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2013年11月27日水曜日

【世界街角通信】第182号 秋篠宮とカラチ他 2013年11月27日



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メールマガジン「世界街角通信」       第182 20131127
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。

塩漬けとなっていたインド・パキスタンの続き、パキスタン編です。昨年(2012
)から南アジアに関係し、インド編を年初に報告しています、今号はインドと
パキスタン(14)に相当し、パキスタン(7)となります。

▼目次
■サダル地区と秋篠宮夫妻
■日本料理「富士山」を体験

■■後記
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■サダル地区と秋篠宮夫妻

アバリホテルから徒歩5分ほどでサダル地区となり、新しそうなビルが左側に見
えていた。それがアトリウムモールというショッピングモールだった。こちらは、
比較的最近のショッピングモールでショップがテナントと入り、フードコートも
あり、ファーストフードが食べられる、チャイナグリルもある。

このサドル地区、アトリウムから北側にはショップが犇めき合っている、隣接し
てパキスタンスタイルのショッピングモール、ゼイナブ・バザールという名が付
いていた、は、皮革製品や衣類などを販売する店が高密度に詰まっている。一見
の価値ありだが、東洋系は目立つので直ぐに呼び込みがやってくる。

そして粘り強いカラチ商人のお相手は相当な時間的余裕を持って望めばカラチの
一コマを垣間見ることが出来る、かもしれない。

さて、アトリウムモールのある交差点角反対側の建物に赤字で「カシミール・
アート・エンポリウム Kashimir Art Emporium」と書かれた絨毯、ショールなど
カシミール産品を売る店がある。看板が目立つので中へ入ってカシミア云々と店
員と話をしていたら、どこから来たのかと尋ねてきた。

路上の売り込みでもないので、日本からだと答えると、日本人ならば見せたいも
のがあるといい店の奥まで連れて行かれた。これはカラチの商法かと思ったが素
直に付いていったら、壁の前で立ち止まった。

そして、壁に掛けてある写真を指さして、日本のプリンスだという。それは、19
92年に秋篠宮夫妻がこの店をを訪れたときに店内で撮影された写真だった。

どういうきっかけでこの店にご来店されたのかわからないが、品揃えの良さそう
な老舗店の印象だったからだろうか。そして、何を御買い上げになったのかを尋
ねると「シャトゥーシュのショール」とのこと。

この店で販売している絨毯やカシミア類は、イスラマバードのショップと内容は
大きくは変わらないが店構えがしっかりしているし対応が丁寧だった。カシミヤ
やパシュミナ、シャトーシュは基本的にインドのスリナガール産のようだが、パ
キスタン側カシミール産のも若干だが製品として販売されている。スリナガール、
いつかは行ってみたい。

■日本料理「富士山」

宿泊していたホテルの最上階に「富士山」という立派な日本料理屋があったので、
話のタネにカラチの日本食堂を代表しているであろう「富士山」へ入ってみた。

内装は下記のリンクにあるように立派な日本風、

Avariの日本料理「富士山」

さて、注文にしたのは弁当だろうか、刺身(白身、マグロ、サーモン)、天婦羅
(海老、野菜)、鶏のから揚げ、牛肉炒め、そして、ご飯とみそ汁、生姜が漬物
として付いていた。

こんなに食べられるのかと思うほどの量、それにご飯が炒めたご飯、白米も選択
できたと思う。御茶のサービスもある。

全体的に炒め物が多い、これは、地域性だろう。

お値段はそれなりだったはず、本当に話のネタだけだが、それにしてはやや高か
った。逆にいえば、この地において日本食が食べられると思えば幸いであろう。

アラビア海に面しているのだから、焼き魚を出してほしいが、肉の焼きではない
ので少々テクニックが必要だろう。

これをどう評価するか、筆者は上出来だと思う。

★★★フォーラムのご紹介★★★

★中央アジア・コーカサス開発研究会(グループ)

★露・東欧地域研究会(グループ)

■■後記

カラチ、奥が深いぞ!その2。

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メールマガジン「世界街角通信」第181 20131127
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2011年5月20日金曜日

【世界の街角からMM】第101号 エレバン・レポート28 2011年5月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第101号 2011年5月19日
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5月初旬、エレバンとソフィアへ所要で赴いた。そのときのエレバン・レポート28
です。

▼目次
■開いていて良かったHIS
■アルメニアで東日本大震災追悼ミサ
■エレバンの日本料理
■グッドバイ・エレバン、また会う日まで
■■後記
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■開いていて良かったHIS
どのタイミングでエレバンへ行こうかと考えているうちにGWに入ってしまい、
あー航空券が買えないなーと思いながら、念のためHISへ電話してみたら営業して
いた。それで早速その日の内に予約・支払いを済ませて3日後にエレバンへ向かっ
た。

オーストリア航空は震災直後はインチョン経由だったり北京経由だったり福島原
発事故を懸念していたが、この時期には通常運行に戻っていた。しかし、客は、G
Wの中盤ということもあり多くはなかった。ヨーロッパが4月から夏時間となって
いる関係で、成田の出発時間が11:30と早くなっていたが他は通常通りであった。

■アルメニアで東日本大震災追悼ミサ
5月4日、エレバンに着いたその夜、Mother Cathedral of St. Gregory the
Illuminator で東日本大震災犠牲者の追悼ミサが行なわれたので出席した。アル
メニア教会大司教Karekin IIがミサを行い、Serzh Sargsyan大統領、Tigran
Sargsyan首相、Edward Nalbandian外務大臣他、閣僚や円借款事業関係者等が出席
した。
http://www.armenianchurch.org/index.jsp?sid=3&nid=1825&y=2011&m=4&d=4

日本からは徳永外務政務官が出席していた。これはGW中なので既に決まっていた
外務政務官の外遊にあわせたアルメニア側の計らいではないだろうか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/4/0428_07.html

■エレバンの日本料理屋と中華料理Lotus
昨年末までは確か2軒だと思っていたエレバンの日本料理屋が3軒に増えていた。
よって早速試してみた。新たに増えたのは「Sushitoria」という店、寿司と若干
の日本食を出す。メニューは他の2店と概ね同じ内容だ。

場所はオペラハウスの近くで立地は良い。インテリアはやや中国趣味と混同して
いるようだが、これは仕方がないだろう、ここエレバンでは。店員にシェフは誰
かと聞いたところ、アルメニア系ロシア人だという。これはあまり期待できない
と思いながら、いくつか注文したが、懸念どおりの内容であったので詳細は記す
必要はないだろう。

エレバンでは、フィリピン人が作る日本食がまともであるという結論だ。よって
ワサビに軍配があるではないだろうか。

それから、以前、中国人コントラクターから情報を入手したまま、行かず仕舞い
だったLotusという中華料理にも足を運んだ。11年前から営業しているという。
この店の隣も中華料理屋なのだ。よって、入り口にはアルメニア語の看板しかな
いので外国人はここがLotusかどうかはわからないだろうな。間違って隣へ行く人
もいるだろう。

店内は中華料理屋だ。モヤシが自家製だという。エレバンでは豆腐、麺類は非常
に難しいのでそれ以外の料理となる。中国人情報だとメニューを選べばまあまあ
だということだったが、「どのメニューがまあまあ」なのかを聞いていなかった
ので適当に注文した。エレバンの中華としては並だろう、私としてはドラゴンに
票を投じたい。

