2011年6月8日水曜日

【世界の街角からMM】第104号 ベルリン・レポート(4) 2011年6月7日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第104号 2011年6月7日
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新政ドイツの首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったが2010年初秋
にベルリンを再訪する機会に恵まれた。ベルリン・レポート04です。
▼目次
■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
■かつて泊まったBerlin International YH
■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
■■後記
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■在ドイツ日本国大使館とパスポートの増補
1985年8月9日、金曜日の早朝、後述する宿泊していたYHから徒歩でティアガルテ
ンへ向かって歩き始めた直後、日の丸を掲げ朽ちかけた古典様式の大きな建物が
夏草に覆われた荒地の中に忽然と聳え立っているのに遭遇した。この建物が旧在
ドイツ帝国大日本帝国大使館であり、戦後、廃墟のまま放置されていた。

ベルリンを訪れた目的はパスポートを増補することであった。ベルリンでなくと
もウィーンでもモスクワでも良かったのだが、どこでも出来ることなのでこの機
会に20数年ぶりのベルリン散策も兼ねようと考えたのだ。

ベルリンにしたもう一つの理由は、前述の旧在ドイツ帝国大日本帝国大使館の建
物が現在の在ドイツ日本国大使館であることがベルリン日独センター等の記事や
ウェブの写真からわかっており、その後を見届けたいという気持ちがあったから
だ。

ベルリン日独センターは1985年に設立され、その際、戦後廃墟のまま残っていた
旧大日本帝国大使館建物を修復再利用して活動の拠点としたので、その直前に遭
遇したことになる。

在ドイツ日本国大使館
http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/

http://wikimapia.org/1240460/ja/在ドイツ日本国大使館

ベルリン日独センター
http://www.jdzb.de/

ホテルでバスのルート図を見ていたら宿泊していたグランドホテル近く(ウン
ター・デン・リンデン)のバス停から乗り換えなしで行くことがわかったので早
速試しにそのバスに乗った。ベルリン市外ツアーの気分で2階建ての2階に席を取
り市内のクルージングを楽しんだ。ポツダム広場を過ぎてからバス停に注意を払
った。ベルリンフィルを通過ししばらくティアガルテン沿いを走り、日本大使館
に近いバス停で降ろしてもらった。

バス停の直ぐ横がイタリア大使館、こちらもかなり大きい。その先に日本大使館
が見えてきた。当時、ここは一等地だったようでベルリン都市開発計画に沿って
枢軸国にその敷地が割り当てられた。各国の日本大使館を訪れる機会は多いがこ
れほど広大な敷地と建物を持つ在外公館は例を見ない。

先ずは領事業務用の出入り口から入管、かなり厳しいチェック、カメラは預けら
れた。増補申請書類に記入して窓口に提出し、2時間後に受け取りとなった。私
の他に一人だけだったので非常にスムーズな手続きであった。増補の手続きにつ
いては以下の通り、増補すること、それを在外公館ですることは先ずないであろ
うと思う。

その後、一通り当時の記憶を頼りに周囲を散策、塀が出来て近くまでは寄れない
のが残念だ、夏草が風に靡いていたあの夏を思い出さずにはいられない。

▼増補について(大使館ホームページより)
査証欄の増補をする場合

査証欄の余白がなくなった場合には、査証欄増補申請により、査証欄を増補しま
す。
*必要な書類
現在お持ちの有効なパスポート
一般旅券査証欄増補申請書 1通(大使館に用意してあります。)
*手数料
19ユーロ(平成23年4月1日より21ユーロ)

■かつて泊まったBerlin International YH
前述の在ドイツ帝国大日本帝国大使館を偶然見つけたのはこのYHからティアガル
テン方面へ歩いていたときのことだ。今回は、逆に大使館に増補申請をした後、
待ち時間を利用してこのYHがどんな状況になっているのか見に行った。

