2011年9月25日日曜日

【世界の街角からMM】第113号 片道40時間の覚書 2011年9月25日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第113号 2011年9月25日
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皆さま、こんにちは。
突然ですが南米へ出張しています、今回は、フランクフルトを経由して大西洋を
横断、サンパウロまで行き、そこからさらに乗り継いでパラグアイの首都アスン
シオンに来ています。片道40時間、地球を半周はしたでしょうか、の覚書です。

▼目次
■片道40時間の覚書-ルフトハンザ航空で南米パラグアイのアスンシオンへまで
■■後記
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■片道40時間の覚書-ルフトハンザ航空で南米パラグアイのアスンシオンへまで

▼所要時間
自宅から新横浜プリンス 10分
新横浜プリンス-成田空港 1時間30分
待ち時間 2時間
成田-フランクフルト 11時30分
待ち時間 8時間
フランクフルト-サンパウロ 12時間30分
待ち時間 3時間
サンパウロ-アスンシオン 2時間
空港からホテルへ 30分
合計41時10分

▼Airbus A380-800 by ルフトハンザ航空LH711便メモ、2011年9月19日(月)
A380が就航している。2階建ての巨大な機体だ、成田空港第一ターミナル45番
ゲートからの出発だ、45番はウイングの突きあたりにあり駐機中の機体が良く見
えない。

ルフトハンザ航空
http://www.lufthansa.com

データによると、ファースト8、ビジネス98、エコノミー420、定員合計536名
となっている。今日のフライトはほぼ満席だ、秋のこの季節ヨーロッパ旅行には
最適だろう。

全長72.7m、全幅79.8m、高さ24.1m、運行速度907km/h、最高高度13100m、最大離
陸重量560トン、最大着陸重量391トン、航続距離12000km、客室の幅6.6m/5.9m

ルフトハンザ航空はこのA380-800を8機所有している。

A380のサイズはボーイング747より若干大きいが、乗客数は747の344名(8/66/27
0)より約200名多い。やはり巨大だ。

▼無料預入荷物の改定
今年から多くの航空会社が改定している。一個当たり32kg、それを2個まで、場
合によっては3個までOKだ。これは助かる。
http://www.lufthansa.com/online/portal/lh/jp/info_and_services/baggage?n
odeid=3331125&l=en&cid=1000276

▼日本列島を北上したフライトルート
成田空港を離陸したLH711便、A380-800、は日本列島を横断して日本海を北上す
ると思い込んでいたが、日本列島を縦断、下北半島からやや北西に針路を変え、
北海道も縦断し、稚内付近からそのまま北上、ロシアへ上空へ、北極海沿いヨー
ロッパまで飛ぶルートを取った。

▼ルフトハンザ航空の機内食
ルフトハンザ航空なのでそれほど期待はしていない。前回搭乗した時も、パン
同じドイツ系でもオーストリア航空とは異なった印象だった。今回も美味しいが、
それ以上でもなければそれ以下でもない。

洋食は、オードブルがクルマエビと野菜、メインは牛頬肉の赤ワインソース煮、
デザートはケーキ、チーズ、フルーツ。和食は、前菜が焼き穴子とこんにゃく、
蕎麦、八寸が炙りサーモン寿司、胡麻豆腐等、牛肉の霙煮と茄子の万願寺唐辛子
であった。

機内食の売りは、パークハイアット東京の総料理長と日本料理「梢」の料理長が
監修していることだ。

▼日本人客室乗務員
受け取れないほどの熱いオシボリを「熱いので気を付けて」とマニュアル通りに
出す無神経なCAであった。概して日系以外の日本人CAはこの傾向にある。

▼使えなかったインターネット接続サービス-FlyNet
ルフトハンザ航空では機内でインターネットに接続できるFlyNetを提供している
と聞いていたが、まだアジア路線までは普及していないようだ。機内誌の説明に
よると北米路線から導入しているとある。この話を聞いたのが1年以上前だから、
方針が変わったのか?ミュンヘン-タシケント路線で使ったと聞いたのは、聞き
間違いだっただろうか。

