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2012年5月29日火曜日

【世界の街角からMM】第139号 冬のモスクワ(3) 2012年5月29日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第139号 2012年5月29日
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まだモスクワの話が終わっていませんでしたので 続冬のモスクワ3です。

2月下旬、無理やり時間を取り10日間ほどエレバンとモスクワに滞在した行って
きた。

▼目次
■モスクワ・ベルニサージ民芸品マーケット
■ベラルーシ駅の荷物預かり
■シベリア鉄道の起点ヤロスラブリ駅
■シェレメツェボ空港Dターミナルとオンラインチェックイン
■HISモスクワ支店
■■後記
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■モスクワ・ベルニサージュ民芸品マーケット

今回のモスクワ滞在の目玉は、民芸品マーケットでマトリョーシカ他を物色する
ことであった。モスクワ市の東部、地下鉄3号線Партизанскаяパル
チザンスカヤ駅の前に入口があり公園の中へ歩いて行くとベルニサージュマーケ
ットという民芸品を販売しているマーケットがある。

これまで文字でしか知らないので是非現物を見ようと考えていた。冬の平日午後、
お天気は快晴だが、寒い。当たり前だが。辺りは真っ白だが、右側に池があるよ
うだ。

パルチザンスカヤ駅を出ると左手に巨大なビル群が建ち並んでいる。モスクワオ
リンピックの際に建設された巨大なホテルだ。今も下記のホテルとして運営され
ている。
Izmailovo Vega Hotel
Izmailovo Ganmma-Delta Hotel
Izmailovo Alfa Hotel

その右手にロシア語で「ベルニサージ」と書かれた門のようなゲイトがあり、そ
こを進んでいくと、テーマパークのようなお城が見えてくる、その手前が民芸品
マーケットだ。

マトリョーシカ、ホテルのショーウインドウは5人形構成、アルバート通りで以
前買ったマトリョーシカは7人形構成、ベルニサージでみたマトリョーシカは5人
形構成が多かった。

店は各ブースが決まっているのでそこに使用料を払って出店しているようだ。マ
トリョーシカだけに絞るとそれほど店は多くはないが、他の民芸品やソ連時代の
遺物など、見ていて楽しい。

マトリョーシカのお値段は大きさやペイント等で決まるようだ。いくつかの店を
見たが高さ20cm強、5人形構成で600-1200ルーブル(20-40米ドル)だった。凝
ったマトリョーシカはロシアの寓話を腹部に描いてある。

じっくりと吟味している時間もなく、第一印象で判断、手書きという600ルーブ
ルのマトリョーシカ2個をお買い上げ、1000ルーブルでどうだとオファーすると、
押し問答もなく商談成立、冬のこの時間だからね、とのこと。

帰りがけ、時計を見たら3時だったが、冬のこの時間、既に多くが店仕舞いをし
ていた。

写真:
http://jardin2005.exblog.jp/14944472/

■ベラルーシ駅の荷物預かり

ヨーロッパの鉄道駅ならば、概ね荷物預かり所がある。ロシアも例外ではなく、
ヨーロッパの鉄道サービスを踏襲しているようだ。

http://worldcityimg.blogspot.jp/2012/03/blog-post_475.html

今回はフライトが夜だったのでホテルをチェックアウトしベラルーシ駅からアエ
ロエクスプレスでシェレメツェボ空港へ向かうことにし、スーツケースを預けた。

荷物預かり所の場所は、1番ホーム左側の建物の地下になる。エレベータはない。
預け入れ手続きには、パスポートが必要となる。料金はRUB90(2012年2月)だっ
た。一日当たりだろうと思う。

日本の鉄道駅でも荷物預かりサービスはあるのだろうか?コインロッカーは見か
けたことがあるが・・・。

■シベリア鉄道の起点ヤロスラブリ駅
モスクワ・ヤロスラブリ駅、この駅がシベリア鉄道の起終点となる。ヤロスラブ
リと言うのはウラル山脈の手前に都市、ヤロスラブリ方面の先にウラジオストク
があるということなのだろう、しかし、遥か東となる。
http://eastriver229.blogspot.jp/2012/03/blog-post_04.html

http://moscow.ru/en/guide/trip_planning/transport/railway_train_stations/belorusskiy/

この駅を訪れたのは、1985年7月のある日、シベリア鉄道でこの駅に到着したか
らだ。2番線ホームだったと思う。ホームと駅舎は当時と変わっていない、2009
年にもここまで来たが、夜だったこともあり、一見して立ち去った。

ホームに立ちじっくりと駅構内を見渡す、すると当時の記憶が甦ってきた。

列車から降りてホームを駅舎の方へ歩いて行くと、時計が見えた。16時40分を指
していた。
http://1985.iio.org.uk/ussr/moscow_10.jpg

更に進むと駅舎前にナターシャと言う若いロシア人女性が日本語で話しかけてき
た。インツーリストの担当だった、職員ではなく、モスクワ国立大学東洋・アフ
リカ学院の学生で日本語と日本文化について学んでいて、夏休みなのでインツー
リストで働いているとの説明だった。子供のころ、東京に住んでいてNHKのロシ
ア語講座に出演していたという、そんな話をホテルまで行く車を待っている間、
駅舎の中のインツーリストの部屋で話した。

■シェレメツェボ空港Dターミナルとオンラインチェックイン
日本便は既にDターミナルへ移転している。今回は、日本との往復フライトなの
でDターミナルを利用した。

ここにはオンラインチェックインというサービスがある。チェックインカウン
ター前にオンラインチェックインマシンが並んでいる、そこで名前などを入力し
て搭乗券を受け取り、その先の荷物ドロップインで預け入れ荷物をチェックイン
する。

周りを見渡したところチェックインカウンターは空いていたがこのオンラインチ
ェックインを試してみた。アエロフロートのオフィスでは安チケットだったので
席が予約できなかったが、ここで席を指定することができる。

しかし、東京行きのアエロフロートの場合、ヨーロッパからの乗り継ぎ客がほと
んどなので、ロシア国内からの客もいるが、シェレメツェボで早めにチェックイ
ンしたつもりだが、その時点では乗り継ぎ客がチェックイン済みなので、選択肢
は少なかった。窓側の席は既に無かったが、後ろの方に通路側の席があった。
http://www.svo.aero/en/

このシステム自体は特に問題なく動作していた。ウェブ上からもオンラインチェ
ックインができる、これは出発の24時間前からなのでその時点ではきっと席の選
択肢も多いことだろう。

▼前号で紹介したペトロフカ通りのアエロフロートのオフィス
http://eastriver229.blogspot.jp/2012/05/blog-post_29.html

■HISモスクワ支店
2010年4月ごろに支店を開設したようだ。ブログにそうあった。

モスクワ在住日本人は約1500人と言われているので需要があるのだろうかと考え
たが、ロシア人の需要がかなりあるようだ。

ブログ、生情報満載でとても興味深い。また、モスクワ行きを計画しよう。

HISモスクワ支店
http://www.his-russia.ru/index_jp.htm

HISモスクワ支店ブログ
http://ameblo.jp/his-russia/

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http://archive.mag2.com/0000000699/index.html

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《WEB熱線》アジアの街角から
http://chinachips.fc2web.com/common/31mag.html

■■後記
今日でGWもお仕舞いと思っていたが、あっという間にその後も時間が過ぎ去り、
5月も終わりなのだ。

梅雨前のこの季節、爽やかで好きなのですがもうすぐ梅雨、脱出したい気分です。

2月のモスクワ滞在覚書、時間がかかりましたが今号でお仕舞いです。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第139号 2012年5月29日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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2012年5月3日木曜日

【世界の街角からMM】第138号冬のモスクワ(2) 2012年5月3日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第138 201253
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既に春になってしまったのですが、冬のモスクワの続き2です。ちょっとしたモ
スクワの魅力です。

2月下旬、無理やり時間を取り10日間ほどエレバンとモスクワに行ってきた。

▼目次
■モスクワ環状道路とペトロフカ通り
■ペトロフカ通り20番地のアエロフロート・ロシア航空事務所
■今でもTsUM
■大改修が終了したボリショイ劇場
■■後記
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■モスクワ環状道路とペトロフカ通り

後述するアエロフロート・ロシア航空の事務所へ行くために地下鉄9号線チェー
ホフスカヤ駅で下車、目の前のBoulevard Ringであるペトロフスキー大通り(Pe
trovsky Boulevard)からペトロフスカ通り(Petrovka Str.)へ入る。地図上では
このように容易だが、実際の空間は地図とは異なるので、注意深く記憶している
地図と目の前に広がる空間を比較する。

間違いないようだ、目の前がプーシキンスカヤ広場、中央分離帯のある広い通り
がペトロフスキー大通りだろう。右方向(東)に行けばペトロフスカ通りのはず
だ。

駅からは緩やかな下りとなっている。雪道を暫く歩くと交差点があり右へ曲がる
とペトロフスカ通りとなる。左にUpper St.Perter Monasteryが見え、右にはモ
スクワ近代美術館が現れた。ここから、テアトル広場まで緩やかな下りだ。ペト
ロフスカ通りと平行して西側にモスクワの銀座通りと形容されるトヴェルスカヤ
通り(ソ連時代はゴーリキー通り)が赤の広場へ向かって下っている。こちらは裏通りと言う感じで静かだ。

チェーホフスカヤ駅前の広い通りはBoulevard Ringと呼ばれ、モスクワの環状道
路の一つで、内側から2番目に位置する。

1.Garden Ring (Bulvarnoe Kolco)17世紀旧市街(Zemlyanoy Gorod)を囲む道
2.Boulevard Ring(Bulvarnoye Koltso) 旧城砦に沿った道路
3.Sadovoye Kolco、地下鉄環状線と重なる環状道路
4.The 3rd Transport Ring、半径約5km、現在のモスクワ市街地の端
5.The 4th Transport Ring(建設中)
6.MKADMoscow Ring)、モスクワ市境界沿い道路

このようにモスクワ環状道路は5+1(建設中)、爆発的な自家用車の増加から
ソ連時代に建設された道路ネットワークは既に容量オーバー、慢性的な渋滞が発
生し、モスクワの深刻な都市問題となっている。ソ連時代はどうか?広々とした
道路と少ない自動車交通だったので、つまり道路容量が十二分に足りていたので、
非常にゆったりとしていた。

チェーホフスカヤ駅前のBoulevard Ringは城壁を取り除いて道路としたため、中
央分離帯が公園となっている。札幌の大通公園か、名古屋の100m通りのような趣
だがそれほど広くはないが、周囲の歴史的な建物との調和が取れしっとりとして
いる。

この通り、ボリショイ劇場とTsUMの間の通りで高級ブティックが並んでいる。特
に縁があるわけではないが、歩いていて視野に入ってくる。路上駐車ばかりで閉
口するがソ連時代は駐車場なんていう概念はなかったのだろうなと物見遊山で歩
いていたら、左にアエロフロートのサインが見えた。

■ペトロフカ通り20番地のアエロフロート・ロシア航空事務所

都心のアエロフロート事務所は、ネットで検索したらペトロフカ通り20番地にあ
ることがわかった。ここが最も行きやすいが、地下鉄駅に近いわけでもない。も
っと便利な場所にないものかと検索したが良くわからず仕舞いだった。散歩がて
ら出かけることにしたのだ。

事務所での対応は非常に丁寧だった。番号札を取って順番を待つシステムだが、
誰もいないので直ぐに順番が回ってきた。期待せず、カウンターの中年女性に英
語は話すかと挨拶代わりに一応聞いてみたが返答は期待通り「ニェット」だった。
しかし、以心伝心、何をしたいかは直ぐに理解してくれるところがロシア人らし
い。

席が予約できるかどうか、それを確認するためにわざわざ出向いた(半分以上散
歩気分ではあったが)のであるが筆者が買った安チケットでは出来ないという回
答だった。それよりもこの界隈の散策の続きをすることばかり考えていた。オフ
ィスが快適だったので、椅子に腰かけ次のルートを練った。

Aeroflot Ticketing Office
Petrovka Str., 20/1

■今でもTsUM
ペトロフスカ通りをさらに進みむと左側、ボリショイ劇場の手前、にTsUMがある、
小奇麗なビルだ。このTsUM、日本語にすれば中央共通デパートとでも訳すのだろ
うか、要するにソ連時代のデパートと言えばTsUMであった。

TsUM - Central Universal Department Store
Russian:
ЦУМ-Центральный Универсальный Магазин,

ソ連時代とソ連崩壊後で異なる点は、国産品が限りなく少ないということだろう
か、しかも、世界のブランド品ばかり販売している印象だ。そして、ソ連時代に
は庶民でも縁があったデパートが、ロシアになりTsUMは敷居が格段に高くなった
と言えよう。エントランスにはヨーロッパの高級自動車マセラッティが展示され
いた。