地図を見ながら川沿いに歩いた、当時は空き地が多く、ややすさんだ印象だった
が今は概ね住宅地として埋まっている。

Kluckstrasseの橋を右に曲がった正面に見覚えのある4階建て一部5階建ての建
物が視野に入ってきた。当時は塀があった記憶だが今はなく、道路から敷地まで
開放感がある。当時のままだったことはちょっとした嬉しさだった。正面は空き
地だったが今はこちらも住宅となっていた。

当時、動物園駅からバスで近くまできたことを記憶している。そして、塀の立ち
並ぶ道路を歩きながらこのYHにたどり着き、宿を確保できたことでほっとしてい
た夕刻が懐かしい。

Berlin International YH
http://www.hostelbookers.com/hostels/germany/berlin/4340/

■旧東ベルリン側にある気軽な日本料理屋「スマートデリ」
ベルリンの日本料理はどんなものかとネット検索したらこの店がヒットした。便
利になったものだ、ネット社会は。

他にもいわゆる日本料理屋はあったがカジュアルな雰囲気がサイトから漂ってき
たので地図を見ながらこの店に行ってみる事にした。駅からやや遠いので地図を
見ながら歩いたつもりだが、ロット番号を見誤り反対方向へ歩いていることに途
中で気がつき、修正したのでたどり着くまでかなり時間を要してしまった。

店はこじんまりとした日本食と日本食料品の店だった。テーブル数も少なく、さ
れど、レストランというよりは食堂といった感じでメニューもそんな内容だった。
焼き魚(シャケ)、味噌汁、緑茶をもらう。やや足りなく、稲荷を少し追加した。

店は日本人の若者が数人働いていた、既に10年選手だという。敷居が高くない
ので近所に住んでいる人が客のようだ。私が入ったときには日本人はいなかった
が後から日本人とドイツ人の二人組みが入ってきた。

この日は土曜日だったので週末セール、15ユーロ寿司食べ放題というメニュー
があった。寿司といっても巻物が多いのでそれほど食べられないが、若者には人
気があるようだ。

食料品が豊富だったので、あれこれ買って帰ろうとベルリン滞在中に再訪する予
定でいたが、結果として時間がなくなってしまった。このとき買った熊本云々と
いう棒ラーメン3個のみがここの収穫となってしまった。このラーメン、エレバ
ンで食べたがかなりイケテイル、旨かったね。

smartdeli
gru"nberger str. 90
berlin friedrichshain
電話 030 2068 7037 月-土 12時から20時
http://www.smartdeli.org/jp

■■後記
スマートデリで会った日本人と少し話したらこれからクラブへ行くという、では
連れて行ってくれとお願いし、後から合流することにした。次回、ベルリンのク
ラブについてもレポートします。
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2011年6月6日月曜日

【世界の街角からMM】第103号 ベルリン・レポート(3) 2011年6月6日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第103号 2011年6月6日
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新政ドイのツ首都ベルリン、既に統一して20年も経過してしまったがやっとその
ベルリンを訪れる機会に恵まれた。ベルリン・レポート03です。
▼目次
■ベルリンの壁の記憶
■ベルリンの公共交通
■ベルリンの歴史遺産と博物館
■ベルリンの日本食料品
■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
■■後記
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■ベルリンの壁の記憶
説明は要らないと思うが、1961年8月13日に東西ベルリンの国境が閉鎖され、その
直後から東ドイツにより東ベルリン境界線上に壁が建設された、そして、1989年
11月10日に壁が破壊された。1990年10月3日、東西ドイツが統一された。その間こ
の壁が東西ドイツ分断の象徴であった。

東西ベルリン時代の1985年8月、ブランデンブルグ門に近い西ベルリン側を壁に沿
って歩いたことがある。所々に白い十字架が建てられおり、東ベルリンから西へ
亡命しようとして国境警備隊に射殺されたとの説明があった。そんな時代は最早
過去のことだが、20年前まではそういう時代だったのだ。

Berlin Wall Online
http://www.dailysoft.com/berlinwall/

■ベルリンの公共交通
東京の山手線のような環状線がある。東西ベルリンが統合してから環状線として
機能したのだろうと推測する。鉄道とバスのネットワークが充実しているので移
動はとても便利だという印象を受けた。ただ、ベルリンの自動販売機は精度が良
くないので窓口で購入したほうがストレスがない。

