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2011年12月23日金曜日

【世界の街角からMM】第131号 パリへの長い道程 2011年12月23日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第131 20111223
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今日は「天皇誕生日」で祝日、天皇陛下は78歳になられた。おめでとうございま
す。

さて、

アスンシオンからサンパウロを経由してフランクフルトへ

そして、パリへ移動し10数年来の友人と再会、鮨に下包みを打つ。

パリのこと等を中心に。先ずは、パリまでの道程、長い移動でした。

▼目次
■アスンシオンからサンパウロへのTAM航空便
■ターミナルごとしか出発便が表示されないサンパウロ・グアルーリョス国際空
■ルフトハンザ航空、急病人発生で離陸後1時間でサンパウロへ引き返す
■フランクフルト国際空港、チケット変更に戸惑う

■■後記
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■アスンシオンからサンパウロへのTAM航空便
1時間遅れでアスンシオンを離陸したTAM航空便サンパウロ行きは、途中、Ciudad
 del Esteに立ち寄る、これはアスンシオンからサンパウロへ行く時だけでサン
パウロからアスンシオンへ向かう便は直行でアスンシオンへ行く。

そのCiudad del Esteに立ちよりは、3つの点については期待していた。
1)イグアス貯水池、イグアス移住地、アカラウ川を空から観察すること
2) グアラニ国際空港(Ciudad del Este)の外観を観察すること。グアラニ空
港は円借款により整備されており、そのターミナルビルを見ること(観察するだ
けが最大限出来ること、寄港するものの降機しないので)
3)そしてハイライトが、イタイプ水力発電所を空から見ること、きっとこの
ルートを飛ぶであろうと考えた。

なんと、アスンシオンの出発は遅れて躓き、飛び立った直後もアスンシオン市街
地はほとんど見られなかったが、この3点は期待通り、運が良かったとしか言い
ようがない、実現した。というのは席が反対側だったら見られなかったからだ。

サンパウロからアスンシオンへ向かうTAM航空は窓側の席を予約しておいたが、
乗り込んだら通路側だったのだ。搭乗券は、成田で発券されているので安心しき
っていた。復路は、念を押したのだ。

▼イグアス貯水池
巨大な貯水池だ、1970年にアカラウ発電所IIを建設する際、イグアス川を堰き止
めて流量を調整せいている。

▼イグアス移住地
イグアス貯水池の手前が日本人移住地となる。その周辺に広がっている果てしな
く続く農地は大豆であろう、豊かな農地が続いていた。実際に10月下旬に現地を
見ているので

7号線らしき幹線道路がグアラニ空港着陸直前に見えたが、イグアス農協付近は
確認できなかった。

▼アカラウ川
イグアス貯水池からイグアス川はアルト・アカラウ川と合流し、アカラウ川とな
り、蛇行しながらアカラウ貯水池へ流れ、アカラウダムとなる。その直下にアカ
ラウ水力発電所IIIがある。そして、発電に使った水はパラナ川へ放流される。

▼グアラニ国際空港
降機しないが遠くからターミナルビルを眺める。アスンシオンから何人かはここ
で降りた。国際空港とは言え閑散としている事は否めない。エプロンには航空会
社のマークのないB747貨物機が駐機していた。 198012月にL/A締結、199412
月に運営を開始している。106.72億円が円借款で融資された。
ect_87_smry.pdf

▼イタイプ水力発電所
これはラッキーだった。エステの空港を離陸直後、進行方向左側に巨大なイタイ
プ貯水池が遠方に見えてきた。そして、直ぐに直下にイタイプダムが見えた、放
水口、ダムと発電所ははっきりと見えた。わざわざ上空を飛んでくれたような
ルートだった。TAMの計らいか。

■ターミナルごとしか出発便が表示されないサンパウロ・グアルーリョス国際空

サンパウロにはコンゴニャス国際空港(近距離国際線用)とグアルーリョス国際
空港(サンパウロの空の玄関)、それから郊外のカンピーナスにヴィラコッポス
国際空港(国内線と貨物)の3空港がある。

通常、長距離線でサンパウロに到着するのでグアルーリョス国際空港を利用する
ことになる。この空港、とっても厄介なのである。

ターミナルが12があるが、乗り継ぎ便のスケジュールはターミナル1と2の出
発案内に表示される便はそれぞれのターミナルから出発する便だけであり、ター
ミナルが異なると自分が乗ろうとしている便がない、ということになる。しかも
案内デスクなどはほとんどなく、あったとしてもそれを理解していない回答しか
ないので、慣れないと非常に悩ましいことになる。

