2011年10月24日月曜日

【世界の街角からMM】第120号 アスンシオンにて(1) 2011年10月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第120号 2011年10月24日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。10
月に入り夏時間となったので時差が12時間、丁度日本からだと地球の裏側になる。
この国での滞在メモ、アスンシオンにて、その1です。

▼目次
■何か違和感、アスンシオン空港到着時
■我が国の対パラグアイ援助
■パラグアイ日本人移住の略史
■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト
■■後記
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■何か違和感、アスンシオン空港到着時

サンパウロからTAMメルコスール航空PZ0713でアスンシオンに午前10時10分、定
刻通りに到着した。機内で配布されたイミグレーションカードに必要事項を記入
を済ませているし、キャリーオンはサンパウロで搭乗直前に預け入れに回されて
しまったので棚に入れたレンズを取り、先を急ぐ。ボーディングブリッジを抜け
空港ターミナルに入り、入国審査窓口の直前である文字が視野に飛び込んできた。

「ようこそ」???とイグアスの滝の写真を背景に日本語の大きくな文字だ、と
思いながらよくそのサインを見ると左上に青のJICAのロゴ、その下にパラグアイ
観光庁であろうロゴが示してある。青のJICAロゴなのでJBICとの統合前のサイン
だ。

このサイン、JICA予算が支出されたことは容易に想像がつくが、JICAに「ようこ
そ」などと言われる筋合いはない。パラグアイ観光庁が「ようこそ」と言ってい
るのかJICAが言っているのか紛らわし看板だった。

良心的に考えれば「ようこそ」の上にスペイン語で「Bienvenidos」(ようこ
そ)と明記されているのでパラグアイ観光庁が「ようこそ」と言っているのだろ
うと解釈すればよいのだろうが、「ようこそ」の文字の大きさと大きすぎるJICA
のロゴが邪魔している、パラグアイ観光庁がJICAを担いでいるのだろうか、JICA
が担がれたふりをしているのだろうか、そんなことはどうでもよい。実践的なサ
インが必要と筆者は感じただけだ。

■我が国の対パラグアイ援助

我が国のパラグアイに対するODAは、1952年に開始された研修事業から始まり、1
959年には有償資金協力、1963年に開発調査、1970年にプロジェクト方式技術協
力、1977年に無償資金協力、1978年には専門家派遣と青年海外協力隊員派遣が実
施され、現在に至っている。

1975年以降、二国間援助では我が国がトップ、日本人移住者との関係からだろう
か、不思議な国なのだ

対パラグアイ援助
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/gaiyou/odaproject/latinameric
a/paraguay/index_01.html

■パラグアイへの日本人移住略史
パラグアイへの移住は第2次世界大戦を挟んで二つに分けられ、本格的には日本
が高度経済成長へ向かう時期に並行して移住者が多い。

▼移住開始
1936年、ブラジル政府が新規移住制限(1934年)を設けたため、移住先としてパ
ラグアイが検討され、アスンシオンから南東約130km、現在のラ・コルメナ地区
の土地購入を決定、1936年にパラグアイ政府はブラジル拓殖組合に対し、日本人
移民100家族を受け入れる許可を出した。

ブラジルで入植経験がある4家族33名の日本人が、新移民を指導する目的で、
ラ・コルメナ移住地に到着、その後4家族36名が到着した。

1936年8月12日、日本から最初のパラグアイ移民として11家族81名が到着した。
第2次世界大戦により日本人移住が途絶える1941年までに123家族790人が移住し
た。

▼戦後の移住
1952年にパラグアイ政府が日本人移住受け入れ再開を決定し、戦前の移住地であ
るラ・コルメナ地区へ18名が入植した。

また、パラグアイ政府は南部開発のためイタプア県に新たにチャベス移住地を新
設し、入植を許可した。

1955年、イタプア県フラム移住地への入植を開始

1956年イタプア県フジ移住地、入植を開始

1956年、アマンバイ県CAFE(Compania Americana de Fomento Economico)農園
への契約雇用農(コーヒー栽培)として、137家族の日本人が入植、しかし、3年
後、同社は倒産したため、アマンバイ移住地の入植者は他の農作物の生産や商業
に従事することになる。

