている。

1809年、コーカンド・ハーン国の支配下になったころのタシュケントは25キロの城
壁に囲まれた人口10万人の都市だったという。その後、帝政ロシアがコーカンド・
ハーン国を征服、帝政ロシアの直轄領となり、1967年、タシュケントにトルキスタ
ン総督府が設置されてロシア人の入植が積極的に行なわれ、旧市街の外側にロシア
様式の新市街が形成され、その後、中央アジア経済の中心都市として発展、現在、
人口200万人を超え、中央アジア最大の都市である。

このように帝政ロシア以降の歴史的な背景から、タシュケントはAnchor Canalを境
にして西側を旧タシュケント(旧市街)、東側を新タシュケント(新市街)と呼ば
れている。

本来なら旧市街にはイスラム様式の町並みが残っているはずだが、1966年4月26日、
タシュケントを震源とする直下型大地震により、脆弱な構造の家屋や建築物の多く
が崩壊したため町の様相が一変した。

それでも旧市街には地震に耐えたイスラム寺院や土塀作りの迷路のような町並みが
残っているという。これはまだ未確認なので次回以降に説明する。

復興には、ソ連各地から3万人の「革命的労働者」が集められ復興支援が行なわれ、
僅か数年でタシュケントは近代都市に生まれ変わったという。

この復興計画では、定かではないが、道路幅員や1ブロックのサイズなど我々から見
ると非常にゆとりのあるモジュールが適用されたようでヨーロッパやアジアの都市
とは趣を異にする。若しくはソ連邦のモジュールなのかもしれない。

それで、町の表情はどうかというと、特に新タシュケント側は一言で言えば広々と
ベターッとしている。

どこが町の臍かと考えても明確な答えがないが商業的な集積は、短い滞在の中で感
じたのはナボイ劇場周辺とchorsoだろうか。チムール広場がタシュケントの中心だ
というが定義が不明確であるし、広々とし過ぎていることや空地も多いことから、
これが中心地なのだろうかと考えてしまう。確かに、ホテルや行政機関はいくつか
はあるが。

ナボイ劇場の周辺にはTsUMやMir Shopなど商業施設や文化施設が多い。行政機関も
同様にこの地区に多い。

歩こうと思うと広々とし過ぎていて、ややヒューマンスケールを超えるので散歩
コースを考えるのに苦労する。

■タシュケントの食生活
Sushi Barの宣伝を見たような記憶だがあまり話題に上らないところを見るとそれほ
どでもないのだろう。それよりもこの地域で和食を期待してはいけないと思ってい
る。もし期待した場合の失望感が大きいだろうから。

それよりも日本人にとっては朝鮮料理(下記参照、韓国料理のこと)のほうが何か
と口に合う。ウズベキスタン料理はプロフ、ラグマン、シャシリックなど美味しい
のだが脂っこいので敬遠しがちだ。

その他、トルコ料理、これはややトルコに滞在した経験を持つ筆者にっとてはやや
物足りない。中華もあるが、今回はこれからだ。ただ一人では行けないだろうな。

もちろんロシア料理も一般的に口にすることが出来る。ロシアのファミレスがある
そうなのでこのレポートはまたの機会にする。ロシア料理というとボルシチ、ポー
クカツレツ、ビーフストロガノフ等を思い出すがボルシチはウズベク料理屋でも用
意している。ボルシチ、サラダ、リピョーシカで軽くランチを食べることも少なく
ない。以下、個々の店の味と印象です。

□1937年以降、ソ連国家に反感を持ちそうな民族を丸ごと中央アジアのカザフスタ
ンや極東シベリアの遠隔地に強制移住させる政策がスターリンによって行われた。
極東沿海州の朝鮮人やカスピ海北部のドイツ人などの移民がカザフスタンへ強制的
に送られた。

▼Mir Burgar(Mir Shopの中)
元はDeMirといったそうだがそのフードコートにトルコ料理、ピザ、スイーツなどの
セルフレストランがある。地階にトルコ料理レストランがある。

