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メールマガジン「世界の街角からMM」 第119号 2011年10月16日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2010年7月下旬から数日間、ヘルシンキとタリンへ足を伸ばした。タリンの後は
ヘルシンキを満喫、備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行3です。
▼目次
■ヘルシンキへ戻る
■ヘルシンキ駅前のSOKOS Hotel
■ヘルシンキ散策
■ヘルシンキの旨いもの
■日本食材の東京館
■市内から空港へ
■■後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ヘルシンキへ戻る
タリンから往路と同じリンダラインでヘルシンキへ戻る。タリンの港はソ連時代
の建設なのでかなり歪だ。船上から見ると余計にそう思う巨大な構造物のようだ
った。
天気がよく甲板でしばらく過ごす、今日はやや白羽が立っているが、双胴船は高
速のままヘルシンキを目指す。1時間半はあっというまだ。
フェリー埠頭からトラムでヘルシンキ駅前のホテルへ向かう。クレジットカード
で容易に一日券が購入できた。ドイツよりも便利だ。
このホテルもまた、地図では記憶しているがどこだろうととヘルシンキ駅駅前で
下車し辺りを見渡すと、目の前にあった。
■ヘルシンキ駅前のSOKOS Hotel
ヘルシンキオリンピックに合わせて建設されたホテル、ヘルシンキ駅前に立地し
空港行きバス乗り場も目の前、利便性の高い立地ということが宿泊して再確認で
きた。
家具調度類の質が高く、洗練されたデザインは年月を感じさせないし、オリジナ
ルデザインを今なお維持しているところが気に入った。
フィンランド資本のホテル、ヘルシンキ市内にも他に数件のSokosホテルが営業
している。ヘルシンキではこのホテルは外せない。
Sokos Hotel
http://www.sokoshotels.fi/en/
■ヘルシンキ散策
▼Tempelaukio
岩を積み上げたような斬新なデザインの教会、1983年2月、この教会を訪れた。
ストックホルムからの夜行フェリー、シルヤラインで一緒だったクリスチーナた
ちの誰かがこの教会を教えてくれたのかもしれない、記憶がはっきりしないがこ
の教会へ来てその大胆なデザインに感動した。
当時からは想像もつかないが、現在は、中国人観光客のバスが教会の目の前に横
付けするようになっていた。ここまでとは。
Lutherinkatu 3
00100 Helsinki
http://www.helsinginseurakunnat.fi/?deptid=3986
Temppeliaukio Kirkko
http://www.sacred-destinations.com/finland/helsinki-rock-church-temppeli
aukio
▼Stockmannの本屋、Akateeminen
ストックマンデパートの隣に位置するアルバー・アールト設計の本屋。これ以上
説明はしたくない程のデザインだ。
https://www.akateeminenkirjakauppa.fi/
http://www.stockmanngroup.fi/group/fi/media/akateeminen/
Cafe Aalto
http://cafeaalto.fi/ja
▼Stockmann百貨店
タリン、リガにも進出しているフィンランド資本のデパート、リガでは台所用品
を調達した。
https://stockmann.com/
▼ヘルシンキ中央郵便局から郵送
ホテルの目の前、ヘルシンキ駅の横のバスターミナル前が中央郵便局だった。こ
こから日本へMarimekkoのバック等を送った。
ヨーロッパの郵便局は私が初めてヨーロッパを訪れた80年代から既に送る荷物さ
へ持ち込めば遅れたサービスレベルであった、それは今も変わらない。、
フィンランド郵便
http://www.posti.fi/
▼Kamp Galleria
よく知られているというか知らされているフィンランドデザインのMarimekko、
ここで小さな赤い布地のバックを買った。もちろん最愛の人へのプレゼントなの
だ。それにしてもこんなバックがなぜ50EURもするのかと思うが、客を見ると日
本人の客が多い。私も日本人から聞いた情報なので日本の雑誌で散々紹介されて
いるのだろう。
http://www.kampgalleria.fi/en/home.html
Marimekko
http://www.kampgalleria.fi/en/shops/fashion/marimekko
■ヘルシンキの旨いもの
▼Sea Hose
タツノオトシゴという名のレストラン。観光案内所で入手したレストランガイド
に掲載されていたレストラン。センターからトラムで行けた。
ニシンのフライが名物料理なのでそれを食べに行ったが生憎売り切れ、代わりに
出してくれた小魚のフライ、名を失念、も美味しかった。
Kapteeninkatu 11
00140 Helsinki, フィンランド
09 628169
http://www.seahorse.fi/
▼Zen Sushi
ショッピングモールのガレリアの中に日本料理屋があった。早速ランチに入って
みた。寿司ランチを注文、ネタはサーモン中心だったが脂が乗っていて美味だっ
た。それとみそ汁が印象に残るほどの味だった。リピートしなくなる味だ。
応対に出てくれたの女性は、父が沖縄出身で母がフィンランド人、相模原生まれ
でヘルシンキ育ちだという、宮城さんというっただろうか、経営者の娘だった。
店は夕方(19時)まで、ガレリアの開店時間と同じようだ。
ZEN SUSHI
Kamp Galleria II krs.
Kluuvikatu 4
00100 Helsinki
Puh. 09 671367
他の店、こちらが本店か?
