★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第394号 2023年8月10日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲
▼目次
■1985年7月4日、アンガラ河畔のインツーリストホテル・イ
■1985年7月5日、バスでバイカル湖へ、その1
■■編集後記
★本文★
■1985年7月4日、アンガラ河畔のインツーリストホテル・イ
1985年7月4日(木)、
横浜港大桟橋からの一行はイルクーツク駅で下車、4日目の陸上(
い)、イルクーツク駅からバスでインツーリストホテルイルクーツ
イン、丁度、ホテルはイルクーツク駅のアンガラ河対岸に位置して
ぎ、未だ明るかったのでアンガラ河畔に出てみたいと思っていたと
グループにナホトカの太平洋駅から一緒だったインツーリスト添乗
がいたので誘ってお話した(日本語会話の練習のような感じで)。
タイマーで撮った。
全く予想していなかったが、河畔に留まることの厳しさを数分後に
にマリーナとホテルに戻った。それは、蚊の襲撃、かなりしつこく
は防御のしようがなかった。
既に日没、暗くなりつつある時間だったので市内行くことはしなか
ル近くの大通りから街並みを眺めた。ポプラの葉が茂り綿が飛んで
せず街並みの建物の一部を見ただけだった。翌朝は、バイカル湖ツ
定になっていた。
http://1985.iio.org.uk/index.h
元記事:https://eastriver229.blogs
■1985年7月5日、バスでバイカル湖へ、その1
1985年7月5日(金)、
前日の7月4日21時ごろ、シベリア鉄道のロシア号はイルクーツク駅に着いた。こ
のまま乗っていればモスクワ・ヤロスラブリ駅へ向かうが、横浜港からの多くの
同行者がここで一泊し、バイカル湖を観て翌日の同じロシア号でモスクワへ向か
う日程にしていた。私も同様に、このコースとした。ナホトカで鉄道に乗車した
のは7月1日の夕刻、下車したのが7月4日の夕刻、途中、ハバロフスク駅で乗り換
えたが。
この日はバイカル湖畔の観光村をバスで往復し、夕刻に昨日下車したイルクーツ
ク駅から同じロシア号に乗車し、モスクワへ向かう予定であった。
朝、荷物は部屋に残したのかレセプションに預けたのか覚えていない。預けてか
ら出かけるのが通常だろうが、朝食を済ませて部屋に出かける荷物を取りに戻り、
再度EVに乗り、丁度、マリーナも乗ってきた、ということは私の部屋は上階だっ
たのか、ロビーへ降りようとしてEVの扉が締まり、下がっていたが階と階の間で
ガツンという音とともに止まった。
軍服の人が非常電話で連絡したが、直ぐに動く気配はなかった。こういう時は待
つのだとマリーナが説明したが、30-40分経っても動かず、他の人は焦る気配も
なくロシア語でお話ししていた。その後、動き、何事も無かったかのようにロ
ビーへ降りてバイカル湖行きのイカルスバスに乗った。ハバロフスク駅での一件
もそうだが、何かと事が起きた、私的には、がEV事件は日常的なことなのか?
バイカル湖観光(Listvyanka)は外国人旅行者用に仕立ててあり、写真撮影の制限
はなかった。自然や村の風景、木造家屋、バイカル湖の漁船など。
元記事:https://eastriver229.blogs
★本文ここまで★
▼前号目次
■1985年7月2日、ハバロフスクでロシア号へ乗換え+事件
■1985年7月4日、イルクーツク駅着
■■編集後記
■■後記
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲
注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機
はタシケント到着後の2009年月14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
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★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
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★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第394号 2023年8月10日
発行責任者:飯尾彰敏
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