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2009年11月25日水曜日

世界の街角からMM 第37号 ラトビア・リトアニア紀行 (4) 2009年10月25日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第37号 2009年10月25日
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今回はリトアニアの旧首都カウナスです。これまでの中央アジアから趣向を変え
てちょっと垣間見たバルトの国々、ラトビア・リトアニア紀行です。
▼目次
■カウナス
◆ヴィリニュスからカウナスへ
◆スギハラ・ハウス
◆カウナス新市街と旧市街
■第二次大戦前夜及び戦中のカウナス(参考)
■■編集後記
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■カウナス
カウナスを訪れた目的は杉原千畝記念館を訪れることが第一義だった。その名を
知ったのは、1990年代初頭だろう、杉原千畝の記事が新聞で掲載されてからだし、
命のビザという夫人が著した本を読んでからだ。

今回、20数年ぶりのバルト諸国への旅行が可能になったことから、是非ともリト
アニアのカウナスをと考えていた。かなりタイトなスケジュールであったが、ヴ
ィリニュスからカウナスへ日帰りで足を伸ばすことにした。

カウナスは、リトアニアの旧首都だがこれはソヴィエトによるリトアニア占領が
影響し、首都が暫定的にヴィリニュスからカウナスへ移転したことによる。

現在のカウナスは杉原が副領事として赴任していた当時とは大きく異なる、リト
アニアもそうだが。現在の人口は訳38万人、市民の93%がリトアニア人だが当時は
約25%のユダヤ人が暮らしていた。

カウナスは、戦後、工業都市として発展し、リトアニア全体の約4分の一の工業生
産高を担っている。フリーゾーンもある。

カウナス市役所
http://www.kaunas.lt/go.php/lit/English

Invest in Kaunas
http://www.invest-in-kaunas.lt/

◆ヴィリニュスからカウナスへ
ヴィリニュス駅前のバスターミナルからカウナスへ向かう。前日までは、鉄道で
カウナスへ行くことを考えていたが、複数のホテル従業員からの聞き取りで、バ
スのが便利なことと認識し、変更した。鉄道はカウナス駅が工事中で、カウナスI
までしか行かないことがわかっていたこともある。ただ、電化された鉄道での旅
も、所要1時間、最後まで諦め切れなかったが時間が限られているので頻度の高い
バスとした。運賃は片道20Listas、800円相当だった。

バスの乗客は少なく、一番前に陣取り、リーガからヴィリニュスと同じように晴
れた初秋の農村風景を車窓から眺めた。このルート、E85だったか、リーガ-ヴィ
リニュスの道路より整備が行き届いていた。

1時間15分なのであっという間にカウナスに着いた。幹線道路からランプを降りて
市内へ向かう。ランプ周辺はやはり車のディーラーが多い、レクサスもあった。

バスターミナルは、カウナス駅に近い場所にあり、日曜日だからか非常に静かな
印象だった。帰りのスケジュールを確認して、ターミナル内にあるカフェでコー
ヒーを飲みながら、スギハラ・ハウスへの行き方を確認する。思ったより近く、
徒歩でいける距離だった。

◆スギハラ・ハウス
リトアニアの旧首都であるカウナスへ行った目的は杉原千畝記念館を訪れること
だった。

当初の旅程では時間的に難しいとの意見もあったがヴィリニュスまで行くのだか
らとその先100kmの距離は何としてでも行くべきとして実現した。バスでヴィリニ
ュスから1時間15分、スケジュールはややタイトになったが快晴の初秋、週末のカ
ウナスの街は新市街から旧市街まで歩きがいがあった。

スギハラ・ハウス(元在リトアニア日本領事館)はバスターミナルから10分程度の
小高い丘の上にあった(バイズガント通り30番地)。旧領事館はカウナスが一望
できる丘の中腹に市街地に向かって建てられた建物は通りからは平屋建てのよう
に見えるが傾斜しているので表から見ると2階建てだ。庭にはりんごが実ってい
た。90年代読んだ「命のビザ」に掲載されていた写真と同じ建物だが通り沿いの
鉄柵は現在はない。

