2011年11月29日火曜日

【世界の街角からMM】第124号 アスンシオンにて(5) 2011年11月27日


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メールマガジン「世界の街角からMM」       第124 20111127
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。

この国での滞在メモ、「アスンシオンにて」、その5です。

▼目次
■高いと思ったがやっぱり高かった「illy」のコーヒー豆‐アスンシオン
■片言の日本語を話すおじさんの韓国料理屋-アスンシオン
Crown Plaza Asuncion のカフェ

■■後記
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■高いと思ったがやっぱり高かったillyのコーヒー豆‐アスンシオン

illyのコーヒーは個人的に気に入っている。日本から持参した1kg500g x 2)
城石井のコーヒー豆が無くなったので豆をスーパーマーケットで探したがまとも
そうなパッケージにお目にかかれなかった。それで、ネット検索したらアスンシ
オンに販売店らしきリストが出てきた。
rld/americas/

事務所帰りに販売店に立ち寄ったら、隣がショールームになっていて試飲ができ
た。このコーヒー、旨いのですね。エスプレッソマシンがないとこの旨いコー
ヒーにありつけないのだが、何とかフィルターで、若しくはトルココーヒー風に
入れて飲もうと豆だけ購入することにした。

値段を聞いた時に高いと思ったがやっぱり高かったillyのコーヒー豆250g、アス
ンシオンの販売店でのお値段は、250g入りの缶が、

122,588PYG/4050=USD30.27x79=2,391円相当となる。クレジットカード払いで手
数料なしでの支払いが可能だったので相当高い値段設定との印象を受けたものの、
購入した。

ホテルに戻って日本のウェブで確認したら同じのが1,365円だったので1,000円も
高い、途上国の典型か、暴利をむさぼり過ぎだな?その前に事前に値段を確認し
ておくべきだった。

値段より、どこでillyのコーヒーを飲めるのか聞いた方が良かったかもな。

米国のillyのサイトだとUSD29のようだ。そう考えるとアスンシオンの価格設定
はそれほど外れていない、南米の内陸国なのだから。いやいや、これは2缶の値
段だ。つまり一缶USD14.5ということになる。やっぱり高い。2缶の値段で1缶
を販売してしまったのかも知れない。これは確認してみる価値がありそうだ。
ound-espresso-coffee


■片言の日本語を話すおじさんの韓国料理屋-アスンシオン
「国民学校」、「昭和17年」、「日本語、しばらく使っていない」などの片言の
日本語を話す韓国人の経営する韓国料理を発見した。

発見したと書いたのは、アスンシオン在住の日本人、日系人に聞いても情報を得
られなかったからだ。 それでメルカド・クワトロ周辺に韓国料理屋が集中して
いることから、ハングルの看板が韓国料理屋だろうとの前提で現地調査を実施し
た。

趣旨は韓国の家庭料理(焼肉だけでなく通常の韓国料理を出すレストラン)を出
すレストランを探すこと。これでアスンシオンの食生活が豊かになる。 これま
での情報でペルー通りにあるY-Hack(Ave. Peru 1091, Tel.021-208 578)1軒の
みが家庭料理(スンドゥブやユッケジャン、オジンポックン等)を出すことはわ
かっていたが、必ず他にもあるはずだとの信念の下、聞き取りを続けた。参考ま
でにこのY-Huckは15年営業していると(女将さん)。

日本語を話すおじさんの韓国料理屋の名前は「アブエロ?」、その前は「マン
ナ」だった。Abueloアブエロってスペイン語で「おじいちゃん」という意味か
な?

場所はDr.Jose Gaspar Rodriguez de Francia通りからPal Perez通りを右折、Si
lvio Pettirossi通りの手前左側にある。徒歩ならSilvio Pettirossi通りからPa
l Perez通りへ曲がり(下り坂)右側にある。
Google map
-25.295176,-57.625276

この店の反対側にももう一軒韓国料理屋があるが、聞き取りにいったが私のスペ
イン語(ほんの少し)と韓国語能力(なし)では家庭料理を出すのか否かは判断
が付かなかった。 そのとき、このおじさんの店が閉まっており韓国料理屋があ
るとはわからなかった。ドアの内側にハングルが書いてあり、ドアを閉めると見
えないようになっている。2階がカラオケのようだ。

この店は2週間ほど前に発見していたが、昨晩、やっとその店に知人と行って来
た。20年以上にわたりパラグアイとお付き合いがある人だが、初めてというこ
とだった。その昔は、ペルー通りにあった店かも知れないという。

日本語のメニューあり。オジンポックン、ブルコギ、スンドゥブなど10種類程
度はあった。次回は写真をとってこよう。

二人で2品( オジンポックン、ブルコギ)注文しただけで十分だった。写真の周
囲は韓国料理に付いてくる小皿類。オジンポックン、ブルコギ共期待を外さない
味付けだった。特に白米の炊き方が良かったのかいい味を出していた。