ZEN SUSHI
Sushibaari
Snellmaninkatu 16
00170 Helsinki
Puh. 09 671336
http://www.zensushi.fi/lounas/
その他
http://eat.fi/en/
■日本食材の東京館
1987年からヘルシンキで営業している日本食材店「東京館」、ここまでくれば日
本食が手に入るであろうと、これが目的ではないが、立ち寄った。ここでイタリ
ア産のあきたこまちを調達、エレバンで美味しい日本米を食べた。タシケントの
韓国米とはあまり変わらないように思ったが、たとえイタリア産とは言え日本米
の味は確かであった。フィンランド人は、日本好きが多いのか地元の客が多い。
東京館
営業時間:月-金 10-18、土 10-15
Annankatu 24
FI-00100 Helsinki, Finland
電 話 : (09) 622 5553
http://www.tokyokan.fi/tokyokanjp.html
■ヘルシンキ市内から空港へ
To/Form City Centre:
From Helsinki City by bus 615 takes appr. 35 minutes.
Helsinki International Airport
http://www.helsinki-vantaa.fi/home?
Finnair City Bus from downtown Helsinki
http://www.finnair.com/finnaircom/wps/portal/Transportation/en_INT
Helsinki Regional Transport
http://www.hsl.fi/EN/Pages/default.aspx
■■後記
ヘルシンキ・タリン紀行完です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第114号 2011年10月16日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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メールマガジン「世界街角通信」のblogです。世界各地の街角から国際情勢を読む!生レポート、主に出張で滞在している国や地域の社会経済情勢、歴史文化、生活情報、対日関係等をレポートします。
2011年10月16日日曜日
2011年10月15日土曜日
【世界の街角からMM】第118号 ヘルシンキ・タリン紀行(2) 2011年10月15日
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メールマガジン「世界の街角からMM」 第118号 2011年10月15日
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2010年7月下旬から数日間、ヘルシンキとタリンを訪れる機会を得た。目的地に
辿り着くまでに何かとあったが、備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行2です。
▼目次
■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
■Linda Lineでタリンへ
■タリン旧市街散策
■夜のタリン
■早朝のタリンと琥珀
■タリン情報
■■後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
モスクワ一泊招待となった翌日の便でヘルシンキへ移動した。アエロフロートと
との共同運航便で機体はフィンランド航空、よく考えたらフィンランド航空は初
搭乗だった。食事が外れ、手を付けなかった。
ヘルシンキ空港に着陸する間近に森林と住宅地、そして道路ネットワークが窓か
ら見えてきた。25年前はレニングラードから列車だったので、ラハチ駅でクリス
チーナと待ち合わせした。
彼女は空港近くのVantaaに住んでいた。子供たちと一緒にシトロエンのハッチバ
ックで迎えに来てくれた。息子と娘が一人づつ、二人とも小学生なので元気いっ
ぱいだった。クリスティーナは20数年の時間の経過は確かだったが、話してみる
と当時と変わらなかった。
車で自宅まで行き、旦那を含む家族と一緒にランチをご馳走になり、暫く世間話
をしてスケジュールを説明すると、時間がないと言いだし、あわただしく、クリ
スチーナの家を後にした。新興住宅街で低層のタウンハウススタイルだ、家の中
を案内するのは客に対する礼儀なのか、家族4人で4部屋あったので標準的な広さ
なのだろう、車がないと不便かと思ったが、バスが頻繁に運行されているのでの
最寄りの商業施設までは容易に行けるとのことだった。
空港からクリスチーナの家までのルートや住宅地の整然さは、25年前の印象と変
わらなかった。母親が近くで健在とのこと、一目挨拶をと思ったが敵わず、残念
だった。
こんなに手のかかる子供がいるが、これまで共働きというのがフィンランドの素
晴らしいところだ。日本はいったいどうなってしまったのだろうか。
土曜日なのにクリスティーナの旦那はダウンタウンの会社へ行くという。ITエン
ジニアなので週末でもよく出社するようだった。その旦那の車に便乗させてもら
い、リンダラインの埠頭でドロップしてもらった。
Helsinki International Airport
http://www.helsinki-vantaa.fi/home?
