2010年5月20日木曜日

【世界の街角からMM】第52号LADAの車輪が外れた!、アルメニア人のホスピタリティ 2010年5月19日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第52号 2010年5月19日
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2月初旬より、アルメニアの首都、エレバンに滞在している。多分、聞いたこと無
いだろうな。そんな南コーカサスの小国、アルメニアからのレポート4です。
▼目次
■こんなことも有り?LADAの車輪が外れた!
■アルメニア人のホスピタリティ
■ちょっとした発見、Giza137
■■後記
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■こんなことも有り?LADAの車輪が外れた!
先月末、エレバンかトビリシへ陸路で往復した。
その往路、スピタクという1988年に大地震のあったアルメニア北部の町を通過し
ているときに、右前方に塗装の新しい白いLADAが走っていた。何気にLADAを見て
いると、何か大きな物を落とした。よく見ると後輪の車輪が外れたのであった。
こんあことってありなの?
LADAは直ぐに停車し、運転手は照れ笑いでこちらに微笑んだのだった。
照れ笑いの運転手の写真↓
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623736321211/show/

■アルメニア人のホスピタリティ
2ヶ月ほどの滞在で感じたアルメニア人のホスピタリティを少々紹介しよう。何度
かアルメニア人と食事をする機会があったが、客人をもてなすことはこの地域の
特徴なのだろう、こんな説明があった。

世界の中で最も健康的な食事は日本食、その次がアルメニア料理との説明、もう
一つは環境技術、これも日本が世界で一番進んでいる、そして、アルメニアが二
番目だそうだ。料理の件は、肉食だがハーブも一緒に食べるのでことと脂質が少
ない肉なのでなんとなく納得したが、環境技術は果たして?
相手を立てた説明が客人を持成すということかと、ふと後になって思ったものだ。

■ちょっとした発見、Giza137、アルメニアの日本米
知人からは驚き!とコメントがあったが、アルメニアにはエジプト産ジャポニカ
米が手に入る。パッケージから判断するとエジプトから輸入された米であり、こ
の米はGiza137に違いないと考えている。

店には何種類もの米が売っている。アルメニア語とロシア語で書かれているので
詳細がわからないが、その中に「Giza、丸い米」という意味のロシア語が読み取
れるパッケージを見つけた。幸い、パッケージに透明な部分があり、米が見える
ようになっている。日本の米のように短粒種にみえる。

これだけでは判断しかねるので試しにこの米を炊いてみたところ、概ね日本米な
のだ。それでググッてみたところ、以下のことが判明した。

エジプトの米の約8割がジャポニカ米で1917年にYabani(アラビア語で日本という
意味)という品種名のジャポニカ米の品種改良が進められ、1954年、Yabani M47
という品種がNadaと命名され政府栽培奨励品種として全国へ普及した。Yabani M4
7からさらに品種改良が進められ、Giza171及びGiza172が育成された。

1970年代後半にレイホウという品種がGiza173として導入され、作付け面積が40%
を占めたが、1985年にこのGiza173だけがイモチ病が発生し、1986年から作付けが
禁止され、イモチ病抵抗品種の改良が行われた。その後が、不明だが日本米がエ
ジプト人に好まれているので何らかの改良が行われたはず。

某援助機関のwebにエジプトでの日本米の説明があり稲作分野で技術協力を実施し
たとあるが、品種改良には触れられていない。果たして誰がこのレイホウ(Giza1
37)をエジプトへ導入したのだろうか?

レイホウを親とした品種一覧:
この中にはエジプトのことは掲載されていない、そのものだからだろうか、イモ
チ病耐性品種はどうなったのか情報不足ではある。
http://ineweb.narcc.affrc.go.jp/search/oyahinsyu.html?ineCode=SAI01000

Giza137(レイホウ)、ちょっとしたアルメニアでの日本の発見でした。その他、
エジプトでは、アキヒカリ、日本晴という品種も試験的に栽培が行われた。

■公式サイトの説明
公式「世界の街角から」のフォトギャラリーblogを作ってみた。
http://worldcityimg.blogspot.com/

■■後記
4月後半から5月中旬まで何かと行事と出張が多かった。モスクワ、トビリシへ出
張したのでのその時のことは追々レポートしようと思う。
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2010年4月17日土曜日