25年営業しているとおじさんが言っていた。「昭和8年」、「国民学校5年」
とも言っていたが、「昭和8年生まれ」なのかもしれないが、想像の域を出ない。

とても愛想の良い韓国料理屋だし、味もよい。ペルー通りの店より好きになりそ
うだ。

写真

Crown Plaza Asuncion のカフェ
セントロにあるクラウンプラザ、インターコンチネンタル系列の五つ星ホテルだ。
Cerro Cora 939にある。

用を足せず歩いていたら、カフェが視野に入りちょっと覗いてみることにした。
そしたらカウンターの中に赤色のillyのトレードを発見、飲まずには帰れないだ
ろうとちょっとブレイク。

客は宿泊客しかいないのだろう、閑散としている。ダブル・エスプレッソを注文。

ウエイターが年寄りばかり、衣装はしっかりしているがあまり礼儀正しくない。
カウンターの中から包丁を振り回しながらス少し待てという。

五つ星には目をつぶらないといけないのかもしれない。

サーブされたダブル・エスプレッソ、味はillyなのでまあまあだが、温い。私は
温いエスプレッソはエスプレッソとは認めない。 がっかりだ。16,500PYG也。

箱はしっかりしていそうだなのだが。 ホテルに入ったときもそうだった。レセ
プションには誰もいなかったのだ。
Cerro Cora 939 Asuncio'n, Paraguay
(0)21 452 682
crowneasuncion.com.py?

google map; -25.295176,-57.625276

写真

■■後記
味にはこだわる。

それはどこにいても同じだ。

コーヒーは特にだ。普通に入れれば美味しいコーヒー豆なのだよ「illy」は。

「アブエロ(お爺ちゃん)」、足を使った甲斐があった。またいこう。

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2011年11月27日日曜日

【世界の街角からMM】第123号 アスンシオンにて(4) 2011年11月27日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第123 20111127
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20119月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。日
本からだと丁度地球の裏側になる。この国での滞在メモ、アスンシオンにて、そ
4です。今回は日本との関係で重要な日本人移住のことです。

▼目次
■パラグアイへの日本人移住略史
■日本政府の支援
■日本人移住者とパラグアイ経済
■■後記
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前号でも触れたパラグアイにおける日本人移住の歴史、もう少しパラグアイとの
関係を含めて現状をレポートしておこうと思う。

パラグアイへの移住は第2次世界大戦を挟んで二つに分けられ、戦後は1952年に
移住が再開され、南部のイタプア県に入植が始まった。

一時、コーヒー農園の農業労働者としての移住を行ったが数年後に農園が倒産し
た失敗から、土地を所有する農業経営者としての移住が行われた。

時は、日本が高度経済成長へ向かう時期だった。

移住政策は雇用対策の一環として行われたことから、国内経済が回復し成長して
いくことで激減しているが、パラグアイの場合1991年まで継続している。

現在にいたっては、日本人移住者は数百ヘクタールの農地を所有し、大型農業機
械を導入、農業法人的な規模での農業がおこなわれ、移住者はその経営に注視す
ることとなり自らの農地に赴く人は少ないと聞く。

現状が把握できればと思い机上での資料を読み概略をまとめることとした。参考
資料が、移住者側からのものが多く、客観的な視点では次回以降となる。

■パラグアイへの日本人移住略史

▼移住開始
1936年、ブラジル政府が新規移住制限(1934年)を設けたため、移住先としてパ
ラグアイが検討され、アスンシオンから南東約130km、現在のラ・コルメナ地区
の土地購入を決定、1936年にパラグアイ政府はブラジル拓殖組合に対し、日本人
移民100家族を受け入れる許可を出した。

ブラジルで入植経験がある4家族33名の日本人が、新移民を指導する目的で、
ラ・コルメナ移住地に到着、その後4家族36名が到着した。

1936812日、日本から最初のパラグアイ移民として11家族81名が到着した。
第2次世界大戦により日本人移住が途絶える1941年までに123家族790人が移住し
た。

▼戦後の移住
1952年にパラグアイ政府が日本人移住受け入れ再開を決定し、戦前の移住地であ
るラ・コルメナ地区へ18名が入植した。

また、パラグアイ政府は南部開発のためイタプア県に新たにチャベス移住地を新
設し、入植を許可した。

1955年、イタプア県フラム移住地への入植を開始

1956年、フジ移住地、

1956年、アマンバイ県CAFECompania Americana de Fomento Economico)農園
への契約雇用農民(コーヒー栽培)として、137家族の日本人が入植、しかし、3
年後に同社は倒産したため、アマンバイ移住地の入植者は他の農作物の生産や商
業に従事することになる。