こんな空港は、BRICSと言えども、他にない、中国は知らないが、少なくともモ
スクワ・シェレメツェボ空港はターミナルが異なってもしっかりと出発ターミナ
ルが表示されていた。

Sao Paulo Guarulhos International Airport

■ルフトハンザ航空、急病人発生で離陸後1時間でサンパウロへ引き返す

ルフトハンザ航空507便は、夕刻、ナトリウム灯のオレンジ色の光に照らされサ
ンパウロの市街地が漆黒の闇への入口に差しかかるころ、サンパウロ・グアルー
リョス国際空港を概ね定刻通りに飛び立った。

機内の照明が落とされ、滑走路を端まで移動し、巨大なB747-400の機体は離陸し
フランクフルトを目指した。いつの間にか、うとうととしていたようで黄昏時の
様子を撮影しようと思っていたがその機会を逃してしまったようだ、そして、乱
気流により目が覚めた。機内照明が付きドリンクサービスが始まった。その時、
機内アナウンスで医師の搭乗者がいないか、問い合わせがあった。どうやら急病
人が出たようだ。

その後、再度、機長からアナウンスがあり急病人の容態が改善しないことから、
サンパウロへ引き返すとの案内があった。丁度、離陸してから1時間ほど、乱気
流が収まった頃だった。

人命第一、これまでサンパウロから1時間かけて飛んだ距離を戻り、急病人は収
容された。そして、航続距離ぎりぎりなのだろう、B747-400の航続距離は満タン
12,500km飛べるが、再度、燃料を満タンにするのに1時間ほどかかり、3時間遅
れで再離陸した。

この遅れにより、フランクフルトでの乗り継ぎ客は乗り継ぎ便に間に合うだろう
かと心配になるのは当然のこと。隣の席の客は、タイ航空バンコク便へ乗り継ぐ
ようだった。そういう私もフランクフルトからパリへ移動する。3時間遅れは想
定外なので予定のフライトは乗れなくなる。

航空券を通しで購入した場合、自動的に振替が行われるが、別途購入している私
の場合は、どうやらチケットカウンターへ行かないとどうしようもないらしい。
パーサーが乗り継ぎ可能な便の案内をよこした。そして、トランスファーカウン
ターで再予約せよとのアドバイスだった。

フランクフルトから東京への乗り継便である710便の出発は1330、これにも間
に合わないが、同日の2045分発の全日空便への振り替えとなったようだ。

LH597便はリスケ通り、1330分にフランクフルト国際空港に到着した。

■フランクフルト国際空港、チケット変更に戸惑う

サンパウロからのルフトハンザ航空507便が急病人発生により、サンパウロへ引
き返したため、3時間の遅れが発生した。

そして、507便は1330分にフランクフルトに到着、15:55発のパリ行きに
2時間30分の余裕があった。しかし、この再予約にものすごーく手間取ったの
だ。

降機したゲイト付近にあったトランスファーデスクに人がおらず、他の乗り継ぎ
客対応で特別デスクを置いて対応していたことも影響している、先に荷物をピッ
クアップしてからチケットの変更をしようと考え、入国手続きへ進んだ。

そして、チェックインカウンターへ行き並んだものの、運悪く、待てど暮らせど
進まない、ここでの待ち時間が予定フライトまでの時間を圧迫し、応対した時に
は出発40分前、そして、その結果はこのカウンターでは処理できないこと、そし
て、チケットカウンターへ行くようアドヴァイスされた。

ここで並んだのは、チケット変更することを職員へ告げ、ここで待てということ
だったが、全く理解していなかったことになる。やはり、人をよく見ないと適切
な処理ができないということだ。

その指示に従って、チケットカウンターへ行くと、今度は50人待ちだった。ここ
で既に出発予定まで30分、もうこれでは無理と判断した。しかし、そんな悠長に
待っていられないので、順番待ちをよくみるとビジネスクラスやスターアライア
ンス・ゴールドカード所持者は待遇がことなることに気が付いた。よって、ビジ
ネスチケットを見せて、シルバーカードでは優遇うされない、優遇順番待ちの札
をもらって5分も経たないうちに順番となった。その時点でもまだ30人くらいま
待ち状態だった。

