★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第408号 2024年3月20日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)
諸般の事情によりプノンペンに滞在していますので、視野に入ったこと等、あれ
これ備忘録的に。本号は外れます、悪しからず。
既に、帰国。
▼目次
■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ
■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ
■■編集後記
★本文★
■旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々とカフェ・デ・プレ
ふとしたきっかけで「旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々」、
2006年11月刊を見直している。2009年に中央アジアで仕事をすることになり、日
本語ガイドブックを探した時に候補に上ったのがこの本、タイトルの通り西安か
らイスタンブルへのシルクロード経路をカバーしている。これがなかなか、日本
語でこのレベルの情報に驚き、というかなぜ存在しなかったのかと考えていた。
Lonely PlanetやBradtもかなり詳しくこれら3冊を購入した。
https://amzn.asia/d/gkmL01U
1996年1月にウズベキスタンへ出張した時は、ほとんど情報がなく最初は苦労し
た。インターネットの商用化が1993年からIIJにより開始されたものの庶民の手
には届いておらず、また、会社でもインターネットに接続されていなかった。
1995年11月23日にWindows95日本語版が発売され、これを機に、ネットカフェと
いう言葉が視野に入ったのもその頃だろう、どのように探したのか記憶にないが、
カフェの前を通ったのかもしれない、馴染みがあった広尾のカフェ・デ・プレ
(1980年代はドイツソーセージとパン屋だった)がコーヒーを注文するとネット
検索を利用できるという情報を得て、日比谷線で近いので幸い、会社を抜け出し
て何度かカフェ・デ・プレに通った。
データはフロッピーディスクに保存して持ち帰った。1995年年末か1996年年初、
出発までの間だった。当時はNetscape NavigatorというMOSAICの流れをくむブラ
ウザーで当時はほとんどがこのブラウザだった。カフェ・デ・プレは2016年に閉
店して2017年に復活、でもコロナ禍で閉店かもしれません。
https://eastriver229.blogspot.com/2024/03/blog-post_18.html
■ソフィアのヴィトーシャニューオータニ
東ベルリンのGrand Hotel Berlinのことを紹介したが、それ以前の1970年代に日
本人建築家が設計したホテル、Hotel Vitosha The New Otaniがブルガリアのソ
フィアにある。設計は当時既に世界的に名を馳せていた黒川紀章が設計、21階建、
442室。
建設はブルガリアのTehnoeksportstroyと三菱のJV、黒川は設計に際してBulgari
an National Revival style of Koprivshtitsa and Plovdivを参照している。プ
ロブディフは古都でありコプリニシティッツァは農村、ブルガリア民俗、木造の
出窓はオスマン帝国の影響なのかもしれない。
建設にあたって円借款が供与されている、これは当時の社会党衆議院議員であり
東海大学創立者である松前重義が強く関係していたようだ。
(1)ソフィアホテル建設計画(48億3,200万円、1975年交換公文署名)
https://www.bg.emb-japan.go.jp/.../economical.../index.html
開業は1979年5月24日、1994年にはIntercontinentalに、1997年にはKempinski H
otel Zografski Sofia、2014に現在のHotel Marinela Sofiaになっている。
1988年と1989年にWTAテニストーナメント会場となった。
1996/97年、ブルガリア国鉄業務でソフィアに出張、この旧ヴィトーシャニュー
オータニ、Intercontinentalに宿泊していたが、途中で売却されKempinski Hote
l Zografski Sofiaになった。その時、ブルガリア経済危機の最中でVISAを扱っ
ていた農業銀行が破綻し、ホテルからクレジットカード支払いが停止しており、
支払いは現金か銀行送金で支払うよう要請があった。
元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2023/03/blog-post_17.html
★本文ここまで★
▼前号目次
■閏年の2月
■東ドイツのグランドホテルと鹿島建設
■■編集後記
■■後記
今日は春分の日とか、時間だけが過ぎていく、毎度のことながら。
帰国直後に38度を超える発熱があり、医科研病を受診、インフルエンザ、コロナ、
デング熱は陰性、この病院には常にお世話になっている。プノンペンで尿路感染
症の疑惑もあったがここではウィルス性とも。まあ、はっきりしなかったが抗生
物質(商品名クラビット)を処方され熱は下がった。尿路感染症、もうすこしし
っかり診察しれもらおうかな。
中断中:
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。
注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
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★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第408号 2024年3月20日
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