2013年1月25日金曜日

【世界街角通信】第156号 インドとパキスタン(5) 2013年1月23日



★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」       第156 2013123
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 2013年、幕の内もとっくに過ぎ下旬に差し掛かりますが、新年のご挨拶もせぬ
まま今年初です、明けましておめでとうございます。

 このメールマガジンを始めたのが2009年初頭、中央アジアはウズベキスタンの
首都、タシケントに長期的に滞在することになったのがきっかけです。今年で5
年目に入りました、国際情勢と言いながら主に各地の風景をお届けしています、
引き続きご愛顧のほどどうぞよろしくお願いします。

 昨年から南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(5)です。

 ちなみに2012年は日印国交樹立60周年でした。

▼目次
■国道4号線でムンバイからプネーへ
■インドのオックスフォード、プネー通過
■サトウキビ街道をひた走りコルハプールへ
■コルハプールの二夜その1

■■後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★フォトギャラリーのご紹介

このメールマガジンの記事に関係する写真を掲載しています。

klubnika's photo blog

photo blog 世界街角通信

■国道4号線でムンバイからプネーへ

 ムンバイでは本当に寝ただけ、夜着いて朝出発なのでどの町に泊ったのかまっ
たくわからない、ムンバイと言われたのでそうかなという程度、筆者的にはこの
ようなスケジュールは好みませんがクライアントの御指示とあらば致し方ありま
せん。なのでムンバイのことを聞かないようにしてほしいですね。ホテル代を含
めて。

 午前中は、Dighoda-Kanthavli, Raigad DistrictMumbaiの郊外、湾を挟んで
Colaba地区の対岸、Novi Mumbaiの南に滞在した。8時半に出発というので準備し
て待っていたら、830分から9時の時間設定のようで車も9時にしか来ず、30
ほど無駄にした、だったらもう少し朝食をゆっくり取れたのに。遅く出た分、目
的地に着くのは遅くなる。始めてなら尚更だ。

 何も予備知識がないまま移動するのはこれまた筆者的には望まないのですが、
スケジュールを見るとムンバイ郊外で一つ打合せをし、それからプネを経由して
コルハプールへ行くとある。途中、いくつか業務上の打合せをしつつ。400km
度を移動するようだが、何時頃にどこへと着くとことはまった注意が払われてい
ない、よって何時頃どこで昼食を取り、何時に打合せするのか、まったくない。

 インド政府職員が一緒なので気楽ではある。地図を見ると国道4号線を下るよ
うだ。ムンバイ-プネ-コルハプールとなる。道路状態は良好、4車線あり走行し
やすい。こと地域は初めてだが新しく整備した道路であろう、時々料金所がある。

 ここでインド政府職員の力が発揮される。有料道路は国営なのだろう、政府関
係者は無料となるようだ。IDを料金所で見せるとすんなりとはOKが出ない、窓口
の職員は判断せず、上司に必ず確認に行く、そして通過してよし、となる。料金
所毎にこの作業を繰り返し、

 陸上を走るとよくわかるのは地形だ、ムンバイは海沿いの岬に位置するが国道
4号線は内陸に進むに従って標高を挙げて行く。峠のような急坂を登りきった先
にプネーがありそこからは平地だった、プネ-の海抜は560mだ。

The Mumbai Page

■インドのオックスフォード、プネー通過

 インドで最も日本語教育が盛んな都市で、1971年、プネー印日協会によって日
本語教育が始められたそうだが、この時は郊外を国道4号線が通るため、便宜的
に通過しただけで何の予備知識もない、後で調べたらこのような説明があった。

 また、「インドのオックスフォード」と言われるほど高等教育機関や研究機関
が存在し、世界中から学生が集まりインドへの留学生全体の35%がプネー大学で
在籍している。プネー大学以外にも17校の工科大学があり、5つのITパーク(Hin
jewadi, Talwade, Kharade, Pune IT Park, and Magarpatta City)がある。

