2009年3月31日火曜日

【世界の街角から】アシガバート(トルクメニスタン)2 第19号 2009年3月31日

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メールマガジン「世界の街角から」          第19号 2009年3月31日
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今号はアシガバート(トルクメニスタン)滞在のレポート(2)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
アシガバート(1)
■トルクメニスタンへのルート
■トルクメニスタンへの入国
■アシガバートのホテル
■アシガバートのレストラン
■アシガバートの町の様子
アシガバート(2)
■アシガバートのショッピング
■トルクメニスタンのインターネット事情
■トルクメニスタンガイドブック
■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
■アシガバート国際空港からの出国
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■アシガバートのショッピング
会議に忙殺されていたのでサンプル数が非常に少ない。普段ならブラブラと町や
ショップを回りながら感覚を掴むのだが、これは次回に。補助金が支出されてい
るので生活必需品の価格は抑えられていると聞いた。

▼Yimpas
トルコ系スーパーマーケット、概ねなんでも揃う。3階がレストランになってい
る。隣が同じYimpasというビジネスセンターなのでランチは比較的混んでいる。
1階にランドリー、両替所がある。
Turkmenbashi sayoli 54

▼Russian Bazar
少し時間が空いたので運転手にTsUMへ連れて行ってくれとリクエストしたらここ
へ連れてこられた。統計委員会の前に旧TsUMがあったのでそこを意図したがそれ
はそれでよし。

私が行ったバザールがこのRussian Bazarなのか確認できていない。大きなマッシ
ュルームのような屋根構造でその中がバザールになっていた。バザールに隣接し
てショッピングセンターもあった。ショッピングセンターはショップの集まり、
確認しなかったが3階までショップがテナントとして入居している。トルコ製と
思われる靴とワイシャツの価格を確認したがイスタンブルの1.5-2.0倍近い値段設
定に驚いた。

バザールはバザール、そしてその周辺には生鮮食料品から衣料品まで何でも売っ
ていた。ここは中国製品、トルコ製品、ロシア製品など奇麗に陳列されていたの
が印象的だ。

▼その他

http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat/shopping

■トルクメニスタンのインターネット事情
2007年2月、新大統領が就任したとき、インターネットカフェ第一号ががアシガ
バートにオープンしたという記事を読んだことがある。それから2年経過している
が、インターネットは非常に遅いプログレスのようだ。

しかし、ドナーの支援もあって最近省庁がwebを公開し始めている。

http://ca.iio.org.uk/tm/tm-link.html

Nissa Hotelのレセプションに確認したところ、ビジネスセンターで利用が可能と
のこと。1時間8ドル?とか言った記憶。

利用できるという言葉をそのまま受け取ることは出来ないのが現実、遅くて繋が
らないというのがもっぱらの噂、これも次回検証の予定。

接続はダイヤルアップであると思われる。

■トルクメニスタンのガイドブック
Lonely Planet Central Asia(2007)とBradt Guide Turkmenistan (2005)を持参し
た。Lonely Planetのサイトにホテルやレストラン、ショッピングなどの紹介があ
る。

トルクメニスタンとアシガバートの地図をホテルの売店で購入したが、アシガ
バートの地図は情報が少ない。ただし、町の構造を確認するうえでは役に立つ。

トルクメニスタン
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan

アシガバート
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat

■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
在トルクメニスタン米国大使館のリンクに掲載されている旅行会社と旅行記であ
る。
http://turkmenistan.usembassy.gov/

▼旅行会社
Siyakhat
http://siyakhat.narod.ru/

Ayan Travel
http://www.ayan-travel.com/

Stantours
http://www.stantours.com/tm_mn_vis.html

▼旅行記
http://4travel.jp/overseas/area/europe/turkmenistan/travelogue/

http://4travel.jp/traveler/sunnyy/album/10185745/

http://4travel.jp/traveler/alexander/album/10316188/


■アシガバート国際空港からの出国
出国もCIPを利用しようとゲートへ行ったら、今日は大統領が出国するので利用不
可とのこと。よって一般出国ゲートへからの手続きとなった。

チェックインはマニュアル、搭乗券、荷物タグは手書きだった。よって、スター
アライアンス(トルコ航空)のマイレージなどもっての他だ。

兎に角、並ぶことが先決、そして、前へ進む。トルコ航空のイスタンブル便がト
ルクメニスタン航空のイスタンブル便とモスクワ便と重なるのでこの時間(早朝7
-8時)は混雑する。

チェックイン前に並び、荷物チェック、チェックインは手書き、そして、税関、
出国審査と続く。最初の荷物チェックを通過してしまえば人は増えないので並べ
ば手続きは進む。

ゲートには1時間半程度前に着いたがフライトが遅れたのでそこからその倍の時間
を待ったことになる。ゲートにカフェがあるので紅茶やスナックなどは手に入る。
ほかは何もない。そういえば免税店があったかどうか記憶にない。