結果として予約できたのは、1655の便、1810分にパリ・シャルル・ド・ゴー
ル空港着なので19時に友人と待ち合わせにしているが、直行しても間に合わない。

タクシーでオスマン通りのホテルへ行き、荷物を降ろす、そこからまた、タク
シーでサンルイ島のレストランへ行ったが、結局20時になってしまった。1時間
もレディを待たせてしまったことになる。失礼した。

この時のフライトは全て遅れか何らかのトラブルがあったが、最終的に1時間遅
れでパリの友人と再会した。まあ、アスンシオン-サンパウロ-フランクフルト-
パリの直行ルートなので無理があったか、ルフトハンザ航空を信頼していたのだ
が急病人は致し方ない。他は良い教訓となった。やはり人を見る目は、外しては
ならない。

■■後記

パリまでの道程、長い移動でした。

こういう時が時々発生する、落ち着いて対応すれば道は開ける、という教訓は常
に生きている。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第131 20111223
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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2011年12月12日月曜日

【世界の街角からMM】第129号 メモしておきたいこと 2011年12月12日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第129 20111212
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今回は少し話題を変えて最近気になったことや記憶に留めておきたいことをメモ
しました。

▼目次
■ルーズベルト大統領は対独参戦が目的で日本が米国を攻撃するよう誘導した!
■フランスの新しいホテル格付制度について(2009年)

■■後記
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■ルーズベルト大統領は対独参戦が目的で日本が米国を攻撃するよう誘導した!

以下の2点は推定真実であることがわかってきています。
1.ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を事前に知っていた。
2.ルーズベルト大統領は、対独戦に参戦するため、日本が米国に攻撃を仕掛け
るよう誘導した

ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が
1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランク
リン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、

「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の
男』」と批判していたことがわかっています。

歴史認識を正しくし、日本外交を見誤らないよう見守りましょう。

■フランスの新しいホテル格付制度について

数年前になりますが、フランスのホテル格付制度が更新されていたのでメモって
おきます。4つ星、5つ星となるととかくコストが嵩むのは、持てる者の義務を負
っているからなのでしょうか。

フランスのホテル格付け基準は、商業・手工業・中小企業・観光・サービス・消
費担当大臣が発布する法令により定められ、新格付け制度が2009 10 1 日か
ら適用されています。

この格付け制度、1986年に法令で定められ実施されていますが、今回、その星の
名称が若干変更され、これまでの最高ランクだった「4つ星デラックス」から「5
つ星」を最高ランクとしました。

その評価の主な変更点は、

設備に関する評価項目に加え、従業員のサービス、持続可能な発展への取り組み、
最新テクノロジーの利用、ハンディキャップのある方への対応などソフト面での
評価項目が多くなり、項目内容がより細かくなりました。

これまでの評価方法では、各カテゴリー別に設けられた項目をすべてクリアしな
ければなりませんでしたが、新しい評価方法ではポイント取得制にし、施設ごと
の個性を認める余地を残しています。

5 ッ星に求められる基準

シングルで20平米以上、ダブルルームで24平米以上
どの部屋にもインターネットアクセスを完備
レセプションの従業員は外国語を2 カ国語以上話せる
ディナーがホテル内でとれる

4 ツ星デラックスに求められた基準

シングルで14平米以上、ダブルルームで18平米以上
インターネットアクセスは特になし
従業員は英語を含む外国語を2 カ国語以上話せる
ホテル内にレストランを完備する

5 ツ星の申請が認められたホテル(2009 9 24 日現在)

パリ Paris

ル・フーケ・バリエール Le Fouquets .
46, Avenue George V . 75 008 PARIS
Tel: +33 (0)1 40 69 60 00 . Fax : +33 (0)1 40 69 60 05 .

ハイヤット・リージェンシー・パリ・マドレーヌ Hyatt Regency Paris Madelei
ne .
24 Bd Malesherbes . 75 008 PARIS
Tel: +33 (0)1 55 27 12 34 - Fax: +33 (0)1 55 27 12 35

ル・スクエア Le Square .
3, rue de Boulainvilliers . 75016 PARIS
Tel: +33 (0)1 44 14 91 90 . Fax : +33 (0)1 44 14 91 99

ル・ルネサンス・パリ・ヴァンドーム Le Renaissance Paris Vendome .
Tel : +33 (0)1 40 20 20 00 . Fax : +33 (0)1 40 20 20 01
4 Rue du Mont Thabor . 75 001 PARIS