1957年、ラ・パス移住地、サンタ・ロサ移住地にまで拡大した。

1959年、日本・パラグアイ両国政府は、「日本・パラグアイ移住協定」を締結し、
以降30年間に亘って85,000名の日本人移住者の受入が決定される。

1960年、現JICAは、現在のイタプア県ピラポ地区に土地を購入し、26家族が入植
した。

1961年、アルト・パラナ県イグアス地区に約87,000haの土地を購入。イグアス移
住地は、パラグアイで最大の移住地となった。

現在、人口規模ではピラポ移住地が最大となっている。

イグアス移住地(87,700ha182世帯、832人)
ピラポ移住地(84,000ha235世帯、1,279)

地方の移住地の他、アスンシオン市及び近郊には2,000名を超える日系人が居住
し、エステ市及び近郊に130人、エンカルナシオン市及び近郊に340人の移住者が
居住している。

都市と地方(居住地)との比率は。都市に約2500人(38%)、移住地に約4000
62%)となっている。都市近郊では農業従事者が多く、純粋に都市住民として
はそれよりかなり下回るのと推測される。

パラグアイの日系人の合計は、1,506世帯、6,479人(JICA)となっている。パラ
グアイ全人口に占める日系人は、約0.1%ととなる。

■日本政府の支援

パラグアイの大豆生産増加に向けてパラグアイの土地に適合した新種の大豆開発
を行うために技術協力として以下の事業をイタプア県で実施した。その他、不耕
起栽培技術の導入により、土地浸食の防止、コストの最小化、生産量増加を達成
でき、農業技術に革命的な変化がもたらされた。その結果、大豆は、パラグアイ
の主要輸出作物の一つとなった。

1) CRIACentro Regional de Investigacion Agricola、地域農業研究セン
ター)
2) CEMACentro de Mecanizacion Agricola、農業機械化センター)
3) CEDEFOCentro de Desarrollo Forestal、林業開発訓練センター)

この他、日本政府は、農産品の輸送や生産・商業化促進をはじめ、農業基盤など
のプロジェクトを支援してきた。

参考:在パラグアイ日本国大使館

日本人移住を支援していた移住事業団は、国際協力事業団に統合され、現在は、
日本のODA実施機関として国際協力機構(JICA)という名称になっている。

JICAパラグアイ事務所によれば、重点地域と言うのがあり東部4県を指定してい
る。この4県には、日本人移住地がほとんど含まれている。

JICAパラグアイ事務所

これまでの対パラグアイ国への支援累計

■日本人移住者とパラグアイ経済

日経移住者が大豆栽培を導入したことにより、最大輸出産品となりパラグアイ経
済への貢献が盤石なものとなった。

農業に従事している日本人移住者は、パラグアイの農業従事者の約1%に相当し、
大豆栽培でいえば全国生産量の2.3%2006年)、小麦に至っては7%2007年)を
日系人が生産している。

移住者によるトマト、大豆、小麦及び卵の生産は、パラグアイの農業に多大な貢
献をしている。特に大豆輸出に関しては、日系人が果たした役割は非常に大きい。

チャベス移住地、フラム移住地に入植した移住者は、当初、近隣のドイツ人移住
者の農業を模範とし、短期作物であるトウモロコシ、長期作物である油桐やマテ
(茶葉)を栽培していましたが、当時の農産物価格は非常に安く商業化は上手く
いかなかった。

その状況下、移住者は模索し、日本から持ってきた大豆の種子で自給自足用に大
豆の栽培を始めた移住者がいた。この大豆が豊作となったことに農協が注目し、
大豆を移住者の主要農作物として輸出する方法を検討し始めたのです。

1959年年2月、イタプア県農協会を構成するチャベス、フジ、ラパス、サンタロ
サの4移住地の農協が協議を行い、大豆輸出を開始したことでパラグアイ産大豆
が注目を浴びるようになった。

現在では、最大輸出品目となり、大豆関連産品で輸出の約80%を占めるほどに成
長し、パラグアイ経済の大黒柱に成長している。

その他、日系人移住者は、蔬菜類、穀物、柑橘類などの短期作物・長期作物の生
産や養鶏など、様々な農業分野で活躍している。

野菜や果物類がパラグアイ社会に浸透したのは、ラ・コルメナ移住地の日本人が
導入したと一般のパラグアイ人は感謝の気持ちをよく表現するし、スーパーで見
かける鶏卵は、Maeharaと刻印が押してあるのがほとんどだ、これは日系人の鶏
卵業者である前原農場の生産である。

■■後記
移住の歴史は、日本がまだ途上国であった時期に雇用対策として始まったと聞い
ている。それは太平洋戦争前のことであり、戦後は高度経済成長となる1960年代
初頭までではないかと思う。パラグアイの場合、この移住事業が90年代初頭まで
細々と続いていたのは、お役所仕事だったからだろうかと思う。