空港アナウンスが英語でも行なわれているが注意深く耳を傾ける必要がある。待
ち時間、喫煙者はトイレの前が喫煙所になっているのでそこでタバコを吸える。

ボーディング・ブリッジがないので、搭乗はバスで駐機場まで移動する。タラッ
プを上り、トルコ航空機737-800の中へ移動した。席は窓側、進行方向左側をだ。
このリクエストはなんら問題なく受け付けられた。

その意図は、アシガバート、カスピ海、イスタンブルを上空から眺めるためだ。
離陸直後、イラン国境の雪を頂く山脈を背景にアシガバートの町を上空から確認
した。しかし、朝、4時半起床だったのと待ち時間が長かったので、その後、直ぐ
に寝入ってしまったようだ。

◆為替レート
USD1=2.85 New Manat
http://www.tfeb.gov.tm/eng/index.html

■■編集後記
ちぐはぐ、近代的な側面と非近代的な側面が同居している。空港の手続きはまっ
たくその通りだ。

大統領の出国のため(そう言われた)、出発が2時間近く遅れた。大統領がCIPな
ど使わないで専用ゲートがあってもよさそうなものだが、不思議だ。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。

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メールマガジン「世界の街角から」第19号 2009年3月31日
発行責任者:飯尾彰敏
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ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru
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【世界の街角から】アシガバート(トルクメニスタン)1 第18号 2009年3月30日

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メールマガジン「世界の街角から」          第18号 2009年3月30日
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今号はアシガバート(トルクメニスタン)滞在のレポート(1)です。

出張先の都市より人や街、生活のこと、耳にしたこと、肌で感じたこと、美しい
もの、旨いもの、ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレ
ポート等をお届けしています。
▼今号の目次はこちらです。
アシガバート(1)
■トルクメニスタンへのルート
■トルクメニスタンへの入国
■アシガバートのホテル
■アシガバートのレストラン
■アシガバートの町の様子
アシガバート(2)
■アシガバートのショッピング
■トルクメニスタンのインターネット事情
■トルクメニスタンガイドブック
■トルクメニスタンの旅行会社と旅行記
■アシガバート国際空港からの出国
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■トルクメニスタンへのルート
空路の場合、国際空港はアシガバートだけだろうからここが玄関になる。私の場
合、イスタンブル経由でアシガバートへ到着した。イスタンブル-アシガバート
は毎日トルコ航空により運行されている。フランクフルト-アシガバート(ルフ
トハンザ航空)は週4便、その他、バンコク、北京、デリー、ドバイ、
Moscow-Domodedovo等(トルクメニスタン航空)、モスクワ(トルクメニスタン航
空及びS7(シベリア航空)、タシケント(ウズベキスタン航空、週1便)等が運
行されている。

http://www.turkmenistanairlines.com/

http://www.thy.com/en-INT/

http://www.s7.ru/en/index.html

■トルクメニスタンへの入国
早朝、5時50分にアシガバート空港へ到着、合流する人が事前にCIPを申し込んで
おいたのでそれに従う。CIP待合室でパスポートとLOIを係員に渡し、待つことに
なったが、待てども待てどもなかなか入国審査が進まない。1時間半近く待たされ
やっとパスポートを持った係員が現われ、VISA代の支払いだ。

CIP: Commercially Important Person
LOI: Letter of Invitation

95米ドル(VISA)+2米ドル(領収書)=97米ドルを窓口で現金で支払い、それか
ら、入国審査だ。そして、荷物の受け取り。CIPだと荷物まで持ってきてくれ、お
茶まででるがどれほどの効果があるのか(こちらのが早いのかどうか)まったく
不明だ。CIP料金30米ドル也。

アシガバート空港施設は比較的建築年が浅いが、飛行機から直接ターミナルへ接
続するボーディング・ブリッジはない。

ホテルまでの移動は事前に予約していた車が迎えに来たので料金は不明だが、タ
クシーは安いとのこと。

■アシガバートのホテル
Nissa Hotelに宿泊、一泊65米ドル朝食別(3ドル)。部屋はツインが基本で広め、
テーブルが窓側にある。小さいがベランダが付いている。比較的清潔感のある部
屋とバスルーム、バスタブあり。

セントラルヒーティングと思ったが暖房はヒーターパネルを開けないとオンにな
らない。それに気づかず二晩も寒い思いをした。廊下のほうが暖かかったのだ。

ホテルの場所は中心街の外れだろう、交差点の角に立地している。ホテルの目の
前は真新しい建物、大学だという。周囲には商業施設はない。

レセプションはソヴィエト時代を思い起こさせるサービスレベル。ほとんどがロ
シア人だ。

土産物屋にトルクメニスタンとアシガバートの地図が売っている。それぞれ8 New
Manat。内容は、特にアシガバートのは限定的だ。

宿泊料金はクレジットカードで支払いが可能であり、AMEXとVISAのみ対応してい
る。手数料5%が課せられる。

Atabayev kocesi 18, Town centre
Ashghabat, Turkmenistan
35220 48 87 00/1/2/3/4

▼その他のホテル
http://hotels.lonelyplanet.com/hotel/?RegionId=2376

■アシガバートのレストラン
3箇所のレストランで食事をした。サンプルは少ない。
1)Yinpas(トルコ系スーパーマーケット)内のレストラン
トルコ系の料理だろう、スープとサラダで11New Manatだった。両方ともトルコで
の味と変わらない。
Turkmenbashi sayoli 54