ル・ムーリス Le Meurice -
Tel : +33 (0)1 44 58 10 10 . Fax : +33 (0)1 44 58 10 15
228 rue de Rivoli

リッツ・パリ Ritz Paris .
15 place Vendome . 75 001 PARIS

パーク・ハイヤット・パリ・ヴァンドーム Park Hyatt Paris Vendome .
2 rue de la Paix . 75 002 PARIS

マリオット・シャンゼリゼ Marriott Champs-Elysees .
70 avenue des Champs Elysees . 75 008 PARIS

フランス観光開発機構

パリの新たな五つ星ホテル、リストを凝視したが宿泊したことがあるホテルはな
かった。思いっきり背伸びしてもその下のクラスだったというこだ。

■■後記
パリのホテルは高い、ロンドンもそうなのだが。東京の五つ星クラスを考えた
ら同等なお値段ですね。他方、ドイツは比較的リーズナブル、一極集中していな
いからか?

パリだと三つ星、だいたい100ユーロ程度で朝食付き、Wi-Fi付き、このクラスが
庶民にとっては最も使いやすい。旅行でもビジネスでもだ。

これがウィーンやフランクフルトだと、ホテルのクラスが上がる。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第129 20111212
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2011年4月21日木曜日

【世界の街角からMM】第99号 ボルドーとパリ・レポート(2) 2011年4月20日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第99号 2011年4月20日
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エレバンから機会を捉えて大家が滞在していたボルドーまで足を伸ばしてみた。
ボルドーとパリ・レポート2/2です。なお、ベルリン・レポートはこの後継続し
ます。
▼目次
■ボルドーのマルシュでランチ
■ボルドーで日本を知る
■パリ・オペラ座のランセルでキャリーオンを更新
■パリで目立った中国人観光客
■■後記
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■マルシュでランチ
翌日、大家の娘の旦那であるローランドが旧市街の散策案内を買って出てくれた。
前日の夜も散策したのだが、まったく地図が頭に入っていないことと予備知識が
ないので記憶が不鮮明だ。それに、街路がパリと同様、幾何学的なのが厄介だ。

今日はマルシェでランチを食べることを目的に旧市街を散策した。マルシェへ行
く前にアラブ人街と蚤の市のようなマーケットが土日に開催されるという教会前
の広場を散策した。

アラブ人街は建物こそヨーロッパだが、看板はアラビア語、道行く人々もほとん
どがアラブ人、多分、北アフリカ系では思わる、ボルドーとは思えない、ちょっ
と異質な空間だがこれが現実なのだろう。食料品、衣料品、家具、アラブファー
ストフード等などのショップが並び生活感が溢れていた。

教会の前では生活道具などを持ち込んだ屋外市場が開かれていた。一言で言うと
リサイクル市場というかガラクタ市場のようだ。エレバンのVernissageとよく似
ている。ウィーンにも同じような市が立つが合理的な考え方だ。それが定期的と
いうのがよい。

どこの国でも市場はその国の台所事情を垣間見ることが出来、新参者にはたいへ
ん楽しい場所だ。通常の観光名所よりこういうったその土地の生活観がある場所
を私は好んで訪れる。

マルシュ、仏語で市場と書かれた大屋根が架けられたマルシェには、野菜や肉類、
魚介類、その他食料品が各ブースで売られている。フランスといえばチーズ、そ
の種類の多さは見ているだけで楽しめる。私の好みは、コンテとブルーチーズ、
試食しながら少し購入した。

マルシェの魚介類売り場の隣がカフェレストラン、食堂といったイメージだが、
になっていて魚介類が食べられるようになっている。料理は生や茹でたものが多
くそれほど調理に時間をかけていない。

既に私たちが着いた時間はほぼ満席、運よく少し待ってテーブルが空いた。注文
はローランドに任せ、生牡蠣と白ワインを注文した。大柄のウエイトレスが皿を
何枚も重ねて手際よくテーブルに配膳している様は豪快そのものだ。

目の前で親子と思われる辻ミュージシャンが準備をはじめた。アコーディオンと
打楽器が奏でる音楽はテンポが速くリズミカルだ。飛び入りで客の女性が踊り始
めた。この芸人はコーカサス、チェチェンあたりから来たのではないかとうのが
ローランドの弁、コーカサス地域の音楽はテンポが速く踊り向きだ。