■Linda Lineでタリンへ
土曜日ということもあり、車は空いていた。人口がそれほど多くないフィンラン
ドなので平日でも混雑と言うことはありえないのだろう、このゆったり感が何と
も快適だった。
港近くになり、これが大統領官邸、そして、その前にある建物がデザイン上好ま
しくないと議論になっている建物など、旦那が説明してくれた。後で調べたら好
ましくないデザインの事務所ビルは著名なフィンランド人建築家アルバー・アー
ルトの設計だった。
リンダラインの埠頭は、市の中心に最も近い場所だった。目の前がトラム乗り場
出し、歩いてもよい。反対側にVaiking Lineの大型の船が停泊していた。
リンダラインはジェットフォイル双胴船を運行しており、フィンランド湾を挟ん
だ対岸に位置するエストニアの首都タリンまで1時間半の距離だった。料金は、2
6-26EUR、時間帯によって異なる。事前予約をしたが、当日でも乗れないことは
ない。
船会社により埠頭が異なるので事前によく確認にしておく必要があるが、1983年
と1985年にストックホルムを往復したSilja Lineが直ぐ隣であった。その船が停
泊していたがその大きさにあらためて驚いた。
席は特に決まっておらず空いている席に座った。夏なので混んでいる方なのだろ
う、ほとんどの客がフィンランド人とエストニア人だ、その中に時々、旅行者が
いた。
出港後、船は島の間を縫ってゆっくり進み、外洋へ出ると速度を上げた。お天気
は快晴、気持ちのよい夏の午後だった。
Linda Line
http://www.lindaline.fi/
■タリン旧市街散策
ジェットフォイルの船は1時間半後にタリンの港に着岸した。パスポートコント
ロールはなく、そのまま、埠頭の目の前に停まってい白地にイエローの帯のある
連結バスに乗り行き先を聞いた。英語が通じるわけではなったが地図を示したら
OKだという。料金は現地通貨でもEURでも受け付けてくれた。ここはEU加盟国な
のだ。
料金1EURを支払い、バスの席にボロボロのキャリーオンとともに腰を落ち着け
た。客はほとんど乗っていない。記憶したタリンの地図から港から旧市街の入り
口はそれほど遠くはない。記憶通りにバスが旧市街の外側の通りをしばらく走っ
たら運転手がここで降りろと教えてくれた。
礼を言ってから車窓から見えた旧市街への入口へ少し戻り、石畳を歩きはじめた。
両側に並ぶショップを眺めながら先へ進む。城壁をくぐると旧市街だ。ホテルは
その先の左のはず、だが、住所はあるものの入口がない。よく見ると張り紙がし
てあり、城壁に沿って左へ行き、更に左へ行ったところにホテルの入り口がある
との説明だ。少し戻るとホテルのサインが見えた。そこへ丁度、旅友が迎えに出
ていてくれた。
このホテル、ネットで探したので難しい。リガやヴィリニュスと比べたらやや高
めの印象だったが他に情報がなく、そのままとした。部屋は狭いが他はスタン
ダードなホテルだった。
Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)
■夜のタリンとクラブ
旧市街を歩いていたらセクシーな看板があったので近づいてみた。地下がストリ
ップバーのようだったがまだ時間が早そうで誰もいなかったので退散することに
した。入口にテナントの説明があり、よく見ると日本大使館が入居しているビル
だった。翌日、城からの帰りに桜が植えられている場所があり、それは日本大使
館の前だった。昨晩の反対側のようだ。
クラブをいくつかチェックし、Vabankだったか、そんなクラブへ行ってみた。こ
ういう場所は若者文化を体験できいつも楽しみにしている。
http://www.vabank.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/237-Vabank_Club
Club Hollywood
http://www.club-hollywood.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/9-Hollywood
ビールを飲みながらほろ酔い気分で万国共通の音楽と空間を楽しんだ。午前2時
過ぎ、旅友は女の子と上手くやっていそうだったので一人でホテルへ戻ったが、
まだまだ街は活気が冷めやらぬほどだった。
■早朝のタリンと琥珀
タリン旧市街は小高い丘の上に城があり、その周囲に街が形成されている。ここ
は世界文化遺産に登録されている。朝食の後、見晴らし台がある場所まで散策し
た。旧市街は想像するにかなりよく維持管理されている印象を受けた。ソ連時代
はどうだったのだろうか、崩壊直後はと思いを巡らしても仕方がない。
観光コースの見晴らし台を巡った。眼下には鉄道駅が見えた。リガやサンクトペ
テルブルクへ通じるのだろうが、現在はバスのが便利だ。地形的には丘の上、城
があるあたりが最も高くなっており、バルト海を見渡せた。しばらくここで佇ん
だ。
その横に琥珀のショップがあった。木の樹脂が化石化したもので黄色い飴色をし、
ヨーロッパでは宝飾品として扱われている。バルト海沿岸で多く産出するため当
地特産品となっている。
■タリンの旨いもの
▼ペガサス
旅友が一版前のロンプラからこのレストランをピックアップした。最新版には確
か掲載されていなかった。これは正解で通ってしまったレストランだ。注文した
料理はすべて美味しかった。特に魚料理が絶品。
Harju 1
tel: +372 6314040
http://www.restoranpegasus.ee/
http://www.tallinn-life.com/eat/restaurants_details/7-Pegasus
http://www.hg2.com/cities/estonia/tallinn/restaurants/international/---p
egasus---tallinn-estonia
■タリン情報
ネット検索とLonely Planet Baltic States版を基本とした。
Tallinn-life