選択肢があるが主にここではトルコ料理ファーストフードをよく食べる。トルコ料
理といえばドネルケバブ、ビーフとチキンの組み合わせになる。遅い時間になると
ドネルケバブが売り切れている場合が多い。それから、アイラン(ヨーグルトドリ
ンク)も毎回注文する。

Et Doner 6300Sum+Ayran700s=7,000Sum(5ドル相当)
ビーフのドネルケバブとヨーグルトドリンク

バナナジュース(1700s)があったので注文したが、甘くて飲めなかった。

ロカンタのような食堂があるとありがたいのだが。

▼韓国館(Han Kuk Kwan)
MBD(内務省)の前、Mirabad StreetとSharaf Rashidov Ave.が交差する島(駐車場
になっている)、ラウンドアバウトともいえない、の中に位置する。
Kosmonavtlar駅から徒歩3分
Tel.071-252-3322

何度か行ったがスンドゥブがいつもないので最近足を向けていないが、普通に美味
しい韓国料理屋である。

▼Kim's House
1996年1月にタシケントに滞在したときにタシケントに赴任している人に連れて来ら
れた韓国料理屋ではないかと思った。それは、入り口までのアプローチが非常によ
く似ていたからだが、内部はやや異なる気がする。それで、主人に確認したら2005
年5月からの営業とこのと、違う店だった。あの店はどこだったのだろうか。

Ming Orik/Oybek駅から徒歩3分
Afrosiab 35/1, Tashkent
Tel.071-252-2927

私的には気に入っている韓国料理屋なので何度も足を向けている。徒歩だと25分か
かるが丁度よい散歩だ。

▼MIDORI
Poytaxt Hotelの中(1階、ホテルの一角)にある。Korean and Japaneseと看板に
書いてあるので両方出すのだろうが、韓国料理しか食べたことがない。そういえば
寿司の写真がありました。

やや前述より値段設定が高めだろうか、メニューの違いはあまりわからなかった。
4, Movaraunnahr, Tashkent
Tel.071-120-6974

▼Opera Cafe
Dedeman Hotelのカフェ、ホテルの中なので値段はそれなり。
Wi-Fiが使えるのでその目的なら高くはないだろう。
夜は12時まで、食事は11時まで。
Dedeman Hotel 1F

▼Palace Plaza
International Business Centerの1階右奥にあるローカルフードレストラン、比較
的リーズナブルなのでビジネスセンターで働く人で賑わっている。メニューがある
がまだよくイメージできない。私の知っている範囲は、ラグマン、炒めラグマン、
ピラウ、ボルシチ、リピョーシカなど。サラダは種類が多い。ランチは、3000-5000
Sumで食べられる。

■タシュケントのショッピング事情(1)
前述のように町がベターと広がっているので商業的な集積は非常に限られるが、中
心地(新市街)の道路沿いの一階はショップになっている場合が多い。しかし、線
的な配置なので集積とはいいがたい。集積といえるのはMir Shopとバザール周辺だ
ろうか。Mir Shopとアライ・バザールは何度か足を向けたので概要を説明する。

基本的に販売している製品は輸入品であり、並の製品でも割高感が否めない。これ
はウズベキスタン製品の競争力がない証であることは言うまでもない。冬季は農産
物までトルコや中国から輸入されている。

▼Oloy Bazar (Alaysky)
新市街中心部にあるバザール、1996年に来たときには衣類のバザールは無かったが、
2007年には正面建物の右側に衣類のバザールが出来ていた。レザー、スーツ、カジ
ュアル等ほとんどの衣類が揃っているが、デザインがやや野暮ったいので買えそう
なものは少ない。トルコ製、中国製がほとんど。