なぜ止めてしまうのか、日本で補助金農業をやっているくらいならばもっと農業
移住を推進させることにより、日本の農業を活性化できるのではないだろうか。

それから多くの国立大学に農学部があるが、農業以外の業種に進むのならば農学
部の意味がない、卒業生をもっと海外へ送る支援をすれば、これまた日本の農業
に刺激を与えられるし、大学ももっと国際化するんだろう。

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メールマガジン「世界の街角からMM」第123 20111127
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2011年11月21日月曜日

【世界の街角からMM】第122号 アスンシオンにて(3) 2011年11月21日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第122号 2011年11月21日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。この国での滞在メモ、アスンシオンにて、そ
の3です。
▼目次
■アスンシオンモーターショー
■クレジットカードでのキャッシング(No.121の更新)
■アスンシオンの盆踊り
■アスンシオンの東アジア系食材店
■支払い通貨
■■後記
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■アスンシオンモーターショー
アスンシオンでモーターショーが開催されているが、ご近所ながら時間的に行け
そうにないのでリンクだけの案内です。

日本で見られないのは中国とか韓国の車でしょう。
http://www.cadamparaguay.com/

■クレジットカードでのキャッシング(No.121の更新)

パラグアイにおけるクレジットカードでのキャッシングは、1回で500,000PYGか
ら1,500,000PYGまででき、最高金額は1,500,000PYGと決まっている。一日の引き
出し限度額も決まっているはずだが、情報が手元にない。パラグアイでのATMに
よる引き出し限度額と同額であると思う。

このキャッシングには、金額に係らず1回25,000PYGの手数料がかかり、クレジ
ットカード会社へ支払う手数料とは別にATM機器の使用料となっているようだ。

筆者がItau銀行のATM(Mariscal Lopez Shopping)からクレジットカードでキャ
ッシングをしたときの明細は以下の通りであった。

10/07 ITAU/ SH M LOP 27,747円 現地通貨1,525,000PYG 換算レート0.019 内利
息424円 返済期間59日

現地通貨・手数料・利息等に1525,000PYGとあり、支払い金額に実際の引き落と
し日までの利息424円が上乗せされている。さらに「その他請求」として210円の
ATM手数料がチャージされている。つまり、パラグアイでのATM利用料金25,000PY
G(475円)+利息424円(キャッシングした日から決済日まで)+ATM利用料21
0円=1,109円が手数料・利息としてかかっている。

ATM利用料金が2重に課金されているのは理不尽だが、ATMを用意している銀行と
クレジットカード会社への利用料金なのだろうか、この点は不明だ。

1,500,000PYG、為替レートを0.019とすると28,500円、キャッシングの手数料・
利息が1,109円となり、キャッシング総額の約3.9%相当が利用料金となっている。

日本円をUSD現金、そして、PYGへ両替した時の手数料と比較しないとこの利用料
金のレベルがはっきりしないが、手間だけではクレジットカードのキャッシング
は非常に便利だ。

■アスンシオンの盆踊り

1ヶ月ほど前にアスンシオンで盆踊りがあった。南半球なのでこの時期かとも思
ったがややおかしい。それで日系人に聞いてみた。

記憶が定かでなく申し訳ないが、盆踊りが9月にあり、10月に日本月間が開催さ
れていたが、日本月間の予算が大使館から拠出されなくなり統合して10月に盆踊
りを開催している、これでは説明になっていないが、この時期に開催されている
理由はこのように二つを一つに束ねたことによるようだ。

盆踊りの案内は、内山田と日本食材店の「さくら」に貼りだしてあり、私が知る
ところとなった。他にアスンシオン市内で見たことが無いのでアスンシオン日本
人会のネットワークで案内されているだけでと思います。

日時:2011年10月22日(土)19:30より、
場所:アスンシオン日本人会にて

パラグアイ日本人会連合会
http://rengoukai.org.py/

この下部組織にアスンシオン日本人会というサイトがありましたが、「盆踊り」
の件は、案内がありませんでした。
http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/idonde-estamos/asuncion

現在、日本からの時差は12時間、丁度地球の裏側となりますここアスンシオン
で「盆踊り」が近々開催されること、そして、この地にも少なからず日本人移民
が居住し、日本の文化や生活様式が息づいているということです。

盆踊りそのものは盛況でした。日系人に限らず、関係しているパラグアイ人も多
く参加し、子供たちは金魚すくいを楽しみ、サンマの塩焼き、ラーメン、巻き寿
司、たこ焼き等ので店がでておりました。