1セッションが終わり子供がチップを集め始めた。素晴らしい音楽だったのでチッ
プを弾み、この機会に席を立った。白ワインでほろ酔い気分のまままた散策を続
けた。

▽カヌレ
ローランドと旧市街を散策中、彼がボルドー名物だというお菓子を買ってくれた。
それがカヌレだった。初めて食べたのだが、先日、祐天寺駅前で偶然入ったパン
屋に同じお菓子を見つけた。名前は忘れていたが、これはカヌレというらしい。
日本でも一時流行ったと聞いた。

後からわかったことだが、シェルイというケーキ屋(パティシエ)がカヌレを日
本に紹介したという、それはシェルイだったようだ。

代官山のシェルイ
http://chez-lui.com/

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過去の偉人から発せられた情熱・勇気・豊かさを得られる極上の名言を集めまし
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http://www.muryoj.com/get.php?R=14048&M=100004019

■ボルドーで日本を知る
アパートに戻ってから話をしていたら大家の母親がソ連時代に日本へ行ったとき
に買ってきたというラジオを見せてくれた。彼女の母親はオペラ歌手で1958年と
1964年に公演で来日しており、そのときにかなり日本製品をお土産に持ち帰ったよ
うだ。

エレバンのアパートにも日本製の壺があるし、大家は日本製の編み機を所有して
いる。数ヶ月前に娘にも買いたいので日本で調べてくれないかと相談された。

さて、このラジオだが、非常に小さい(43 x 49 x 20 mm)、メーカーはStandard
Radio Japanと刻印されていた。聞いたことがないメーカーだが、スタンダードは
無線機ではあるのでもしやと思い調べてもらったら、その関係であった。スタ
ンダードダジオはその後、日本マランツとなり、八重洲無線とも関係がある。

小さなラジオは確かMicronic-Ruby SR-G430という型だったと思う。まさか、ボル
ドーで新たに日本のことを知るとは、出向いた甲斐があったというものだ。

Micronic-Ruby SR-G430
http://www.radiomuseum.org/r/standard_micronic_ruby_g430g_43.html

Standard Radio
http://www.radiomuseum.org/dsp_hersteller_detail.cfm?company_id=5454

■パリ・オペラ座のランセルでキャリーオンを更新
10年前に泊まったオペラ座とマドレーヌ寺院の間に位置する安ホテル(パリで
は)Hotel Montrealへ電話予約する。料金を確認すると100EUR、以前も同じくら
いだった記憶だ。ここは古めかしく、清潔なホテルで場所もよく気に入っていた。

ボルドーからモンパルナス駅に21時30分に着き、そこからタクシーでホテルまで
移動した。距離感がなかったが13EURと意外と近かった。

ホテルのロビーは当時から改装したようでレセプションの位置が変わっていたが、
蛇腹式エレベータのドアを含めてそれ以外はまったく同じでなんとなく安心した。
その後、夜のオペラ座界隈を散策しつつ、何か食べなければと思い、マクドナル
ドに世話になった。夜遅いときは利用させてもらう。

オペラ座界隈の夜
http://www.iio.org.uk/gallery/europe/paris_at_night3.htm

Hotel Montrealの部屋
http://accommo.iio.org.uk/hotel_paris_montereal.htm

ホテル前、早朝の通り
http://www.iio.org.uk/gallery/europe/paris.htm

翌朝、オペラ座の右にあるLANCELへ出向いた。使っているキャリーオンは既に
ローラーが2度壊れ、ファスナーと生地の縫い目が綻んでいる状態なので要買い替
え状態なのであった。そして、このキャリーオンはこの店で10年以上前に調達し
たので、この機会に同じ店で買い換えた。

LANCEL
http://www.lancel.com/#/en/the-lancel-collection/travel

既に同じモデルはなく、後続モデルがあったのでそれにしたが、値段が2倍近くに
なっていた。古いキャリーオンをそのままショップに持ち込み、中身を購入した
新しいキャリーオンに詰め替え、古いのを処分してもらった。

■パリで目立った中国人観光客
ランセルからの帰り道、ユニクロパリ店の前を通り、プランタンデパートに立ち
寄った。特に用があったわけではなく、以前よく歩いたこの界隈のコースになっ
ていたからだ。ギャラリ・ラファイエットの前にあった、M&Sはギャラリ・ラファ
イエットに変わり、プランタンの交差点反対側はPAULになっていた。

