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2011年6月22日水曜日

「世界の街角からMM」第107号 ベルリン・レポート07(最終回)2011年6月22日

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メールマガジン「世界の街角からMM」         第107号 2011年6月22日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年が過去ったが、2010年初秋にベル
リンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート07(最終回)です。
▼目次
■新旧ベルリン
■ベルリンのベトナム人
■Twitterのご紹介その2
■■後記
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■新旧ベルリン
ベルリン・ティーゲル空港は、2012年10月に開港予定のベルリン・ブランデンブ
ルク国際空港の開港(東ベルリンに位置したシェーネフェルト国際空港を大幅に
拡張)後に閉鎖される予定なので、1年少々時間があるがこれが見納めかもしれ
ない。

西側の人にとってのベルリン(西ベルリン)の空港は、ティーゲル空港であり、
東側ではシェーネフェルト空港であった。その東西ベルリンを代表した空港も統
一20数年を経て新旧ベルリンが融合し、ひとつになろうとしている。

統一後、ドイツの首都がベルリンに復活し、旧国会議事堂が改装され新たに政府
庁舎が斬新なデザインで設計された。ここにも新旧ベルリンがみられる。

鉄道駅もベルリン中央駅が完成して、東西ベルリンにあったそれぞれのターミナ
ル駅が統合した。新たにベルリンを訪れる人は動物園駅や東駅を知らないまま中
央駅を利用することだろう。

住宅もそうだ、あのごつごつした無機質のアパート群は今も名残があるが多くは
ファサードサードまで改装している。歩いても気がつかないほどだ。

ベルリンはそういった近代の歴史において分断され統合した特異な歴史があり、
その新旧は今も変わらずベルリンに存在している。それがベルリンの魅力だ。

■ベルリンのベトナム人
共産主義時代、ベトナムの輸出産業として多くのベトナム人が共産主義国へ出稼
ぎに出ていたが、冷戦後、一挙に帰国したため本国で雇用問題が発生した。90年
代にベトナムで仕事をしたときに、東ドイツやソ連等に出稼ぎしていたベトナム
人ドライバーが多く、彼らは外国語としてドイツ語やロシア語を話した。

私の記憶の中では、90年代にワルシャワ駅前の食堂、ブルガス(ブルガリア)の
建設業者等でベトナム人を見かけた。帰国せずその国に留まったベトナム人だろ
う、東ドイツとて例外ではなく現在のベルリンにはベトナム系レストランを多く
見かけた。

スーパーマーケットの食品コーナーにある日本料理は概ねベトナム人が働いてい
た。彼らは新たに職を求めて現在のベトナムから出稼ぎに来ていると話していた。

出稼ぎは増えているようで、ヨーロッパへ不法就労を試みるベトナム人は後を絶
たない。数ヶ月前にユーロポールがモスクワとドイツを経由して英国へ行く予定
だったベトナム人を摘発したニュースが記憶に新しい。
http://www.viet-jo.com/news/social/110210100433.html

ベルリン在住の日本人フリーターが美味しい中華があるというので旧東ベルリン
地区の前回紹介した「スマートデリ」の近く、環状線の地図で言うところの3時
付近、で食事をすることにした。

駅から数分、近隣商業地区といった雰囲気でカフェやレストラン、そして若者が
多い。

彼が中華と称したレストランは、メニューを確認したらベトナム料理だった。こ
れ幸いとばかりに思いつくベトナム料理を注文してみた。フォーやブンチャーな
ど庶民的なメニューもあった。

ウエイトレスがベトナム人のようだったので質問してみたところ、本人はベルリ
ン生まれ育ちだが父親がハノイ近郊出身という。北ベトナム時代なのか、その後
なのか不明だが、東ドイツ時代の移民のようだ。以前、ヒューストンで会った南
ベトナムからの移民とは趣が異なる。

まあ、ベルリンで本格的なベトナム料理が食べられるとは、コスモポリタンなら
ではであろう。

■Twitterのご紹介その2
番外ですが、私のTwitterをご紹介します、確か一昨年末か昨年初めに登録して

のままだったのですが、最近、使うようになりました。スマホでは軽いのでメー
ルより使いやすい。アドレス、下記のとおりです。気になったこと、呟いていま
す。
Twitter: http://twitter.com/moskvichka55


▼Twitterとの連携
「世界の街角からMM」のウェブとTwitterを連携させた試行サイトです。内容は
これまでのメールマガジンとTwitter(moskvichka55)のツィート(日毎のまと
め)を収めたサイトです。

http://grechka.blog67.fc2.com/

■■後記
ベルリン・レポートは第7号でお仕舞いです。行ってからまとめるのにちょっと
時間がかかりました。

ベルリンの最大の収穫は、日本大使館です。朽ち果てた在ドイツ帝国大日本帝国
大使館が見事に復活していたことです。

しかし、在外公館建築はお役所仕事なので、新たに増築された領事部などはどこ
の在外公館でも大差ない味気ない印象でしたが、当時の古典様式の列柱を持つ正
面は見事ですね、中に入れないのが残念でしたが。

この大使館、日本の在外公館の中でも相当な規模ですよ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第107号 2011年6月20日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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公式サイト1:http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用)
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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2011年6月11日土曜日

【世界の街角からMM】第106号 ベルリン・レポート(6) 2011年6月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第106号 2010年6月11日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが昨年秋に
ベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート06です。
▼目次
■今も変わらぬ動物園駅
■ブランデンブルグ門の今昔
■ベルリンから荷物を郵送する
■■後記
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■今も変わらぬ動物園駅
ベルリン動物園駅=Bahnhof Berlin Zoologischer Garten

西ベルリン時代を含めて2006年にベルリン中央駅が開業するまでベルリン西部の
ターミナル駅として機能していた鉄道駅である。動物園駅はベルリンSバーンの駅
として1882年2月に開業している、Uバーンが地下に走っている。

Zoo Station
http://berlin.barwick.de/travel-transport/stations/zoo-station.html

駅の名のとおり、駅前にベルリン動物園が位置する。でも駅前に立っても動物園
は見えないが、メルセデス・ベンツのトレードマークである「スリー・ポインテ
ッド・スター」を屋上に掲げた近代的なヨーロッパセンターと尖塔が爆撃された
ままのカイザーヴィルヘルム記念教会が見える。