杉原千畝は今では広く知られているが私が耳にした90年代初め(だと思うが)、
最初は新聞記事で読んだのだろう、骨太の外交官がいたのだと感心し、感動した
ものだ。しかし、帰国後外務省を退官せざるを得なかったことや名誉回復云々と
いう記事からは全貌が掴めないでいた。その後、前述の「命のビザ」が出版され
これを読んで彼の行動を理解した。

今では説明の必要もないだろう、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがポーラン
ドに侵攻し、ポーランドに住むユダヤ人がシベリア鉄道経由で亡命するために必
要な日本通過ビザをオランダ領事ヤン・ツバルテンディックと連携し杉原は本省
の意に反して発給した。

このような経緯から、その舞台となったカウナスと旧リトアニア日本国領事館に
興味を抱き機会があれば実際にの訪問してみたいと考えていた。バルト三国につ
いてはそれ以前から興味を持っていた。一度ソヴィエト時代に予約を入れてもら
ったが、ホテルが満室で取れず断念したことがある。このとき、杉原千畝のこと
は知らなかったのでそれはそれでよかったのだろう。

90年代の記事だったか本の中ではこの建物は賃貸住宅として利用され市民が住ん
でいるとあったが、1999年に財団が設立され、スギハラ・ハウスとして整備され
た。90年代といえば既にリトアニアはソ連から独立していたのでスギハラハウス
はバルト三国行き再燃の糧になっていた。それゆえ、今回このタイミングで行け
たことはこの上ない光栄の極みであり素晴らしいプチ旅行となった。

以下関連サイトです。

Sugihara House
http://www.sugiharahouse.lt/

カウナス市役所
http://www.kaunas.lt/go.php/lit/English

リトアニア杉原記念館
http://www.geocities.jp/lithuaniasugiharahouse/indexj.htm

杉原記念館
杉原千畝の出身地である岐阜県八百津町には人道の丘公園(1992年開園)が建設され、その中に杉原千畝記念館がある。
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/sugiharatiune/index.html

◆カウナス新市街から旧市街へ
杉原・ハウスの後、St.Micael the Archangel's Church、ビザンチンスタイルの教
会を目指した。ここからLaisves alejaが旧市街までほぼ直線で伸びる。ヨーロッ
パで最長のショッピングストリートの一つ、真ん中には刈り込まれた並木が並び、
両側はショップが並ぶ、兎に角長い。

日曜日だったのでショップの多くは閉まっていたが、出店が出ており、市民が多
い、何かイベント日なのだろう。City Gardenまで来たところでステージがあり、
民族衣装を着た少年少女が踊っている。横の出店ではソーセージとポテトを焼い
ているが、まだ、腰を下ろすには先が長いと思いながら、旧市街を目指す。しか
し、長い、通りだし、店の数も半端ではない。

ステージの先に道路と接する箇所があり、更に先へ足を進めると、アンダーパス
があった。ここからが目指す旧市街だろうか、建物の雰囲気が異なる。アンダー
パスを超えた左側に、Lonely PlanetのLithuaniaの表紙に使われた広告があった。
ここだったのかと納得。

St.Peter and St. Paul Cathederalまでまで辿り着くと概ね旧市街の中心だ。そ
の先の広場に面した建物にツーリスト・インフォメーションがあり、入ってみる。
そして、レストランとバスターミナルまでの行き方を聞く。

紹介された直ぐ近くのレストラン、この辺り少ない、で遅いランチを取る。結構
な賑わいだが、ほとんど観光客のようだ。メニューは英語も併記されていたが何
が出てくるかわからないが、ローカルフードであることを確認し、その中にあっ
たロールキャベツとポテトのセットを注文した。

食事の後、近くのバス停まで歩き、トロリーバスでバス・ターミナルへ戻る。降
りる場所が良くわからなかったが、車中の人に聞いたら降りる場所を教えてくれ
た。車中からみたカウナスの街、まだまだ散策したいが時間が許さない。4時過
ぎのバスでヴィリニュスへ戻る。

■第二次大戦前夜及び戦中のカウナス(参考)
1919年、首都であったヴィリニュスがボリシェビキに占領されるとリトアニア政
府はカウナスに暫定的に首都を移転、翌1920年、ヴィリニュスがポーランドに併
合されカウナスは正式に首都となった。カウナスはソヴィエトがヴィリニュスを
リトアニアへ返還する1939年10月28日まで首都として存続した。

