★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第397号 2023年11月17日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲
(今号はスキップ)
諸般の事情によりプノンペンに滞在しています、やっと、雨季も終
いうお天気です。
▼目次
■プノンペン駅とカンボジア政治
■プノンペンの現実
■■編集後記
★本文★
■プノンペン駅とカンボジア政治
昨年2022/11/7のプノンペン駅の夜景、絵になりましす。
Station、1932年築。
https://eastriver229.blogspot.
正面に少し映っている高層ビル、龍と風水をデザインモチーフとし
年竣工の39階建てVattanac Capitalビル、少し前までプノンペンで最も高いビル、
今は第2位、設計はUKのFarrells、香港支社のTFT Farrells。Vattanac Bankが事
業者ですが、安達銀行と表記されている。
Gare de Phnom Penh、Phnom Penh Royal Railway Stationはプノンペン北西約30
0kmに位置するバタンバンまでの鉄道運行のために1932年に
1960年9月28日-30日、当駅にてクメール人民革命党Ka
tionary Party (KPRP) のリーダー21人によって党内秘密議会が開かれ、党名が
カンプチア共産党 (WPK) に変更され、民主カンプチアではこの重要な会議が後
に党の創立日となっている。
ポル・ポトがカンプチア共産党2代書記長になり粛清により独裁体
ポル・ポト派は党内でクメールルージュと呼ばれるようになった。
は親米派ロン・ノル政権を、1975年4月17日にプノンペンを
ル・ポトを首班とするクメール・ルージュがリーダーシップとなる
がこの駅で開催された。反ポル・ポト派は国境付近に逃れカンボジ
党した。
■プノンペンの現実
2022/11/11、昨年の初めてプノンペンを滞在した時のメ
https://eastriver229.blogspot.
20年以上ぶりに途上国感を味わった顛末記。いま、ここでASE
され+3出席のために我が国の首相も法務大臣の進退で遅れたが、
街に滞在している。会場はトンレサップ川とメコン川の間にあるホ
い、しかし、バイデン大統領が職場の前、直ぐ近くのホテルに滞在
交通規制厳しく、交通量は少ない。我が国の首相はこの後、バリ島
会議、その後、バンコクでのAPEC首脳会談に出席、関係各国の
するのであろう。
さて、首脳会談などとは縁遠く足元の生活基盤状況が深刻であり、
進まなかったが、本日、やっとハウスキーパーに来ていただき最大
され、ホッとしている。というのは、冒頭のとおり、トイレットペ
レに流してはいけない国はそのような注意書きがあった国の記憶が
出せないほど遠い昔のこと。このプノンペンで、アパートとはいえ
レットペーパーが備え付けてあるなど知る由も無かったしチーム内
ていないほど常識的なことだったようだ。
★本文ここまで★
▼前号目次
■1985年7月8日、モスクワ・ヤロスラブリ駅着、コスモスホ
■■編集後記
■■後記
少し中断しておりました。
そして、
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲
が、少し先に継続する予定です。
注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機
はタシケント到着後の2009年月14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
■Facebookのグループで下記の2グループを運営していま
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
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★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第397号 2023年11月17日
発行責任者:飯尾彰敏
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