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メールマガジン「世界街角通信」 第188号 2014年3月28日
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です。今号は、フィリピンのタクロバンから
です。(実は東京からです。)
昨年11月、フィリピンでスーパー台風ヨランダがレイテ島タクロバン付近を通過
し甚大な被害をもたらした。その復旧復興支援の関係でフィリピンのトピック、
タクロバンその2です。
▼目次
■レイテ島のタクロバンと台風ヨランダ
■レイテ島所縁の人々‐イメルダ・マルコス夫人
■レイテの政治地図-マルコス家とアキノ家
★フェースブック・グループのご案内
■■後記
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■レイテ島タクロバンと台風ヨランダの映像
台風ヨランダは、中心気圧が895ヘクトパスカル、中心付近の風速65メートル、
最大瞬間風速90メートルと観測史上例をみない勢力であった。筆者には全く想像
ができないが映像を見ると尋常ではないことが理解できる。
台風ヨランダの軌跡をみると丁度タクロバン市の南に上陸、東から西へ横断して
いる。レイテ湾に面する東側が高潮により最も被害が大きい。
loop_of_Typhoon_Haiyan_%28Yolanda%29_making_landfall_on_Leyte_Island.gif
その特徴として強風と高潮(Storm Surge)が挙げられる。
この「Storm Surge」という言葉、馴染みがなく、ほとんど認識されていなかっ
たというのが現実のようです。津波と言った方が住民は理解したのかもしれませ
ん、結果論ですが。その高さが15-19フィート(4.5-5.8m)だったので海岸沿い
の住民は、特に、タクロバン、パロ、タナワンでは多くの犠牲者が出た。
以下、映像のピックアップです。
1.Documenting Super Typhoon Yolanda /
Haiyan - The Backstory (30:42)
Hotel Alejandroで台風ヨランダが通過中に撮影された映像、強風の強さが良く
わかる。
2.philippines typhoon 2013 (5:26)
ニュース映像、台風通過中から災害緊急支援の状況まで(英語)
3.Drone flight at Tacloban Leyte
Philippines 4 days after Typhoon Haiyan
(4:30)
4.SUPER TYPHOON HAIYAN
"YOLANDA" - TACLOBAN AFTERMATH (5:00)
静止画像を使った台風ヨランダの説明と被害状況
6.Super Typhoon Yolanda / Haiyan Hits
Tacloban Philippines (1:51)
Hotel Alehandroでの映像(ニュース用)
7.PHILIPPINES: THOUSANDS FEARED DEAD AS
TYPHOON HAIYAN CAUSES "MASSIVE D
EVASTATION" (NOV 11, 2013)
8.タクロバン空港付近の台風通過前後の状況
ESRI提供
-yolanda-swipe-map
9.TACLOBAN CITY AERIAL ViEw as of 16
january 2014 (10:31)
2014年1月16日、タクロバン上空よりヘリコプターからの映像
10.WATCH: New video shows Yolanda's
destruction in Tacloban
フィリピンのTV局レポート
11.東サマールの高潮
■レイテ島所縁の人々‐イメルダ・マルコス夫人
マルコス元大統領夫人であったイメルダ夫人の父方の祖先がスペイン・グラナダ
出身でレイテ州トロサの土地所有者であったことや、彼女自身、十代をタクロバ
ンで過ごしたことからレイテと所縁がある。
彼女の本名は、Imelda Remedios Visitacion
Trinidad Romualdez、1929年7月2
日マニラで生まれ、母の死後、タクロバンへ引っ越し21歳まで過ごし"Rose of T
acloban"と呼ばれた。(wiki)
そして、伯父であるDaniel Z. Romualdez下院議員の要請に応えて1950年にマニ
ラへ引っ越し、音楽ショップで働いた。その時に、Miss Manilaに応募、結果は
2位となり、Muse of Manila(マニラの物思い)と表現された。
その伯父、Daniel Z. Romualdez(下院議員、後に下院議長)の紹介でマルコス
下院議員と出会い、後に結婚することになるが、これまた後のマルコスの政敵と
なるBenigno Aquino, Jr.とマルコスに紹介される前にデートを重ねていたとい
う。
フェルディナンド・マルコス下院議員と結婚し、その後、マルコスが大統領に就
任したことからファーストレディとなり、特命大使Ambassador
Plenipotentiary
and Extraordinary、居住環境大臣、メトロマニラ知事を歴任した。
1986年の「人民革命」でマラカニアン宮殿を追われたフェルディナンド・マルコ
スとともにハワイに亡命した。
1989年にマルコスがハワイで客死、イメルダ夫人はフィリピンへ帰国し1992年大
統領選に出馬するも落選。
1995年にはレイテ島で下院議員に立候補して当選、
2010年5月、北イロコス州で下院議員に立候補し当選。
下院議員であった娘のアイミー・マルコスが北イロコス州知事選挙で当選、
息子のフェルディナンド・マルコス・ジュニアは元北イロコス州知事で上院議員
に立候補し同じく当選。
イメルダ夫人は、2013年5月、北イロコス州下院議員に再選、現在84歳。
■レイテの政治地図-マルコス家とアキノ家
前項の経緯と現政権との関係がに現れている。
タクロバン市長であるALFRED S. ROMUALDEZとイメルダ・マルコス(Imelda Romu
aldez Marcos)下院議員の旧姓は同じで従姉弟とのこと、タクロバン空港の名は
元下院議長から取っており、イメルダ・マルコスの伯父であるDaniel Z.
Romual
dezの名が冠せられDaniel
Z. Romualdez Airportという。
つまり、レイテ州はアキノ派、タクロバン市はマルコス派となり、現政権がアキ
ノであることから災害復旧の対応の仕方にも違いがあったようなことが実しやか
に伝えられている。真偽のほどは不明である。
被災直後の現政権との対応状況について「まにら新聞」に掲載されていた記事が
ありますの、参考まで。
タクロバン市長、被災後48時間の人命救助で「政府の支援皆無だった」と非難
Tacloban mayor in power tussle with
president following Haiyan disaster
phoon-haiyan
Captain without a ship - Marcos clan
mayor at eye of Philippine storm
dUSBRE9AF04720131116
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■■後記
タクロバンからレポートしようと考えていたが、部屋へ戻るとどういうわけか物
凄い眠気に襲われ寝入ってしまう毎日が続き、今となった。
下記、FBのアルバムに現地の写真をアップしてあります。
1073741842.1001931471&type=3
ネットもホテルのWiFiは部屋では繋がらず、携帯電話ネットワークを利用した接
続が滞在期間後半になんとか繋がるようになった程度。
タクロバンに関しては暫く続ける予定です。
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