筆者は、この地に響く和太鼓が音色が心に沁み入りました。そしてここがアスン
シオンとは思えない、この一角だけは日本でした。

■アスンシオンの東アジア系食材店

アスンシオンでは東アジア系移民が暮らすことから食材も想像以上に入手可能で
ある。想像以上と書いたのが私が知らなかったからだ。野菜などの生鮮食料品は
ローカライズされアスンシオン近郊で栽培されているので、白菜やチンゲン菜、
モヤシ等通常日本で食べている野菜が手に入る。

東アジア系と言うのは、日中韓のこと、代表的な食材屋は以下の通りです。

▼さくら(日本食材)
店はパラグアイ日本人連合会に近い住宅街の一角にある、看板は出していない日
本食材店。 日本からの食材は昆布などだろうか、ほとんどなかったと思う、で
はどこからかというとブラジル産などの日本食材が多い。サッポロラーメンのパ
ッケージを見かけたが、日本のではなかった。

豆腐、納豆、漬け物、ラパス移住地産日本米、伊藤さん栽培日本米など、時々マ
グロが入るようだ。

巻き寿司(14,000PYG)は美味かった。

他にアスンシオンでは和食を扱っている店はない。移住地内では農協のスーパー
マーケットで日本食材を販売している。

▼韓日食品HANIL(韓国食材)
Peru通りにある韓国食材の店、キムチ、にんにく醤油漬け、インスタント韓国う
どん、辛ラーメン、冷麺、韓国インスタントラーメン、カップラーメン、韓国野
菜、コチジャン、豆腐、調味料、醤油等、食材が豊富、アスンシオン一の東アジ
ア食材店の勢いを感じた。生鮮野菜やキンバップ(韓国巻き寿司)、饅頭も売っ
ている。隣にHIDALGO、韓国人経営のパン屋がある。

Avenida Peru 1224 
Tel. 021-227 330 Fax213 225
営業時間:8:00~21:00

▼中国産東方食品行(中国食材)Casa Chino

台湾系中国人が経営する店、並びには中華料理屋が多いので、アスンシオンの中
華街と筆者は称している。中華食材、豆腐やモヤシ他もあり。パラグアイ産の日
本米を販売していた。筆者はここで2kg調達した。緑茶もある

昼休みがあるので閉まっていることがある。

Ave. Rep. Francesa 981,
Tel.021-205 716

■支払い通貨
米ドルと現地通貨ガラニでの二通りの支払いが存在する。

輸入品には米ドル建ての価格が表示され、その場合、米ドルでの支払いとなるが。
ガラニでの支払いは米ドル建てに為替レートを乗じた額となる。領収書も支払っ
た通貨で発行される。

■■後記
正確な情報を得るのは容易ではなく、検証しながらその情報の精度を上げていく。
生活情報も仕事情報も同じだ。

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2011年11月14日月曜日

【世界の街角からMM】 第121号 アスンシオンにて(2) 2011年11月14日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第121号 2011年11月14日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。丁
度日本からだと地球の裏側になる。この国での滞在メモ、アスンシオンにて、そ
の2です。
▼目次
■「豆腐100万丁」-パラグアイ日系人による東日本大震災支援
■パラグアイでのクレジットカードでの支払い
■パラグアイでのクレジットカードでのキャッシング
■機内でのインターネット接続
■■後記
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■「豆腐100万丁」-パラグアイ日系人による東日本大震災支援

JICAのメルマガにパラグアイ関連のニュースがありました。何やらパラグアイか
ら大豆を日本へ送って震災支援を行っているとか。ここの大豆は豆腐用ではない
と思うのだが、まあ豆腐を作っているのでその大豆を回してくれたのであろう、
詳細は定かではないが、100トンで100万丁出来るのかという点も検証していない
がご紹介しませう。

ここからです。
「東日本大震災後、パラグアイの日系人移住者とその2世、3世たちが復興への願
いを込めて、移住地で採れた大豆100トンと、募金で集めた豆腐製造資金1,000万
円を日本人会連合会を通じ、親交のある岐阜県美濃加茂市の株式会社ギアリンク
スに寄贈した。」

パラグアイ日本人会連合会が資金と大豆をギアリンクスへ提供して震災復興の一
環として豆腐を被災地へ送り届けるということのようです。

この会社は岐阜県の食料確保計画に呼応して設立されたNPOでアルゼンチンを生
産拠点として安全食品の開発、緊急時には全力を傾けて食糧の増産及び調達を使
命とする企業である。

「同社はこの大豆から豆腐100万丁を製造し被災地に配布する「豆腐100万丁支援
プロジェクト」を実施している。4月から始まったこの活動も、日を追うごとに
支援の輪が広まり、豆腐メーカー数社を巻き込んで、9月末までに約53万丁の豆
腐が被災地に届けられました。

