2014年8月3日日曜日

【世界街角通信】第200号 ウガンダ北部Guluより 2014年8月3日



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メールマガジン「世界街角通信」       第200 201483
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皆さま、こんにちは、世界街角通信です、2009年初頭、タシケント滞在時よりは
じめたメールマガジン、今号で第200号となりました。

200号は、アフリカの熱帯高地、ウガンダ北部のグルより「Gulu滞在ノート」
としてお届けします。フィリピン・レイテ島タクロバンは、少し御休みです。

▼目次
■アフリカの熱帯高地ウガンダ
■日本とウガンダの関係
■なぜ、ウガンダ北部か?

■■後記
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■アフリカの熱帯高地ウガンダ

いきなり、グルというのも趣向がないのでウガンダの概要です。独立前も複雑な
のですが、独立後の概略だけでもメモしておきます。

1962年に英国より独立、ブガンダ王国のムサテ2世が大統領(権限を制限)に就任、
政治機構的には議院内閣制、ウガンダ人民会議(Uganda Peoples Congress:UP
C)党首のオボテが首相に就任、その後、共和制へ移行、オボテが大統領に就任
する。

19711月、シンガポールで英連邦会議へオボテ大統領が出席中、国軍副総司令
官具クーリエ総司令官の会議に出席中にアミン国軍副司令官がクーデターを起こ
し政権を奪取、イスラム教徒の大統領が就任する。当初は英国に亡命し客死した
ブガンダ王の遺骸を移送し国葬を行ったり、オボテが国有化した企業への出資比
60%から49%へ下げたりしたが、その後、イスラエル人やアジア系の追放を行
い、社会経済が衰退する。

1979年、アミン大統領はタンザニアとの国境線問題でタンザニア領内へ進軍した
ことから、逆に反撃の余地を与え、失脚する。

1980年、オボテが大統領へ復帰するも選挙に不正があったとして野党から糾弾さ
れた、その野党の一つがウガンダ愛国運動、創立者は現大統領のムセベニ。後に
国民抵抗運動(National Resistance Movement)へ変更、党首にルレを据えた。

1986126日、NRMがカンパラを陥落させムセベニが大統領し、4年後の総選挙
を約束する。政治的に安定するのはこの後からとなる。

以下、独立後の略史(外務省)です。

1962 独立(旧宗主国 英国)
1963 共和制移行
1966 オボテ首相によるクーデター(オボテ大統領)
1971 アミン少将によるクーデター(アミン大統領)
1979 アミン大統領失脚(ルレ大統領)
1979 ルレ大統領失脚(ビナイサ大統領)
1980 オボテ大統領復帰
1985 オケロ将軍によるクーデター
1986 ムセベニ中将によるクーデター、ムセべニ大統領就任
1996 大統領・国会議員選挙。ムセべニ大統領当選。
2001 ムセべニ大統領再選
2001 国会議員選挙
2006 大統領・国会議員選挙。ムセベニ大統領三選。
2011 大統領・国会議員選挙。ムセベニ大統領四選。

外務省 ウガンダ基礎データ

■日本とウガンダの関係

いつものことですが、仕事をするときに考えている、日本人・日本との関係です。

201310月現在、ウガンダの在留邦人は254名です。ケニアには749人(201210
月現在)、タンザニアには374名(201110月現在)とのデータ、この3カ国では
最も少ない。

ウガンダに日本国大使館が設置されたのが19973月、ケニアは19646月、タン
ザニアは19662月なのでケニア・タンザニアとは30年以上のブランクがある。
ウガンダに大使館が開設されるまでは駐ケニア日本国大使館が兼轄していた。

▼昭和初期、日本はウガンダから綿花、綿布を輸入していた

このように対ウガンダはそれほど関係があったように見えないが、太平洋戦争前
まで遡ると、日本はウガンダから綿花、綿布を輸入していた。1931年当時(昭和
6年)、この地域を視察した商工省海外市場調査員であった荘司茂樹氏の記事が
大阪時事新報に掲載されたのでしょう、神戸大学図書館に所蔵されている。

以下、ウガンダンの箇所を抜粋。
・・・
ケニアの首府ナイロビに幾多の執着を残して、ウガンダ保護領への旅に出た、炎
熱の真昼間十二時五分、知る人も知らぬ土人も別れを惜しんでくれた。
・・・
エンテベはウガンダ総督が駐在している。
・・・
各都邑は綿花を主産物として珈琲、唐辛子、砂糖等恵まれた農産物は非常に多い
日本の綿花の買い入れ舞台は此処だ。
・・・
白人は官庁、伝道事業、商社等に頑張り支配階級を造り、商業の実権は印度人に
ありケニアと同様な抗争が彼等にも見られる、地方に於ける少数の農園経営者の
以外日綿、東綿の在勤者と繁忙期に於ける記者の出張員を見る位が本邦人である。
・・・

