2024年3月27日水曜日

【世界街角通信MM】第410号 Tokyoにて-2024-03-27

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第410号 2024年3月27日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)

▼目次
■西方教会の復活祭(イースター)は3月31日
■■編集後記

★本文★

■西方教会の復活祭(イースター)は3月31日

2021年4月4日付け記事です、今年、2024年は3月31日が復活祭です。

十字架に磔にされたイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、
キリスト教において最も重要な祭である。

https://www.bible.com/bible/12/MAT.28.ASV

カトリック教会では「復活の主日」、聖公会、プロテスタント等では「復活日」、
正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼び、英語から「イースター」とも呼
ぶ。

復活祭は「春分の日の後の最初の満月の
次の日曜日」に祝われるため年によって日付が変わる移動祝日であり、日曜日に
祝われる。元々は太陰暦によって決められた日であったため、太陽暦では年によ
ってその日付が移動する。

復活祭の日付は、AD325年の第1ニカイア公会議(第一全地公会、現在のトルコ・
イズニクで開催)でユリウス暦で統一されたが、16世紀に西方教会がグレゴリオ
暦を採用してから東方教会と西方教会で日付が異なっている。


グレゴリオ暦を用いる西方教会では、毎年3月22日から4月25日の間のいずれかの
日曜日、東方教会ではユリウス暦を採用しておりグレゴリオ暦の4月4日から5月8
日の間のいずれかの日曜日に祝われる。

キリスト教が優勢なヨーロッパ諸国等では、復活祭前の聖金曜日とその翌日の月
曜日も祝日に制定されている。

UK:
4月2日 金曜 聖金曜日 Good Friday

4月5日 月曜 復活祭月曜日 Easter Monday

https://www.jetro.go.jp/world/europe/uk/holiday.html

カトリックのフランスやイタリアは復活祭月曜日だけ祝日であるが英国やドイツ
は聖金曜日も祝日となっている。ロシア正教会のロシアは特に宗教的な祝日は制
定されていない。

https://www.jetro.go.jp/world/russia_cis/ru/holiday.html

2021年の西方教会の復活祭は4月4日(日)の今日である。他方、東方教会は5月2
日となる。2011年、2017年、2025年は両協会とも同じ日が復活祭である。

西方教会、東方教会

2021年 4月4日、5月2日

2022年 4月17日、4月24日

2023年 4月9日、4月16日

2024年 3月31日、5月5日

2025年 4月20日

復活祭前の典礼:

▼大斎(四旬節)

カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などの西方教会では、四旬節は灰の水曜
日に始まる。カトリック教会では主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサの前まで
を四旬節とするが、聖公会、ルーテル教会では復活日前日までを四旬節とする。
復活祭前の一週間は「聖週」「受難週」等と呼ばれ、教会暦の中で非常に重要な
位置を占めている。復活祭前の日曜日は枝の主日(復活前主日、棕櫚の主日な
ど)と呼ばれ、重要な主日のひとつとされている。

正教会では大斎(おおものいみ)は復活祭の7週前の主日である断酪の主日(赦
罪の主日)の日没後から始まり、聖枝祭前日の「ラザリのスボタ」(ラザロの土
曜日)の前日金曜日に区切りを迎え、聖枝祭を経て、受難週がある。それぞれの
日を、聖大月曜日、聖大火曜日、聖大水曜日、聖大木曜日、聖大金曜日、聖大ス
ボタと呼び、毎日特別の礼拝を行い、イエスのエルサレム入城から受難を経て復
活するまでのそれぞれの日を象り記憶する。大斎期間中には祈りと食事の節制が
行われ、喜びと浄化の時とされる。エチオピア正教会はこの大斎期間が最も長い。

四旬節および大斎の期間中には肉、乳製品、卵等の動物性の食品節制がある。こ
れら節制されていた肉、乳製品、卵(東方教会では魚肉も)が復活祭の日に初め
て解禁になるため、復活祭の正餐の食卓にはこれらの動物性食品が並ぶ。また、
卵、バター、乳などをふんだんに使った復活祭独特の菓子パンやケーキが作られ
る。家禽を飼っている家庭では、四旬節および大斎の期間中に生まれたために食
べられずにたまっていた卵をまとめて消費する。

▼復活祭当日

教会暦の区切りは日没頃にあり、教会における復活祭の当日は、一般の暦で言う
前日晩から始まる。 ギリシャ正教会は22時過ぎからであった。

正教会における復活大祭における奉神礼は前夜に始まり、夜半課、早課、一時課、
聖体礼儀と続けて行われ、夜半課と早課の間には十字行が行われる。これらの奉
神礼の際、「ハリストス復活!」「実に復活!」という挨拶が繰り返し交わされ、
パスハの讃詞が歌われる。

