2022年7月24日日曜日

【世界街角通信MM】第359号 東京にて(Tokyo)-2022-07-23

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第359号 2022年7月23日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■肉の万世とお茶の水サンクレール
■宮下公園とMIYASHITA PARK 民活事業による再整備
■■編集後記

★本文★

■肉の万世とお茶の水サンクレール

御茶ノ水に行ったのでお茶の水サンクレール(聖クララ(光))地下にある肉の
万世で食事した、ここ10年以上、御茶ノ水へは足を向けておらず、しかし、80年
代、90年代はよくブラブラしたことを思い出して入ってみた。変わらずいい味の
ハンバーグランチ、ライスに豚汁付が何とも言えない。

肉の万世、老舗肉屋だと勝手に思っていたが、戦後に秋葉原で開業した電気部品
商・鹿野無線が母体でドッジ・ライン不況の際に精肉・コロッケ商「万世」へ業
種転換し、昭和24年に創業した。秋葉原電気街では異色の大型飲食店として成功
し、自社直営牧場を擁するまでに発展した。なお、創業者の鹿野明は独立前にヤ
マギワに勤めていた。

万世は神田川に架かる万世橋の名を取っている。10階建ての肉の万世本店ビル
(1991年築)は秋葉原からでもよく目立つ。それ以前もビルだったような記憶だ
が、定かではない。この本店ビル、2021年9月に日鉄興和不動産へ売却していた。
リースバックで店舗はそのまま使用しているが、コロナ禍の長期化による影響で
あろう。

https://www.asahi.com/articles/ASP9H61MFP9HULFA014.html

お茶の水サンクレールだが、ビルの名前は「新お茶の水ビルディング」という。
日本出版販売が所有者であり、本社が所在する。1981年に竣工、22階建てビル。
そして、病院棟として140年の歴史を誇る井上眼科病院(済安堂医院)がある。

もしかしたら井上眼科との関係でSaint Clair(仏語でClairは光)、Saintを付
けているのでアッシジの聖キアラ(クララ)のことなのか?目や眼病の守護聖人
である聖キアラ(クララ)から引用したのではないか。聖キアラ(クララ)は聖
フランチェスコに最初に帰依した一人でありフランチェスコ会の女子修道会クラ
ラ会(キアラ会とも)創始者で絵画には象徴とする聖体顕示台、聖体容器箱、ラ
ンプを持つ姿で描かれる。

もう一人、目、及び視覚障害者の守護神、聖ルチア(シラクーサのルチア)がい
る。ヴェルファイア・サンタルチアの何も使われている。名前がやや異なるので
お茶の水サンクレールはアッシジの聖キアラ(クララ)なのでは、参考までに、
シラクーサのサンタルチアについては下記のとおり。

シラクーサのサンタルチア
https://eastriver229.blogspot.com/2021/08/blog-post_6.html

■宮下公園とMIYASHITA PARK 民活事業による再整備

民活事業と称し、公共事業のようで一部の私企業への利益供与なのではと映る事
業が視野に入ってくる。渋谷区立宮下公園の再整備、公園じゃないじゃないか、
と。よく見ると立体公園とか、なんじゃこれは。最近では明治神宮外苑の再開発
事業がこっそりと認可されたようで反対運動が盛り上がっている。宮下公園とは
規模が異なるが事業者JVには同じ不動産会社会社が入っている。

さて、宮下公園の再整備だが民活事業として実施した渋谷区の三井不動産などの
情報から概観してみた。ちなみに、渋谷区役所建て替えも民活事業で三井不動産
が事業者となっている。これら別トピックで。

宮下公園は、渋谷区の児童公園としての位置づけ、それを変更して、官民連携
(PPP)事業として再整備を計画、30年間の事業用定期借地権を設定し、公園の
敷地を商業施設として整備し運営することにより収益事業を認める条件とした。

そして、渋谷区は公募型プロポーザル方式で事業者として三井不動産を選定した。
事業者である三井不動産は、工事期間を含む34年10カ月分の事業期間の借地料と
して計235億2100万円を渋谷区に支払う。