冷戦時代、この駅の周辺は麻薬常習者のたまり場だった。1981年に公開された
「クリスチーネ・F」という映画、原作は「かなしみのクリスチアーネ われらツ
ォー駅の子供達」は、荒廃したベルリンの少年少女の生態を描いており、その手
記はヨーロッパを震撼させた。

主人公は、クリスチーネ、13才にして麻薬中毒であり娼婦だった。動物園駅に
たむろし、13歳から麻薬中毒で14歳でヘロインにハマり、売春しながら薬を調達
する日々を過ごし、恋人のデトレーフもホモに身体を売りながらハマっていく。

クリスチーネ・F
http://youtu.be/mG6sXLQwlJU

こんなことを思い出しながら動物園駅の周囲を歩いてみた。通りを挟んだ先には
セックスショップが店を開けている。その先にはKarstadtスポーツショップがあ
る。その間の数十メートルの道のりは以前の動物園駅の香りがした。

Karstadtスポーツショップ
http://www.qype.co.uk/place/45847-KARSTADT-sport-Berlin

http://www.karstadt.de/

■ブランデンブルグ門と今昔
東西に分割されていたベルリンの国境はこのブランデンブルグ門であった。門は
東ベルリン側に属し門の外側にベルリンの壁が立っていた。東ベルリン側からは
下の写真までが限界だった。

1985年8月のブランデンブルグ門
http://1985.iio.org.uk/east_germany/west-berlin04m.jpg

だから、ぎりぎりまで寄ってもかなり遠く感じた。他方、西ベルリン側からは門
の直ぐ前に建つ壁まではあっさりと行けた。門の前にはソ連軍の戦車がありその
前にソ連兵が立っていた記憶がある。

ここまでが東西ベルリン時代の、現在は統一され壁もなくブランデンブルグ門は
自転車でも徒歩でもスイスイ行き来できる。当たりまえだが。当時がこれがあた
りまではなかったのだ。ライトアップされ夜も観光名所となり、人の行き来が絶
えない。

変わったことといえば、西側支配国である米英仏の大使館がブランデンブルグ門
前に集中している。当然、米国大使館は門に向かって左側の広大な敷地を使って
いる。フランスは門の右側、英国は米国大使館のやや手前、こちらも非常に大き
な建物だ。それぞれ連合国の威信をかけて場所を確保し、建物を建てたようだ。

ソ連大使館は元々ウンターデンリンデン沿いに位置していたのでそれが現在はロ
シア大使館となっている。いうまでもなく広大な敷地に巨大な建物だ。更に、そ
の手前にアエロフロート航空のオフィスがある。

ブランデンブルグ門パノラマ
http://www.panorama-cities.net/berlin/brandenburg_gate.html

■ベルリンから荷物を郵送する
懐かしくなり本や地図をかなり購入したので日本へ送ることにした。以前から西
ヨーロッパの郵便はサービスレベルが高く、箱など必要なものは郵便局へ行けば
調達が出来、荷物だけ持っていけばよかった。ドイツも同じだ。

ドイツの郵便局はドイツ・ポストという。現在は、郵便事業とロジスティクス事
業を担い、正式な会社名はドイツ・ポストDHL(Deutsche Post DHL, DPDHL)であ
る。1995年、ドイツ連邦郵便がドイツテレコム、ドイツ・ポストバンク、そして
ドイツ・ポストに分割、株式会社として民営化された。
http://www.deutschepost.de/

ドイツ・ポストは、2002年にクーリエサービス企業であるDHLを買収し、グローバ
ルロジスティックス企業に成長し、郵政民営化の例でよく取り上げられている。
フランクフルト証券取引所、ロンドン証券取引所に上場し、ドイツ株価指数
(DAX)の採用銘柄でもある。

ホテルで郵便局の場所を聞き、フリードリッヒ・シュトラッセのショッピングセ
ンター内にある郵便局へ足を運んだ。例によってエコノミークラスで2箱を送付し
た。箱は黄色、そして赤いDHLのロゴマークが印刷してあった。

これがどういうわけか、7-10日で日本まで届くと思っていたが、予想以上の所要
日数となり、1ヶ月以上経過してから届いた。特に急ぐわけでもなく、日本にいる
わけでもないので特に問題はなかったのだが。エコノミーっていうのはもしかし
たら、船便だったのではと送り方を間違えたのかとも思った。

■■後記
当時の西ベルリンの雰囲気をよく表していたのは動物園駅付近だ、かなり小奇麗
になっていたが、時間によって、地区や通りによってその表情が変わっていくの
だろうと感じた。

ハノーファーから東ドイツを横断し西ベルリンに着いたが街の表情が西ドイツ本
土と比較してかなり荒んだ印象だった記憶だ。でもそれがベルリンだった。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第106号 2011年6月11日
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2011年6月10日金曜日

【世界の街角からMM】第104号 ベルリン・レポート(5) 2011年6月9日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第105号 2011年6月9日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが2010年初秋
にベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート05です。
▼目次
■Twitterのご紹介
■ベルリンのクラブ
■ドイツでは売春は合法
■東ドイツ製小型乗用車-トラバント
■■後記
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■Twitterのご紹介
番外ですが、私のTwitterをご紹介します、確か一昨年末か昨年初めに登録してそ
のままだったのですが、最近、使うようになりました。スマホでは軽いのでメー
ルより使いやすい。アドレス、下記のとおりです。気になったこと、呟いていま
す。
Twitter: http://twitter.com/moskvichka55

■ベルリンのクラブ
ベルリンはクラブのメッカらしい。「スマートデリ」で話をした日本人、仮にM君
としておこう、とドイツ人がクラブへ行く予定だというので便乗することにした。
クラブはまだ決まっておらず、時間は、11時から午前零時ごろだという。ホテル
に一旦戻って連絡を待つことにした。

ベルリン到着したその日の夜だったので寝不足だった。エレバンからウィーンの
フライトは5時20分なので朝3時過ぎに空港へ向かったのだ。満腹感も手伝い眠い
はずだ。

ホテルに戻ってベッドでうとうとしてしまいM君からの電話に気づかず、午前1時
ごろに電話をかけなおしたら、あるクラブにいるという。住所を聞いてホテルか
らクラブへタクシーで駆けつけた。