▼フランクフルトでのトランジットホテル
7時間以上の乗り継ぎのためルフトハンザ航空がホテルを用意した。A,B,Cターミ
ナルの目の前にあるシェラトンホテル、これはありがたかった。シャワーを浴び、
コーヒーを飲んだ。

▼空港からフランクフルト市内へのアクセス
空港からフランクフルト市内の一日券、9.5ユーロ、自動販売機で購入。クレジ
ットカードで払おうとしたが、昨年のベルリンを思い出した。マエストロだった
か、特定のクレジットカードしか受け付けない、よって、現金を投入した。

ホテルで聞いた中心街へ行ってみた。空港駅からS8でフランクフルト中央駅から
二つ目の駅だという。ホテルでもらった地図はわかり易く、鉄道網もカバーして
おり重宝した。
http://www.frankfurt-airport.de/

▼フランクフルトの中心街Hauptwache (Frankfurt am Main)
1990年代にこの辺りをうろついた記憶がある、ZEILという通りと同じ名前の前衛
的なビルが建ったばかりでだった。歩行者専用道路を散策、新しくできたテナン
トビルやKARSTAD、GALLERIAデパートをぶらり。

Galeria Kaufhof
http://www.galeria-kaufhof.de/sales/unternehmen/filialen/frankfurt-haupt
wache.asp

▼デパートでトイレを借りる
デパートはトイレを借りようと思って入ったが、かなり上階まで行かないとない、
それに非常にわかりにくい。チップは要求されるので心付けだけ。

RIMOWAは、600EURでスーツケースが買える。税込の値段だ。日本だとなぜあんな
に高いのだろうか。ポリカーボネイド製のRIMOWAは300EUR程度だ。

▼ドイツのiPhone
ドイツのiPhone、キャリアーはドイツテレコムだろう、はSIMロック、よって調
達せず、韓国・台湾製のスマホは勢いがある印象、サムソン製はiPhoneを意識し
ているデザイン、ディスプレイのなかではノキアとソニーエリクソンの影が薄い。

BOSEのiPhone用スピーカー、250ユーロは日本より安い。免税だったら更に一割
引きだろう。買っておけばよかった。

▼不愉快なフランクフルト空港
この空港はいつも何かある、被害が出たというわけではないが不愉快が多い。AC
アダプターが爆弾かもしれないと取り上げられ、検査するという、勝手にやって
ちょうだい。

▼LH506、フランクフルト発サンパウロ行き
フランクフルトからLH506は南西へ針路を取りフランス南部、スペイン南部の地
中海沿いを航行、そして、地中海を横切りモロッコのフェズ、メクネス上空、ち
ょうどハイアトラスだが夜間なので町の光だけが見えている。

カナリー諸島のラスパルマスを経て大西洋を超えて行くのだろうと思ったが、ナ
ビゲーターはモロッコからモーリタニア上空の航行を示している。目的地までは
8時間38分の所要とスクリーンには示されている。

ビジネスクラスは満席。成田線よりサービスレベルが高い、特に客室乗務員の対
応は丁寧だ。日本路線の日本人CAとは大違いだった。

ルフトハンザのシートは身体の線にあうようデザインされている、レカロだろう、
フラットタイプは長距離便で共通シート、少なくともB747-400とA380-800は同じ
だった。

▼再度、機内食
午後10時40分発の夜行便だが夕食が出た。軽めのと思いメインはサーモンにした
が、前菜だけ食べて後は残した。サンパウロ到着前にも朝食が出る。

▼大西洋を横断してサンパウロへ
夜間飛行であることから窓の外は漆黒の世界、モニターが北アフリカのモロッコ
からモーリタニア、セネガルを経て大西洋を横断し、レセフィ上空から大西洋に
沿ってサンパウロへ向かう南米大陸へのルートを示すのみ。

▼サンパウロ・グアルーリョス国際空港着
ブラジル上空に入ると左前方の窓の外には夜明け前の街の灯りが見えてきた。機
は南東へ針路変更し着陸体制に入った。機首はサンパウロとサントス港へ向き下
降し機内の照明が落とされると、窓の外の街の灯りがより鮮明になった。