正面の建物内は、宝石屋が多い。その奥に、野菜、果物、肉類など生鮮食料品バ
ザールがある。

ロンリープラネットによると警官が特に多いと説明がある。

▼Mir Shop (Super Market)
トルコ資本のスーパーマーケット、2007年のときはDemirといったのではないだろう
か。ここはトルコと概ね同じ内容と値段だ、食料品ならば概ね何でも揃っている。
キッコーマンの醤油も売っていたが7ドル相当と高価だった。他方、中国製の醤油は
2ドル相当だった。酒類は販売していない。ここがタシュケントでは一番品揃えがい
のではないだろうか。もう一箇所、旧Gumにトルコ系のスーパーマーケットが進出し
ているが今回はまだ足を向けていない。

また、3番のキャッシャーはクレジットカード(VISAは使えた)が使える。これは助
かる。

2階にブティックがある。トルコのSARAR(私が信頼しているトルコの紳士服屋)が
あったので、50%offのスーツを調達した。すそ直しはアライバザールへ行けという
のが納得行かないがしょうがない。次は靴を調達予定だ。

その他、ZARA、キッチン用品屋(ベルギー製がほとんど)、化粧品、家電製品、文
房具屋、時計屋、女性・子供服屋、下着屋、靴屋等のショップがある。

近くに劇場あったり、横にフードコートがあるなど他の施設との連携が取れている
せいか、いつも賑わっている。

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
言葉のバリアは大きい、ロシア語が出来たら情報量が倍増するのだろうな。この地
域なのでロシア語は必須なのだが。やはり語学学校へ行くべきだろうな、時間をつ
くってでも。

No.3にレポートしたトルクメニスタン大統領一行様、トルクメニスタン物産展も開
催されており案内があったので最終日に足を運んだ。しかし、ファッションショー
は最終プログラムが終了した後で観ず仕舞い。デデマンで見かけたモデルらしき均
整の取れた人たちがいました。

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2009年2月22日日曜日

【世界の街角から】 タシュケント再び、他 第2号 2009年2月21日

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メールマガジン「世界の街角から」
===================================================第2号 2009年2月21日
はじめまして、発行人の飯尾彰敏です。
出張先の都市より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、
ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けし
ています。
今は中央アジアに滞在していますのでこの近辺のトピックになります。
▼第2号の目次はこちらです。
■大陸の明かり-インチョン-タシケント便
■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム
■タシケントのホテル-値上げ
■■編集後記
===========================================================================
■大陸の明かり
インチョンから飛び立ったアシアナ航空OZ573便、A330-200は北西方向へ進路を決め、
右手に大連、左手に青島を結ぶラインの中間を目指してにポジジョンをとり黄海を
横断し前方の天津を目指す。そして、北京上空を迂回し、さらに大陸を横断するよ
うに奥地の北西方向へ飛ぶ。

フライト時間は7時間50分が予定されていた。インチョン空港が17時20分に発ち、21
時10分にタシケントへ到着する行程だ。夕方出発なので窓の外は闇の世界、特にこ
の日は曇天でインチョン周辺も島が若干見えた意外は霞んで雲以外見る対象が無か
った。

予断だが、席はガラガラ、旅行代理店の話だとシートの予約がリクエストしか入ら
ないというので混んでいるのかと思ったが、その逆なので予約が入らないのはまっ
たく意味不明だった。カウンターで聞いたところ、アシアナ航空へ直接連絡すれば
予約できるとのこと。

タシケント到着、1時間半くらい前だろうか、スクリーンのフライト状況を見るとYi
ningの南、タクラマカン砂漠上空であろうと思われるポジションを映し出している。
窓の外を見たら暗闇の中に2箇所(進行方向右側)街の明かりが見えた。

スクリーンではこれ以上詳細が表示されないので、機内誌のフライトルートマップ
をめくるも日本航空のような比較的航路に忠実なマップではない。よってはっきり
しないが、機体はタクラマカン砂漠上空を航行しているので新彊ウイグル地区の都
市だろうかと勝手に想像した。

