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2015年10月24日土曜日

【世界街角通信MM】第237号 ニューヨーク紀行その1 2015年10月24日



★★★メールマガジン「世界街角通信MM」第237 20151024日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。

9月下旬から1週間ほどニューヨークに滞在しましたので筆者の視点で綴った「ニ
ューヨーク紀行」をお届けします。今回はその第1号です、また、今後、数回連
続寄稿します。

▼目次
19世紀末のニューヨークと移民
JFK空港から公共交通でマンハッタンへ
■ニューヨーク市地下鉄とiPhoneアプリ

■■後記

【ご案内】
「日本による中央アジア地域支援の展望-安倍首相中央アジア訪問に寄せて」

共同執筆でThe Povertistというサイトに投稿しましたのでご案内いたします。
テーマは、10月下旬に安倍首相が訪問する中央アジア地域の展望です。この訪問
が我が国の対中央アジア地域支援の第4フェーズ展開の契機となるのか、という
こと。分割して投稿されます。


★★★本文★★★

19世紀末のニューヨークと移民

ニューヨークの19世紀初頭人口はわずか7.6万人、その100年後には337万人に増
加しいてる。この要因は、19世紀初頭、アイルランドで発生したジャガイモ飢饉
により新天地を求めた小作農を中心とした移民やドイツ・バイエルン地方からの
商人の移民が多かったことと、その移民を吸収しつつ産業が発展したこと。

19世紀後半になるとイタリア人や東欧系ユダヤ人が多くなる。イタリア人は南部
やシチリア島を中心に農業の不作が影響して農民が渡ってくる。その人たちがア
イルランド系移民とともにニューヨークの産業革命の重要な労働者となる。

他方、東欧系ユダヤ人はプロシャ帝国下のオーストリアやハンガリーからの移民、
そして、ロシア帝国の迫害を逃れてきたロシア、ポーランドからの移民が増加す
る。ローワーイースト地区にコミュニティを形成された。

単純に10年間の移民数を日数で割ってみると、1日あたり平均900人のペースで人
口増加したことになる。

19世紀のニューヨーク

ニューヨークの移民の歴史を振り返ったのは昨今ヨーロッパ(ドイツ)を目指す
のシリア難民問題、その移民が活力となりニューヨークと同様に将来的に経済発
展に繋がっていくであろう思う。

JFK空港から公共交通(鉄道)でマンハッタンへ

AirTrain JFK(空港内循環交通システム)

今回はANA便で成田空港を発ち、ニューヨークのJFK空港に到着した。そこから、
知人宅のあるマンハッタンまで公共交通(鉄道)を利用することにした。これは、
NYCの公共交通の視察の意味も含めてそうした。

ジョン・エフ・ケネディ空港(JFK)からマンハッタンまでは最寄りの地下駅ま
では、空港内を循環している新交通システムであるAirTrainを利用してJamaica
Center駅下車(終点)し、そこで、地下鉄のEに乗り換え、51St駅で6番線へ乗り
換え、23rd駅下車、徒歩で5分内。

先ずは、AirTrain JFKである、ターミナル7ANA便は着く、そこから、サインに
沿って行く、出口を出て正面に高架の交通システムがある。タクシーの場合は、
出口で乗れるはずだ。雨が降っていても屋根が付いているので問題ない、ホーム
まではエレベータもある。しかし、チケットの買い方などの案内はなく、パンフ
がホームにあったがよくわからない。

事前情報から、USD5だとのことだが周りの人に聞いたら終点で支払うとのこと、
どこが終点なのかわからず聞くと「Jamaica Center」だという。

AirTrain JFK

チケットはJamaica Center駅に到着し、自動販売機で精算するが、チケットを購
入すると行った方が正確化かもしれない。自動販売機は日本語にも対応していた。

だが、MetroCard(薄いプラスチック、日本のテレホンカード状)というのを購
入し、それにチャージし、改札を抜ける方式となっている。このMetroCardは、A
irTrain JFK専用なのでNYC地下鉄には使えない。多分、運営が異なるからであろ
う。このカードにUSD1を支払う必要がある。よって、最初はUSD5+USD1USD6.00
となる。

NYC地下鉄との乗り換え

AirTrain JFKJamaica Center駅からNYC地下鉄の接続駅へ乗り換えることにな
り、駅名は「Sutphin Blvd/Archer Av/JFK Airport駅」となる。