英語では「He is risen!」や「Happy Easter!」が、ロシア語では「ヴァイース
トゥヌ・ヴァスクリェース」(まことに復活した)と答える。日本では「復活祭、
おめでとう(ございます)」、「ハッピー・イースター」などが使われる。

▼復活節・復活祭期

復活祭から始まる期間が「復活節」(カトリック教会、聖公会、ルーテル教
会)・「復活祭期」(正教会)であり、ペンテコステ(聖霊降臨)の日まで7週
間続く。それぞれの教会の教会暦において礼拝、典礼、奉神礼が定められている。

正教会では復活祭期には「ハリストス復活!」「実に復活!」との挨拶が信者間
で交わされ、復活大祭からの一週間は光明週間と呼ばれ、斎(食品の節制をはじ
めとする精進)は行わない。光明週間は復活大祭翌主日(翌日曜日)である、
「聖使徒フォマの主日」とも呼ばれる「アンティパスハ(代逾越節)」まで続く。
カトリック教会では、復活節の最初の8日間を「主の復活の8日間」と呼び、この
期間内には主日(日曜日)ではない平日でも主の祭日のように祝われる。

https://eastriver229.blogspot.com/2021/04/blog-post_4.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■目黒駅前の海軍大学校跡地
■映画「エクソダス 栄光への脱出」207分
■■編集後記

■■後記

今週末の3月31日(日)が西方教会の復活祭です、他方、今月中の締切があり、
日曜日までに提出せねば。

今日はちょっと温かい、風はあるものの、少し春らしい。桜の開花は数日先にな
るだろう。

中断中:
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★Klubnika's 蹇蹇録
https://www.facebook.com/groups/1811415602452444/

★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第410号 2024年3月27日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
twitter:https://twitter.com/iioakitoshi
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

2024年3月23日土曜日

【世界街角通信MM】第409号 Tokyoにて-2024-03-23

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第409号 2024年3月23日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)

▼目次
■目黒駅前の海軍大学校跡地
■映画「エクソダス 栄光への脱出」207分
■■編集後記

★本文★

■目黒駅前の海軍大学校跡地

山手線目黒駅前の海軍大学校跡地に「シティコート目黒」というURの集合住宅が
建っている。山手線駅前にこの規模は稀有、住所は品川区上大崎2丁目、何が以
前あったのか現在では知る由はない。

海軍大学校は1888年(明治21年、勅令第55号)が海軍大学校官制が制定され、築
地旧海軍兵学校生徒館に開校、大正12年関東大震災で罹災し、1932年(昭和7
年)8月27日、品川区の上大崎元陸軍衛生材料廠跡に移転した。

戦後、海軍大学校は廃止され、建物は国立予防衛生研究所や映画撮影所として使
用された。予防衛生研究所は平成4年(1992年)に新宿区戸山に移転し、また映画
撮影所も閉鎖、残った本社も平成14年(2002年)に移転し取り壊された。

敷地は目黒通りに面している、集合住宅が建つ前に何度も通っていたと思うが19
90年代の記憶がない。

昭和天皇が海軍大学校の卒業式に出席する行幸の写真が港区郷土歴史館で開催中
の港区今昔写真展高輪地区に展示されていた。

越後椎谷藩堀家下屋敷跡の表示はシティコート目黒前の目黒通りに建っているが
海軍大学校跡地なり国立予防衛生研究所跡の碑は視野に入らなかった。

https://eastriver229.blogspot.com/2015/03/blog-post_79.html

■映画「エクソダス 栄光への脱出」207分

「エクソダス 栄光への脱出」、EXODUS、旧約聖書の出エジプト記に准えたタイ
トル。国連パレスチナ分割決議前夜が舞台背景、207分の長編映画、数回に分け
て観た。図書館で見つけた大作、制作は1960年。ハガナー(イスラエル国防軍の
前身)、イルグン(エツェル、シオニストのテロ組織)など新たな認識も。

原作はレオン・ユリスの執筆した1958年発表のアメリカ合衆国の小説。

https://amzn.to/49KdebV

以下wikiより抜粋、

ホロコーストを生き延びたヨーロッパのユダヤ人多数がパレスチナへ移民しよう
としたが、そのほとんどはイギリスが設けた移民枠を超過した不法移民で、多く
がイギリス軍に捕まりキプロス島の難民キャンプに送られていた。難民キャンプ
で看護婦として働いていたアメリカ人のヒロインの前に、エクソダスと名付けた
貨物船を手に入れて彼らを極秘のうちにパレスチナへ送ろうとするユダヤ人で元
兵士の主人公が登場する。