午前5時過ぎ、サンパウロ着、到着したターミナルでフライトスケジュールを確
認するが乗り継ぎ便が表示されていない。確認したら到着したのが第2ターミナ
ルで、アスンシオンへの乗り継ぎは第1ターミナルのようだ。ターミナルごとの
情報ではわかりにくい。

Aeroporto Internacional de Sa~o Paulo/Guarulhos
http://www.infraero.gov.br/index.php/br/aeroportos/sao-paulo/aeroporto-i
nternacional-de-sao-paulo.html

▼TAMラウンジの”マユミ”
第1ターミナルはTAM航空専用なのか、ほとんどがTAM航空だった。途中、ラウン
ジがあったので、入ってみたらここで待てとのこと。出発までには3時間ほどあ
ったので、コーヒーを飲みつつネットに接続してみた。1時間ごとのバウチャー
をレセプションもらう。

サンパウロからアスンシオンまでのフライトはTAMメルコスール航空と旅程表に
示されていた。TAMという航空会社の子会社なのだろう、スターアライアンス加
盟のブラジルの航空会社である。

レセプションは美女が二人、そのうちの一人が美人だった。私好みという視点で
は。名札をみたら、「MAYUMI」と読めた。日系ブラジル人だろう。

▼窓側ではなかった予約席
成田空港でのチェックインの際、全ての搭乗券が発行されるのは利便性が高い、
しかし、席がリクエストしておいた窓際の席ではなかった。日中の便なのでサン
パウロ上空とアスンシオン着陸時の景色を楽しみにしていたが、最後に転けた。

成田空港のチェックインカウンターで最後まで確認しなかったが、ここでアスン
シオンまで全ての搭乗券が発券されたので、予約が間違っていたか発券時の手続
きが間違っていたのだろう。

▼アスンシオン便で召し上げられたキャリーオン
飛行機に乗り込む直前にキャリーオンを召し上げられた、機体がA320と小さいか
らか、でもそんな事はない。ウィーンからのエレバン便はいつもこの機体であり
問題はなかった。というわけで、搭乗口を通過しても乗り込む直前にチェックが
はいる。

キャリーオンの中身はカメラとレンズだったので、それを外に出した。余計な手
間がかかった。

▼塩・コショウはオンデマンド?
ルフトハンザ航空及びTAM航空とも機内食に初めから塩・胡椒が用意されていな
い。ほとんど使わないので、必要な時に要求すればよいのでゴミが減らせる。成
田からアスンシオンまで通しでなかったので、スターアライアンス加盟ではこう
なったのか、航空会社の方針なのかははっきりしない。

今年に入って全日空とオーストリア航空に搭乗しているが、気が付いていない。

▼アスンシオン空港
正式はSilvio Pettirossi International Airport。通路側の席となったため外
が見えない。下降し始めたてから、若干、大平原が見え市街地らしきが見えただ
けで着陸となった。空港は
http://www.dinac.gov.py/v2/index.php

▼パラグアイ入国、そして、市内へ
入国審査カードに必要事項を書き込んで窓口に出すと日本国籍は90日間のビザが
入国時に発給される。これは楽だ。南米ではブラジル以外はこんな調子だ。

カートはぼろい。しかも通常のタイプではなく使い難い。ポーターが寄ってくる
がその必要はない。荷物を載せて税関でX線スキャンをしてそのまま外にでた。
入口付近にはカードを持った出迎えが多く待機している。

今回は初めての国ではあるが、クライアントの意向により出迎えはなしなのでタ
クシーでホテルへ行く。GTZのカードが見えた、他ドナーは出迎えているなー。

目の前にあった銀行でとりあえず100ドルを両替、1ドル4050ガラニ、紙幣には0
が多いせいか、1000はMILと表示してある。100,000の場合100MILになる。英語の
MILだと百万だがスペイン語だと千となりややこしい。

聞いていたタクシー会社はなかったが、定額だというので金額だけ確認して窓口
で一台お願いした。通常のタクシーではない。日産サニーに荷物を載せ、初めて
の都市、アスンシオンのホテルへむかった。約30分でセントロのホテルに着いた。
料金は100,000ガラニ、約2000円だ。