TsUM

■大改修が終了したボリショイ劇場
アエロフロート・ロシアし航空の事務所を出てペトロフスカ通りをそのままテア
トル広場方面へ向かえばボリショイ劇場の横に出る。

ボリショイとは大きいという意味なので、大劇場という名の劇場であるが、旧ソ
連ではどこでもそう呼んでいたと聞いたことがある。メトロポールホテルの前に
鎮座し、正面右側がペトロフスカ通り、その右側にTsUMがある。

正式には国立アカデミー・ボリショイ劇場という、ロシアを代表するバレエ、オ
ペラ劇場であり、ボリショイバレエはこの劇場を本拠地としている。1825年、帝
政ロシア時代に落成し、ソ連時代を通してロシア芸術の中心的存在であったが、
老朽化のため2005年に閉館、20111028日、6年の歳月と200億ルーブル超を投
入した大改修が完了した。

真新しさを感じるファサード、破風が太陽神アポロンの四頭立て馬車の彫刻に換
えられている。


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■■後記

モスク滞在後半の紹介でしたが、4月は引っ越しとその後の片づけで前回から時
間が空いてしまいました、悪しからず。

それから冬のモスクワは今回でお仕舞いにする予定でしたが、記憶をたどってい
るうちに項目が増えてしまったので、次号も冬のモスクワとする予定です。

さて。都市を把握するにはとにかく歩くことが重要です。それは人間のスケール
で記憶できるから、車で通り過ぎるとほとんどのことがインプットされない。そ
ういう心情から特に都心部では歩きまわることにしている。欲を言うならばテー
マを持った上で歩きまわりたい。

最近、街歩きのような紀行文となってきた。

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2012年3月31日土曜日

【世界の街角からMM】第137号 冬のモスクワ(1) 2012年3月31日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第137 2012331
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冬のモスクワです。今年は、世界的に冬が長いようです。

無理やり時間を取り10日間ほどエレバンとモスクワに行ってきた。

▼目次
■深夜にシェレメツェボ空港に着いた時のタクシーの乗り方
■馴染みのホテル、Maxma Zarya
■ガガーリンとレーニンスキープロスペクト、そして日本料理レストラン青空
■ミニUSBケーブルとヨーロッパショッピングセンターで調達
MTS(ロシア)のUSBモデム用プリペイドSIMの更新
MTS internetSIMPocket WiFiルータで使ってみる
■■後記
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■深夜にシェレメツェボ空港に着いた時のタクシーの乗り方

24時間空港なので空港の機能は問題ないが、深夜の市内へのアクセスはタクシー
のみ、しかもそのタクシーが捕まえにくいのだ。

アエロエクスプレスが便利だが終電の午前15分にも今回は間に合わなかった、
始発は午前5時だ。

なぜこのような時間に着くフライトになったことは既述だが、オンライン予約を
した時にミスしたことによる

エレバンで予約変更をしようと空席を確認したが、ノーマルかビジネスしか空い
ていなかったのだ、よって当初の予約通り変更なしとした。変更手数料も高い、
日本発のチケットだと出発後に変更が可能となり、15000円の変更チャージがか
かる。これはどこで変更しても15000円相当チャージされる。

安チケットなので仕方がない、急ぐ出張でもないのでその条件に甘んじた。タク
シー代の支出だけが余計になるだけだ。

モスクワ市内へのアクセスは、アエロエクスプレスが最も効率的だ、RUB32035
分でベラルーシ駅まで行ける。タクシーだとRUB1500以上となる。

▼深夜のシェレメツェボ空港からタクシーに乗車
通常の国際空港と同じ、タクシーカウンターはあるがほとんど機能していないよ
うに見受けられた。理由はわからないが、タクシーの数が深夜は非常に少ない。
タクシー乗り場には長蛇の列、タクシーは10-15分に1台程度しか来ていない様子
だ。

出口付近にはタクシー運転手(白タクだったり正規だったり)が待ち構えている
が深夜だとその数も少ない、挨拶代わりに声を掛けてきたのは一人だけだった。

状況がわからないのでタクシーカウンターへ行き、問い合わせると少し待てとい
うだけ、なかなか動きが見えない。後から来る客にも同じように説明している。

30分は待っていない、暫くして「どこまで行くのか」とスタッフが聞いてきた。
Maxma Hotel Zayra」というと、

「わかった、荷物は?」といって私のカートとともに歩き出した。

どこまで行くのかわからないが、まあ車までだろう、付いていくと駐車場棟の中、
そして、ホンダのCR-Vに荷物を載せた。

要するに、自分の車で送ってあげよう、でもタクシー料金はいただくよと。体の
良い白タクなのだ。市内まで通常で1500ルーブル(タクシーカウンターの壁に貼
ってある)、深夜なので売り手市場、1800ルーブルだという。それを1600まで下
げて交渉成立。これがモスクワ流なのだろう。

▼極寒の深夜、モスクワを突っ走る

車を確保、これでホテルまでは行けることになった。もっと若かったら一番列車
の午前5時まで待つだろうがそれほど元気が無い。

2月のモスクワ、当然寒い。一面雪景色、深夜とてその程度はわかる。出発前に
マイナス30度になったモスクワ、もう2月も終わりなので寒さも和らいでいると
思いたい。

道路は気温が下がればアイスバーンになりそうだが凍結防止剤を撒いていること
や交通量が適度にあるので凍ってはいない。シェレメツェボ空港からの白タクCR
-Vは夜間なのにMKD120 -130km/hで突っ走った。

見覚えのある道路を走っているような気がするが、MKDから放射状道路へ入った
頃にはわからなくなってしまった。20数年前、夜間にラダで走ったときのようだ、
視界に入ってくる巨大なアパートメントブロックは多分当時と変わらないだろう。

放射状道路から線路沿いの路を右に左にしばらく走った。もうすぐなのだろうと
思ったら、見かけた風景が目の前に現れた、想像していた逆の方向からアクセス
したようだ。ホテルので目の前まできてそのことがわかった。

このタクシーカウンターのスタッフ、降り際に「子供はいるのか?」尋ねたら、
2歳の娘がいると携帯電話から写真を見せてくれた。奥さんは、タタール人だと
いう、「オーチンハラショー」といたら、笑顔を返してくれた。レセプションま
で荷物を運んでくれ、ここで支払いし「ダスビダーニャ!」、気さくなタクシー
カウンターのスタッフだった。

■馴染みのホテル、Maxma Zarya

馴染みと言うほどこのホテルに泊っているわけではない。馴染みと言うよりは親
近感を感じる、と言った方が適切かもしれない。モスクワにしてはリーズナブル
だからね。

午前2時ごろにチェックインした。レセプションでパスポートを出し、宿泊者名
簿にサインして鍵を受け取った。パスポートはレジストラーツァ(滞在登録)の
ため預けると思ったが、コピーを取ったあと直ぐに戻ってきた。

部屋番号は248だった。2階じゃ楽だな、部屋がエレベータに近ければ尚更と
考えながら荷物を持って廊下を歩くが、どうやら続きの別棟、さらに廊下を歩い
て行くと突き当りまで来てしまった。角部屋だが、エレベータより一番遠い部屋
だった。この距離さえなければ2階は便利だ。レストランも2階だし、しかし、
対極に位置する。

Maxma Zarya

▼雪景色を見ながらの朝食

このホテル、比較的ゆっくりと朝食が取れるので気に入っている。以前、コスモ
スホテルに泊まった時は、驚くほど多くの人が朝食を同時に取っていた、さなが
ら大学寮のような大量生産、大量消費の勢いだったからだ。これは2010年の
ことだ。しかし、ソ連時代は全くことなる、高級ホテルだったのでゆっくりと食
事が取れた。

レストランはそれほど大きくないが、機能的に出来ている。ブッフェスタイルで
開いているテーブルに座って、好きな料理を食べる。コーヒーの味も良い。ヨー
ロッパのコンチネンタルブレックファストレベルだ。

コーヒー、シリアル、野菜と卵、トーストと蜂蜜、プレーンヨーグルト等を皿に
盛ってテーブルに着いた。テーブルは表の道路を眺められる窓側に座った。

朝食は10時までだが、10時半ごろまではコーヒーを飲みながらゆっくりでき
た。客はロシア人が多いが、ロシア語以外のヨーロッパ言語も聞こえてくる。

さて、今日はどうしようかと雪景色を見ながら考えた。

▼重い腰を上げ雪の中を外出

この寒さ、以前よりも和らいでいるとはいえ、ホテルから外へ出るには思い切り
が必要だ。出歩くプランを立てているのだが、どうも企画倒れになりがちだ。マ
トリョーシカをベルニサージに探しに行く予定が滞っているが、これは趣味の世
界なので今出かける必要はない。

などど、思いを巡らせながら、とにかく地下鉄駅で回数券を買おう、とレセプシ
ョンで回数券のロシア語訳を紙に書いてもらった。「20回の回数券」のロシア
語だ。

昨晩は空港からタクシーでホテルへ来たので駅までの道は歩いていない。雪が積
もり、車が走り、道路はドロドロ、構わず車が走り抜けていく。

以前も駅までの道を歩いた事がある、歩きながら何か変化はあるのかと周囲を見
ながら歩くがこれと言って変化はない。幹線道路の脇にリガシネマがある。そこ
が以前の用途は不明だが、レストランになっていたことだろうか、その前がバス
亭なので大型の連結バスやトロリーバスが停車する。交通量はかなり多い。

その道を横断し、アパートの中を抜けると「Vladykino」という9号線の地下鉄
駅がある。この辺り、もう郊外住宅地だ。駅の反対側は植物園だ。

モスクワ地下鉄(英語版)

▼モスクワ地下鉄の料金
1回券が28ルーブル、
10回券265ルーブル
20回券520ルーブル

回数券はやや厚め紙製カード、磁器が埋め込んであり非接触カード機能となる。
改札でこのカードを検知器の上にかざせば残りの回数が表示される。モスクワ地
下鉄の窓口は駅によるが混雑していることが多いの回数券は非常に便利だ。

モスクワの地下鉄ネットワーク

■ガガーリンとレーニンスキープロスペクト、そして、日本料理レストラン青空

9号線のVLADYKINOから環状線(5号線)に接続するMENDELEEVSKAYA駅で下車しNOV
OSLOBODSKAYA駅まで構内を歩く。そして、OKTYABRSKAYA駅で6号線に乗り換えL
ENINSKY PROSPEKT駅で下車した。

Sputonik Hotelにある日本料理レストラン、料理長はIchiroさん、正真正銘の日
本人シェフ、よってしっかりとした日本料理を出す。

この店、数年前に商社筋から紹介してもらった。所要がありレーニンスキープロ
スペクト駅から雪の中を歩いて青空まで行った。角にガガーリン像を乗せた背の
高いオブジェが立っている。

青空ではIchiroさんと少しお話をして、味噌ラーメンとライスという超庶民的な
メニューを注文、直ぐに帰国するので特に日本食に拘っているわけでもなかった
が雪景色だろうな、味噌ラーメンが食べたくなったのは。

現在、ロシアでは日本から牛肉は輸入できない。何年か前に流行した口蹄疫の影
響のようだ。青空では米国産のを使っているようだ。良質の食材の仕入れは苦労
しているようだ。

「青空」Aozzora
38, Leninsky Prospekt, Moscow, 119334, Russia
Tel.+7-495-930-5830

▼偶蹄類動物の肉等の輸出停止

ウクライナ
平成22421
輸入禁止対象:口蹄疫ウイルス感受性動物とそれらの動物に由来する製品

ベラルーシ
平成22515
輸入禁止対象:口蹄疫感受性動物及びこれらの動物に由来する動物性飼料、その
他生原料を含む、全ての畜産物

ロシア
平成22514
輸入禁止対象:口蹄疫を持ち込む恐れのある動物およびそれら動物に由来するす
べての製品(動物性飼料等)

▼レーニンスキープロスペクト駅前の商店

夕食前の中途半端な時間帯なので、客は少なかった。窓の外は変わらず雪景色。
2月末なので日が長くなっている。暗闇になる前に駅まで行こうとアイスバーン
の道を戻った。

レーニンスキープロスペクトはいったい何車線あるのだろうか、6車線+2車線=
8車線か?