豆腐100万丁まであと47万丁。パッケージに描かれた「心はひとつパラグアイ国
民は日本を応援します」のメッセージと共に、支援活動はまだまだ続きます。」

JICAに何かをするわけではありませんが、パラグアイの大豆栽培には一方ならぬ
技術協力をこれまで実施しています。

◇ 株式会社ギアリンクス
http://www.gialinks.jp/tofu100mancho.html

こちらはJICAの宣伝です。
◇ ニッポンへ支援の手を!-世界中の日系人からエール続々と-
(JICA海外移住資料館 海外移住館だより)
http://www.jomm.jp/newsletter/tayori23_01.html

ご紹介でした。

■パラグアイでのクレジットカード支払い

この国はクレジットカードでの支払いができるがやや特殊なのです。

それはクレジットカードは利用できるものの、その手数料が高く、利用需要はあ
るが実際の利用者は限られているということです。手数料は、通常、購買価格の
10%を要求される。

これはクレジットカード端末の利用料が5%、クレジットカード利用料が5%とされ
ているが、クレジットカードは通常3%なので、かなり吹かしているのではと思う
が定かではない。

中には、クレジットカードを利用した支払いでは、税務申告から逃れられないの
か、10%の付加価値税を付加し、合計で20%の手数料が必要だというホテルがあっ
た。高級ホテルではこのようなことはない。手数料を取るというショップで最低
の手数料は9%であった。

このように、現金商売がまだまだ根強く、クレジットカードでの支払いができる
場合はその分、価格に加算されていると考えた方が良い。スーパーマーケットは
例外であり、手数料は取らない。

■パラグアイでのクレジットカードでのキャッシング

ATMの設置件数は比較的多いのではと思う、ショッピングセンター内には必ずあ
る。USDとPGYの現金がクレジットカードをり利用すれば入手できる。USDはキャ
ッシングしたことがないが空の場合が多いとの噂。

ATMでは1回で1,500,000PGYまで下ろせ、1回の手数料25,000PGY(500円相当)
がキャッシングに上乗せされ請求される。クレジットカードの請求書を確認した
が上乗せされた手数料以外は請求されていない。レートに含まれているのだろう。

1日当りの限度額も設定されていたが失念、常識的に考えて1000ドル程度であろ
う。ATM利用料金を取る国は初めてだが、クレジットカードでのキャッシングは
問題なくできる。

通常、円貨から米国ドルやユーロに両替して現地通貨に両替すると手数料だけで
も2回支払うことになるのでその点からだけでもATMから直接引き出した方が余
計な手数料を支払っていないことになる。

■illyコーヒー、高いと思ったが高かった

illyのコーヒーは個人的に気に入っている。日本から持参した1kg(500g x 2)成
城石井のコーヒー豆が無くなったので豆をスーパーマーケットで探したがまとも
そうなパッケージにお目にかかれなかった。それで、ネット検索したらアスンシ
オンにillyの販売店らしきリストが出てきた。
http://www.illy.dk/wps/wcm/connect/us/illy/about-illy/illy-around-the-wo
rld/americas/

事務所帰りに販売店に立ち寄ったら、隣がショールームになっていて試飲ができ
た。このコーヒー、旨いのです。エスプレッソマシンがないとこの旨いコーヒー
にありつけないのだが、何とかフィルターで、若しくはトルココーヒー風に入れ
て飲もうと挽いた豆を購入することにした。

値段を聞いた時に高いと思ったillyのコーヒー豆250g缶入り、アスンシオンの販
売店でのお値段は、

122,588PYG/4050=USD30.27x79=2,391円相当

となる。クレジットカード払いで手数料なしでの支払いが可能だったので相当高
い値段設定との印象を受けたものの、購入した。

ホテルに戻って日本のウェブで確認したら同じのが1,365円だったので1,000円も
高い、値段より、どこでillyのコーヒーが飲めるのか聞いた方が良かったかもな。
http://illycorner.mrpod.com/pc_nr250.html

米国のillyのサイトだとUSD29のようだ。そう考えるとアスンシオンの価格設定
はそれほど外れていない、南米の内陸国なのだから。いやいや、これは2缶の値
段だ。つまり一缶USD14.5ということになる。やっぱり高い。2缶の値段で1缶
を販売してしまったのかも知れない。これは確認してみる価値がありそうだ。
http://www.illyusa.com/webapp/wcs/stores/servlet/subcat_coffee_coffee_gr
ound-espresso-coffee

翌日、昨日のは1缶ではなく2缶のお値段ではと、問い合わせてみたものの後の祭
りだ。確認した価値はなく、250g入りの缶が約30ドル相当、これがパラグアイで
の価格だそうだ、しかも、安いですよ、とコメントがついた。

世界で一番illyのコーヒーが高い国かもしれない。

■機内でのインターネット接続

▼ルフトハンザ航空のFlyNet?
「ルフトハンザの長距離路線機内では、最初の機内ブロードバンドインターネッ
ト接続、ルフトハンザFlyNet?が次々に導入されています。」