 このようにIT産業を中心にインドでもっとも目覚しい発展を遂げており、多く
IT産業やソフトウエア開発会社の本部がある、そして、工業やビジネスの中心
でもある、云々。同乗者のインド人はトヨタ自動車やフォルクスワーゲン等の自
動車産業もこの都市に集積していると説明していた。

 プネーは、マハトマ・ガンディーが一時期監禁された場所でもある。

 国道4号線が郊外を通過している。両側に新しいビルと住宅が目立ち、一部は
建設中であった。同乗している現在はプネ支局長に尋ねると、皆IT産業だという、
ここはハイデラバードに並んでインドのシリコンバレーだそうだ。

 このようにプネーはかすめただけで国道4号線を先へ急いだ。まだ、この日の
第二の目的地へ到達していないのに時間は午後も折り返していた。

Pune Municipal Corporation

Virtual Pune

■サトウキビ街道をひた走りコルハプールへ

 プネーから国道4号線をコルハプール方面へ走っているがなかなか第二の目的
地へ着かない。場所がどこかは聞いてもわからないが、時々、iPhoneが現在地点
を知らせてくれる、これは電波が届いた時だけだ。いかんせんiPhone3Gなので反
応が遅い、キャリアーは問題ないのだが。その地点と地図上の位置を確かめるが
地図には載っていない場合が多い。

 プネーを過ぎてから休憩しようというので沿道にあるドライブインでチャイを
飲んだ。隣では美味しそうに食事をしていた。我々の昼食は、プネーの手前にあ
る大きなドライブイン、何を注文して良いのか良くわからないのでその土地の名
物だと言うの料理を注文したらパンとコロッケのスナック程度の量だった。ラッ
シーはあるかと聞いたらプラスチックボトル詰めだった。これにはがっかりした
が、インドはそんなに進んだのだと感じた。そんなランチだったので空腹感は継
続していた。

 摂生中ゆえ、丁度よいと言い聞かせブラックティーを注文した。しかし、出さ
れたのは濃すぎる紅茶、お湯を注文するが不思議な顔をされた。郷に入っては郷
に従え、通常のミルク入り砂糖入りチャイが無難だ。

 途中、峠道が一か所あった。ここだけ山がある不思議な地形だ。当然、トラッ
クは登るのが遅い、登坂車線がないので車が自然と渋滞する、トンネルでもあっ
たら良いのに。

 この峠を抜けるとまた平地が広がっていた。多分、行政区を跨いだのだろう、
この辺りから道路の両側にサトウキビ畑が目立ってきた。時々だが、サトウキビ
を満載したトラックともすれ違うことがあった。

 第二の目的地は、Satara DistrictSataraだろうか、国道4号線を左に折れた
先にあった、途中、サトウキビ畑があり、目的地の手前はサトウキビを満載した
トラックや牛車で多く待機していた。既に夜の帳が下り、短時間で打合せをし視
察を行った。帰り際、証明に照らされた牛車やトラックに満載したサトウキビの
意味が良く理解できた。

■コルハプールの二夜その1

 コルハプールの街の灯を見たのは21時過ぎになった。人が作ったスケジュー
ルで動くのは、理解しないでという意味であるが、疲れる事が良くわかったので
次回以降は出来れば避けたい。

 今夜の宿泊先は、Hotel Victor Palaceだが、このホテルは私だけのようだ。
同行者の出張旅費の枠を超えるので彼らはもう少し安いホテルにした。先に私の
ホテルに就いたのでチェックインをした、そして、同行者のホテルへ行きチェッ
クインとなったが、トラブル発生、なかなかチェックインできない。

 これならば先に食事にすればよいのだが、シャワーを浴びてから食事にしたい
と一人のインド人が言いだしたので待つことにするがなかなか部屋が用意されず、
用意されたと思ったらなかなか下りてこない。よってもう片方のインド人とここ
で食事を食べようと彼らの泊まるホテルで食事をした。この時すでに22時は回っ
ていた。