AirTrain JFKJamaica Center駅改札を出てそのまま案内通り進み、ロングアイ
ランド鉄道のホームを通過してその先にあるエレベーターで地階の地下鉄駅まで
下りる。そこで、自動販売機で7daysチケットを購入した。

こちらもMetroCardというチャージするカードを同時に購入する必要がある。料
金はUSD31.00USD1.00=USD32.00、この料金は、NYC交通局(MTA)が運営する地
下鉄とバスが乗れる、制限はない。一回券は、USD2.7520年前は1ドルだった、
トークンを買って乗っていた。)

Subway map

地下鉄とバス料金 Subway and Local Bus Fare

MTAの改札とMetroCard

狭いので荷物を持っていると通過しにくい。別の扉もあるが、駅員がいないと開
かないシステムのようだ。また、カードは非接触ではなく溝を通過させるタイプ
なのでセンシティブ。少し、折れ曲がると認識しにくい。筆者は、ポケットに入
れていて折れ曲がったら認識が非常に難しくなってしまった。

E線から6番線へ

Sutphin Blvd/Archer Av/JFK Airport駅からE線で51番通り駅下車、内部で繋が
っている6番線へ乗り換えた。少し、距離があったが荷物を持っていてもエレ
ベータもあり問題なく移動が可能であった、しかし、エレベータの中は尿の匂い
がきつかった。これはNYCの匂いかもしれない。

6番線の23番通り駅

目的地の23番通り駅は、6番線を南下、数駅で着いた、途中記憶にあるグランド
セントラル42番通り駅や33番通り駅を通過した。23番通り駅は地上までの移動は
階段しかない。されどそれほど深くないし、スーツケースは詰まっていないので
容易に地上に出た。そこがグラマシー地区のレキシントン通り、出た瞬間にマン
ハッタンの空気を感じた。しかし、地下鉄駅の設備は古い、ロンドンでも積極的
にバリアフリーには投資しているのに、と思わざるを得ない現状だ。

そこから23番通りを東へ、見慣れたスタバのサインを横目に見ながら3番街を南
へ、そこが知人のアパートだ。レセプションで鍵を受け取って10階の部屋へエレ
ベータで上がった、30数回建ての建物のようだ、この辺りでは高い。

▼マンハッタン‐JFK空港間の所要時間

往路は、不明な点が多くロスタイムが多かったのでグラマシーまで2時間以上か
かっている。特に地下鉄に乗るまで。それで復路の時間を計ってみたら、地下鉄
に乗って60分以内でチェックインカウンターまで到達できている。

復路のスケジュール
14:50-15:18 23nd 6号線+ESutphin Blvd/Archer Av/JFK Airport by MTA

15:30-15:45 Jamaica Central- Terminal7 by AirTrain JFK

16:30 チェックイン+出国審査終了(かなり時間を要した、セキュリティチェッ
クが影響している、プライオリティラインは機能せず)

17:30 搭乗

参考:
タクシーでもJFKまでマンハッタンから小一時間はかかったと記憶している。料
金は5060ドルだっただろうか。タクシーは下記を参考に。

JFK Airport-Transport
NYC-Taxi

■ニューヨーク市地下鉄マップとiPhoneアプリ

駅の窓口で地下鉄地図をリクエストすれば無料で入手が可能だが、もう一つは同
じ内容の地図がiPhoneアプリ(無料)でもある。「NYC Subway」、これは重宝し
た。

参考まで。

■フェースブック「世界街角通信MM」のご案内
★世界街角通信Sekai Machikado News(コミュニティ)

その他、Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。対象は旧共
産圏を含むユーラシア地域、「中央アジア・コーカサス開発研究会」と「R+EE
露・東欧地域研究会」です。

★中央アジア・コーカサス開発研究会(グループ)

R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)

▼フォトギャラリーのご紹介
このメールマガジンの記事に関係する写真を掲載しています。

klubnika's photo blog

photo blog 世界街角通信

iPhoneで受信した場合、改行がPC用に72文字になっており、iPhoneの画面サイ
ズで自動的に改行されています。悪しからず。

■■後記

多分NYCは20年ぶりではなかろうか、パナマで仕事をしていた時にトランジッ
トで往復一泊づつしていた。その時間を使って街を歩き回った。

当時は、円高だったし実用的な買い物も多くしたした。当時真新しかった機内持
ち込み用のキャリーオンを宿泊していたホテル周辺を歩き回っている時に鞄屋で
見かけて購入したり、五番街のロードアンドテイラーではワイシャツを、メイ
シーズでも衣類を調達した。しかし、今回は物価が非常に高く感じたのでそうい
うことはできなかった。