船に乗り込んだ移民たちはイギリス軍との緊迫した駆け引きの末にパレスチナへ
とたどり着くが、イスラエル建国への道のりは厳しく、次から次へと困難な状況
が訪れる。(wikiより)

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2024/03/207.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ
■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ
■■編集後記

■■後記

映画を観ると新たなことを認識する。このエクソダス、こういう映画を制作して
自らの主張を世界へ広めるという民族の力は歴史の積み重ねんもなかで醸成され
た能力なのであろう、学ぶべきことが多い。

中断中:
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★Klubnika's 蹇蹇録
https://www.facebook.com/groups/1811415602452444/

★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第409号 2024年3月23日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
twitter:https://twitter.com/iioakitoshi
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

【世界街角通信MM】第409号 Tokyoにて-2024-03-23

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第409号 2024年3月23日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)

▼目次
■目黒駅前の海軍大学校跡地
■映画「エクソダス 栄光への脱出」207分
■■編集後記

★本文★

■目黒駅前の海軍大学校跡地

山手線目黒駅前の海軍大学校跡地に「シティコート目黒」というURの集合住宅が
建っている。山手線駅前にこの規模は稀有、住所は品川区上大崎2丁目、何が以
前あったのか現在では知る由はない。

海軍大学校は1888年(明治21年、勅令第55号)が海軍大学校官制が制定され、築
地旧海軍兵学校生徒館に開校、大正12年関東大震災で罹災し、1932年(昭和7
年)8月27日、品川区の上大崎元陸軍衛生材料廠跡に移転した。

戦後、海軍大学校は廃止され、建物は国立予防衛生研究所や映画撮影所として使
用された。予防衛生研究所は平成4年(1992年)に新宿区戸山に移転し、また映画
撮影所も閉鎖、残った本社も平成14年(2002年)に移転し取り壊された。

敷地は目黒通りに面している、集合住宅が建つ前に何度も通っていたと思うが19
90年代の記憶がない。

昭和天皇が海軍大学校の卒業式に出席する行幸の写真が港区郷土歴史館で開催中
の港区今昔写真展高輪地区に展示されていた。

越後椎谷藩堀家下屋敷跡の表示はシティコート目黒前の目黒通りに建っているが
海軍大学校跡地なり国立予防衛生研究所跡の碑は視野に入らなかった。

https://eastriver229.blogspot.com/2015/03/blog-post_79.html

■映画「エクソダス 栄光への脱出」207分

「エクソダス 栄光への脱出」、EXODUS、旧約聖書の出エジプト記に准えたタイ
トル。国連パレスチナ分割決議前夜が舞台背景、207分の長編映画、数回に分け
て観た。図書館で見つけた大作、制作は1960年。ハガナー(イスラエル国防軍の
前身)、イルグン(エツェル、シオニストのテロ組織)など新たな認識も。

原作はレオン・ユリスの執筆した1958年発表のアメリカ合衆国の小説。

https://amzn.to/49KdebV

以下wikiより抜粋、

ホロコーストを生き延びたヨーロッパのユダヤ人多数がパレスチナへ移民しよう
としたが、そのほとんどはイギリスが設けた移民枠を超過した不法移民で、多く
がイギリス軍に捕まりキプロス島の難民キャンプに送られていた。難民キャンプ
で看護婦として働いていたアメリカ人のヒロインの前に、エクソダスと名付けた
貨物船を手に入れて彼らを極秘のうちにパレスチナへ送ろうとするユダヤ人で元
兵士の主人公が登場する。

船に乗り込んだ移民たちはイギリス軍との緊迫した駆け引きの末にパレスチナへ
とたどり着くが、イスラエル建国への道のりは厳しく、次から次へと困難な状況
が訪れる。(wikiより)

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2024/03/207.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ
■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ
■■編集後記

■■後記

映画を観ると新たなことを認識する。このエクソダス、こういう映画を制作して
自らの主張を世界へ広めるという民族の力は歴史の積み重ねんもなかで醸成され
た能力なのであろう、学ぶべきことが多い。

中断中:
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★Klubnika's 蹇蹇録
https://www.facebook.com/groups/1811415602452444/

★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第409号 2024年3月23日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
twitter:https://twitter.com/iioakitoshi
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

