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2014年9月30日火曜日

【世界街角通信】第204号 レイテ島タクロバンNo.13 ‐ 2014年9月30日



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メールマガジン「世界街角通信」       第204 2014930
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。アフリカの熱帯高地、ウガンダ北部の
グルより「Gule滞在ノート」をお届けししていましたが、今回はフィリピン・レ
イテ島タクロバンの継続、その13になります。

【訂正】
前号のタイトルがウガンダのタイトルとなっていました。
【世界街角通信】第203号 ウガンダ北部Gulu滞在ノート2-2014914
【世界街角通信】第203号 ウクライナ情勢ノート01-2014914

▼目次
■ウガンダからイスタンブール経由で帰国、フィリピンへ出張
■ペラパレスホテルとアガサクリスティー
Hotel Alejandro再び

■■後記
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■ウガンダからイスタンブール経由で帰国、フィリピンへ出張

長い長い2週間となった。というのは、先週はウガンダからイスタンブールを経
由し、中一日でマニラへ移動、ほとんど寝る間もなく、翌日、03:00にホテ
ルを出て04:45発のタクロバン行きフライトへ搭乗する予定であったが台風
の影響で遅延、その後キャンセルとなった。

代替ルートを探して、セブまで当日のフライトで移動、翌日セブからオルモック
まで高速フェリー、そして陸路でタクロバンへというルートで移動し夕方にタク
ロバンに着いた。マニラ空港には03;30-20:00までいたし、寝不足が
続き、タクロバン到着翌日の日曜日はほとんど寝ていたが、今週月曜日からフル
稼働、なので今週末がやっと通常の週末となった。遅めに起きホテルでゆっくり
朝食を取り、そのまま、くつろいでいる。

なぜ故にこんな早い便に乗ろうとしたのか、04:45のフライトは当日に開催
されるワークショップへの出席を意図してのことだったが無理し過ぎでしたね。
出席するのならばもっと早く開催日を決めないといけない。

同時にタクロバン空港滑走路が補修中でジェット機が飛ばせずプロペラ機のみと
なっていることから預入荷物が10kg、手荷物7kgとの制限があり、オーバーブッ
キングでキャンセルが頻発していた状況から早めに空港へ行った。その時のウエ
イティングは11番目だった。76人乗りをどういうわけか38人に制限していること
からのようだった。

機材はDHC-Q400。キャンセル後の再予約は最も早いフライトが23日(当日は19
日)だったので、最も確実な当日移動できるセブ経由フェリー陸路とした。セブ
一泊はよかったが、疲れた。なので今週はほとんど仕事が進んでいない。

■ペラパレスホテルとアガサクリスティー

イスタンブールに立ち寄ったので。

Pera Palace Hotel Jumeirah, イスタンブールで仕事をしていた時に住んでいた
アパートの直ぐ近くにこのホテルがあった、毎日、このホテルの前を徒歩で通勤
した。というのはイスタンブール市役所の事務所がこのホテルの目の前に位置し
ていたからだ、当時、改修工事を始めたばかりで2年後に完了する予定だった、
それ以来気になっていたが今回のイスタンブールトランジットで少しフォローし
た。ドバイ資本の名前がホテルに冠しているのがやや気になる。出来栄えは次回
に。

このホテル、オリエント急行の乗客が宿泊するホテルとしてオスマントルコ帝国
における欧州様式のホテルとして1892年に開業した。Webによると今年が「オリ
エント急行殺人事件」執筆80周年とのこと。著者のアガサ・クリスティーがこの
ホテルに宿泊して執筆した。

Pera Palace Hotel Jumeirah

Hotel Alejandro再び

ホテルの2階廊下に他の写真とともに日本人の写真が展示されていた。この人は
フィリピン人もよく知る山下泰文陸軍大将 第14方面軍司令官、戦後、マニラ軍
事裁判によりマニラで絞首刑となった。イントラムーロスと聞いている。

この写真をはじめ、多くの戦時中の日本軍の写真が私の宿泊している Hotel Ale jandro, Tacloban Cityのロビーに展示されいた。過去形としたのは、5月に宿泊
した時と展示内容が異なっているからだ。この山下泰文陸軍大将の写真もこのホ
テルの2階に展示されていた。

なぜか、今回、写真を見渡すと前回と写真の内容が異なる。日本軍の写真がほと
んどなくなり、連合軍(米軍が主)のがほとんどなのだ。私の部屋へ入る廊下側
には、レイテ沖海戦の日本海軍の提督等が米軍に代わっていたことから気が付い
た。特に2階奥、UNOCHAが事務所に使っていた側に日本関係が多かったが、ほと
んど取り外されていた。