Sushitoria
http://www.sushitoria.com

Wasabi
http://www.wasabi.am

Samurai
http://www.spyur.am/samurai

エレバンのカフェとレストラン私的メモ
http://armenia.iio.org.uk/armenia_cafe_restaurant.html

■しばらくの間グッドバイ・エレバン
エレバンへ行った目的は、荷物整理であった。先行きの明暗がはっきりしたこと
で一旦現地事務所を閉めることにした。数ヶ月はっきりしないまま維持したこと
になるが世の中思ったようには展開してくれない。

2010年の約1年間はほとんどエレバンで過ごしたことになる。日本とはほとんど
縁のない国だが、対日感情も良く比較的日本人には住みやすい国だ。中国人に対
しては冷たいようで、「チンチョンチャン」と冷やかす輩もいないことはない。

今年に入ってから鈴木自動車がディーラーをオープンさせた。徐々にではあるが
経済的な関係が構築されつつある。だからといって急速に関係が深まるとも思え
ない。

エレバン・レポートは28号でひとまず終了です。何か次に来るインセンティブを
と思い、エレバン地下鉄には乗らないでおいた。しばらくの間グッドバイ・エレ
バンだ。

■■後記
エレバン在住の日本語教師がアルメニア人女性と婚約した。これで一人は確実に
長期滞在者となるだろう。もしかしたら根を生やすかもしれない。
日本政府はアルメニア人留学生を受け入れているが、現在、アルメニアには日本
人は留学していない。数としては日本に住んでいるアルメニア人のがアルメニア
に住んでいる日本人よりはるかに多いことだろう、人的交流でも経済的な関係で
も今後の進展を期待したい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第101号 2011年5月19日
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2011年4月12日火曜日

【世界の街角からMM】第97号エレバン・レポート28 2011年4月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第97号 2011年4月11日
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日本からエレバン・レポート28です。第95号で地震後、ウィーン経由(予約は、
実際は往復ともANAのフランクフルト経由)でアルメニアへ出張したことはレポー
トしたが、エレバンの変化を少しご紹介します。
▼目次
■ナウルーズのエレバン
■エレバンに日本料理屋2軒目オープン
■ビザ申請用紙が変更されていた
■アルメニア政府、東日本大震災に対して50万ドル拠出
■■後記
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■ナウルーズのエレバン
私がエレバンに着いた時は丁度、ナウルーズ(ペルシャの春)でイラン人とイラ
ンナンバーの車がが街にあふれていた。昨年もこの時期エレバンに滞在していた
のでそのときの様子を思い出した。

到着当日にいつもの静かなカフェでランチと思ったらテーブルがほとんど埋まっ
ていた。どうしたことか、ほとんどがイラン人観光客だった。このカフェ、サー
ビス料が高く安くはない。

それ故に普段は閑散としているカフェだがこのときばかりは大忙しだ。この閑散
としたカフェが話をするには丁度よく、かつ軽食は質が高いので時々足を運んで
いたのだ。

イラン人はアルメニアにとっては大事な観光客、それでも今年は少な目というが
視覚的にはかなり多い。このカフェの目の前にペルシャ料理のレストランがある
が、イラン人観光客が並んでいた。こんな光景はこのときしか見られない。

■エレバンに日本料理屋2軒目オープン
エレバンに2軒目の日本料理屋が昨年の12月にオープンした。今回、初入店と
なった。日本料理屋というより日本料理を主体としたカフェ・レストランといっ
た印象だ。もちろんピザなども出す。

店の名前は、WASABI、共和国広場からアボビアン通りを数分、北通りとの交差す
る手前に右側にある元TsUMの一階。マルコポーロの並び。

料理人はフィリピン人。カツ丼1500AMD也、けっこういける。サーモン系もま
あまあだ。この地にあっては貴重な和食屋だ。

それにしても在留邦人が4名、短期滞在者が数名のエレバンで日本料理屋2軒、
凄いことだ。

■ビザ申請用紙が変更されていた
3月下旬にエレバンから入国したとき、2010年12月に事前に入手しておいたビザ申
請用紙で申請したら窓口で新しい用紙に書き直せと言われた。

なんだ、変更していたのか、2010年中にA4サイズからA5サイズ(多分)へ変更さ
れたが、再度A4サイズに戻ったようだ。オーストリア航空の機内では以前のA5サ
イズが配布されていた。

記載内容の変更はなかったと思う、写真はこれまで同様、必要なし。21日間シン
グルで3000AMDでした。

■アルメニア政府、東日本大震災に対して50万ドル拠出
アルメニア政府は、4月7日、内閣で東日本大震災へ50万ドル拠出を決めた。日本
政府及び被災者に代わってアルメニア政府の支援に感謝とお礼を申し上げます。
http://www.lragir.am/engsrc/country21272.html

■■後記
今日、10日、投票所となっている近くの小学校まで投票に行ってきた。知事と市
議会議員と県議会議員の投票だったが、正直なところ誰一人として名前を知らな
かった。

市議会議員、県議会議員、知事の順の投票となり誰も知らないので政党名から適
当に名前を書いたが、知事の投票になって候補者を確認したら立候補者4名全てが
無所属とある。

これは困ったと思い、選挙管理委員に相談したら選挙公報を持ってきてくれた。
明らかな自民党、民主党推薦はなく、みんなの党と共産党の推薦、元ジャーナリ
スト、名前しか公表していない立候補者であった。公表しないのになぜ立候補し
たのかその理由がよくわからない。

選挙公報のトップには元ジャーナリスト、自民、民主、公明の県組織が事実上相
乗りした元フジテレビキャスターらしい。

私の住所がある神奈川県は政令指定都市が3都市もあり、その上に県がある。何か
複雑な階層を作り出しているような気がしてならない、もっとすっきりさせたほ
うが地方行政がやり易いのではと思うのは素人ゆえだろうか。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第97号 2011年4月11日
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2010年12月28日火曜日

【世界の街角からMM】第89号 ウィーンの郵便と和食 2010年12月28日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第89号 2010年12月28日
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▼目次
■ウィーンから荷物を郵送
■ウィーンの日本料理レストラン考
■■後記
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■ウィーンの郵便事情
ウィーンの郵便事情を確認することになったのはエレバンからの荷物が約10キロ
超過していたからだ。超過料金はウィーンまで1キロ当たり30EUR(ヨーロッパ内
の料金が適用される)、日本までだといったいいくらだろうか。EUR安ではあるが
それでもかなり高くつく。搭乗した航空会社がオーストリア航空なのでスターア
ライアンスのゴールドカードを持っていれば+20kgとなる。が、既に+20kgもらっ
ているので効果なし。

エレバンではウィーンまでだと言って何とかクリアしたエクセスチャージはウ
ィーンでは無理だろうから、ウィーンから本だけ郵送することにした。幸い、土
曜日は12時まで開いている。運よく10時ごろにホテルにチェックイン出来たので
早速荷物整理を開始、本だけ取り出し近くの郵便局まで向かった。

この郵便局はKrugerstrasseにある。ケルトナー通りと交差し、オペラハウスから
だとザッハホテルが左にあり、その先の通路を右折する。すぐ左側に日本料理屋
「天満屋」があり、その先左側に郵便局あり黄色い「Post.am」のサインが見える。

基本的にドイツ、オーストリアなどドイツ系の国では商業施設の営業日は月曜日
から土曜日、日曜日は完全にお休み。郵便局も同様、土曜日の営業時間は12時ま
でである。

西ヨーロッパの郵便局はサービスが充実していて必要なものは郵便局で揃えられ
る。今回は、発送用のボックスを2個調達してその中に本を詰めた。

郵送料は2個、12kgで84.5EUR、スタンダードなので多分船便だろうな。ベルリン
からエコノミーで送った荷物は日本まで1ヶ月半かかったのでその程度の所要期間
だろう。参考までに今回支払った郵便料金の内訳と郵便局のURLを