ベルリンのクラブは、旧東ベルリン側の未利用建物を利用して運営されているこ
とが多いとのこと。まったく情報がなかったので彼には感謝、場所はフリードリ
ッヒ・シュトラッセのホテルからタクシーで15分くらい走った静かな住宅街にあ
った。

タクシーは教えられた通り名と番地を告げたらクラブの目の前で下ろしてくれた。
当たり前だがストレスがなくてよい。人が溢れていたので直ぐに気がついて電話
をするとM君が迎えに出てくれた。アドミッションをいくら払ったか記憶にないが
高くない印象が残っている。クラブの名前はDamen-club、テクノミュージック主
体だった。

バーでドリンクを買って適当に飲みながら過ごす、ほとんどが10-20代だろう、か
なり賑わっていた。地下のフロアで生バンドが演奏され、上の階に音楽が漏れて
きていた。

地下のフロアは盛り上がっていた。DJとバンドの目の前まで通り抜けることさえ
困難なほどだった。M君によると大当たりだという。年も考えず若者と一緒に盛り
上がった。

その後、ビールを飲みながらM君と話をする。彼はいわゆる自由人のような、しか
し、財政的バックアップは親から期限限定であるという羨ましい境遇でベルリン
に滞在していた。クラブ音楽やDJに興味があるようなのでそんな環境でないと前
に進められないのだろうか。

午前4時過ぎに退散することにしたが、クラブは夜が明けるまで続きそうだった。
M君どうもありがとう。

ベルリンのクラブシーン
http://public-image.org/column/2011/01/19/wcr11.html

■ドイツでは売春は合法
ホテルでフリードリッヒ・シュトラッセ側に席を取り、窓の外を眺めながら朝食
を食べていたときにArtemisというアドを全面に塗装したバスが通りを走っていた。

Artemisはギリシア神話に登場する狩猟・純潔の女神であり、トルコのエフェソス
遺跡で発掘された女神像の名でもある。

エフェソスは。現在のトルコ・イズミール近郊にある古代ギリシャの都市遺跡、
アルテミス女神崇拝の一大中心地であった。この地にあったアルテミス神殿はそ
の壮麗さで古代においては著名であったという。

記憶に残っているのはエフェソスの女神像だ。この像は胸部に多数の乳房に見え
る卵形の装飾を付けた外衣をまとっており、あたかも「多数の乳房を持つ」よう
に見え、「多数の乳房を持つ豊穣の女神」として紹介されている。
http://www.ephesus.us/

さて、気になったのでベルリンのArtemisネットで調べたところ、いわゆるサウナ
サロンであった。この施設はドイツ全国にも存在する。

ドイツでは2002年に売春が合法化された。売春合意年齢は21歳、現在、ベルリン
だけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人といわれる(wi
ki)。ちょっと過大な数値ではと思う。合法化したことにより、アングラマネー
を正規に税として徴収することが出来るようになり税収増加が見込まれた。

同じドイツ語圏であるオーストリアではどうか?

売春は合法である。路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要であり、海
外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。売春ビザで働
いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも裁判で認
められている。(wiki)

しかしそんなビザを取得するかね?やっぱりアングラだろうね。ドイツやオース
トリアではどの程度売春管理しているか、もう少し知りたいところだ。

■東ドイツ製小型乗用車-トラバント
ダンボールのボディと揶揄された東ドイツ製の小型乗用車トラバント(Trabant)、
愛称トラビ(Trabi)は、全長3.5 m, 車幅1.5 m、定員は4名、エンジンは直列2気
筒2ストロークの空冷エンジン横置き配置で、前輪駆動方式のコンパクトな自動車
である。
http://1985.iio.org.uk/east_germany/trabant601.jpg

走り方がプン、プン、プーンとツーサイクルエンジン音を発し、青い煙を吐きな
がらながら小さな車体が不具合な広い通りを走っていた。現在はベルリン観光ツ
アーに利用されているので今もよく見かける。

ウンター・デン・リンデンを走るトラビ(1985年8月)
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin05m.jpg

http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin02m.jpg

トラバントは第二次世界大戦前に自動車メーカーであったアウトウニオンの旧工
場のうち、高級車ホルヒの生産拠点であり、戦後、東ドイツ地域に含まれたツヴ
ィッカウ工場がその前身となったVEBザクセンリンク社(国営企業)が生産してい
た小型乗用車である。

旧東ドイツは、ドイツ帝国を分割したため、東ドイツ側に位置していた産業を前
身とする産業がそのまま継続したケースが多い。カール・ツァイス・イエナは世
界市場でも競争力のあるその代表的な例だ。

トラバントは旧ソ連圏にも輸出され、90年代にソフィアに滞在していたときのあ
る雪の日、雪の積もったトラビを見かけた。
http://bg.iio.org.uk/sofia51m.jpg

今だから言える、なんとも愛嬌のある車なのだろう、東ベルリンのマスコットの
ような存在だ。

トラバント博物館
http://www.trabant-museum.eu/

■■後記
沖縄が梅雨明けとのニュースを聞いたがかなり早いですね、今夏はどうなるのか
気になるところです。

ベルリンはまだまだ挿入部なので、深部まで見てみたくなる魅力を持っている都
市であることは経験上間違いないと思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第105号 2011年6月9日
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2011年6月8日水曜日

【世界の街角からMM】第104号 ベルリン・レポート(4) 2011年6月7日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第104号 2011年6月7日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが2010年初秋
にベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート04です。
▼目次
■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
■かつて泊まったBerlin International YH
■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
■■後記
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■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
1985年8月9日、金曜日の早朝、後述する宿泊していたYHから徒歩でティアガルテ
ンへ向かって歩き始めた直後、日の丸を掲げ朽ちかけた古典様式の大きな建物が
夏草に覆われた荒地の中に忽然と聳え立っているのに遭遇した。この建物が旧在
ドイツ帝国大日本帝国大使館であり、戦後、廃墟のまま放置されていた。

ベルリンを訪れた目的はパスポートを増補することであった。ベルリンでなくと
もウィーンでもモスクワでも良かったのだが、どこでも出来ることなのでこの機
会に20数年ぶりのベルリン散策も兼ねようと考えたのだ。

ベルリンにしたもう一つの理由は、前述の旧在ドイツ帝国大日本帝国大使館の建
物が現在の在ドイツ日本国大使館であることがベルリン日独センター等の記事や
ウェブの写真からわかっており、その後を見届けたいという気持ちがあったから
だ。