【世界の街角からMM】第51号 エレバンでシャワルマ、アララト山 2010年4月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第51号 2010年4月16日
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2月初旬より、アルメニアの首都、エレバンに滞在している。多分、聞いたこと無
いだろうな。そんな南コーカサスの小国、アルメニアからのレポート3です。
▼目次
■エレバンで何を食うか?
■エレバンでシャワルマ?
■アララト山
■■後記
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■エレバンで何を食うか?
米の文化ではないが米の料理もある。トルマというロールキャベツとロール葡萄
の葉だ。トルコでもシリアでも食べたことがあるのでこの地域の料理だろう。
スーパーマーケットでも売っているがやはりこれは家庭料理だろうな。

さてアルメニア料理とは?
肉を煮込んだものや肉を焼いたもの、BBQと言っているが串に刺して焼くので中央
アジアでのシャシリック、しかし、中央アジアでもコーカサス・シャシリックと
いえば肉の塊が大きいのが特徴だ。

肉の煮込みもグリル肉もどちらも美味しい、アルメニアの伝統なのだろう。スパ
イスは効かせていないので自然な味付けとなるが、ハーブは多用しているようだ。
通常、野菜中心の前菜、スープ、メインとなる。
今度写真を撮っておこう。

アルメニアは肥沃な高地に位置し、古くから農業が盛んであり、食材をピューレ
にしたり包んだり調理法も多様である。また、小麦、大麦、米などの豊富な穀物
類のほか、肉や魚(鱒等)を調理する際に、干し葡萄や干し杏等を味付けに加え
るのもアルメニア料理の特徴である。

■エレバンでシャワルマ?
シャワルマはシリアやレバノンでよく食べられているアラブのファーストフード。
シリアではホッブス、アルメニアでは、ラバッシュという薄いイースト菌を使用
していないパンにグリルしたビーフやチキンを薄く削いだ肉片を野菜、フライド
ポテト、ピクルスなどとともに包んだサンドイッチ(正確には挟むのではなく包
んでいる)だ。

シリアではヨーグルトを入れていた。似たようなファーストフードにレンズマメ
を磨り潰してドーナッツ状に揚げ、野菜と一緒に包んだファラフェルという食べ
物がある。余談だがダマスカスのシャラーンのファラフェルとAbu Shakarの生ジ
ュースは最高だ。

エレバンのシャワルマ、どうやらシリアのアルメニア人が1950年代にソヴィエ
ト・アルメニアへ移住したときに一緒に持ち込んだ比較的新しい食文化のようだ。
当地シャワルマの特徴は、ポークがあるということ、アラブ世界では考えられな
い。同じくソーセージバージョンもある。

■アララト山
エレバンからは富士山の双子のような山が見える。大アララト山と小アララト山
だ。大アララト山の標高は5137mと富士山よりずっと高いし、小アララト山も3896
mとこちらも富士山より高い。アルメニア人にとっては日本人の富士山に対する思
いのようだ。アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大ア
ルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボル、心のふるさととされて
いる。

このアララト山は、「旧約聖書」にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着い
たとされる山と目されており、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。

当地ではアルメニア語でNoyan、ノアの、という意味のタイトルが食料品から新聞
まで多く採用されている。ARARATというブランデーはアルメニア・ブランデーの
代表となっている。

■■後記
なんだかんだで4月も中旬になってしまった。されとて、クリアなアララト山は
まだお目にかかっていない。知人からは方舟の欠片はみたか等質問が来ている、
でも山の麓までは隣の国なのだ。エレバンは京都の庭園ではないが現時点では借
景と言えなくもない。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第51号 2010年4月16日
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2010年4月12日月曜日

【世界の街角からMM】第50号 飯を炊く、陸路でエレバンからトビリシへ、Antonov AN-225 Mirya 2010年4月11日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第50号 2010年4月11日
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2月初旬より、アルメニアの首都、エレバンに滞在している。多分、聞いたこと無
いだろな。そんな南コーカサスの小国、アルメニアからのレポート2です。
▼目次
■エレバンで飯を炊く
■陸路でエレバンからトビリシへ
■Antonov AN-225 Mirya、航空貨物輸送記録更新
■為替
■■編集後記
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■エレバンで飯を炊く
米食文化ではないアルメニアではあるが米は売っている。これは米を料理に使う
からである。米のパックはロシア語とアルメニア語の表記なので説明は理解でき
ないがロシア語の米という程度は私にでもわかる。