◆郵送料内訳
Packet Standard
9kg(8.615kg)=52.87EUR+LKW-Mout0.13
3kg(2.151kg)=25.87EUR+LKW-Mout0.13

紙ボックス
大2.95EUR
中2.55EUR
+20%VAT
計84.5EUR

http://www.post.at/en/index.php

船便だと思っていたら10日でこの小包が届いた。Standardって航空便だったよう
ですね、18日投函、27日に配達なので10日間ということになります。

■ウィーンの日本料理レストラン考
郵便局へ行く途中に和食レストラン「天満屋」の前を通った、かなり前からここ
にあったと記憶している。荷物も送ったことだし、昼食をここで食べることにし
た。これまでは出来るだけ現地の料理を食べるようにしていたが、昨今の日本食
ブームもありどんな質の和食を提供しているのか、どんな客が来ているのか等を
観察してみようと視点を変えてみた。もちろん、日本人なのでまともな和食を5ヶ
月も御預けでは自然と足が向く。

一旦ホテルへ戻り、余分なものを置いてきたのでそのレストランへ戻ったときは2
時30分少し前だった。もう終了のような玄関前だったが、無理して中へ入って店
の人に聞いたらまだ大丈夫だった。そして、お奨めの幕の内を注文した。

鯖の南蛮漬け、カボチャの煮物、サーモン刺身、漬物にご飯という内容だった。

そして、遅い昼食にも関わらず既に18時ごろには空腹感を覚えていたのでリピー
トした。

夕飯には上寿司を注文したがやや期待外れ、ネタを確認すべきだったと反省。イ
スタンブルの上寿司はかなり美味しかったのでここでも注文してみたのだが。こ
の上寿司だけでは足りなく、天丼を追加注文した。お茶がビールより高いのは理
不尽と思いながらも5ヶ月ぶりの和食に一定の満足感を味わった。

欲を言うなら、マグロは炙りだったが筋がありこれは外れでした。マグロが外れ
ると一気に評価が下がります。これならば、並みの寿司でも十分だったかな。仕
入先を聞いたところ、スリランカとの返答、キハダだろうか。

「ウィーン+和食レストラン」で検索したら私と同じ「上寿司と天丼」を注文し
たブログがヒット、写真もありわかりやすい。イスタンブルからウィーンへ来た
時の天満屋で食事をした説明だが、イスタンブルの日本料理レストランとの比較
は私とは意見が異なる。
【なんちゃって舞妓の写真日記】
http://blogs.yahoo.co.jp/tottoko_tomoyakko/49115676.html

「イスタンブールにも日本料理店はいくつもありますが、失礼ですがどれもイマ
イチ。日本にあったら一瞬で潰れてしまうような味のところばかりです(それで
も定期的に行っていますが)。イスタンブールでは素材の手配が難しいとは思い
ますが、それでももう少し何とかならないものかなぁ、と常々思っています。」

との説明、

しかし、私の知っているイスタンブルの和食レストラン「五味」はここよりかな
り旨い。上寿司のマグロは地中海産畜養マグロで脂がのっていた、この味が印象
に残っている。
http://www.itsmejp.com/

それからもう一点、ご飯があまり美味しくなかった。オペラ座のリンクを挟んだ
反対側にある「千駒」という和食レストランもそうだったが。ヨーロッパではイ
タリア産あきたこまちやカリフォルニア米も入手可能であるのに・・・、と思っ
てしまう。

値段設定はいたってリーズナブルとの印象、上寿司32EUR、天丼12EURなのだから。

ウィーン天満屋
http://www.tenmaya.at/

天満屋
http://www.tenmaya.co.jp/

天満屋wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%B1%8B

ウィーンの和食レストランA_Z
http://wien-jp.com/wien-jp/jp-rest.php

ウィーングルメ「本格的日本料理店」
http://www.arukikata.co.jp/city/VIE/gourmet_3.html

ぐるなび海外版ウィーン
http://www.gnavi.co.jp/world/europe/vienna/3092_2.htm#list

■■後記
ウィーンから乗ったOS051便、B777-200機は時速1042km/hで航行、ミンスク、ノボ
シビルスク、ウランバートル、北京上空から黄海、日本海、そして日本列島を横
断して成田へ向かう。所要10時間40分、そのときこのメモを書き始めた。

巷では今日が仕事納めのようですね。多分、今年最後のメルマガとなる予定、皆
さま、良いお年をお迎えください。また、来年も引き続き出張先よりレポートし
ていく予定です、どうぞよろしくお願いします。
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2010年12月16日木曜日

【世界の街角からMM】第86号エレバンのクリスマスと2軒目の和食屋 2010年12月15日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第86号 2010年12月15日
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2月初旬より、南コーカサスの小国、アルメニアの首都エレバンに滞在している。
エレバンレポート25です。
▼目次
■エレバンのクリスマス準備
■エレバン2軒目の和食レストラン、WASABIオープン
■■後記
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■エレバンのクリスマス準備

12月初旬、共和国広場を通りかかったらときにクリスマスツリーの骨組みだけが
立ち上がっていた。数日以内に巨大なクリスマスツリーがお目見えかと思いきや1
週間たってもまだ完成していない。

アルメニアではクリスマスツリーではなくニューイヤーツリーという。推測の域
を出ないが、宗教を否定したソ連時代の名残だろうか。

さて、アルメニアのクリスマスは1月6日である。

ご存知の通り、クリスマスは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うキリスト
教の祭日である。「神の子が人となって産まれてきたこと」を祝うことが本質で、
12月25日がこれに当たるが、キリスト教に先立つユダヤ教の暦では日没を一日の
境目としているので、その暦にあわせれば12月24日夕刻から朝までをクリスマ
ス・イヴとして祝う。

ヨーロッパでは12月24日から1月1日(元日)までクリスマス休暇が続く。25日に
はロンドンの地下鉄やバスが全線運休になる。(以前、丁度このタイミングでロ
ンドンに滞在し、タクシーしか移動手段がなかった。)


ところが東方正教会のクリスマスは1月7日だ。アルメニア使徒教会は東方正教会
に近いが、この一日の違いは何かの解釈の違いなのだろうか。

そして、アルメニアは12月31日から1月9日までクリスマス休暇とのこと、冬休み
のようだ。

■エレバン2軒目の和食レストラン、WASABIオープン

旧TsUMの1階、ノース・アヴェニューの入り口近くのAbovian Streetに面した場所
にアルメニア2件目の和食レストラン、WASABI Sushi Barがオープンした。

数ヶ月前から来週オープンすると聞いていたが、なかなか開店しないので記憶の
片隅に追いやっていた。それが先週の金曜日にオープンしたようだ。

まだ、試していないが、インテリアが凝っていてテーブルの下に水槽が埋め込ま
れ金魚が泳いでいるという。そんな状況で食事をするのは落ち着かないだろうな。
ファンシーなレストランということで話題性はあるかもしれないが。

メニューは寿司はもちろん、うな丼、カツ丼等の丼物、そしてピザやパスタもあ
るとのこと。寿司はモスクワスタイルだろう、既にこの店に行った日本人による
と巻物中心、サーモンはまあまあとのこと。シェフはフィリピン人、一軒目の和
食レストランSAMURAIと同じだ。

