2023年11月19日日曜日

【世界街角通信MM】第398号 プノンペンにて-2023-11-19

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第398号 2023年11月19日★★★

皆さま、こんにちは、世界街角通信MMです。
東京にて気になったことなど備忘録的に書いています。

第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
(今号はスキップ)

諸般の事情によりプノンペンに滞在しています、やっと、雨季も終わりなのかと
いうお天気です。

▼目次
■11月9日はカンボジア独立記念日
■1970年のプノンペンの映像
■海外旅行保険の提携病院-プノンペン
■■編集後記

★本文★

■11月9日はカンボジア独立記念日

11月9日はカンボジアが1953年にフランスから独立した独立記念日で??です。

実は1945年3月12日に日本軍が支援してシハヌーク王が独立を宣言しているので2
度目、しかし同年、日本が降伏すると1946年には再度仏の保護下にされてしまう。

1945年、北ベトナムではホーチミン政権が誕生し、仏はインドシナ戦争を仕掛け
たが1954年のディエンビエンフーの戦いでソ連、中国の支援を受けた北ベトナム
軍に敗北、ジュネーブ協定でインドシナ3国の独立を承認した。カンボジア独立
宣言はこの情勢を見極めてのことだったのか。

この後、フランスが敗北したことと冷戦激化から米国が肩代わりし、南ベトナム
を支援してそれがベトナム戦争へと発展していくことになる。

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2023/11/119.html

■1970年のプノンペンの映像

1970年のプノンペンの映像、丁度、仏から1953年に独立を果たしたシハヌーク政
権、中立から反米親中のカンボジア王国から親米ロン・ノル政権のクメール共和
国となった年である。

シクロが90年代のハノイのように走り回っている、今は観光用シクロを見かける
のみ。大きなドームのセントラルマーケットは今も存続している。そして皆痩せ
ている、ベトナムもそうだった。

https://www.facebook.com/tkhenggroup/posts/pfbid0CMaHJ9nvgnNVMQAVoza91dp
jsiZu4a3yjAZonMRzQA1uuQzip4t74F6xmtPNxHxql?mibextid=YxdKMJ


■海外旅行保険の提携病院-プノンペン

三井住友海上火災の海外旅行保険に加入して出張している。その保険のプノンペ
ンでの提携病院、提携病院だとキャッシュレスになる。他の病院でも治療費は保
険適用になるので、手続きをすれば還付される。

プノンペンでの提携病院、案内には2病院がリストされている。以前はサンライ
ズホスピタルもあった記憶だが。

Royal Phnom Penh Hospital

Ken Clinic

Sunrise Japan Hospital

web上だと Royal Phnom Penh Hospitalのみだが案内にはKen Clinicもリストさ
れている。

https://www.ms-ins.com/contractor/emergency/kairyo/medical_service/

東京海上火災日動保険の提携病院は以下のとおり

https://www.tokiomarine-nichido.co.jp/service/travel/kaigai/guide/consul
tation/hospital/cambodia.html


サンライズジャパンホスピタルのキャッシュレス保険会社はwebに記載されてい
る。

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2023/11/blog-post_8.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■プノンペン駅とカンボジア政治
■プノンペンの現実
■■編集後記

■■後記

少し中断しておりました。

そして、
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、こちらも一時中断、プノンペンの後に再開する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
▼note klubnika report
https://note.com/klubnika

■Facebookのグループで下記の2グループを運営しています。
★CA+C 中央アジア・コーカサス地域研究会(グループ)
http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

★R+EE 露・東欧地域研究会(グループ)
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★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第398号 2023年11月18日
発行責任者:飯尾彰敏
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twitter:https://twitter.com/iioakitoshi
ご意見・ご感想:http://form.mag2.com/slicleapru ★★★

【世界街角通信MM】第397号 プノンペンにて 2023年11月17日

★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第397号 2023年11月17日★★★

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▼目次
■プノンペン駅とカンボジア政治
■プノンペンの現実
■■編集後記

★本文★

■プノンペン駅とカンボジア政治

昨年2022/11/7のプノンペン駅の夜景、絵になりましす。この駅はRoyal Railway
 Station、1932年築。
https://eastriver229.blogspot.com/2023/11/blog-post_50.html

