★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第347号 2022年2月22日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
▼目次
■北里柴三郎と新千円札
■白金台の国立伝染病研究所
■■編集後記
★本文★
■北里柴三郎と新千円札
2024年度を上期を目途に紙幣が新札に切り替わる。その中の新
里柴三郎だ、1万円札は渋沢栄一、5千円札は津田梅子となる。現
口英世、師匠のが後になっているのはなぜなのかはわからないが、
場である。
財務省のHPより、以下の説明がある。
新千円券
表(肖像):北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう)【1853~1931】
世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功、破傷風血清療法を確立。 また、ペ
スト菌を発見。私立伝染病研究所、私立北里研究所を創立。後進の
裏 :富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」
日本を代表する浮世絵。江戸時代の浮世絵師葛飾北斎の代表作で知
世界の芸術家に影響を与えた作品でもある。
新1000円札は他の紙幣と同様に2024年度上期を目途に切り
https://www.mof.go.jp/policy/c
北里柴三郎江戸時代に生まれ、明治、大正、昭和と生きた細菌学者
は以下のとおり。
1885年(明治18年)、東京医学校(東大医学部)を卒業しド
へ留学(日本政府給費)し、細菌学の第一人者であるベルリンのロ
ッホに師事し、
1889年に、破傷風菌の純粋培養に成功、さらに
1890年には破傷風菌毒素に対する血清療法を確立
帰国後の1892年、福澤諭吉のご援助で私立伝染病研究所を設立
新1000円札の肖像について(北里研究所)
https://www.kitasato.ac.jp/jp/
北里柴三郎はコッホの下で成果を出していく。
1889年(明治22年)、世界で初めて破傷風菌だけを取り出す
法」に成功、
1890年(明治23年)、破傷風菌抗毒素を発見し、さらに「血
体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す手法を開
1890年(明治23年)、血清療法をジフテリアに応用し、同僚
と連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立につい
文を発表。
第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に「北里柴三郎」の名前が挙
果は抗毒素という研究内容を主導していた共同研究者のベーリング
た。
北里柴三郎が受賞できなかったのは、ベーリングが単独名でジフテ
の論文を別に発表していたこと、ノーベル委員会やカロリンスカ研
は実験事実を提供しただけ、免疫血清療法のアイディアはベーリン
したとみなしたこと、賞創設直後の選考で後に一般的となる共同授
なかったことなどが要因として挙げられている。
論文がきっかけで北里柴三郎は欧米各国の研究所、大学からオファ
るが、国費留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と伝染病の脅
民を救うことであると、北里柴三郎はこれらを固辞して、1892
日本に帰国した。
1894年(明治27年)、北里柴三郎はペストの蔓延していた香
研究のために派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという大
げた。
(wikiを編集)
■白金台の国立伝染病研究所(東京大学医科学研究所)
北里柴三郎は母校の教授陣とは反りが合わなかったようで独自の道
ベルリンから帰国して福澤諭吉の支援で1892年11月、私立伝
宕町に設立している。
福澤諭吉と北里柴三郎の「情熱」
https://www.keio.ac.jp/ja/cont
1899年(明治32年)、私立伝染病研究所は内務省管轄の「国
なり、北里は伝染病予防と細菌学に取り組む。
その後、研究所の研究員が増え、業務範囲も増えたことから、19
年)、白金台に2万坪の土地を購入し、1906年(明治39年)
血清薬院、痘苗製造所の3機関からなる国立伝染病研究所(現東京
究所)となった。
1914年(大正3年)、国立伝染病研究所が内務省から文部省に
大学に吸収されることになったが、北里はこの移管に反対して所長
また、志賀潔をはじめとする研究所の職員全員も一斉に辞表を提出
「伝研騒動」といわれ、北里は同年11月5日に私費を投じて「北
立、初代所長に就任した。
明治村北里研究所本館・医学館(ドイツ・バロック様式)
https://www.meijimura.com/sigh
89%80%E6%9C%AC%E9%A4%A8%E3%83%
1917年(大正6年)、帰国時の福沢諭吉による支援への恩返し
学部医学科の創立に尽力し、医学科学長となる(医学科は1920
医学部となる)。北里はその後医学部長、病院長となるが慶應義塾
払いを終生固辞した。
北里研究所は医科研の近く、白金5丁目に位置している、現在は北
究所病院がある。ドイツ・バロック様式の北里研究所本館は198
築されている。
北里大学北里研究所病院
https://www.kitasato-u.ac.jp/h
北里研究所病院内に展示室がある。また、故郷の熊本県小国町に記
れている。
北里研究所北里柴三郎記念館展示室
https://www.kitasato.ac.jp/jp/
北里柴三郎記念館(熊本県小国町)
https://manabiyanosato.or.jp/k
医科学研究所の正門を入って左側に近代医科学記念館がある、そこ
史と北里柴三郎の業績等が展示されている。
近代医科学記念館
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/
医科学研究所に隣接して旧国立公衆衛生院があり、関東大震災後に
ラー財団の寄付によって建設された建物(東大本郷、駒場キャンパ
ゴシック様式)のまま、2002年に移転し、その後、港区へ移管
館となっている。
2周年のゆかしの杜-港区郷土歴史館(旧国立公衆衛生院)
https://eastriver229.blogspot.
★本文ここまで★
▼前号目次
■COVID-19ワクチン3回目接種(モデルナ)メモ
■メルカリ初出品
■■編集後記
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★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups
★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/group
■■後記
このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始
14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第341号 2022年2月22日
発行責任者:飯尾彰敏
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