■■後記
地球を半周したであろう片道40時間の移動、この覚書は往路なので復路もある。
復路も同じルート、フランクフルトで一息つけるだろうか?
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メールマガジン「世界の街角からMM」第113号 2011年9月25日
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
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2011年9月14日水曜日

【世界の街角からMM】第112号 目黒のさんま祭り 2011年9月14日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第112号 2011年9月14日
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皆さま、こんにちは。
今回は落語にちなんだ「目黒のさんま祭り」のご紹介です。サンマの水揚げ港が
宮古、気仙沼、大船渡など先の大震災の被災地です。同時に物産展も開催され、
大消費地東京と産地の絆がより一層強くなるものと信じ、復旧・復興の促進に繋
がることを祈念しています。
▼目次
■目黒さんま祭りと落語「目黒のさんま」
■タリン
■■後記
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■目黒さんま祭りと落語「目黒のさんま」
2011年のさんま祭りが目黒側で第35回、上大崎側で第16回なので、35年程度の歴
史があるお祭りと言えるだろう、「目黒のさんま祭り」のきっかけとなった古典
落語「目黒のさんま」の歴史は定かではないが江戸のお殿様が出てくるので江戸
時代に遡るのはないだろうか。
この落語、さんまという下魚(低級な魚)を産地から離れた場違いな場で無造作
に調理したものが美味く、丁寧に調理したものはかえって不味いという滑稽な噺。
落語界の中では秋の噺として知られ、3代目三遊亭金馬が得意としていた演目で
ある。

落語から転じて、秋祭りのお題目としての「目黒のさんま祭り」、目黒へ鷹狩り
に出かけた江戸の殿様になりきって、下魚と言えども宮古港や気仙沼港に水揚
げ・直送された秋刀魚を炭火で焼き、大根おろしとカボスを絞って食べるなど、
最高の贅沢ではないだろうか。

目黒のさんま祭りは目黒駅を挟んで目黒駅前商店主催と目黒区主催の2回開催さ
れている。その他、都内では恵比寿や東京タワーで開催され、東京タワーのは大
船渡港から直送される。それぞれ、特定の産地と結び付きがあり、同時に物産展
などその土地の産品が紹介される場ともなっている。無機質化しつつある大都市
東京にとっては、ほっとする一時であろう。

▼目黒さんま祭り(品川区上大崎)
駅前商店街が主催する「目黒さんま祭り」、開催が最も早いのでメディアでの露
出が多く、目黒通り沿いの秋刀魚を焼く煙とその行列が目立っている。
岩手県宮古港から直送された6000匹がサンマが提供され、炭火焼きの秋刀魚には、
徳島県のすだちと栃木の大根おろしが付けられ、先着順に無料配布される。

開催日:2011年9月4日(日)、9月初旬、第1または第2日曜日に開催される。サ
ンマの旬による。
主催:目黒駅前商店街振興組合青年部主催
会場:誕生八幡神社
公式サイト:http://owarai.to/meguro/index.html
応援サイト:http://www.asahi-net.or.jp/~xq7k-fsm/sanma.htm

▼目黒のさんま祭、目黒のSUNまつりの一部(目黒)
最初は上大崎と同じく「目黒のさんま祭」と呼ばれていたが、区民祭りの一部に
なった際に「目黒のSUNまつり、目黒のさんま祭り」に変更された。三部構成で
「おまつり広場」「子ども広場」が他に開催される。秋田から鹿児島の名産・珍
味がそろう物産展も出店される。
秋刀魚は気仙沼漁港直送され、炭焼きで宮城県産の大根おろし、大分県産のカボ
ス、気仙沼産しょう油を付けて提供される。

開催日:2011年9月18日(日)
主催:目黒区民まつり実行委員会主催、目黒区・目黒区教育委員会後援による行

会場:田道広場公園(茶屋坂近く)および区営近隣施設
http://sunma.emeguro.com/index.html

▼となりの恵比寿サンマ祭り(2011年は中止)
2011年のサンマ祭りは中止となり、恵比寿ビール坂祭りを開催する。
主催:恵比寿恵成商店会・となりのサンマ祭り実行委員会共催、2007年から「と
なりの恵比寿サンマ祭り」が2開催されるようになった。
開催日:2011年10月9日、会場はビール坂。
http://www.ebisusanma.com/