ベルリン日独センターは1985年に設立され、その際、戦後廃墟のまま残っていた
旧大日本帝国大使館建物を修復再利用して活動の拠点としたので、その直前に遭
遇したことになる。

在ドイツ日本国大使館
http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/

http://wikimapia.org/1240460/ja/在ドイツ日本国大使館

ベルリン日独センター
http://www.jdzb.de/

ホテルでバスのルート図を見ていたら宿泊していたグランドホテル近く(ウン
ター・デン・リンデン)のバス停から乗り換えなしで行くことがわかったので早
速試しにそのバスに乗った。ベルリン市外ツアーの気分で2階建ての2階に席を取
り市内のクルージングを楽しんだ。ポツダム広場を過ぎてからバス停に注意を払
った。ベルリンフィルを通過ししばらくティアガルテン沿いを走り、日本大使館
に近いバス停で降ろしてもらった。

バス停の直ぐ横がイタリア大使館、こちらもかなり大きい。その先に日本大使館
が見えてきた。当時、ここは一等地だったようでベルリン都市開発計画に沿って
枢軸国にその敷地が割り当てられた。各国の日本大使館を訪れる機会は多いがこ
れほど広大な敷地と建物を持つ在外公館は例を見ない。

先ずは領事業務用の出入り口から入管、かなり厳しいチェック、カメラは預けら
れた。増補申請書類に記入して窓口に提出し、2時間後に受け取りとなった。私
の他に一人だけだったので非常にスムーズな手続きであった。増補の手続きにつ
いては以下の通り、増補すること、それを在外公館ですることは先ずないであろ
うと思う。

その後、一通り当時の記憶を頼りに周囲を散策、塀が出来て近くまでは寄れない
のが残念だ、夏草が風に靡いていたあの夏を思い出さずにはいられない。

▼増補について(大使館ホームページより)
査証欄の増補をする場合

査証欄の余白がなくなった場合には、査証欄増補申請により、査証欄を増補しま
す。
*必要な書類
現在お持ちの有効なパスポート
一般旅券査証欄増補申請書 1通(大使館に用意してあります。)
*手数料
19ユーロ(平成23年4月1日より21ユーロ)

■かつて泊まったBerlin International YH
前述の在ドイツ帝国大日本帝国大使館を偶然見つけたのはこのYHからティアガル
テン方面へ歩いていたときのことだ。今回は、逆に大使館に増補申請をした後、
待ち時間を利用してこのYHがどんな状況になっているのか見に行った。

地図を見ながら川沿いに歩いた、当時は空き地が多く、ややすさんだ印象だった
が今は概ね住宅地として埋まっている。

Kluckstrasseの橋を右に曲がった正面に見覚えのある4階建て一部5階建ての建
物が視野に入ってきた。当時は塀があった記憶だが今はなく、道路から敷地まで
開放感がある。当時のままだったことはちょっとした嬉しさだった。正面は空き
地だったが今はこちらも住宅となっていた。

当時、動物園駅からバスで近くまできたことを記憶している。そして、塀の立ち
並ぶ道路を歩きながらこのYHにたどり着き、宿を確保できたことでほっとしてい
た夕刻が懐かしい。

Berlin International YH
http://www.hostelbookers.com/hostels/germany/berlin/4340/

■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
ベルリンの日本料理はどんなものかとネット検索したらこの店がヒットした。便
利になったものだ、ネット社会は。

他にもいわゆる日本料理屋はあったがカジュアルな雰囲気がサイトから漂ってき
たので地図を見ながらこの店に行ってみる事にした。駅からやや遠いので地図を
見ながら歩いたつもりだが、ロット番号を見誤り反対方向へ歩いていることに途
中で気がつき、修正したのでたどり着くまでかなり時間を要してしまった。

店はこじんまりとした日本食と日本食料品の店だった。テーブル数も少なく、さ
れど、レストランというよりは食堂といった感じでメニューもそんな内容だった。
焼き魚(シャケ)、味噌汁、緑茶をもらう。やや足りなく、稲荷を少し追加した。

店は日本人の若者が数人働いていた、既に10年選手だという。敷居が高くない
ので近所に住んでいる人が客のようだ。私が入ったときには日本人はいなかった
が後から日本人とドイツ人の二人組みが入ってきた。

この日は土曜日だったので週末セール、15ユーロ寿司食べ放題というメニュー
があった。寿司といっても巻物が多いのでそれほど食べられないが、若者には人
気があるようだ。

食料品が豊富だったので、あれこれ買って帰ろうとベルリン滞在中に再訪する予
定でいたが、結果として時間がなくなってしまった。このとき買った熊本云々と
いう棒ラーメン3個のみがここの収穫となってしまった。このラーメン、エレバ
ンで食べたがかなりイケテイル、旨かったね。

smartdeli
gru"nberger str. 90
berlin friedrichshain
電話 030 2068 7037 月-土 12時から20時
http://www.smartdeli.org/jp

■■後記
スマートデリで会った日本人と少し話したらこれからクラブへ行くという、では
連れて行ってくれとお願いし、後から合流することにした。次回、ベルリンのク
ラブについてもレポートします。
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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2011年6月6日月曜日

【世界の街角からMM】第103号 ベルリン・レポート(3) 2011年6月6日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第103号 2011年6月6日
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新政ドイのツ首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったがやっとその
ベルリンを訪れる機会に恵まれた。ベルリン・レポート03です。
▼目次
■ベルリンの壁の記憶
■ベルリンの公共交通
■ベルリンの歴史遺産と博物館
■ベルリンの日本食料品
■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
■■後記
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■ベルリンの壁の記憶
説明は要らないと思うが、1961年8月13日に東西ベルリンの国境が閉鎖され、その
直後から東ドイツにより東ベルリン境界線上に壁が建設された、そして、1989年
11月10日に壁が破壊された。1990年10月3日、東西ドイツが統一された。その間こ
の壁が東西ドイツ分断の象徴であった。

東西ベルリン時代の1985年8月、ブランデンブルグ門に近い西ベルリン側を壁に沿
って歩いたことがある。所々に白い十字架が建てられおり、東ベルリンから西へ
亡命しようとして国境警備隊に射殺されたとの説明があった。そんな時代は最早
過去のことだが、20年前まではそういう時代だったのだ。