ホテルは、6月後半から8月初旬まで米軍から予約が入っており、全室、押さえら
れていた。この件から類推すると、ホテル側が何らかの考えの基に架け替えたの
だろう。この山下大将の写真は廊下奥に取り外された日本軍関係の写真をととも
に裏返されて置かれていたからだ。

米軍の滞在はRIMPAC2014及びパシフィックパートナーシップ2014に関連して
いると思われる。

Hotel Alejandroの展示写真

パシフィックパートナーシップ2014

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■■後記

ショパン:ノクターン第2番変ホ長調作品9-2 by 中村紘子を聴きながら。
タクロバンにて

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2014年7月22日火曜日

【世界街角通信】第198号 レイテ島タクロバン(11) 2014年7月20日



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メールマガジン「世界街角通信」       第198 2014720
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。やや間が空きましたが今回もフィリピ
ン・レイテ島タクロバン、その11です。

今号も引き続き、日本とフィリピン関係を掘り下げたいと思います。

▼目次
■日系フィリピン人と移民政策
■日本と世界銀行(国際復興開発銀行)

■■後記
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■日系フィリピン人と移民政策

先日、移民受け入れのテーマに関連して「日系フィリピン人」のことがメディア
で紹介されていた。日系ブラジル人と同様、日系人の場合は、19906月に「出
入国管理及び難民認定法(以下、入管法)」の改定が行われ、「定住者」の在留
資格が創設され、日系3世までが就労可能な地位が与えられた。このためバブル
経済末期であったが、日系人の入国が増大した。

日系2世(南米などに移民した日本人の子として外国で出生した者で日本国籍を
保有しない者)には「日本人の配偶者等」という在留資格が与えられ、日系2世、
3世やその家族の就労が合法化されたことによる。

フィリピンの日系人と言うと二種類の日系人が思い浮かぶ、一つは、太平洋戦争
前から移民としてフィリピンに渡り、農業開発に従事した男性がフィリピン人女
性と結婚し、子供をもうけた子孫、終戦時の混乱で多くが行方不明となったり、
社会的な非難から日系人であることを隠し通してきた人たちが該当する。

もう一つは、戦後、フィリピンで日本人男性とフィリピン人女性との間に子供が
生まれ、その後、認知されずに残された子孫等が該当する。

フィリピン日系人リーガルサポートセンター

フィリピン残留日系人のための査証
tm

彼らとて日本人の子孫であることから、国籍が日本でなくとも日系人として在留
資格が与えられ就労が合法となる。テレビ番組取り上げていたのは、最も近い日
系人である日系フィリピン人を労働力不足等の移民政策に取り込もうと試みてい
る内容だった。

絶対数が少ないのでそのようなレベルで労働人口の減少は解消されるとは思わな
いが、日系フィリピン人の存在を日本人としては認知しておくことは重要である。

■日本と世界銀行(国際復興開発銀行)

復習の意味で。

日本は、日本との平和条約(サンフランシスコ講和条約)調印の翌年(19519
8日署名、1952428日発効)の19528月に世銀(国際復興開発銀行)/IMF
(国際通貨基金)へ加盟し、1953年から1966年の間に31事業に対して863百万米
ドルの借款を受け、1990年に完済している。その融資事業は、発電所、製鉄所、
高速道路、新幹線、灌漑事業等、トヨタ自動車の工場建設にも融資されている。
新幹線や東名・名神・阪神・首都高速道路、愛知用水、黒部第4ダム等が良く知
られている。

世銀はIMFとともに、連合国が大恐慌以降のブロック経済の反省と第二次世界
大戦後の世界経済の安定を目的に1944年のブレトン・ウッズ会議において設立し
た国際機関で、通貨の安定、貿易振興、開発途上国の開発を行い、自由貿易圏を
形成することを意図、通貨の固定相場性を導入した。そして、米ドルを基軸通貨
と位置付け、金1オンス=35米ドルと定め、その他の通貨に対米ドルの交換比率
を定めた。1973年に変動相場制に移行し、ブレトン・ウッズ体制が終焉。

世界銀行は、第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、
主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関と
され、IMFは国際収支の危機に際しての短期資金供給を目的とした。

日本政府は、世銀/IMFの第2位の拠出国、出資比率は6.84%。第1位は米国
の15.85%。第3位が中国の4.42%、次いでドイツ、英国、フランス、
インド、ロシア、サウジアラビア、イタリアと続く。

