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メールマガジン「世界街角通信MM」第263号 2016年7月24日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
神の思し召しにより2015年10月中旬より「アフリカの角」地域、アビシニア高原
のアジスアベバに滞留しています。バックログながら半年ほど時間を巻き戻しつ
つ「アフリカの角にて」を備忘録的に筆者の琴線に触れたことをお届けします。
今号はNo.12「ジブチの香り-その2」です。
▼目次
■ジブチ概要
■ジブチ独立まで
■日本とジブチの関係
■ジブチの自衛隊
■■後記
★本文★
今年の1月に初めてジブチへ行きました、その時は今の季節のように暑くなく、
と言ってもアジスアベバからでは暑かったのですが、その時の印象等をご紹介し
ます。
■ジブチ概要
ジブチは紅海の出入り口であるアデン湾に面したアフリカ大陸側、大地溝帯の北
端に位置し、標高はアッサル湖のマイナス155m(アフリカ大陸最低地点)から
ムーサ・アリ山(3カ国の国境)の2020mまで、1500m地点にはForet de Dayが広
がり、中央部はバラ砂漠が広がっている。また、エリトリア、エチオピア、ソマ
リアの3カ国に接している。
国土面積は2.3万平方キロ(四国と同程度)、人口約90万人、そのうち約65万人
がジブチ市に集中している。これは、国土のほとんどが砂漠地帯であり非常に暑
い気候条件から海に面しているジブチに集中している。
自然条件が厳しいので食糧のほとんどは隣国、特にエチオピアやソマリランド
(ソマリア)からの輸入に依存している。
経済活動は、内陸国向けの港湾サービスが主な産業であり、内陸部では遊牧民が
生活している。民族構成は、ソマリア系イッサ人が約60%、アファル人が約35%で
あり、それぞれの民族は、エチオピアとソマリアと同じ民族である。
ジブチは、1977年6月27日にフランスから独立、外務省のジブチ共和国は以下の
通り、近年ではソマリア沖海賊対策のために同盟国同様に自衛隊が基地を置いて
いることから、関係が密になってきている。他方、一帯一路の政策を掲げる中国
も軍事拠点構築を模索し、ジブチ市の新設港湾であるDoraleh多目的港の半分を
軍事施設として利用しようとしている。
China military to set up first overseas
base in Horn of Africa
Doraleh Multi-Purpose Port
Why China's Djibouti Presence Matters
インド洋を隠然と制する中国
中国がジブチに「海外初」の基地 海軍の補給拠点、欧米警戒 北アフリカや中東にらみ即応可能に
以下、外務省のジブチ共和国概要より。
1.政体 共和制
2.元首 イスマイル・オマール・ゲレ大統領
3.議会 国民議会(65議席)
4.政府
(1)首相 アブドゥルカデル・カミル・モハメッド
(2)外務・国際協力相 マフムッド・アリ・ユスフ
5.主要産業
運輸(ジブチ鉄道、ジブチ港湾サービス)
6.GNI 14.56億米ドル(2013年:世銀)
7.一人当たりGNI 1,270米ドル(2009年:世銀)
8.総貿易額(2012年:EIU)
(1)輸出 1.14億米ドル
(2)輸入 5.65億米ドル
9.主要貿易品目
(1)輸出 車両(再輸出品)、現地製造品
(2)輸入 食料、石油製品、カート、機械・電機器具
10.主要貿易相手国(2012年:EIU)
(1)輸出 ソマリア、アラブ首長国連邦、イエメン、エジプト
(2)輸入 中国、サウジアラビア、インド、インドネシア
11.通貨 ジブチ・フラン(Dfr)
12.為替レート 1米ドル=177.7ジブチ・フラン(固定レート)
■ジブチ独立まで
1859年、スエズ運河建設が始まった年、フランス第二帝政(ナポレオン3世)は
ジブチの北岸、タジュラ湾のオボック港をダナキル族から租借し、その後、1862
年に購入している。フランスはここにフランス・エチオピア通商会社を設立し拠
点とした。
1868年、英国がエチオピアに侵攻した(アビシニア出兵)。
1884年、英国がWarsangali
Sultanate(現在のソマリランド)に侵攻、植民地化
し英国領ソマリランドとした。
1889年、エチオピア帝国の皇帝メネリク2世はイタリア王国とのエリトリア戦争
に敗れ、ウッチャリ条約(Treaty of Wuchale)を締結、エチオピア帝国はイタリ
ア王国へエリトリアを割譲、エリトリアはイタリア領エリトリアとなった。
1894年、メネリク2世はイタリアから距離を置きつつ軍事力増強のためにフラン
スに接近、ジブチ市からエチオピアのハラールまでの鉄道敷設権をフランス企業
に付与した。
Djibouti Ethiopia Railway
1896年5月20日、タジュラ湾周辺に勢力を拡大したフランスは、第一次エチオピ
ア戦争(1895年6月 - 1896年11月)中にフランス領ソマリ(1896年 - 1967年)
としてこの地を植民地化した。ジブチ港からエチオピアのアディスアベバとを結
ぶ鉄道(現在のジブチ・エチオピア鉄道)が建設されるとジブチ港の重要性は高
まった。
1900年、ムハンマド・ビン・アブドラがイギリス領ソマリランドで蜂起し(ソマ
リランド戦争)、デルヴィッシュ国を建国。エチオピア帝国皇帝メネリク2世は、
イギリスと共同でデルヴィッシュ国を攻撃した。
1908年までにイタリアは、インド洋沿岸部の植民地から進出したイタリアはイタ
リア領ソマリランドの形成に成功した。他方、英国は内陸部から撤退した。
1913年、皇帝メネリク2世が死去すると、ムハンマド・ビン・アブドラは、新皇