あとは現物を見て判断するしかない。米の種類もタイ米などの長粒種と日本米の
ような短粒種が販売されているが、短粒種と思しき米はウズベキスタン辺りで作
っている中粒種ではなかろうか。同じような米でGIZAというタイトルの米もあっ
た、エジプト米だろうか。

要は炊いてみないとわからないので日本米の形状に近い500g入りの米を買って炊
いてみた。想像通り、ウズベキスタンでプロフに使う米とよく似ている、粘り気
が無くぱさぱさだ。カレーにはいいかもしれないが、白米を食べるのには物足り
ない。エレバンの中華料理屋もこの米を使っているに違いない、ぱさぱさだった
から。

余談だが、購入した米のビニルパックの表紙には金閣寺、アオザイの女性、水牛
の絵が描いてあった。この地域から見えれば皆同じという認識なのだろうか。そ
れから、エレバンにはパナソニック製炊飯器が売っている。これは星一つあげた
い。でもご飯を炊くというメニューはなくプロフを選択するとご飯が炊ける。

■陸路でエレバンからトビリシへ
3月下旬にエレバンから陸路でトビリシを往復した。
アルメニアの首都エレバンからグルジアの首都トビリシへの2泊3日の出張だった。
移動は車、都市間距離は約300キロ、1日目と3日目は移動となったため実質1日し
かトビリシ市内に滞在していないがそれでも空き時間を利用してトビリシを散策
した。本来歩いて散策したかったが時間が許さず、ほとんど車で走り回った程度
となったことは残念の極み。これまでOld Tbilisiというワインは飲んだことがあ
るが、Tbilisi Cityは初テイストととなった。

アルメニア国内は往路と復路のルートを変えて移動し道路と沿線状況を視察、往
路の途中、1988年12月7日にM6.7の地震が発生し、死者25000 人以上(5万とか7万
人という数値もみられる)ともいわれている被災地スピタクを通過した。日本政
府は国際緊急援助隊をソ連・アルメニア共和国へ派遣している。

トビリシの第一印象は、サラエボの都市構造とよく似ているということだ、市内
中央をクール川(ムトゥクワリ川)が流れその谷の両側に市街地が広がっている、
一部両側が旧市街となるが今回は足を踏み入れる時間が無かった。サイズはサラ
エボよりも大きく、やはり移動には車が必要だ。地下鉄が1路線あり、移動のため
 1区間だけ乗車した。他のCIS諸国と同様、まったくモスクワと同じシステム、運
賃0.5ラリ也(USD=1.74Lari)。

トビリシでの仕事は滞りなく終了し、その夕方の大使主催レセプションも盛況だ
ったことはエレバンから出張した甲斐があったというものだ。早春のワインディ
ングロードは天気もよく(一部雪の区間もあった)淡いピンクの杏の花や黄色い
花が咲く山野を眺めながらの往復も印象的だった。

会議の翌日、エレバンへ戻った4月2日(金)はグルジアはイースターで祝日、ち
なみにアルメニアは月曜日がイースターとなる。これはグルジア正教会とアルメ
ニア使徒教会の違いなのだろうか。その影響なのかルートが異なるからなのか、
やや交通量が少ない印象だった。トビリシ滞在中に再度会議でトビリシへ行く予
定が入ったので今回積み残した市内散策は次回へ持ち越せることとなった。

■Antonov AN-225 Mirya、航空貨物輸送記録更新
2009年8月11日ではあるが、フランクフルト-ハーン空港(元米軍基地)から
An-225が187.6トンという航空貨物(発電機)をエレバンまで輸送し、単体航空貨
物輸送記録を更新し、ギネスブックに登録された。
http://www.youtube.com/watch?v=WabkDxefh6g&feature=player_embedded

いやはや化け物のような飛行機だねアントノフ225は、A-380も真っ青だ。An-225
はソ連時代に開発された飛行機で、スペースシャトルのソ連版、ブラン(スペー
スシャトルとそっくりのデザイン)の輸送目的でソ連末期に開発された。

