★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第363号 2022年10月30日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
▼目次
■心内膜炎で51間入院(2012年)
■■編集後記
★本文★
■心内膜炎で51間入院(2012年)
2012年10月19日(金)、51日間の入院治療を終えこの病院を退院した。9年前にな
る、もうこんなことはないと思うが、記憶に焼き付いているので文字に起こして
おくことにする。
なぜ長期間の入院となったのか、それは心内膜炎という感染症に罹患したからで
ある。南アジアの有償専門家業務が始まったばかりでスリランカのコロンボへ3
週間の予定で出張しており、8/27月曜日の夜に帰国するという最後の週末の8/25
土曜日の夜に40度を超える熱が出た。
これはただ事ではないと思ったが解熱鎮痛剤も持っておらず、8/26日曜日はひ
たすら寝ていた。8/27月曜日の朝に事務所へ行き、パナドールというアセトアミ
ノフィン系解熱鎮痛剤をもらい飲んだら熱が下がり楽になったが、6時間くらい
経過するとまた40度の熱がでた。現地の病院へという提案もあったが尋常ではな
かったので予定通りの帰国を、8/27の夜行便で帰国予定だったので薬を飲み続け
てシンガポール航空に乗った、よりによって時間のかかるフライトルートで翌朝、
8/28にシンガポールに着き、乗り換えて成田には8/28火曜の夜着いた。
翌朝、8/29水曜日、白金台の東大医科学研究所病院へタクシーで直行、コロン
ボで40度超と説明したら直ぐに採血、結果が出るまで既にアポが入っていたので
帰国報告を兼ねてJとの打合せに出ていたら病院から電話が入り直ぐに戻り入院
するように、と連絡が入った、白血球数が異常だという。Jの後に病院へ戻り、
入院、血液検査の同定が行われ、黄色ブドウ球菌による心内膜炎、翌日、抗生物
質耐性であるということでメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による心内膜
炎との診断だった。
感染症なので隔離、つまり個室へ移動した。黄色ブドウ球菌が心臓の三尖弁に
増殖し、その横にある肺動脈からバクテリアが肺に入り、肺炎を起こしていると
の説明だった。確かにX線画像は真っ白だった。そしてもしかしたら心臓手術が
必要になる可能性が否定出来ないので心臓外科のある病院への転院となり、近く
にある東五反田のNTT東日本関東病院へ救急車で3日目の8/30に転院した。
心内膜炎、ほとんど原因が特定できないとのこと、歯科や外傷から突発的にMRSA
が体内に入り増殖する、それが概ね3週間くらい前とのこと、コロンボへ出張し
たばかりだし、コロンボでなければ東京だろう、歯科は行ったかもしれないが、
感染の心当たりがまったくない。
NTT東日本関東病院への転院は救急車で移送となったが、タクシーで行くのか
と乗るまで想像していたが自覚が無かったが重病人だった。救急外来に横付けさ
れそのまま5階のCCU(Cardiac Care Unit:心臓病集中治療室)、ICUと同等、に
入院した。治療方法は抗生物質、点滴で投与したが最初の抗生物質は効果なく、
熱が下がらなかった。とにかく、熱が定期的に40度に達するのでこれがかなり辛
い。解熱剤を飲むと少し下がるので楽になるが、薬が切れると熱が上がる、それ
の繰り返しだった。
CCUは24時間看護、面会謝絶、家族が呼ばれ医師から重篤な内容が説明された
ようで、電話で話したが家族の驚きように私が驚いた。熱以外には特に症状がな
く、食事は味がせずあまり食べられなかったが、意識は通常通りではっきりして
いた、トイレにも自分で行けた。パソコンを持ち込んでもよくCCUにLANソケット
があったので看護師に接続を確認したら、主治医の承認が得られインターネット
に繋がった。メールとウェブは使えるので熱が下がっている時は報告書が書けた。
最初の抗生物質で熱が下がらなく、つまりバクテリアが増殖を続けていたい。
次の抗生物質が効かないと後がないとの説明で、ファイザー社製の化学合成の抗
生物質を投与された。運よく、これが効き、熱が39度を切った時にはかなり楽だ
った。結局、6-7日間ほどCCUにいて投与が続き、熱が下がっていったので一般病
棟へ移った。
この抗生物質は一日2回、6週間連続投与だった、その間に薬が効いているのか、
三尖弁に増殖したバクテリアの大きさを定期的に確認した。最初は1cm大だっ
たが薬が効いて少しずつ小さくなっていった。この検査が辛かった、内視鏡と同
じように超音波のセンサーを口から食道まで入れ心臓を視る。専門医じゃないと
この画像だけではな判断できないと画像を見て思ったものだ。
この検査の他、血管を経由して身体全体にMRSAが転移していないか、放射性物
質を前日に飲み、翌日、ガンマ線カメラで身体全体を撮影した(シンチレーショ
ン検査)。光っている箇所が転移しているとのこと、背骨の上から5番目と6番目
の間が光っており、転移していた。痛みはないのかと何度も主治医に聞かれたが
自覚症状は無かった。主治医によると、もう少し下の背骨だと強い痛みがあると
のこと、また、脳に入ると脳梗塞になるとのことでゾッとした。
罹患したのは不運だったが、その後のケアがしっかりして幸いだった。体力を
付けるようにと病院食以外にも食べるように勧められて、その通りに食べていた
ら太ってしまい、これはこれで問題で栄養指導を受けることになった。減量が至
上命題になり、その頃、既に点滴が外れていたのか、階段を上り下りして5kg落
とし70kg程度になったら身体が軽くなった。
退院後、4週間ほどで仕事を再開、最初の出張がインドとパキスタンだった、
担当が素人だったのか、通常、こういう組合せで横移動連続は組まないだろうと
いう経路と日程だったが、一旦、ニューデリーからバンコクへ出てからラホール
入りした。クライアントからは入院した事で業務(この出張)が予定どおり進ま
なかった(9月初めの予定だったのに)と理性のないお叱りを受けた。
退院して最初にした事は自転車を買ったこと、碑文谷の自転車屋で普通のシテ
ィサイクルを、身長の関係で27インチの車輪、外装6段変速にした。その帰りに
碑文谷テラスでランチ、久しぶりの外食、美味かったな。
★本文ここまで★
▼前号目次
■映画スパイ・ゾルゲをやっと観た
■イスラエル領内のヨルダンの借地
■鉄観音茶(青茶)
■■編集後記
■■後記
あれから10年、まったく問題ない、命を救われたようだ。
こういう時は先進国の医療でないと、命を落とす結果になる、そうならなくて幸
いだった。
このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記録し
ておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊は2月
14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
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