アルメニアの在留邦人数はタシケントの30分の1、モスクワの300分の1なのに和
食レストランが2軒になった。これは凄いことだが昨今の日本食ブームの一端だろ
う。これまでも中華レストランに和食のメニューがあると聞いたことがあったが
とてもとても中華の質からリピートする気にはなれなかった。

■■後記
エレバンの秋は快晴が続いた。最近になって少し雨が降ったが10月、11月と快晴
しか記憶にない。雨が降ったら最低気温が少し上がった。これから本当の冬だろ
うな。それでも、澄み切ったアララト山はまだ見ていない。郊外へでないとだめ
かなー。
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2010年8月14日土曜日

「世界の街角からMM」第63号アルメニアの日本人、日本料理、日ア関係 2010年8月14日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第63号 2010年8月14日
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2月初旬より、南コーカサスの小国、アルメニアの首都エレバンに滞在している。
今回はエレバン・レポート11です。
▼目次
■アルメニアの日本人
■アルメニアの日本料理レストラン「侍」
■日本とアルメニアの関係
■■後記
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■アルメニアの日本人
どこの国でも日本人の長期滞在者はいるものだが、この国はその数が非常に少な
い。アフリカの国のほうがきっと多いだろうな。記憶の範囲だが旧ソ連圏では最
大がモスクワで約1500人、タシケントがその10分の1で約150人となっている。

もう少し正確なデータで説明すると、外務省がまとめている外務省在留邦人統計
というのがありその最新版である平成21年度報告書によると、全世界の在留邦人
数は113万人、昨年度より減少している。中東欧、旧ソ連圏の合計が約8000人、う
ち永住者は931人、ロシアは2137人(H21年)で33位にランクされている。在留邦
人は、永住者と長期滞在者から構成されて統計が取られている。

外務省在留邦人統計H21年度
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/10/pdfs/1.pdf

それでアルメニアにはいったい何人の日本人が長期滞在しているのか?在留届数
によると5人である。私もその一人であるが、他に国連機関1人、日本語教師2人、
某大使館職員の配偶者1人となる。その中の日本人教師が下記の「アルメニア滞
在記」というブログを書いている。

アルメニア滞在記
http://armeniajapan.blog54.fc2.com/

■アルメニアの日本料理レストラン「侍」Samurai Sushi Bar
日本料理ブームもこんな内陸の小国まで到達しているとは思ってもいなかったが
エレバンにも一軒だけ日本料理の看板をだしているレストランがある。その名も
「SAMURAI(侍)」だ。怖いもの見たさの心境でしかこれまで足を向けていない。話
のネタになればそれで善し。
http://www.spyur.am/en/companies/samurai-sushi-bar/5208
ロンプラにも掲載されている。
http://www.lonelyplanet.com/armenia/yerevan/restaurants/443897

そのSAMURAIへ数日前に足を向けた。我々は早めに行ったので、19時過ぎだが、客
などいなく従業員がテーブルで寛いでいた。こんなことはあってはならないのが
世界の常識、それはアルメニアでは通用しない。それから小一時間してからちら
ほらと客が増えてきた。最終的にはほとんどのテーブルが埋まった。

料理人はフィリピン人一人と他はアルメニア人だ。この日はフィリピン人が休み
だったのでアルメニア人が作ったことになる。そう考えるとよくぞ料理したと関
心する。

寿司ネタはモスクワからだというが、サーモン以外は手が出ない。野菜天婦羅は
まあまあな味だったが海老天婦羅には手が出なかった。他もどうも脂っこい。フ
ィリピン人料理人だからしょうがないかと納得してしまう。

最近エレバンのSASスーパーマーケットで、UDON、SOBA、SOMEN等のロシア製麺類
を売り始めた。500gは入っていないだろうな、値段は1430AMD(3.9米ドル相当)
と高め。ロシアの日本食ブームの流れだろう。
http://www.sostra.ru/

ついでに中華料理屋のことを一言。中国城、北京飯店、ドラゴン、ロータスの4
店がエレバンにあるが、これらも似非中華といっても過言ではないレベルだが、
無いよりましという印象だ。

■日本とアルメニアの関係
果たして関係があるのかどうかが不明なほど日本との関係は希薄の一言に尽きる
が、前述の日本語教師然り、まったく無いわけではない。貿易では日本からアル
メニアへの輸出が上回っている。これは別の機会に紹介したい。

1988年12月7日に発生したSpitak大地震の際に、当時の国際協力事業団は緊急援助
隊を派遣している。アルメニアは当時、ソヴィエト社会主義共和国連邦アルメニ
ア社会主義共和国であった。ソヴィエト時代であるがこの派遣が公的関係の最初
となるのだろう。

独立後は日本政府から二国間援助として政府開発援助が供与され、IMF、アジア開
発銀行や世界銀行、国連などの国際機関を通してアルメニアを支援している。数
日前の8月11日に「エレバン市消防機材整備計画」の引渡し式が共和国広場で行わ
れたのでここで紹介しておこう。

このプロジェクトは、独立以来更新されていないエレバン市13消防署の消防車が
老朽化しており、28台の消防自動車を更新し、適切な消防体制が確立され、エレ
バン市人口120万人の市民生活の安全性向上を見込んでいる。同時に消化技術指導
も含まれている。

エレバン市消防機材整備計画
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/h20/090210_2.html

JICA事業案内;アルメニア国エレバン市消防機材整備計画
http://www.jica.go.jp/activities/schemes/grant_aid/gaiyou/pdf/arm_1901.pdf

news.amに式典の写真が掲載されている。
http://www.news.am/eng/photos/sessions/armenia-gets-japanese-fire-engines/
armeniadiaspora news
http://www.armeniadiaspora.com/news/article-hits/1653-japan-donates-new-fire-trucks-to-armenia.html

二国間関係が希薄という現状から将来的なポテンシャルは存在するものの、南
コーカサス地域という歴史的にも文化的にこれまでの関係が薄い状況から今後ど
のような付き合い方をしていくのかが課題だろう。

■■後記
今月は無償資金協力によるエレバン市消防機材整備計画の引渡し式が開催された
ので地元メディアが報道したが、その中の一つに「..28 fire engines from the
 Agency for International Development (USAID) in Japan ..」という説明があ
った。メディアでもこの程度認識とは恐れ入った。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第63号 2010年8月14日
発行責任者:飯尾彰敏
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2010年5月20日木曜日

【世界の街角からMM】第52号LADAの車輪が外れた!、アルメニア人のホスピタリティ 2010年5月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第52号 2010年5月19日
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2月初旬より、アルメニアの首都、エレバンに滞在している。多分、聞いたこと無
いだろうな。そんな南コーカサスの小国、アルメニアからのレポート4です。
▼目次
■こんなことも有り?LADAの車輪が外れた!
■アルメニア人のホスピタリティ
■ちょっとした発見、Giza137
■■後記
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■こんなことも有り?LADAの車輪が外れた!
先月末、エレバンかトビリシへ陸路で往復した。
その往路、スピタクという1988年に大地震のあったアルメニア北部の町を通過し
ているときに、右前方に塗装の新しい白いLADAが走っていた。何気にLADAを見て
いると、何か大きな物を落とした。よく見ると後輪の車輪が外れたのであった。
こんあことってありなの?
LADAは直ぐに停車し、運転手は照れ笑いでこちらに微笑んだのだった。
照れ笑いの運転手の写真↓
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623736321211/show/