アフリカ踏破の旅

▼ウガンダで石油埋蔵が確認、石油精製所建設へ

ウガンダが注目されるようになったのは、2006年に石油の埋蔵が確認されてから
であろう。

原油輸出ではなく、国内に石油精製所を建設する方針が固まり、昨年末の入札に
以下の6社が指名されている。

1) 中国のChina Petroleum Pipeline Bureau
2) 英国のPetrofac
3) ロシア国営Rostecの子会社RT-Global Resources
4) 韓国SK Energy
5) スイスのトレーダーVitolが率いるコンソーシアム、
6) 丸紅株式会社

日本企業のコンソーシアムとしては丸紅が入っている。

そしてプロポーザル提出資格を得たのはそのうち4社、
1) 中国国営China Petroleum Pipeline Bureau(CPPB)、
2) 丸紅株式会社、
3) ロシアの政府系投資企業RT - Global Resources
4) 韓国のSK Group
であった。

しかし、丸紅は応札保証金を支払わなかったので、実質的に降りたようだ。契約
条件が合わなかったのであろう。中国企業はプロポーザルを提出したが、条件を
満たしておらず失格となっている。したがってロシア企業と韓国企業の競争とな
っている。

Russian, South Korean firms battle for refinery contract

ウガンダ、石油精製所建設の入札参加企業に丸紅 など6社を選定

世界製油所関連最新情報(月次レポート)  アフリカ

▼南スーダンで自衛隊がPKO活動

それから、ウガンダではないですが、隣接する南スーダンの首都ジュバ、グルか
250km北に位置する、カンパラより近い、に自衛隊がPKOとして400人体制で活
動しています。

また、エンテベ空港はコンゴ民主共和国及び南スーダン支援の補給基地として使
われています。

南スーダン国際平和協力業務(PKO

■なぜ、ウガンダ北部か?

ウガンダを大きく分けると北部のナイル系諸語、南部のバンツー系諸語、北西部
に、一部、中央スーダン系が居住する。ウガンダ北部7県をアチョリ地域という。
アチョリ地域は、民族的にはナイル系アチョリ人、言語はナイル系諸語となる。
アチョリ地域の中心都市がグル市であり、人口約15万人の小都市である。

なぜ、ウガンダ北部なのか?

それは、1986年にウガンダ北部を支持基盤とする大統領がムセベニに支配を奪わ
れたことを根底に勃興した独自の国家建設を目指した神がかった組織である「神
の抵抗軍」が組織され、同じアチョリ民族を襲撃、誘拐を繰り返し兵隊にすした、
特に少年少女を標的にした。住民がこの「神の抵抗軍」と政府軍との板ばさみに
なり国内避難民が最大で200万人に達した。

それが、2006年に停戦合意され、帰還が始まり、政府は定住化を図るべく社会イ
ンフラ整備に注力、それを日本政府が支援するというシナリオのようです。具体
的な国別援助方針における事業展開計画は以下の通りです。

▼対ウガンダ事業展開計画
【基本方針】
「経済成長を通じた貧困削減及び地域格差是正の支援」インフラ整備及び農村部
の所得向上に係る支援を実施し、ウガンダ及び近隣諸国の経済成長に貢献する。
また、地域格差の是正に配慮したウガンダの貧困削減を支援する。


平成26年度対ウガンダ事業展開計画によれば、重点分野4分野の第4「北部地域に
おける平和構築」に位置付けられている。
重点分野1:経済成長を実現する環境整備
重点分野2:農村部の所得向上
重点分野3:生活環境整備(保健・水)
★重点分野4:北部地域における平和構築

【現状と課題】
 1980 年代より20 年以上にわたるLRA(反政府組織「神の抵抗軍」)との深刻
な紛争を経験した北部地域は、南部地域に比べ開発が遅れており、一時は200
人とも言われる国内避難民が発生した。

 2006 年には停戦合意が実現し、2011年末までに全難民キャンプが閉鎖された。
しかしながら国内避難民が荒廃しきった居住村に帰還しても必要最低限度の生活
基盤も整備されていない状況であり、引き続き不安定な生活を強いられている。

 また難民キャンプに残留している人々も夫を失った女性や子供、高齢・障害者
等の社会的弱者が多数を占めていることから、これら国内避難民の帰還及び定住
を支援するための生活基盤整備を総合的に実施していくことが、早急に対応すべ
き課題となっている。(抜粋)

対ウガンダ事業展開計画

在ウガンダ日本国大使館

■フェースブック・グループのご案内

Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。対象は旧共産圏を含
むユーラシア地域、「中央アジア・コーカサス開発研究会」と「R+EE 露・東欧
地域研究会」です。どうぞお見知りおきを!

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ズで自動的に改行されています。悪しからず。

■■後記

いつもながら初めての国は神経を使う。今回は、アフリカの赤道直下、保健衛生、
インフラ等、何かと気なることも多いが、現在の気候が涼しいのだけは有難い。

前置きが長くなったので実質的に「Gulu滞在ノート」は次号からとなります。

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メールマガジン「世界街角通信」第200 201483
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.

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