当時、よく泊まっていたエセックスホテルはJALから中東系資本へ売却されてか
なり日が経つ。レストランがセントラルパークに面していて、朝食を食べながら
のパークの木漏れ日は清々しかった。

今回は、新たな視点でNYCを見ようと心がけた。その結果は次号につつきます。

★☆☆★☆☆★☆☆
メールマガジン「世界街角通信MM」第237 20151024
発行責任者:飯尾彰敏
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★☆☆★☆☆★☆☆以上です。

2012年10月19日金曜日

【世界街角通信】第149号 幻の目黒通り地下鉄計画 2012年10月19 日



★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」       第149 20121019
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東京のこと、住いの近所のこと等、東京にて(7)です。

▼目次
■目黒通り沿い地下鉄計画と都営6号三田線

■■後記
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■目黒通り沿い地下鉄計画と都営6号三田線

目黒通り沿いに都営6号線(三田線)の延伸に関係して地下鉄を建設する構想が
今から約40数年前の昭和43年(1968年)にあったが、昭和60年(1980年)の答申
で変更され、実現には至っていません。しかし、その経緯がどうだったのか、掘
り下げてみた。

抜粋:
英語の論文だったのでしょう、タイトルが英語ですが港北ニュータウンに関する
内容です。その中で「東京6号線のルートを目黒 - 都立大学 - 等々力 - 武蔵新
-北山田 - センター北 - センター南 - 都筑ふれあいの丘 - 中山」と明記し
ている。(財団法人日本都市計画学会「KOH NEW TOWN COMMUNICATION STUDIES 1
971-1972」)

▼都営6号線(三田線)計画

目黒通り沿いの地下鉄計画は、都営6号線、現在の三田線の延伸ルートとして検
討されました。そもそも、6号線自体の計画も直通運転を行おうとしていた東武
東上線や東急線との関係で紆余曲折の経緯を辿った。

1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線
(現在の東京地下鉄東西線)の分岐線として示された大手町-下板橋間の計画が6
号線〈三田線)計画の始まりとなる。

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において分岐線は6号線として切
り離され、その後、5号線を営団が、6号線を東京都が建設することになる。本答
申では、6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町・巣
鴨および大和町(後の板橋本町駅となる付近)の各方面を経て上板橋および志村
(現:高島平駅)の各方面へ至る路線として示された。

軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込 - 泉岳寺間と馬込検車場(現・
馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定でした。

都営6号線(三田線)の延伸として 三田-泉岳寺-桐ケ谷-大井町線案
1964年(昭和39年)の答申により、泉岳寺 - 西馬込間は1号線(浅草線)の分岐
線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線の路線名)で桐ヶ谷へ延伸し、
池上線を経由して田園都市線(当時、現在の大井町線)と接続するように改訂さ
れた。

また、これに伴い軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後、東武から「上板
橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村駅-大和町
駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に改められた。また馬込
検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、
新たに志村検車場を計画に加えた。

上記の経緯から、当初、路線や車両の規格を決定する際、三田線は車体寸法や保
安装置などの面で東武鉄道の規格が踏襲された。

1965年(昭和40年)、東武東上線は8号有楽町線に東急田園都市線は11号半蔵門
線に両社とも距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するとの判断により、乗
り入れを目指す計画に変更され(池上線の計画は実現せず)、三田線の直通計画
は宙に浮いてしまった。

泉岳寺以南は五反田駅まで1号浅草線と併走し、東急側が戦時中に廃止していた
桐ヶ谷駅(大崎広小路駅と戸越銀座駅の中間)を大崎広小路駅の代替として復活
 し、池上線と接続し、旗の台駅で大井町線に接続、そのまま田園都市線に直通
する構想であった。その場合の折り返し駅は長津田駅で計画されていた。昼間時
は 長津田 - 泉岳寺 - (三田線) - 和光市 - 上福岡で直通列車を運転する予
定であった。

▼三田線(6号線)の延伸として 三田-目黒‐都立大学‐等々力‐港北ニュー
タウン案

三田線の三田駅以南の計画が未定のまま、高島平-三田間の工事が進められた。

1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、6号線は、桐ヶ谷方
- 大和町方面が、大宮市西部…浦和市西部 - 清正公前(現・白金高輪駅)…
港北ニュータウン(横浜市)間に改められた。