Berlin Wall Online
http://www.dailysoft.com/berlinwall/

■ベルリンの公共交通
東京の山手線のような環状線がある。東西ベルリンが統合してから環状線として
機能したのだろうと推測する。鉄道とバスのネットワークが充実しているので移
動はとても便利だという印象を受けた。ただ、ベルリンの自動販売機は精度が良
くないので窓口で購入したほうがストレスがない。

また、一日や複数日数の乗車券が用意されているので、これを購入しておけば面
倒がない。東京はいつになったら一枚の切符で全公共交通が乗車できるサービス
が提供されるのだろうか、東京地下鉄と都営だけでも早く統合すべきだね。

ベルリンカードという博物館などの入場料割引を含んだツーリストカードが用意
されている。観光する人はお得かもしれないが私のように街を歩くことを主目的
としている人には余分だ。

ベルリンの交通機関:
S-Bhan都市近郊鉄道
U-Bhan都市内鉄道
M 地下鉄
TRAM 路面電車
BUS バス

ベルリン交通局
http://www.bvg.de/index.php/en/index.html

■ベルリンの歴史遺産と博物館
この滞在では博物館には足を向けなかったが、ベルリンにはギリシャ・ローマを
テーマにした博物館や東西ベルリンをテーマにした博物館等があり、参考程度に
紹介しておく。

ベルリンの中心部、シュプレー川の中洲に博物館島(フリードリッヒ・シュトラ
ッセ駅から一つ目)があり、中洲の北半分にペルガモン博物館、ボーデ博物館
(Bodemuseum)、旧国立美術館 (Alte Nationalgalerie)、旧博物館 (Alte Museum)、
新博物館 (Neue Museum) の計5館の国立博物館が集中して位置する。

ペルガモン博物館はギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美
術品などを展示している。博物館の名前も展示されているペルガモンの大祭壇に
由来する。

Pergamonmuseum
http://www.smb.museum/smb/home/index.php

東西ベルリン時代をテーマとした博物館としては以下の二つが見逃せないと思う。

East Side Gallery
http://www.eastsidegallery-berlin.de/

DDR Museum
http://www.ddr-museum.de/

ベルリン公式観光ページ Museum+Art
http://www.visitberlin.de/en/see/museums-art

■ベルリンの日本食料品
アレクサンダー広場駅の隣に巨大なガレリアカウフホフというデパートがあった。
この一階奥が食料品売り場となっていたので覗いてみた。「コトブキ」とだった
か暖簾が掛かっていて日本食コーナーがあったので驚いた。よく見るとカウン
ター内ではアジア人が働いていたが、並べられている日本食と称する食品は揚げ
物、つまりベトナムの揚げ春巻き等が多かった。中にいるアジア人にどこから来
たのかと聞いてみたら「ベトナム」との返答、東ドイツ時代から交流があったの
であろう。

このコトブキのカウンターにカリフォルニア米1kgパックを発見した。他の棚には、
少量ではあるが醤油や海苔、味醂、ウドン、チューブ入りわさび等の日本食品も
売られていた。いったい誰が買うのだろうかと思いながら、カリフォルニア米の
「錦」を二袋調達したのであった。

ガレリア・カウフホフ
http://www.galeria-kaufhof.de/

アレクサンダー広場
http://www.stadtentwicklung.berlin.de/planen/staedtebau-projekte/alexanderplatz/index_en.shtml

■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
前号で紹介したショッピング関連リンクです。

西ベルリン側、クーダム
Kurfurstendamm
http://www.visitberlin.de/en/spot/kurfuerstendamm

フリードリッヒ・シュトラッセFriedrichstrasse (東ベルリン側)
http://www.visitberlin.de/en/category/1714?tid=1714&parent=1694

アレグザンダー・プラッツ(東ベルリン側)
Alexanderplatz
http://www.visitberlin.de/en/category/1716?tid=1716&parent=1694

フリードリッヒ・シュトラッセのギャラリ・ラファイエット(東ベルリン側)
Galeries Lafayette
http://www.visitberlin.de/en/spot/galeries-lafayette

■■後記
ベルリンでは日本食を調達しようとはあまり考えていなかったが、日本料理屋へ
行ったところ食材もかなり売っていた。味醂も日本のだったので後から来ようと
考えていたが、東ベルリン側でかなり迷いながら辿り着いたこともあり、再訪す
るタイミングを逸してしまった。次回にその店を紹介しようと思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第103号 2011年6月6日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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2011年5月16日月曜日

【世界の街角からMM】第100号 ベルリン・レポート(2) 2011年5月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第100号 2011年5月16日
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ベルリンの続きです。第100号はベルリン・レポート02となりました。

新政ドイのツ首都ベルリン、既に統一して20年も経過ちましたが2010年9月にベル
リンを再訪する機会に恵まれた。

▼目次
■ベルリンという都市
■ベルリンに進出したギャラリ・ラファイエット
■現在のチェックポイント・チャーリー検問所
■1985年の東西ベルリン
■■後記
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■補足
前号でレポートしたボルドーの写真を更新しました。
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157626417338058/show/

ボルドーのマルシェ
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157626439235385/show/

ベルリンの写真はまだ整理していません、出来次第お知らせします。

■ベルリンという都市
ベルリンの歴史を振り返ってみると、比較的新しい都市ということがわかる。19
世紀末にドイツ帝国の成立以降、首都として政治、経済、文化の中心として繁栄
した。しかし、第一次及び第二次世界大戦の敗北によりベルリンは荒廃した。特
に第二次世界大戦ではナチス・ドイツの最後の戦場となりベルリン市街戦が展開
され徹底的に破壊された。その後、東西陣営の占領地区から東西ベルリンに分割
統治された。

現在はドイツの首都として、人口340万人、経済規模は他のヨーロッパ大都市と比
較するとそれほど大きくはないがドイツ随一の都市に復活している。ちなみに日
本語でベルリンは伯林と書く。1880年代には森鴎外が留学していた。