正面に少し映っている高層ビル、龍と風水をデザインモチーフとしたビルは2012
年竣工の39階建てVattanac Capitalビル、少し前までプノンペンで最も高いビル、
今は第2位、設計はUKのFarrells、香港支社のTFT Farrells。Vattanac Bankが事
業者ですが、安達銀行と表記されている。

Gare de Phnom Penh、Phnom Penh Royal Railway Stationはプノンペン北西約30
0kmに位置するバタンバンまでの鉄道運行のために1932年に建設された。

1960年9月28日-30日、当駅にてクメール人民革命党Kampuchean People's Revolu
tionary Party (KPRP) のリーダー21人によって党内秘密議会が開かれ、党名が
カンプチア共産党 (WPK) に変更され、民主カンプチアではこの重要な会議が後
に党の創立日となっている。

ポル・ポトがカンプチア共産党2代書記長になり粛清により独裁体制を構築し、
ポル・ポト派は党内でクメールルージュと呼ばれるようになった。ポル・ポト派
は親米派ロン・ノル政権を、1975年4月17日にプノンペンを陥落させ、同月、ポ
ル・ポトを首班とするクメール・ルージュがリーダーシップとなる初の重要会議
がこの駅で開催された。反ポル・ポト派は国境付近に逃れカンボジア人民党を結
党した。

■プノンペンの現実

2022/11/11、昨年の初めてプノンペンを滞在した時のメモ。
https://eastriver229.blogspot.com/2023/11/blog-post_12.html

20年以上ぶりに途上国感を味わった顛末記。いま、ここでASEANサミットが開催
され+3出席のために我が国の首相も法務大臣の進退で遅れたが、早朝に着きこの
街に滞在している。会場はトンレサップ川とメコン川の間にあるホテル、やや遠
い、しかし、バイデン大統領が職場の前、直ぐ近くのホテルに滞在しているので
交通規制厳しく、交通量は少ない。我が国の首相はこの後、バリ島でのG20首脳
会議、その後、バンコクでのAPEC首脳会談に出席、関係各国の首脳も同様に移動
するのであろう。

さて、首脳会談などとは縁遠く足元の生活基盤状況が深刻であり、なかなか事が
進まなかったが、本日、やっとハウスキーパーに来ていただき最大の懸案が解決
され、ホッとしている。というのは、冒頭のとおり、トイレットペーパーをトイ
レに流してはいけない国はそのような注意書きがあった国の記憶があるが、思い
出せないほど遠い昔のこと。このプノンペンで、アパートとはいえ、そんなトイ
レットペーパーが備え付けてあるなど知る由も無かったしチーム内でも共有され
ていないほど常識的なことだったようだ。

★本文ここまで★

▼前号目次
■1985年7月8日、モスクワ・ヤロスラブリ駅着、コスモスホテルにチェックイン
■■編集後記

■■後記

少し中断しておりました。

そして、
第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。
が、少し先に継続する予定です。

注)このメールマガジンは備忘録的にという主旨で、その時々の情報や印象を記
録しておこうと2009年2月初頭からのウズベキスタン出張を機に始たもので創刊
はタシケント到着後の2009年月14日でした。

また、以下にもトピックごとに掲載していく予定です。
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2023年8月15日火曜日

【世界街角通信MM】第396号 ナホトカ航路シベリア鉄道-2023-08-15

 ★☆☆メールマガジン【世界街角通信MM】第396号 2023年8月15日★★★


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第391号より、ナホトカ航路シベリア鉄道1985の回想録を掲載しています。

▼目次
■1985年7月8日、モスクワ・ヤロスラブリ駅着、コスモスホテルにチェックイン
■■編集後記

★本文★

■1985年7月8日、モスクワ・ヤロスラブリ駅着、コスモスホテルにチェックイン

1985年7月5日にイルクーツク駅から乗ったロシア号は3泊4日を要してモスクワ・
ヤロスラブリ駅に着いた。イルクーツク駅を出てから駅周辺以外、列車から人家
が見えなかったが、4日目、モスクワに近づいているのだろう、農家やアパート
群が車窓から見えた。