http://www.tallinn-life.com/
Tallinn Info
http://www.lindaline.fi/en/in_tallinn/
▼ホテル
今回宿泊したホテルは、旧市街の入口に立地する「Baltic Hotel Vana Wiru」、
ネットで検索した結果、2泊で143EUR(キャンセル不可の条件だと一泊65EUR)で
あった。
Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)
▼その他のホテル
Sokos Hotel Viru
Viru va"ljak 4, 10111 Tallinn, Estonia
Puh. +372 6 809 300
http://www.sokoshotels.fi/en/hotels/tallinn/
Radisson Blu Hotel Olumpia, Tallinn
Standard Room EUR64
Liivalaia 33, - 10118 Tallinn
+372-631-5333
http://www.radissonblu.com/olumpiahotel-tallinn
Park Inn Central Tallinn
Strandard EUR48.75/55.0
Narva Mnt 7c, Tallinn, 10117
+372 633-98
http://www.tallinn.rezidorparkinn.com/
Radisson Blu Hotel, Tallinn
Standard EUR74
http://www.radissonblu.com/hotel-tallinn
Reval Hotelsというバルト三国に展開していたホテルがあったが、現在はRadiss
on SASの傘下となっている。
http://www.revalhotels.com
▼Helsinki-Tallinn Ferry
Nordic Jet Line
No Operation in 2010
Tallink
http://www.tallinksilja.com/en/
■■後記
思いを寄せて26年目、バルト三国で残っていたエストニアを訪問することができ、
一昨年のラトビア、リトアニア訪問で全てのバルト諸国を訪問した。
他のバルト三国ともソ連時代に訪問したかったのが本音、そこまでしつこくなか
ったのがこんなに時間がかかったのだろう。
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2010年7月下旬から数日間、ヘルシンキとタリンを訪れる機会を得た。目的地に
辿り着くまでに何かとあったが、備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行2です。
▼目次
■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
■Linda Lineでタリンへ
■タリン旧市街散策
■夜のタリン
■早朝のタリンと琥珀
■タリン情報
■■後記
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■25年ぶりのヘルシンキとクリスティーナ一家との再会
モスクワ一泊招待となった翌日の便でヘルシンキへ移動した。アエロフロートと
との共同運航便で機体はフィンランド航空、よく考えたらフィンランド航空は初
搭乗だった。食事が外れ、手を付けなかった。
ヘルシンキ空港に着陸する間近に森林と住宅地、そして道路ネットワークが窓か
ら見えてきた。25年前はレニングラードから列車だったので、ラハチ駅でクリス
チーナと待ち合わせした。
彼女は空港近くのVantaaに住んでいた。子供たちと一緒にシトロエンのハッチバ
ックで迎えに来てくれた。息子と娘が一人づつ、二人とも小学生なので元気いっ
ぱいだった。クリスティーナは20数年の時間の経過は確かだったが、話してみる
と当時と変わらなかった。
車で自宅まで行き、旦那を含む家族と一緒にランチをご馳走になり、暫く世間話
をしてスケジュールを説明すると、時間がないと言いだし、あわただしく、クリ
スチーナの家を後にした。新興住宅街で低層のタウンハウススタイルだ、家の中
を案内するのは客に対する礼儀なのか、家族4人で4部屋あったので標準的な広さ
なのだろう、車がないと不便かと思ったが、バスが頻繁に運行されているのでの
最寄りの商業施設までは容易に行けるとのことだった。
空港からクリスチーナの家までのルートや住宅地の整然さは、25年前の印象と変
わらなかった。母親が近くで健在とのこと、一目挨拶をと思ったが敵わず、残念
だった。
こんなに手のかかる子供がいるが、これまで共働きというのがフィンランドの素
晴らしいところだ。日本はいったいどうなってしまったのだろうか。
土曜日なのにクリスティーナの旦那はダウンタウンの会社へ行くという。ITエン
ジニアなので週末でもよく出社するようだった。その旦那の車に便乗させてもら
い、リンダラインの埠頭でドロップしてもらった。
Helsinki International Airport
http://www.helsinki-vantaa.fi/home?
■Linda Lineでタリンへ
土曜日ということもあり、車は空いていた。人口がそれほど多くないフィンラン
ドなので平日でも混雑と言うことはありえないのだろう、このゆったり感が何と
も快適だった。
港近くになり、これが大統領官邸、そして、その前にある建物がデザイン上好ま
しくないと議論になっている建物など、旦那が説明してくれた。後で調べたら好
ましくないデザインの事務所ビルは著名なフィンランド人建築家アルバー・アー
ルトの設計だった。
リンダラインの埠頭は、市の中心に最も近い場所だった。目の前がトラム乗り場
出し、歩いてもよい。反対側にVaiking Lineの大型の船が停泊していた。
リンダラインはジェットフォイル双胴船を運行しており、フィンランド湾を挟ん