▼ベルリン略史
1244年 ベルリンという名称が歴史的文書に登場
1448年 ブランデンブルク辺境伯がブランデンブルクからベルリンに宮殿を移す。
1871年 プロイセン国王が皇帝となってドイツ帝国が成立、ベルリンはその首都。
1919年 ワイマール共和国が発足、1933年に事実上崩壊した
1933年 ナチスが政権を奪取
1948年 ソ連が西ベルリン封鎖
1949年 東西ドイツが分裂して独立
1961年8月13日 東西ベルリンの境界線を封鎖し、ベルリンの壁が建設された
1989年11月9日 東ドイツ政府が東西ベルリンの境界線を解放、壁が崩壊した。
1990年10月3日 東西ドイツが統一
1991年 東西統一ドイツの首都と定められた
2001年5月2日 首都機能移転完了(ボンから)

▼地図で見るベルリン
市の中央を東西にシュプレー川が流れ、南西にテーゲル湖などの湖を擁する。
http://www.iio.org.uk/gallery/europe/img/west-berlin_transport_78.jpg

ベルリン特別市の行政区分としては、12の区 (Bezirk) に区分されている。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/BerlinDistricts.svg

▼東西統一後のベルリン
ベルリンの壁が撤去され市内中心部には広大な空き地が出現した。その一つであ
るポツダム広場は再開発され、巨大なビジネス・商業エリアになっている。ベル
リン東西分断まで最も賑わっていたウンター・デン・リンデン通りの代わりを自
然に担わされたクーダム通りは、ベルリン統合・再開発後、皮肉にもその座を追
われている。
http://www.stadtpanoramen.de/berlin/unter_den_linden.html
ウェブカム-歴史博物館
http://www.dhm.de/lindencam/

▼クーダム(Ku'damm)
クアフュルステンダム通り(Kurfu"rstendamm)を略してクーダムという。西ベル
リンにおける中心地、動物園駅から伸びる3.5kmの繁華街。カイザーヴィルヘルム
記念教会が途中にある。動物園駅付近の夜は
http://www.stadtpanoramen.de/berlin/kurfuerstendamm.html

▼ベルリンという名前の由来
諸説あるが、スラブ語で池や湿地を意味する「Berljina」(ベルジーナ)からきて
いると言われている。標準ドイツ語の会話における一般的な発音では「ベアリー
ン」となる。

▼鉄道駅
東西ベルリン時代は、西ベルリンが動物園駅(Berlin Zoologischer Garten)、
東ベルリンが東駅(Berlin Ostbahnhof)がターミナルだったが、東西ドイツ統合
後、ベルリン中央駅がワールドカップ・ドイツ大会にあわせて2006年5月オープン
している。

ベルリン中央駅正面
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f1/BlnHauptbahnhof28.jpg

ベルリン中央駅公式サイト
http://www.berlin-hauptbahnhof.de/site/berlin__hauptbahnhof/en/start.html

▼ポツダム広場(Potsdamer Platz)
かつてはベルリンの市内交通の中心地だったが、戦後、ポツダム広場は壁により
二分され、賑やかな交差点は荒地になっていた。東西ドイツ統合後、再開発が行
われ、4地区に分けて開発業者へ売却した。その中のひとつは、ソニーが担当し、
ヨーロッパ本社を建設した。ベルリン国際映画祭もここで開催される。

ポツダム広場再開発プロジェクト
http://www.arch-hiroshima.net/a-map/germany/potsdamerplatz.html

▼アレクサンダー広場(Alexanderplatz)
東西ベルリン時代、西ベルリンのクアフュルステンダム通り(クーダム)と東ベ
ルリンのアレクサンダー広場はそれぞれにおいて代表的な都心中心部として整備
されていった。アレクサンダー広場駅の反対側は、368mのテレビ塔(1969年完
成)が建っている。1985年に東ベルリンを訪れたときはこの広場に面したどこか
で食事をしたのだろうと思うが記憶が定かではない。テレビ塔は下記の写真にあ
るように長蛇の列、登る気になれず写真だけで撮った。

1985年当時のテレビ塔前
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin01m.jpg

現在のアレクサンダー広場は東ベルリン時代と基本的な構成は変わらないが商業
施設、つまり、ショップが集積している。アレクサンダー広場駅の隣に巨大なガ
レリアカウフホフというデパートがあった。
http://www.galeria-kaufhof.de/

アレクサンダー広場
http://www.stadtentwicklung.berlin.de/planen/staedtebau-projekte/alexanderplatz/index_en.shtml

ベルリンのテレビ塔
http://tv-turm.de/en/index.php

■ベルリンに進出したギャラリ・ラファイエット
フリードリッヒ・シュトラッセを歩いていて気が付いたのは、フランスのデパー
ト、ギャラリ・ラファイエットが進出していたことだ。パリの本店とは趣が異な
り、ガラスを使った独特の設計となっている。

設計は、フランスの建築家ジャン・ヌーヴェル、1996年にオープンしている。
彼の代表的な作品としてパリの「アラブ世界研究所(1987年)」、「カルティエ
現代美術財団」(1994年)他が挙げられ、ガラス面の光の反射や透過により建物
の存在が消えてしまうような「透明な建築」や多様な種類のガラスを使い独特の
存在感を生み出す建築物を設計している。

アラブ世界研究所
http://www.imarabe.org/index-ang.html
カルティエ現代美術財団
http://fondation.cartier.com/

日本では、東京汐留の電通本社ビルを設計している、しかし、どうも日本のこと
をよく知らないで設計し、作品の意図がかなえられなかったことから自身の作品
として公表されることを望んでいないらしい。隣接する商業施設カレッタは米国
人建築家ジョン・ジャーディの設計だ。
http://www.dentsu.co.jp/

ベルリンのギャラリ・ラファイエット、表からは内部のデザインは想像できない
が一歩足を踏み入れるとそのデザインが一望できる。中央にガラスのスコーンの
ような吹き抜けがあり、その周りにショップが配置されている。かなり贅沢な空
間の使い方である。

以前、ニューヨークのトランプタワーに進出したようが、撤退した経緯があり、
フランス以外ではベルリンだけだろうか。

クーダムにはKaDeWeというデパートがあるが、フリードリッヒ・シュトラッセで
はギャラリ・ラファイエットがランドマーク的な威容を誇っている。

この地下は食品売り場、パリのギャラリ・ラファイエット・グルメと同じように
食事ができるコーナーがあり、ムール貝の蒸した料理があり

ギャラリ・ラファイエット・ベルリン
http://www.galerieslafayette.de/
パリ本店
http://www.galerieslafayette.com/