2)HotelNissa内にあるイタリアン人経営のイタリアンレストラン
こんなところでイタリアンと思ったが美味しいとの評判だった。ランチ、ディ
ナーとも当日のメニューがある。それぞれ、25及び32New Manatだった。味はしっ
かりしている。普通に食べて10-15ドルだろう。酒代は別。ビールはトルコの
Efesとロシアのバルチカ、ワインはイタリアンのみ(それなりの値段)。宿泊し
ていたホテル内だったので何度か通った。

隣にバーがある。Efes 13 New Manat。23時以降、夜の蝶が飛び始める。

Hotel Nissa, Atabayev kocesi 18,
Tel.22 11 35

3)パイタクト
日本大使館のあるビル12階にあるロシア料理レストラン。料理は美味しい。アミ
ューズメントパークのような新市街地の夜景が見られる。

▼その他のレストラン
http://www.lonelyplanet.com/turkmenistan/ashgabat/restaurants

■アシガバートの町の様子
多忙なスケジュールだったので建物内にいる時間は長かったが、町の様子を見る
時間は車で移動しているときに限られた。よって、自分の足で歩いていないので
どこを移動しているのかなかなか掴めなかった。未だに地図が頭に入っていない。
よって五月雨的に目にしたこと、以下の通りです。

1)全国で約500万人、首都人口が70万人程度なので地方都市のイメージだが、新
しい建物、建設中の建物が多い。中心部の住宅は3階建てが多く、低密度だ。1948
年の地震により、町が崩壊したので現在の町はそれ以降の建設だ。

2)独立後、多くの建物が建て替えられたり、既存市街地の周辺に新築された。
新築されたビルは装飾照明が多く、夜間はアミューズメントパークの中にいるよ
うな感じ、建設工事用のクレーンまで装飾照明が施されている。

3)新規に建設された道路は既存の放射状道路の延長にあり、幅員広く直線が多
い、したがってこの町の特徴となっている。そのところどころに広大な公園があ
り、モニュメント、公共施設が配置されている。車がないと移動は困難だ。

4)ホテルのベランダから頂に雪を冠した山が見え、その手前に高層の新市街地
が広がっている。こんなに広い土地があるのだから高層にする必要は無いと思う
が。アシガバートに近いこの山(Kopet Dag)を越えるとイランだ。

5)アシガバートの交通はバス、トロリーバスが主体だ。トラムなど軌道系はな
い。

6)町の中の看板や標識などはロシア語は少なくトルクメン語が主であった。ト
ルクメン語はトルコ語とよく似ており、アルファベットも同じ、それだけ見てい
るとトルコに居るような印象だ。

7)どこへいっても新しいビルが多い。そして、エレベータは例外なく三菱電機
製だった。その多くはトルコ系建設会社、政府系は仏系建設会社ビュイックだと
聞いた。

8)政府にはトルクメニスタン人ばかりだが、ホテルはロシア人ばかりだった。
データがやや古いが1995年の民族構成はトルクメン77%、ウズベク9.2%、ロシア
6.7%(ソヴィエト末期の1989年には9.5%)

9)政府で働く女性は国民ドレスと言われる踝までのドレスを着ることが義務付
けられている。会議中、お茶を運んでくるの人はみな国民ドレスを着ていた。

10)市内を走っている自動車はトヨタなど日本製が多いし、中古車とて質が高
い。ドバイ経由の輸入車が多いとのこと。

11)補助金が支出されているので生活必需品の価格は安く抑えられている。

◆為替レート
USD1=2.85 New Manat
http://www.tfeb.gov.tm/eng/index.html

■■編集後記
初めてのトルクメニスタン、初めてのアシガバート、数日の滞在だったので実感
がないが、通信を除いて悪くはなさそうな印象だが、これは次回行くときに検証
されるものと思う。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第18号 2009年3月30日
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2009年3月29日日曜日

【世界の街角から】観光ガイドブック(2) 第17号 2009年3月29日

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メールマガジン「世界の街角から」          第17号 2009年3月29日
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前号に続いて今号もいつもお世話になっている観光ガイドブックについてのレ
ポート(2)です。

出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
っと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届けして
います。
▼今号の目次はこちらです。
観光ガイド(1)-前号
■地球の歩き方
■Lonely Planet
■Bradt Travel Guide
観光ガイド(2)
■Let's Go Travel Guide
■Rough Guide
■Insight Guides
■Blue Guide
■■編集後記
バックナンバー: http://archive.mag2.com/0000283202/index.html
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■Let's Go Travel Guide
Let's Go Europeは最初に私が目にした日本語以外の個人旅行用観光ガイド(格安
旅行)だ。地球の歩き方がLonely Planetを参考にしたという記述を見かけるが私
はこのLet's Goシリーズがベースではないかと推察する。