だ対岸に位置するエストニアの首都タリンまで1時間半の距離だった。料金は、2
6-26EUR、時間帯によって異なる。事前予約をしたが、当日でも乗れないことは
ない。
船会社により埠頭が異なるので事前によく確認にしておく必要があるが、1983年
と1985年にストックホルムを往復したSilja Lineが直ぐ隣であった。その船が停
泊していたがその大きさにあらためて驚いた。
席は特に決まっておらず空いている席に座った。夏なので混んでいる方なのだろ
う、ほとんどの客がフィンランド人とエストニア人だ、その中に時々、旅行者が
いた。
出港後、船は島の間を縫ってゆっくり進み、外洋へ出ると速度を上げた。お天気
は快晴、気持ちのよい夏の午後だった。
Linda Line
http://www.lindaline.fi/
■タリン旧市街散策
ジェットフォイルの船は1時間半後にタリンの港に着岸した。パスポートコント
ロールはなく、そのまま、埠頭の目の前に停まってい白地にイエローの帯のある
連結バスに乗り行き先を聞いた。英語が通じるわけではなったが地図を示したら
OKだという。料金は現地通貨でもEURでも受け付けてくれた。ここはEU加盟国な
のだ。
料金1EURを支払い、バスの席にボロボロのキャリーオンとともに腰を落ち着け
た。客はほとんど乗っていない。記憶したタリンの地図から港から旧市街の入り
口はそれほど遠くはない。記憶通りにバスが旧市街の外側の通りをしばらく走っ
たら運転手がここで降りろと教えてくれた。
礼を言ってから車窓から見えた旧市街への入口へ少し戻り、石畳を歩きはじめた。
両側に並ぶショップを眺めながら先へ進む。城壁をくぐると旧市街だ。ホテルは
その先の左のはず、だが、住所はあるものの入口がない。よく見ると張り紙がし
てあり、城壁に沿って左へ行き、更に左へ行ったところにホテルの入り口がある
との説明だ。少し戻るとホテルのサインが見えた。そこへ丁度、旅友が迎えに出
ていてくれた。
このホテル、ネットで探したので難しい。リガやヴィリニュスと比べたらやや高
めの印象だったが他に情報がなく、そのままとした。部屋は狭いが他はスタン
ダードなホテルだった。
Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)
■夜のタリンとクラブ
旧市街を歩いていたらセクシーな看板があったので近づいてみた。地下がストリ
ップバーのようだったがまだ時間が早そうで誰もいなかったので退散することに
した。入口にテナントの説明があり、よく見ると日本大使館が入居しているビル
だった。翌日、城からの帰りに桜が植えられている場所があり、それは日本大使
館の前だった。昨晩の反対側のようだ。
クラブをいくつかチェックし、Vabankだったか、そんなクラブへ行ってみた。こ
ういう場所は若者文化を体験できいつも楽しみにしている。
http://www.vabank.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/237-Vabank_Club
Club Hollywood
http://www.club-hollywood.ee/
http://www.tallinn-life.com/drink/pubs_cafes_details/9-Hollywood
ビールを飲みながらほろ酔い気分で万国共通の音楽と空間を楽しんだ。午前2時
過ぎ、旅友は女の子と上手くやっていそうだったので一人でホテルへ戻ったが、
まだまだ街は活気が冷めやらぬほどだった。
■早朝のタリンと琥珀
タリン旧市街は小高い丘の上に城があり、その周囲に街が形成されている。ここ
は世界文化遺産に登録されている。朝食の後、見晴らし台がある場所まで散策し
た。旧市街は想像するにかなりよく維持管理されている印象を受けた。ソ連時代
はどうだったのだろうか、崩壊直後はと思いを巡らしても仕方がない。
観光コースの見晴らし台を巡った。眼下には鉄道駅が見えた。リガやサンクトペ
テルブルクへ通じるのだろうが、現在はバスのが便利だ。地形的には丘の上、城
があるあたりが最も高くなっており、バルト海を見渡せた。しばらくここで佇ん
だ。
その横に琥珀のショップがあった。木の樹脂が化石化したもので黄色い飴色をし、
ヨーロッパでは宝飾品として扱われている。バルト海沿岸で多く産出するため当
地特産品となっている。
■タリンの旨いもの
▼ペガサス
旅友が一版前のロンプラからこのレストランをピックアップした。最新版には確
か掲載されていなかった。これは正解で通ってしまったレストランだ。注文した
料理はすべて美味しかった。特に魚料理が絶品。
Harju 1
tel: +372 6314040
http://www.restoranpegasus.ee/
http://www.tallinn-life.com/eat/restaurants_details/7-Pegasus
http://www.hg2.com/cities/estonia/tallinn/restaurants/international/---p
egasus---tallinn-estonia
■タリン情報
ネット検索とLonely Planet Baltic States版を基本とした。
Tallinn-life
http://www.tallinn-life.com/
Tallinn Info
http://www.lindaline.fi/en/in_tallinn/
▼ホテル
今回宿泊したホテルは、旧市街の入口に立地する「Baltic Hotel Vana Wiru」、
ネットで検索した結果、2泊で143EUR(キャンセル不可の条件だと一泊65EUR)で
あった。
Baltic Hotel Vana Wiru
Viru str. 11, Tallin
Estonia 10140
Tel. +372-66-91 515
(143 EUR for 2 nights)
▼その他のホテル
Sokos Hotel Viru
Viru va"ljak 4, 10111 Tallinn, Estonia