 トラブルの原因は同行していたインド人が予約していたホテルから突然のキャ
ンセル、先に宿泊していた客が延長した、になり、近くのホテルを紹介されたの
だがこちらもほぼ満室で準備がすんなりと出来なかったようだ。このクラスのホ
テル、インドでは常に満室状態が続いているようだ。公務員の宿泊費はどうもRs
1800までのようだ。職制上は、トップ3なのだが公務員は公務員なのだろう。

 ムンバイと一緒でここはどこなのか、認識する機会がなかったがコルハプール
に間違いは無い。ホテルは同行者の口添えで一番安い料金でスイートに泊った。
一人では落ち着かないが、インドは地方でもコストパフォーマンスはそれほど高
くない、このホテルの最低がRs4600、税込みでRs5400となる。

 初日と二日目で宿泊料金がRs70初日が多かったので何かと聞いたら、ドライ
バー用のベッドだと言う説明だった。二日目はどこか違うところへ行ったようだ、
あまりに酷かったのだろうか、もしRs70だとしたらリーズナブルだろう。レスト
ランでもドライバー用に食事が割り安で出される。インドではこのようにドライ
バー付きが前提でサービスが提供されている点が素晴らしい。

Kolhapur World

Kolhapur Tourism

Hotel Victor Palace

■■■お薦め本■■■

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書) 孫崎 享

★★★お薦めメルマガ★★★

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

ロシア政治経済ジャーナル

国際インテリジェンス機密ファイル

アメリカ通信

■■後記

 インドは奥が深いといってハマってしまうのも心情的には出来ない、まあ、仕
事で関係している間だけでもしっかり把握しておこう、と考えていたのですがど
うも雲行き怪しく、クライアントの関連部署で時間的な余裕があるらしい、よっ
てしばらくは不明となった。まあ、こんなものだろうが、インドはもう少し続き
ます。

補足:
マハーラーシュトラ州、正確には考記述するようだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」第156 2013123
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
公式サイト1http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用)
公式サイト2http://worldcityimg.blogspot.com/ (photo gallery)
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2012年12月31日月曜日

【世界街角通信】第155号 インドとパキスタン(4) 2012年12月31日


★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」       第155 20121231
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(4)です。

2012年、ぎりぎりになりましたが、2012年は日印国交樹立60周年です。

▼目次
■ムンバイの一夜
■エアーインディアとインディアンエアーとスターアライアンス保留
■ムンバイ(ボンベイ)とマハラシュトラ州

■■後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★フォトギャラリーのご紹介

このメールマガジンの記事に関係する写真を掲載しています。

klubnika's photo blog

photo blog 世界街角通信

■ムンバイの一夜

「一夜」に相応しい内容ではなく単に夜寝ただけのムンバイとなった。

今回は慌ただしくデリーは一泊のみで翌日の夜の便でデリーからムンバイへ移動
した。

個人的には初めての都市へのフライトは昼間を選択する。上空からその都市が見
られるし、空港からの移動も都市の様子が垣間見られるからだ。しかし、今回の
スケジュールはクライアント任せにしたので往復とも夜間の移動となっている。

International Airport of Mumbai
非公式 Mumbai Airport

デリーからムンバイへ移動したのは、AI805 20:00-22:10
プネからデリーへは、AI850 18:40-20:40

フライトスケジュールのとおり暗闇の中、飛び立ち、暗闇の中、ムンバイへ着い
た、ここは常夏のようだ、上着は要らない。デリー空港の国内線ターミナルも国
際線同様T3にあり、真新しいターミナルビルとショップ、そしてフードコート等
早めに来たが時間を潰すことは容易であった。

今回のスケジュールはホテルにチェックインし寝るだけ、朝起きて朝食を食べ車
で出かける、ムンバイではない、その郊外でもうムンバイには戻らない。復路は
プネからデリーに戻る予定となている。よってムンバイの様子は全くわからない、
インド門を観ないとムンバイへ来たとは言えないだろうに、Colaba地区はウェブ
上での画像体験のみとなった。

記憶しているのは、空港からは近かったこと、ホテルの裏に導水管なのかかなり
太い管が通過していた、そしてその周囲にいわゆるインフォーマル住宅と言われ
る掘立小屋が立ち並んでいることだった。