それはそれとして、Let's Goシリーズは、ハーバード大学の学生により運営され
ている旅行ガイド会社(1960年設立、本社はマサチューセッツ州ケンブリッジ)
により出版されている。

最初のLet's Goは、1960年、ハーバード大学の学生であったOliver Koppellが
ヨーロッパへの学生チャーターフライトで配布した謄写版で印刷した20ページの
パンフレットだった。翌年の1961年には、ガイドブックの体をなしたLet's Goが
出版されている。初期のLet's Go(1960年代後期)は、例えば、バイク(自動二
輪車)による旅行や通りで歌いチップを得る等、自由な旅行を目指した傾向だっ
た。

最初のLet's Goはボスポラス海峡をフェリーで渡る事から始まりヨーロッパから
アジアへの旅行情報を含み、僅か4セントだった。

ガイドブックの編集は、旅行中の学生リサーチ・ライターが本社へ生情報や地図
を送り、これまでにない機知に富み率直な表現で作成された。

リサーチ・ライターは春に募集及び研修が行なわれ、大学が夏休みになる6月から
8月にかけて世界各地へ調査目的で派遣された。正確な旅行情報を得るためリサー
チ・ライターは最低限の費用をカバーする日当が支払われた。Let's Goに掲載さ
れている施設(カフェ、レストラン、ホステル、ナイトクラブ、史跡名勝、温泉、
国立公園等)はリサーチ・ライターが滞在し、推薦されたもののみ掲載された。
そして、Let's Goは夏季に編集、出版され、10月までには書店の棚に並んだ。

2008年現在、Let's Go Travel Guideは55シリーズ出版され、国ごとの旅行ガイド
から冒険ガイド、都市ガイド、自動車旅行ガイドまでカバーし、それらの多くは
毎年更新されている。シリーズの中でLet's Go Europeは格安旅行(Budget
Travel)ガイドとして世界的なベストセラーとなっている。私もこのガイドブック
には、もう20数年前になるがたいへんお世話になった。

1982年以降、Let's Go Travel GuideはSt. Martin's Pressから出版されるように
なり、2007年現在、St. Martin's Pressは、Let's Goとの契約更新をしない方針
で、2009年1月からはAvalon Travelが出版する。
http://www.letsgo.com/

■Rough Guides
Rough GuidesはRough Guides Ltdにより出版され、ペンギングループにより世界
中で販売されている。歴史は他のガイドブックと比べ新しく、1982年のギリシャ
が最初だ。Rough Guides Ltdは、FTやPenguin Groupを所有するPearson PLCが親
会社である。
http://www.pearson.com/

Rough GuidesはMark Ellinghamが既存の格安学生旅行ガイドブックと歴史文化に
特化したガイドブックに不満を持ち考案したとされる。初期は格安旅行ガイドを
目的にしたが、1990年代より高級志向の推薦を組み込むようになった。現在では、
全てのレンジをカバーし含、最近の版は比較的写真が多くなっている。また、オ
ンラインでも旅行情報を配信している。

Rough Guidesのモットーは"Make the Most of Your Time on Earth"とのこと。
わかるようなわからないような、日本人には難しいかもしれない。
http://www.roughguides.com/

個人的にはルーマニア版を購入したのが最初だが、私の行き先の国の版がなかっ
たりしてあまり利用していないが国や都市など詳細な記述が盛り込まれており、
ゆっくり読んでみたいガイドブックだ。

■Insight Guides
Insight Guidesはロンドンに本屋を置く旅行ガイド出版社で、1970年、
Hans Johannes Hoferにより設立された。最初のガイドブックは「Insight Guide:
Bali(1970」だった。それ以降、400種類のガイドブック、100以上の旅行先につ
いてガイドブックが出版された。1990年代後半、出版の権利がLangenscheidt KG
(ドイツ)へ売却された。
http://www.insightguides.com/

http://www.langenscheidt.de/

1991年だろう、初めてカルカッタへ出張した際、パークホテル入り口横の本屋で
Insight Guide Calcuttaというのを目にしたのがこのガイドブックとの初めての
出会いだ。表紙にロンドンの赤いダブルデッカーが傾いて、乗客がバスからはみ
出しぶら下がりながら走っている写真が掲載され、非常に印象に残っている。199
8年版も場所が違うような気がするが同様な表紙(下記web参照)だ。
http://tinyurl.com/cryzkx

その後、1992年から1994年にかけてバンコクで、また、1994年、ダマスカスのシ
ェラトンホテルでこのガイドブックを購入している。ダマスカスで購入した
Insight GuideはSyriaやDamascusではなく、お隣、トルコについてだったが、ガ
イドブックの写真や構成に惹かれたのだろう、それに、トルコにも。

このガイドブックの特徴はその国や都市を理解する上で必要な情報がまとめられ
ていること、その土地を表現するような芸術作品のような写真が掲載されている
ことに尽きる。