1971年の港北ニュータウン計画当初には、計画の中に都営地下鉄6号線を西馬込
から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画が盛り込まれてい た。
当時の港北ニュータウン計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の
根幹をなしており、かなり具体的な駅の設置場所とともに東京6号線の延伸が必
須であるという書き方がなされている。

1985年(昭和60年)711日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は目黒止まり
となり、東急目蒲線(仮称・東急都心線、現在の目黒線)と相互乗り入れするこ
とが確定し、三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回となった。

この結果、東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線・池上線・田園都市線から目
黒線へと路線は変わったものの実現することになり、最終的に東京6号線は西高
島平駅 - 目黒駅という路線を形成することになった。港北ニュータウン地区へ
の鉄道接続については、2008622日に乗り入れ先の東急目黒線が武蔵小杉駅
から 日吉駅まで延伸し、横浜市営地下鉄グリーンラインが日吉駅から港北ニ
ュータウンを経由し横浜線中山駅までを接続する形で実現された。

▼東急電鉄が潰した目黒通り沿いの地下鉄計画

目黒駅から都立大学、深沢、等々力を通り、最終的に多摩川を越え大規模住宅開
発が計画されていた港北ニュータウンへ接続されるのルートでしたが、1985
年、昭和60年の運輸政策審議会答申第7号で都営6号線(三田線)は目黒駅止
まりとし、それ以遠は目蒲線と接続し東横線日吉駅まで延伸することが決定され
た。

通説では、当時、地下鉄計画路線計画と競合するバスや鉄道(目蒲線)を運営し
ていた東急電鉄 (五島慶太)の政治的な圧力により目黒駅以遠については目黒
通り沿いの三田線地下鉄路線建設が目蒲線(現在の目黒線)への乗り入れ接続に
すり替えられてしまい、最終的には、東急目黒線(目蒲線)を東京メトロ南北線
と都営三田線に直通運転させる計画に変更させてしまう。

その背景は、地下鉄が開通した時の東急電鉄や東急バスへの負の影響と推察され、
東急電鉄は公共性の高い民間交通機関ではありますが一企業の利益が優先され公
共の利益が蔑ろにされたということは残念の極みですが、これが現実社会です。

このような経緯から、目黒通り沿いや深沢・等々力はバスが主体の公共交通しか
整備されず、当然ならがバスの運営会社は東急バスなのです。

地下鉄建設計画は消えてしまいましたが、目黒通りの延伸は進んでいるようです。
目黒通りは多摩堤通りで終わっているがその延伸として多摩川に橋を架け、目黒
通りを川崎市の都市計画道路宮内新横浜線へ接続する計画がある。供用開始はは
20213(平成33)を予定している。

▼白金高輪駅の駅名

平成元年(1989年)、都営6号線(三田線)の三田駅以南の事業免許の申請が行
われた。その時は、三田 - 清正公前という駅名だったが、現在は白金高輪駅と
なっている。三田線・南北線に白金台駅があるし、浅草線に高輪台があるのだか
ら、清正公前のままで良いのにわざわざ白金と高輪を組み合わせる必要があった
のか、疑問に思う。駅の場所が丁度白金と高輪の境界上に位置することは事実で
あるが、ここは清正公前というバス停があるのだから素直に清正公であってほし
かった。

▼現在の東京圏の鉄道整備計画

都市鉄道の建設は、運輸政策審議会で答申され事業が進められますが、この地区
では目黒線・南北線直通運転以外は見当たりませんね、新たな地下鉄建設は現時
点では無いということです。

東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について
(運輸政策審議会答申第18号、平成12年1月27日)
tm

関東1都6県の鉄道の将来-東京圏鉄道整備計画

参考:

wiki情報他を参考・抜粋しながらまとめたものです。)

■■■お薦め本■■■

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書) 孫崎 享

★★★お薦めメルマガ★★★

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

ロシア政治経済ジャーナル

国際インテリジェンス機密ファイル

三橋貴明の「新」日本経済新聞

■■後記

都内の大通りで地下鉄が走っていないのは?と考えると目黒通りが思い浮かぶが、
目黒通りは多摩川でまでといえばそうなる。

でもバスに負けた地下鉄が悔しい!