大陸の街の明かりは、20数年前にアテネから南回りの日本航空で帰国するときアラ
ビア半島上空で窓の外から見えた鮮明な街の明かりを思い出させた。

■販売中止となったポラロイド社スペクトラ・フィルム

出張準備で渋谷ビックカメラのフィルムコーナーへ立ち寄ったら生産中止されたス
ペクトラ用のフィルムがまだ売っていた。今はもう商品の数が少なくなったが、そ
れでも10パッケージ以上は陳列されていた。

これは買わないとと思い3本セットのパッケージ、5980円、を購入、一枚当たりの単
価を計算したらなんと200円ではないか、これでは、デジカメとは競えませんね。

家に戻って早速もう何年も使っていないポラロイド社のスペクトラを押入れの奥か
ら持ち出し、フィルムを充填、我が家の住人、子犬だが、をモデルに試し撮り、な
かなか静止していてくれませんが何とか撮影に成功。

ポラロイドカメラのシャッターを押すと、カシャ、キーといって本体前から写真が
出てくる。しかし、このときはまだ真っ白、しばらくすると画像が浮き出てくる。
味わいがありますね。でも世代が変わると「ポラロイドって何ですか?」というこ
とになりそうだな。

ポラロイド社スペクトラの仕様(ヤフオクより転載)
画面サイズ  72×91mm
ピント合わせ 超音波AF
撮影距離   0.6m~∞ アダプター使用時0.25~
ファインダー テレスコーピック 
シャッター   電子制御 1/245~2.8秒 
露出機構   電子制御AE 明暗調整±2/3
使用フィルム Polaroid Spectra Film ISO600
ストロボ    内蔵固定式 発光停止撮影可
使用電源   フィルム内蔵ポラパルス板電池
フィルム装填・給送 フィルム位置合わせ、自動送り出し
フィルムカウンター カウンター窓 自動復元残数表示
大きさと質量    70.6×160×142mm 807g
大きさ      90.6×160×142mm (開いた時)
その他      セルフタイマー コントロールパネル
1986年物価目安   大卒公務員初任給約¥144,500- 1ドル160.10円


■タシケントのホテル-料金値上げの不思議
2009年より大幅な値上げを実施したホテルが多いようだ。今回、泊っている
Dedemanは65>85米ドル、Radisson SASは70から130米ドルへ値上げした。この意味が
よくわからないのがこの国なのだが、外貨建てで料金を徴収している(実際の支払
いの際にSUMに換えている)のだからホテルビジネスの場合、外貨ポーションの割合
は低いはずなので世界経済危機に便乗した値上げではないだろうかと推測している。

インフレーションは年率xx%(公表)であるものの、ドル建てで宿泊費が支払わ
れているので、影響は少ないはず。まあ、素人的な判断だとこういうことになる。

因みに、現在の為替レートは1USD=1427Sum(2月14日)である。

ウズベキスタン中央銀行
http://www.cbu.uz/

Dedeman Silkroad Tashkent
http://www.dedeman.com/Tashkent.aspx

Radisson SAS tashkent
http://tinyurl.com/bbshl4

▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
http://archive.mag2.com/0000283202/index.html

■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。

ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」
発行責任者:飯尾彰敏
公式サイト:http://www.iio.org.uk (暫定サイト、メルマガ用は準備中)
問い合わせ:iio.tokyo@gmail.com
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2009年2月15日日曜日

【世界の街角から】予防接種、タシュケント再び 創刊準備号 2009年2月14日

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メールマガジン「世界の街角から」
================================================創刊準備号 2009年2月14日
はじめまして、発行人の飯尾彰敏です。
ついにメールマガジンを発行することになりました。
出張先の国より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けする予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

▼創刊準備号の目次はこちらです。
■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
■予防接種
■13日の金曜日に出発
■タシケント再び
■■編集後記

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■メールマガジン「世界の街角から」創刊にあったって
バレンタインデーに合せたわけでもないが金曜日に出張したので週末少し時間がと
れることになり、創刊準備号を用意しました。記憶には残りやすいタイミングですね。