■アルメニア人のホスピタリティ
2ヶ月ほどの滞在で感じたアルメニア人のホスピタリティを少々紹介しよう。何度
かアルメニア人と食事をする機会があったが、客人をもてなすことはこの地域の
特徴なのだろう、こんな説明があった。

世界の中で最も健康的な食事は日本食、その次がアルメニア料理との説明、もう
一つは環境技術、これも日本が世界で一番進んでいる、そして、アルメニアが二
番目だそうだ。料理の件は、肉食だがハーブも一緒に食べるのでことと脂質が少
ない肉なのでなんとなく納得したが、環境技術は果たして?
相手を立てた説明が客人を持成すということかと、ふと後になって思ったものだ。

■ちょっとした発見、Giza137、アルメニアの日本米
知人からは驚き!とコメントがあったが、アルメニアにはエジプト産ジャポニカ
米が手に入る。パッケージから判断するとエジプトから輸入された米であり、こ
の米はGiza137に違いないと考えている。

店には何種類もの米が売っている。アルメニア語とロシア語で書かれているので
詳細がわからないが、その中に「Giza、丸い米」という意味のロシア語が読み取
れるパッケージを見つけた。幸い、パッケージに透明な部分があり、米が見える
ようになっている。日本の米のように短粒種にみえる。

これだけでは判断しかねるので試しにこの米を炊いてみたところ、概ね日本米な
のだ。それでググッてみたところ、以下のことが判明した。

エジプトの米の約8割がジャポニカ米で1917年にYabani(アラビア語で日本という
意味)という品種名のジャポニカ米の品種改良が進められ、1954年、Yabani M47
という品種がNadaと命名され政府栽培奨励品種として全国へ普及した。Yabani M4
7からさらに品種改良が進められ、Giza171及びGiza172が育成された。

1970年代後半にレイホウという品種がGiza173として導入され、作付け面積が40%
を占めたが、1985年にこのGiza173だけがイモチ病が発生し、1986年から作付けが
禁止され、イモチ病抵抗品種の改良が行われた。その後が、不明だが日本米がエ
ジプト人に好まれているので何らかの改良が行われたはず。

某援助機関のwebにエジプトでの日本米の説明があり稲作分野で技術協力を実施し
たとあるが、品種改良には触れられていない。果たして誰がこのレイホウ(Giza1
37)をエジプトへ導入したのだろうか?

レイホウを親とした品種一覧:
この中にはエジプトのことは掲載されていない、そのものだからだろうか、イモ
チ病耐性品種はどうなったのか情報不足ではある。
http://ineweb.narcc.affrc.go.jp/search/oyahinsyu.html?ineCode=SAI01000

Giza137(レイホウ)、ちょっとしたアルメニアでの日本の発見でした。その他、
エジプトでは、アキヒカリ、日本晴という品種も試験的に栽培が行われた。

■公式サイトの説明
公式「世界の街角から」のフォトギャラリーblogを作ってみた。
http://worldcityimg.blogspot.com/

■■後記
4月後半から5月中旬まで何かと行事と出張が多かった。モスクワ、トビリシへ出
張したのでのその時のことは追々レポートしようと思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第52号 2010年5月19日
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2010年3月6日土曜日

【世界の街角からMM】第46号 モスクワ・レポート(5) 2010年3月4日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第46号 2010年3月4日
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ちょっと間が開いてしまいましたがモスクワ・レポート5です。
その間に、アルメニアに滞在することになりましたので、モスクワレポートの後
はアルメニアからレポートする予定です。

11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たメモです。
▼目次
■日本人は世界遺産大好き「Novodevichy Convent(世界遺産)」
■モスクワ国立大学と雀が丘
■旨かった!スプートニクホテルの青空(日本料理)
■モスクワの秋葉原Gorbushka Market
■現実へ、シェレメツェボ2再び
■■編集後記
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■日本人は世界遺産大好き「Novodevichy Convent(世界遺産)」
日本人は本当に世界遺産が大好きである。NHKの番組を見ればわかりますね、こん
なに放送しているとは思いもよりませんでした。そして海外旅行を後押ししてい
るんですね。

それで、この季節、閑散としたノヴォデヴィチ女子修道院の前に黒い観光バス、
フロントガラスをよく見ると「クラブツーリズム、ザンクトペテルブルグとモス
クワ8日間の旅」という日本人観光客のツアーでした。

この修道院はあまりにも予備知識が無く、同行者の意向に任せたので私的には連
れて行ってもらったようなもの。もうちょっとガイドブックを読んでいれば、
「地球の歩き方」でも持っていれば少しは予習が出来たかもしれないが、やはり、
私は買えなのですね、このガイドブックを。

少しだけwikiより:
1524年に、モスクワ大公国時代に創建された。モスクワ大公・ヴァシーリー3世の
命によって、建設が開始されたこの修道院は、1514年に、スモレンスクがモスク
ワ大公国に併合されたことを記念して建てられた。修道院は、モスクワ川の湾曲
部における要塞の役割を果たしていた。これは、他の修道院も同じような役割を
持っていた。

チェーホフ、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ショスタコーヴィチ等の著名な作家や音
楽家がこの修道院付属の墓地に眠っている。政治家では、フルフチョフ、エリツ
ィンも然り、ただ、このような説明がガイドブックにあったが、寒かったしそこ
までは足を伸ばす勇気が無く、地下鉄駅前の小奇麗なカフェで温まりました。

NHK世界遺産
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/

■モスクワ国立大学と雀が丘
そのカフェで次のスケジュールを皆で話し合い、当初予定通り、雀が丘のモスク
ワ国立大学を目指したのでした。よりにもよって、この季節でしかもお天気も良
くないのに、また吹きっさらしを目指したのでした。

地下鉄、大学駅で下車、地図を見ると近いが広大な敷地にあるロシア最高峰の総
合大学ゆえ、広い広い、15分は歩いただろうか。駅の周辺には新興住宅が建設中
でした。

1985年にもここへ来たんだよね、そのときは夏、そしてマリーナと一緒だったか
らほとんど考えずに大学本部の近くまでバスで来たのだ。またまた寒い中を本部
ビルまで歩いた。そこに見えているのだが実際にはまだまだって感じだったな。

本部はスターリン様式の威圧的な建築物、周囲に高い建物が無いので余計に象徴
的に写ります。構内への突入を試みたのですがさすがに入管証がないと今時の大
学は入れませんね。

モスクワ国立大学は、正式名称をM. V. Lomonosov Moscow State University、露
語では長いので、略称だけ、「МГУ」、エム・ゲーウーと読みます。縁も所縁
もありません、ただ、マリーナと一緒にモスクワ観光の一つとして訪れただけ。

でも、あの時は静かだったな、緑が初々しく・・・、共産主義時代のよき夏の思
い出だ。そのときも雀が丘からモスクワ市外を一望し、モスクワオリンピックの
競技場が眼下に眺められた。

今回も寒々とした中、精力的に我々は歩き、地下鉄駅から本部ビルへ、更に、展
望台まで歩いたのでした。そこは寒風吹きすさむ、以前と変わりない光景でした
があの夏の時のように長居は出来ませんでした。

http://www.msu.ru/

私の夏の思い出を見たい方はこちらへどうぞ。
http://1985.iio.org.uk/ussr/moscow_marina.htm

■旨かった!スプートニクホテルの青空(日本料理)
展望台は寒く、とっても長いが出来る環境ではなく、ここから更に駅に戻る元気
も無く、タクシーでスプートニクホテルにある日本料理レストランでランチをと
ることにした。初日は大外れだったので今度は外せないのだった。気の利く同行
者が某商社から聞き取っていたのだ。