また、一日や複数日数の乗車券が用意されているので、これを購入しておけば面
倒がない。東京はいつになったら一枚の切符で全公共交通が乗車できるサービス
が提供されるのだろうか、東京地下鉄と都営だけでも早く統合すべきだね。

ベルリンカードという博物館などの入場料割引を含んだツーリストカードが用意
されている。観光する人はお得かもしれないが私のように街を歩くことを主目的
としている人には余分だ。

ベルリンの交通機関:
S-Bhan都市近郊鉄道
U-Bhan都市内鉄道
M 地下鉄
TRAM 路面電車
BUS バス

ベルリン交通局
http://www.bvg.de/index.php/en/index.html

■ベルリンの歴史遺産と博物館
この滞在では博物館には足を向けなかったが、ベルリンにはギリシャ・ローマを
テーマにした博物館や東西ベルリンをテーマにした博物館等があり、参考程度に
紹介しておく。

ベルリンの中心部、シュプレー川の中洲に博物館島(フリードリッヒ・シュトラ
ッセ駅から一つ目)があり、中洲の北半分にペルガモン博物館、ボーデ博物館
(Bodemuseum)、旧国立美術館 (Alte Nationalgalerie)、旧博物館 (Alte Museum)、
新博物館 (Neue Museum) の計5館の国立博物館が集中して位置する。

ペルガモン博物館はギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美
術品などを展示している。博物館の名前も展示されているペルガモンの大祭壇に
由来する。

Pergamonmuseum
http://www.smb.museum/smb/home/index.php

東西ベルリン時代をテーマとした博物館としては以下の二つが見逃せないと思う。

East Side Gallery
http://www.eastsidegallery-berlin.de/

DDR Museum
http://www.ddr-museum.de/

ベルリン公式観光ページ Museum+Art
http://www.visitberlin.de/en/see/museums-art

■ベルリンの日本食料品
アレクサンダー広場駅の隣に巨大なガレリアカウフホフというデパートがあった。
この一階奥が食料品売り場となっていたので覗いてみた。「コトブキ」とだった
か暖簾が掛かっていて日本食コーナーがあったので驚いた。よく見るとカウン
ター内ではアジア人が働いていたが、並べられている日本食と称する食品は揚げ
物、つまりベトナムの揚げ春巻き等が多かった。中にいるアジア人にどこから来
たのかと聞いてみたら「ベトナム」との返答、東ドイツ時代から交流があったの
であろう。

このコトブキのカウンターにカリフォルニア米1kgパックを発見した。他の棚には、
少量ではあるが醤油や海苔、味醂、ウドン、チューブ入りわさび等の日本食品も
売られていた。いったい誰が買うのだろうかと思いながら、カリフォルニア米の
「錦」を二袋調達したのであった。

ガレリア・カウフホフ
http://www.galeria-kaufhof.de/

アレクサンダー広場
http://www.stadtentwicklung.berlin.de/planen/staedtebau-projekte/alexanderplatz/index_en.shtml

■補足(ベルリン・ショッピング・リンク)
前号で紹介したショッピング関連リンクです。

西ベルリン側、クーダム
Kurfurstendamm
http://www.visitberlin.de/en/spot/kurfuerstendamm

フリードリッヒ・シュトラッセFriedrichstrasse (東ベルリン側)
http://www.visitberlin.de/en/category/1714?tid=1714&parent=1694

アレグザンダー・プラッツ(東ベルリン側)
Alexanderplatz
http://www.visitberlin.de/en/category/1716?tid=1716&parent=1694

フリードリッヒ・シュトラッセのギャラリ・ラファイエット(東ベルリン側)
Galeries Lafayette
http://www.visitberlin.de/en/spot/galeries-lafayette