第二次世界大戦前のカウナスの人口は、70,900、他のヨーロッパの都市と同様に,
ユダヤ人25,500人、約36%を占める、が住んでいた。(1897年ロシア統計)

1940年、カウナスはソヴィエトに占領され、リトアニア社会主義共和国へ併合さ
れる。

それから第二次世界大戦までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として、工
業的にも発展した。大戦が始るとリトアニアを含むバルト三国はポーランド東部
と共にソ連に占領されたが、間もなくドイツ軍が侵攻し街は破壊された。戦後は
ソ連の一部となり、再び工業が盛んになった。リトアニアの工業生産の四分の一
を担うまでになり、1966年にはトロリーバスが開通した。

2001年(wiki):
1. リトアニア人 352,051 92.9%
2. ロシア人    16,622 4.4%
3. ウクライナ人  1,906 0.5%
4. ポーランド人  1,600 0.4%
5. その他     6,764 1.8%

1897年(ロシア国勢調査)
1. Jews   25,052 35%
2. Russians   18,308 26%
3. Poles   16,112 23%
4. Lithuanians  4,092 6%
5. Germans    3,340 4.5%
6. Tatar 1,084 1.5%
7. Other 2,932 4%

◆両大戦の合間のカウナス
二回の大戦の合間、カウナスはの工業は繁栄しリトアニア最大の都市となった。
特に1921-31年の間、カウナスは急成長し、2500以上の近代的なビル、ネリス川
とネムナス川の架橋建設、街路の舗装、馬車からバスへの更新、上下水道整備、
郊外住宅地の建設、公園や広場の都市施設やVincas Kudirka libraryを含む図書
館の建設の建設、教育施設の新設など広範囲に近代化が行われた。また、社会保
障基金が創設された。

両大戦の合間、カウナスはユダヤ人の人口が3.5-4.0万人に上り約25%を占め、商
業、芸術、プロフェッショナル分野で活躍した。カウナスはユダヤ人の教育の中
心でもありThe yeshiva in Slobodka (Vilijampole.)はヨーロッパでも伝統ある
ユダヤ高等教育機関のひとつであった。カウナスには100のユダヤ機関があり、4
0のシナゴーグ、ユダヤ人病院、多数のユダヤ人が所有するビジネスが存在し、
シオニストの中心でもあった。

◆カウナス・ユダヤ人の悲劇
1940年、ソヴィエト連邦がリトアニアを占領した時に先ず混乱した。占領は逮捕、
資産没収、全てのユダヤ機関の閉鎖をもたらし、ユダヤコミュニティ機関は一夜
のうちに消滅した。ソヴィエト連邦はユダヤ人の資産を没収すると共にユダヤ人
をシベリア送りにした。

Lithuanian Activist Frontがリトアニア人emigresによりベルリンで設立され、
リトアニアにおける反ユダヤ文学の普及をおこない、その中でユダヤ人のための
ソヴィエト占領を非難した。

1941年6月22日、ドイツ軍のソヴィエト連邦占領に続いて、ソヴィエトはカウナス
を解放した。ドイツ軍占領の直後の6月25日、反共産主義ドイツの組織的な反乱軍
は、特にJurbarkoとKrisciukaicio通りソヴィエトの抑圧を非難したユダヤ人を攻
撃した。3800人以上のユダヤ人が虐殺され、数百人がLietu-kis garageに連行さ
れ殺された。最終的に、ドイツ軍はカウナス・ゲットーを建設したが、戦争末期
までにほとんどのユダヤ人が一掃された。

◆戦後
第二次大戦後、カウナスはリトアニアの工業都市として工業生産の4分の一を担う
ようになった。
(wiki英語版を基にしている)