日本人シェフがいると聞いていたので並以上であるとことは期待していた。ラン
チの時間帯だったので、ビジネスランチを注文、更に、半味噌ラーメンも追加注
文した。もうメニューを見ただけで感動物でした。

どこかの国ではメニューはただの日本食記述であって必ずしもその内容の食事が
出てくるとは限らないのだだった。

久しぶりに食べた本格的な日本料理、旨かったの一言。今度はあぶり寿司を食べ
に来たいと画策している。

シェフはイチロウさんです。後日、このランチのことをmixiに書いたら、イチロ
ウシェフがその日記を見つけてコメントをいただきました。彼によると現在モス
クワの日本人シェフは15人だそうで、500店舗といわれる日本料理レストランはど
うやってるのでしょう。

モスクワでは一押しの日本食料理レストランです。

青空 (Aozora), Sptnik Hotel
http://www.aozzora.com/index.html

英語版へ飛ばないところを見るとまだ準備中だろうか。

■モスクワの秋葉原Gorbushka Market
日本料理を食べて満足感に浸っている間もなく、この日の最後のスケジュールで
ある「モスクワの秋葉原」であるガルブーシュカへ行った。スプートニクホテル
から距離的にはさほど遠くは無いのでこれまたタクシーで行くことにした。

タクシーを拾うのに苦労したが、皆(同行者4名)で一台に乗車して高速道路のよ
うな高架道路をビューンと走って電気製品の巨大な看板が目に付く建物の前で降
りた。丁度、下車したところにカレフールこの先左400mの看板を見つけた。ある
とは聞いていたがここだったのだ。

ガルブーシュカは地下鉄4号線、キエフスカヤ駅から4駅目、バグラチオノフスカ
ヤ駅徒歩5分にある、元家具工場を電化製品専門のショッピングセンターにしたも
の、大家はモスクワ市役所。1階がハードウエア、2階が音楽、ソフトウエアの
売場となる。とにかく巨大だ。ガルブーシュカ「GORBUSHKIN DVOR(ガルブーシュ
カの庭)」というのが正式名称、日経にも「BRICs報告ロシアの秋葉原」として紹
介された。

iphone を買うつもりで行ったが、3G8GB(R.23,000), 3G16GB(R.26,000), 3GS16GB
(R.29,000), 3GS32GB (R.34,000)とかなり高めだったので差し控えた。音楽CDはR.
250から、中身を見たところ海賊版のようだ、それならばちょっと高いなー、東南
アジアと比較するとそうなる。

http://www.gorbushkin.ru/

■帰途、シェレメツェボ2へ
一通り予定していた滞在先をこなし、キエフ駅前のEvropeisky SC.のスーパー
マーケットで買い物をして、来たときと同じルートでベラルーシ駅から
Aeroexpressに乗車、シェレメツェボ空港へ向かった。18時台のAeroexpressは30
分毎ではなく一本抜けているのでしばらく待つことになった。

よって遅めのチェックインを済ませ、搭乗口へ行く。ここのセキュリティで優れ
ものに出会った。全身スキャンなのだ。ロシアのこういうところに惜しげもなく
投資するところはチェチェン問題などテロを抱えている国ゆえと理解すべきなの
だろうか。

その前に手荷物検査で水のボトルが見つかった。女性係官が、有無を言わせず没
収するところはUSSR時代と変わっていない。しかし、彼女たちのミニスカートと
も思えるやや短めの制服も変わっていないのもしっかりと確認した。

21時発SU163便でタシケントへ戻る。ここから現実が待ち受けていた。

■■編集後記
2泊5日(機中2泊)のモスクワ紀行でした。強行軍ゆえ余裕はなく、同行者も多か
ったので時間のロスもあり、しかし、同行者がいないとこんなに歩き回らないの
でではと思うので、同行者がいて正解という結論になる。

私的には1985年ぶりとなるモスクワ、もっと早く行く予定だったが近々の用事を
済ませているうちに20年以上も経過してしまった。

次の実行は今年に狙いを定めている。ビザの準備も万端、エレバンからは近いし
便数も多いのだ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第46号 2010年3月4日
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2009年12月26日土曜日

世界の街角からMM 第43号モスクワ・レポート2 2009年12月13日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第43号 2009年12月13日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート2です。
▼目次
■モスクワのホテル
■赤の広場とGUM
■Ul.Tverskaya ツベルスカヤ通り
■モスクワのマクドナルド
■日本食レストランの現実その1
■■編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■モスクワのホテル
シェレメツェボ空港からベラルーシ駅までAeroexpressで、そこから地下鉄で移動
した。土曜日早朝にもかかわらず、かなりの乗客だ。ベラルーシ地下鉄駅から一
度乗り換え、Vladkinoへ、駅は住宅街の中、鉄道の環状線に隣接している。丸い
駅舎が特徴的、こういうデザインはソヴィエト的だな。直ぐ隣が植物園なのだが
どこが入り口かよくわからないほど広大そうだ。
(地下鉄:Belorruskaya-Novoslobodskaya/Mendeleyevskaya-Vladkino)

地図を見ながら住宅街を抜け、放射大通り(Altufyevskoye Shosse)を渡り、Riga
シネマ(ソヴィエト建築)を左にそして右に回ると1ブロック先にあるZaryaとい
うサインが見えた、そこがホテルだ。ホテルの前は並木道で夏だったらどんなに
すばらしいだろう。この地区、大通り沿いにAltai Hotelのサインが見えたが他に
もホテルがいくつか立地している。

モスクワでのホテルは、タシケントの旅行会社へ問い合わせたところ、かなり高
い料金が提示され、そんなに高いわけがないだろうとwebで宿泊料金を確認したと
ころ、旅行予定の日付だと51Euroというかなりリーズナブルなオファーが表示さ
れ、旅行会社は切り捨てて(約2倍の提示だった。)、メールを送り予約状況を
確認し、併せて査証取得サービス(R750)を確認した。11月下旬はオフなので最安
値圏、エキジビション等があると安い部屋から埋まっていくため予約が取りにく
くなるがそれでもオフシーズンだ。200室程度あるホテルなので楽観的ではあった。

ホテルは、下記のホテルでモスクワ市内に4ホテルある。地下鉄、Vladkino駅から
500m、モスクワの北部、直線距離ではシェレメツェボ空港にも比較的近い。

Maxima Hotel Zarya
http://www.maximahotels.com/zarya.htm

■赤の広場(個人的に感動)
ホテルにチェックイン後、朝食を軽く取りながら散策会議をロビーのカフェで行
い、先ずは、赤の広場へ行こうと事前打合せのとおり移動を開始する。
(地下鉄:Vladkino-Chekhovskaya/Tverskaya-Teatralnaya)

Chekhovskaya/Tverskayaで乗り換え、一つ目の駅Teatralnayaで降りる、この駅は
ボリショイ劇場の前に位置する。小雨が降る気温2-3度のお天気ながら、そこ
から人の流れが自然と赤の広場へ向かっていたので特に迷うことなく流れに乗っ
て辿り着いた。1985年のときもそうだろうな、ホテルで行き方を聞いて地下鉄に
乗った。

◆赤の広場回想
赤の広場、個人的には感慨深い。20数年前、この広場を訪れたからだ。季節が違
えどその時間経過の中での変化を思うとただただ佇んでいたいと思ったが、現実
は寒い。