Puh. +372 6 809 300
http://www.sokoshotels.fi/en/hotels/tallinn/
Radisson Blu Hotel Olumpia, Tallinn
Standard Room EUR64
Liivalaia 33, - 10118 Tallinn
+372-631-5333
http://www.radissonblu.com/olumpiahotel-tallinn
Park Inn Central Tallinn
Strandard EUR48.75/55.0
Narva Mnt 7c, Tallinn, 10117
+372 633-98
http://www.tallinn.rezidorparkinn.com/
Radisson Blu Hotel, Tallinn
Standard EUR74
http://www.radissonblu.com/hotel-tallinn
Reval Hotelsというバルト三国に展開していたホテルがあったが、現在はRadiss
on SASの傘下となっている。
http://www.revalhotels.com
▼Helsinki-Tallinn Ferry
Nordic Jet Line
No Operation in 2010
Tallink
http://www.tallinksilja.com/en/
■■後記
思いを寄せて26年目、バルト三国で残っていたエストニアを訪問することができ、
一昨年のラトビア、リトアニア訪問で全てのバルト諸国を訪問した。
他のバルト三国ともソ連時代に訪問したかったのが本音、そこまでしつこくなか
ったのがこんなに時間がかかったのだろう。
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発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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2011年10月12日水曜日
【世界の街角からMM】第117号 ヘルシンキ・タリン紀行(1) 2011年10月12日
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メールマガジン「世界の街角からMM」 第117号 2011年10月12日
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もう一年以上前になりますが、2010年7月下旬の週末、長年の思いが実りヘルシ
ンキとタリンを訪れることができた。備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行01です。
▼目次
■ヘルシンキ+タリン紀行
■モスクワ経由ヘルシンキ行き
■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
■モスクワ一泊ご招待
■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
■■後記
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■ヘルシンキ+タリン紀行
タリンはエストニアの首都、エストニアはバルト三国の一つ、フィンランドの首
都ヘルシンキの対岸に位置する。2009年の秋口にラトビアとリトアニアを訪れた
が、エストニアまでは足を伸ばせず持ち越しとしていた。
その翌年、週末を利用してヘルシンキとタリンへ行くことにした。実はかつて2
回ほどバルト三国旅行を計画したことがあった。最初は、1985年のソ連時代、ホ
テルが取れなく敢え無く旅程変更、2回目は、2000年9月、仕事が一段落したので
準備を進めつつ休暇申請する直前に研修へ参加せよとの指示があり、旅行自体を
中止せざるを得なかった。このときは会社の研修を見捨てるべきだったと後から
切実に感じたが後の祭りだった。
今回は、モスクワ経由のルートを取ったが早々に躓き、エレバンでアエロフロー
トのフライトが1時間半以上遅れ、ヘルシンキ行きフライトに乗れず、シェレメ
ツェボ空港一泊ご招待となった。
■モスクワ経由ヘルシンキ行き
実に25年ぶりのヘルシンキとなった、最近そんなことが多い、その間なぜゆえに
こんなに長く縁がなかったのだろうかと考えるのだが、仕事柄、他の国へ出張し
ていたからに違いない、まあ仕事を理由にしておくほうが説明が楽だ。
それはさておきチャンスはチャンス、ヘルシンキを再度しっかりとこの目で見極
めておきたかった。これまでヘルシンキには2度滞在している。1983年2月と1985
年7月だ。
既に25年が経過していようとは・・・、1985年に滞在したときはレニングラード
から鉄道でヘルシンキへと移動したが今回はモスクワ経由のアエロフロートだ。
■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
モスクワ一泊ご招待となった理由は、エレバンからのアエロフロートが1時間以
上も遅れたからだ。乗り継ぎ時間が2時間程度、手荷物だけだったのでぎりぎり
間に合うかにみえたが、シェレメツェボ2空港のトランスファーデスクに職員が
一人、乗り継ぎ便のヘルシンキ行きフライトの搭乗券がの発券が間に合わなかっ
た。
しかも、着陸後はボーディングブリッジによるターミナル直結ではなくタラップ、
そして、バスだ。このときはまだ少し望みを持っていたのでターミナルに着いて
からトランスファーデスクへ急いだ。
デスクを見てがっかりした。職員が一人しかいないのだ。確か、最大でも3人、
いつもはガラガラなので問題がないが、この時はキエフからの乗り継ぎ客である
韓国人のトランジット客が押し寄せてきて担当の女性はパニック状態となってし
まった。
キエフからのフライトも遅れていたようで乗り継ぎ便である大韓航空への搭乗券