とウェブに説明があるが、先日、日本-欧州線、欧州-南米線に乗ったけどまだだ
ったよ。いったいどの路線で導入されいるのだ?
http://www.lufthansa.com/online/portal/lh/jp/info_and_services/on_board?
nodeid=3109377&l=ja

▼JALが2012年夏に導入
そしたら、こんなニュースが飛び込んできた。

JALは一時このサービスを導入していたがボーイングが中止したので提供できな
くなってしまった。昨今、スマホ、スマホ、状況が異なるから継続なのだろう。

2012年夏よりJAL国際線にて機内インターネット接続サービスを開始予定、これ
まで航空各社は機内のインターネット接続サービスを導入されたり、止めたりし
てきた。今後は落ち着くのだろうか。てっきり導入されたと思っていたルフトハ
ンザ航空は、9月でもまだだった。
http://press.jal.co.jp/ja/release/201109/001887.html

■■後記
illyのコーヒーは旨い。名のあるコーヒーでこれくらいしか知らないから余計に
そう思うが、これがブランドの威力なのだろう。illyなら外れない。パリのオペ
ラ座横にあるロワシーバス乗り場の近くにもある。どこでも同じ味、マクドナル
ドのようなものだが、とにかく気に入っている。パリの街角のカフェでも同じ程
度のコーヒーは飲めるのだが。スタバとは異なる尾の引き方だ。
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メールマガジン「世界の街角からMM」第121号 2011年11月14日
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2011年10月24日月曜日

【世界の街角からMM】第120号 アスンシオンにて(1) 2011年10月24日

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メールマガジン「世界の街角からMM」       第120号 2011年10月24日
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2011年9月下旬から南米の内陸国パラグアイのアスンシオンに滞在している。10
月に入り夏時間となったので時差が12時間、丁度日本からだと地球の裏側になる。
この国での滞在メモ、アスンシオンにて、その1です。

▼目次
■何か違和感、アスンシオン空港到着時
■我が国の対パラグアイ援助
■パラグアイ日本人移住の略史
■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト
■■後記
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■何か違和感、アスンシオン空港到着時

サンパウロからTAMメルコスール航空PZ0713でアスンシオンに午前10時10分、定
刻通りに到着した。機内で配布されたイミグレーションカードに必要事項を記入
を済ませているし、キャリーオンはサンパウロで搭乗直前に預け入れに回されて
しまったので棚に入れたレンズを取り、先を急ぐ。ボーディングブリッジを抜け
空港ターミナルに入り、入国審査窓口の直前である文字が視野に飛び込んできた。

「ようこそ」???とイグアスの滝の写真を背景に日本語の大きくな文字だ、と
思いながらよくそのサインを見ると左上に青のJICAのロゴ、その下にパラグアイ
観光庁であろうロゴが示してある。青のJICAロゴなのでJBICとの統合前のサイン
だ。

このサイン、JICA予算が支出されたことは容易に想像がつくが、JICAに「ようこ
そ」などと言われる筋合いはない。パラグアイ観光庁が「ようこそ」と言ってい
るのかJICAが言っているのか紛らわし看板だった。

良心的に考えれば「ようこそ」の上にスペイン語で「Bienvenidos」(ようこ
そ)と明記されているのでパラグアイ観光庁が「ようこそ」と言っているのだろ
うと解釈すればよいのだろうが、「ようこそ」の文字の大きさと大きすぎるJICA
のロゴが邪魔している、パラグアイ観光庁がJICAを担いでいるのだろうか、JICA
が担がれたふりをしているのだろうか、そんなことはどうでもよい。実践的なサ
インが必要と筆者は感じただけだ。

■我が国の対パラグアイ援助

我が国のパラグアイに対するODAは、1952年に開始された研修事業から始まり、1
959年には有償資金協力、1963年に開発調査、1970年にプロジェクト方式技術協
力、1977年に無償資金協力、1978年には専門家派遣と青年海外協力隊員派遣が実
施され、現在に至っている。

1975年以降、二国間援助では我が国がトップ、日本人移住者との関係からだろう
か、不思議な国なのだ

対パラグアイ援助
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/gaiyou/odaproject/latinameric
a/paraguay/index_01.html

■パラグアイへの日本人移住略史
パラグアイへの移住は第2次世界大戦を挟んで二つに分けられ、本格的には日本
が高度経済成長へ向かう時期に並行して移住者が多い。

▼移住開始
1936年、ブラジル政府が新規移住制限(1934年)を設けたため、移住先としてパ
ラグアイが検討され、アスンシオンから南東約130km、現在のラ・コルメナ地区
の土地購入を決定、1936年にパラグアイ政府はブラジル拓殖組合に対し、日本人
移民100家族を受け入れる許可を出した。