商業施設やホテルを一体にしたMIYASHITA PARKが整備された。

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/assets/kusei/000049195.pdf

渋谷宮下公園、全長330mの立体都市公園「MIYASHITA PARK」に

https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1230222.html

渋谷区立宮下公園の都市計画変更

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/news/20161006miyashita.html

官民連携で渋谷に浮かぶ“空中公園”

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/mag/ncr/18/00013/122400023/

概要(渋谷区役所):

街区名称 MIYASHITA PARK
所在(地番) 南街区:東京都渋谷区渋谷1 丁目26
北街区:東京都渋谷区神宮前6 丁目20
竣工年月 2020 年4 月予定
開業年月 2020 年6 月予定
事業主 三井不動産株式会社
プロジェクトアーキテクト 株式会社日建設計
設計・施工 株式会社竹中工務店
構造規模
渋谷区立公園
商業棟 南街区 1 階~4 階 15,922 m2 ※駐輪場2 階(1,404 m2)含む:S造
北街区 1 階~3 階 10,649 m2 ※地下駐車場階除く:S 造 SRC 造 RC 造
ホテル棟 4~18 階(240 室)
駐車場 375 台:南街区97 台 北街区278 台(内、243 台が都市計画駐車場)
全長 約330m
敷地面積 約10,740 m2
延床面積 約46,000 m2

★本文ここまで★

▼前号目次
■ウクライナの穀物輸出ルート
■キエフの記憶
■■編集後記

■■後記

気になるのは都内の歴史的な空間が民活事業の名の下に、特定の企業への利益供
与とも思える法規制の変更が行われ、こっそりと思われるような進め方がされて
いること、明治神宮外苑の再開発は

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第359号 2022年7月23日
発行責任者:飯尾彰敏
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

2022年7月21日木曜日

【世界街角通信MM】第358号 東京にて(ウクライナ)-2022-07-20

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第358号 2022年7月20日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■ウクライナの穀物輸出ルート
■キエフの記憶
■■編集後記

★本文★

■ウクライナの穀物輸出ルート

 Ukraine-Moldova-Galati(Romania)穀物輸出ルート、5月頃だったか、ルーマニ
ア運輸大臣のコメントのとおり、広軌鉄道をリハビリしている映像が後半にある。
つまり、既に予算化されていたということなのか。当然ながらG7でも協議された
トピックであろう。

Galatiはドナウ河川港を有し、ルーマニアの最東部の町で、モルドバの国境を接
し、ドナウ川のGalati河川港までソ連時代に広軌鉄道が延、伸敷設され、ドナウ
水運(内航水運)への積替えポイントとなっていた。

ロシアのウクライナ侵攻により、オデッサ港やミコライエフ港等の主要港湾が封
鎖されている状況下、ポーランドルート(鉄道)とともにウクライナ穀物輸送の
代替案の重要なルート(オデッサ港やミコライエフ港封鎖が解除されるまで)とし
て位置付けられている。

ウクライナから鉄道でモルドバを経てGalati港へ、内航水運に積替え、ドナウ川
を下るか、ドナウ運河経由で黒海のハブ港であるコンスタンツァ港への輸送がで
きる。

Galati港の下流にReni港(ウクライナ)があるが、現状、トラックが2000台待ち、
道路1本、バージへの積替がネックになっている。また、コンスタンツァ港の積
替設備の容量不足で急遽増設中とのこと。

ソ連時代の輸送インフラが冷戦の崩壊とともに経済的合理主義の下、朽ち捨てら
れ、30年を経て日の目を見ることになろうとは、誰が想像しただろうか?ヤード
がそのまま手付かずであったことが幸いだった。

機関別の輸送容量は、鉄道65t/輌x30輌=1950t、トラックは40ftコンテナで48t/
台(最大)、内航水運はバージを連結し3000t/バージx6まで、鉄道からバージへ
の積替が容量的に大きい。トラックだと河川港までのアクセスが、この地域、道
路状態は良好ではない。