発券や確認で韓国人の容赦のない要求に担当の女性はイライラ度が急上昇してい
た。
私が先に乗り継ぎ手続きをしているのだが、E-チケットを横に置いたまま手続き
が進まない。これで確実に乗れない時間となってしまった。乗れないならば、次
のフライトを予約しなくてなならないので、粘り強くカウンターに陣取る、韓国
人のトランジット客が過去るのを待って翌日のフライトの予約をしてもらった。
ビザの有無を聞かれ、もちろんYES、空港内のアエロフロート航空カウンターの
場所を説明された。ここでロシア査証が役に立った。入国審査窓口に並びあっと
いう間に手続き終了、アエロフロートのカウンターもテキパキと手続きが終わっ
た。
■モスクワ一泊ご招待
乗り継ぎカウンターで手続きをしていると私の他に日本人が一人いた。エレバン
から同じフライトだったらしい。彼は、ソウル行きの大韓航空に乗れなかったと
いう。
話を聞くと、韓国人の女性と結婚しソウル在住、石材会社に勤めており、アルメ
ニアまで買い付けした石材の検査のため出張してきたとのこと。ただ、ロシアビ
ザは持っていないのでどうなるのかと心配そうだった、それで、アエロフロート
が面倒をみてくれるので心配ない旨説明して、私は先に進んだ。
入国審査を済ませて、ロシア連邦に入国、アエロフロート航空の窓口まで行く。
うろうろしているとタクシーの勧誘が多い。窓口で、ホテルのバウチャーを受取
り、行き方を聞く。ホテルはNOVOTEL、ホテルバスで行くようだ。
バス乗り場でかなり待った。その間にまたタクシー運転手が誘いに来る、「300
ルーブルでどうだ」と。10ドル相当だがバスがあるのにその必要はなしと追い返
す。
このノヴォテル、AeroExpress駅の前にあったので、歩いても5分程度の距離だ。
荷物はキャリーオンだけなので待ち時間の間に着いていたかもしれない。
蒸し暑い夏の夜、シェレメツェボ空港脇にあるNOVOTEL一泊ご招待となった。
■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
チェックインの時に夕食と朝食のバウチャーを受け取った。フライトの遅延なの
で当然の配慮なのだろう、ヘルシンキの友人に予定通りのフライトに搭乗できな
かったことを電話で伝え、アトリウムの奥にあるレストランで夕飯を食べること
にした。
メニューが決まっているのだろう、バウチャーを出すと何も言わないでも食事が
運ばれてきた。空港隣接ホテルは概ねこんなサービスだとテーブルで待っていた。
しばらくしたら、先ほどのソウル便に乗り遅れた日本人を含む一行がレストラン
に入ってきた。
じゃあ一緒に食事をしようと私のテーブルへ誘うと無線機を持った人が現れて駄
目だという。どうも入国管理官かセキュリティのようだ。ビザなしの一行とは壁
こそないがテーブルが分けられ監視されていた。
以前聞いたことがある「乗り遅れた場合のホテルでの滞在」について若干の時間
を利用して質問してみた。
「ドアの鍵はどちらからかけられているのか?」
彼曰く、「外から」だという。
つまり、外へ出られない監禁状態ということだ、しかも、ある階がビザなし乗り
遅れトランジット客用に確保されているとのこと。
食事の場合は案内があり、同じような乗り遅れ客がまとまって移動するようだ。
ビザのあるなしでは大きな違い、リスクヘッジは重要だと認識した場面だった。
■■後記
モスクワ経由でタリンへ行ってから約一年以上が経過してしまった。いつもなが
ら時間の経過が早すぎる。まだ賞味期限内であることを確信してご紹介すること
にした。
あの時のモスクワは本当に暑かった、夕方でも30度近くあり蒸していた。この年、
ロシアは猛暑、各地で泥炭が燃え森林火災が広がり、穀物の収穫にかなりの影響
が出そうだったことから、ロシア連邦は、穀物禁輸措置を取った。ロシアの小麦
を期待していたCIS諸国は、代替輸入先を探さねばならなかった。
そして、今後、このような状況に陥らないようにと、収穫量が増加する小麦品種
の種子を盛んに導入することを発表していた。この種子もロシアからの輸入なの
だ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第117号 2011年10月12日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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メールマガジン「世界の街角からMM」 第117号 2011年10月12日
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もう一年以上前になりますが、2010年7月下旬の週末、長年の思いが実りヘルシ
ンキとタリンを訪れることができた。備忘録的にヘルシンキ・タリン紀行01です。
▼目次
■ヘルシンキ+タリン紀行
■モスクワ経由ヘルシンキ行き
■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
■モスクワ一泊ご招待
■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
■■後記
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■ヘルシンキ+タリン紀行
タリンはエストニアの首都、エストニアはバルト三国の一つ、フィンランドの首
都ヘルシンキの対岸に位置する。2009年の秋口にラトビアとリトアニアを訪れた
が、エストニアまでは足を伸ばせず持ち越しとしていた。
その翌年、週末を利用してヘルシンキとタリンへ行くことにした。実はかつて2
回ほどバルト三国旅行を計画したことがあった。最初は、1985年のソ連時代、ホ
テルが取れなく敢え無く旅程変更、2回目は、2000年9月、仕事が一段落したので
準備を進めつつ休暇申請する直前に研修へ参加せよとの指示があり、旅行自体を
中止せざるを得なかった。このときは会社の研修を見捨てるべきだったと後から