ブラジルで入植経験がある4家族33名の日本人が、新移民を指導する目的で、
ラ・コルメナ移住地に到着、その後4家族36名が到着した。

1936年8月12日、日本から最初のパラグアイ移民として11家族81名が到着した。
第2次世界大戦により日本人移住が途絶える1941年までに123家族790人が移住し
た。

▼戦後の移住
1952年にパラグアイ政府が日本人移住受け入れ再開を決定し、戦前の移住地であ
るラ・コルメナ地区へ18名が入植した。

また、パラグアイ政府は南部開発のためイタプア県に新たにチャベス移住地を新
設し、入植を許可した。

1955年、イタプア県フラム移住地への入植を開始

1956年イタプア県フジ移住地、入植を開始

1956年、アマンバイ県CAFE(Compania Americana de Fomento Economico)農園
への契約雇用農(コーヒー栽培)として、137家族の日本人が入植、しかし、3年
後、同社は倒産したため、アマンバイ移住地の入植者は他の農作物の生産や商業
に従事することになる。

1957年、ラ・パス移住地、サンタ・ロサ移住地にまで拡大した。

1959年、日本・パラグアイ両国政府は、「日本・パラグアイ移住協定」を締結し、
以降30年間に亘って85,000名の日本人移住者の受入が決定。

1960年、現JICAは、現在のイタプア県ピラポ地区に土地を購入し、26家族が入植
した。

1961年、アルト・パラナ県イグアス地区に約87,000haの土地を購入。イグアス移
住地は、パラグアイで最大の移住地となった。

現在では、人口規模ではピラポ移住地が最大となっている。

イグアス移住地(87,700ha、182世帯、832人)
ピラポ移住地(84,000ha、235世帯、1,279人)

移住地の他、都市及び近郊にも移住者はおおく、アスンシオン市及び近郊が2,00
0名を超える。エステ市及び近郊に130人、エンカルナシオン市及び近郊に340人
の移住者が居住している。

参考:在パラグアイ日本国大使館
http://www.py.emb-japan.go.jp/ijuushi.htm

■短期滞在で食生活を豊かにする携行日本食材リスト

日系移民がいるので和食に事欠かないという情報と先入観で日本から食材を携行
せずアスンシオンにやってきた。しかし、現実は現実、ないわけではないのだが
思い通りの内容ではない。したがって、現状を踏まえた上で持参すると食生活が
豊かになる日本食品リストを作成してみた。これはパラグアイに限らず他の国へ
での短期滞在でも基本的に同様である。

アスンシオンの場合、アパートホテルという簡易キッチンの付いた長期滞在ホテ
ルがあるのでここでの滞在を前提とする。IHクッカー、電子レンジが用意されて
いる場合が多いので、これらを使って調理できる範囲です。

食器類は全て用意されているが、どんぶりのような器は現地調達する必要がある。
筆者はシリアルボウルでよく代用した。それから、食材ではないが備え付け包丁
はほとんど切れないと思った方が良い。

アスンシオンでは東アジア系食材が入手可能ですが詳細は別の章でレポートする
予定です。

▼お薦め携行日本食材リスト
1.インスタントみそ汁; 味噌は売っているが調理しなければならない。イン
スタントみそ汁があれば食事が豊かになるのは間違いない。

2.焼のり; 軽いし嵩張らないので持参しやすいことに加え、ご飯との相性が
よい。

3.インスタントスパゲティソース; パスタは茹でられるので、それに塗すだ
けで並みのスパゲティが出来上がる。

4.インスタントラーメン; アスンシオンで販売されているインスタントラー
メンは、ブラジル製ニッシン、日本のそれとは大きく内容が異なります。棒ラー
メンは比較的嵩張らず旨いですね。

5.ふりかけ類;軽し嵩張らない、これでご飯が美味しく食べられる。

6.醤油類; パラグアイ産、ブラジル産醤油は売っているが、減塩とか特殊な
醤油は売っていないので、必要とする方は持参をお薦めする。

7.鰹節; 小さなパック入り、何かと料理に使える。冷奴にも。

8.チューブ入りワサビ・ショウガ; 生ショウガが売っているが下し板がない、
一本づつあれば何かと便利だ。

9.お茶の葉または粉末茶;美味しいお茶が飲める。アスンシオンには日本料理
店があるが、まともなお茶は出さない。

10.コーヒーセット(コーヒー豆、紙フィルター、ドリップ容器);お湯を沸
かせばコーヒーが飲める。

その他、箸、小型包丁があったほうがよい。

■■後記
日本人の移住とパラグアイ経済への貢献等については次号以降にレポートする予
定です。大豆の品種改良や主要輸出産品の地位を確立したことなど農業分野で多
大な貢献をしています。
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