キャリーオンがあるのでちょこっと雰囲気をと思って入ったプランタン、エスカ
レータを降りた正面にアジア系観光客がたむろし、通りを塞いでいた。近づいて
もまったく意に介さず、通りますよと声をかけつつも、何を言われているのかわ
からない様子、会話から中国人観光客のようだ。この時だけではなくパリでは中
国人観光客をよく見かけた。

一昔前の日本人観光客と同じなのだろうか、当時からブランドショップに群がる
日本人の心理には理解できないものがあった。国内販売の価格差に一因あるよう
だが、それでも列をなして高級ブランドショップに並ぶ真理は理解できない。中
国でも一昔前の日本と同じように高級ブランドが持て囃され、猫も杓子も高級ブ
ランド志向が根強くなってきたのだろうか、それとも、高級ブランドの宣伝効果
なのか、何れにしろ私とは縁がない。

▼無料レポート情報
『世界一わかりやすいアメリカ没落の真実』
アメリカ没落の裏事情を、世界一わかりやすく・山盛り資料つきで解説します。
これを熟読すれば、あなたも世界情勢が手にとるようにわかるようになるでしょ
う。
http://www.muryoj.com/get.php?R=13883&M=100004019

■■後記
今回でボルドーとパリについては今回でお仕舞いです。ボルドーへは思い切って
出向いた甲斐があった、次回以降はベルリンの続きをレポートする予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第99号 2011年4月20日
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2011年4月18日月曜日

【世界の街角からMM】第98号 ボルドーとパリ・レポート(1) 2011年4月17日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第98号 2011年4月17日
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エレバンから機会を捉えて大家が滞在していたボルドーまで足を伸ばしてみた。
ボルドーとパリ・レポート1/2です。
なお、ベルリン・レポートはこの後継続します。
▼目次
■エレバンからボルドーへ
■パリ・シャルル・ド・ゴール空港からモンパルナス駅へ
■ボルドーの町と大家の娘の家族
■■後記
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■エレバンからボルドーへ
エレバンで借りているアパートの大家が私が出張したときにボルドーに嫁いでい
る娘の家にいた、以前からボルドーへの誘いもあり、パリでの所要もあったこと
から、この機会に思い切って二日ほどボルドーへ行くことにした。

航空券はウィーンまであるのでウィーン-パリ間を買い足した。オーストリア航
空のオンラインで購入したのだが220EURとかなりリーズナブルだった、ヨーロッ
パ内はこんなものなのだろうか。

オーストリア航空
http://www.austrian.com/?sc_lang=ja&cc=JP

ウィーン乗り継ぎが1時間しかなく、ややあせった、というのは航空券を買い足し
ているのでエレバンではウィーン-パリ間の搭乗券が発券できない、が荷物はパ
リまでチェックインしている。乗り継ぎ1時間という条件なのでエレバンの空港で
もう一度チケットを見直したら、オンライン・チェックインが出来ることに気が
付いた、よって早速試みた。しかし、エレバン空港のインターネットが非常に遅
く、なかなかページが進んでくれない、搭乗時間ぎりぎりまで粘って手続きを済
ませ、ファイルをダウンロードした。携帯電話へSMSで搭乗券を送るににチェック
しておいたので搭乗券を表示できるアドレスも届いた。

これで概ね問題ないだろうと、3時間余りのフライトで思いっきり寝た。エレバン
午前5時20分発、ウィーン6時5分着、パリ行きは7時発、全てオーストリア航空だ。

ウィーン空港到着後、ゲートがわかっていないので確認したら、到着ゲートの直
ぐ隣だったので幸いした。シェンジェン条約エリア内は非常に乗り継ぎが楽だ。
念のため、オーストリア航空のデスクで搭乗券を発行してもらった。なぜか、デ
スクの女性はオンラインでチェックインしていることになぜか驚いていた。

■パリ・シャルル・ド・ゴール空港からモンパルナス駅へ
1時間ほどでウィーンからパリのシャルル・ド・ゴール空港に着いた。荷物を引き
取りカートに載せて、フランス国鉄(SNCF)駅へ移動する。事前の調べでは空港
からボルドー行きTGVが出ているがやや時間のタイミングが悪い(運行頻度が低
い)ので、ボルドー行きTGV駅であるモンパルナス駅までバスで行くことにした。