▼三陸・大船渡東京タワーさんままつり
東京タワーでもサンマ祭りが開催されている。大船渡港から直送された3,333匹
のサンマを炭火焼きにし、大根おろしと辺塚(へつか)だいだい3,333個を添えて
無料で提供される。大船渡の特産品を販売する。
開催日:2011年9月23日(金祝)
場所:東京タワー屋外特設会場
http://www.enjoytokyo.jp/amuse/event/365248/

▼東京のさんま祭りと落語「目黒のさんま」
http://matsuri.enjoytokyo.jp/autumn/sanma/

■■後記
既に目黒のさんま祭りの一つが9月4日に開催されましたが、もう一つと他のさん
ま祭りがこれから開催されます。お近くの皆さま、産地直送、炭焼きの美味しい
サンマを食べに行きましょう!
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2011年7月17日日曜日

「世界の街角からMM」第110号 アルメニアとトルコ 2011年7月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第110号 2011年7月16日
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日本からエレバン・レポート30です。アルメニアとその周辺国の関係についての
続きです。
▼目次
■ナゴルノ・カラバフ紛争解決の現状
■トルコ・アルメニアの国交正常化問題
■■後記
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■ナゴルノ・カラバフ紛争解決の現状
和平議定書には公表されていない14項目があると言われている(ロイター)、和
平交渉では以下6項目のガイドライン策定及びその合意を行うことが中心となっ
ている。

1)アルメニアが実効支配しているナゴルノ・カラバフのアゼルバイジャンへの
移管
2)安全保障と自治のためのナゴルノ・カラバフの中間的な位置づけ
3)ナゴルノ・カラバフ市民による最終的な位置づけの将来的な決議
4)ナゴルノ・カラバフとアルメニアの陸上接続回廊の整備
5)両国の難民及び退去した人々の帰還権利
6)平和維持管理を含む国際的な安全保障の保証

冒頭のナゴルノ・カラバフの移管は将来的には返還していくことになると思われ
るが、現時点ではアルメニアにはあり得ないことだ。

▼難しい課題
1)和平枠組みが両者に合意されても、両国のリーダーは秘密裏に行われな協議
内容を公表せざるを得なくなり、そして、合意内容についてそれぞれの国民を納
得させるのは難しいと分析されている。

2)ナゴルノ・カラバフとアゼルバイジャン前線での戦闘状態の継続はは合意事
項を危険に晒すことになる。

3)外交官や専門家は、合意が最終的な平和的解決による適切な期間に沿わない
場合、両国は、再度、離れていくと警鐘している。

4)解決の糸口は、アゼルバイジャンが主張している領地の統合、そしてアルメ
ニアの独自の決断が主要議題に載らなければならない。

5)和平への交渉は、複合的不安定な要素を加味した事実上のナゴルノ・カラバ
フによるリーダーシップの介在がなければならない。

係争中のナゴルノ・カラバフ(ロイター、6月29日)
http://tinyurl.com/3w2nmjc

▼ナゴルノ・カラバフ地図
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Location_Nagorno-Karabakh_en.png

▼ナゴルノ・カラバフ共和国(人口約13.8万人、2006年予測値)
首都、ステパナケルト(標高813m、人口5.3万人、2010年)
通貨はアルメニア・ドラム
車両登録はアルメニア・ナンバー

ナゴルノ・カラバフ共和国
http://nkr.am/en/

Government of Nagorno Karabakh Republic
http://www.karabakh.net/

NKR外務省
http://www.nkr.am/en/

NKRワシントンDC事務所
http://www.nkrusa.org/

▼査証取得
NKR領事部がエレバンにあり、ここでビザ申請ができる。

17-A Zarian Street, Yerevan, Armenia
http://www.nkrusa.org/nkr_office/visa_travel.shtml

■トルコとアルメニアの国交正常化問題
トルコとアルメニアの関係改善による地域の安定を目指した欧米諸国の後ろ盾の
下、スイスが仲介しチューリッヒにおいて2009年10月10日に両国間で国交正常化
の署名がなされたが、両国で批准されるまでには至っていない。