■■後記
ベルリンでは日本食を調達しようとはあまり考えていなかったが、日本料理屋へ
行ったところ食材もかなり売っていた。味醂も日本のだったので後から来ようと
考えていたが、東ベルリン側でかなり迷いながら辿り着いたこともあり、再訪す
るタイミングを逸してしまった。次回にその店を紹介しようと思う。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第103号 2011年6月6日
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2011年5月28日土曜日

【世界の街角からMM】第102号 ソフィア・レポート 2011年5月27日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第102号 2011年5月27日
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5月初旬、エレバンとソフィアへ所要で赴いた。そのときのソフィア・レポートで
す。
▼目次
■ウィーン空港がオンラインシステムダウン
■ソフィアに荷物届かず
■EU加盟したブルガリアへ
■ソフィアのホテル
■■後記
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★スライドショー(新緑のソフィア2011年5月)
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157626651499651/show/

■ウィーン航空のオンラインシステムダウン
ウィーンに到着し、ソフィアへの乗り継ぎ便のチェックインをしようとオースト
リア航空のカウンターへ行ったらオンラインシステムがダウンしているのでしば
らく待つように指示された。ここで、手書きの搭乗券が発券されたが、乗り継ぎ
便まで4時間ほどあったので空港内のカフェで待つことにした。

手書き搭乗券は席が決まっていないので落ち着かず、何度もカウンターへ確認に
行くもダウンしたまま、そのうちに搭乗時間が来たのでセキュリティチェックへ
進みゲート内で待つことにした。

ゲート内のカウンターで席がどうなるのか確認すると、これまた手動で席番号の
シールを手書きの搭乗券に貼り付けて席が決まった。どうやらダウンしたシステ
ムは直ぐには回復しないようだった。このまま、搭乗となったが手動で搭乗手続
きを行っているので時間がかかり、30分以上出発が遅れた。

この手書き搭乗券、手動での席の指定は、20年以上前にどこか途上国で経験して
からこのようなことはなかったが、正常に機能していた。

■ソフィアに荷物届かず
ウィーンからソフィアへは1時間半のフライト、ソフィア空港はターミナル2に到
着した。ターンテーブル前で待つものの私の荷物が出てこない。ウィーンでス
ルー荷物の確認ができていなかったので若しやとは思っていたが現実となってし
まった。

係員にエレバンでチェックインしたときの荷物タグを見せ、確認を依頼したとこ
ろ、タグに記載されている乗り継ぎ便の便名がウィーンからソフィアへの便名で
はなく、復路のソフィアからウィーンへの便名であることがわかった。

アルメニアではこのような不手際が頻発するので、ウィーンで必ず確認するのだ
が、今回はウィーン空港のオンラインシステムがダウンしていた影響で確認が出
来なかったのだ。何らかの間違いがある場合はこの確認で通常は修正できる。

Lost & Foundの書類に記入し、現在、どこに荷物があるか確認してもらった。そ
したら、案の定、ウィーン空港に留め置きされていた。これを次のフライトでソ
フィアへ送ってもらい、ホテルまで運んでもらうよう手続きして外へ出た。

ソフィア空港ターミナル2はEIBの融資により実施されることを聞いていたが、EU
へ加盟する直前の2006年末にオープンしたようだ。以前のオンボロターミナルか
らみれば格段にサービスレベルが向上した。

■EUに加盟したブルガリア
ここからが本題です。

ソフィアには、雲助タクシーが多いので空港のカウンターを通してタクシーを予
約したほうが良いとソフィア空港のウェブサイトに説明があった。到着後、カウ
ンターへ行くと2社あり、OKタクシーを予約、国会の前にあるホテルまでは8レバ
(USD=1.33レバ)とリーズナブルであった。ちょっと驚き。

20分程度でホテルに着いた。

この季節、ソフィアの街路樹に多いマロニエの花が咲き、そよ風に揺れる新緑が
爽やかでした。

1996-97年にここで仕事をしていた時と比較すると表面的ではあるがかなり状況
が回復しているような印象を受けた。

それは通貨が安定(カレンシーボードの導入による通貨管理、インフレ抑制な
ど)し、公共・民間投資がある程度進捗しているとの印象を持ったからであろう。
かつてマフィアが経済を牛耳っていたが今回はそこまでは聞けなかった。