仕事の性格上、世界各地へ赴く機会が多い。特に日本人が行く観光地でない国が多く、それ故情報も少ない。旅行情報、現地での生活情報、社会経済情勢、国際政治など、それぞれの国や都市、人とのふれあいの中で肌で感じたこと等を書き留めておこうと思いメールマガジンを創刊することにしました。

なお、発行は随時としています。

写真を掲載している同名のサイトがあります。これはインターネットの商用化が開始された直後の1996年から運営してます。
フォトギャラリー世界の街角から http://www.iio.org.uk

■予防接種
巷では予防接種といえばインフルエンザとお決まりのようですが、私の場合やや状況が異なり予防接種はA型肝炎、B型肝炎、破傷風を接種してきました。これらの感染症に罹ることは途上国と呼ばれる国でも最近では稀でしょうが、備えあれば憂い無し、身体が資本ですのでその備えの一環です。

というのも、最近、知人の会社でアフガニスタンへ出張し、4人がA型肝炎にかかったと聞いたのです。また、ここ2年程度でマラリアに3人の知人が罹り、2人は日本で発症して倒れ救急車で病院へ運ばれました。そのうちの一人は意識不明が1日以上続いたそうです。また、もう一人の知人は緊急輸送でアフリカからパリへ運ばれたのです。

これまで罹りやすい肝炎(A及びB)の予防接種は既に3回接種しています。5-10年間程度の有効で、その後は1回で再度5-10年の効力があります。A型は既に10年経過していますが今回は追加1回(ブースターと呼んでいた)との判断でした。

A型肝炎は一度罹ると抗体ができもう罹らないと聞いているが、同じように抗体を作る予防接種に有効期限があるということは、これはどういう意味なのか確認する必要がある

破傷風は既に20年以上が経過しているので最初からやり直し、都合3回(2回目は2-8週間、3回目は1年以内)打たなくてはなりません。大地の子の中で破傷風に罹る場面がありました。今回は、似たような地域への出張ですので念のため最初からやり直しています。

20数年前にザンビアへ赴任したときは、ポリオ、狂犬病、破傷風、コレラ、黄熱病を接種、A型肝炎は当時は生ワクチン、3ヶ月か4ヶ月に1回、お尻にブスリとやられていました。マラリアはクロロキンというのを渡されましたが最初の1週間だけで止めました。これは錠剤ですがサイズが大きく非常に飲みにくかったからかもしれません。住んでいたルサカの標高は1200mだったので概ね問題ないだろうという希望的観測も飲まなかった理由でしょう。

今日も八重洲の鉄鋼ビルまで出かけてきました。右腕にB型肝炎(ブースター)、これで5年は大丈夫、左手に世間一般並みにインフルエンザの予防接種も受けてきました。打たないよりはインフルエンザに罹ったときに打っていた方が良いといわれました。予防は気休めで終わればそれで良し。何事も無く健康で仕事が続けらますように。

参考サイト:
海外渡航と予防接種う http://www.forth.go.jp/tourist/useful/02_tokou_yobou.html
財団法人 日本検疫衛生協会 http://www.kenekieisei.or.jp/index.html


■13日の金曜日に出発
「13日の金曜日」という1980年に公開されたホラー映画があったが、私の趣味ではないので観ていない。巡り合せではあるが、本日、2月13日金曜日に出かけることになったがあまり気分が良いものではない。

「13日の金曜日」は、キリスト教国、特に英語圏の多くとドイツ、フランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数の 13 と関係がある。カトリックのイタリアやスペインはというと、イタリアでは17日の金曜日、スペインでは13日の火曜日が不吉とされる。

13日の金曜日が不吉とされるのは、「イエス・キリストが磔刑(張付けの刑)につけられたのが 13 日の金曜日とされ、キリスト教徒は忌むべき日であると考えている。」という俗説がある。しかしこれは、正しくない。

キリスト教では主の受難日を金曜日としているが、その日付は定めていないし、共観福音書からはその日は 15 日と読め、ヨハネによる福音書からは 14 日と読めるが、キリスト教の各派ともその日を確定していないようだ。

最後の晩餐に13人いたということとイエス・キリストが磔刑にされたのが金曜日ということから「13日の金曜日」が不吉とされるようになったようだ。

インチョンからタシケントへのフライト、強い向かい風で予定より時間がかかったが兎に角無事に目的地に到着した。
Thanks God!