なんと、2機しか製造されず、しかもそのうち1機は完成に至らず、よって、現
存は1機のみという。もちろんアントノフなのでベースはウクライナとなる。9
0年代末までAn-225は、An-124等の部品取りとして放置されていたが、アントノ
フ航空社がAn-124を利用して大型航空貨物ビジネスで成功したことからAn-225を
復活させることとなり2000年から再就航している。

ハイチ大地震の復興支援に使用する重機類輸送のため防衛省がAn-225チャーター
し、2010年2月9日、成田空港にも発飛来した。
http://mainichi.jp/select/wadai/graph/an225/

■為替
こちらに来てから対ドルで4.5%AMD(アルメニアドラム)が下落している。世界経
済危機後の対策としてスタンバイローンが入っていることが影響していると思わ
れるがこれまで高すぎたとも思える。

中央銀行
http://www.cba.am/CBA_SITE/?__locale=en

■■編集後記
「世界の街角からMM」第50号はエレバンよりお届けすることになりました。引き
続きどうぞご高配のほどよろしくお願いします。
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2010年4月11日日曜日

【世界の街角からMM】第49号エレバンにて、夏時間、アルメニアのアルメニア人 2010年4月10日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第49号 2010年4月10日
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2月初旬より、アルメニアの首都、エレバンに滞在している。多分、聞いたこと無
いだろな。そんな南コーカサスの小国、アルメニアからのレポートです。
▼目次
■エレバンにて
■アルメニアのアルメニア人
■南コーカサス
■夏時間
■最近の出来事
■■編集後記
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■エレバンにて
桜も見ぬまま4月も中旬に挿しかかろうとしている。もうこの国に来て2ヶ月が経
つ。最初は残雪が残っていて、屋根から落ちる雪を気をつけて歩いたものだが、
タシケント出張を終えて戻ってきたらもうほとんど雪はなくなっていた。

されど天気は来る日も来る日も曇天ばかり、まあ、仕事をするには秋の夜長と同
様、決して嫌いではない。ただ、事務所の暖房がオイルヒータだけだったのでさ
すがに風邪を引いてしまい、今回は鼻かぜから始まり、一夜にしてゴミ箱をテッ
シュ、いやそんな上等なものを我が家には置いていないので、トイレットペーパ
なのだが、満杯にしてしまった。

2月の木々はまったく頑なにしていたが、暖かくなりかけると芽が動き若葉が出始
めると街の印象も変わる。この季節、淡白い花が咲いていたのだがこれは杏らし
い。この地域の特産品、ドライフルーツとして知られているが、中央アジアも然
り、中東地域でも杏は多い。

暖かくなると木々だけではない、女性のファッションも芽吹くように鮮やかに薄
着になっていった。ブラック一色だったのが華やかになって視覚的にはなかなか
よい。

■アルメニアのアルメニア人
縁あってこの国のこの都市に滞在しているわけで、私の人生においてアルメニア
へ入国したことはソ連時代を通しても今回が初めてである。アルメニア人を見た
ことがないかといえばそうではない。

シリアのアレッポやラタキア、エジプトのカイロ、イスタンブル等で接触してい
るし、ラタキアでは一緒に働いていた。よってそれほど違和感があるわけではな
いが、アルメニアでアルメニア人というのははじめてゆえやや緊張もする。とい
うのはアルメニア語というのをこれまで聞いたこともなければ見たこともないか
らだ。

アルメニア以外でのアルメニア人との会話は英語を通してコミュニケーションを
取ったが既に2ヶ月経過するもアルメニア語は未だに食べ物程度しか記憶に残って
いない。

通常、英語で会話するか露語、露語が出来るわけでもないので英語になるがそれ
以外はオプションがない。

アルメニア人は歴史的に多くの血が混ざり合っているからなのだろう、一見アラ
ブ人からヨーロッパ人まで人相は幅広い。横のサイズも然り。特徴といえば鼻が
非常に高い、これをアルメニア鼻というらしい、本当だろうか。

肌の色も浅黒い人から真っ白な人、髪の色もブロンドから黒までこれまた幅が広
いが、髪の色は黒が多くを占める。顔の彫りも様々である。肥満が多いのは否定
できない。

つまりアルメニア人は、この場合女性限定だが、背が170cm以上で黒髪、黒い瞳、
ボディはスレンダーで手足長く、目鼻立ちがはっきりしている人、結果エキゾチ
ックな雰囲気を醸し出すことになる。