シャルル・ド・ゴール空港
http://www.aeroportsdeparis.fr/ADP/en-GB/Passagers/home/

タイミングが合えば、シャルル・ド・ゴール空港から直接ボルドー行きに乗車し
ても移動時間はさほど変わらない。

念を入れて、ターミナル2Fと2Cの間にあるフランス国鉄の駅へ行き列車の時刻
を確認する。予想通り、シャルル・ド・ゴールからボルドー行きの適当な列車は
なかった。それでここで12時10分発のモンパルナス-ボルドー(St.Jean)のチケ
ットを購入した。1等と2等の差が10EUR程度だったので、眠かったせいもある
が、1等を購入した。77EUR(復路は2等で85.9EURとなぜか高かった)、TGVは全
席指定席だ。

SNCF
http://www.voyages-sncf.com/

さて、ここからモンパルナスへはエールフランスが運営しているバス、Les Cars
に乗らねばならないのでSNCF駅から案内に沿って2Cまでカート押しながら移動、
シャルル・ド・ゴール空港はかなりでかい。

Les Cars
http://www.aeroportsdeparis.fr/ADP/en-GB/Passagers/Access-maps-car-parks/
Paris-Orly/Access/public-transport/

モンパルナス駅行きは30分毎に運行しているがなかなかバスが来ない。かなり余
裕を持っていたので何とか間に合ったが、少しだけ冷や汗。バスは50分程度かか
り、リヨン駅を経由してモンパルナス駅横に到着した。

ホームまではエスカレーターを一つ上ればよかった。そして、現在時間と列車の
出発時間を確認した。5番線からの出発を確認し、ホームにいた係員にチケットを
見せて車輌を聞く、丁寧に教えてくれた。出発時間まで10分程度と迫っていたが
荷物だけ置いてボルビックの水を買って乗り込んだ。

1等はゆったりとした横3列の配置、4席のコンパートメントと窓側に2席が配置さ
れている。荷物置き場のスペースも十分だ。パソコン用の電源も用意されている。
ボルドーまで3時間17分、春の車窓を眺めながらうとうとした。

エレバンからは時間は短いが夜行便のようなフライトだったので顔も洗っていな
かった。TGVに乗車して少し落ち着いたので洗面所で髭をそり、顔を洗った。新幹
線のような洗面台は用意されておらず、トイレの中にあるのみ、この洗面台、手
を洗うことが出来るが顔を洗うようにデザインされていないので、手で水を汲み
ながら顔を洗おうとすると床に水がこぼれてしまう。わざわざそのようなことが
出来ないようにデザインされているとも考えられるが。

■ボルドーの町と大家の娘の家族
12時10分、パリ・モンパルナス駅発のTGVでボルドーへ向かう。所要3時間17分
路線距離約500km、15時27分にボルドーSt.Jean駅に到着した。ガロンヌ川を渡る
とボルドーSt.Jean駅だ。この駅が終点ではなく、TGVはまだ先へ行くようだ。

TGVがヨーロッパの駅によくある大屋根が架かっているホームにゆっくりと滑り込
むころ、ホームに目を向けると大家の娘Meriが既に迎えに来ているのが見えた。
帰りのスケジュールが不明のままなので(シャルル・ド・ゴールで入手したつも
りだったが下りだけだったので)、先ず、復路のTGV時刻表を入手し、駅前からト
ラムに乗り案内されるままに移動する。荷物があったのでタクシーに乗ることも
考えたが、ここはやはり公共交通に乗ってみたかった。

トラムはガロンヌ川沿いの停留所で降車、スーツケースを引きずって古い町並み
と石畳の路を数分歩いた。石畳なのでスーツケースを引きながらの移動は苦にな
ったが、町並みを眺めているうちにアパートに着いた。

アパートはどうもかなりの中心らしい、曲線の美しい階段を上がった2階にあり、
窓からは通りが見下ろせた。Meriの家族に紹介され、大家もそこにいた。アルメ
ニア人はもてなしが非常に温かい、クロワッサンとチーズの盛り合わせ、飲み物
を頂戴した。昨晩から移動が続いたのでほっとした、また、朝から機内食以外口
にしていなかったのそれらを頬張りながら、当然ながら東日本大震災のことを聞
かれので現状を説明した。

そして、日本から持ってきていたあられの詰め合わせとどら焼きを手土産にした。
みな興味津々、早速、封を切ろうするが、表の包みは容易に開けられたが、缶に
入っているあられは開けられないので手伝った。どら焼きの包みもビニル包みの
切り方がわからないようだった