■タシケント再び
13日の金曜日、昼過ぎに成田を出発して、ウズベキスタンの首都であるタシケントに同日の21時は半に着いた。タシケントはこれで3回目になる。近隣の国への往復を入れるともう少し多くなる。

中央アジアではタシケントは交通の便がよく日本からもアクセスしやすい。今回は、成田-インチョン-タシケントのルート、前回の2007年1月も同じだ。最初(1996年)は、まだ、韓国系航空会社も運行しておらず、成田-バンコク-タシケントのルートでバンコクからタシケントへはウズベキスタン航空を利用した。早朝の出発だったので窓から景色が良く眺められた。しかもヒマラヤに沿って飛んでいくので窓の外がいつに無く迫力があった。http://uz.iio.org.uk/uzbekistan.htm

今回と前回はアシアナ航空を利用した。昨年の8月から大韓航空がタシケント線を運行している。両社ともタシケントのほか、カザフスタンのアルマトゥ(旧首都)へも運行している。

成田-インチョンが2時間40分、インチョン-タシケント間が7時間50分、インチョンを定刻に出発したが向かい風が強く30分ほど延着となった。日本でも春一番が吹いていた日だ。家を出てからの時間を振り返ってみると16時間40分後にホテルにチェックインしたことになる。

タシケント空港は1996年に最初に来たときよりはかなり良くなっているが、アルマトゥやビシケク(マナス空港)と比較すると今後大掛かりな整備が必要な印象だ、特に観光立国でもあるウズベキスタンの玄関としては尚更だ。

今回、ビザは日本で1年間有効のマルチプルビザを取得してきた。なかなか取れないようだがクライアントからレターを発行してもらい、旅行会社にどうしても必要なので領事部にその旨説明するようお願いした。自分で申請すればよいのだが、仕事などの出発前は出来るだけ手を開けておきたい、その分、必要な手続きを万全にするようにした。

タシケント空港の入国審査は時間のかかるほうだろう、丁寧に確認しながら手続きを行なっている。そのため、5ブース(計7ブース(数はあやしい))が出入国管理官で埋まってはいるものの時間がかかる。それゆえ、他の乗客はバスから降りたら一目散で走っていたのだろう、私はのんびりと普段どおりに歩いていったので最後尾となってしまった。

その後、税関審査が待っている。ウズベキスタンは税関申告書2通を作成し提出、押印後、1枚戻ってくる。これを次の出国するときに提出する。現金5000ドルを超えると審査がややこしくなるというので少なめに持ってきた。この国ではないが、申告しなければならない金額以上だと、全て見せる必要があり、何に使うのかと何かと時間を取られた記憶がある。

税関審査は全ての荷物をX線に通すので、これもX線検査機が4機か5機あるが時間がかかる。キャリーオンの中にカメラやレンズを入れているので大概開けろと言われるが開ければそれまでだ。今回も開けろといわれたが誰も開けようとしないのでそのまま出てきた。
今回のフライトの乗客数はそれほど多くない印象だが、着陸してから1時間以上は入国審査と税関審査に掛かったことになる。元々乗客数の多い路線ではないので少しばかり遅れても安心感はある。ビジネスクラスは30席あるが埋まっていたのは8席のみだった。成田-インチョンもかなり少なかった印象だ。大韓航空が参入した影響だろうか。

タシケントの気候は2年前の同じ季節とは異なり、かなり暖かい印象です。東京と差ほど変わらないのでは。冬物のセーターを持ってきたが着る機会が無いかもしれない。

タシケント国際空港 http://www.uzairways.com/airports.aspx

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。

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