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■■後記

海外業務で常に考えること、それは仕事をしている国と日本・日本人との関係で
す。

195号の「レイテパークホテルの朝食からみたレイテ島」はいささか、概略過ぎ
だったので別な機会に深掘りしてみたいと思います。

7月は再度フィリピンの予定でしたが、マネージメントが脆弱で不確定要素が多
く、別な仕事をすることにしました。フィリピンはもう少し継続しますが、次回
からは、アフリカの熱帯高地からお届けする予定です。

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2014年6月13日金曜日

【世界街角通信】第197号 レイテ島タクロバン(10) 2014年6月12日



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メールマガジン「世界街角通信」       第197 2014612
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。引き続きフィリピン・レイテ島タクロ
バン、今回はその10です。

今号も日本と日本人との関係をレイテ島に関連して説明したいと思います。

▼目次
Hotel Alejandroと日本軍・日本人
■ドゥラグ中央小学校と日本軍
■台風ヨランダと日本人被災者

■■後記
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Hotel Alejandroと日本軍・日本人

タクロバンでは、ホテル・アレハンドロという名のホテルに泊まっていた。筆者
の基本は街中のホテルに泊まること、その都市の雰囲気が一歩外へ出ればわかる
からだ。しかし、復旧復興需要でこのホテルはほとんど空きがなく予約が出来な
かったが、今回、幸いにも私の滞在期間中、予約が入れられた。

多くのタクロバンのホテルが援助団体の事務所と宿舎になっているようにこのホ
テルにもUNOCHAUNDPが事務所を構えているが、が近々移転する。初動の支援が
終了したことも、部屋が空いていた要因であろう、私にとっては有難い。

このホテル、1932年に建てられ、その後、太平洋戦争の進展とともに、米軍、そ
して、日本軍、そして、米軍が使用した経緯がある。日本軍は説明よると3ヶ月
間、2階全てを接収し、その後、日本語教師のスズキさんが米軍のレイテ島上陸
194410月直前まで住んでいたようだ。

このホテルの前オーナーが写真好きで当時の写真を多く残している、それを壁一
面にギャラリーのように展示している。その中には、日本人、日本軍の写真もあ
るが、量的には米軍のが多い。

レイテ島の日本軍と日本人

■ドゥラグ中央小学校と日本軍

ドゥラグの小学校Dulag Central Elementary Schoolが、元日本軍の捕虜収容所
だったと聞いたのは、同町内のYamazoe Shtrineの話を聞いたときと同時期だっ
たが、今回、その両方を訪れることが出来た。実際に駐屯地と捕虜収容所だった。

しっかりした木造の建物で、長年、維持管理をしながら使ってきたのであろう、
しかし、台風ヨランダでは甚大なン被害を受けた。

Dulag Central School と日本軍

小学校の建物の正面に碑がある。碑文は以下の通り。

Gabaldon Building
Dulag Central School

Constructed in the 1920's under the leadership of Captain Tacio Lagunzad  and Distrit Supervisor Jacinto Delireli. All rooms used as class room  and intermadiate grade pupils. Site became populary known as "the new  school site".

From August 1942 to October 19 1944, building was occupied and used by  the Japanese Imperial Forces as a garrison and prison camp with an  under ground bartolina "well fortified dungeon beneath the concrete  stairs. Behind the building, a part from present athletic field, was  the place of brutal atrocities of the Kenpeitai, the Japanese Military  Police as well as a battle ground where underground forces attemted to  recapture the place several times but was captured by the American  liberation foreces in the morinig of October 20 1944.

筆者和訳
ガバルドンビルディング
ドゥラグセントラルスクール
Tacio Lagunzad大尉及び地区長(バランガイキャプテン) Jacinto Delireli
リーダーシップの下、1920年代に中学校(Intermediate Grade)として建築され
た。この場所は新学校としてよく知られた。

19428月から19441019日まで日本軍が使用し、bartolina=地下牢、コンク
リート階段の下にある堅牢な地下牢とともに駐屯地及び捕虜収容所として使われ
た。
建物の後ろ、現在の運動場の一部、は、恐れ慄く日本軍の憲兵隊があり、戦場と
同様にゲリラが奪還を何度も試み、19441020日の朝、米軍により攻略された。

■台風ヨランダと日本人被災者

タクロバン空港でマニラ行きフライトのチェックインのため並んでいた時、柱に
日の丸ともに何か書いた紙が柱に貼ってあることに気が付いた、その前後に、米
国と英国の国旗、近づいて文書を読むと、日本人被災者の情報があったら大使館
へ連絡するようにという内容の文書、米英も同じ内容だった。

