★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第393号 2023年8月8日★★★
皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲
▼目次
■1985年7月2日、ハバロフスクでロシア号へ乗換え+事件
■1985年7月4日、イルクーツク駅着
■■編集後記
★本文★
■1985年7月2日、ハバロフスクでロシア号へ乗換え+事件
1985年7月2日(日)
ナホトカ・太平洋駅から極東(ヴォストーク)号2等寝台車に乗り
年7月2日、昼頃にハバロフスク駅に着いた。ここでシベリア鉄道
ア号、ウラジオストク発モスクワ・ヤロスラブリ行きに乗り換えだ
運良くか悪くか、乗り換え時間まで1時間以上あったのでハバロフ
ロータリーがあり、正面に大きな通りが真っすぐに延びていた。や
にあり緩い下り坂のようだった(アムール川に向かって緩く下がっ
色いバスとボルガのタクシーが走っていた。その左手には集合住宅
いた。
興味本位で集合住宅地に入って写真を撮っていたところ、ミリッツ
受けてしまい、さらに署まで御招待され、その後、しばらく調書を
書きの書類に署名して、その後、フォルムを暴露された。気になっ
然ながら乗り換えのロシア号のこと、何を言っても通じず、まあ、
通じなかったのだろう、そのまま成り行きを見守らざるをえなかっ
そして放免、ミリッツィアのUAZに乗せられ市内特別ツアーでイ
テルへ、どうもこのホテルの宿泊者だと思ったようだが、インツー
の拙い英語が通じでシベリア鉄道の乗客だというのが判明し、さら
ィアはUAZでハバロフスク駅のホームまで入って行った。丁度そ
(バックパック)を降ろしているところ、ロシア号の出発直前のに
う技を御披露してくれた。
市内特別ツアーでは車窓の風景などほとんど覚えておらず、疾走し
とくらいしか記憶にない。そして、ロシア号に乗り込んでからイン
乗員に聞いたところ、彼女が尽力してロシア号の出発を1時間程度
ようで驚くと同時に救われた気持ちでいっぱいだった。
フィルムは招待所の署で暴露されたので、この後はない。フィルム
ばかりだったのだろう、ひとつ前のフィルムに辛うじてハバロフス
ていた。
http://1985.iio.org.uk/index.h
元記事:https://eastriver229.blogs
■1985年7月4日、イルクーツク駅着
1985年7月4日(火)
夕刻21:00ごろにイルクーツク駅に着いた。21時といっても
るさだった。ナホトカ駅を7月1日に出発、翌7月2日にハバロフ
鉄道のロシア号に乗り換え、車中2泊してイルクーツク駅に着いた
初日は森林地帯の中を走っていたが、途中の夜半、ステップ地帯の
どこだったのか、列車からホームに降りて周囲を見渡したところ、
ら草原が続いており、その起伏を駅構内の照明が照らしていた。大
のでウラン・ウデかチタだったのだろうか。
イルクーツク駅手前でアンガラ川沿いに鉄道が走り、車窓から日没
ラ川が望めた、川というより細長い湖のように大河だった。このア
イカル湖へ注ぐ唯一の河川とのこと。
元記事:https://eastriver229.blogs
★本文ここまで★
▼前号目次
■1985年6月29日から7月1日、横浜港大桟橋からナホトカ
■1985年7月1日(月)、ナホトカ港で下船、ナホトカ支線の
ヤ太平洋駅へ
■■編集後記
■■後記
前号の第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想
注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機
はタシケント到着後の2009年月14日でした。
また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika
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★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
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