1957年、ラ・パス移住地、サンタ・ロサ移住地にまで拡大した。

1959年、日本・パラグアイ両国政府は、「日本・パラグアイ移住協定」を締結し、
以降30年間に亘って85,000名の日本人移住者の受入が決定。

1960年、現JICAは、現在のイタプア県ピラポ地区に土地を購入し、26家族が入植
した。

1961年、アルト・パラナ県イグアス地区に約87,000haの土地を購入。イグアス移
住地は、パラグアイで最大の移住地となった。

現在では、人口規模ではピラポ移住地が最大となっている。

イグアス移住地(87,700ha、182世帯、832人)
ピラポ移住地(84,000ha、235世帯、1,279人)

移住地の他、都市及び近郊にも移住者はおおく、アスンシオン市及び近郊が2,00
0名を超える。エステ市及び近郊に130人、エンカルナシオン市及び近郊に340人
の移住者が居住している。

参考:在パラグアイ日本国大使館
http://www.py.emb-japan.go.jp/ijuushi.htm

■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト

日系移民がいるので和食に事欠かないという情報と先入観で日本から食材を携行
せずアスンシオンにやってきた。しかし、現実は現実、ないわけではないのだが
思い通りの内容ではない。したがって、現状を踏まえた上で持参すると食生活が
豊かになる日本食品リストを作成してみた。これはパラグアイに限らず他の国へ
での短期滞在でも基本的に同様である。

アスンシオンの場合、アパートホテルという簡易キッチンの付いた長期滞在ホテ
ルがあるのでここでの滞在を前提とする。IHクッカー、電子レンジが用意されて
いる場合が多いので、これらを使って調理できる範囲です。

食器類は全て用意されているが、どんぶりのような器は現地調達する必要がある。
筆者はシリアルボウルでよく代用した。それから、食材ではないが備え付け包丁
はほとんど切れないと思った方が良い。

アスンシオンでは東アジア系食材が入手可能ですが詳細は別の章でレポートする
予定です。

▼お薦め携行日本食材リスト
1.インスタントみそ汁; 味噌は売っているが調理しなければならない。イン
スタントみそ汁があれば食事が豊かになるのは間違いない。

2.焼のり; 軽いし嵩張らないので持参しやすいことに加え、ご飯との相性が
よい。

3.インスタントスパゲティソース; パスタは茹でられるので、それに塗すだ
けで並みのスパゲティが出来上がる。

4.インスタントラーメン; アスンシオンで販売されているインスタントラー
メンは、ブラジル製ニッシン、日本のそれとは大きく内容が異なります。棒ラー
メンは比較的嵩張らず旨いですね。

5.ふりかけ類;軽し嵩張らない、これでご飯が美味しく食べられる。

6.醤油類; パラグアイ産、ブラジル産醤油は売っているが、減塩とか特殊な
醤油は売っていないので、必要とする方は持参をお薦めする。

7.鰹節; 小さなパック入り、何かと料理に使える。冷奴にも。

8.チューブ入りワサビ・ショウガ; 生ショウガが売っているが下し板がない、
一本づつあれば何かと便利だ。

9.お茶の葉または粉末茶;美味しいお茶が飲める。アスンシオンには日本料理
店があるが、まともなお茶は出さない。

10.コーヒーセット(コーヒー豆、紙フィルター、ドリップ容器);お湯を沸
かせばコーヒーが飲める。

その他、箸、小型包丁があったほうがよい。

■■後記
日本人の移住とパラグアイ経済への貢献等については次号以降にレポートする予
定です。大豆の品種改良や主要輸出産品の地位を確立したことなど農業分野で多
大な貢献をしています。
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