2022年7月5日火曜日

【世界街角通信MM】第357号 東京にて(ウクライナと日本)-2022-07-04

★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第357号 2022年7月4日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

▼目次
■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部
■■編集後記

★本文★

■厚生労働省のソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引とウクライナ東


 厚生労働省のHPにソ連邦及びモンゴル抑留者の収容所と埋葬地一覧情報が公開
されている。10年くらい前に調べた時にはヒットしなかったので見逃したのか、
その後、まとめられたのか。

 さて、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
約200名以上の抑留者が埋葬されている。抑留者はソ連邦の広範囲にわたり収容
されていたことは知っていたが、ウクライナは東部に集中していたことを認識、
炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係があったのだろう、この地域での鉄鋼業の勃
興は帝政ロシア時代までさかのぼる。そしてウクライナとの関係が過去にあった
のだと認識した。

 その他、日本との関係では、ソ連邦崩壊後にウクライナ東部の老朽化した設備
類などの更新のために日本製品が納入された、10年ほど前に調べた時には総合商
社が事務所を置いていた。

 ウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬地、
211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェとなり、
この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


補足:日本人抑留者埋葬地を明確に認識したのは1996年にウズベキスタンへ出張
した際、調査団長が満洲引揚者で是非ともタシケント日本人墓地へ墓参したいと
の希望を表明されたことによる。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引(厚生労働省社会援護局)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

■ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部

第2次大戦後のソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、
通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、が存在した。この
抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ出張した時に訪れたタ
シケント抑留者日本人墓地からだ。同じ、調査団に満洲からの引き揚げ者がいて、
その方が是非とも墓参したいと要請したからだ。

その後、ウズベキスタンにおける抑留者についてまとめ、wikiにも記載した。
1996年
http://uz.iio.org.uk/tashkent_jpn_cemetery.htm
2007・2009年
http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent_japanse_cemetery.html

タシケント抑留日本人墓地(wiki)

数日前の2022年5月31日、カザフスタンのスパスク(カラガンダ市近郊)にある日
本人抑留者埋葬碑に駐カザフスタン山田大使が献花したと大使館のFBで見かけた。
スパスクという地名は初耳だったが、カラガンダ郊外という説明で納得、ここに
は抑留者の収容所があったからだ。この日、大使はカザフスタンの「政治的抑
圧・ホロドモール犠牲者追悼日」に際して現地で行われた追悼式典に出席した機
会を捉えてだった。ここには日本人だけでなく27か国・民族の慰霊碑群が建立さ
れているという。それはカラガンダが鉱物資源を多く産出し、特に鉄鋼業が盛ん
でその精錬に必要な燃料となる石炭をカラカンダ炭田から産出する。そのせいか、
ソ連邦内からのロシア系、ドイツ系、ポーランド系、チェチェン系、朝鮮系など、
カザフ人以外が多く住む地域となっている。
https://www.kz.emb-japan.go.jp/files/100351255.pdf

この機会に少し調べ直したら、厚生労働省のHPに収容所と埋葬地の情報がヒット
した。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/index.html

カザフ共和国(現在のカザフスタン)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/chihou/kazafu/index.h
tml


さらに、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも
多くの抑留者が埋葬されていることを知った。抑留者自体はソ連邦の広範囲にわ
たり収容されていたことは知っていたが、ここであらためてウクライナ東部に集
中していることを認識、炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係あったのだろう。

これまで日本とは縁がないと思っていたが、老朽化した発電設備などの更新のた
めに日本の製品が納入され、10年ほど前に調べた時にM商事が事務所を置いてい
たことは知っていたが、抑留者もこの地域で働いていたということを再認識した。

一覧の注に地名表記のことで下記のような説明があった、つまり、これらの地域、
全部が東部なのでは、に日本人抑留者が送られ、多くの方々が死亡し埋葬された
ということになる。当時のことゆえ、戦争が始まってウクライナの都市名はウク
ライナ語表記を使うようになったが、その当時はソ連邦なのでロシア語のままで
よいと思うが。

注1 ハリコフ(ハルキウ)地方、ドネツク地方、ザポロジーエ(ザポリッジ
ャ)地方、ルガンスク(ルハンスク)地方、ドニエプロペトロフスク(ドニプロ
ペトロウスク)地方は現在のウクライナです。

現在のウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬
地、211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェと
なり、この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方、収容所・埋葬地1、3名
ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方、収容所・埋葬地2、2


★本文ここまで★

▼前号目次
■【ダマスカス旧市街】(mixi復刻2006年11月10日)
■不動産売買に係わる税金等
■■編集後記

■■後記

ウクライナ情勢のニュースを観ていて日本との縁があるのか、と。

このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
https://www.facebook.com/groups/436215346470056/

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