2024年3月20日水曜日

【世界街角通信MM】第408号 Tokyoにて-2024-03-20

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第408号 2024年3月20日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)

諸般の事情によりプノンペンに滞在していますので、視野に入ったこと等、あれ
これ備忘録的に。本号は外れます、悪しからず。
既に、帰国。

▼目次
■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ
■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ
■■編集後記

★本文★

■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ

ふとしたきっかけで「旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々」、
2006年11月刊を見直している。2009年に中央アジアで仕事をすることになり、日
本語ガイドブックを探した時に候補に上ったのがこの本、タイトルの通り西安か
らイスタンブルへのシルクロード経路をカバーしている。これがなかなか、日本
語でこのレベルの情報に驚き、というかなぜ存在しなかったのかと考えていた。
Lonely PlanetやBradtもかなり詳しくこれら3冊を購入した。
https://amzn.asia/d/gkmL01U

1996年1月にウズベキスタンへ出張した時は、ほとんど情報がなく最初は苦労し
た。インターネットの商用化が1993年からIIJにより開始されたものの庶民の手
には届いておらず、また、会社でもインターネットに接続されていなかった。

1995年11月23日にWindows95日本語版が発売され、これを機に、ネットカフェと
いう言葉が視野に入ったのもその頃だろう、どのように探したのか記憶にないが、
カフェの前を通ったのかもしれない、馴染みがあった広尾のカフェ・デ・プレ
(1980年代はドイツソーセージとパン屋だった)がコーヒーを注文するとネット
検索を利用できるという情報を得て、日比谷線で近いので幸い、会社を抜け出し
て何度かカフェ・デ・プレに通った。

データはフロッピーディスクに保存して持ち帰った。1995年年末か1996年年初、
出発までの間だった。当時はNetscape NavigatorというMOSAICの流れをくむブラ
ウザーで当時はほとんどがこのブラウザだった。カフェ・デ・プレは2016年に閉
店して2017年に復活、でもコロナ禍で閉店かもしれません。

https://eastriver229.blogspot.com/2024/03/blog-post_18.html

■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ

東ベルリンのGrand Hotel Berlinのことを紹介したが、それ以前の1970年代に日
本人建築家が設計したホテル、Hotel Vitosha The New Otaniがブルガリアのソ
フィアにある。設計は当時既に世界的に名を馳せていた黒川紀章が設計、21階建、
442室。

建設はブルガリアのTehnoeksportstroyと三菱のJV、黒川は設計に際してBulgari
an National Revival style of Koprivshtitsa and Plovdivを参照している。プ
ロブディフは古都でありコプリニシティッツァは農村、ブルガリア民俗、木造の
出窓はオスマン帝国の影響なのかもしれない。

建設にあたって円借款が供与されている、これは当時の社会党衆議院議員であり
東海大学創立者である松前重義が強く関係していたようだ。

(1)ソフィアホテル建設計画(48億3,200万円、1975年交換公文署名)
https://www.bg.emb-japan.go.jp/.../economical.../index.html
開業は1979年5月24日、1994年にはIntercontinentalに、1997年にはKempinski H
otel Zografski Sofia、2014に現在のHotel Marinela Sofiaになっている。
1988年と1989年にWTAテニストーナメント会場となった。

1996/97年、ブルガリア国鉄業務でソフィアに出張、この旧ヴィトーシャニュー
オータニ、Intercontinentalに宿泊していたが、途中で売却されKempinski Hote
l Zografski Sofiaになった。その時、ブルガリア経済危機の最中でVISAを扱っ
ていた農業銀行が破綻し、ホテルからクレジットカード支払いが停止しており、
支払いは現金か銀行送金で支払うよう要請があった。

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2023/03/blog-post_17.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■閏年の2月
■東ドイツのグランドホテルと鹿島建設
■■編集後記

■■後記

今日は春分の日とか、時間だけが過ぎていく、毎度のことながら。

帰国直後に38度を超える発熱があり、医科研病を受診、インフルエンザ、コロナ、
デング熱は陰性、この病院には常にお世話になっている。プノンペンで尿路感染
症の疑惑もあったがここではウィルス性とも。まあ、はっきりしなかったが抗生
物質(商品名クラビット)を処方され熱は下がった。尿路感染症、もうすこしし
っかり診察しれもらおうかな。

中断中:
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★Klubnika's 蹇蹇録
https://www.facebook.com/groups/1811415602452444/

★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第408号 2024年3月20日
発行責任者:飯尾彰敏
Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
twitter:https://twitter.com/iioakitoshi
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★