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2010年1月31日日曜日

世界の街角からMM 第45号 モスクワ・レポート4 2010年1月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第45号 2010年1月31日
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モスクワ・レポート4です。
11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たメモです。
▼目次
■郷愁のキエフ駅
■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
■■編集後記
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二日目後半、Arbat通りのヨルキ・パルキで遅いランチをとり、通りの端にある
Smolenskayaという地下鉄駅から一駅乗り、Kievskayaまで行った。本来ならキエ
フ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが、寒さと暗さで地下鉄
の利用となった。

■郷愁のキエフ駅
ソ連時代、この駅からドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立った。当時は
インツーリストのお抱えなので自前で行動することはほとんどなく(できなかっ
たのだが)ボルガ(ソ連製の乗用車、ハイヤーの代用だろう、タクシーの場合はL
adaなので)で市内を移動した(個人旅行といえどもインツーリストは外国人に対
してこのようなもてなしだった)。宿泊していたコスモスホテルからここキエフ
駅への移動もそうだった。コスモスホテルは北部に位置し、キエフ駅は南西部、
何れも環状3号内ではあるが、どこをどのように走ってきたのかまったく記憶にな
い。広い道路に少ない交通量、渋滞など考えられる状況にはなかった。

今回は一駅都心のSmolenskaya駅から地下鉄を利用、キエフ駅はコムソモルスカヤ
駅に匹敵するほど芸術的な駅だった。地下鉄駅からロシア鉄道のキエフ駅へ向か
う。モスクワの地下鉄駅とロシア鉄道駅との連絡は一般的によくない、というの
は駅の名称が異なったり、連絡通路がなく、外へ出て少し歩くことが多い。しか
し、ここキエフ駅は地下鉄駅の上がキエフ駅だった。

キエフ駅はシティーエアーターミナルとなっているようで、この駅でフライトの
チェックインができるようになっていた。モスクワを留守している間にここまで
サービスレベルが向上しているとは予想もできなかった。我々がシェレメツェボ
空港から利用したアエロエキスプレスがキエフ駅からVnukovo空港まで35分でサー
ビスしている。恐るべしモスクワ!

キエフ駅を訪れた目的は単なる郷愁のトレースと現在の駅の状況把握であった。1
985年当時、どうやって夜行列車に乗ったのか定かではないが二等寝台車で快適な
列車の旅であり、翌朝にはドニエプル川の鉄橋をゆっくり渡るゴトゴトと言う音
で目覚めた。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
Kievsky Vakzalの目の前にある巨大なショッピングセンター、建設中にヨーロッ
パ最大の床面積のショッピングセンターと言われた近代的なショッピングセン
ターが一ブロック丸ごと占めている。

流行の複合ショッピングセンターで5階までがショップ、高級ブランドもテナント
にあるがそれ以外も多い、地下にスーパーマーケット、シネコン、7階にスケー
トリンク、5-6回は駐車場。フードコートやレストランもある。冬季はこの中で一
日過ごせてしまえそうだ。

小規模でもいいからもう少しバラけているとカスタマーにとっては便利なのだが
どうもロシアは巨大集積型がお好みらしい。それにモータリゼーションをも非常
に意識している。

ショップ、ショップ、ショップ、並ヨーロッパブランドから高級ヨーロッパブラ
ンド、ロシアブランドなど様々なテナントが入居している。はっきり言って西側
ブランドはヨーロッパの値札の1.5倍である。ぶらぶらしていたら見慣れた看板を
発見、HUBERで下着を購入したが、ウィーンの2倍近い値段だ。だれがこんな理不
尽な値段設定を受け入れているのか不思議なのだが、とにかく客の入りは非常に
よい。

4階にあったパソコンショップでD300とPCを接続するUSBケーブルを忘れてきたの
でここで調達した。その横にアップルストア(アップル製品を販売しているだけ
だろうか不明)があったのでiPhoneがあるか聞いてみたが、ここでは販売してい
ないこととガルブーシュカ(モスクワの秋葉原)で購入できるという。

ユニクロが2010年春にモスクワに進出するというニュースを聞いていたのでこの
ショッピングセンターなのではと勝手に想像していたが、地下鉄Kurskaya駅前の
Atriumということを後から知った。

Evropeisky SC.
Kievskaya pl. 2
tel.(+7) 495 921 34 44
Open 10:00 - 22:00, Sat, Sun 10:00 - 23:00
Metro station: Kievskaya

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
夕飯に何料理を食べようかと内輪で話しているときに最長老から、イタリアンに
しようとのリクエスト、これには伏線がありランチ時からイタリアンという問い
かけがあったが誰もそれには答えていなかったのだ。

料理が先かレストランが先か、ほとんど地の利がないモスクワ、料理よりも適当
なレストランを探すことが先決なのだ。ショッピングセンターだからあるだろう
と、大船に乗ったつもりで探す。外から見るとなにやらイタリアンとかいうサイ
ンが見える。じゃそこにしようと即決。