この国交正常化、アメリカとロシアの圧力があり、アルメニア・ナルバンンジャ
ン外務大臣は不満の表情を隠さなかったことから、トルコ・ダウトール外相は合
意文の一部を読むことを控えたとも伝えられている。

国交正常化に両国が署名したからといって、直ぐに友好関係が構築できるとは考
えにくい。オスマン・トルコ末期におけるアルメニア人虐殺問題は、長期的に燻
る火種であることは間違いない、しかし、アルメニアの内政的には最重要課題だ。

署名の翌年、2010年4月、アルメニア人虐殺追悼記念日前に両国による批准の機
運が高まったものの、トルコ国会において批准に至らず、アルメニア側はトルコ
国会での結果を見て批准保留とした。

両国で批准が進展しなかったのは、トルコは批准の条件として、友好国アゼルバ
イジャン領であるナゴルノカラバフ自治州からのアルメニア軍撤退を要求したこ
とから、トルコ・アルメニア両国の議会は合意文書の批准を棚上げしていた。

トルコのエルドアン首相は、2010年4月中旬、国交正常化の批准を行うか否かは、
アルメニアがナゴルノ・カラバフ紛争でアゼルバイジャンと合意に達するかどう
かにかかっていると発言していた。

アルメニア議会は、2010年4月22日、トルコとの国交樹立に関する合意文書の批
准作業を議題から外すことを決定し、サルキシャン大統領が議会での批准作業を
中断するとの大統領令に署名した。

このように、トルコ・アルメニア国交正常化問題は、ナゴルノ・カラバフ紛争解
決と完全にリンクしたことから、進展すれば同時に、さもなくば平行線が長期間
継続することになる。

つまり、経済的にはトルコとの国交正常化によりコストの安い物品が輸入でき、
余剰電力の輸出が可能となるが、国民感情的には同じアルメニア人居住地区であ
るナゴルノ・カラバフ問題が優先される。

どちらがこの国交正常化で利益を多く得るかといえば、アルメニアに違いない。
そうい意味において、タイミングを見計らった英断が必要となる。

アルメニア和解 過去を乗り越える勇気を
http://tinyurl.com/3l45tjw

トルコ大統領、エレバンでワールドカップ予選観戦(2009年10月14日)
http://www.afpbb.com/article/politics/2653082/4762311

EUの国交正常化合意に関する声明(2010年4月6日)
http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/media/news/2010/100406c.html

国交正常化の凍結 アルメニア、トルコを非難(2010年4月23日)
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042201001226.html

■■後記
トルコ-アゼルバイジャン(友好)、アルメニア-アゼルバイジャン(断絶)、ト
ルコ‐アルメニア(経済面で友好)が現状である。これが解決されると、アルメ
ニアは犠牲も払うが長期的にそれ以上の利益を得ることであろう、しかし、この
土地の人たちは目先が最優先されるため、現状のような状況が長期化している所
以ではないだろうか。

ソ連時代に鉄道網が建設され機能していたが、この民族問題の発生により一部を
除いて現在は機能していない。

エレバンからアゼルバイジャンのバクーの路線及び支線は廃線、途中には銅やモ
リブデンなどの鉱山があるが、道路に依存している。レールは取り除かれ、腐敗
した枕木だけが残っている。

エレバンからギュムリを経由してトルコのカースへのルートはソ連時代、トルコ
を結ぶ幹線であった。それゆえ、鉄道の管区拠点が置かれていたが、国境閉鎖に
伴い、衰退してしまった。

問題の長期化は、アルメニア回避運輸ルートの策定へと繋がり、アルメニアがこ
の地域から除外されてしまうのではないだろうかと危惧する。英断が必要なタイ
ミングではと感じる。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第110号 2011年7月16日
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「世界の街角からMM」第109号 アルメニアの国際関係 2011年7月16日

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メールマガジン「世界の街角からMM」        第109号 2011年7月16日
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日本からエレバン・レポート29です。アルメニアとその周辺国との関係について
概観してみようと思う。
▼目次
■アルメニアの近隣諸国との関係
■未承認国家ナゴルノ・カラバフ
■■後記
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■アルメニアの近隣諸国との関係
アルメニアは4カ国と国境を接する内陸国である。かつては2大洋を(黒海と地
中海)を有する国家として繁栄したがそれは過去のこと。