出発が8時半とのことだったが、結局9時過ぎになった。少しは街を観られたかも
しれないが何分アレンジに不明確な点が多かったので無理はしなかった。

いわゆるムンバイの中心である岬、Colaba地区は再訪のインセンティブとなっ
た!ちと寂しくないかい、初めてのムンバイなのに。

Vits Mumbai Hotel
Andheri Kurla Road, International Airport Zone,

Municipal Corporation of Greater Mumbai

インド最大の都市であり、市域人口は1,248万人、近郊を含む都市圏人口は2,129
万人<2011 span="span">年)であり、世界第6位である。ムンバイの域内GDP2090億ドル<2008 span="span">
年)で、世界第29位である。

1999年から2004年までの滞在記、もう古いかな、でも実際に住んだ人の情報です
から貴重ですね。

ナマステムンバイ 駐在員日記

■エアーインディアとインディアンエアーとスターアライアンス保留

かつてはエアーインディアが国際線、インディアンエアーが国内線と近距離国際
線を担っていたが2007年に合併、エアーインディアの名が存続航空会社名として
使われている。

また、200712月には、スターアライアンスへの加盟が承認され、加盟準備が進
められていたが、2011731日、エアインディアが契約合意した加盟条件を満
たさなかったため、加盟が保留となった。

エアインディアがスターアライアンスに加盟

エアインディアのスターアライアンスへの加盟の保留について


インドの航空会社に搭乗したのは、1992年だったかカルカッタからデリーへ移動
したときのインディアンエアーが最初で最後となっていた。

今回、デリーからムンバイ、プネからデリーの国内線を利用したが、安定した
サービスなのでスターアライアンスへ加盟できるのだろう、

これまでスターアライアンス加盟へ招待されたにも関わらず最終的に加盟を保留
された航空会社はエアインディア以外にありませんが、「必要な条件を満たせな
かったのが理由」としか説明がありません。

保留なので条件を満たせば、エアーインディアもスターアライアンス加盟航空会
社となる日が近い将来やって来ることでしょう、と楽観的にみています。

エアーインディア

Air India

■ムンバイ(ボンベイ)とマハラシュトラ州

向学のために一夜を過ごしたムンバイとマハラシュトラ州について、若干、説明
をしておこうと思う。

筆者にはムンバイと言うよりボンベイの方が都市の名前的には馴染みがある。と
いうのはインドは1995年に英語での公式名称をボンベイ (Bombay) から、現地語
(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更したからだ。他にもカ
ルカッタがコルカタへ、マドラスがチェンナイ等へ変更されている。

▼ムンバイ(ボンベイ)

持参金として英国へ譲られたのがボンベイとのこと。

1661年、ポルトガルのカタリナ王女が英国のチャールズ2世と結婚する際、ボン
ベイはポルトガル側の持参金としてイギリス側に委譲された。

元々ボンベイは、1534年にポルトガルがグジャラートの土侯からこの土地を譲り
受けたことに始まり、ポルトガル人は、ゴアの補助港としてのこの地に城塞都市
を築いた。

19世紀初頭、英国で産業革命が拡大し植民地へも波及、1850年代に鉄道と綿紡績
工場の建設が行われ、この地の産業を大きく発展させた。特に1861年から1865
の米国南北戦争では、米国から英国への綿花輸出が停止したことから、ボンベイ
の綿織物業は飛躍的に拡大することとなった。さらに186911月のスエズ運河開
通は、ボンベイ港の重要性を一層高めることになる。

このような経緯を経て、20世紀を通して経済と金融の集積が継続し、インド最大
の経済都市に成長し、インドの金融センターとしての位置づけにある。インド映
画の中心でもあり芸術文化都市でもある。そういう意味ではデリーは政治都市と
なる。

このようなムンバイに日本政府は領事館を置いている。

在ムンバイ日本国領事館

在インド国日本大使館

▼マハラシュトラ州

インドは28州あり、その中でも最も経済的に発展している州のひとつである。人
口は約9,700万人、マハラシュートラ州は州の公用語であるマラーティー語で
「偉大な国」という意味だそうだ。州都はムンバイ(Mumbai、ボンベイ)。