ブルガリアは、2007年1月にルーマニアと同時にEU加盟している。かなり背伸び
して加盟したような印象が残る、加盟したことにより多くの技術者が他のEU諸国
へ流出していることは否めない。私の友人も現在ベルギーで働いている。

円借款が一部供与されているソフィア地下鉄も2009年に開業(一路線だけ)、新
築・改装したビルが目立ち、ホテルが増え、米国系ファーストフードが増えた、
マクドナルド、当時は1店だけ、カフェやレストランも増えた、かなり西ヨーロ
ッパナイズされた印象だ。ヴィトーシャ通りは歩行者専用になり、西ヨーロッパ
と変わらないブランドのショップが目に付いたがその数は多くはない。

1990年代は査証が必要であり、空港でも取れたがUSD96支払う必要があった。その
後、日本国籍は査証免除になった記憶だが定かではない、今はEUに加盟したこと
で日本国籍所有者は査証免除である。

1996/97年は最悪の経済状況でありハイパーインフレの結果、カレンシーボードが
導入されドイツマルクに固定された。そして、デノミが実施され、新通貨である
新レフ(BGN)が導入された、これが98年であろうか。

変わらないこともある、旧市街の古い建物はそのまま(朽ちたまま)、老人の物
貰いの多さ。トラムやバスは当時の車輌を維持管理してなんとか使っているよう
だ。

今回の滞在目的は数日なのでソフィア以外へは足を延ばしていない、ブルガリア
の魅力は地方だろう。また訪れたい国だ。

▼ソフィア空港改修プロジェクト
2006年8月に新滑走路がオープン、遅れて新ターミナルが2006年12月にオープンし
た。総事業費200 mil. EURのソフィア空港リコンストラクション・プロジェクト
は新旅客ターミナル及び第2滑走路の建設から構成され、1997-98年に融資が決ま
った、その内訳は、EIB (60 mil.EUR), Kuwait Fund (41.5 mil. EUR(12.3 mil.
Dinar), EU PHARE (7.6 mil.EUR)を融資、ISPA (Instrument for Structural
Policies for Pre-Accession)が50 mil.EURを無償供与した。

新ターミナルの建設はオーストリア企業のドイツ支社Strabagが受注、第2滑走路
の建設はクウェート企業であるMohamed Abdulmohsin al-Kharafi & SonsとUAE企
業であるAdmak General Contracting Companyのコンソーシアムが受注した。

ソフィア空港
http://www.sofia-airport.bg/default.aspx

▼ソフィアの地下鉄
中心部の地下部に円借款が供与されている。
http://www.jica.go.jp/press/archives/jbic/autocontents/japanese/news/2002
/000015/appendix.html

1997年当時、地下鉄は建設中だった。3路線計画され、1号線から着工された。200
9年9月時点で14駅、総延長18kmが開通している。

日本政府は「ソフィア地下鉄拡張計画」として128億9,400万円を限度とする円借
款をブルガリア政府へ供与、L/Aが2002年2月4日に結ばれている。

地下鉄自体は1960年代から計画があったが共産主義時代には建設に至らず、1998
年1月になってやっと6.5km、スリヴニツァ大通りからリューリンを通ってコンス
タンティン・ヴェリチコフ駅へいたる5駅の区間が開通した。

拡張事業は、1号線の新規建設区間(第7-第16駅区間、約11.1km)の建設によって、
市中心部を貫通の上、東側住宅地まで延長するものである。円借款対象事業区間
はソフィア市が経験の無いシールド工法を含む施工を必要とする第7駅から第9駅
までの約2.1kmの区間である。施工は大成建設が請け負った。

隣国、ルーマニアの「ブカレスト国際空港アクセス鉄道建設事業」に418.7億円の
円借款を昨年(2010年3月10日)調印している、東欧ではブルガリアのソフィアに
次ぐ都市交通への融資となっている。
http://www.jica.go.jp/press/2009/20100311_01.html