2階にあるAcademiaというイタリアンレストランで夕飯を食べることにした。この
ショッピングセンターを出てどこへ行くのか、あてもなく時間だけが過ぎていく
ような気がしたので適切な選択だったと思う。

日本人がイタリアンというと=パスタとなってしまうが、メインはメインで美味
しい料理もあるのだが、ご他聞に洩れず、パスタを注文することになった。ピザ
とスパゲッティ。もっとも簡単な前菜だがイタリアンファーストフードともいえ
るだろうか、麺文化の我々にはメインにもなる便利な料理だ。

普通のピザとパスタであったが、これらもまともに出すレストランの少ない国の
首都から来た我々は何度も何度も感動したものである。値段は東京並み、東京よ
りコストパフォーマンスは低いが、まあ昨晩と比べれば格段の満足度であったこ
とは言うまでもない。私はビールの味がわからないしあまり好んで飲まないが、
旨いビールだったようだ。ロシアビールといえばバルチカしか知らないが。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
この周辺は危険地帯なので夜遅くなってからは行かないほうがよいとモスクワに
住んでいた商社マンに忠告された地区であるが、ここを訪れずモスクワを離れる
ことは己が許さないであろう、夕飯の後、ベラルーシ駅での荷物預かりを確認し
てからヤロスラブリ駅へ地下鉄で向かった。

ソ連時代からこの付近(ヤロスラブリ駅とレニングラード駅が隣接している)、
レニングラード駅の横は娼婦街といわれていた。人通りがあるし、こんな大きな
駅の構内が危険というのが解せない。まあ、その横の路地裏ならヨーロッパの大
都市の駅とて非常に危険だ、ベルリンやフランクフルトは私の経験では非常に顕
著だった。当時は麻薬中毒と売春婦はワンセットだったと思うがこれは今も同じ
ことなのだろう、それに加えてロシアではネオナチという民族主義の若者が我が
物顔でアジア系を狙うという実しやかな情報が流れている。実際、日本人も被害
にあっている。中央アジア系に間違われたのだろう、ロシアでは日本人と承知で
襲うことは考えにくい、強盗は別だが。ただ、驕ってはいけない。

前置きが長くなったが、このヤロスラブリ駅、シベリア鉄道の起終点だ。ヨーロ
ッパと同じ、行き先が駅名になっている。ヤロスラブリはシベリアではない、モ
スクワから東には行くがウラル山脈よりずーと手前の都市だ。

シベリア鉄道はこのモスクワのヤロスラブリ駅とウラジオストク駅を結んでいる
全長9297km、ロシア号はモスクワ-ウラジオストク間を7日で走破する。1
985年当時のソ連邦時代はウラジオストクが軍港のため外国人の立ち入りが禁
止され、ナホトカがシベリア鉄道の起終点になっていた。

日本からは、横浜港大桟橋からナホトカ港へ、そして、ナホトカから極東鉄道を
経由してシベリア鉄道へ合流し、ハバロフスクでロシア号に乗り換えた。実際、
ナホトカを出てしばらくするとシベリア鉄道に合流する。

1985年7月8日16時40分、ロシア号でヤロスラブリ駅、確か、2番線に到着したのだ。
そのときの記憶を頼りに行ってみた。既に21時を回っていたが人通りは多く、こ
れから列車が出発するのだろう、小雨が降る中、プラットフォームへの人の流れ
が絶えなかった。駅全体が私の記憶と異なるのはキオスクが多くなったことと、
改札らしき施設ができていたことだろうか。でも、2番線へは改札はなかったな。

駅舎の前に到着と出発の時刻表が掲示されていた、2番線ウラジオストク行き21:2
5というスケジュールが見える。
http://www.flickr.com/photos/yha229/4218297364/in/set-72157623077690342/

1985年のヤロスラブリ駅
http://1985.iio.org.uk/ussr/siberia_moscow.htm

□芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
ヤロスラブリ駅とレニングラード駅の地下鉄駅がKomsomolskaya駅である。マリア
テレジアンイエローとモザイクがまるで宮殿の中にいるような地下鉄駅、これは
絶品である!
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077690342/show/

■■編集後記
レポート5はモスクワ三日目、Novodevichy Convent、モスクワ国立大学、雀が丘、
ランチに日本料理、モスクワ秋葉原等です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第45号 2010年1月31日
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2009年12月26日土曜日