切実に感じたが後の祭りだった。
今回は、モスクワ経由のルートを取ったが早々に躓き、エレバンでアエロフロー
トのフライトが1時間半以上遅れ、ヘルシンキ行きフライトに乗れず、シェレメ
ツェボ空港一泊ご招待となった。
■モスクワ経由ヘルシンキ行き
実に25年ぶりのヘルシンキとなった、最近そんなことが多い、その間なぜゆえに
こんなに長く縁がなかったのだろうかと考えるのだが、仕事柄、他の国へ出張し
ていたからに違いない、まあ仕事を理由にしておくほうが説明が楽だ。
それはさておきチャンスはチャンス、ヘルシンキを再度しっかりとこの目で見極
めておきたかった。これまでヘルシンキには2度滞在している。1983年2月と1985
年7月だ。
既に25年が経過していようとは・・・、1985年に滞在したときはレニングラード
から鉄道でヘルシンキへと移動したが今回はモスクワ経由のアエロフロートだ。
■シェレメツェボ空港のトランスファーデスク
モスクワ一泊ご招待となった理由は、エレバンからのアエロフロートが1時間以
上も遅れたからだ。乗り継ぎ時間が2時間程度、手荷物だけだったのでぎりぎり
間に合うかにみえたが、シェレメツェボ2空港のトランスファーデスクに職員が
一人、乗り継ぎ便のヘルシンキ行きフライトの搭乗券がの発券が間に合わなかっ
た。
しかも、着陸後はボーディングブリッジによるターミナル直結ではなくタラップ、
そして、バスだ。このときはまだ少し望みを持っていたのでターミナルに着いて
からトランスファーデスクへ急いだ。
デスクを見てがっかりした。職員が一人しかいないのだ。確か、最大でも3人、
いつもはガラガラなので問題がないが、この時はキエフからの乗り継ぎ客である
韓国人のトランジット客が押し寄せてきて担当の女性はパニック状態となってし
まった。
キエフからのフライトも遅れていたようで乗り継ぎ便である大韓航空への搭乗券
発券や確認で韓国人の容赦のない要求に担当の女性はイライラ度が急上昇してい
た。
私が先に乗り継ぎ手続きをしているのだが、E-チケットを横に置いたまま手続き
が進まない。これで確実に乗れない時間となってしまった。乗れないならば、次
のフライトを予約しなくてなならないので、粘り強くカウンターに陣取る、韓国
人のトランジット客が過去るのを待って翌日のフライトの予約をしてもらった。
ビザの有無を聞かれ、もちろんYES、空港内のアエロフロート航空カウンターの
場所を説明された。ここでロシア査証が役に立った。入国審査窓口に並びあっと
いう間に手続き終了、アエロフロートのカウンターもテキパキと手続きが終わっ
た。
■モスクワ一泊ご招待
乗り継ぎカウンターで手続きをしていると私の他に日本人が一人いた。エレバン
から同じフライトだったらしい。彼は、ソウル行きの大韓航空に乗れなかったと
いう。
話を聞くと、韓国人の女性と結婚しソウル在住、石材会社に勤めており、アルメ
ニアまで買い付けした石材の検査のため出張してきたとのこと。ただ、ロシアビ
ザは持っていないのでどうなるのかと心配そうだった、それで、アエロフロート
が面倒をみてくれるので心配ない旨説明して、私は先に進んだ。
入国審査を済ませて、ロシア連邦に入国、アエロフロート航空の窓口まで行く。
うろうろしているとタクシーの勧誘が多い。窓口で、ホテルのバウチャーを受取
り、行き方を聞く。ホテルはNOVOTEL、ホテルバスで行くようだ。
バス乗り場でかなり待った。その間にまたタクシー運転手が誘いに来る、「300
ルーブルでどうだ」と。10ドル相当だがバスがあるのにその必要はなしと追い返
す。
このノヴォテル、AeroExpress駅の前にあったので、歩いても5分程度の距離だ。
荷物はキャリーオンだけなので待ち時間の間に着いていたかもしれない。
蒸し暑い夏の夜、シェレメツェボ空港脇にあるNOVOTEL一泊ご招待となった。
■ビザなしの乗り遅れはホテルの部屋に缶詰め
チェックインの時に夕食と朝食のバウチャーを受け取った。フライトの遅延なの
で当然の配慮なのだろう、ヘルシンキの友人に予定通りのフライトに搭乗できな
かったことを電話で伝え、アトリウムの奥にあるレストランで夕飯を食べること
にした。
メニューが決まっているのだろう、バウチャーを出すと何も言わないでも食事が
運ばれてきた。空港隣接ホテルは概ねこんなサービスだとテーブルで待っていた。
しばらくしたら、先ほどのソウル便に乗り遅れた日本人を含む一行がレストラン
に入ってきた。
じゃあ一緒に食事をしようと私のテーブルへ誘うと無線機を持った人が現れて駄
目だという。どうも入国管理官かセキュリティのようだ。ビザなしの一行とは壁
こそないがテーブルが分けられ監視されていた。
以前聞いたことがある「乗り遅れた場合のホテルでの滞在」について若干の時間
を利用して質問してみた。
「ドアの鍵はどちらからかけられているのか?」
彼曰く、「外から」だという。
つまり、外へ出られない監禁状態ということだ、しかも、ある階がビザなし乗り
遅れトランジット客用に確保されているとのこと。
食事の場合は案内があり、同じような乗り遅れ客がまとまって移動するようだ。
ビザのあるなしでは大きな違い、リスクヘッジは重要だと認識した場面だった。
■■後記
モスクワ経由でタリンへ行ってから約一年以上が経過してしまった。いつもなが
ら時間の経過が早すぎる。まだ賞味期限内であることを確信してご紹介すること
にした。
あの時のモスクワは本当に暑かった、夕方でも30度近くあり蒸していた。この年、
ロシアは猛暑、各地で泥炭が燃え森林火災が広がり、穀物の収穫にかなりの影響
が出そうだったことから、ロシア連邦は、穀物禁輸措置を取った。ロシアの小麦
を期待していたCIS諸国は、代替輸入先を探さねばならなかった。
そして、今後、このような状況に陥らないようにと、収穫量が増加する小麦品種
の種子を盛んに導入することを発表していた。この種子もロシアからの輸入なの
だ。
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