2012年12月31日月曜日

【世界街角通信】第155号 インドとパキスタン(4) 2012年12月31日


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メールマガジン「世界街角通信」       第155 20121231
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南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(4)です。

2012年、ぎりぎりになりましたが、2012年は日印国交樹立60周年です。

▼目次
■ムンバイの一夜
■エアーインディアとインディアンエアーとスターアライアンス保留
■ムンバイ(ボンベイ)とマハラシュトラ州

■■後記
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■ムンバイの一夜

「一夜」に相応しい内容ではなく単に夜寝ただけのムンバイとなった。

今回は慌ただしくデリーは一泊のみで翌日の夜の便でデリーからムンバイへ移動
した。

個人的には初めての都市へのフライトは昼間を選択する。上空からその都市が見
られるし、空港からの移動も都市の様子が垣間見られるからだ。しかし、今回の
スケジュールはクライアント任せにしたので往復とも夜間の移動となっている。

International Airport of Mumbai
非公式 Mumbai Airport

デリーからムンバイへ移動したのは、AI805 20:00-22:10
プネからデリーへは、AI850 18:40-20:40

フライトスケジュールのとおり暗闇の中、飛び立ち、暗闇の中、ムンバイへ着い
た、ここは常夏のようだ、上着は要らない。デリー空港の国内線ターミナルも国
際線同様T3にあり、真新しいターミナルビルとショップ、そしてフードコート等
早めに来たが時間を潰すことは容易であった。

今回のスケジュールはホテルにチェックインし寝るだけ、朝起きて朝食を食べ車
で出かける、ムンバイではない、その郊外でもうムンバイには戻らない。復路は
プネからデリーに戻る予定となている。よってムンバイの様子は全くわからない、
インド門を観ないとムンバイへ来たとは言えないだろうに、Colaba地区はウェブ
上での画像体験のみとなった。

記憶しているのは、空港からは近かったこと、ホテルの裏に導水管なのかかなり
太い管が通過していた、そしてその周囲にいわゆるインフォーマル住宅と言われ
る掘立小屋が立ち並んでいることだった。

出発が8時半とのことだったが、結局9時過ぎになった。少しは街を観られたかも
しれないが何分アレンジに不明確な点が多かったので無理はしなかった。

いわゆるムンバイの中心である岬、Colaba地区は再訪のインセンティブとなっ
た!ちと寂しくないかい、初めてのムンバイなのに。

Vits Mumbai Hotel
Andheri Kurla Road, International Airport Zone,

Municipal Corporation of Greater Mumbai

インド最大の都市であり、市域人口は1,248万人、近郊を含む都市圏人口は2,129
万人<2011 span="span">年)であり、世界第6位である。ムンバイの域内GDP2090億ドル<2008 span="span">
年)で、世界第29位である。

1999年から2004年までの滞在記、もう古いかな、でも実際に住んだ人の情報です
から貴重ですね。

ナマステムンバイ 駐在員日記

■エアーインディアとインディアンエアーとスターアライアンス保留

かつてはエアーインディアが国際線、インディアンエアーが国内線と近距離国際
線を担っていたが2007年に合併、エアーインディアの名が存続航空会社名として
使われている。

また、200712月には、スターアライアンスへの加盟が承認され、加盟準備が進
められていたが、2011731日、エアインディアが契約合意した加盟条件を満
たさなかったため、加盟が保留となった。

エアインディアがスターアライアンスに加盟

エアインディアのスターアライアンスへの加盟の保留について


インドの航空会社に搭乗したのは、1992年だったかカルカッタからデリーへ移動
したときのインディアンエアーが最初で最後となっていた。

今回、デリーからムンバイ、プネからデリーの国内線を利用したが、安定した
サービスなのでスターアライアンスへ加盟できるのだろう、

これまでスターアライアンス加盟へ招待されたにも関わらず最終的に加盟を保留
された航空会社はエアインディア以外にありませんが、「必要な条件を満たせな
かったのが理由」としか説明がありません。

保留なので条件を満たせば、エアーインディアもスターアライアンス加盟航空会
社となる日が近い将来やって来ることでしょう、と楽観的にみています。

エアーインディア

Air India

■ムンバイ(ボンベイ)とマハラシュトラ州

向学のために一夜を過ごしたムンバイとマハラシュトラ州について、若干、説明
をしておこうと思う。

筆者にはムンバイと言うよりボンベイの方が都市の名前的には馴染みがある。と
いうのはインドは1995年に英語での公式名称をボンベイ (Bombay) から、現地語
(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更したからだ。他にもカ
ルカッタがコルカタへ、マドラスがチェンナイ等へ変更されている。

▼ムンバイ(ボンベイ)

持参金として英国へ譲られたのがボンベイとのこと。

1661年、ポルトガルのカタリナ王女が英国のチャールズ2世と結婚する際、ボン
ベイはポルトガル側の持参金としてイギリス側に委譲された。

元々ボンベイは、1534年にポルトガルがグジャラートの土侯からこの土地を譲り
受けたことに始まり、ポルトガル人は、ゴアの補助港としてのこの地に城塞都市
を築いた。

19世紀初頭、英国で産業革命が拡大し植民地へも波及、1850年代に鉄道と綿紡績
工場の建設が行われ、この地の産業を大きく発展させた。特に1861年から1865
の米国南北戦争では、米国から英国への綿花輸出が停止したことから、ボンベイ
の綿織物業は飛躍的に拡大することとなった。さらに186911月のスエズ運河開
通は、ボンベイ港の重要性を一層高めることになる。

このような経緯を経て、20世紀を通して経済と金融の集積が継続し、インド最大
の経済都市に成長し、インドの金融センターとしての位置づけにある。インド映
画の中心でもあり芸術文化都市でもある。そういう意味ではデリーは政治都市と
なる。

このようなムンバイに日本政府は領事館を置いている。

在ムンバイ日本国領事館

在インド国日本大使館

▼マハラシュトラ州

インドは28州あり、その中でも最も経済的に発展している州のひとつである。人
口は約9,700万人、マハラシュートラ州は州の公用語であるマラーティー語で
「偉大な国」という意味だそうだ。州都はムンバイ(Mumbai、ボンベイ)。

今回、ムンバイ以外にITと自動車産業、教育都市であるプネ、歴史都市であり砂
糖産業都市であるコルハプールを知ることになった。流石にインドは奥が深い。

Maharashtora Tourism

Government of Maharashtra

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■■後記

大晦日です、今日は昨日よりマシな天気ですが寒いですね。

2012年が終わろうとしています。

来年もご愛顧のほどどうぞよろしくお願いいたします。

また、健康な一年でありますようにお祈り申しあげます。

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