ソ連時代を彷彿とさせる道路、よって反対側は別世界となる。横断するのも容易
ではない。ここは、ガガーリン像の下に地下道がある。自転車とソリでも横断で
きるように階段の横に鉄製の板が乗せてあった。

通り沿いに高級スーパーマーケットや高級テーブルウエア店が新たにオープンし
ていた。他方、駅の周りには庶民的な商店が犇めき合っている。カフェから衣料
品、ハードウエアまでなんでも揃ってしまいそうだ。

Azbuka Vkusa (ABCs of Taste)

駅舎の上にある気温計は0度を示している、18時くらいだっただろうか。風がほ
とんどないのでそれほど寒く感じなかった。

■忘れてきたミニUSBケーブルをヨーロッパショッピングセンターで調達

環状線で乗り換え、キエフ駅で下車し、忘れてきたUSBケーブルを買いにヨーロ
ッパショッピングセンターへ行った。

数年前に来た時も同じようにミニUSBケーブル(カメラ用)を忘れてきたのでこ
こで買ったのだ。同じ店は既になく、似たようなショップで聞くと地階にあると
いう。

これだけの数のショップがあるのだからあって当然と日本人は考えがちだが、こ
れがモスクワで通用するかどうかはわからない。このショッピングセンターは本
当に巨大なのだ、だけどそのショップのほとんどが衣料品で占められている。

幸いその地階の小さなショップにミニUSBケーブル(カメラ用)がみつかった、
目出度し目出度し。これでカメラからデータが取り出せる。

Evropeisky Shopping Centre

MTS(ロシア)のUSBモデム用プリペイドSIMの更新

先日、エレバンへ行くときシェレメツェボ空港でのトランジット時間を利用して
データ通信用のSIMを更新した。

2010年に購入したMTS-RUUSBモデム+プリペイドSIM、リチャージをしていない
ので使えるかどうか、いつものシェレメツェボ空港アエロエクスプレス駅入り口
前のショップで確認したら、既にSIMは失効していた、よって新たにSIMだけ購入
することにした。

USBモデム自体はあるので、SIMと通信料前払い分のセットとなる。そのお値段は
400ルーブル、うち50ルーブルがSIMだという。600ルーブルのプリペイドを追加
し、1000ルーブルを支払った。

このショップ、いつもは何とか英語が通じるのだが、この時は全く通じない女性
だったので、確認のため、時間帯もまだ電話をかけてもよさそうだったので、知
人に電話して確認した。ちなみにこのショップの営業時間は9:00-22:0
0と長く、重宝している。

モデムをPCUSBに差し込むと自動的に接続プログラムがインストールされるが、
どうも言語設定がロシア語しかなく選択の余地なし、そのままインストールした
ら文字化けしてしまった。言語設定が見当たらないが、接続できそうなロシア語
のアイコンをクリックしたら繋がった。

文字化け以外は、結構快適に繋がる。

通信料金は、1MB当たり1.5ルーブルと説明していた記憶だ。

MTS internetSIMPocket WiFiルータで使ってみる

このSIMをイー・モバイルのPocket WiFi GP02ルータに差して設定をMTS用に変更
したら繋がった。日本ではプリペイド方式のEMチャージにはルータの製造番号の
関係で登録できず仕舞いだったのだ。

Pocket WiFi GP02

EMチャージ

アルメニアでもこのルータは使えたので海外では問題ないようだ。中国のHuawei
社製、電話の世界ではこの会社がNECの交換機に取って代わっているようだ。
元々NECとの合弁会社から出発しているのに。それにしてもイー・モバイルは素
直じゃない。

■■後記
今回のモスクワ滞在は3月4日の露大統領選挙前であったが至って平然、地下鉄
駅の前のプラカードを持った人はいたものの、普段通りであった。

今回はあれこれと試験的なことをしてみた。まあ、外は雪景色なのでホテルの一
室で机に向っていると外に出なくなってしまう。モスクワにいるのにだ。部屋の
中が快適なこともその理由ではある。

次号ではモスク滞在後半を紹介したい。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第137 2012331
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2012年3月11日日曜日

【世界の街角からMM】第135号 エレバンへの道中 2012年3月11日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第135 2012311
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東北大震災から1年、犠牲者を追悼するともに今後の復興が進展するよう祈念い
たします。

さて、無理やり時間を取り10日間ほどエレバンとモスクワに行ってきました。こ
れまでは滞在先からのレポートがほとんどでしたが、今回は帰国後の日本からで
す。

先ずはエレバンまでの道中です。

▼目次
■アエロフロート日本就航45周年プロモーション
■ミスったアエロフロートのオンライン予約
■成田発モスクワ行きのアエロフロート便
■モスクワ・シェレメツェボ空港トランジット
■早朝到着したエレバン
■■後記
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■アエロフロート日本就航45周年プロモーション
「モスクワ往復35000円」こんなDMが届いていたのでアエロフロート日本支社に
確認したら、旅行期間、席数限定で私が問い合わせした時には少ないです、しか
も、228日までに旅行を終わる必要があります、というのでこれは除外した。
もともとそのつもりはなかったので特段問題はない。

今回は、目的地がエレバンとモスクワなので全旅程をアエロフロートが使えるこ
とから最も安いであろうとの思い込みからアエロフロートでの航空運賃をオンラ
インで確認した。HISにも問い合わせたがオンライン購入より2万円ほど高かった
ので、当初のとおりオンライン予約購入とした。

▼航空運賃(アエロフロート・ロシア航空)
フライトルート=成田-モスクワ(SVO)-エレバン
Fare =  USD 884.00(Equivalent Amount Paid) (JPY 67,700)
INSURANCE/FUEL CHARGES = USD 496.40
BOOKING SYSTEMS SERVICE FEE = USD 19.60
COMBINED TAXES = USD 87.80
Total Fare = USD 1487.80

■ミスったアエロフロートのオンライン予約
予約が完了してから、エレバンからモスクワへの便が意図していたフライトより
遅い便になっている事に気が付いた。エレバン21時発、シェレメツェボ010
着、アエロエクスプレスの最終便は030分、間に合わない。よってタクシーと
なる。これがややこしいので避けたかったのだ。

直ぐにアエロフロート東京支社へ問い合わせると、購入した航空券の予約変更は、
出発以降でないと受付できない、また、変更手数料は15000円だという説明。仕
方がないので、現地から変更することにして出発した。

このフライトの変更は、アエロフロートのエレバン支社で確認したが満席で取れ
ないという、翌日も同じ状況、しかも予約したクラスは用意できないとの回答。
ビジネスクラスなら空いていたようだが、タクシー代50ドル相当だし、特に翌朝
決まった予定があるわけでもないので、予約は変更せずにした。

▼アエロフロートの予約変更
航空券のクラスによって変更手数料が異なる。日本初のフライトの場合、変更手
数料が15000円と規定されている、何時時点のレートかわからないが100ユーロを
換算したのだろうか。その他の国ではユーロか米ドルベースとなり、現時点では
為替の関係で安くなる。

■成田発モスクワ行きのアエロフロート便

▼日本から初搭乗したアエロフロート
これまで、アエロフロートで日本に帰国したことが一度あったが、日本からアエ
ロフロートで出国したことはなく、今回のフライトが初めてとなった。前回の帰
国便はソ連時代なので、やや

ではどこでアエロフロートに乗っていたかと言えば、旧ソ連圏内、中央アジアや
コーカサスを行き来するのにモスクワを経由して乗り継いでいたのだ。

▼成田空港第一ターミナル北ウイングがスカイチームのターミナル
全日空やルフトハンザ航空等のスターアライアンス加盟航空会社は、第一ターミ
ナル南ウイングを利用しているが、アエロフロートをはじめとするスカイチーム
は第一ターミナル北ウイングを使っている。

▼成田発モスクワ/パリ行きSU576便
SU576便は、成田空港を135分に発ち、モスクワ・シェレメツェボ空港に1825
分に到着するフライトである。成田空港の出発掲示板には「モスクワ/パリ」と
あるのでモスクワ経由パリ行きのフライトということなだろう。使用機材はA320
-300、かなり大きく席数は302席とB747クラスだ。それがほぼ満席、しかも2月下
旬だと言うのに。

席の予約がオンラインで出来ると思っていたが出来なかったので早めに成田空港
へ行きチェックイン、窓側の席を確保した。成田からモスクワは日中のフライト、
窓から眺めは筆者にとっては重要なのだ。

アエロフロート・ロシア航空は、ヨーロッパ系航空会社の日本便のように日本人
客室乗務員は搭乗していないが、日本語を話すロシア人乗務員が乗務している。
客室乗務員程度の会話ならロシアで十分に賄えるということなのだろう、ソ連時
代からこの点は変わっていない。

フライトルートは成田空港を離陸後、一旦、太平洋上へ出てからUターン、丁度、
九十九里浜上空だ、そして、日本列島を北上し空きた付近で日本海へ、札幌付近
から西方向へ針路を変更し日本海上空を経てロシア・シベリア上空と進む。日中
のフライトなので窓からの景色を楽しんだ。

■モスクワ・シェレメツェボ空港トランジット
▼ロシア入国審査の簡素化
SU576便はほぼ満席だったが入国審査では日本人を見かけなかったのでほとんど
の乗客がトランジットでパリへ向かったか、その他のアエロフロート便に搭乗し
たと思われる。

今年からだろうか、入国審査の手続きが簡素化されたようだ。これまでは入国
カードに記入していたが、それが係員がオンラインでパスポートデータを入力し、
これまでと同じ用紙に印字されるようになった。あとはその用紙にサインだけす
ればよい、半券を返されるのでこれは出国まで持っていなければならない。

窓口の数も多く、手続きは面倒だろうが比較的スムーズに進んでいた。

MTSのリチャージ
トランジットでロシアに入国した目的の一つに、携帯電話のリチャージとデータ
通信用SIMのバランス確認であった。携帯電話SIMはまだ有効であったのでこれは
リチャージすれば済むが、データ通信用は状況が不明なのでSIMの番号を確認し
てもらう必要があった。

アエロエクスプレス駅の手前、スタバの前にMTSのショップがある。案の定、SIM
が無効になっていたので新たに購入することにした。RUB400だという、SIM代金
RUB50で残額は通信料金に充当されるという。早速このSIMUSBモデムに差し
復活させた。

■ダイナースクラブで使える無料ラウンジ-モスクワ・シェレメツェボ空港
年会費を支払っているクレジットカードの一つであるダイナースカード、この
カードを維持している理由に空港でのラウンジ無料利用があるからだ。シェレメ
ツェボ空港でもそのサービスが受けられる。数年前、Fターミナルでそのサービ
スがキャンセルになったことがあったので、どうなったかと今回改めて確認した
ところ、Eターミナルに使えるラウンジがあった。

GALAKTIKA
Eターミナル39番ゲート前

ダイナースクラブカードで使える空港ラウンジーモスクワ、シェレメツェボ空港

■早朝到着したエレバン
エレバン行きSU1864はモスクワを翌日の午前1時15分発、エレバンには4時1
5分に着いた。

ほとんど寝ていて覚えていないが、何か客室乗務員が英語で言ったような記憶、
とにかく眠かった。深夜のモスクワから深夜のエレバンへの移動なので外は暗闇、
自分がどこにいるのかを考える手掛かり探してしまいそうだ。

ボーディングブリッジから出国審査場へ進む。例によってビザを申請窓口で手続
きをしている間にほとんどの入国手続きが終了し列にはもう数人しかいない。テ
キパキと手続きが進み、免税店の中を通過してターンテーブルで荷物を受け取る
ようになっている。

カートは確か500AMD、ちょっと高いかな、利用代金を払ってブースから一台をも
らう。

新ターミナルが全面オープンしたのだろう、出口が前回と異なりやや手前になっ
ていた、こちらが本来の出口なのだろう、荷物のタグを見せて税関を通過、外へ
出る。

▼到着時にも使える免税店
エレバンの空港では到着時にも免税店が利用できる。ここでアルメニアブラン
デーを買って、スーツケースの中に入れて出国する。市内で買うと同じものでも
税金分の約10%が加算されているので重宝している。夏季にはここでポロシャツ
も調達した。

▼空港からのタクシー
扉の手前右側に予約しておいたAirTaxiのカウンターがあったので確認したが、
女性のスタッフは何も聞いていないという。アルメニアではよくあることだ、そ
れでそのまま外へ出たら、後ろから同じタクシー会社の人が追いかけてきた。

タクシーはLADAの新型、後部座席にキャリーオンを乗せたので助手席に座る。深
夜なので車は疎ら、エレバンのラスベガスはいつもの通りネオンが煌々としてい
る、20分程度で馴染みの通りにでた。

AirTaxiというタクシーなのだが、空港から市内中心部までで3200AMD(メータ
制)だったが、市内から空港へは1600AMD(同じくメータ制)と半額、不思議だ
が現実なのだ。

通常タクシーは燃料費の安い天然ガスを使用しているためトランクにそのガスタ
ンクが設置されている、そうなるとスーツケースがトランクには入らないという
こともあり得る、これはタクシーを呼んでから気が付くのが常だ。

■■後記
日本からこのルートでエレバンに行ったのは始めだったが比較的スムーズな移動
だった、モスクワでのトランジットで所要もこなせたし、ちょっと見なおした。

暗闇の中から道路脇に雪が多く残っているのが見えたが路面は凍ってはいない、
しかし、氷点下56度の寒さだった。今年の冬は長い。

6時ごろに部屋に入った。風呂にお湯を張り、身体を温めてから昼ごろまで休む
ことにした。こういたことができるのは素晴らしい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第135 2012311
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2010年12月14日火曜日