フリードリッヒ・シュトラッセ
http://www.friedrichstrasse.de/

■現在のチェックポイント・チャーリー検問所
完璧に観光資源化し、カフェや壁関連博物館が周囲に位置する。のどかな風景だ。
当時の緊張感等一片も見当たらない。

かつては、元東西ベルリンの国境検問所であり、外国人旅行者、外交官、西側軍
関係者が西ベルリンから東ベルリンへ行く唯一のルートであったが、東西ドイツ
統合に伴い、1990年6月22日に検問所は廃止された。

1961年8月13日に東西ベルリンの国境が閉鎖された10日後に米軍の憲兵隊は、東西
ドイツ国境の第三番目の検問所をFriedrichstrasseに設置した。それが、チェッ
クポイント・チャーリー検問所であり、これまでのHelmstedt(東西ドイツ国境)、
表音文字でAlpha、Dreilinden(東西ベルリン国境)表音文字でBravo、第三番目
が表音文字でCharlieと名づけられたのがこの国境検問所の名の由来だ。

この検問所の主要な役割は、西側軍関係者が東ベルリンへ移動することを登録し、
東ドイツへ連絡することであった。外国人旅行者は西側には登録されず、東ドイ
ツ側への連絡だけであった。東西ドイツ政府両国ともドイツとベルリンにおける
連合国軍を検閲する権限が与えられていなかった。。

1990年6月22日に廃止されたチェックポイント・チャーリー検問所の警備詰所は連
合国博物館に展示されている。2000年8月13日、その警備所のコピーが元の位置に
建てられた。東ドイツ側の見張塔は、2000年12月9日、地権者であるCheckpoint
Charlie Service Companyにより取り壊された。

2004年10月31日、連合国博物館によりチェックポイント・チャーリー検問所の近
く、1,065名の犠牲者を出した東ベルリンからの越境地点に140mの長さのベルリン
の壁が再構築された。

連合国博物館 Allied Museum
http://www.alliiertenmuseum.de/en/0.php

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■1985年の東西ベルリン
1985年に東西ベルリンに滞在したときのメモです。参考まで。

西ベルリン
http://www.iio.org.uk/gallery/europe/west_berlin.html
東ベルリン
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east_berlin.htm

■■後記
エレバンとソフィアへ所要で出かけていた関係で間が開いてしまいました。これ
は後ほどレポートする予定です。

ぶらぶらと何のシナリオもなく1985年当時のことを思い出しながら統合されたベ
ルリンを散策してみた。当時との違いは経済体制、つまり共産主義と資本主義の
違いである。その点を確認するように歩いてみたものの、表面的には東ベルリン
側にショップやカフェ・レストランが西ベルリン並みに増えたという点以外、そ
の違いが見出せなかった。しかし、人々の表情は落ち着いたように思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第100号 2011年5月16日
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2011年4月3日日曜日

【世界の街角からMM】第96号 ベルリン・レポート01 2011年4月3日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第96号 2011年4月3日
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新制ドイのツ首都ベルリン、既に統一して20年以上も経過してしまったが2010年
初秋にベルリンを訪れる機会に恵まれた。ベルリン・レポート01です。
▼目次
■25年ぶりのベルリンへ
■ティーゲル空港から市内へ
■ウンター・デン・リンデンで下車
■The Grand Hotel Berlin
■フリードリッヒ・シュトラッセ(Freidrichstrasse)と高級ブティック
■フリードリッヒ・シュトラッセ駅(Freidrichstrasse bf)
■■後記
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■25年ぶりのベルリンへ
1985年8月7日、Hanover発(10:15)、West Berlin Zoo着(13:45)、鉄道料金39D
M(2等片道)と当時のメモにある。東西冷戦時代、東西ベルリンを見てみようと
西ドイツのハノーファーから陸の孤島である西ベルリンを目指したのだ。

1985年の西ベルリン
http://www.iio.org.uk/gallery/europe/west_berlin.html

1985年の東ベルリン(wikiにも紹介されている)
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east_berlin.htm

1989年11月にベルリンの壁が崩壊、東西ドイツが統合したが、その後、ベルリン
を訪れる機会がなかったが、決して忘れていたわけではない、今回、9月の連休を
利用してアルメニアからウィーン経由でベルリンへ向かった。

フライト経路はエレバン-ウィーン-ベルリン・ティーゲル、当時は鉄道で西ベ
ルリンへ入ったので空路では初めてとなる。ウィーンから小一時間、ベルリンの
北西部に位置するティーゲル空港への着陸前、フライトルートがベルリン北側か
らアプローチしたので左窓側に座っていた私の席からベルリン市街が一望できた。

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藤富雄著)要約版』
お忙しいサラリーマン、OLの方のために、「大富豪になる人のお金の使い方」(佐
藤富雄著)こちらの書籍の中から、とくに重要な部分をピックアップしてお届けし
ます。
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■ベルリン・ティーゲル空港からホテルへ
Flughafen Berlin-Tegel(ベルリン・ティーゲル空港)は、西ベルリン時代に建
設された空港である。1948年のベルリン封鎖時、わずか49日で滑走路が建設され、
西側諸国からの援助物資がベルリン・ティーゲル空港を通じ陸の孤島へ空輸され
た。当時ヨーロッパ最長の2400mの滑走路が建設され、約2年間に27万回の物資空
輸が行われた。このベルリン・ティーゲル空港は東西冷戦時代には、西ドイツか
らのフライトはなく、米国、英国、フランスの3国の国際便に制限されていた。

エレバンからのフライトがやや遅れ、ウィーンでの乗り継ぎ時間が短かくなり、
荷物が届かなかったのでクレーム処理のためルフトハンザ航空のカウンターで手
続きをした。ホテルまで運んでくれるとのこと、そして、ホテル行きの交通を聞
いた、「TXL」中央駅経由アレキサンダー広場行きバスに乗ればホテル近くで降ろ
してくれるわよ、ホテルはフリードリッヒ通りね。20数年ぶりのベルリンだと説
明すると市内は工事中が多く当時とはまったく変わっているから驚くわよ、と東
ベルリン出身の女性職員が説明してくれた。

バスチケット売り場が見つからないので、もっとよく探せばよかったのだが、バ
ス停の前にあった自動販売機で2.3EURのチケットを購入した。直射日光が当たっ
て文字がほとんど読めなく隣の人に聞きながらとなった。最初、一日券をクレジ
ットカードで買おうと思ったが、上手くいかず片道のみとした。後からわかった
が、その少し先に窓口があったのだ。