また、このガイドブックは紙が厚く重いため(印刷の質が高い)、携行にはやや
考えてしまうが読んでいるだけで楽しい旅行ガイドブックと言える。

■Bule Guide
最近目にするようになったが、歴史がある英国の旅行ガイドブックであるが、概
ねLonely Planetなどで事足りてしまうか、私が必要としている国のガイドが出版
されていないことによる。日本にも同じ名前のガイドブックがあるが関係がある
のだろうか。

Blue Guidesはその国や都市の歴史文化に沿った芸術や建築について特に詳細に説
明され知識レベルが高い旅行ガイドブックである。1918年、スコットランド人兄
弟JamesとFindlay Muirheadにより「London and its Environs」というタイトル
で出版されたのがBlue Guidesの初版である。

Blue Guidesの他、都市はVisible Citiesシリーズ、短期滞在・目的志向のために
はart/shop/eatが用意されている。

2004年、Somerset Booksに経営権が移った。
http://www.blueguides.com/

■■編集後記
これまで私が利用してきた、利用している観光ガイドをまとめてみました。新た
な国、新たな地域へ行くときは情報を探しまくりますがその時にはこれらのガイ
ドブックは大きな見方になってくれます。

また、再度訪れる国でも、ガイドブックの更新を確認しつつ、新たな情報を基に
して町を歩き回るのが楽しみの一つになっています。

日本語のガイドブックも検討していますが、30年を経過してもその差は埋まって
いない印象で、英語版のガイドブックに対して情報量と質の点で日本語版ガイド
が優位であるということは稀ということです。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第17号 2009年3月29日
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2009年3月23日月曜日

【世界の街角から】観光ガイドブック(1) 第16号 2009年3月22日

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メールマガジン「世界の街角から」          第16号 2009年3月22日
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今号はいつもお世話になっている観光ガイドブックについてのレポート(1)で
す。
出張先より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、ちょ
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観光ガイド(1)
■地球の歩き方
■Lonely Planet
■Bradt Travel Guide
観光ガイド(2)
■Let's Go Travel Guide
■Rough Guide
■Insight Guides
■Bule Guide
■■編集後記
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★Today's Topic-ロシア一の美女★
http://tinyurl.com/ahnehy

■地球の歩き方
あれよあれよという間に世界中の国と地域をカバーしてしまった日本語の旅行ガ
イドブック、説明は要らないほど日本人に認知されているのではないだろうか。

地球の歩き方はダイヤモンド社が1979年に北米及びヨーロッパ版を刊行したのが
始まり、ロンリープラネットを参考にしているというが趣は異なる。現在、アジ
ア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸、オセアニア各地と概ね世界中をカ
バーし地球の歩き方は100冊以上に上る。その他、ポケット、リゾート、地球の暮
らし方等のシリーズを展開し、その総数は200冊を上回る。国内の海外旅行ガイド
ブックのシェアは最大である。

当初は、個人格安旅行向けであったが、最近では、高級ホテルを多く掲載してい
る。また本書の構成が読者からの投稿を募り掲載していたことから主観的過ぎて
迷ってしまうことから「地球の迷い方」と揶揄された。これは多くの読者の意見
をそのまま反映したためであるが、最近では概ね改善しているように思われる。
更新は基本的に毎年更新版を出版しているが、その必要は全てに当てはまるもの
ではなく内容を充実させてほしいとも思う。

本書のモデルと思われるロンリープラネットに比べ、写真、地図等が多く、カ
ラー印刷が多いが、欠けている情報も多いとの指摘がある。

http://www.arukikata.co.jp/

構成は、個人旅行市場をターゲットとしたと思われ、それまでの旅行ガイドブッ
クが現地の観光情報中心のガイドであったのに対し、移動、宿泊、食事、ショッ
ピング、観光情報等の構成になっており、個人旅行者を中心に歓迎されている。

▼韓国版、中国版「地球の歩き方」
韓国には「世界を行く(Segyereul ganda)」というタイトルの「地球の歩き方」
にそっくりの旅行ガイドブックがあるが、これは地球の歩き方の版権をランダム
ハウスコリア社が購入して翻訳、出版したものである。 中国にも、「地球の歩き
方」と外見・中身が同じ物が販売されているが詳細不明。
(wiki)

▼地球の歩き方30周年
http://www.arukikata.co.jp/30th/

文句を言いながらも何かとお世話になっている地球の歩き方が発行されて30周年
とのこと、成田空港が開港した1978年の翌年の1979年、昭和54年にアメリカ編、
ヨーロッパ編が発行された。私が最初に目にしたのは1981年か1982年版だろう。

1983年、初めてヨーロッパへ旅行したときは「地球の歩き方」ではなく、翻訳本
で同じようなヨーロッパを一日4000円で旅行する云々というタイトルのガイドブ
ックがありこちらを利用した。なぜ地球の歩き方ではなかったかというと、多分、
航空券のパッケージに含まれていたのだろう。旅先では地球の歩き方を携行して
いる個人旅行者が多くお互いの情報交換をしたものだ。

