★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第337号 2021年9月8日★★★
コロナ感染拡大状況下、東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
■宝暦の治水工事と千本松原(油島千本松仕切提)
し(よく行ったものだ)、遠足でも立ち寄った。当時は立田大橋はなく、東海大橋
の下流側の橋は国道1号線の橋だった。
(仕切堤)交差点、長良川を越えると右側に展望台があり、そこが木曽三川国営公
園の展望台のある木曽三川公園センターという施設、揖斐川と長良川の間に位置
する。
https://www.kisosansenkoen.jp/~center/
このセンターのやや下流側に長良川と揖斐川が背割貞(仕切堤)を挟んで流れ、
堤防には松が植えられていることから千本松原(油島千本松仕切提)と言われる。
その仕切堤の始まる場所に宝暦の治水神社がある。この神社は江戸時代の宝暦年
間に幕府から命ぜられた薩摩藩が治水工事を行った際に薩摩藩士85名の殉職者を
だし、明治期の木曽三川分流工事後の昭和13年になってから殉職者を顕彰するた
めに建立された。
流を繰り返している暴れ川であり洪水が多発していた。また、この地区は美濃と
尾張の藩境でもあり統一的な治水対策も行われず放置されていたが、徳川幕府は
薩摩藩にこの治水工事を命じて宝暦4年から5年(1754-55年)にかけて工事が行
われた。工事は順調に進まず、成果も乏しく、工事中に薩摩藩士51名が自害、33
レーケの監督の下、近代的な土木技術により木曽三川分離工事が行われ、明治45
して顕彰するため治水神社が建立された。このような結果から宝暦治水事件とも
称される。
国営公園木曽三川
宝暦の治水工事(NHK)
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005403066_00000
県海津市海津町油島)のこと、ここに木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の三
川分流工事に伴い、分流堤に約1000本の松が植えられたことから千本松原(油島
千本松締切堤)と呼ばれている。
https://eastriver229.blogspot.com/2021/08/blog-post_21.html
■目黒川の洪水対策と目黒川船入場調節池
■■編集後記
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象を記録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始めて創
刊は2月14日でした。
https://note.com/klubnika
発行責任者:飯尾彰敏
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