「1985年7月9日、爽やかな夏の日、モスクワの赤の広場に立った。今も記憶は鮮
明だ。前日の夕方、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、モス
クワに到着したばかりで勇んで宿泊していたBDNKhのコスモスホテルから地下鉄で
赤の広場まで行った。」

赤の広場は長方形で7.3haある。短辺のツベルスカヤ通り側に歴史博物館、その対
面、モスクワ川側に聖ワシリー寺院、長辺はクレムリンとGUMである。そしてクレ
ムリン側中央にレーニン廟がある。広場は石畳で緩やかにモスクワ側に向かって
傾斜している。子供のころブレジネフ書記長が中央に立ち軍事パレード(5月1日の
メーデーと11月7日の革命記念日)が行われている様子はTVで見た記憶があるが今
は昔だ。

結婚式を挙げたカップルが結婚登録(挙式)後に記念撮影のため訪れる定番地で
あり、小雨の降るお天気ながら数組のカップを見かけたことはソヴィエト時代と
変わっていない行事のようだ。

*事件簿****************************************************************
1987年5月28日に西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ
機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。ルストは
自由剥奪4年の実刑判決を受けるが翌年国外退去処分となる。小型機の侵入を防げ
なかったことでソ連軍は防空体制の甘さを糾弾され、セルゲイ・ソコロフ国防相
はじめ防空軍総司令官らが更迭された。この事件は、当時のゴルバチョフ政権に
とっては改革に反対する軍部の保守強硬派幹部を更迭する理由として、むしろプ
ラスに働いた。(wiki)
******************************************************************

ちなみにクレムリンと赤の広場は世界遺産に登録されている(1991年)。

山本寛齋(1993年)やポール・マッカートニー(2003年)がここでイベントを開
催、旭硝子のCMにも赤の広場が使われている。AGC、AGCと連呼するマトリョーシ
カは印象に残っている。

◆レーニン廟
今回も時間なくパス。設計者であるAlexey Shchusevはウズベキスタンの首都タシ
ケントにあるナボイ劇場の設計者でもある。ナボイ劇場は第二次世界大戦後、日
本人抑留者が建設に従事した代表的な建築である。

◆クレムリン
クレムリンというのは城塞を意味するロシア語であり、帝政ロシア時代、ソヴィ
エト時代を通して政府中枢がこの城塞内にあった。現在はロシア連邦の大統領官
邸と大統領府が置かれている。

クレムリン宮殿内に武器庫があり兵器の展示と合わせて美術工芸品や貴金属類が
展示されている。明治天皇がニコライII世の戴冠式に贈った象牙の鷲と刺繍入り
の屏風も所蔵されている。

クレムリンの尖塔にはロシア国旗が掲揚されていたことが前回と大きく異なる点
だった。今回も中には入らず仕舞い。

■GUM
GUMは、ロシア語のState Department Storeの略である。赤の広場の長辺に沿って
クレムリンと対峙する位置に19世紀末に建設された細長い建物巨大な建物だ。3階
建て、3列のアーケードから構成されている。天窓があり照明を取り込む構造とな
っている。ヨーロッパでもこのような規模の歴史的な商業施設は記憶にない。

1985年にモスクワに来た時はこの建物が何なのかわからなかったが、堂々と赤の
広場に面しているので不思議に思っていた。それで人の流れを良く見ていたらか
なりの人がこの建物に吸い込まれていくのでその流れに乗ってみたらアーケード
だった経緯がある。建物は同じだがテナントは当時の面影はない。当然のことだ
が。

現在のテナントは高級ブティックやインターナショナルブランドのショップが多
く、ショーウインドウの性格が強いのでは。

Red Square tel. (+7) 495 788 43 43 Open 10:00 - 22:00.
Metro station: Pl. Revolutsy

http://www.gum.ru/en/

■Ul.Tverskaya ツヴェルスカヤ通り
東京で言えば銀座だろうと聞いたツベルスカヤ通りだが、青山辺りを一緒にした
ような印象だった。

道路復員が広く反対側とのリンクはあまり感じられず、片側ごとに完結している
ような印象だった。あまり時間なく本屋とレストランに立ち寄った程度、時間も
遅く直ぐに暗くなってしまった。

オポトニリャト駅からプーシキンスカヤ駅までも歩いていないので出直し対象だ
な。

■モスクワのマクドナルド
ツヴェルスカヤ通りでPCショップを探しているときに「M」のサインが視野に入っ
たので入ってみた。盛況、盛況、席がない。暫く待ったら4人席が空いた。ほっと
一息、ビックマックバリューセットを注文、R.137だったか、日本より若干安めだ
ろう、ボリュームはドリンクとフレンチフライの量が多いのでこちらのがある。

場所:
http://maps.google.co.jp/maps?q=moscow+mcdonalds&gl=jp&hl=ja&cd=1&ei=6OEk
S9XPMOG8jAfSo9n7DQ&sig2=Lh3yhcyEf7dgQssNPQW3VA&sll=55.758946,37.610543&ss
pn=0.006295,0.006295&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&view=map&cid=378506336
1235450874&ved=0CBAQpQY&hq=moscow+mcdonalds&hnear=&ll=55.75965,37.610536&
spn=0.008222,0.016029&z=16&iwloc=A

ツヴェルスカヤ通りをもう少し北へ行ったプーシキンスカヤにあるマクドナルド
は一日3万人が利用する世界でも最大の売り上げを誇るようである。
http://www.mcdonalds.ru/

■日本食レストランの現実その1
夕飯はこの辺りで食べようということになり、さて、どこへ行くべきか、安易に
地球の歩き方に掲載されているツベルスカヤ通りの和食レストラン「銀の瀧」に
行くことにした。

ちょっと油断をするとこういうことになるという例がこの選択だ。新しい都市で
はその土地に暮らしている人の意見や英語のガイドブックを調べるのだが、今回
は安易に決めてしまった。

ロシア人の目線だとこの店の出す食事が日本食なのだろうが日本人の目からする
と完全に擬似日本食、しかも料理が冷めていた。かなり遠い遠い日本食なので期
待しなければ、若しくは、巻物程度ならば、クリエイティブなメニューが多い、
納得ができるかもしれない。

しかし、この内容でかなり客が入っていることから、これが日本食と受け取られ
ているのだろう。ウエイトレスの数が少なくサービスレベルは非常に低い。クレ
ジットカードの支払いができるとの説明だったが結果できなかった。私からはお
薦めできない店だ。

web情報(2002年)からこの店は「養老乃瀧」が経営指導したとのことだが既に指
導は終了したのだろう、この質からはそう感じた。
http://www.gin-notaki.ru/
http://www.dostavkasushi.ru/

■■編集後記
ツヴェルスカヤ通りはもっと時間を取って散策すべきでしたね。それから、日本
食の普及度には驚いたが質の維持が課題だろう。

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2009年11月25日水曜日

【世界の街角からMM】第35号 ラトビア・リトアニア紀行(2)2009年10月21日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第35号 2009年10月21日
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ラトビア・リトアニア紀行です。これまでの中央アジアから趣向を変えてちょっ
と垣間見たバルトの国々、今回はラトビアの首都リーガ(2)です。
▼目次
■リーガ(2)
◆Stockmann市場調査
◆中央市場とバスターミナル
◆ホテルにチェックイン
◆アールヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)通り
◆リーガの日本料理
◆リーガの公共交通機関
■■編集後記
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■リーガ(2)
旧市街は、南縁にリーガ駅と中央市場、西縁がダウガヴァ川と河港、そして東側
が新市街である。