◇フォトギャラリー
Kaunas
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622438351256/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
無理した甲斐があったカウナス行き、駆け足だったが大満足!
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メールマガジン「世界の街角からMM」第37号 2009年10月25日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi IIO All Right Reserved.
公式サイト1:http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用)
公式サイト2:http://www.iio.org.uk (photo gallery)
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問い合わせ:iio.tokyo@gmail.com
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世界の街角からMM第36号 ラトビア・リトアニア紀行(3) 2009年10月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第36号 2009年10月24日
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今回はリトアニアの首都ヴィリニュスです。ラトビア・リトアニア紀行、これま
での中央アジアから趣向を変えてちょっと垣間見たバルトの国々。
▼目次
■ヴィリニュス
◆リーガからヴィリニュスへ
◆ヴィリニュス・バスターミナルと鉄道駅
◆旧市街散策
◆ゲディミナスの丘
◆Europe Business Centre
◆両替
■■編集後記
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■ヴィリニュス
ネリス川とヴィルナ川の合流地点にあるヴィリニュスはバルト海まで312kmと内陸
に位置する人口やク54万人のリトアニアの首都だ。第二次大戦前はカウナスが首
都だったが、これはどうも暫定的な措置で、歴史的にはヴィリニュスがリトアニ
アの都だったようだ。

独立後は、エストニアやラトビアとは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件で
国籍をあたえている。その後、西欧諸国との結びつきを強めており、2004年3月29
日にはNATOに加盟し、さらに5月1日には欧州連合(EU)へ加盟した。EU並びにNAT
Oへの加盟は他のバルト諸国と同日だ。

旧市街は、ヴィリニュス歴史地区(文化遺産、1994年、(i)(ii))として世界遺産
に登録され、観光客も多い。東欧最大といわれる旧市街、かなり見所が多かった。

2009年はオーストリアのリンツと共に欧州文化首都にも選ばれている。
http://www.culturelive.lt/en/main/

ヴィリニュス市役所
http://www.vilnius.lt/newvilniusweb/index.php/110/?

◆リーガからヴィリニュスへ
EuroLineのバスでリーガからヴィリニュスへ移動した。料金は片道15Euro、バ
スの車輌により若干料金が異なる。予約は窓口でも出来るが今回は事前にオンラ
インで予約した。以前にも説明したが、キャンセルは窓口しか出来ないので、は
っきりしない場合は数日前に窓口で購入するのがよい。

バスは快適な旅、リーガ-ヴィリニュス間は現在道路の拡幅とリハビリテーショ
ン中でそれほどコンディションは良くないが、スムースな流れと車窓からの農村
風景は、収穫が終わった時期なのだろう、快晴のお天気の下のんびりとした印象
だった。

所要約4時間、ヴィリニュス近郊から道路が6車線の高規格になり、さながら西
ヨーロッパの都市のようだ、実際、ヨーロッパの都市なのだが。この国がソヴィ
エト連邦構成国家であったとは沿線のヨーロッパや日本の自動車ディーラーや商
業施設を見ていると想像ができないほどだ。

ヴィリニュスの都心の手前、近代的な真新しいカーテンウォールの高層ビジネス
センターが所々に見られ、緑濃い谷に位置するこの町の表情にアクセントを与え
ているかのようだった。

バスセンターへは、旧市街の鉄道を挟んで反対側からアクセスしたので、実際、
都心なのかどうかわからなかったが、バスを降り、ターミナルを出ると、そこは
ヴィリニュス駅前だった。午後2時に到着、丁度4時間かかった。

Eurolines
http://www.eurolines.ee/en

◆ヴィリニュス・バスターミナルと鉄道駅
旅行をしていると必ずバスターミナルや鉄道駅を経由する。それゆえ、その状況
を把握しておくことは次の旅程を考える上でも必要不可欠だ。

初めての都市ゆえ、実際、ヴィリニュスのどこに付いたのか地図とにらめっこし
ながらロケーションの確認をし、それが終わると周辺の状況を確認した。

バスターミナルは、鉄道駅の前に位置し、市内の公共交通機関であるバスやトロ
リーバスとも接続良く、更に、ホテルも想定どおり歩ける距離だった。

長距離バスネットワークが非常に発達しており、サービスレベルも高い。この
ターミナルからも西ヨーロッパやキエフ、ミンスク、サンクトペテルブルクなど
の都市をはじめ、国内の地方都市へも連絡されている。

その後、駅を散策、こじんまりとしているが機能的、駅の中にはツーリスト・イ
ンフォメーションがあり、市内の地図や案内を収集、2万分の1の地図は販売(12
Litas、480円相当)されている。両替をするつもりだったが構内にはなく、駅の
隣の銀行を紹介された。