両プロジェクトとも、最後の円借款案件であろう。

ソフィア地下鉄
http://www.metropolitan.bg/bg/

■ソフィアのホテル
思いで深いのは通称ビトーシャホテル、今はケンピンスキー・ザグロフスキーと
グロリア・パレスホテルだ。両方とも1996/97年に宿泊していた。今回、ケンピン
スキー・ザグロフスキーへ予約しようとウェブを確認したが満室、あれほどの部
屋数があり予約が入らないということは考えられないのだが。

当時、VISAカード取り扱い銀行が破綻して、キャッシュの持ち合わせがなくケン
ピンスキー・ザグロフスキーから廉価なグロリア・パレスホテルへ移ったがこち
らも顕在だった。

今回は、国会の前、ネフスキー寺院に近いRaddison Blu Grand Hotel Sofiaにし
た。当時はGrand Hotel Sofia、改装され10年前からRaddisonとなっている。

その他、ソフィアには改装したホテルや新たに開業したホテルが目立った。特筆
すべきは、中で、NDK近くの公園内に世銀の融資によりオープンしたヒルトンホテ
ルである。

宿泊料金は供給が増えたからなのだろう、高級ホテルは比較的安めで安定してい
るが、ウィーンと比較すると中級ホテルではあまり変わらない料金設定となって
いる。

▼Kempinski Hotel Zografski
最初は、ホテルビトーシャ・ザ・ニューオータニ(Vitosha New Otani)という名
称だった(1979年)。客室数442室、21階建て。黒川紀章氏の設計。私がチェック
インしたときの名称はインターコンチネンタルホテルだったが、途中でこの名前
になった。ブルガリアからの移民でドイツで成功した企業家ザグロフスキー氏が
買収したからだ。

このホテル事業には、日本政府が日本輸出入銀行を通して融資している。当時の
社会党幹部が関係していたのではないだろうか。

Kempinski Hotel Zografski
http://www.kempinski.com/en/sofia/Pages/Welcome.aspx

Gloria Palace Hotel
http://www.gloriapalacehotel.bg/

Raddison Blu Grand Hotel Sofia
http://www.radissonblu.com/hotel-sofia

■■後記
トラブルは出張には付き物だが、ウィーン空港のオンラインシステムダウンは想
定外だった。しかし、時間が掛かるものの手動でも問題なく手続きできるものだ
と関心した。

ブルガリアは既にEU加盟国、されど、経済状態は90年代よりはかなり改善されて
いるものの町の様子を見る限りではまだまだ低迷しているのではと思われた。

ソフィア地下鉄が円借款最後の案件になったようだが、資金需要はまだまだある
のではないだろうか、しかし、円借款供与の説明が付かないのだろう。というこ
とは、国際協力銀行の出番となるのか。今後も南東ヨーロッパ地域、継続して関
係を維持していくことが重要では。そのツールとして政策融資というのもありで
はないだろうか。

既に韓国がこの地域、積極的に活動している。日本の市場拡大などを考慮しても
十分に妥当性が見出せると考えるのは無理があるのだろうか。
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2011年5月20日金曜日

【世界の街角からMM】第101号 エレバン・レポート28 2011年5月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第101号 2011年5月19日
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5月初旬、エレバンとソフィアへ所要で赴いた。そのときのエレバン・レポート28
です。

▼目次
■開いていて良かったHIS
■アルメニアで東日本大震災追悼ミサ
■エレバンの日本料理
■グッドバイ・エレバン、また会う日まで
■■後記
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■開いていて良かったHIS
どのタイミングでエレバンへ行こうかと考えているうちにGWに入ってしまい、
あー航空券が買えないなーと思いながら、念のためHISへ電話してみたら営業して
いた。それで早速その日の内に予約・支払いを済ませて3日後にエレバンへ向かっ
た。

オーストリア航空は震災直後はインチョン経由だったり北京経由だったり福島原
発事故を懸念していたが、この時期には通常運行に戻っていた。しかし、客は、G
Wの中盤ということもあり多くはなかった。ヨーロッパが4月から夏時間となって
いる関係で、成田の出発時間が11:30と早くなっていたが他は通常通りであった。

