★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ メールマガジン「世界の街角からMM」 第42号 2009年12月9日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 11月21日から24日にかけてモスクワへプチ旅行を挙行した。新生ロシアの首都モ スクワを垣間見たモスクワ・レポート1です。 ▼目次 ■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着 ■新生ロシアの首都モスクワ ■シェレメツェボ空港 ■モスクワの地下鉄 ■■編集後記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着 1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出 てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。 モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ 各都市への始発駅でもあった。 2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がし っかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の 駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。 この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったイン ツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。 バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したイ ンツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本 文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。 ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座に も出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。 しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにも いかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席 に押し込められてしまった。 ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモス ホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非 常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、 が窓から過ぎ去っていった。 続きはこちらのサイトにあります。 http://1985.iio.org.uk ■新生ロシアの首都モスクワ 実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連 邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスク ワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。 体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィ ン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営 の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨー ロッパを代表する大都市のような印象だった。 20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブ ランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄 や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェ ボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近 だという。 今回のプチ・モスクワ旅行はこちらに詳細を説明しています。(多々、準備中も ありますこと、ご了承のほどを。) http://moscow.iio.org.uk/index.html ■シェレメツェボ空港 悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが 今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり 時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。 今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手 続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそ う感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。 既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオー プンする予定である。 我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがま だ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ 入国した。 そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関 の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。 そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミ ナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、 まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた 空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。 シェレメツェボ空港 http://www.svo.aero/en/ ■Aeroexpress(空港から市内への移動) 2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅 まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港か らBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。 今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行 頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外に あり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、 その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエ フ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。 http://www.aeroexpress.ru/en/ Domodedovo空港 http://www.domodedovo.ru/en/ Vnukovo空港 http://www.vnukovo.ru/eng/index.wbp ■モスクワの地下鉄 Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて 少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中 し人通りが多い。 モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の 列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒 と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関におけ る乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られて いる。 1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券) だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10 回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必 須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。 今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報 が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)に カードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが 降り通過できない。 Moscow Metro http://engl.mosmetro.ru/ ■■編集後記 1985年以来のモスクワ、どうしても比較してしまうが、現在のモスクワを探索し ようと心がけたプチ・モスクワ旅行、引き続き、モスクワでの印象、レポートす る予定です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ メールマガジン「世界の街角からMM」第42号 2009年12月9日 発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi IIO All Right Reserved. 公式サイト1:http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用) 公式サイト2:http://www.iio.org.uk (photo gallery) ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru 問い合わせ:iio.tokyo@gmail.com バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html 登録・変更・解除:http://www.mag2.com/m/0000283202.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」のblogです。世界各地の街角から国際情勢を読む!生レポート、主に出張で滞在している国や地域の社会経済情勢、歴史文化、生活情報、対日関係等をレポートします。
2009年12月26日土曜日
世界の街角からMM 第42号モスクワ・レポート1 2009年12月9日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