現在、その4カ国のうち2カ国としか国交がない。国交がない隣接国は、トルコ
とアゼルバイジャン、他方、国交があるのはグルジアとイランである。内陸国で
2方向が塞がれているのは由々しき問題だが、これもまた近代の歴史が表してい
るように近年の国際関係の結果である。

トルコとアゼルバイジャンとの国交を断絶した(された)のは、1992年のナ
ゴルノ・カラバフ紛争に関連して経済封鎖が両国により行われたからだ。一見、
ナゴルノ・カラバフ自治州はアゼルバイジャン領内なので、トルコとの国交が断
絶したことに関係がなさそうだが、アゼルバイジャンはトルコ系民族であり、国
会内にシンパが多く経済的にも関係が深いからだ。

他方、黒海に港湾を有するグルジアとの関係は歴史的にもアルメニア人が多く居
住していたことから関係は現在も良好である。南に隣接するイランとも関係は問
題ない。歴史的にはペルシャに支配されたことがあり、その時に多くのアルメニ
ア人がペルシャへ移民(強制移住)している。

アルメニアの置かれている状況は綱渡り的ではあるがバランス良く外交関係を構
築し、ソ連崩壊後のナゴルノ・カラバフ紛争により疲弊したものの、ロシアの軍
事的経済的なバックアップにより90年代末からリーマンショック前まではコー
カサス・タイガーと呼ばれるほど高い経済成長を持続した。

アルメニアはアゼルバイジャンとの間でナゴルノ・カラバフ紛争で停戦中であり、
停戦後15年を経過するが未だに和平協定は締結されていない。経常的にフロント
ラインでは小競り合いが続いている。トルコとは2009年10月に国交正常化の署名
がなされたが、批准には至っていない。その障害としてナゴルノ・カラバフの取
り扱いがあり、これもナゴルノ・カラバフ紛争問題同様、両国内で合意されてい
ない。

グルジアとは歴史的に関係が深く、トビリシや西部にはアルメニア人コミュニテ
ィが存在し、グルジア人口の5.7%(2009年)、約25万人が居住している。経済的
には、輸入の約80%がグルジア経由であり、港湾であるポチ港やバツミ港を経由
して、また、陸路ではトルコから貨物トラックが往来している。ガスパイプライ
ンはロシアからグルジアを経由して輸送されている。

イランとも良好な経済的関係を維持している。近年、電力分野で共同プロジェク
トが開始されたところ、鉄道新線のプロジェクト案もある。アルメニアから港湾
施設へのルートとして、南方ルートはイランのペルシャ湾に位置するバンダルア
ッバス港へ接続される重要な輸送ルートである。また、石油製品の輸入も近年増
加傾向にある。

その他隣接はしていないが、ロシアとの関係が政治的経済的には密接であり、ア
ルメニアにとっては重要なパートナーである。

■未承認国家ナゴルノ・カラバフNagorno-Karabakh
前述のとおり、紛争種となったナゴルノ・カラバフについてです。

コーカサス地域の国境線は非常に複雑であり、また、未承認国家がいくつか存在
する。その中でもアルメニア人が元々多く住んでいた表向きはアゼルバイジャン
領であるナゴルノ・カラバフ自治州は、現在、アルメニアの実効支配下にあるナ
ゴルノ・カラバフ共和国という未承認国家となっている。

オスマントルコの崩壊とロシア革命により1917年に南コーカサス地域は独立し、
アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアとなり、ナゴルノ・カラバフの帰属を
巡り紛争が起こったが英国の介入により、パリ講和条約へ領土問題が持ち越しさ
れた。しかし、ソヴィエト軍に制圧され、ソ連邦構成国家であるザカフカス・ソ
ヴィエトに併合された。

その後、3カ国はそれぞれ社会主義共和国としてソ連邦構成国家として独立し、1
923年、ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン・ソヴィエトの自治州となった。