当時、前述の通り、地球の歩き方は投稿者によっても支えられていた。これが良
し悪しで、主観的なことゆえ地球の迷い方と揶揄される原因ともなった。そうい
う私もブルージュで食べたバケツに入ったムール貝がとても美味しくて投稿して
みたところ、掲載されたことがある。

その後、1985年には東アフリカ編、初刊であろう、にお世話になり、ザンジバル
島からモンバサ、マリンディ、ラム島、ナイロビと旅行した。ジンバブエやザン
ビアは当時はカバーしていなかった。

日本人の海外旅行者数の伸びに伴って地球の歩き方シリーズは既に全世界をカ
バーするまでに成長したようだ。1983年当時、600万人だった海外旅行者数が現在
ではその3倍まで伸びていることから相乗効果が働いたのではなかろうか。なんと
いっても日本語のガイドブックでこれらの地域をカバーしている例が少ない。

最近でも出張に行く際は概ね地球の歩き方も購入している。日本語で書かれてい
ることや写真など判りやすい構成となっていることもある。同時にLonely Planet
やLet's Go シリーズ、Rough Guide、Bradt Travel Guideなども携行している。

地球の歩き方1980-81年版
http://blog.arukikata.co.jp/tatsujin/_15/2008/11/1980.html

■Lonely Planet
90年代はじめだろう、中米版を購入したのが初めて手にしたLonely Planetだ、そ
して今のサイズよりもう一回り小さいサイズだった記憶だ。本格的に使い始めた
のは90年代後半からではないだろうか、というのも出張先が概ね多くの旅行者の
行き先と変わらなかったからだが。

ロンリープラネットは、1972年、ロンドンのRegent's Parkのベンチで創業者であ
るクライスラーのエンジニアであったTony WheelerとMaureenが出会い、旅行好き
の両者が意気投合して結婚、新婚旅行のためトルコからイラン、アフガニスタン、
パキスタン、インド、ネパールとユーラシア大陸を横断しオーストラリアまで旅
行したことに起因する。

シドニーで、Wheeler夫婦はヨーロッパからの旅についての質問攻めに会い、新婚
旅行の間に書き留めていた日記をもとに、1973年「across ASIA on the cheap」
(94ページ、簡易製本)という最初の旅行ガイドブックを自費出版した。これが
Lonely Planetの始まりである。その後、ウィーラー夫婦は18ヶ月間、東南アジア
を旅行し、1975年に第2弾となる「South-East Asia on a Shoestring」を出版し
た。1976年には、「ネパールとヒマラヤトレッキング」、1977年に「オーストラ
リア」、「アフリカ」、「ヨーロッパ」、「ニュージーランド」を出版し、以後、
順調に世界の各地域をカバーし、出版部数も伸ばした。

Lonely Planetシリーズの第一版「across ASIA on the cheap」は、当時、ほとん
どの国において格安旅行が一般的ではない状況下、東南アジア、中東、インドを
経由する英国とオーストラリア間の格安旅行が若者、、特にオーストラリア人や
ニュージーランド人、の通過儀礼的なルートを形成した。

Lonely Planetシリーズは最初インドを含むアジア地域が1981年に出版され、1990
年代に入り、ヨーロッパ、北米へ拡大した。2004年現在、118の国と650タイトル
を数え、英語による旅行ガイドブックのシェアは25%で、世界一である。また出版
言語は8カ国語、そして600万部を出版している。その規模と内容の詳細さからバ
ックパッカー(Independent traveler)のバイブルとも称される。
http://www.lonelyplanet.com/about/

ロンリープラネットは、"John Murray"を始めとするヨーロッパの伝統的なガイド
ブックと同じく、写真は数えるほどのみでガイドブックの内容のほとんどがテキ
スト情報により占められる。

記載内容はその国や地域の歴史、文化、気候、言語などの基本情報が充実してい
る。地図も簡素であるがまあ使える。これらに加えて、あらゆる移動手段、ヒッ
チハイクの状況も含み、安宿やキャンプなど個人旅行のための情報も充実してい
る点が大きな特徴となっている。

また書籍版には一切の広告やタイアップ記事は存在しない。執筆者は、現地在住
者や該当地域を旅する者が複数人で共同執筆を行う。執筆者は、ツアー会社、ホ
テル、レストランなどからリベートを受け取った場合には解雇の対象とされる。
これはユーザに正確な情報を提供するための創設以来のポリシーに基づいている。
ただし、インターネット版ロンリープラネットに関しては特定の条件の下に広告
が掲載されている
http://www.lonelyplanet.com/

日本ではメディアファクトリーから「イタリア」や「ハワイ」などの主要な旅行
先のガイドが出版されている。2007年2月にはMSNトラベルとウェブでの独占提携
を開始し、日本語に翻訳した「MSNトラベル海外都市ガイド」として提供を開始し
ている。

ロンリープラネット社(Lonely Planet Publications )はオーストラリアと英国
に事務所を置き、2007年10月1日、75%の株式がBBC Worldwideに売却され、TV
分野にも進出している。
(wikiを参考)