銀行へいくもかなり混んでいたので、ではと、先を急いでホテルへ向かった。荷
物はほとんどリーガのホテルに預けてきたのでディパックだけ、地図で場所を再
確認し、午後のヴィリニュスを歩き始めた。

◆Hotel Rinno
Hotel Rinnoには徒歩10分程度で着いたと思う。非常にアットホームなレセプショ
ンの対応とインテリア、部屋はかなり広く、ダブルベッド、ワードローブ、デス
クがあり、南向きなのだろう午後の日差しが部屋に差し込んでいた。昨晩よりか
なり快適な印象、バスルームもシャワーだけだがかなり広い、朝食は中庭に面し
たレストランでとる。

webで探したホテルであるが、かなり当たりだ。場所は旧市街の中心よりやや外れ
ているが徒歩圏、宿泊料金は1泊朝食付きで49Euro。

http://www.rinno.lt

http://baltic.iio.org.uk/balt_hotel.html

◆ヴィリニュス旧市街散策
ホテルに荷物を置いて早速旧市街へ出かけることにした。午後2時に着いたので散
策に出かける時には3時ごろになっていたのだろうか、それでも日が高く、十分に
歩き回ることが出来た。まだ夏時間だったのだろうか。

レセプションでウォーキングルートを聞き、先ず、ホテルから旧市庁舎前広場を
目指して歩き始め、Radisson SAS Astorijaの横の通りでた。目の前のピンクの教
会、St.Casimir Churchと背景の青空に目を奪われつつ仰ぎ見た。

旧市庁舎前広場には、小さなピラミッドが設けられ子供たちが描いたであろう絵
がはめ込まれていた。

ここから、Vokieciu Gatve、中央が並木道になっているショッピング通りを経由
してDominikonu gatve、そして、Stikliu gatveを遠回りし、旧市街を貫くDidzio
ji gatveに戻った。

ランチはバスの中で持参したパンを少し食べたがさすがにお腹もすいてきたので
この広場に面したカフェで休憩をかねて軽食を取る。屋外に出されたテーブルの
一番前に陣取り、路行く人をウオッチする。土曜日なんでのんびりとした雰囲気、
非常に心地よかった。この店、客層も高いようでシャンパンを開けているグルー
プもあった。その時、目の前に真っ赤なスポーツカー、何だろうか、見かけたこ
とがない車だ、が止り、中からゴージャスなマダムが降りてきて、そのシャンパ
ンを開けている客のテーブルへ吸い込まれていった。

その後、カフェから旧市街を貫くネリス川へ向かって下っているDidzioji gatve
をGediminas Hillの麓にあるVilnius Cathedoralへ向かって歩き出した。途中、
ヴィリニュス大学があったがここはあまり見なかった。Vilnius Cathedoral、こ
の横には大きな広場があり多くに市民が集まっていた。

そろそろ本格的に両替をしなくてはと思い、Cathederalから続くショッピングス
トリート、Prospektas通り、ホテルのレセプションから聞いたルート、で両替所
を探すが見つからず、Novotelがあったので両替可能かどうか問い合わせたところ、
ホテルでは受け付けていないが、ホテルの反対側にあるGediminas9というショッ
ピングセンターの1階に銀行があることを教えてもらう。

そこで無事両替をし、ついでにショッピングセンター内を冷やかしてから、小銭
が必要だったGediminas Hillへ行く。ネリス川沿いの博物館側にフニキュラ
(ケーブルカー)があるのでそれで丘の上へ登った。

http://baltic.iio.org.uk/vilnius.html


◆ヴィリニュス旧市街(補足)
翌日、カウナスへ行きバスを10時過ぎへ変更したので少し時間が出来た、それで、
まだ見ていない旧市街を散策した。中央市場があったがここは今回はパスして、
旧市街の入り口、Gates of Dwonを見学する。この辺り、城壁が若干残っている。
そして、城壁門の内側が教会になっている。振り向くと十字架に見下ろされてい
る。

参考までにwikiにあった第二次大戦前のヴィリニュス民族構成を掲載しておく。

1931年の民族構成
* ポーランド人 -- 65.9%
* ユダヤ人(ポーランド語とイディッシュ語の両方を話す) -- 28.0%
* ロシア人 -- 3.8%
* ベラルーシ人 -- 0.9%
* リトアニア人 -- 0.8%
* ウクライナ人 -- 0.1%
* その他 -- 0.2%
(wiki)