New routes: how is Ukraine getting its grain out?
https://www.euronews.com/embed/1997962

■キエフの記憶

キエフと言っても現在のウクライナではなく、ソヴィエト社会主義共和国連邦構
成国家であったウクライナ社会主義共和国のキエフである。ソ連時代のキエフと
いうことになる。

 1985年7月10日、早朝、モスクワから乗った夜行列車ドニエプル号は「ゴトン、
ゴトン、ゴトン」とドニエプル川の鉄橋をゆっくりと渡り、その先のキエフ駅へ
滑り込んで行った。外国人旅行者は、ソ連邦国内では自由な移動が制限されてお
り、駅や空港に付いたらインツーリストオフィスへ行くことになっていた。そこ
には、予約した私の名前があり、予約したスケジュールに沿って交通機関やホテ
ルが手配されていた。それはそれで素晴らしいと思ったが、予定を変更すとどう
なるのか、試す勇気はなかった。

というのもキエフに来るまでに既に警察(ミリツィア)の世話になっていた。こ
れはハバロフスク駅前で写真を撮っていてミリツィアにみつかり警察署へ連行さ
れ、危うくシベリア鉄道に乗り遅れ、ハバロフスクに置いてきぼりにされかけた
ところを間一髪で予定通りのロシア号に間に合ったのだ、正確には1時間程度も
ロシア号を待たせた、これは、添乗していたインツーリストのスタッフ(当時は
ウラジオストク極東大で日本語を学んでいた女学生、夏休みだったので国家に奉
仕するアルバイトだった)がぎりぎりまで待たせてくれたからに他ならない。

列車がキエフ駅のホームに停車し、東独製の4人用のコンパートメントからバッ
クパック用の荷物を担いで列車を降り、ゆっくりと周囲を眺めながら駅のイン
ツーリスト事務所へ行った。あまり記憶に残っていないのはその風景に慣れてし
まったのだろうか、インツーリストで少し待っていると、タクシー(ヴォルガ)
が来たと英語で知らせてくれた。モスクワに着いたときは日本語を話すスタッフ
(モスクワ大学の女子学生で東京に滞在経験があり、NHKのロシア語番組に出演
していたと話してくれた。)がいたが、キエフでは英語だった。そして手配され
たタクシーはソ連製のボルガ、白だった記憶だが、のタクシーでキエフの中心に
位置するインツーリストホテル(だったと思う)へ向った。

どこをどうやってどの程度の時間をかけてホテルに辿り着いたのか覚えていない
が、駅を出た時に振り返ったら駅舎全体が見えたのでシャッターを押した。窓か
らなのか、後ろの窓越しなのか、この角度だと後ろの窓越しかな。この写真も恐
る恐るシャッターを押したことは間違いない、なのでシャッターを切ったのは1
枚か2枚だけだった。

朝は曇っていたが、その後、晴れてきた。インツーリストホテルのツアーデスク
で市内観光ツアーがあるのというので半日英語ガイドコース(確か6米国ドル)
に乗った。キエフはマロニエの花が咲きほこり、緑の中に都市があった。途中、
ソ連の構造主義的な巨大な彫刻が建っているドニエプル川を見下ろす丘があり、
眼下にその日の朝、鉄道で渡ってきた鉄橋が見え、その先に白い巨大なアパート
群が見えた。

キエフ1985の記憶より。

★本文ここまで★

▼前号目次
■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部
■■編集後記

■■後記

気になっていたGalatiルート、やはり現時点では重要な輸出ルート、広軌の鉄道
が河川港まで延伸しているのがミソ。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

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2022年7月5日火曜日

【世界街角通信MM】第357号 東京にて(ウクライナと日本)-2022-07-04

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第357号 2022年7月4日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部
■■編集後記

★本文★

■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東


 厚生労働省のHPにソ連邦及びモンゴル抑留者の収容所と埋葬地一覧情報が公開
されている。10年くらい前に調べた時にはヒットしなかったので見逃したのか、
その後、まとめられたのか。