7月8日(火)、ロシア号は定刻通りの16:40にモスクワ・ヤロスラブリ駅に到着
した。ヨーロッパの都市にある駅と同様に、終着駅で行き止まり、その先が駅舎
だった。特に案内はなく、インツーリストの窓口へ行くということだけだった。
マリーナとはここでお別れとなった。筆舌に尽くし難いほどたいへんお世話にな
った。

ロシア号を降りてバックパックを背負ってホームを歩いて駅舎へ向かった。写真
はその時の撮った。駅構内のインツーリスト窓口へ行くと既に連絡が入っていて
ここで待つようにと案内があった、その時に対応してくれたのも日本語ができる
女子学生だった。こどもの頃、東京に住んでいてNHKのロシア語会話に出演して
いたという、現在はモスクワ国立大学アジア・アフリカ学部で日本語を専攻して
いるとのことだった。

タクシーが来たのでそれに乗るようにと案内があり、その彼女とはその時だけだ
った。白だったか覚えていないがボルガという大きなセダンだった。どこをどう
やって走ったのか憶えていないが宿泊先はコスモスホテルだった。

Hotel Cosmos
150, Prospect Mira
Moscow, 129366, Russia
https://www.hotelcosmos.ru/eng/

このホテルはモスクワオリンピックに際して新たに建設れた大規模なホテルで、
VDNKhの前に位置していた。予定ではこのコスモスホテルに一泊して翌7月9日
(水)の夜行列車ででキエフへ向かう予定になっていた。

レセプションでチェックイン手続きをしパスポートを預けた。翌日に取りに来る
ように説明があったと思う。大都市モスクワの大ホテルという印象(500室以
上)、エントランスホールも大きく、レセプションにも人が多かった。

部屋の番号を告げられ部屋のある階でEVを降りて廊下の入り口に鍵おばさんがい
た。ここで部屋の鍵を受け取るシステムだった。 何かねだられたようだったが、
気に留める余裕もなく先へ進んだ、誰にでもそう強請っている感が強かった。

部屋はスタンダードなツインルームのシングルユース、壁側にデスクとTVもあっ
た、今でも十分機能するレイアウトで広めだった。バスルームにはバスタブがあ
り、こちらも広くゆったりとしていた、もちろんお湯もでた。インツーリストホ
テル・イルクーツクで気が付いたが、バスルームにはスチームのパイプが洗濯物
を乾かすように配置されていた。もちろん暖房用にはヒーターパネルが設置して
あった。夏でもこの洗濯物用パイプには熱が通っていた。それと同じシステムの
パイプがバスルームに敷設してあった。日本でもこのような設備があってほしい
が、寒冷地ゆえの設備なのだろう。
部屋はVDNKh側で正面に宇宙飛行士記念博物館の宇宙征服者のオベリスクが、そ
して、モスクワOstankinoテレコムタワーが窓から望めた。前の通りはMira通り
といい、VDNKh地下鉄駅もそこにあった。

夕飯をホテルのレストランで食べたと思うが、何をどう食べたのか記憶に残って
いない、ビーフストロガノフの一つ覚えで対応したのかもしれない。同じテーブ
ルに香港からの旅行者がいたと思う。

暗くなってからロビーに降りて人を観察をしていたら、ベリョースカ(白樺)と
いうドルショップが、端にはカウンターバーがあり、女性が何人か座っていた。

ホテルエントランスに目を向けると民警が複数人立っていた。よく見ていると、
女性は入る時に民警にチップらしきマールボロを渡しているのがわかった。それ
で、夜の蝶は出入り自由になっているようだった。このホテルは外国人専用なの
で、ここでは何でもUSD建てだった。

旅の汚れを落とし、バスタブにお湯を張り疲れを癒した。ホテルのベッドの上で
寝られるのは何と心地よいのかと、疲れもありそのまま寝入ってしまった。モス
クワまで来ているのだから、もっとモスクワをと頭は考えたが身体の疲れが勝っ
ていた。

共産主義時代を旅して-ソ連・東欧1985年夏
http://1985.iio.org.uk/index.html

元記事:https://eastriver229.blogspot.com/2023/07/198578.html

★本文ここまで★

▼前号目次
■1985年7月5日、バイカル湖畔の観光村Listvyankaその2
■1985年7月5日-8日、イルクーツクからモスクワへ、その
■■編集後記

■■後記

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http://www.facebook.com/groups/298398100231283/

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