今回、ムンバイ以外にITと自動車産業、教育都市であるプネ、歴史都市であり砂
糖産業都市であるコルハプールを知ることになった。流石にインドは奥が深い。

Maharashtora Tourism

Government of Maharashtra

■■■お薦め本■■■

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書) 孫崎 享

★★★お薦めメルマガ★★★

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

ロシア政治経済ジャーナル

国際インテリジェンス機密ファイル

WEB熱線》アジアの街角から

■■後記

大晦日です、今日は昨日よりマシな天気ですが寒いですね。

2012年が終わろうとしています。

来年もご愛顧のほどどうぞよろしくお願いいたします。

また、健康な一年でありますようにお祈り申しあげます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」第155 20121231
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
公式サイト1http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用)
公式サイト2http://worldcityimg.blogspot.com/ (photo gallery)
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2012年12月29日土曜日

【世界街角通信】第154号 インドとパキスタン(3) 2012年12月29日



★☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」       第154 20121229
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
南アジアと縁ができ、今回はインドとパキスタン(3)です。

▼目次
20年ぶりのデリーと呆れた対応
■日航が消えたデリーのホテル
■変わっていたデリーの様子
■変わっていなかったデリーの様子

■■後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
20年ぶりのデリーと呆れた対応

デリーには羽田空港から夜行便で出発、バンコクでの乗り継ぎも2時間以内と午
前中にはデリーに到着するフライトにした。

その理由は、16時にクライアントが呼びつけたからだ。移動日当日に打合せを入
れることはフライトスケジュールが日中の場合は到着後というのがあるが、夜行
便のため前日の21時前に出発しなければならないのでかなり急いでいる場合を除
いて通常は無い。

ところが今回はご指名があった。夜行便で移動してくれと。

そんなわけで、羽田空港、午前020分発のTG661便で出発し、バンコクに520
分に到着、乗り継ぎ便のTG323便、午前735分に搭乗しデリーには午前1030
到着した。

出発当日は大鳥神社の酉の市(二の酉)で目黒通りと山手通りが混雑し、環状7
号線から羽田空港へ向かった。

そんなこんなでデリーには午前中に到着、インディラ・ガンジー空港のターミナ
ル3は2010714日開業なので真新しい。そして巨大だ。

ホテルは、メトロポリタンホテル、コンノートプレイスに近い、以前、宿泊した
オベロイはもっと南の方だ。

ドライバーに16時に打合せがあることを説明し、何時に迎えに来るかと質問する
340分にホテルには来ているという返答だった。確かに10-15分の距離のよう
だ。

その時間にクライアントの事務所へ行ったところ、休暇明けのローカルスタッフ
が対応し、説明を聞いたが事前情報以上のことはなかった。担当の職員は居ない
のかとの聞くと、休暇中だと言う。最近は、人を呼びつけておいて自分は休暇と
言うような好い加減なケースも時々見受けられるが、またまた呆れてしまった、
何のためにわざわざ夜行便で早めに来たのか?(こういう場合はローカルスタッ
フが基本的に担当している、となる。ならば最初から説明してほしいですね。)

時間を有効に使う、どうもそういうことらしいが、意味不明が多いな?

通常ならば午前中の成田発便TG641便だと1045分に成田を発ち、バンコクに15
45分に着く、そして、乗り継ぎ便がTG31520:40発、デリーに23:40に到着す
るスケジュールとなる。

早く着いた割にはマイナス成果となった、昨今の成果至上主義は自らには課され
ていないのか?と思える。これではいけませんね、某国家予算を使っているので
すから。

デリー、20年ぶりだがこんな状況とは、とほほの仕事はじめでした。

■日航が消えたデリーのホテル

前回はオベロイ、今回はメトロポリタンホテル、20年の間があるので仕方がない。
リーズナブルなホテルも増えたのだろう。

それよりも前述の対応を示唆するようなホテルのアレンジ、予約確認もギリギリ
になってから回答が来た、これも珍しい、1ヶ月も前から予定が決まって、この
日に来てほしいと先方から申し入れてきた、それなのにだ。