 さて、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
約200名以上の抑留者が埋葬されている。抑留者はソ連邦の広範囲にわたり収容
されていたことは知っていたが、ウクライナは東部に集中していたことを認識、
炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係があったのだろう、この地域での鉄鋼業の勃
興は帝政ロシア時代までさかのぼる。そしてウクライナとの関係が過去にあった
のだと認識した。

 その他、日本との関係では、ソ連邦崩壊後にウクライナ東部の老朽化した設備
類などの更新のために日本製品が納入された、10年ほど前に調べた時には総合商
社が事務所を置いていた。

 ウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬地、
211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェとなり、
この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


補足:日本人抑留者埋葬地を明確に認識したのは1996年にウズベキスタンへ出張
した際、調査団長が満洲引揚者で是非ともタシケント日本人墓地へ墓参したいと
の希望を表明されたことによる。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引(厚生労働省社会援護局)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部

第2次大戦後のソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、
通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、が存在した。この
抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ出張した時に訪れたタ
シケント抑留者日本人墓地からだ。同じ、調査団に満洲からの引き揚げ者がいて、
その方が是非とも墓参したいと要請したからだ。

その後、ウズベキスタンにおける抑留者についてまとめ、wikiにも記載した。
1996年
http://uz.iio.org.uk/tashkent_jpn_cemetery.htm
2007・2009年
http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent_japanse_cemetery.html

タシケント抑留日本人墓地(wiki)

数日前の2022年5月31日、カザフスタンのスパスク(カラガンダ市近郊)にある日
本人抑留者埋葬碑に駐カザフスタン山田大使が献花したと大使館のFBで見かけた。
スパスクという地名は初耳だったが、カラガンダ郊外という説明で納得、ここに
は抑留者の収容所があったからだ。この日、大使はカザフスタンの「政治的抑
圧・ホロドモール犠牲者追悼日」に際して現地で行われた追悼式典に出席した機
会を捉えてだった。ここには日本人だけでなく27か国・民族の慰霊碑群が建立さ
れているという。それはカラガンダが鉱物資源を多く産出し、特に鉄鋼業が盛ん
でその精錬に必要な燃料となる石炭をカラカンダ炭田から産出する。そのせいか、
ソ連邦内からのロシア系、ドイツ系、ポーランド系、チェチェン系、朝鮮系など、
カザフ人以外が多く住む地域となっている。
https://www.kz.emb-japan.go.jp/files/100351255.pdf

この機会に少し調べ直したら、厚生労働省のHPに収容所と埋葬地の情報がヒット
した。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

カザフ共和国(現在のカザフスタン)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/kazafu/index.h
tml


さらに、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
多くの抑留者が埋葬されていることを知った。抑留者自体はソ連邦の広範囲にわ
たり収容されていたことは知っていたが、ここであらためてウクライナ東部に集
中していることを認識、炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係あったのだろう。

これまで日本とは縁がないと思っていたが、老朽化した発電設備などの更新のた
めに日本の製品が納入され、10年ほど前に調べた時にM商事が事務所を置いてい
たことは知っていたが、抑留者もこの地域で働いていたということを再認識した。

一覧の注に地名表記のことで下記のような説明があった、つまり、これらの地域、
全部が東部なのでは、に日本人抑留者が送られ、多くの方々が死亡し埋葬された
ということになる。当時のことゆえ、戦争が始まってウクライナの都市名はウク
ライナ語表記を使うようになったが、その当時はソ連邦なのでロシア語のままで
よいと思うが。

注1 ハリコフ(ハルキウ)地方、ドネツク地方、ザポロジーエ(ザポリッジ
ャ)地方、ルガンスク(ルハンスク)地方、ドニエプロペトロフスク(ドニプロ
ペトロウスク)地方は現在のウクライナです。

現在のウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬
地、211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェと
なり、この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


★本文ここまで★

▼前号目次
■【ダマスカス旧市街】(mixi復刻2006年11月10日)
■不動産売買に係わる税金等
■■編集後記

■■後記

ウクライナ情勢のニュースを観ていて日本との縁があるのか、と。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

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★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

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