【世界の街角からMM】第85号 シェレメツェボ空港の移動他 2010年12月13日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第85号 2010年12月13日
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▼目次
■モスクワ・シェレメツェボ空港のターミナル間移動
■モスクワ日本センター所長、海賊版使用で起訴されていた
■■後記
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■モスクワ・シェレメツェボ空港のターミナル間移動

アエロフロート航空の本拠地、モスクワ・シェレメツェボ空港のターミナルが順
次変更になっていることは以前にもレポートした。

今月はじめに、エレバン-モスクワ・シェレメツェボ-タシケントとアエロフロー
ト航空で移動したので最近の状況を紹介します。。

アエロフロート航空のホームページによると、増設したD及びEターミナルへ順次
行き先ごとに変更し、Fターミナルを改装する予定とのこと、しかし、ホームペー
ジに掲載されているスケジュール通りではなく遅れているようだ。

今回のエレバンーモスクワはDターミナル発着、タシケント便はFターミナル発着
だった。一緒に歩いていた人にキエフ便もFターミナルだった。よって、DからFへ
移動しなければならないが、まだ、Dターミナルの案内サインが充実していない。

Fターミナルへの説明とFターミナルへのサインがないのでトランスファーカウン
ターに列が出来てしまっていた。そして、担当者は一人しかいなかった。

これは何かおかしいと横にあるパスポートコントロールの窓口で問い合わせると、
搭乗券を確認され、先へ進めとのこと。そして、セキュリティチェック、先へ進
むとFターミナルはこちらとサインがあった。下を見たら床にFターミナルへの矢
印があったのでそのまま先へ進む。Eターミナルを経由して馴染みのF ターミナル
へ難なく到着した。

ちなみにアエロフロートの日本発着はDターミナルとなっている。国内線もDター
ミナルから発着している。日本からだとD-Dとなり、都合が良い。もう少し丁寧な
サインがあれば何事もなくターミナル間を移動できるのにな。でも、少しづつ改
善している様子だ。

シェレメツェボ空港ターミナルインフォメーション
http://www.aeroflot.ru/cms/en/before_and_after_fly/terminal_info

Dターミナル
http://www.aeroflot.ru/cms/en/before_and_after_fly/terminal-d

トランジット向け案内
http://www.aeroflot.ru/cms/en/before_and_after_fly/transit

■モスクワ日本センター所長、海賊版使用で起訴されていた

2010年1月のことだが、モスクワ日本センター所長がパソコンソフトの海賊版を使
用して起訴されていた。海賊版がかなりあふれているロシアにあって著作権云々
で家宅捜査は露政府の意図的な検挙としか考えられないが、その背景はなんだろ
うか?北方領土返還講義でもしていたのだろうか。

日本センターはロシア国内に7箇所、6都市に設置されている。日露両方政府より
関係者が叙勲していることから個人的なことも考えられるが狙いが定まりすぎて
いる。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100122/erp1001222058008-n1.htm

嫌がらせとの見方、日本センターを閉鎖に追い込むための布石とも。
http://www.fsight.jp/article/5466

日本センターは1992年のG7で合意されロシアの市場経済促進を目的に設立、これ
まで3500名のロシア人を日本へ招いている。ロシアの日本センターは外務省が所
轄している。

モスクワ日本センター
http://www.jcenter.msu.ru/?lang=jp

外務省日本センター事業
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/shien/j_center.html

■■後記
モスクワはー6度、なんとタシケントがー12度だった。寒かったね。久しぶりに復
活した韓国料理レストランで、この寒さもあるのだろう、かなり美味しくいただ
いた。

モスクワでちょっとした失敗もした。MTCのリチャージをしたのだが、番号が間違
っていた、それで、クレームレターを送ったところ、いつ変更してくれるだろう
か、そろそろ確認してみよう。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第85号 2010年12月13日
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2010年8月8日日曜日

「世界の街角からMM」第60号ロシアの携帯電話、モスクワ英語本屋、アエロフロートでオンライン購入 (10) 2010年8月4日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第60号 2010年8月4日
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2月初旬より、南コーカサスの小国、アルメニアの首都エレバンに滞在している。
モスクワへ立ち寄ったときのメモ、今回はモスクワ・レポート10です。
▼目次
■ロシアの携帯電話、MTS試し買い
■モスクワの本屋で英語本を買う
■アエロフロート・ロシア航空でのオンライン購入
■■後記
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■ロシアの携帯電話、MTS試し買い
アルメニアで使っている携帯電話は、VivaCell-MTS、ロシアのMTSが資本参加して
いる。MTSはMobile TeleSystemsの略、ロシアでは最大の携帯電話会社であり、こ
の地域でも最大だろう、加入者数91.33百万(2008年7月31日)、9133万?ロシア
の人口は141,927,297人(2010年推計値)(2002年センサスでは145,166,731人)な
ので63%が加入していることになる。でもこれはレトリックだろう、他にも
Beelineもあるし、携帯電話加入の統計はSIMを販売した数の累積だろうか、何れ
にしても巨大な携帯電話会社だ。

アルメニアではこの会社がVivaCellに資本参加してVivaCell-MTSとして携帯電話
事業を運営している。MTS前述のとおり、アルメニアの他、ウクライナ、ベラルー
シ、ウズベキスタン、トルクメニスタンでも運営している。

一時、日本でも携帯電話ネットワークを利用したインターネット接続を試したこ
とがあるが、このサービスをけっこう売り込んでいる。USBフラッシュメモリーの
ようなUSB接続モデム(SIMが入っている)をPCに差して使う仕様だ。日本では既
にWLANが発達してしまったので最近では見かけないが、まだ既存のネットワーク
が発達していない地域ではこれがかなり有効なのだ。

シェレメツェボ空港のアエロエクスプレス駅手前の通路に面してショップが並ん
でいる。その中にMTSがあり、SIMとUSBモデムを調達した。購入には身分証明書と
ロシアの住所が必要だ。ロシアの携帯を何に使うかって?さあ、これから考える
よ。

MTS
http://www.mtsgsm.com/

VivaCell-MTS
http://www.vivacell.am/

■モスクワの本屋で英語本を買う
英語の本と、露英・英露辞書をモスクワで探したことがある。Tsverskaya通りを
歩いていてる時に見つけた本屋、モスクワ・ブックス(ベラルーシ駅に向かって
右側、市庁舎の向かえあたり)の店には英語書籍コーナー、文房具コーナー、地
下には古本、骨董品コーナーがある。英語書籍コーナーには芸術系書籍、旅行ガ
イド(Lonely Planet等)、辞書、ペーパーブック、地図など、市内には他にも店
もある。

ここで買ったモスクワ関連本です。
* Moscow: A Guide to Soviet and Post-Soviet Architecture (Architectural
 Travel Guides)
建築本、ソヴィエト時代及びポスト・ソヴィエト時代の建築案内書。コンパクト
なサイズなので携行するもよし、デスクの片隅に置くのもよし。1999年に発行さ
れているので2009年現在ではやや古くなってしまったがソヴィエト時代及びソヴ
ィエト崩壊後の建築の説明、また、建築本に掲載するに値するモスクワ地下鉄駅
についても説明がありモスクワ建築案内の位置づけになるのだろう。

* Wallpaper City Guide: Moscow (Wallpaper City Guides)
2008年発行、建築、ホテル、アーバンライフ、ショッピングなどモダーン・モス
クワ案内本である。発行してから1年程度なので実感が伝わる内容だ。

MOSCOW BOOKS
http://www.moscowbooks.ru/

■アエロフロート・ロシア航空でのオンライン購入
アルメニアにはARMAVIAという航空会社あるが、この地域ではネットワークが充実
しているアエロフロート・ロシア航空をよく利用する。ヨーロッパへではなく旧
ソ連圏という意味でだ。

アエロフロートのウェブから容易に購入でき、最初は楽チンだと思っていたが何
回か使っているうちにウェブの設計が甘いことがわかってきた。先日は決済が出
来なく(決済ページへ何度やっても進まない)、キャンセルも出来ない状態にな
り、3回分も同じ予約が残ってしまった。サーバが重く日本支社のウェブもダウ
ンしていた。

それで先ずモスクワの連絡先へ電話するが、ここはなかなか繋がらない。丁度日
本にいたので日本支社に連絡するが週末ゆえお休み、自動で成田のデスクの案内
が流れたので(早すぎて聞き取れなかったので再度掛けなおした)、電話してみ
るが、そこには端末はなく、週明け日本支社へ連絡してくれとの回答。

週明け、日本支社へ連絡して、クレジットカード番号を伝えて決済してもらった。
それは直ぐに対応していただいたので処理できたのだ、しかし、電話での予約は2
5EURの手数料が必要とのこと、ちょっと理不尽じゃないの、と言いたかったが規
則だろうからウェブの障害だといっても始まらないのでこれは諦めた。ロシアは
サーバをいじっていても特に伝えないのでこのようなことが起こるのだろう、こ
とが進めば幸いと考えたほうがこの場合は懸命だ。

アエロフロートはスカイチームのメンバー、わざわざアエロフロートのマイレー
ジにも入ったけど、やっぱりエールフランスにしておけばよかったかもしれない
と若干の後悔をし始めた。これまでは4往復搭乗しているが全て問題なかった。な
ぜゆえに5回目で躓くのか。

その後、フライトスケジュールが変更になったが、メールアドレスを登録してい
るものの連絡するサービスはない。たまたま確認のためウェブの予約済みを開い
たらそのページに説明があった。しかも「ボタンがあるのでクリックして確認し
ろ」とあるがそんなボタンはウェブにはない。何のための電話番号とメールアド
レス登録なのか、と問いたい。SMSなりメールで済む話なのに。

Aeroflot
http://wwww.aeroflot.ru/templates/index_en/?q=en

アエロフロート日本支社
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-11-15
電話:03-3434-9681 Fax:03-3434-9669
http://japan.aeroflot.aero/ ダウン中(本日付)

■■後記
最初は問題なしと思っていても何度目かに現実が見えてくる場合がある。先入観
も影響するが、今回は、アエロフロートだ。モスクワ便の場合、S7が飛んでいる
のでこちらも考えよう。ちなみにS7はワンワールド加盟だ。
http://www.oneworld.com/ow/news/details?objectID=18020
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メールマガジン「世界の街角からMM」第60号 2010年8月4日
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2010年7月24日土曜日

「世界の街角からMM」第58号ロシアのトルコ外交、モスクワのユニクロ、シェレメツェボからタクシー 2010年6月28日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第58号 2010年6月28日
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アルメニアからモスクワ・レポート8です。
▼目次
■ロシアの外交、トルコとの接近
■モスクワのユニクロ
■シェレメツェボ空港からタクシーでモスクワ市内へ
■■後記
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■ロシアの外交、トルコとの接近
ロシアの経済外交は非常に積極的に移る。具体的な例では先月のトルコ訪問だ。
5月12日、メドベージェフ・ロシア大統領はトルコを訪問、ギュル大統領ならびに
エルドアン首相と会談、トルコ初の原発建設に関する協力や、同国縦断送油管へ
の原油供給、観光ビザの撤廃、農業協力、鉄道と海路を組み合わせた国際輸送な
ど。首脳会談を年1回開催することも取り決めた。

原発はトルコで初となりアトムストロイエクスポルトやトルコ企業のJVが受注、
ロシア側が株の過半を握り、建設のみならず運営を行う。建設用地は地中海沿岸
のメルシン近郊、4基の原子炉からなり、2016-19年の稼動予定。事業費約1兆90
00億円(200億ドル)、トルコでは今後2-3箇所で原発建設を予定している。
http://en.rian.ru/analysis/20100608/159347024.html

ロシアは更にナゴルノ・カラバフ解決に向けてアリエフ・アゼルバイジャン大統
領とサルキシャン・アルメニア大統領を呼び、メドベージェフ大統領が真ん中に
座って三者会談を開催した。トルコとの関係を緊密にしつつ、イランへの原発売
り込みを目論んでいるのでそのための南コーカサス地域安定化の伏線だろうか。
ロシアは旧ソ連圏は絶対に他の国には渡さないと考えている。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/8372747.stm

■モスクワのユニクロ
4月2日、モスクワにユニクロがオープンしていたので物見遊山でユニクロの店舗
を見に行った。ユニクロ・モスクワ第一号店(1500平米)は、地下鉄環状線クル
スカヤ駅前にあるアトリウム・ショッピングセンター内の2階にああった。正面
から入ればエスカレータを上がりながらショップが見える。クルスカヤ駅から来
ると反対側になる。店舗の場所は非常によい。

休日とはいえ、土曜日か日曜日だったな、その混雑振りにはちょっと戸惑った。
客層は、30代までの女性が圧倒的に多かった印象だ。試着室の長い列は店の奥か
ら出口方向へ半分くらい出来ていた。私などはそれだけで何も買わずに出てきて
しまった。ただし、値段は確認した。