ベルリン・ティーゲル空港は、2012年10月に開港予定のベルリン・ブランデンブ
ルク国際空港の開港(東ベルリンに位置したシェーネフェルト国際空港を大幅に
拡張)後は閉鎖される予定だ。

白地に黄色の帯のベルリン交通局二連結バスは、Hauftbhanhof(中央駅)を経由し
Unter den Linden方面へ走り出した。快適なバスだ。そして手荷物だけなので移
動が非常に楽だ。川沿いを走り、SバーンやUバーンの駅を経由しながら市内中心
へ向かって走る。

途中、ベルリン中央駅(ワールドカップ・ドイツ大会にあわせて2006年5月オープ
ン)に停車、ガラス張りの新駅舎は他のベルリンの新しい建物同様、ピカピカだ
った。しばらくすると国会や他の政府庁舎が見えてきてその脇を抜けたらUnter
den Lindenに出た。

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『【実践塾】仕事力強化の実践塾(デキル人になる!編)3』

当レポートでは、『仕事をより効率的に行いたい、周りから評価されたい』と思
っている方に、考え方・具体的実践方法をご提供することで、あなたにパラダイ
ムシフトを起こして頂き、人間力を強化することで、より豊かな人生を送るため
のお手伝いをすることです。
http://www.muryoj.com/get.php?R=11542&M=100004019

■Unter den Lindenで下車
バスの運転手に「Unter den Lindenのフリードリッヒ通り」で降ろしてくれと頼
んでおいた。20数年ぶりのUnter den Linden、日本語に訳すと「菩提樹の木の
下」となる、ドイツ帝国ベルリンの目抜き通りだった。

バスの後方に東西ベルリンの境界だったブランデンブルグ門が見えた。通り沿い
の建物は古い建物は小奇麗に、その間に近代的な建物も混ざっていた。バスの窓
からアエロフロートの大きな看板が見えた、このあたりに旧ソ連大使館があった
と記憶している。

バスの運転手がここがフリードリッヒ通りだというのでそのバス停で降りた。記
憶ではこのあたりを歩いたはず、地図を見ながら現在地を確認した。9月中旬の
清々しい秋晴れの下、中央分離帯にでて周りを見渡した。まったく記憶とは異な
るが確かにここはフリードリッヒ通りとUnter den Lindenの交差点だ。視野を最
大限に広げるとホテルのサインが目に入った、バス停の目の前だがホテルの入り
口はフリードリッヒ通りの1ブロック旧西ベルリン方向、その建物の反対側との説
明があった。

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ったらまず入れたいビジネスアプリ30選」を知りたいですか?期間限定で特別
公開します。
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■The Grand Hotel Berlin
The Grand Hotel, このホテルを選んだのは日本の建設会社(鹿島建設)が冷戦
末期に建設したからだ。

東ドイツ時代の1987年に鹿島建設の子会社であるカジマ・ヨーロッパがターン
キー契約で建設したホテルだ。鹿島はグランドホテルに先立ち、ライピチヒの ホ
テルメルクア、 ドレスデンのホテルベルビューの建設も請け負っている。(請負
形態は情報がないので不明だが)
http://www.kajima.co.jp/tech/hotel/ex/ex2_10/index.html

グランドホテルが竣工したのは私が東ベルリンを訪れた2年後、一度は泊まってみ
たいと考えていた。あれから20年も経ってしまったが2010年9月にベルリンへ行く
目処が立った時点で早速このホテルを予約した。東ドイツ時代のThe Grand Hotel
は、現在は、The Westin Grand Belrinとなっている。(2010年9月)

Friedrichstrasse 158-164 Berlin, 10117 Germany
Phone: +49-30-20270
http://www.westingrandberlin.com/en/

このクラスのホテルにしては比較的リーズナブルな料金体系となっていた。窓か
らはロシア大使館の旗が良く見えた、ということはUnter den Lindenの方向だっ
たのだろう。

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■フリードリッヒ・シュトラッセ(Freidrichstrasse)と高級ブティック
ウンター・デン・リンデンと交差するフリードリッヒ・シュトラッセは東西ベル
リンの国境ポイントだったチェックポイント・チャーリーの延長線上の通り、冷
戦時代からは想像できないほど現在は高級ブティックが軒を連ね、その一角にフ
ランスのデパート、ギャラリ・ラファイエットもある。下記の写真が当時のフ
リードリッヒ・シュトラッセとUnter den Lindenの交差点付近であろう、東ドイ
ツ製の2サイクルエンジンを搭載した小型乗用車は走っていた。
http://1985.iio.org.uk/east_germany/east-berlin05m.jpg

最近はどこの国でもそれほど特徴があるショップの種類は少なく、国際ブランド
のショップによる構成が多いが致し方ないのだろう、それでもドイツブランド健
在だ。ギャラリ・ラファイエットの前に私のお気に入りデザイン系ブックショッ
プであるTASCHENがあった。
http://www.taschen.com/

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■フリードリッヒ・シュトラッセ駅(Freidrichstrasse bf)
東西ベルリン時代の鉄道での玄関口は、西ベルリンでは動物園駅(Berlin Zoolog
ischer Garten)、東ベルリンでは東駅(Berlin Ostbahnhof)であり、東ベルリ
ンの国境駅がフリードリッヒ・シュトラッセ駅だった。東ベルリンから出国した
とき、この国境ポイントのDDRスタンプがパスポートに押された。

名前こそ何度も聞き、脳裏に焼きついているが、当時、この駅は出国するときに
通過しただけであった。現在は、環状線の乗り換え駅であり、長距離列車が発着
する中央駅へアクセス駅でもあり、乗降客は非常に多い。

構内には日本の駅のようにドイツ国鉄の窓口、ベルリン公共交通の窓口、スー
パーマーケット、本屋、薬局、ファーストフードなど鉄道関係とのショップがテ
ナントとして入居しており、この駅へ行けば概ね必要なことが済まされる。時間
が遅くともマクドナルドは深夜までオープンしており、開いているというだけで
心強い。

■■後記
しばらく時間が経過していますが、ベルリン旅行記、メモを残しておこうと考え
ています。写真のリンクまだ整理が付いていないので、ベルリン・レポートの最
後までにはなんとかアップロードしたい。

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