実は、パロに住んでいた日本人の方が自殺していた。

まにら新聞より
レイテ州パロ町で暮らしていた日本人男性が自殺していたことが15日までに分か
った

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■■後記

太平洋戦争の激戦地であったレイテ島、当時の出来事が静かに歴史に刻まれてい
る、そんな印象を受けました。

昨年の台風ヨランダ災害復旧では日本政府は46億円の無償供与を決めています。

海外業務で常に考えること、それは日本・日本人との関係です。

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2014年5月25日日曜日

【世界街角通信】第196号 レイテ島タクロバン(9) 2014年5月25日



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メールマガジン「世界街角通信」       第196 2014525
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。フィリピン・レイテ島タクロバンその
9です。

今号も引き続き、主に日本人が一般的に知っている言葉や日本との関係でレイテ
島、サマール島に関連する事について説明したいと思います。

▼目次
■フィリピンのスィーツ「ハロハロ Halo-halo」とその由来
Dulagの山添大尉神社 Yamazoe Shrine

■■後記
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▼補足
195号の「レイテパークホテルの朝食からみたレイテ島」はいささか、概略的過
ぎたと反省、別な機会に深掘りしてみたいと思います。

なお、タクロバンの野菜のほとんどはミンダナオ島産だという。レイテ島産は米、
魚、くらいだろう、肉は市場で売っているし、屠殺場が各町にあるのでこの島産
と思いたい。しかし、鶏肉と牛肉は冷凍が多い。水牛はレイテ産であろう。

レイテ島は、米国植民地時代からサトウキビ、タバコ、ヤシのようのな換金作物
の栽培が盛んであったことは他の島が生活の基盤となる作物を栽培していること
からみても主食の確保が難しい状況にあったことが容易に想像がつく。そして、
現在もその作物が継続している。

■フィリピンのスィーツ「ハロハロ Halo-halo」とその由来

フィリピンのかき氷スイーツ、ナタデココ、プリン、アイスクリーム、コーンフ
レーク等が入る。ハロハロの名はタガログ語の混ぜると言う意味のハロから来て
いる。「混ぜる混ぜる」となる。

このハロハロ、由来はどうも日本人らしい。

ネット情報によると、明治末期、「唐行きさん」がフィリピンで第二の人生に甘
味処をはじめたことに由来する。つまり、ハロハロのベースは、日本の蜜豆とい
うことになる。

「唐行きさん」の唐=一般的に外国を指す言葉として使われたようだ。

19世紀からその「唐行きさん」として、特に島原・天草地方の貧農出身の女性が
多く、概ね借金を抱えていた。出稼ぎ先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、
タイ、インドネシアなどのアジア各地であるが、遠くはザンジバル島まで渡航し
ている。実際にからゆきさんの墓がザンジバル島にある。

国際社会おける日本の立場が拡大するにつれ、「唐行きさん」の存在が「国家の
恥」であると考えられるようになり、1920年に廃娼令が布告され、海外における
日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もい
る。

山崎朋子著「サンダカン八番娼館」の出版(1972年)によって広く知られるよう
になった。サンダカンはボルネオ島の港町である。1974年に「サンダカン八番娼
館 望郷」と言うタイトルで映画化された。。元からゆきさんを演じた田中絹代
は、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した。

ハロハロを食べるときのこのことを思い出す。

Hotel AlejandroCafe Teresaでのハロハロ

Dulagの山添大尉神社 Yamazoe Shrine in Dulag, Leyte

山添神社がドゥラグ町にあるというので行ってきた。

山添とは、山添勇夫陸軍大尉のこと、日本軍が19425月にレイテ島を支配下に
置き、米軍が上陸する194410月まで駐留していた時のこと。

公平な態度で住民に接したことから今でも語り継がれている。山添大尉は碑文に
よると1943418日この地で戦死している。

Dulagには日本軍が使っていたBrauen Airfieldがあった、ここはその傍に位置す
る。

碑文
2次大戦の傷跡が今なお残り、住民の反日感情も根強いレイテ島のドラグ市を
日本軍が占領中に公平で友好的な態度を貫く市民の信望を集めた日本兵山添勇夫
陸軍大尉並びに有志達の遺徳を偲び記念碑を地元の人々の手で建立された。1943
418日、この地点で戦死された。
出身地 京都府与謝郡岩滝町石田
寄贈者 坂本(ギョウ)計
    河野アメリア

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ハロを注文するときに「唐行きさん」のことを思い出す。

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