ユニクロの品質、デザインインは問題なし、モスクワじゃ他に同じような価格帯
でユニクロ品質はないのだろうと思うが・・・。ただ、値段設定は1.5倍、日
本で3999円のジーンズが1999ルーブル(6000円相当)だったので、どうだろうか、
H&M、ZARA、GAP、TOPSHOPあたりだろうな、競合するとしたら。モスクワ・ユニ
クロではFrom Tokyo to Moscowを強調していた。オープニングセレモニーでは大
使がテープカットをしたと聞いている。そして、もう一人有名人がいた。ロシア
著名な女性政治家イリーナ袴田さん(日本共産党副委員長、袴田里見弟、袴田陸
奥男の娘)も出席したようだ。

モスクワ店は英国、フランスについでヨーロッパでは3番目のようだ。2002年には
ロンドンにユニクロがあった、確かウィンブルドンだったな。今年からUJなので、
モスクワまで買出しに行くインセンティブができたが、値段設定はインセンティ
ブにはならないという結論に達したので遠目で眺めるだけになりそうだ。

ユニクロ・ロシア
http://www.uniqlo.com/ru/

モスクワでも長蛇の列、ユニクロが開店
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3301

■シェレメツェボ空港からモスクワ市内へ
今回(5月初旬)、初めてタクシーで市内のホテルまで行った。いつもの通り入国
審査は待つこともなくスンナリと終了し、荷物を引き取ってさてどれで市内まで
行こうかと思案した。AeroExpressでとも思ったが打合せの時間が迫っていたこと
と、荷物もあり14時半と午後の中間時間帯だったので渋滞も差ほどでもないだろ
うとタクシーにした。
VDNKhにあるホテルまで1,500ルーブル、AeroExpressの乗り場へ歩き始めて決めた
ので外で客待ちしている登録証をぶら下げたタクシーにした。LADA111というワゴ
ン、走ればいいやという感じ、それでも最初は2,500だったか2,000だったか吹っ
かけてきたが、空港内にあるタクシーカウンターに1,500ルーブルと表示されたの
でそのまま1,500で押し通して交渉成立。

思ったよりシェレメツェボ空港は遠く、レニングラード通りをしばらく走り(IKEA
とかショッピングモールとか以前のモスクワを知る私にどこか他の国では思うほ
どだった)、モスクワ市内に入って外郭環状線を3時の方向へ、途中から放射状道
路へ、Vladkino地下鉄駅の横を通り植物園横を経てVNDKhへのルートだった。植物
園横の通りは渋滞していたが下りほどではなかった。まったく動いていなかった
のでぞっとした。モノレール沿いの通りからホテルまではスムーズ、ホテルの目
の前にフライオーバーが出来ていて以前来たときと印象が異なっていた。

帰りは渋滞のないAeroExpressでシェレメツェボ空港まで行った。ベラルーシ駅か
ら35分、250ルーブル也。

http://svo.aero/en/

■■後記
この地域、春から夏に動くことが多いのだろうか。後半、要ウオッチ。衛星放送
のチャンネルは数百もあるのになぜかFIFAを放映しているチャンネルが見つから
ない。デンマーク戦も観損なった。次のパラグアイ戦は出張移動のため観られな
い。今回は全滅だ。日本チームが次も勝ち進んでくれれば7月11日までその機会は
失わない。もっとも近くのカフェへ出かければどこかのゲームは見られるはずだ。
http://www.fifa.com/worldcup/matches/index.html
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2010年6月25日金曜日

世界の街角からMM 第57号 25年ぶりのコスモスホテル、対独戦勝記念日「赤の広場」ビデオ、シェレメツェボでターミナル変更 2010年6月25日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第57号 2010年6月25日
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5月初旬にエレバンからモスクワへ行った時のメモ、これまでもモスクワについて
はメモしているのでモスクワ・レポート7になります。

▼目次
■25年ぶりのコスモスホテル
■日本便、シェレメツェボ空港の発着ターミナル変更
■対独戦勝記念日「赤の広場」ビデオ
■■後記
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■25年ぶりのコスモスホテル
モスクワの1時方向にVDNKhという全ソヴィエト博覧会場があり、その前にコスモ
スホテルというモスクワオリンピック(1980年)に合わせて建設されホテルがある。

今回の宿は、そのコスモスホテルだ。1985年にソ連時代のモスクワを訪れたとき
に宿泊した。ソ連崩壊後も当時と同じ名称でそのホテルが運営されていることは
ウェブを通して知っていたのでどんな状況なのかと思い興味津々であった。

ホテルはほとんど当時のままなので世界遺産に登録できるのでは思う。それほど
ソ連時代の印象を色濃く残している、ソ連が崩壊して20年近くも経っているのだ。
(ドゥシャンベのタジキスタンホテルもそうだった。)まあ、ロビーに店が増え
て少しごちゃごちゃした印象だ、それに、中華料理の看板は邪魔だな。

ホテルの部屋からの風景、ホテルの前にフライオーバーが出来たこととモノレー
ルが走るようになったのでちょっと視界を遮るが、基本的に当時と変わらない。
VDNKhの門、これは凱旋門のような建物、それから宇宙飛行士博物館なのか記念碑
なのか正式名称を失念したが、天に向かうようなデザインなので記憶に残りやす
い。

VDNKhの奥には15の噴水があり、当時、好意で案内してくれたインツーリストのマ
リナにソヴィエトは15共和国から構成されると教えられた噴水だ。そんな記憶を
辿るような窓からの変わらないモスクワを眺めた。

部屋の内装も家具も当時のまま、色が褪せたりしているが変わらないところがロ
シアなのかと納得。ベッドの横のチェアは当時も今も座り心地はとてもよく、機
能的に変わらない、ただ当時はまだ真新しかったが。各階に鍵を管理する小母さ
んがいたが現在は廃止され、レセプションでもらう、鍵はマニュアルキーから電
子キーになっていた。

ロビーの横にカフェがあり、夜遅くその前を歩いていると一人のロシア娘が話し
かけてきた、それも偉そうにだ。

Do you speak English?

そして次の言葉は
Do you like Russian girls? It is $220!

当時はもう少しセンスのある話しかけ方をしていたと思うが、ホテルの質がそう
なったのだろうか、それになぜ$220という端数なのかよくわからなかった。ソ連
時代は外国人が宿泊できるホテルが限られており、その中のひとつがこのコスモ
スホテルだった。選択肢も多くなく、宿泊者は泊めてもらうという感じでイン
ツーリストのアレンジに従うしかなかった。

今時の予約はオンラインで簡単に出来る。興味のある方は下記サイトどうぞご覧
下さい。

http://www.hotelcosmos.ru/ehome.html

■日本便、シェレメツェボ空港の発着ターミナル変更
2010年3月29日(SU575/576便)より、モスクワ・シェレメツェボ空港における東京線
の利用ターミナルが「ターミナルD」へ変更されています。

というアエロフロートのお知らせがありました。

シェレメツェボ空港、さてターミナルはいくつあるかというと
1.シェレメツェボ1(B)
2.シェレメツェボ2(F)
3.ターミナルC
4.ターミナルD
5.ターミナルE
6.ターミナルA(予定)

ターミナル変更のスケジュールを見るとほとんどのフライトがDへ移転しているの
でターミナルFは改装工事でもするのだろうな。

アエロフロート日本支社のサイトではシェレメツェボは「チェレメチェヴォ」と
表記されていた。どっちが正しいのだろうか・・・。

ターミナルDへ変更されたフライト
http://wwww.aeroflot.ru/templates/before_and_after_fly_en/terminal-d.html

ターミナル変更は以下に説明があります。
http://japan.aeroflot.aero/document.asp?ob_no=1594

Dの位置はこちら。
第一ターミナルは2010年夏以降「ターミナルB」へ名称変更し、ターミナルC及び
ターミナルDの名称はそのまま。2010年上半期にターミナルEが、更にターミナルA
(オープン時期未定)がオープン予定です。
http://japan.aeroflot.aero/document.asp?ob_no=1590

■対独戦勝記念65周年パレード、ビデオ
The Voice of Russia(Video)
http://japanese.ruvr.ru/2010/05/12/7711012.html

■■後記
ちょっとしたノスタルジー的な宿泊体験のコスモスホテル、是非とも余分なサイ
ンを取り払って当時のまま維持してほしいと個人的には考えている。インツーリ
ストの所有だろうと思うが、どうでしょうか?
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メールマガジン「世界の街角からMM」第57号 2010年6月25日
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2010年3月6日土曜日

【世界の街角からMM】第47号モスクワ・レポート(6) 2009年3月6日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第47号 2009年3月6日
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モスクワの名残り惜しさから補足版、モスクワ・レポート6です。
▼目次
■モスクワの名残
■モスクワ国立大学と日本人
■五木寛之と米原真理
■モスクワのメモ
■■編集後記
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■モスクワの名残と再挑戦
後からガイドブックを読み直していると、あーアレがこの意味だったのかと旅行
が終わってから理解することがよくあり、ではもう一度行ってみようかというこ
とになるが、それが実現するのは稀である、まあ、私の場合に限ってであろうが。

モスクワで下記の英語本を買った。内容はそれぞれモスクワの建築とモスクワ案
内だが、コンパクトなサイズなので持ち歩きやすいし、読んでいてなるほどなと
納得する内容が多い。

Moscow: A Guide to Soviet and Post-Soviet Architecture
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1899858598/mixi02-22/

Wallpaper City Guide: Moscow
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0714847488/mixi02-22/

そんなこともあり、今回は再挑戦の準備をしている。とりあえずビザだ。
あれー、Lonely Moscwは置いてきてしまったかな。

■モスクワ国立大学と日本人
この大学出身の日本人の中には名が知れた人がいる。その中の一人が石井紘基だ。
2002年、民主党議員であった石井紘基衆議院議員が自宅駐車場で刺殺されたが、
真相が解明されていないまま現在に至っている。

石井紘基 民主党衆議院議員
http://www014.upp.so-net.ne.jp/ISHIIKOKI/

故・石井こうき事件の真相究明プロジェクト
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/index.htm

社会主義国に強かった創価学会、池田大作氏がこの大学から名誉博士号を授与さ
れている。なぜゆえか時間があったら調べてみたい。

■五木寛之と米原真理
ロシアというとこの二人を直ぐに思い出す。
学生時代に五木寛之の小説を何冊か読んだ。その中に、「青年は荒野をめざす」、
「蒼い馬を見よ」、「モスクワ愚連隊」など、タイトルは今でも記憶しているが
内容はほとんど忘れている。しかし、そのときのインパクトは私の人生に大きく
影響していると後から分析している。ゆえにこんな仕事をしているのだろうか。
複雑だ。

それから難解なロシア語、まともに学習したことが無いので未だに進歩が無いま
まだが、そんあロシア語を通訳できるとは同じ日本人としてどんな人だろうか興
味を持ち、目に止まったのが米原真理さんだ。

彼女は第一級のロシア語通訳であり、エッセイスト、小説家としても活躍された
が、2006年に残念ながら癌のため他界した。9-14歳までの5年間をプラハですごし
ソヴィエト学校に学ぶ。ソ連崩壊後にそのときの親しかった旧友の消息を捜し求
めた「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は傑作である。帰国後、ソヴィエト学校
の口述、論文試験と日本の選択式、○×式回答の違いに驚いた様子は印象的であ
った。

日本政府よ、そんな教育で将来があるのか!