■アルメニアで東日本大震災追悼ミサ
5月4日、エレバンに着いたその夜、Mother Cathedral of St. Gregory the
Illuminator で東日本大震災犠牲者の追悼ミサが行なわれたので出席した。アル
メニア教会大司教Karekin IIがミサを行い、Serzh Sargsyan大統領、Tigran
Sargsyan首相、Edward Nalbandian外務大臣他、閣僚や円借款事業関係者等が出席
した。
http://www.armenianchurch.org/index.jsp?sid=3&nid=1825&y=2011&m=4&d=4

日本からは徳永外務政務官が出席していた。これはGW中なので既に決まっていた
外務政務官の外遊にあわせたアルメニア側の計らいではないだろうか。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/4/0428_07.html

■エレバンの日本料理屋と中華料理Lotus
昨年末までは確か2軒だと思っていたエレバンの日本料理屋が3軒に増えていた。
よって早速試してみた。新たに増えたのは「Sushitoria」という店、寿司と若干
の日本食を出す。メニューは他の2店と概ね同じ内容だ。

場所はオペラハウスの近くで立地は良い。インテリアはやや中国趣味と混同して
いるようだが、これは仕方がないだろう、ここエレバンでは。店員にシェフは誰
かと聞いたところ、アルメニア系ロシア人だという。これはあまり期待できない
と思いながら、いくつか注文したが、懸念どおりの内容であったので詳細は記す
必要はないだろう。

エレバンでは、フィリピン人が作る日本食がまともであるという結論だ。よって
ワサビに軍配があるではないだろうか。

それから、以前、中国人コントラクターから情報を入手したまま、行かず仕舞い
だったLotusという中華料理にも足を運んだ。11年前から営業しているという。
この店の隣も中華料理屋なのだ。よって、入り口にはアルメニア語の看板しかな
いので外国人はここがLotusかどうかはわからないだろうな。間違って隣へ行く人
もいるだろう。

店内は中華料理屋だ。モヤシが自家製だという。エレバンでは豆腐、麺類は非常
に難しいのでそれ以外の料理となる。中国人情報だとメニューを選べばまあまあ
だということだったが、「どのメニューがまあまあ」なのかを聞いていなかった
ので適当に注文した。エレバンの中華としては並だろう、私としてはドラゴンに
票を投じたい。

Sushitoria
http://www.sushitoria.com

Wasabi
http://www.wasabi.am

Samurai
http://www.spyur.am/samurai

エレバンのカフェとレストラン私的メモ
http://armenia.iio.org.uk/armenia_cafe_restaurant.html

■しばらくの間グッドバイ・エレバン
エレバンへ行った目的は、荷物整理であった。先行きの明暗がはっきりしたこと
で一旦現地事務所を閉めることにした。数ヶ月はっきりしないまま維持したこと
になるが世の中思ったようには展開してくれない。

2010年の約1年間はほとんどエレバンで過ごしたことになる。日本とはほとんど
縁のない国だが、対日感情も良く比較的日本人には住みやすい国だ。中国人に対
しては冷たいようで、「チンチョンチャン」と冷やかす輩もいないことはない。

今年に入ってから鈴木自動車がディーラーをオープンさせた。徐々にではあるが
経済的な関係が構築されつつある。だからといって急速に関係が深まるとも思え
ない。

エレバン・レポートは28号でひとまず終了です。何か次に来るインセンティブを
と思い、エレバン地下鉄には乗らないでおいた。しばらくの間グッドバイ・エレ
バンだ。

■■後記
エレバン在住の日本語教師がアルメニア人女性と婚約した。これで一人は確実に
長期滞在者となるだろう。もしかしたら根を生やすかもしれない。
日本政府はアルメニア人留学生を受け入れているが、現在、アルメニアには日本
人は留学していない。数としては日本に住んでいるアルメニア人のがアルメニア
に住んでいる日本人よりはるかに多いことだろう、人的交流でも経済的な関係で
も今後の進展を期待したい。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第101号 2011年5月19日
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