帝リジ・イヤスと婚姻関係を結ぼうとした。第一次世界大戦が勃発するとリジ・
イヤスは、枢軸国のオスマン帝国やドイツと同盟してスエズ運河を経由するイギ
リスとインド・東洋間の連絡線を脅かし(南アラビア戦線、シナイ半島・パレス
チナ戦線)、エチオピアを取り囲む英仏伊の全てを敵とした。
1916年9月27日、エチオピアでクーデターが起こり、リジ・イヤスは廃位された。
1920年12月21日、ムハンマドが64歳で病死し、20年に及んだソマリランド戦争が
集結したは。
1947年、第二次世界大戦後、フランス領ソマリにはソマリ系のイッサ人とエチオ
ピア系のアファル人の対立のために複雑を極めた独立問題は進まず、フランスの
海外県に留まっていた。
1967年、住民投票によって引き続きフランス領であることを選択した後、フラン
ス領アファル・イッサ(1967年
- 1977年)と改称された。
1977年、議会選挙でアファル人の進歩党が圧勝。また、イッサ人を基盤とする独
立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求し、ジブチ共和国として独立した。
イッサ人出身のグレドが大統領に就任、しかし、民族対立はおさまらず、1991年
にジブチ内戦が勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直
接選挙制をも導入し、1993年に4選された。
1999年、グレド大統領の後継ゲレが大統領に当選、2001年に内戦が終結した。
(wiki等を基に編集)
■日本とジブチの関係
日本との関係は第2次大戦前に遡るが具体的に人や物が行き来したかどうかは不
明、しかし、下記のような商工省貿易局の情報と思われる内容が昭和9年の新聞
に掲載されている。実際にはジブチではなく、その後背地のエチオピアの鉱物資
源や綿花等の記述である。つまり、ジブチは港湾都市と言う意味での関係となる。
エチオピアの輸出品目がコーヒーや皮革製品等、現在と同じであることが興味深
い。
Djibouti Ethiopia Railway
「輸出品のうちその九割は皮革とコーヒー、また輸入品の五割は綿花製品であ
る」
「鉱業方面は相当優勢で西南地方からは砂金が採れ、・・・」
「この外チグレ、エナレア地方から鉄、西部高原から石炭、チグレ、エリトリア
地方から岩礼が採掘されてをりまたハラール地方には石油の発源地が横はってい
る、」
「本邦の渇望している棉花、鉱産物の提供者本邦の資本と工業製品の注ぎ込むべ
き新天地として、将来の友邦国たる我がエチオピア国は、更に産業的な結婚をも
申込んでいる」
国民新聞 1934.2.11(昭和9)
エチオピア国と産業縁談
我が意を得たのは棉花と鉱産物
資本家と工業家には新天地商工省も一肌ぬぐか
国民新聞 1934.2.11(昭和9)
▼独立後の日本との関係
1977年6月27日、ジブチ共和国を承認。
1989年4月、ジブチ大使館が東京に開設、独立当初は在フランス日本大使館、次
いで在エチオピア大使館が兼轄。
1986年、南イエメン内乱から脱出した在留邦人38名がジブチに脱出した事を契機
に両国関係が緊密化。
1994年5月、イエメン内戦で緊急脱出した在留邦人及び邦人旅行者75名がジブチ
経由で帰国。
2009年3月、日本はソマリア沖・アデン湾の海賊対処のため護衛艦2隻を派遣、6
月からはP-3C哨戒機による活動も開始、双方ともジブチを拠点としており、2011
年6月には航空隊の拠点をジブチに設置した。
2009年3月に在ジブチ連絡事務所、
2010年4月に兼勤駐在官事務所を設置、
2012年1月に在ジブチ大使館を開設した。
(外務省)
■ジブチの自衛隊
ジブチには自衛隊基地がある。そういうことは、ニュースで聞いていたがどの程
度の規模なのかはわからなかったが、その経緯と編成部隊概要は以下の通り、現
在も派遣を継続している。
2007年頃からソマリア沖やアデン湾にて海賊行為が頻発し船舶の航行の安全に支
障を来していた。
2008年9月25日、ウクライナの貨物船「ファイナ」号が海賊に襲撃された。この
船には戦車を含む武器が多数積載されており、荷物の行き先がダルフール紛争の
続くスーダンであったため、単なる海賊事件ではなく安全保障上の事態として重
大視した米国国、EU、ロシアはこのファイナ号事件を境に対策を強化した。
2009年3月13日、これを受けて日本政府も海上自衛隊のソマリア沖への派遣を検
討し始め、ソマリア沖・アデン湾における海賊行為対処のための海上警備行動を
発令した(閣議決定)。
2009年3月14日、海上自衛隊の護衛艦2隻をソマリアに向けて出航させた。
現在の派遣海賊対処行動部隊編成は以下の通り、600名が駐留する。
派遣海賊対処行動水上部隊400名
派遣海賊対処行動航空隊70名
派遣海賊対処行動支援隊110名
第151連合任務部隊 20名
合計 600名
ソマリア沖・アデン湾における海賊対処
★本文ここまで★
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■■後記
ジブチは紅海の出入口、アデン湾に面しており、安全保障上、経済上、非常に重
要なポジションにあります。
スエズ運河を航行する全ての船舶、2008年のスエズ運河通過船舶統計では21,415
隻が通過、がジブチ沖を航行しているのですから、一日当たりに換算すると58.7
隻となります。往復ですので片方向約30隻/日が航行していることになります。
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メールマガジン「世界街角通信MM」第263号 2016年7月24日
発行責任者:飯尾彰敏
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