■Bradt Travel Guide
Bradt Travel Guideとの出会いは多分2004年9月にボスニア・ヘルツェゴビナへ主
張したときに初版(2004年7月発行)を購入したのが最初だろう、英語版でこの国
のガイドは他に見当たらなく情報が少なかったのでこのガイドブックはたいへん
役に立った。その後、2006年3月にモザンビークへ出張した時にもこのガイドブッ
クを利用した。ロンリープラネットが手薄な国をカバーしているようだ。

Bradt Travel Guideは1974年にHilary Bradtにより設立された旅行ガイド出版社
で最初のBradt Travel Guideは同じく1974年、Hilary and George Bradt夫妻によ
りアマゾン川支流の艀で執筆されたという。

出版社は英国BuckinghamshireのChalfont St. Peterをベースにし米国コネチカッ
ト州に共同出版社であるGlobe Pequo社をおいている。Bradt Travel GuidesはThe
Independentで取り上げられた以下のようにこれまで既存の観光ガイドでカバー
されていない国や地方を詳細に説明している。

"reach parts of the world other travel publisher's don't reach"

Bradt Travel Guideは基本的に格安旅行向け(low budget)に編集され、国や都
市の歴史文化、自然環境など詳細に説明されているが、ホテルやレストラン、メ
ディカルケア、旅行案内等が必ずしも同じ基準で記述されているわけではないと
の指摘がある。また著者の主観が優先されているのでガイドブックごとにばらつ
きがありそれぞれに特徴があるようだ。時として一般の観光客向きでないない慣
例的ではなく逆説的な表現もあるようだ。
http://www.bradt-travelguides.com/

■■編集後記
最後までお読みいただきありがとうございました。
観光ガイド(2)では「Let's Go Travel Guide」、「Rough Guide」、「Insight
Guides」、「Bule Guide」を取り上げる予定です。

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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メールマガジン「世界の街角から」第16号 2009年3月22日
発行責任者:飯尾彰敏
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2009年3月14日土曜日

【世界の街角から】タシュケント国際空港とビストロ 第15号 2009年3月13日

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メールマガジン「世界の街角から」          第15号 2009年3月13日
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【補足】多分、3月7日に第9-12号+号外を入れて5通配信したのでしょう、多すぎ
ると指摘を頂きました。配信したトピックは情報が昨年、一昨年と滞在したイス
タンブルとトルコなので出来るだけ早くお伝えしたほうがよいかなと考えた次第
でした。悪しからず。、

今号は、ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港とほっとするレストラン
ビストロです。

出張先の都市より人や街、生活のこと、肌で感じたこと、美しいもの、旨いもの、
ちょっと硬い言葉で言えば社会経済情勢かな、等、気ままなレポート等をお届け
しています。

▼目次はこちらです。
■ウズベキスタンの玄関、タシュケント国際空港
■タシュケント国際空港のデータ
■レストランBistro
■アパートからの距離
■■編集後記
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■ウズベキスタンの玄関、タシケント国際空港
1996年、最初にタシュケントに来たときは、空港はボロボロ、ベルトコンベ
ヤーがあるにはあったが稼動していなかったので荷物はベルトの上を歩いてスー
ツケース(飛行機からは運ばれていた。)を出口まで取りに行かなければならな
かった。

2007年のときはさすがに施設はリハビリされたようでスーツケースはベルト
に乗って出てきた。かといって本当にこれがリハビリなのかと思える施設の質で
はあったが。

最初からこんな印象だったので期待はしていないがもう少し対処の方法があるの
ではと考えてしまう。

これはタシュケントだけに限ったことではない。他のCIS諸国や東欧諸国でも1990
年代は同じような状況だった。

一般的に首都の空港はその国の玄関、観光立国でもあるウズベキスタンの玄関と
してはややお粗末な質である。また、この地域のハブの役割もタシュケント空港
は持ち合わせているので尚更だ。

それから税関検査がやたら厳しく閉口するということをよく聞く。これは徐々に
厳しくなっているようで、最初に来たときは印象がない。特に現金の持ち出しに
ついて厳しく、入国時に税関申告書を2枚書いて1枚戻されるが、出国時に入国時
申請した金額より多いと問題になる。多い場合銀行証明などがあれば問題ない。

最近聞いた話では、ウクライナのキエフ空港も同様な状況だという。同じものを
二つ以上持っている場合はギフトとして課税されるそうだ。そしてその対応は一
方的で聞く耳はまったく無く有無を言わせないそうだ。

日本国籍を有している人は事前にビザを取得することなく入国できるようになっ
たので、一歩前進だが、税関は変わっていないようだ。ソ連時代、モスクワのシ
ェレメツェボ空港をトランジットしたことがあるが、無機質的なところは同様だ。

ということは、ソ連が崩壊してもなんら変わらない、共産主義だからということ
ではないようだが、まだ共産主義が抜け切れていないだけなのかもしれない。思
うに共産主義時代は政治的な理由で、現在は経済的な理由なのかもしれないが、
想像の域を出ない。