嘘つきアーニャの真っ赤な真実
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048836811/mixi02-22/

■モスクワのメモ
今回のモスクワ紀行は下記のサイトにメモしてあります。ただし、まだ発展途上
です。

モスクワ2009
http://moscow.iio.org.uk/

1985年にシベリア鉄道でソ連を旅行したときのメモです。
赤い時代1985
http://1985.iio.org.uk/

■ペルムでのクラブ火災
昨年の12月初旬の週末、ロシアのPermという都市(ヨーロッパ側ウラル山脈の麓、
人口約100万人)のナイトクラブで火災があり134名が犠牲になった。
まだまだロシアはこのような状況なのだろうかと思わせる出来事であった。

http://www.reuters.com/article/idUSTRE5B34RD20091206

■■編集後記
僅か3日間を6分割してレポートしました。まだまだ曖昧な把握だなーと思うし、
もう少しこの目で見てみたいことがあるし・・・、やはり再挑戦だな、イチロウ
シェフの寿司も食べないとな。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第47号 2010年3月6日
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【世界の街角からMM】第46号 モスクワ・レポート(5) 2010年3月4日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第46号 2010年3月4日
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ちょっと間が開いてしまいましたがモスクワ・レポート5です。
その間に、アルメニアに滞在することになりましたので、モスクワレポートの後
はアルメニアからレポートする予定です。

11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たメモです。
▼目次
■日本人は世界遺産大好き「Novodevichy Convent(世界遺産)」
■モスクワ国立大学と雀が丘
■旨かった!スプートニクホテルの青空(日本料理)
■モスクワの秋葉原Gorbushka Market
■現実へ、シェレメツェボ2再び
■■編集後記
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■日本人は世界遺産大好き「Novodevichy Convent(世界遺産)」
日本人は本当に世界遺産が大好きである。NHKの番組を見ればわかりますね、こん
なに放送しているとは思いもよりませんでした。そして海外旅行を後押ししてい
るんですね。

それで、この季節、閑散としたノヴォデヴィチ女子修道院の前に黒い観光バス、
フロントガラスをよく見ると「クラブツーリズム、ザンクトペテルブルグとモス
クワ8日間の旅」という日本人観光客のツアーでした。

この修道院はあまりにも予備知識が無く、同行者の意向に任せたので私的には連
れて行ってもらったようなもの。もうちょっとガイドブックを読んでいれば、
「地球の歩き方」でも持っていれば少しは予習が出来たかもしれないが、やはり、
私は買えなのですね、このガイドブックを。

少しだけwikiより:
1524年に、モスクワ大公国時代に創建された。モスクワ大公・ヴァシーリー3世の
命によって、建設が開始されたこの修道院は、1514年に、スモレンスクがモスク
ワ大公国に併合されたことを記念して建てられた。修道院は、モスクワ川の湾曲
部における要塞の役割を果たしていた。これは、他の修道院も同じような役割を
持っていた。

チェーホフ、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ショスタコーヴィチ等の著名な作家や音
楽家がこの修道院付属の墓地に眠っている。政治家では、フルフチョフ、エリツ
ィンも然り、ただ、このような説明がガイドブックにあったが、寒かったしそこ
までは足を伸ばす勇気が無く、地下鉄駅前の小奇麗なカフェで温まりました。

NHK世界遺産
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/

■モスクワ国立大学と雀が丘
そのカフェで次のスケジュールを皆で話し合い、当初予定通り、雀が丘のモスク
ワ国立大学を目指したのでした。よりにもよって、この季節でしかもお天気も良
くないのに、また吹きっさらしを目指したのでした。

地下鉄、大学駅で下車、地図を見ると近いが広大な敷地にあるロシア最高峰の総
合大学ゆえ、広い広い、15分は歩いただろうか。駅の周辺には新興住宅が建設中
でした。

1985年にもここへ来たんだよね、そのときは夏、そしてマリーナと一緒だったか
らほとんど考えずに大学本部の近くまでバスで来たのだ。またまた寒い中を本部
ビルまで歩いた。そこに見えているのだが実際にはまだまだって感じだったな。

本部はスターリン様式の威圧的な建築物、周囲に高い建物が無いので余計に象徴
的に写ります。構内への突入を試みたのですがさすがに入管証がないと今時の大
学は入れませんね。

モスクワ国立大学は、正式名称をM. V. Lomonosov Moscow State University、露
語では長いので、略称だけ、「МГУ」、エム・ゲーウーと読みます。縁も所縁
もありません、ただ、マリーナと一緒にモスクワ観光の一つとして訪れただけ。

でも、あの時は静かだったな、緑が初々しく・・・、共産主義時代のよき夏の思
い出だ。そのときも雀が丘からモスクワ市外を一望し、モスクワオリンピックの
競技場が眼下に眺められた。

今回も寒々とした中、精力的に我々は歩き、地下鉄駅から本部ビルへ、更に、展
望台まで歩いたのでした。そこは寒風吹きすさむ、以前と変わりない光景でした
があの夏の時のように長居は出来ませんでした。

http://www.msu.ru/

私の夏の思い出を見たい方はこちらへどうぞ。
http://1985.iio.org.uk/ussr/moscow_marina.htm

■旨かった!スプートニクホテルの青空(日本料理)
展望台は寒く、とっても長いが出来る環境ではなく、ここから更に駅に戻る元気
も無く、タクシーでスプートニクホテルにある日本料理レストランでランチをと
ることにした。初日は大外れだったので今度は外せないのだった。気の利く同行
者が某商社から聞き取っていたのだ。

日本人シェフがいると聞いていたので並以上であるとことは期待していた。ラン
チの時間帯だったので、ビジネスランチを注文、更に、半味噌ラーメンも追加注
文した。もうメニューを見ただけで感動物でした。

どこかの国ではメニューはただの日本食記述であって必ずしもその内容の食事が
出てくるとは限らないのだだった。

久しぶりに食べた本格的な日本料理、旨かったの一言。今度はあぶり寿司を食べ
に来たいと画策している。

シェフはイチロウさんです。後日、このランチのことをmixiに書いたら、イチロ
ウシェフがその日記を見つけてコメントをいただきました。彼によると現在モス
クワの日本人シェフは15人だそうで、500店舗といわれる日本料理レストランはど
うやってるのでしょう。

モスクワでは一押しの日本食料理レストランです。

青空 (Aozora), Sptnik Hotel
http://www.aozzora.com/index.html

英語版へ飛ばないところを見るとまだ準備中だろうか。

■モスクワの秋葉原Gorbushka Market
日本料理を食べて満足感に浸っている間もなく、この日の最後のスケジュールで
ある「モスクワの秋葉原」であるガルブーシュカへ行った。スプートニクホテル
から距離的にはさほど遠くは無いのでこれまたタクシーで行くことにした。

タクシーを拾うのに苦労したが、皆(同行者4名)で一台に乗車して高速道路のよ
うな高架道路をビューンと走って電気製品の巨大な看板が目に付く建物の前で降
りた。丁度、下車したところにカレフールこの先左400mの看板を見つけた。ある
とは聞いていたがここだったのだ。

ガルブーシュカは地下鉄4号線、キエフスカヤ駅から4駅目、バグラチオノフスカ
ヤ駅徒歩5分にある、元家具工場を電化製品専門のショッピングセンターにしたも
の、大家はモスクワ市役所。1階がハードウエア、2階が音楽、ソフトウエアの
売場となる。とにかく巨大だ。ガルブーシュカ「GORBUSHKIN DVOR(ガルブーシュ
カの庭)」というのが正式名称、日経にも「BRICs報告ロシアの秋葉原」として紹
介された。

iphone を買うつもりで行ったが、3G8GB(R.23,000), 3G16GB(R.26,000), 3GS16GB
(R.29,000), 3GS32GB (R.34,000)とかなり高めだったので差し控えた。音楽CDはR.
250から、中身を見たところ海賊版のようだ、それならばちょっと高いなー、東南
アジアと比較するとそうなる。

http://www.gorbushkin.ru/

■帰途、シェレメツェボ2へ
一通り予定していた滞在先をこなし、キエフ駅前のEvropeisky SC.のスーパー
マーケットで買い物をして、来たときと同じルートでベラルーシ駅から
Aeroexpressに乗車、シェレメツェボ空港へ向かった。18時台のAeroexpressは30
分毎ではなく一本抜けているのでしばらく待つことになった。

よって遅めのチェックインを済ませ、搭乗口へ行く。ここのセキュリティで優れ
ものに出会った。全身スキャンなのだ。ロシアのこういうところに惜しげもなく
投資するところはチェチェン問題などテロを抱えている国ゆえと理解すべきなの
だろうか。

その前に手荷物検査で水のボトルが見つかった。女性係官が、有無を言わせず没
収するところはUSSR時代と変わっていない。しかし、彼女たちのミニスカートと
も思えるやや短めの制服も変わっていないのもしっかりと確認した。

21時発SU163便でタシケントへ戻る。ここから現実が待ち受けていた。

■■編集後記
2泊5日(機中2泊)のモスクワ紀行でした。強行軍ゆえ余裕はなく、同行者も多か
ったので時間のロスもあり、しかし、同行者がいないとこんなに歩き回らないの
でではと思うので、同行者がいて正解という結論になる。

私的には1985年ぶりとなるモスクワ、もっと早く行く予定だったが近々の用事を
済ませているうちに20年以上も経過してしまった。

次の実行は今年に狙いを定めている。ビザの準備も万端、エレバンからは近いし
便数も多いのだ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第46号 2010年3月4日
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2010年1月31日日曜日

世界の街角からMM 第45号 モスクワ・レポート4 2010年1月31日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第45号 2010年1月31日
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モスクワ・レポート4です。
11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たメモです。
▼目次
■郷愁のキエフ駅
■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
■■編集後記
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二日目後半、Arbat通りのヨルキ・パルキで遅いランチをとり、通りの端にある
Smolenskayaという地下鉄駅から一駅乗り、Kievskayaまで行った。本来ならキエ
フ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが、寒さと暗さで地下鉄
の利用となった。

■郷愁のキエフ駅
ソ連時代、この駅からドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立った。当時は
インツーリストのお抱えなので自前で行動することはほとんどなく(できなかっ
たのだが)ボルガ(ソ連製の乗用車、ハイヤーの代用だろう、タクシーの場合はL
adaなので)で市内を移動した(個人旅行といえどもインツーリストは外国人に対
してこのようなもてなしだった)。宿泊していたコスモスホテルからここキエフ
駅への移動もそうだった。コスモスホテルは北部に位置し、キエフ駅は南西部、
何れも環状3号内ではあるが、どこをどのように走ってきたのかまったく記憶にな
い。広い道路に少ない交通量、渋滞など考えられる状況にはなかった。

今回は一駅都心のSmolenskaya駅から地下鉄を利用、キエフ駅はコムソモルスカヤ
駅に匹敵するほど芸術的な駅だった。地下鉄駅からロシア鉄道のキエフ駅へ向か
う。モスクワの地下鉄駅とロシア鉄道駅との連絡は一般的によくない、というの
は駅の名称が異なったり、連絡通路がなく、外へ出て少し歩くことが多い。しか
し、ここキエフ駅は地下鉄駅の上がキエフ駅だった。

キエフ駅はシティーエアーターミナルとなっているようで、この駅でフライトの
チェックインができるようになっていた。モスクワを留守している間にここまで
サービスレベルが向上しているとは予想もできなかった。我々がシェレメツェボ
空港から利用したアエロエキスプレスがキエフ駅からVnukovo空港まで35分でサー
ビスしている。恐るべしモスクワ!

キエフ駅を訪れた目的は単なる郷愁のトレースと現在の駅の状況把握であった。1
985年当時、どうやって夜行列車に乗ったのか定かではないが二等寝台車で快適な
列車の旅であり、翌朝にはドニエプル川の鉄橋をゆっくり渡るゴトゴトと言う音
で目覚めた。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
Kievsky Vakzalの目の前にある巨大なショッピングセンター、建設中にヨーロッ
パ最大の床面積のショッピングセンターと言われた近代的なショッピングセン
ターが一ブロック丸ごと占めている。

流行の複合ショッピングセンターで5階までがショップ、高級ブランドもテナント
にあるがそれ以外も多い、地下にスーパーマーケット、シネコン、7階にスケー
トリンク、5-6回は駐車場。フードコートやレストランもある。冬季はこの中で一
日過ごせてしまえそうだ。

小規模でもいいからもう少しバラけているとカスタマーにとっては便利なのだが
どうもロシアは巨大集積型がお好みらしい。それにモータリゼーションをも非常
に意識している。

ショップ、ショップ、ショップ、並ヨーロッパブランドから高級ヨーロッパブラ
ンド、ロシアブランドなど様々なテナントが入居している。はっきり言って西側
ブランドはヨーロッパの値札の1.5倍である。ぶらぶらしていたら見慣れた看板を
発見、HUBERで下着を購入したが、ウィーンの2倍近い値段だ。だれがこんな理不
尽な値段設定を受け入れているのか不思議なのだが、とにかく客の入りは非常に
よい。

4階にあったパソコンショップでD300とPCを接続するUSBケーブルを忘れてきたの
でここで調達した。その横にアップルストア(アップル製品を販売しているだけ
だろうか不明)があったのでiPhoneがあるか聞いてみたが、ここでは販売してい
ないこととガルブーシュカ(モスクワの秋葉原)で購入できるという。

ユニクロが2010年春にモスクワに進出するというニュースを聞いていたのでこの
ショッピングセンターなのではと勝手に想像していたが、地下鉄Kurskaya駅前の
Atriumということを後から知った。

Evropeisky SC.
Kievskaya pl. 2
tel.(+7) 495 921 34 44
Open 10:00 - 22:00, Sat, Sun 10:00 - 23:00
Metro station: Kievskaya

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■モスクワのイタリアン(Evropeisky SC.内)
夕飯に何料理を食べようかと内輪で話しているときに最長老から、イタリアンに
しようとのリクエスト、これには伏線がありランチ時からイタリアンという問い
かけがあったが誰もそれには答えていなかったのだ。

料理が先かレストランが先か、ほとんど地の利がないモスクワ、料理よりも適当
なレストランを探すことが先決なのだ。ショッピングセンターだからあるだろう
と、大船に乗ったつもりで探す。外から見るとなにやらイタリアンとかいうサイ
ンが見える。じゃそこにしようと即決。

2階にあるAcademiaというイタリアンレストランで夕飯を食べることにした。この
ショッピングセンターを出てどこへ行くのか、あてもなく時間だけが過ぎていく
ような気がしたので適切な選択だったと思う。