参考までに
http://www.rferl.org/content/Armenia_Foul_Play_Alleged_In_Latest_Eurovisi
on_Controversy_/1959801.html

■南コーカサス
日本からだとコーカサスさえ場所がはっきりわからないことだろう。コーカサス
地域は、カスピ海と黒海に挟まれた地域をいう。アルメニアは南コーカサスとい
い、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアの3カ国を指し、他方、北コーカサ
スはロシア連邦内のチェチェンやダゲスタン、北オセチアなど聞いたこともない
自治共和国が存在する地域を指す。この地域のことは追って詳細にレポートしよ
うと思う。

南コーカサスは3カ国だが、地理的な意味合いだけでアルメニアとグルジアは同じ
キリスト教徒ということもあって関係は良好なのだが、アルメニアとアゼルバイ
ジャンはアゼルバイジャン領地内のアルメニア人問題から発展して戦争状態にあ
る。そのナゴルノ・カラバフは実質的にアルメニア領となっている。しかも国境
線が複雑であり、イランとアルメニアの間にアゼルバイジャンの飛び地であるナ
ヒチェバンが存在する。

つまり、キリスト教徒であるアルメニア、グルジア、イスラム教徒であるアゼル
バイジャンと宗教が絡み合っていることから国境線も複雑になり、さらに、ソ連
時代に引いた国境線が現在の民族紛争に起因している。それ以前から長い長い歴
史の中で地理的要因から宗教や言語が複雑であることは近代以前からの状況では
ある。

■夏時間
3月29日(月)の午前0時に1時間進んで午前1時となり夏時間が始まった。何年か
ぶりに夏時間のある国で時刻が切り替わるときに滞在している。エレバンはGMT+
4:00だが本日00:00から夏時間が適用されGMT+5:00となり、日本との時差がこちら
からプラス4時間となった(日本はGMT+9:00固定のため)。

損したような気分だが後から戻ってくるので同じこと、1時間進んだので20時過ぎ
まで明るい。当然といえば当然なのだが。緯度は秋田県と同じくらいの北緯40度9
分。

モスクワは1時間遅れているGMT+3:00なのですが、隣のトルコはGMT+2:00のはず、
両国とも夏時間を採用しているので時差は変わらず、ベランダから見えるアララ
トは2時間遅れなのかと思うと不思議だ。

■最近の出来事
◆アルメニア・トルコ問題
2月下旬から3月にかけてアルメニア国内はもとより、昨年10月に合意されたア
ルメニア・トルコの国交正常化の進展について盛り上がった、究極は米国下院が
トルコによる1915年のアルメニア人大虐殺を可決したことにより、トルコ政府が
大使を召還したことだろう、次いでスウェーデンまでが国会で大虐殺を認めたの
だ。この背景には在米アルメニア人へのオバマ大統領の選挙中の約束が反映して
いると思われる。しかし、米国はトルコに圧力をかけてまでこの問題を先に進め
ることが得策ともどこかで考えたはず、しかし、トルコとアゼルバイジャンとの
関係やアルメニアとアゼルバイジャンとの関係もあり、一朝一夕で片付くとも思
えないが、アルメニアにとってはこれ以上マイナスにはならないことからどっし
りと構えて入られるようだ。

◆ナゴルノ・カラバフで出産ボーナス
アルメニアは人口300万人程度の小国、人口を増加させることは将来的にもアルメ
ニアが存続することを意味する。実効支配中のナゴルノ・カラバフで子供を出産
するとボーナスが支給される新たな制度が実施された。

ロシア在住のカラバフ出身の企業家が財政支援を行い、一定の条件を満たしたカ
ップルには子供一人当たりの出産にUSD2,000のボーナスを支給する。
既にナゴルノ・カラバフ政府は同様な出産奨励プログラムを実施中であり第一子
誕生には、USD300、第二子にはUSD600、第三子にはUSD3,000支給している。この
制度により2007年と2009年の比較で出生率が31.5%上昇した。

■■編集後記
初アルメニアレポート、着の身着のままです。
日本はもっと将来のことを考えなくてはいけない。人口減少は致命的な問題なの
だ。子供手当ても重要なのだろうが、篤志家を募って出産ボーナス制度などいか
がだろうか?
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