2021年9月12日日曜日

【世界街角通信MM】第338号 東京にて(昭武一行のパリ、代々木選手村)-2021年9月11日

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第338 2021911★★★
 
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
コロナ感染拡大状況下、東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
 
▼目次
■徳川昭武一行が宿泊したパリのホテル
■回想ー代々木の青少年総合センターで行われていた中国残留孤児の訪日調査
 
■■編集後記
 
★本文★
 
■徳川昭武一行が宿泊したパリのホテル
 
「晴天を衝け」で徳川昭武一行が宿泊したパリのホテルはのは1862年に開業した
グランドホテル・ドゥ・パリス、ナポレオン3世の命を受けてエレベーターやバ
スルーム付きの豪華仕様に、バリ万博1867での賓客向けであった。このホテルは
現在のル・グランインターコンチネンタルホテル、ホテルとして現存している。
 
「晴天を衝け」徳川昭武一行、渋沢栄一が宿泊したパリ「グランドホテル」は現
在の「ル・グラン」Le Grand InterContinental Paris
https://locatv.com/seiten-grandhotel/
 
Le Grand 1862
https://www.historichotelsthenandnow.com/grandparis.html
 
ドラマの中ではカプシーヌ通りBoulevard des Capucinesのグランドホテルとの
説明だったし映像がル・グランだったので気になり検索してみたらそうだった。
 
Le Grand InterContinental Paris at Boulevard des Capucines
https://www.ihg.com/intercontinental/hotels/jp/ja/paris/parhb/hoteldetai
l
 
クロード・モネが1873年から74年にかけてこのキャプシーヌ大通り35番地のナ
ダールの写真スタジオから観察した「Le Boulevard des Capucines」に描いてい
る。
 
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/680098
 
■回想ー代々木の青少年総合センターで行われていた中国残留孤児の訪日調査
 
 中国残留孤児、この言葉を聞いたのは1980年代初めだったと思う。満洲や朝鮮
半島にいた日本人の生活が日本の敗戦で状況が激変、様々な理由で現地に残され
てしまった。ソ連軍が迫る中で民間人が逃げ惑ったこの厳しい想像を絶する状況
を認識し始めたのもこの言葉がきっかけだった。それまでは教科書とニュースの
表面的な字面だけの情報しか持ち合わせていなかった、お恥ずかしいことだが。
 
19862月、東京オリンピックで選手村として使われた代々木公園の中にあった
国立オリンピック記念青少年総合センターで厚生省により中国残留孤児の訪日面
談が行われていた。なぜ知っているかと言えば、そこにいたからである。訪日調
査は門に近い建物の1階で行われていたが、私は同じ建物の2階で行われたある採
用試験に行ったからで、この予定は全く承知してなった。
 
夕方だったと思うが、面接を終わって出てくると小雪が舞い散るなか、TVレポー
ターが実況中継をしていた。残留孤児の訪日調査は1981年から行われている、私
が遭遇したのは1986年、昭和612-3月に行われた第10次で130人が来日した。そ
の初日だったのかもしれない。第10次で34人の身元が判明した、既に26%とかな
り判明率が落ちているが最初の5年ほどは50%以上の判明率で初期のが高い。こ
の記事の方が身元が判明しなかったが永住帰国は果たせたようで何よりです。
 
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210625/k10013096091000.html
 
訪日調査の実施状況及び身元判明率の推移(平成18831日現在)
 
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/09/h0929-5f.html
 
★本文ここまで★
 
▼前号目次
■宝暦の治水工事と千本松原(油島千本松仕切提)
■■編集後記
 
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■■後記
 
コロナ感染、ピークアウト傾向で何より、ニュースが自民党総裁選一辺倒なのは
ちと気にはなる。
 
ニュースというのは一瞬なので頭出しより前のレベル、民放の少人数で時間をか
ける番組ではそれなりに深い、というのを最近認識した。
 
このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという主旨、その時々の情報や印
象を記録しておこうと20092月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は214日でした。
 
また、https://note.com/klubnikaにもトピックごとに掲載していく予定です
 
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2021年9月8日水曜日

【世界街角通信MM】第337号 東京にて(宝暦の治水工事)-2021年9月8日

 
★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第337 202198★★★
 
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
コロナ感染拡大状況下、東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
 
▼目次
■宝暦の治水工事と千本松原(油島千本松仕切提)
 
■■編集後記
 
★本文★
 
■宝暦の治水工事と千本松原(油島千本松仕切提)
 
小学生の時に自転車で東海大橋(昭和44年、1969419日開通)を渡って行った
(よく行ったものだ)、遠足でも立ち寄った。当時は立田大橋はなく、東海大橋
の下流側の橋は国道1号線の橋だった。
 
 立田大橋(昭和59年、198410月開通)を愛知県側から渡ると木曽川、背割り提
(仕切堤)交差点、長良川を越えると右側に展望台があり、そこが木曽三川国営公
園の展望台のある木曽三川公園センターという施設、揖斐川と長良川の間に位置
する。
 
木曽三川公園センター
https://www.kisosansenkoen.jp/~center/
 
 このセンターのやや下流側に長良川と揖斐川が背割貞(仕切堤)を挟んで流れ、
堤防には松が植えられていることから千本松原(油島千本松仕切提)と言われる。
その仕切堤の始まる場所に宝暦の治水神社がある。この神社は江戸時代の宝暦年
間に幕府から命ぜられた薩摩藩が治水工事を行った際に薩摩藩士85名の殉職者を
だし、明治期の木曽三川分流工事後の昭和13年になってから殉職者を顕彰するた
めに建立された。
 
江戸時代、木曽川、長良川、揖斐川の下流域は堆積による川底が高く、分流・合
流を繰り返している暴れ川であり洪水が多発していた。また、この地区は美濃と
尾張の藩境でもあり統一的な治水対策も行われず放置されていたが、徳川幕府は
薩摩藩にこの治水工事を命じて宝暦4年から5年(1754-55年)にかけて工事が行
われた。工事は順調に進まず、成果も乏しく、工事中に薩摩藩士51名が自害、33
名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。
 
明治新政府になり、お雇い外国人であったオランダ人土木技術者ヨハネス・デ・
レーケの監督の下、近代的な土木技術により木曽三川分離工事が行われ、明治45
年に完工している。その後、昭和13年(1938年)に薩摩藩士殉職者85名を祭神と
して顕彰するため治水神社が建立された。このような結果から宝暦治水事件とも
称される。
 
国営公園木曽三川
宝暦の治水工事(NHK
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005403066_00000
 
千本松原(油島千本松仕切提)は前述の通り、長良川と揖斐川の背割り提(岐阜
県海津市海津町油島)のこと、ここに木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の三
川分流工事に伴い、分流堤に約1000本の松が植えられたことから千本松原(油島
千本松締切堤)と呼ばれている。
 
写真はこちらをご覧ください。
https://eastriver229.blogspot.com/2021/08/blog-post_21.html
 
★本文ここまで★
 
▼前号目次
■目黒川の洪水対策と目黒川船入場調節池
■■編集後記
 
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■■後記
 
いきなり秋で、これから残暑があるとは考え難くい、もうこのままでイイね。
 
このメールマガジンをはじめたのは備忘録的にという主旨、その時々の情報や印
象を記録しておこうと20092月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は214日でした。
 
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
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