2009年3月3日火曜日

【世界の街角から】タシュケントの表情と生活 第4号 2009年3月2日

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メールマガジン「世界の街角から」            第4号 2009年3月2日
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発行人の飯尾彰敏です。
第4号はタシケントの表情と生活についてについてのレポートです。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょっ
と硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けしていま
す。
▼第4号の目次はこちらです。
■タシュケントの発音と表記
■タシュケントの町の表情(1)
■タシュケントでの食生活(1)
■タシュケントショッピング事情(1)
■■編集後記
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■タシュケントの発音と表記
Ташкент (Tashkent)はロシア語表記、ウズベク語表記はToshkent、日本語で
は「タシュケント」と「タシケント」の2種類が表記に使用されている。以前は「タ
シケント」が多かったが最近は「タシュケント」のが多いようだ。よってここでは
タシュケントを用いることとする。

■タシュケントの表情(1)
町の表情を語る前に歴史を簡単にレビューしておく必要がある。

タシュケントはシルダリア川の支流であるチルチク川の流域に位置する。歴史的に
はシルクロードのオアシス都市として繁栄した。このオアシス都市は2000年前には
「チャーチュ」(ソグド語、ペルシャ語)として記録されている。タシュケントの
歴史は後述に譲るが、モンゴルにより町が崩壊し、その後、ティムール帝国の勃興
により復興を果たしている。

1809年、コーカンド・ハーン国の支配下になったころのタシュケントは25キロの城
壁に囲まれた人口10万人の都市だったという。その後、帝政ロシアがコーカンド・
ハーン国を征服、帝政ロシアの直轄領となり、1967年、タシュケントにトルキスタ
ン総督府が設置されてロシア人の入植が積極的に行なわれ、旧市街の外側にロシア
様式の新市街が形成され、その後、中央アジア経済の中心都市として発展、現在、
人口200万人を超え、中央アジア最大の都市である。

このように帝政ロシア以降の歴史的な背景から、タシュケントはAnchor Canalを境
にして西側を旧タシュケント(旧市街)、東側を新タシュケント(新市街)と呼ば
れている。

本来なら旧市街にはイスラム様式の町並みが残っているはずだが、1966年4月26日、
タシュケントを震源とする直下型大地震により、脆弱な構造の家屋や建築物の多く
が崩壊したため町の様相が一変した。

それでも旧市街には地震に耐えたイスラム寺院や土塀作りの迷路のような町並みが
残っているという。これはまだ未確認なので次回以降に説明する。

復興には、ソ連各地から3万人の「革命的労働者」が集められ復興支援が行なわれ、
僅か数年でタシュケントは近代都市に生まれ変わったという。

この復興計画では、定かではないが、道路幅員や1ブロックのサイズなど我々から見
ると非常にゆとりのあるモジュールが適用されたようでヨーロッパやアジアの都市
とは趣を異にする。若しくはソ連邦のモジュールなのかもしれない。

それで、町の表情はどうかというと、特に新タシュケント側は一言で言えば広々と
ベターッとしている。

どこが町の臍かと考えても明確な答えがないが商業的な集積は、短い滞在の中で感
じたのはナボイ劇場周辺とchorsoだろうか。チムール広場がタシュケントの中心だ
というが定義が不明確であるし、広々とし過ぎていることや空地も多いことから、
これが中心地なのだろうかと考えてしまう。確かに、ホテルや行政機関はいくつか
はあるが。

ナボイ劇場の周辺にはTsUMやMir Shopなど商業施設や文化施設が多い。行政機関も
同様にこの地区に多い。

歩こうと思うと広々とし過ぎていて、ややヒューマンスケールを超えるので散歩
コースを考えるのに苦労する。

■タシュケントの食生活
Sushi Barの宣伝を見たような記憶だがあまり話題に上らないところを見るとそれほ
どでもないのだろう。それよりもこの地域で和食を期待してはいけないと思ってい
る。もし期待した場合の失望感が大きいだろうから。

それよりも日本人にとっては朝鮮料理(下記参照、韓国料理のこと)のほうが何か
と口に合う。ウズベキスタン料理はプロフ、ラグマン、シャシリックなど美味しい
のだが脂っこいので敬遠しがちだ。

その他、トルコ料理、これはややトルコに滞在した経験を持つ筆者にっとてはやや
物足りない。中華もあるが、今回はこれからだ。ただ一人では行けないだろうな。

もちろんロシア料理も一般的に口にすることが出来る。ロシアのファミレスがある
そうなのでこのレポートはまたの機会にする。ロシア料理というとボルシチ、ポー
クカツレツ、ビーフストロガノフ等を思い出すがボルシチはウズベク料理屋でも用
意している。ボルシチ、サラダ、リピョーシカで軽くランチを食べることも少なく
ない。以下、個々の店の味と印象です。

□1937年以降、ソ連国家に反感を持ちそうな民族を丸ごと中央アジアのカザフスタ
ンや極東シベリアの遠隔地に強制移住させる政策がスターリンによって行われた。
極東沿海州の朝鮮人やカスピ海北部のドイツ人などの移民がカザフスタンへ強制的
に送られた。

▼Mir Burgar(Mir Shopの中)
元はDeMirといったそうだがそのフードコートにトルコ料理、ピザ、スイーツなどの
セルフレストランがある。地階にトルコ料理レストランがある。