その経緯を簡単にいうとスターリン政権は民族間のバランスを保つために単一民
族によるナショナリズム高揚を避けた国境線を引いたことに根本的な紛争の根が
あり、それが現在においても燻り続けている。

ソ連時代末期の1988年2月29日、アゼルバイジャン共和国内のナゴルノ・カラバ
フ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚し、
バクーの北の都市、スムガイトでアルメニア人居住者とアゼルバイジャン人が互
いに襲撃する事件が発生し、死者32人(アルメニア人26人、アゼリー人6人)を数
えた。俗に言う「スムガイト事件」だ。

この事件以降、同年中にアゼルバイジャンから35万人のアルメニア人が、アルメ
ニアから17万人のアゼルバイジャン人が各々追放されれ、ここで民族紛争に火が
付いた。

1991年9月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州が、独立宣言を行うと11月4日、アゼル
バイジャンがナゴルノ・カラバフを経済封鎖した。アルメニアは全面的にナゴル
ノ・カラバフを支援し、翌1992年に両国間で本格的な戦闘状態となった。同年2
月25日から26日にかけて、同自治州ホジャリ市(Khojaly)のアルメニア人過激派がアゼルバイジャン系住民161人以上(アゼルバイジャン政府は613人)を殺害したとされるホジャリ大虐殺が発生した。

1994年にロシアとフランスが仲介し、停戦が成立した。この紛争により、2万人
が犠牲者になり、100万人以上の難民が発生したと言われている。

この停戦の調停案には「アルメニアが占領したアゼルバイジャンの領土の返還」、
「ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに帰属後は自治共和国に昇格」という
一節があり、アルメニア側からすれば納得できるようなものではなかったため、
アルメニアがナゴルノ・カラバフを実行占拠したままになっており、ナゴルノ・
カラバフの帰属問題は未だに解決の目処は立っていない。

さらに、トルコとアルメニアの関係改善による地域の安定を目指した欧米諸国の
支援もあり、2009年10月10日に両国間で国交正常化の署名がなされたが、アゼル
バイジャンにシンパシーを持っているトルコ議員の反対で合意文書の議会承認が
得られず、両国内の承認手続きが保留状態となっている。

▼略史
1923年、ナゴルノ・カラバフ、アゼルバイジャン共和国に編入。

1988年2月20日、ナゴルノ・カラバフ自治州人民代議員会議において、アゼルバ
イジャンからの離脱とアルメニアへの帰属に関する決議採択。

アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ自治州を廃止、共和国の直轄統治となる。

スムガイトで、アゼルバイジャン人によるアルメニア人の虐殺事件が発生。

1989年12月1日、アルメニア最高会議において、ナゴルノ・カラバフ自治州のア
ルメニア併合に関する決議採択。

同年中、アルメニアから17万人のアゼルバイジャン人が、アゼルバイジャンから
35万人のアルメニア人が各々追放。

1991年9月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州が、独立宣言。

11月4日、アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフを経済封鎖。

1992年、紛争開始。

1992年2月25日、ホジャリ大虐殺が発生。

1994年、ロシア・フランスの仲介。

ロベルト・コチャリャンがナゴルノ・カラバフ大統領になる(後アルメニア首
相)。

1994年5月5日、停戦合意。

1998年4月、アゼルバイジャン・アルメニア首脳会談でナゴルノ・カラバフの平
和的解決で両国が合意。

1999年10月、武装グループがアルメニア議会を襲撃。

2002年、アメリカとフランスの仲介したものの、交渉に進展なし。

2009年10月10日、トルコとアルメニアとの間で国交正常化文書に調印。合意文書
への紛争に関する記述をめぐり紛糾したため、調印後の声明発表を見送る。

現在、OSCEミンスクグループ(共同議長:米国、ロシア、フランス)の和平調停
が継続中。

■■後記
概観することに努めたが表に出ていない要素がまだまだある、日本から心理的に
も地理的にも疎遠である地域ということも影響しているが、紐解くにはそれなり
の時間を要する。

次号でナゴルノ・カラバフ紛争の現状、そして、トルコ-アルメニア国交正常化
について概観する予定です。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第109号 2011年7月16日
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