メトロポリタンホテル、以前は「日航」が頭に付いていたようだ、会社再生法申
請後に整理されたのだろう。2階にサクラという和食料理屋があり、私的には便
利であった。

しかし、このサクラがあるおかげで外へ行かない、これは良くないと思ったが今
回は地方に3泊するし、一人だし、まあ甘んじておこうとなったわけである。

The Metropolitan Hotel

■変わっていたデリーの様子、

デリーは、多分インド全国的だろう、変わっていた。何が最も変わっていたかと
言えば、市内を走り回る車だ。

私の記憶ではMade in Indiaのアンバサダーばかりだったが、今はトヨタ、ホン
ダ、ススキ等の日本車が圧倒的に多く、韓国車が次いで多い。アンバサダーは政
府系しか使用していないので直ぐにわかる。ナンバーからも政府所有とわかるが
民間人は乗らないようだ。

20年前もデリーではスズキが増加途上にあり、予約待ちだと聞いていた、それで
も、圧倒的にアンバサダーが多かったが、タクシーはまだアンバサダーもあるね。

その他、気が付いたのはマクドナルドやKFC等のアメリカンファーストフォード
が増えたこと。ビックマックもあるが、インド特別メニューのチーズフライ

マクドナルド、インドでベジタリアン向け店舗をオープン 2013年半ば

「肉なし」マック、インドで大攻勢 120店舗新規展開へ

その他、インターナショナルブランドのショップも多かった、コンノートプレイ
スは真新しいショップのばかりになっていた。そういえば英国のMarks and Spen
cerもショップをオープンしていた。

■変わっていなかったデリーの様子

変わらないのは人の数としつこい売り込みだろうな、数日しか滞在していないの
ですが、コンノートプレイス付近を一人で歩いているとやたらと声をかけてくる
輩がいる。まともに対応してても、不真面目に対応しても、無視しても結果が同
じという、不思議なインド人。

なぜか「マーケットはこちらだよ」と誘導するし、案内するというのが常套手段、
それに乗っても乗らなくてもしつこさは変わらない、どこかの店へ入るのが一番
だろう。高級店なら効果的だ、ファーストフードでも回避はできる。

■■■お薦め本■■■

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書) 孫崎 享

★★★お薦めメルマガ★★★

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

ロシア政治経済ジャーナル

国際インテリジェンス機密ファイル

WEB熱線》アジアの街角から

■■後記

年が更けつつあります、皆さま如何お過ごしでしょうか?

年末帰省ラッシュや海外旅行ラッシュなどの流行には常に乗り遅れており、いつ
も小言を言われています。

ミュンヘンで年末年始を過ごすNY在住の知人から最高!との様子が伝わってきま
した。これは絶対にここでは口外できません。

今日の午後には実家の母からは野菜と餅が届きました。私が実家へ帰ってと思っ
ていたところ、調整つかず、営業中となりました。

世の中は10連休なのでしょうか、メールを入れても帰ってくるのは、「17日か
ら出勤します」という不在メールばかりです。

カレンダーをよく見ていませんでしたが14日木曜日を休めば10連休なのですね。
縁がないので見もしない、いけませんね。

既に年末も押し迫っておりますが、小生は年末年始も営業せざるを得ない状況で
す。

1週間でも3週間でもレポート、レポートと要求してくるで困りますが、クライア
ントなので無下にも出来ず、次の絡みと思って工程以上の質のレポート完成を目
指しているところです。これ以上発言すると問題になるのでこのへんで。

事業仕分けの舞台となった行政刷新会議、「行政刷新会議のウェブサイトを刷新
しました。」とさ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メールマガジン「世界街角通信」第154 20121229
発行責任者:飯尾彰敏 Copyright(c) Akitoshi Iio All Right Reserved.
公式サイト1http://worldcity-mm.blogspot.com/ (メルマガ用)
公式サイト2http://worldcityimg.blogspot.com/ (photo gallery)
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━