日本人がイタリアンというと=パスタとなってしまうが、メインはメインで美味
しい料理もあるのだが、ご他聞に洩れず、パスタを注文することになった。ピザ
とスパゲッティ。もっとも簡単な前菜だがイタリアンファーストフードともいえ
るだろうか、麺文化の我々にはメインにもなる便利な料理だ。

普通のピザとパスタであったが、これらもまともに出すレストランの少ない国の
首都から来た我々は何度も何度も感動したものである。値段は東京並み、東京よ
りコストパフォーマンスは低いが、まあ昨晩と比べれば格段の満足度であったこ
とは言うまでもない。私はビールの味がわからないしあまり好んで飲まないが、
旨いビールだったようだ。ロシアビールといえばバルチカしか知らないが。

http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/

■シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
この周辺は危険地帯なので夜遅くなってからは行かないほうがよいとモスクワに
住んでいた商社マンに忠告された地区であるが、ここを訪れずモスクワを離れる
ことは己が許さないであろう、夕飯の後、ベラルーシ駅での荷物預かりを確認し
てからヤロスラブリ駅へ地下鉄で向かった。

ソ連時代からこの付近(ヤロスラブリ駅とレニングラード駅が隣接している)、
レニングラード駅の横は娼婦街といわれていた。人通りがあるし、こんな大きな
駅の構内が危険というのが解せない。まあ、その横の路地裏ならヨーロッパの大
都市の駅とて非常に危険だ、ベルリンやフランクフルトは私の経験では非常に顕
著だった。当時は麻薬中毒と売春婦はワンセットだったと思うがこれは今も同じ
ことなのだろう、それに加えてロシアではネオナチという民族主義の若者が我が
物顔でアジア系を狙うという実しやかな情報が流れている。実際、日本人も被害
にあっている。中央アジア系に間違われたのだろう、ロシアでは日本人と承知で
襲うことは考えにくい、強盗は別だが。ただ、驕ってはいけない。

前置きが長くなったが、このヤロスラブリ駅、シベリア鉄道の起終点だ。ヨーロ
ッパと同じ、行き先が駅名になっている。ヤロスラブリはシベリアではない、モ
スクワから東には行くがウラル山脈よりずーと手前の都市だ。

シベリア鉄道はこのモスクワのヤロスラブリ駅とウラジオストク駅を結んでいる
全長9297km、ロシア号はモスクワ-ウラジオストク間を7日で走破する。1
985年当時のソ連邦時代はウラジオストクが軍港のため外国人の立ち入りが禁
止され、ナホトカがシベリア鉄道の起終点になっていた。

日本からは、横浜港大桟橋からナホトカ港へ、そして、ナホトカから極東鉄道を
経由してシベリア鉄道へ合流し、ハバロフスクでロシア号に乗り換えた。実際、
ナホトカを出てしばらくするとシベリア鉄道に合流する。

1985年7月8日16時40分、ロシア号でヤロスラブリ駅、確か、2番線に到着したのだ。
そのときの記憶を頼りに行ってみた。既に21時を回っていたが人通りは多く、こ
れから列車が出発するのだろう、小雨が降る中、プラットフォームへの人の流れ
が絶えなかった。駅全体が私の記憶と異なるのはキオスクが多くなったことと、
改札らしき施設ができていたことだろうか。でも、2番線へは改札はなかったな。

駅舎の前に到着と出発の時刻表が掲示されていた、2番線ウラジオストク行き21:2
5というスケジュールが見える。
http://www.flickr.com/photos/yha229/4218297364/in/set-72157623077690342/

1985年のヤロスラブリ駅
http://1985.iio.org.uk/ussr/siberia_moscow.htm

□芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
ヤロスラブリ駅とレニングラード駅の地下鉄駅がKomsomolskaya駅である。マリア
テレジアンイエローとモザイクがまるで宮殿の中にいるような地下鉄駅、これは
絶品である!
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077690342/show/

■■編集後記
レポート5はモスクワ三日目、Novodevichy Convent、モスクワ国立大学、雀が丘、
ランチに日本料理、モスクワ秋葉原等です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第45号 2010年1月31日
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2010年1月17日日曜日

世界の街角からMM 第44号モスクワレポート3  2010年1月17日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第44号 2010年1月17日
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明けましておめでとうございます。多忙を極めているうちに年が明けてしまい、1
月も中旬を過ぎてしまいました。さて、モスクワの続きです。
11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート3です。ギャラリーリンクを追加しました。
▼目次
■トレチャコフ・ギャラリーとプーシキン美術館
■聖救世主教会とモスクワ都市計画
■Gogotevsky大通りからArbat通りへ
■Arbat通りとヨルキ・パルキ(ロシアン・ファミレス)
■■編集後記
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この日の予定は、トレチャコフ、プーシキン美術館、Arbat通り、キエフ駅とその
隣のショッピングセンター、ヤロスラブリ駅でしたが、プーシキン美術館の前に
ある救世主ハリストス大聖堂に立ち寄った。小雨が降る肌寒いお天気ながら、ク
ロポトキンスカヤ駅からArbat通りを歩いた。

■トレチャコフ・ギャラリーとプーシキン美術館
最寄の地下鉄駅で下車、地図を見ながらトレチャコフギャラリーを探して辿り着
いたのだが静か過ぎる。門の前に休刊の説明、なんとトレチャコフは休館だった。
そこからまた地図を見てプーシキン美術館までモスクワ川を渡り歩くことにした。
風が強く寒かったな。でも、モスクワ川とクレムリンを背景に記念写真を取るこ
とができた。やっぱり旅は歩かないとね、でも寒かった。

Tretyakov Gallery
http://www.tretyakovgallery.ru/en/

トレチャコフ・ギャラリーからぷらぷらと歩き、プーシキン美術館にはやっとの
ことで辿り着いたが入り口がわからない。道行く人に聞いたら建物の横だという。
目的は本館ではなくEuropean Collectionセクションだ。本館へ入って入場料を払
う窓口でここではく隣だと告げられた。それでやっと暖かい場所に落ち着けてほ
っと一息したが直ぐにコートを着て隣のEuropean Collectionへ向かった。隣とい
っても敷地が大きいので数分はかかった。隣のブロックに細長い建物がありそこ
がEuropean Collection、これまた建物正面でなく横が入り口だった。観光バスが
横付けされていたのでどんなに多くに人が入場しているかと思ったら、かなり空
いていた。

このEuropean Collection、ガイドブックにあるように印象派コレクションが豊富
だった。目の前でルノワールをじっくり鑑賞した。高校生だろうか、先生が絵の
前に立ち、かなり長い時間説明していた。ここはまた一人でじっくり訪れてみた
い美術館だ。
Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection)
http://www.museum.ru/gmii/defengl.htm

■救世主ハリストス大聖堂とモスクワ都市計画
(Cathderal of Christ th Caviour)
プーシキン美術館の目の前にモスクワ川沿いに建っている教会が救世主ハリスト
ス大聖堂という、ソ連時代に共産主義都市計画が優先され破壊された教会で、連
邦崩壊後、モスクワ市長のイニシアティブにより再建された。政治的な理由によ
り数奇な運命を辿っている。

1931年、ソ連共産党の党大会議場となる「ソビエト宮殿」の国際建築設計コンペ
が公示された。コルビジュエもこのコンペに参加しているが、ソ連の建築家が一
等になるのは予測済みだったことだろう。この宮殿の建設予定地が救世主ハリス
トス大聖堂なのだ。

1934年に公開された最終的な案では、頂上部には高さ80mの巨大なウラジーミル・
レーニン像が立つ姿、土台部分はまた円形へデザイン変更され、そして第二次大
戦後の1947年、モスクワ建都800年に合わせてスターリンは世界の模範的首都とし
ソビエト宮殿を含むモスクワ復興と共産主義国家の首都モスクワの建設を指示し
た。そしてモスクワの7つの丘を象徴する7つの高層ビル建設を進めたのです。

その核となるソヴィエト広場はスターリンの死とともに計画だけで終わったがそ
の敷地であった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月5日に爆破された。

救世主ハリストス大聖堂の跡地では基礎工事が始まっていたものの戦争の影響で
資材を流用、戦後、本格的に建設工事が始まったが、1953年のヨシフ・スターリ
ン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに「ソビエト
宮殿計画」を白紙に戻してしまった。

宙に浮いたソビエト宮殿建設用地は、基礎工事が中断したまま放置されていたが、
1958年から直径129.5mもある世界最大級の野外温水プール「モスクワ」が建設さ
れた。

ソ連崩壊後、大聖堂の再建機運が高まり、温水プールは閉鎖され、1995年1月7日
に再度モスクワ市がイニシアチブを取り、巨費を投じて宮殿基礎やプール施設を
撤去し、大聖堂再建がスタートし2000年8月19日に「救世主ハリストス大聖堂」が
竣工した。

ということで信じられないことがソヴィエト時代には行われていたのだ。共産主
義という専制政治とは何だったのか、考えさせられる一面に触れたのでした。

◆スターリン様式の建築(セブンシスターズ)
前述の通り、モスクワ宮殿建設と同時にニューヨークの摩天楼と競おうと思った
のかモスクワのランドマークとなるスターリン様式の以下の高層ビルが1930年代
にモスクワの都市計画の一環として計画され、7棟建設された。これらのデザイ
ンは旧共産主義圏において、ソ連からのプレゼントと称してコピーが存在する。
文化科学宮殿、どこでも同じ名称なのか、ワルシャワとリーガは記憶にある。

1.モスクワ大学本館
2.ロシア連邦外務省
3.ロシア連邦運輸機関建設省
4.文化人アパート
5.芸術家アパート
6.ウクライナ・ホテル
7.レニングラード・ホテル

■Gogotevsky bul.からul. Arbatへ
地図を見たところ、救世主ハリストス大聖堂からArbat通りまでは徒歩圏であり並
木道が続いている(冬なので寒々としていたが)ので歩くことにした。クロパトキ
ンスカヤ(Kropotkinskaya)駅を抜けGogotevsky bul.の終わりがArbat通りの始
点である。

クロパトキンスカヤ駅はその上が小規模なショッピングストリートになっていて
小さな店が並んでいた。その外れにビアード・パパというシュークリーム屋があ
った。どこかで聞いたような、そうだ、マニラのグリーンヒルズだ。実はこのシ
ュークリーム屋、日本では全国展開しているようだが私は日本では食べたことが
なかった。

同行者の一人がタシケントからリクエストされていたシュークリームだというこ
とになりここで買い求めることになった。救世主ハリストス大聖堂で戻ってこな
い仲間がいたのでかなり時間を費やしてしまい先を急いでいたが、ここで更に時
間を費やすことになった。旅は道連れ世は情けだ。

この店、モスクワでは2009年2月4日にオープンしたばかり、株式会社麦の穂とい
う会社が経営しているとは初耳であった。都内だと東急東横店に店があるようだ
が記憶にない。
http://www.muginoho.com/company/globalInfo.html

Arbat通りの手前のコスメチックショップでリップクリームを買った。唇がカサカ
サで割れてしまうのではと心配していたのだ。ニベアのリップクリームだった、
それから、ハンドクリームもここで調達、値段はヨーロッパと同程度だった。タ
シケントに戻ってからスーパーマーケットで同じものが販売されていたので値段
をチェックしたらこちらのが高かった。

この通り、夏季は清々しいだろうと思う。

■Arbat通りとヨルキ・パルキ(ロシアン・ファミレス)
モスクワの代表的な観光地としてどのガイドブックにも紹介されているアルバー
ト通り、ニューアルバート通りもあるが今回は道草が多かったので割愛となった、
誰かがモスクワの原宿だとか言っていたな、歩行者天国なので歩くには非常に快
適だ、以前は露天商が多かったようだが最近規制され、その姿はほんの僅かにな
ってしまった。ソヴィエト時代のプロパガンダポスターを売っていたので買いた
かったがパス。

ヨルキ・パルキで遅いランチを食べた。タシケントにもある通称ロシアンファミ
レス、ここで、本場?のボルシチとサーモングリルを食べた。値段も味もリーズ
ナブル。ウドンヤサンという和食レストランもあったが、もう一つ胃があってほ
しかったな。こちらも事前情報でリーズナブルだと聞いていたモスクワの和食だ。

アルバート通りはショッピングストリート、両側にショップがずらりと並んでい
る。低層なので圧迫感がない。お天気も悪いし、日没も早いので4時ごろには暗
くなっていて写真も撮りにくかった。わがD300をISO3200に設定してもブレてしま
うだろう。

土産物屋も多く、その中の一軒で知人に頼まれていたスタンダードなマトリョー
シカを購入した。450ルーブルだっただろか。モスクワにはマトリョーシカ市場な
るものがあり、本来は出向いていきたいところだが時間が限られているので仕方
がない。この通りの端にスターリン様式の外務省がある。少し見えたかな。