世界の街角からMM 第42号モスクワ・レポート1 2009年12月9日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第42号 2009年12月9日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート1です。
▼目次
■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着
■新生ロシアの首都モスクワ
■シェレメツェボ空港
■モスクワの地下鉄
■■編集後記
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■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着

1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出
てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。
モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ
各都市への始発駅でもあった。

2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がし
っかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の
駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。

この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったイン
ツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。

バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したイ
ンツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本
文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。

ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座に
も出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。

しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにも
いかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席
に押し込められてしまった。

ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモス
ホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非
常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、
が窓から過ぎ去っていった。

続きはこちらのサイトにあります。
http://1985.iio.org.uk

■新生ロシアの首都モスクワ
実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連
邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスク
ワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。

体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィ
ン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営
の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨー
ロッパを代表する大都市のような印象だった。

20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブ
ランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄
や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェ
ボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近
だという。

今回のプチ・モスクワ旅行はこちらに詳細を説明しています。(多々、準備中も
ありますこと、ご了承のほどを。)

http://moscow.iio.org.uk/index.html

■シェレメツェボ空港
悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが
今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり
時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。

今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手
続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそ
う感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。

既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオー
プンする予定である。

我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがま
だ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ
入国した。

そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関
の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。

そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミ
ナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、
まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた
空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。

シェレメツェボ空港
http://www.svo.aero/en/

■Aeroexpress(空港から市内への移動)
2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅
まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港か
らBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。

今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行
頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外に
あり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、

その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエ
フ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。

http://www.aeroexpress.ru/en/

Domodedovo空港
http://www.domodedovo.ru/en/

Vnukovo空港
http://www.vnukovo.ru/eng/index.wbp


■モスクワの地下鉄
Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて
少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中
し人通りが多い。

モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の
列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒
と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関におけ
る乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られて
いる。

1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券)
だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10
回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必
須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。

今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報
が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)に
カードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが
降り通過できない。

Moscow Metro
http://engl.mosmetro.ru/

■■編集後記
1985年以来のモスクワ、どうしても比較してしまうが、現在のモスクワを探索し
ようと心がけたプチ・モスクワ旅行、引き続き、モスクワでの印象、レポートす
る予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第42号 2009年12月9日
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2009年4月6日月曜日

【世界の街角からMM】タシュケントの地下鉄 第21号 2009年4月5日

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メールマガジン「世界の街角からMM」          第21号 2009年4月5日
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第21号はタシュケント市民の足、タシケントの交通機関レポート(1)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼目次はこちらです。
タシュケントの交通機関(1)
■タシュケントの交通機関
■タシュケントの地下鉄と地下鉄駅
タシュケントの交通機関(2)
■タシュケントのトラム
■タシュケントのバスとトロリーバス
■タシュケントのタクシー
■■編集後記
▼バックナンバーはこちらからお読みいただけます。
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【Kim's House 一時閉店】
2009年3月31日をもって一時閉店となりました。契約更新の関係でしょうか、非常
に残念です。再度、オープンするとのことですが何時になるかまだわかりません。

■タシュケントの交通機関
中央アジアの代表的な都市タシュケントは、人口210万人を有し、ソ連邦時代から
他の都市同様、地下鉄、バス、トロリーバス、トラムなど共産主義諸国ではスタ
ンダードな公共交通機関がここでも整備されてきた。

基本的にこの構成は現在も変わらず運営され、バスはイカルス(ハンガリー製)
からDaewooを経て現在はMercedez Benz(トルコ製)へ更新され運行している。ト
ラムも新型車両(ベージュのカラーリング)が導入さている。トロリーバスと地
下鉄はソ連時代のままなのだろうか、情報が少ない。

タシュケント公共交通の特徴は、中央アジア唯一の地下鉄が運行されているが、
シェアはこれまた情報がないが観察からバス、そしてトラムがかなり分担してい
るように感じる。

■タシケントの地下鉄と地下鉄駅
ウズベキスタンの首都、タシケントには中央アジアで唯一の地下鉄が運行してい
る。現在、カザフスタンのアルマトゥで地下鉄が建設中(2010年末開業予定、総
延長45km)なのでその座も限定的になっている。

旧ソ連では7番目に地下鉄が建設された都市であり、地下鉄駅はそれぞれ固有の装
飾が施され、モスクワの地下鉄同様に世界でも有数の装飾された地下鉄駅として
知られている。