Meriの家族は5人家族、高校教師の旦那と男の子三人だ。1年に1回程度、大家
がエレバンからボルドーに滞在している。ビザ取得が年々厳しくなり、提出する
書類が増えているという。

ボルドー市
http://www.bordeaux.fr/

ボルドーの地図
http://www.bordeaux-gironde.fr/

さて、ボルドーだがよく知られているようにワインの産地だ、そして響きの良い
町だ。しかし、ブドウ畑やワインの醸造蔵が存在するのはメドックやサンテミリ
オン村付近のようだ、ここから50キロだと説明された。五大シャトーの名くらい
挙げておかないと失礼だろうか、余り縁がないが。

ボルドーワイン
http://www.bordeaux.com/

* Cha^teau Lafite-Rothschild
* Cha^teau Margaux
* Cha^teau Latour
* Cha^teau Haut-Brion
* Cha^teau Mouton-Rothschild*

ボルドーの空気は春だった。地図でみるとパリから500キロ程度南下したことにな
る。何の予備知識もなくボルドーに来たが、中心の歴史的地区が世界遺産に指定
されたということぐらいは耳にしていた。

ボルドー観光局
http://www.bordeaux-tourisme.com/

▽公共交通システム-トラム
ボルドーSt.Jean駅前にトラム乗り場がある、新たに導入したような真新しいトラ
ムだ。調べてみたところ、トラムの歴史は新しく、2003年12月21日に最初の路線
が運営を開始した。現在、43.9キロに及ぶ、ネットワークは3路線、一日あたりの
乗降客数は16.5万人だ。トラムは第三軌道式(地上から電力を供給する)、
Alimentation par Sol (APS) 式で、運営は5年契約、Keolis Bordeauxが運営して
いる。

Ground-level power supply
http://en.wikipedia.org/wiki/Ground-level_power_supply

リンク:
ボルドーの公共交通(仏語)
http://www.infotbc.com/

Bordaeux Tramway- Wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/Bordeaux_tramway

Bordeaux-Tram
http://www.trams-in-france.net/reload.htm?bordeaux.htm

Cyber Bordeaux
http://www.cyberbordeaux.com/english/transport/tram.php

ボルドーの写真
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157626417338058/show/


▽ヨーロッパで最も長いショッピングストリートの一つ
トラムの停留所からMeriのアパートまで行く途中にも少し歩いた、そして、ア
パートから数十メートルの距離にあるのが、ヨーロッパで最も長いショッピング
ストリートの一つとされる、Rue Sainte-Catherine、聖カトリーヌ通りと訳すの
だろう、ビクトリア広場から劇場広場まで(実際場所がよくわかっていない)の
本当に一直線だ。エレバンを発つ前にwikiで調べていたので存在は知っていたが
こんなに近くにとは驚いたね。

雑談の後、夕食までの間に一人で歩いてみた。確かに長い、とにかく長い、ヨー
ロッパやパリにあるショップはほとんどあり、ギャラリ・ラファイエットもあっ
た。ここでほとんど用が足りてしまうのだろう、特に土曜日であり暖かい日だっ
たのでかなり混雑していた。日曜日はショップも閉まるので閑散とするらしい。

▽ボルドーの世界遺産
住んでいる地区も世界遺産の歴史地区なのかはっきりししないが古い町の印象だ。
はっきりとオスマンとは異なる建築デザインだ。ボルドーの世界遺産は以下のと
おり。

世界遺産:
3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントと
して1998年に世界遺産に登録されている。
* サン・タンドレ大聖堂
* サン・スラン大寺院
* サン・ミッシェル大寺院

それから歴史地区が「月の港ボルドー」の名で、2007年に世界遺産に登録された。
かつて港町として栄えたボルドーの歴史地区を対象としている。「月の港」は、
ボルドー市内で三日月形に湾曲しているガロンヌ川沿いに発達したことに因むボ
ルドーの通称である。

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■■後記
ボルドーはフランス、何でもかんでもフランス語だ。これはパリからだが。買い
物程度は英語も通じる。もう何年も沙汰するとまた同じことを考えてしまう。こ
こはフランスなのだと言い聞かせた。

ボルドーへ来たのは何かの縁、されとて時間が非常に限定的、もう少し町を見て
回りたかったが土曜日の午後着いて日曜日の夜に発つというスケジュールになっ
た。それでも、Meriの旦那であるローランドがボルドーの町をよく案内してくれ
た。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第98号 2011年4月17日
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