今時のモスクワはスタバ、マクドナルド等米国文化も当然存在し、このような場
所では格好の立地となっている。マクドナルドは一度試したがスタバは入らなか
った。タシケントには絶対にありえないファーストフードだ。

アルバート通りの端にSmolenskayaという地下鉄駅がある。キエフ駅までモスクワ
川を渡って歩いてきたいところだったが寒さと暗さで地下鉄を利用、Kievskayaま
で行った。

■■編集後記
一気に書こうと思いながら他の事で忙しく年明けになってしまいました。二日目
の後半は、キエフ駅、20数年前にドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立っ
た駅、それと、キエフ駅前に最近オープンしたショッピングセンター、シベリア
鉄道の終着駅ヤロスブラリ駅です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第44号 2010年1月17日
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2009年12月26日土曜日

世界の街角からMM 第43号モスクワ・レポート2 2009年12月13日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第43号 2009年12月13日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート2です。
▼目次
■モスクワのホテル
■赤の広場とGUM
■Ul.Tverskaya ツベルスカヤ通り
■モスクワのマクドナルド
■日本食レストランの現実その1
■■編集後記
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■モスクワのホテル
シェレメツェボ空港からベラルーシ駅までAeroexpressで、そこから地下鉄で移動
した。土曜日早朝にもかかわらず、かなりの乗客だ。ベラルーシ地下鉄駅から一
度乗り換え、Vladkinoへ、駅は住宅街の中、鉄道の環状線に隣接している。丸い
駅舎が特徴的、こういうデザインはソヴィエト的だな。直ぐ隣が植物園なのだが
どこが入り口かよくわからないほど広大そうだ。
(地下鉄:Belorruskaya-Novoslobodskaya/Mendeleyevskaya-Vladkino)

地図を見ながら住宅街を抜け、放射大通り(Altufyevskoye Shosse)を渡り、Riga
シネマ(ソヴィエト建築)を左にそして右に回ると1ブロック先にあるZaryaとい
うサインが見えた、そこがホテルだ。ホテルの前は並木道で夏だったらどんなに
すばらしいだろう。この地区、大通り沿いにAltai Hotelのサインが見えたが他に
もホテルがいくつか立地している。

モスクワでのホテルは、タシケントの旅行会社へ問い合わせたところ、かなり高
い料金が提示され、そんなに高いわけがないだろうとwebで宿泊料金を確認したと
ころ、旅行予定の日付だと51Euroというかなりリーズナブルなオファーが表示さ
れ、旅行会社は切り捨てて(約2倍の提示だった。)、メールを送り予約状況を
確認し、併せて査証取得サービス(R750)を確認した。11月下旬はオフなので最安
値圏、エキジビション等があると安い部屋から埋まっていくため予約が取りにく
くなるがそれでもオフシーズンだ。200室程度あるホテルなので楽観的ではあった。

ホテルは、下記のホテルでモスクワ市内に4ホテルある。地下鉄、Vladkino駅から
500m、モスクワの北部、直線距離ではシェレメツェボ空港にも比較的近い。

Maxima Hotel Zarya
http://www.maximahotels.com/zarya.htm

■赤の広場(個人的に感動)
ホテルにチェックイン後、朝食を軽く取りながら散策会議をロビーのカフェで行
い、先ずは、赤の広場へ行こうと事前打合せのとおり移動を開始する。
(地下鉄:Vladkino-Chekhovskaya/Tverskaya-Teatralnaya)

Chekhovskaya/Tverskayaで乗り換え、一つ目の駅Teatralnayaで降りる、この駅は
ボリショイ劇場の前に位置する。小雨が降る気温2-3度のお天気ながら、そこ
から人の流れが自然と赤の広場へ向かっていたので特に迷うことなく流れに乗っ
て辿り着いた。1985年のときもそうだろうな、ホテルで行き方を聞いて地下鉄に
乗った。

◆赤の広場回想
赤の広場、個人的には感慨深い。20数年前、この広場を訪れたからだ。季節が違
えどその時間経過の中での変化を思うとただただ佇んでいたいと思ったが、現実
は寒い。

「1985年7月9日、爽やかな夏の日、モスクワの赤の広場に立った。今も記憶は鮮
明だ。前日の夕方、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、モス
クワに到着したばかりで勇んで宿泊していたBDNKhのコスモスホテルから地下鉄で
赤の広場まで行った。」

赤の広場は長方形で7.3haある。短辺のツベルスカヤ通り側に歴史博物館、その対
面、モスクワ川側に聖ワシリー寺院、長辺はクレムリンとGUMである。そしてクレ
ムリン側中央にレーニン廟がある。広場は石畳で緩やかにモスクワ側に向かって
傾斜している。子供のころブレジネフ書記長が中央に立ち軍事パレード(5月1日の
メーデーと11月7日の革命記念日)が行われている様子はTVで見た記憶があるが今
は昔だ。

結婚式を挙げたカップルが結婚登録(挙式)後に記念撮影のため訪れる定番地で
あり、小雨の降るお天気ながら数組のカップを見かけたことはソヴィエト時代と
変わっていない行事のようだ。

*事件簿****************************************************************
1987年5月28日に西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ
機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。ルストは
自由剥奪4年の実刑判決を受けるが翌年国外退去処分となる。小型機の侵入を防げ
なかったことでソ連軍は防空体制の甘さを糾弾され、セルゲイ・ソコロフ国防相
はじめ防空軍総司令官らが更迭された。この事件は、当時のゴルバチョフ政権に
とっては改革に反対する軍部の保守強硬派幹部を更迭する理由として、むしろプ
ラスに働いた。(wiki)
******************************************************************

ちなみにクレムリンと赤の広場は世界遺産に登録されている(1991年)。

山本寛齋(1993年)やポール・マッカートニー(2003年)がここでイベントを開
催、旭硝子のCMにも赤の広場が使われている。AGC、AGCと連呼するマトリョーシ
カは印象に残っている。

◆レーニン廟
今回も時間なくパス。設計者であるAlexey Shchusevはウズベキスタンの首都タシ
ケントにあるナボイ劇場の設計者でもある。ナボイ劇場は第二次世界大戦後、日
本人抑留者が建設に従事した代表的な建築である。

◆クレムリン
クレムリンというのは城塞を意味するロシア語であり、帝政ロシア時代、ソヴィ
エト時代を通して政府中枢がこの城塞内にあった。現在はロシア連邦の大統領官
邸と大統領府が置かれている。

クレムリン宮殿内に武器庫があり兵器の展示と合わせて美術工芸品や貴金属類が
展示されている。明治天皇がニコライII世の戴冠式に贈った象牙の鷲と刺繍入り
の屏風も所蔵されている。

クレムリンの尖塔にはロシア国旗が掲揚されていたことが前回と大きく異なる点
だった。今回も中には入らず仕舞い。

■GUM
GUMは、ロシア語のState Department Storeの略である。赤の広場の長辺に沿って
クレムリンと対峙する位置に19世紀末に建設された細長い建物巨大な建物だ。3階
建て、3列のアーケードから構成されている。天窓があり照明を取り込む構造とな
っている。ヨーロッパでもこのような規模の歴史的な商業施設は記憶にない。

1985年にモスクワに来た時はこの建物が何なのかわからなかったが、堂々と赤の
広場に面しているので不思議に思っていた。それで人の流れを良く見ていたらか
なりの人がこの建物に吸い込まれていくのでその流れに乗ってみたらアーケード
だった経緯がある。建物は同じだがテナントは当時の面影はない。当然のことだ
が。

現在のテナントは高級ブティックやインターナショナルブランドのショップが多
く、ショーウインドウの性格が強いのでは。

Red Square tel. (+7) 495 788 43 43 Open 10:00 - 22:00.
Metro station: Pl. Revolutsy

http://www.gum.ru/en/

■Ul.Tverskaya ツヴェルスカヤ通り
東京で言えば銀座だろうと聞いたツベルスカヤ通りだが、青山辺りを一緒にした
ような印象だった。

道路復員が広く反対側とのリンクはあまり感じられず、片側ごとに完結している
ような印象だった。あまり時間なく本屋とレストランに立ち寄った程度、時間も
遅く直ぐに暗くなってしまった。

オポトニリャト駅からプーシキンスカヤ駅までも歩いていないので出直し対象だ
な。

■モスクワのマクドナルド
ツヴェルスカヤ通りでPCショップを探しているときに「M」のサインが視野に入っ
たので入ってみた。盛況、盛況、席がない。暫く待ったら4人席が空いた。ほっと
一息、ビックマックバリューセットを注文、R.137だったか、日本より若干安めだ
ろう、ボリュームはドリンクとフレンチフライの量が多いのでこちらのがある。

場所:
http://maps.google.co.jp/maps?q=moscow+mcdonalds&gl=jp&hl=ja&cd=1&ei=6OEk
S9XPMOG8jAfSo9n7DQ&sig2=Lh3yhcyEf7dgQssNPQW3VA&sll=55.758946,37.610543&ss
pn=0.006295,0.006295&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&view=map&cid=378506336
1235450874&ved=0CBAQpQY&hq=moscow+mcdonalds&hnear=&ll=55.75965,37.610536&
spn=0.008222,0.016029&z=16&iwloc=A

ツヴェルスカヤ通りをもう少し北へ行ったプーシキンスカヤにあるマクドナルド
は一日3万人が利用する世界でも最大の売り上げを誇るようである。
http://www.mcdonalds.ru/

■日本食レストランの現実その1
夕飯はこの辺りで食べようということになり、さて、どこへ行くべきか、安易に
地球の歩き方に掲載されているツベルスカヤ通りの和食レストラン「銀の瀧」に
行くことにした。

ちょっと油断をするとこういうことになるという例がこの選択だ。新しい都市で
はその土地に暮らしている人の意見や英語のガイドブックを調べるのだが、今回
は安易に決めてしまった。

ロシア人の目線だとこの店の出す食事が日本食なのだろうが日本人の目からする
と完全に擬似日本食、しかも料理が冷めていた。かなり遠い遠い日本食なので期
待しなければ、若しくは、巻物程度ならば、クリエイティブなメニューが多い、
納得ができるかもしれない。

しかし、この内容でかなり客が入っていることから、これが日本食と受け取られ
ているのだろう。ウエイトレスの数が少なくサービスレベルは非常に低い。クレ
ジットカードの支払いができるとの説明だったが結果できなかった。私からはお
薦めできない店だ。

web情報(2002年)からこの店は「養老乃瀧」が経営指導したとのことだが既に指
導は終了したのだろう、この質からはそう感じた。
http://www.gin-notaki.ru/
http://www.dostavkasushi.ru/

■■編集後記
ツヴェルスカヤ通りはもっと時間を取って散策すべきでしたね。それから、日本
食の普及度には驚いたが質の維持が課題だろう。

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世界の街角からMM 第42号モスクワ・レポート1 2009年12月9日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第42号 2009年12月9日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート1です。
▼目次
■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着
■新生ロシアの首都モスクワ
■シェレメツェボ空港
■モスクワの地下鉄
■■編集後記
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■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着

1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出
てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。
モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ
各都市への始発駅でもあった。

2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がし
っかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の
駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。

この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったイン
ツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。

バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したイ
ンツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本
文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。

ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座に
も出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。

しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにも
いかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席
に押し込められてしまった。

ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモス
ホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非
常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、
が窓から過ぎ去っていった。

続きはこちらのサイトにあります。
http://1985.iio.org.uk

■新生ロシアの首都モスクワ
実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連
邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスク
ワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。

体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィ
ン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営
の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨー
ロッパを代表する大都市のような印象だった。

20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブ
ランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄
や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェ
ボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近
だという。

今回のプチ・モスクワ旅行はこちらに詳細を説明しています。(多々、準備中も
ありますこと、ご了承のほどを。)

http://moscow.iio.org.uk/index.html

■シェレメツェボ空港
悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが
今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり
時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。

今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手
続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそ
う感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。

既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオー
プンする予定である。

我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがま
だ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ
入国した。

そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関
の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。

そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミ
ナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、
まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた
空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。

シェレメツェボ空港
http://www.svo.aero/en/

■Aeroexpress(空港から市内への移動)
2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅
まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港か
らBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。

今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行
頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外に
あり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、

その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエ
フ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。

http://www.aeroexpress.ru/en/

Domodedovo空港
http://www.domodedovo.ru/en/

Vnukovo空港
http://www.vnukovo.ru/eng/index.wbp


■モスクワの地下鉄
Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて
少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中
し人通りが多い。

モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の
列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒
と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関におけ
る乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られて
いる。

1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券)
だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10
回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必
須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。

今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報
が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)に
カードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが
降り通過できない。

Moscow Metro
http://engl.mosmetro.ru/

■■編集後記
1985年以来のモスクワ、どうしても比較してしまうが、現在のモスクワを探索し
ようと心がけたプチ・モスクワ旅行、引き続き、モスクワでの印象、レポートす
る予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第42号 2009年12月9日
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