Tashkent Metro
http://urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

Almaty Metro
http://urbanrail.net/as/alma/almaty.htm

▼タシュケントの地下鉄
タシュケント地下鉄の歴史は、1966年の大地震の後、1968年に計画が始まり、197
2年に最初の路線であるChilonzor Lineの建設が始まった。1977年11月6日に9駅が
開通し、1980年に全線(15.4km、12駅)が完成した。1984年、2番目の路線である
Ozbekiston Line(14.8km、11駅)が開通した。

最近ではYunusobod Line(6.4km、6駅)が2001年に開通し、北部への延伸は現在
建設中、2010年に開通予定である。4番目の路線、Sirghali Lineは計画中(8km)
である。現在はこれらの3路線、総路線長36.2km、29駅で運営されている。

現在(2009年2月)の運賃は一律400Sum、昨年までは300Sumであった。乗車すると
きはトークン(珍しいプラスチック製、ブルー)を窓口で購入し、改札のポスト
に入れる。降車時の改札はない。入り口と出口があり、ウズベク語で書かれてい
るようだが理解できないので人の流れを読んで行動した。以下、路線の要約。

1. Chilonzor Line(15.4km、12駅)、1977年開業
2. Ozbekiston Line(14.8km、11駅)、1984年開業
3. Yunusobod Line(6.4km、6駅)2001年開業、現在延伸中
4. Sirghali Line(8km)、計画中
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

鉄道システムは、モスクワタイプの4両編成で100mのプラットホームを使用してい
る。軌道は1524mmゲージで第三軌道から電力(825V DC)を供給している。平均駅間
は1400m、営業速度は 46 km/hである。ホームから第三軌道を確認しようとしたが
よくわからなかった。

運営は国営企業であるToshkent Metropoliteni、一日当たりの乗客数は45万人と
のこと。営業時間は06:00 - 1:00、ピークアワーの運行頻度は2分間隔である。
(本当かな?)

▼タシュケント地下鉄駅の装飾
地下鉄駅が29駅あるが、同じデザインはない。それぞれ各駅にテーマがあり構内
のデザインは建築家とウズベキスタンの芸術家によりデザインが決められ、内装
はメタルの彫刻、ガラス、プラスチック、花崗岩、マーブル、陶磁器、石膏など
が使用され、一駅一駅特徴のあるデザインが施されている。

それらを説明する資料があるのだろうけど簡単には辿り着けそうにないのが残念
だ。

いくつかの駅の観察から、地下鉄駅の装飾はウズベキスタンの産業や文化を反映
して綿花をモチーフにした照明の駅(Ozbekistan LineのUzbekiston駅)、モスク
内部のようなデザインの駅(Alisher Navoiy)等、見受けられた。同じくOzbekis
ton LineのOybek駅からYunusobod LineのMing Oriq駅への連絡通路は松明の明か
りで照らされた洞窟を歩いているような装飾と照明だ。

Yunusobod LineのBodomzor駅(Internatinal Business Center、インターコンチ
ネンタルホテル)はアールヌーボーのようだ。その他、宮殿のようなPakhtakor駅、
Pushkin駅、Chilanzar駅、Druzhby Narodov駅がある。

写真が撮れないので何らかの離れ業で撮影した写真を掲載しているサイトを紹介
する。撮影禁止になったのは1999年のテロ以降なのでそれ以前に撮られたものな
のかもしれない。

都市鉄道のサイト、こちらに若干駅構内の写真が掲載されている。
http://www.urbanrail.net/as/tosh/tashkent.htm

駅をクリックすると画像へリンクしている。
http://www.metrosoyuza.net/

▼撮影禁止
各地下鉄駅にはセキュリティガードが常にパトロールしている。ホーム構内、地
上といたるところで見かける。地下鉄構内は軍事施設として位置づけられ、もち
ろん撮影禁止になっている。

参考サイト
http://www.tashkent.org/uzland/subway.html
http://meta.metro.ru/tashkent/tashkent-e.html
http://metroworld.ruz.net/others/tash_index.htm (ロシア語)

▼為替レート
1USD=1439Sum (中央銀行商業売りレート)2009年3月27日
National Bank of Uzbekistan (National Bank for Foreign Economic Activity)
http://eng.nbu.com/about/history/index.php

■■編集後記
身近な交通機関で毎日のように乗車する地下鉄ながらその情報へのアクセスは非
常に遠い、ウズベキスタンの現在の国情を反映しているのだろう。

地下鉄観光ガイドブックでも出版できるほどなのだから残念だ。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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