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

タシュケント空港の諸元、下記の通りである。

▼諸元
標高432m
北緯41度15分28秒
東経69度16分52秒

ATA:TAS- ICAO:UTTT
空港種別 民間
航空管制 民間
標高 432m

滑走路
方向 スペック   表面
ILS m×幅
08R/26L YES 3,905×45 舗装(アスファルト)
08L/26R YES 4,000×60 舗装(コンクリート)
(wiki)

▼空港施設リハビリテーション

1996年の時とそれ以降でターミナルが変わったので調べてみたところ、欧州復興
開発銀行(EBRD)が融資してリハビリテーションが実施された。1997年12月2日と
いうDoard Dateがあるのでそれ以降に実施されたものと思われる。

ターミナル正面の写真
http://en.wikipedia.org/wiki/File:UTTT-exterior.jpg

総プロジェクトコストUSD51.3 Million, EBRD融資がUSD48Million (ECU38
Million)である。目的はICAO(International Civil Aviation Organization)
基準適合であろう。

http://www.ebrd.com/projects/psd/psd1996/1987.htm

プロジェクトの内容
1)タクシーウェイとエプロンのリハビリテーション
2)旅客ターミナルのリハビリテーション
3)プロジェクト実施促進アシスタンス

ICAO
http://www.icao.int/

時間100人、年間2000万人のキャパシティとwebには説明がある。この時間あたり
から年間に飛ぶところがウズベキスタンらしい。

一日当たりのキャパシティは?という疑問が浮かび上がる。ちゃんと計算してよ。
2000万人を365日で割ると54794人/日となる。容量だから実際はもっと少ない利
用者だろう。

http://www.uzairways.com/airports.aspx?pid=230

タシュケント国際空港
http://www.uzairways.com/airports.aspx

ターミナルフロアプラン
http://www.search.uz/airport_map_eng.php

▼タシュケント空港の事故歴
市内から6キロ、Yuzhniyに位置する。地図は以下のリンクの通り。
http://aviation-safety.net/database/airport/airport.php?id=tas

タシュケント空港の事故歴は2件、1974年4月24日と2004年1月13日だ。

2004年1月13日の事故は、ウズベキスタン南部、アフガニスタン国境の町Termezか
らタシュケントへ向けて夕方飛び立ったUzbekistan Airways' flight HY 1154
(Yakovlev 40)がタシュケント空港への着陸に失敗、滑走路の先にあるビルに接触、
墜落事故を起こしている。乗員乗客37名が事故死。ほとんどの乗客はアフガニス
タンに出兵していた国連軍(ドイツ)搭乗していた。
http://aviation-safety.net/database/record.php?id=20040113-0

この事故は下記の通り、YAKU40における91番目の損失とあり、YAKU40に関連する5
番目に最悪な事故で、ウズベキスタンでは3番目に最悪の事故である。多いですね。
シリアでもこの航空機は現役だったな。(2004年当時)

91st loss of a Yakovlev 40
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (at the time)
5th worst accident involving a Yakovlev 40 (currently)
3rd worst accident in Uzbekistan (at the time)
3rd worst accident in Uzbekistan (currently)

■Bistro-タシケントのレストラン
Bistroだから、フレンチから思っていたらイタリアンでした。これはどうも
Bistroという言葉がロシア語だと「急ぐ」という意味だそうで、仏語のビストロ
と露語のFastをかけ合わせたのか、今度言ったときに聞いてみようと思っている。

このレストラン、2007年2月にタシュケント滞在中、LonelyPlanetに紹介されてい
たので足を運んだ。レストラン情報少なく、現地滞在の日本人からもあまり情報
を聞くチャンスがなく、ガイドブックに頼ることになったが結果はガイドブック
の説明通り、美味しいこじゃれたイタリアンである。

先週末、2年前ぶりにBistroへ行く機会があった。パスタとピザ、サラダとワイ
ンと軽いディナーだった。

ピザ、パスタとも味はタシュケント一ではないだろうか。他の料理もきっと美味
しいに違いないがフルコースなど食べられるほど大食漢でもないので前菜どまり
が多い。

ワインは、イタリアとウズベキスタンのJV製、市中では5000スムで売られている。
スホイ、SECO、辛口が普通のワインで後は甘口になる。美味しいとはいえないが
飲める。

この地域、グルジアやモルドバワインが多いが、ウズベキスタンだけは国内産業
保護のため、見かけない。

タシュケントにあってここでの食事はほっとするひと時となるが、20%のサー
ビスチャージはちょっと取り過ぎではないですか。

33 Movarounakhr Street, Tashkent
Tel.: 152-11-12

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■■編集後記
やっかいなゲートウェイというのが印象だ。観光立国としては大きなマイナス、
されど、ウズベキスタンのホスピタリティでリピーターを確保できているのだろ
うか?

引き続き、私の視点でトピックを提供できればと思っています。
ご意見・ご感想はお気軽にご連絡下さい。
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