選択肢があるが主にここではトルコ料理ファーストフードをよく食べる。トルコ料
理といえばドネルケバブ、ビーフとチキンの組み合わせになる。遅い時間になると
ドネルケバブが売り切れている場合が多い。それから、アイラン(ヨーグルトドリ
ンク)も毎回注文する。

Et Doner 6300Sum+Ayran700s=7,000Sum(5ドル相当)
ビーフのドネルケバブとヨーグルトドリンク

バナナジュース(1700s)があったので注文したが、甘くて飲めなかった。

ロカンタのような食堂があるとありがたいのだが。

▼韓国館(Han Kuk Kwan)
MBD(内務省)の前、Mirabad StreetとSharaf Rashidov Ave.が交差する島(駐車場
になっている)、ラウンドアバウトともいえない、の中に位置する。
Kosmonavtlar駅から徒歩3分
Tel.071-252-3322

何度か行ったがスンドゥブがいつもないので最近足を向けていないが、普通に美味
しい韓国料理屋である。

▼Kim's House
1996年1月にタシケントに滞在したときにタシケントに赴任している人に連れて来ら
れた韓国料理屋ではないかと思った。それは、入り口までのアプローチが非常によ
く似ていたからだが、内部はやや異なる気がする。それで、主人に確認したら2005
年5月からの営業とこのと、違う店だった。あの店はどこだったのだろうか。

Ming Orik/Oybek駅から徒歩3分
Afrosiab 35/1, Tashkent
Tel.071-252-2927

私的には気に入っている韓国料理屋なので何度も足を向けている。徒歩だと25分か
かるが丁度よい散歩だ。

▼MIDORI
Poytaxt Hotelの中(1階、ホテルの一角)にある。Korean and Japaneseと看板に
書いてあるので両方出すのだろうが、韓国料理しか食べたことがない。そういえば
寿司の写真がありました。

やや前述より値段設定が高めだろうか、メニューの違いはあまりわからなかった。
4, Movaraunnahr, Tashkent
Tel.071-120-6974

▼Opera Cafe
Dedeman Hotelのカフェ、ホテルの中なので値段はそれなり。
Wi-Fiが使えるのでその目的なら高くはないだろう。
夜は12時まで、食事は11時まで。
Dedeman Hotel 1F

▼Palace Plaza
International Business Centerの1階右奥にあるローカルフードレストラン、比較
的リーズナブルなのでビジネスセンターで働く人で賑わっている。メニューがある
がまだよくイメージできない。私の知っている範囲は、ラグマン、炒めラグマン、
ピラウ、ボルシチ、リピョーシカなど。サラダは種類が多い。ランチは、3000-5000
Sumで食べられる。

■タシュケントのショッピング事情(1)
前述のように町がベターと広がっているので商業的な集積は非常に限られるが、中
心地(新市街)の道路沿いの一階はショップになっている場合が多い。しかし、線
的な配置なので集積とはいいがたい。集積といえるのはMir Shopとバザール周辺だ
ろうか。Mir Shopとアライ・バザールは何度か足を向けたので概要を説明する。

基本的に販売している製品は輸入品であり、並の製品でも割高感が否めない。これ
はウズベキスタン製品の競争力がない証であることは言うまでもない。冬季は農産
物までトルコや中国から輸入されている。

▼Oloy Bazar (Alaysky)
新市街中心部にあるバザール、1996年に来たときには衣類のバザールは無かったが、
2007年には正面建物の右側に衣類のバザールが出来ていた。レザー、スーツ、カジ
ュアル等ほとんどの衣類が揃っているが、デザインがやや野暮ったいので買えそう
なものは少ない。トルコ製、中国製がほとんど。

正面の建物内は、宝石屋が多い。その奥に、野菜、果物、肉類など生鮮食料品バ
ザールがある。

ロンリープラネットによると警官が特に多いと説明がある。

▼Mir Shop (Super Market)
トルコ資本のスーパーマーケット、2007年のときはDemirといったのではないだろう
か。ここはトルコと概ね同じ内容と値段だ、食料品ならば概ね何でも揃っている。
キッコーマンの醤油も売っていたが7ドル相当と高価だった。他方、中国製の醤油は
2ドル相当だった。酒類は販売していない。ここがタシュケントでは一番品揃えがい
のではないだろうか。もう一箇所、旧Gumにトルコ系のスーパーマーケットが進出し
ているが今回はまだ足を向けていない。

また、3番のキャッシャーはクレジットカード(VISAは使えた)が使える。これは助
かる。

2階にブティックがある。トルコのSARAR(私が信頼しているトルコの紳士服屋)が
あったので、50%offのスーツを調達した。すそ直しはアライバザールへ行けという
のが納得行かないがしょうがない。次は靴を調達予定だ。

その他、ZARA、キッチン用品屋(ベルギー製がほとんど)、化粧品、家電製品、文
房具屋、時計屋、女性・子供服屋、下着屋、靴屋等のショップがある。

近くに劇場あったり、横にフードコートがあるなど他の施設との連携が取れている
せいか、いつも賑わっている。

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■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
言葉のバリアは大きい、ロシア語が出来たら情報量が倍増するのだろうな。この地
域なのでロシア語は必須なのだが。やはり語学学校へ行くべきだろうな、時間をつ
くってでも。

No.3にレポートしたトルクメニスタン大統領一行様、トルクメニスタン物産展も開
催されており案内があったので最終日に足を運んだ。しかし、ファッションショー
は最終プログラムが終了した後で観ず仕舞い。デデマンで見かけたモデルらしき均
整の取れた人たちがいました。

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