2009年12月26日土曜日

世界の街角からMM 第42号モスクワ・レポート1 2009年12月9日 

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第42号 2009年12月9日
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11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ
スクワを垣間見たモスクワ・レポート1です。
▼目次
■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着
■新生ロシアの首都モスクワ
■シェレメツェボ空港
■モスクワの地下鉄
■■編集後記
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■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着

1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出
てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。
モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ
各都市への始発駅でもあった。

2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がし
っかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の
駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。

この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったイン
ツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。

バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したイ
ンツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本
文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。

ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座に
も出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。

しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにも
いかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席
に押し込められてしまった。

ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモス
ホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非
常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、
が窓から過ぎ去っていった。

続きはこちらのサイトにあります。
http://1985.iio.org.uk

■新生ロシアの首都モスクワ
実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連
邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスク
ワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。

体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィ
ン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営
の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨー
ロッパを代表する大都市のような印象だった。

20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブ
ランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄
や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェ
ボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近
だという。

今回のプチ・モスクワ旅行はこちらに詳細を説明しています。(多々、準備中も
ありますこと、ご了承のほどを。)

http://moscow.iio.org.uk/index.html

■シェレメツェボ空港
悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが
今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり
時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。

今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手
続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそ
う感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。

既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオー
プンする予定である。

我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがま
だ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ
入国した。

そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関
の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。

そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミ
ナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、
まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた
空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。

シェレメツェボ空港
http://www.svo.aero/en/

■Aeroexpress(空港から市内への移動)
2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅
まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港か
らBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。

今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行
頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外に
あり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、

その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエ
フ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。

http://www.aeroexpress.ru/en/

Domodedovo空港
http://www.domodedovo.ru/en/

Vnukovo空港
http://www.vnukovo.ru/eng/index.wbp


■モスクワの地下鉄
Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて
少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中
し人通りが多い。

モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の
列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒
と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関におけ
る乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られて
いる。

1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券)
だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10
回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必
須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。

今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報
が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)に
カードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが
降り通過できない。

Moscow Metro
http://engl.mosmetro.ru/

■■編集後記
1985年以来のモスクワ、どうしても比較してしまうが、現在のモスクワを探索し
ようと心がけたプチ・モスクワ旅行、引き続き、モスクワでの印象、レポートす
る予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第42号 2009年12月9日
発行責任者:飯尾彰敏
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