「ドイツよりもドイツらしい」と言われるような中世ドイツらしさが残るのは、
ドイツ人によって都市の基礎が形作られたという歴史ゆえであろう。旧市街は中
世ドイツの商業都市の特徴が多く見られ、とりわけハンザ同盟時代の街並みがよ
く残されている。ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が混在する、
歴史的学術的価値の高さから世界遺産に登録(文化遺産、1997年、(i)(ii))されて
いる。ソ連時代においても、戦災で被害を受けた建造物が修復されているので歴
史的価値は認識されていたと考えられる。

それからリーガ歴史地区にはアールヌーボー建築も含まれる。

Riga Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438045594/

◆Stockmann市場調査
ちょっと大げさだが、ホテルにチェックインできるまで時間つぶしもかねて駅前
の商業施設を視察、Stockmannはスウェーデン系のデパート、隣にスーパーマーケ
ットもある、そして、駅構内のショップなどなど。

商品を見る限りヨーロッパと変わらない、EU加盟国だからこれまた当然のことな
のだが。バルト三国は3カ国とも2004年5月1日に加盟、ちなみにNATOにも三カ国揃
って2004年3月29日に加盟している。

販売されている商品は、現地製品も多いがフランス製とか北欧製とかも目立つ。
さすがはEUと田舎から出てきた旅行者は感じた。

◆中央市場とバスターミナル
Stockmannの裏側、鉄道と運河を越えた旧市街とは反対側に中央市場がある。建物
が駅舎のようなデザインだし多くの人が出入りしているので最初はそう思ってい
たが巨大な市場だった。またその周辺にも市場が広がっている。この季節は快適
なのだが冬季はどうだろうか、寒そうだ。

所狭しと並べられた野菜や果物、そして、お買い物客の賑わいは活気があって心
地よい。スイカとメロンはウズベキスタン産だという、日持ちもするし鉄道で運
べば十分バルト市場でも競争力がある農産物のようだ。建物の中は肉類や保存食
料が多かった。

翌日、このバスターミナルからEuroLineのヴィリニュス行きバスに乗るので乗り
場を確認することと、今回、一緒に行かれなかった仲間のバスチケットのキャン
セル可能性の確認をした。結果、Euro Lineはオンラインで予約できるものの、キ
ャンセルは1週間前までにタリン、リーガ、ヴィリニュスのEuroLine窓口まで来な
いとキャンセルできないのだ。これは理不尽だと思いながらもしょうがないな。

◆ホテルにチェックイン
Hotel Irina、シングル一泊41EUR、朝食付き、本当に駅前に位置する。窓から
駅舎とORIGOという駅の敷地内に建てられたショッピングセンター、そして、時計
台が見えた。直ぐしたの通りの向こうはマクドナルドだ。

このホテル、WEBを検索していて見つけたのかな、Lonely Planetに掲載されてい
るMid Rangeは全てチェックしたが安くてロケーションが良いホテルはなく、我々
はヴィリニュスへ移動するためのバスターミナルへ行く必要があることやもちろ
ん空港からのアクセス、そして、見所へのアクセスも当然考えてこのホテルに落
ち着いた。

丁度、旧市街と新市街との境目に位置し駅前だし便利だった。朝食も期待値を上
回り、これがヨーロッパの中級ホテルなのだろうと考えながら、注文して調理す
るオムレツはなかったがその他は大満足、よって、朝食はかなり食べた。その分
良く歩くことが出来たのかもしれない。

シングルの部屋は至って機能的に出来ている、シングルベッド、これはドイツと
かオーストリア、東ヨーロッパに多いスタンダードなもの、とデスク、バスルー
ムはシャワーのみ。お湯は暑いのがしっかりと出た。

インターネット接続はWi-Fiが可能であるが、無料と思っていたところ有料だった。
これが無料になればなおよしといった印象だな。しかし、ホテルの案内をめくっ
ている時にログイン名とパスワードが記されたカードが出来てたので繋いでみた
ら、ラッキーなことにログインできたのでその日は無料で利用した。

◆アールヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)通り
アールヌーヴォー建築は、旧市街の運河を渡った地区のアルベルタ通り、エリザ
ベテス通り、ストレールニエク通りに多く現存する。概ね19世紀末から20世紀初
頭の建築だろう、通りの両側に平面的かつ装飾的な空間構成のアールヌーヴォー
様式ファサードが並ぶ。かなり修復が進んでいるようだ。

アールヌーボー
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313647277/

補足:アールヌーヴォー(Art Nouveau)は、19世紀末にヨーロッパで花開いた新
しい装飾美術の傾向のこと。有機的な自由曲線の組み合わせ、鉄やガラスといっ
た素材が特徴。アール・ヌーヴォーはフランス語で「新しい芸術」を意味し、パ
リの美術商、サミュエル・ビングの店の名前メゾン・ドゥ・ラール・ヌーヴォー
(Maison de l'Art Nouveau)に由来し、当時流行していたジャポニズムの影響を
強く受け、特に浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成を取り入れ
ている。

◆リーガの日本料理
この街にも日本料理があった。店の名前を失念してしまったが、旧市街の中に数
店舗あるようだ。相撲という看板を見た記憶、でも、ここではない。ウェブサイ
トにNOBUという日本料理屋があり、ここは日本人が料理しているというので
探してみたが、結果、情報不足で辿り着かず仕舞い。

Garelijaの4階にある本屋でラトビア人女学生と話す機会があり、彼女を誘って
試しに日本料理を食べてみることにした。

この地域の日本料理は基本的にモスクワ仕込み、資本もロシア資本が多いと聞い
た。モスクワ仕込みの日本料理は、巻き物系の寿司で誰にでも比較的作りやすい
ことと、その味がそこそこだということだ。刺身の鮮度は日本とは比較にならな
いが外国では、東南アジアではもっとレベルが高いが、この程度だろうと納得。
値段もリーズナブルだ。昼間は弁当セットがあり、こちらはかなりお得感があっ
たが、夜だったので適応外。

味噌汁はかなりまとも、でも「あさげ」かな、最近のは美味しいので。

◆リーガの公共交通機関
トラム、トロリーバス、バスと地下鉄がないだけで旧共産圏仕様の都市交通体系
だ。しかも、バスとトロリーバスの車輌は更新されており、ポーランド製だった
な、運行頻度も非常に高く効率に運行されている印象を先ず持った。トラムの車
輌は古いものの、なんとか維持し管理しながら運行している様子が伺えた。

料金は、0.4LV、これは事前にチケット購入した場合で乗車時は0.6LVとなる。一
日乗車券もあり、こちらは1.6LVとお得だ。キオスクに容易に購入できる。

リーガの公共交通
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438760342/

■ラトビア人について
インドヨーロッパ語族バルト語派に属するバルト系民族で言語は同じバルト語の
リトアニア語に近い。

映画「戦艦ポチョムキン」「イワン雷帝」で知られるセルゲイエイゼンシュタイ
ン監督はラトビアリガ生まれで父親はリガの有名な建築家ミハイル・エイゼンシ
ュタインである。

元ドイツサッカー代表のオリバー・カーン選手は祖父がラトビア人だ。

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
まだまだ表面的なリーガだが、また、訪れたいと思わせる魅力がある都市だ。ナ
イトライフは今回はパスしたので次回はこちらも覗こう!

息抜きのラトビア・リトアニア紀行、お天気良く、最高の週末プラス旅行でした。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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