現在世界遺産となっているヴィリニュス歴史地区(旧市街)の住民のほぼ 100 %
はポーランド人であったが、第二次世界大戦でヴィリニュスがソヴィエト連邦領
となり、リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国に併合されるとこの街のポーラ
ンド人の多くがポーランドへと追放され、住民はリトアニア人とロシア人になっ
た。

◆ゲディミナスの丘Gediminas Hill
ネリス川沿いの博物館側にフニキュラ(ケーブルカー)があり、これで丘の上へ
登った。どうやら観光地でもあるがデートスポットでもなるようだ。

丘の上に城砦があり、入場料が必要、さらに上に登る。ここからはヴィリニュス
の街が一望できる。ネリス川側は新市街、反対側は旧市街、日の光から、新市街
は東側、旧市街は西側になるのだろう。

ここからの眺めはきっとヴィリニュス一の眺めだと思う。蛇行するネリス川の流
れと新市街地のビジネスセンター、他方、バロック建築を主体とするヴィリニュ
ス旧市街、教会の数々、直ぐ足元に巨大なVilnius Cathedoralとその鐘楼がみえ、
Cathederalから続くショッピングストリート、Prospektas通りの賑わいも若干だ
が覗いていた。

城砦の屋上の真ん中にはリトアニア国旗がはためき、存在感を示している。新市
街側にも丘があり、白い十字架が見え、観光客も見える。今回は時間なくこちら
へは足を伸ばしていない。

◆Europe Business Centre
ゲディミナスの丘の麓にある博物館を出て、ネリス側沿いに橋を二つほど先まで
歩く。Neris川に架かるGreen Bridge (Zaliasisi)と呼ばれる橋を渡り、次の交
差点(右角ホリデーインホテル)を右へ行くとEuropa Business Centre、近代的
な高層ビル群。中にショッピングモール、Europe Shopping Centreがある。

この前に建っているヨーロッパタワー、円柱の建物、この建物がバルト三国で最
も高い高層ビルとのこと。
http://www.europa.lt/en/

途中、ボートハウスのような建築物がネリス側に浮かんでいたり、パイプが堤防
から川の中へ出ていたり、どうもこれはアートらしい、目に留まるものが多い。
そして、川沿いの歩道は良く整備されていて快適この上ない。

Europe Shopping Centreは3or4層のアトリウムになっており内廊下に面してテ
ナントが入居している。4階に日本料理屋MIYAKOがあるということをwebで知って
いたので覗いてみたが、モスクワスタイルの和食だったので敬遠した。

テナントはリトアニアのも多いのだろうが、ヨーロピアンブランドも多くあり、
衣類を調達した。一回にはスーパーマーケットがある。

ここからホテルまでかなりあり、最初はバスで帰る予定だったが、ホテルの前を
通るバス停が良くわからず、結局、違うルートで旧市街を歩いてホテルまで帰っ
た。Novotelの近くにあった、ショッピングストリートであるVilniaus Gatveは、
もう既に時間が遅くほとんどのショップが閉まっていた。

◆両替
駅前での両替を逸したので、ちょっと苦労した。旧市街にも見当たらず、銀行は
既に閉まっており、ランチはクレジットカードで支払ったがペティキャッシュは
必要なので、本格的に両替所を探した。

この日は土曜日ということもあり、しかもヴィリニュスの両替所は銀行が主、よ
って3時か4時には閉まってしまい、両替に苦労したが、Prospektas通り、Novotel
の前にあるGediminas9というショッピングセンターの1階に銀行がある。

◆フォトギャラリー
Vilnius Old Town
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157622313717951/

▼為替レート
Bank of Latvia
http://www.bank.lv/lat/main/all/

Bank of Lithuania
http://www.lb.lt/home/default.asp?lang=e

■■編集後記
ヴィリニュス最高!
お天気最高!

昨年の世界経済危機でリトアニアもかなり影響を受けたと聞いていたが、旅行者
の目からはうかがい知れなかったが、ホテルのレセプション情報では、レイオフ
がかなり目立ったといっていた。また、低賃金にも関わらずとも漏らしていた。
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